阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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奇しくもその言葉は同じで

「純狐の反応、ヘカーティアと同じく消失。こちらで追える場所にはもういません」

「……本当に純狐を鎮めて見せたわね」

 

 緊張を孕んだ鈴仙の声に永琳は少年への称賛を滲んだ声で応える。

 永遠亭の面々は楓たちと一緒に月へ向かうことこそなかったものの、彼らの目を通じて状況はつぶさに把握していた。

 楓が人間となり地上へ落ちて戦線を離脱していた時も彼女らは霊夢、天子の二人に弾幕の情報や純狐の動きを観察し続け、指示を出していたのだ。

 彼女らの力がなければ霊夢たちが時間を遡行する回数は更に膨れ上がっていただろう。

 そして事態が推移して楓が見事純狐の首を落とし、荒ぶる神霊を鎮めたのを見て、永琳は状況が終わったことを肌身で感じ取る。

 

「……師匠? 今の口ぶりだと楓たちが勝てないって考えていたみたいに聞こえますけど」

「月の民に比べれば勝てる可能性はあると睨んでいたわ。それにどんなに低くても、楓に行かない選択肢はなかった」

 

 ならば勝てる可能性を口にするだけ野暮というものである。

 楓の願いを叶えるには勝つ以外になく、そして彼は見事勝利してみせたのだから。

 

「ここから先は私たちの仕事よ。依姫たちに月の最先端医療機具を用意させ、楓が愛してやまない主を救い出す。彼は私たちとの約束を守った。次は私が約束を守る番」

「師匠、やる気出してますね」

「当然よ。魂の瑕を治す機会なんてこの先どれほどあるのやら。それも千年、誰も手を出せなかった症例を私が解決する。これで気合が入らないのは医者じゃないわ」

「うわあマッド」

「もちろん、患者を見放すつもりはないわよ。楓の才能もまだまだ磨きたい場所だらけだし、ふふふ、楽しみが増えたわね……!」

 

 厄介な人に厄介な気に入られ方をしたものである。

 楓に言わせれば日常茶飯事かもしれないが、鈴仙はそっと内心で彼に同情を向けるのであった。

 表には出さない。自分に累が及ぶ方が怖いのだ。

 

 

 

 

 

 ヘカーティアは首の治り切らない純狐を抱え、どこかへ去っていった。

 去り際、楓たちにしばらくは月を襲わないことを明言していたため、当面の安全は確保されたと言っても良い。

 神霊の語るしばらくがどの程度の尺度かは知らないが、次があっても今度は楓に関係のない話になる。今度は幻想郷を巻き込まず、月の民だけでどうにかしてほしい楓だった。

 

 さて、純狐の脅威が去ったことにより月の都は夢の世界から元の月へと戻り、人々の営みが再開される。

 もともと夢の世界でも月と変わらない生活が送られていたため、真相を知らない人からすれば昨日も続いたいつもの毎日が今日も続いていく以上の意味はない。

 言い換えれば真相を知っていた上層部の面々からすれば、楓たちは僅かな人数で神霊を鎮めるに至った重要な人物である。

 そのため、彼らは月の都の中でもひときわ高い場所にある塔にサグメの案内を受け、集まっているところだった。

 目に痛いほど白く、嗅覚の鋭い楓をして何の匂いも感じられないほど無菌の何もない部屋に通される。

 

『ここで待っていてほしい。司令官を呼んでくる』

 

 直接会話すると事象が逆転する可能性があるためか、サグメは手元の機械らしき何かを操って合成音声を作っていた。

 どんな理屈の機械なのかわからないが、普通に話す速度と変わらない速度で合成音声が生み出される。

 サグメの言葉に楓たちがうなずくと、サグメは小さく一礼をして自動で開く扉の向こうに消えていく。

 残された楓たちは部屋を一瞥するも、面白いものはなさそうだとため息をついた。

 

「……歓待してもらえる雰囲気ではなさそうだな」

「月の民って基本、自分たち以外は見下してるのよ。私たちのことも未開の文明人ぐらいにしか思ってないんじゃない?」

「私は都の観光ができれば文句ないわ。ここまで来たのも楓のためだし、そっちはもう終わった話だし」

「そうだな。少しぐらい回れないか聞いてみるか。……永琳?」

『事態は把握しているわ。よくやったわね、楓』

「約束を守ってくれるなら文句はない」

 

 人間にならなかったら三人もろとも死んでいた可能性が高かったが、そのことで永琳に恨み節を吐くつもりはなかった。

 むしろ一つの頼み事をこなせば阿求の寿命を解決してくれるというのだ。破格の条件だと思ってすらいた。

 これまで自分の祖先が何代も挑み、破れていった悲願を己が果たす時が来た。

 短命の軛から御阿礼の子を解放する。初代が最初に願い、狂気の鎖に絡め取られて紡がれた想いが結実するのだ。

 

「…………」

「……浸りたくなる気持ちはわかるけど、今は取っておきなさい」

 

 目を閉じ、感慨に浸っていた楓を現実に引き戻したのは霊夢の声だった。

 

「……そうだな。まだ全部終わったわけじゃない。俺のやるべきことは残っている」

「なにかあったかしら?」

「紺珠の薬を見て思いついたことだ。これに関しては俺一人で良い」

 

 ごく短時間の時間遡行を、さしたる副作用もなしに実現する薬。

 そんな薬が作れるなら、ひょっとしたら楓の望む薬もできるかもしれない。

 しかしそれを楓が説明する前に扉が開いたので、楓は口をつぐんだ。

 扉から現れたのはサグメ、依姫ともう一人、亜麻色の髪を背中まで伸ばし、室内にも関わらず全周のつばのついた帽子を被り、閉じた扇子を片手に持つ少女が歩み寄ってくる。

 彼女らは楓たちの前に来ると依姫が一歩前に出て、口を開く。

 

「まずは月の都を救ったこと、大儀でした。月の都を代表して感謝を」

 

 上からの言葉遣いに霊夢が嫌そうな顔になるが、楓が視線で黙っておくように指示する。

 

「こちらにはこちらの目的があってのことだ。そちらの人は?」

「依姫ちゃんの姉の豊姫です。この度は妹がお世話になりました」

「……姉上はお前たちを地上に戻すための役割だ。姉上の能力を使えば地上まで一瞬で戻すことができる」

「だったら少しぐらい都を見て回る時間がほしいわね。いつでも戻れるんでしょう?」

「月の都は穢れを何よりも厭います。あなたたちの功績を認めているからこの場にいられるのであって、本来は土すら踏むことができませんでした。ここに我らがいること自体が譲歩であると理解してください」

 

 天子の要望に依姫が否を返す。

 明らかに歓迎されていない。それも散々頑張ったこちらを蔑ろにしている。それが伺える態度だった。

 露骨に顔を歪める天子に代わり、楓が話し始める。

 

「だったら都は良いが、他に見ても良い場所を教えてくれ。俺たちもここまで来て何の土産もなしは割に合わん」

「であれば静かの海を後で案内します。月の石ぐらいは持っていっても構いません」

「わかった。……それと俺たちは永琳より指示を受けて月の救援に来た」

「ええ、存じております。先生はこちらの会話を?」

「ああ、聞こえているはずだ。――永琳!」

『久しいわね、サグメに依姫、豊姫たちも。皆息災なようで何よりだわ』

「先生! お声だけでも聞くことができて嬉しゅうございます! 先生こそ壮健なようで!」

 

 楓が耳元に指を当てて永琳を呼ぶと、依姫が楓に代わって永琳と挨拶を交わす。

 サグメらの表情が目に見えて輝き、我先にと永琳と話したがる様子を見て本当に彼女が慕われているのだと感じる楓だった。

 

「……積もる話はあるかもしれんが、本題に入ってくれ。俺たちは何も無償の奉仕をしに来たわけじゃない」

『そうね。依姫、豊姫。私たちが月の救援に来たのは故郷を想って、なんて感傷的なものではないわ』

「何か目的。それも月の文明に対するものがあると。ふむ、言ってください」

『月の最新鋭医療機器。それを私たちに寄越してほしい』

「なぜです? 先生が月の医療機器を使用すればそれこそ死者を蘇らせることだって可能でしょう。そうまでして助けたい誰かがいると?」

『そこの男の子の主人を助けたいと願われた。隠すことでもないから話すけど、彼は姫様や私にすら打ち勝っている』

「まあ……!」

 

 豊姫の目が見開かれ、楓に注がれる。

 よもや地上で永琳に勝てるものがいるとは、といった類の驚きようだった。

 実際、当時の自分では独力の勝利は難しく、仲間の力も借りてようやくといったところだったが勝ちは勝ち。

 

「視界全てを埋め尽くす光の矢なんて二度と見たくない」

『手加減はしなかったもの。さて、依姫に豊姫。答えは如何に?』

 

 依姫は目を閉じて黙考していたが、すぐに開いて楓たちの要求を飲むことを話す。

 

「……わかりました。私たちの権限で永琳様の住まいに最新鋭医療機器を送ります。先生ほどのお方であれば当然知っておられるでしょうが、むやみには――」

『使わないわ。よほどのことがない限り、一度きりで済ませる。それが終わったら後は封印するわ』

「ならば問題ありません。送るのはいつぐらいに行えば?」

『すぐ頂戴。約束を果たすのは早いに越したことはない。でしょう?』

「ああ、頼む。他に必要なものはないか?」

『私の方は大丈夫。霊夢たちもよく頑張ったわね』

「全くよ。あんたの作った紺珠の薬がなかったら何回死んでいたかわかったもんじゃないわ」

 

 あけすけな霊夢の言葉に永琳の苦笑が混ざる。

 

『地上に戻ったら良いお酒を贈りましょう。宴会でもなんでもすると良いわ』

「わかってるじゃない。……まあ、私も阿求のためなら身体張るわよ」

「感謝している。天子にも助けられた」

「月への冒険ができたんですもの。感謝したいのは私の方よ」

『さて、これで話は終わりね。依姫たちの用件を済ませて頂戴な』

 

 その言葉を最後に永琳の声が聞こえなくなる。どうやら通信を切ったらしい。

 楓は今すぐにでも地上に戻って阿求に報告したかった。表面には出さず押し殺していたが、付き合いの長い霊夢は察したらしく呆れた目を向けている。

 

「はい。と言っても、我らもあまり大した話ではありませんが」

『今回の一件は月にとって、秘密裏に処理したい事柄になる。なのでお前たちが地上に戻っても話してほしくはない』

 

 豊姫の言葉を継ぐようにサグメの操る機械音声が楓たちに事情を語る。

 

「俺は主に事の仔細を報告する必要がある。……が、重要なのは純狐を倒したことだ。月の都の情報については伏せておくこともできる」

 

 これより先、関わり合いになるとも思えない世界である。阿求の綴る幻想郷縁起に必要な情報とも思えなかった。

 

『ならばそうしてほしい。私もお前たちに能力を使用した記憶操作はしたくない』

「ふむ、月の賢者サグメともあろう方がやけに肩を持ちますね」

 

 依姫の言葉は単純な疑問以上の意味はないだろう。

 しかしサグメは僅かに迷った後、機械に自らの声を発させる。

 

『……彼は命の恩人だ。私は一度、純狐に殺されかけた。いささか手段は荒かったが、恩は恩』

「あの場面で手段を選ぶ余裕がなかった。死ぬよりマシだろ」

『わかっている、責めたつもりはない。だが、これ以上の歓待も難しいことを理解してほしい』

「あなたが先生の弟子ということもあり、私たちが顔を出したのです。本来なら穢れを持ち込むことは禁忌ですので、純狐を倒した後は消えてもらう作戦すらありました」

「…………」

 

 つくづく月と地上では考え方が違うらしい。できることなら今後も関わってこないでほしいと思う楓だった。

 霊夢、天子も不愉快そうに顔を歪めた。面白い街並みだと天子は評していたが、中身に幻滅しているのだろう。

 

「……こちらも友好的じゃない相手と仲良くしたいわけじゃない。そちらが約束を果たすならこちらは不干渉を貫こう」

「理解が良くて結構。そして同じ相手に師事する好です。姉弟子としてそちらが静かの海を観光することには何も言いません」

「……静かの海とやらだけ見て帰るか」

 

 是が非でも街並みを見て行きたいわけでもなし、ここでごねて話がこじれるよりはさっさと終わらせたいという気持ちが強かった。

 天子も異論はなかったのだろう。楓の言葉に文句をつけることはなくうなずく。

 

「私が案内しましょう。姉さま、戻る際には改めてお呼びします。サグメもご苦労」

 

 もう今後会うこともないだろう、という気持ちで彼女らを見ていたのがバレたのか、サグメの視線が楓に向く。

 

『……先生のおられる地上には私も興味がある。また今度、顔を合わせよう』

「む、サグメばかりうらやま――もとい、私も久しく先生の顔を見ていません。鍛え甲斐のある弟弟子もできたことですし、私が永遠亭にお邪魔する時もあるでしょう」

「…………」

 

 こいつらとまた顔を合わせるのか。楓が筆舌に尽くしがたい表情になり、霊夢と天子は必死に笑いをこらえるのであった。

 

 

 

「静かの海とは二つ存在します。一つは月の都がある方の静かの海。それがこちらになります」

 

 一欠片の波すら立たない無風の湖。鏡にすら見える水面が広がる空間だった。

 そして水鏡となっている水面にはちょうど楓たちの頭上にある、蒼く美しい球体が映し出されている。

 凪の水面を見ていても面白くないが、映し出している蒼い球体は天子も気に入ったのか、一心に見入っている様子だった。

 

「あの星が地球――あなたたちが住まう星になります。幻想郷に暮らしているあなた方にはわからない話でしょうが、七割が水に覆われた世界で生きているのですよ」

「幻想郷などちっぽけな隠れ里というわけか……世界は広いな」

「ね、楓。今度私を外の世界に連れ出しなさいよ。外なら百年以上遊んでいられそうじゃない!」

「俺が外の世界に行く前提で話すのはやめてもらおうか」

 

 楓は幻想郷で満足している。何より阿求のいない外に行くなど、避けられない用事でもなければゴメンである。

 などと話していると依姫が静かの海についての解説を進める。

 

「この場所は地球の境界が揺らぐ場所でもあります。そのためごくたまに地上から月に迷い込むこともあります。全て記憶処理を施して姉さまに送り返してもらっていますが」

「月に残ることはあり得ないと?」

「地上の民は誰しも穢れを持っており、その穢れは月の民が何よりも忌避するもの。今の状態が例外であって、本来なら月の民と地上の民は決して交わらない」

「こいつの言う穢れって生命の穢れも含めるからね。地上の人間はどうあっても相容れないわけ」

 

 むしろ月の民はどうやって生きているのだ、と疑問を口にしそうになる楓だったが、依姫が話を続けるため黙ることにした。

 

「裏側の静かの海はこの程度にしましょうか。もう一つの静かの海――地上の民が見上げる月をお見せしましょう」

 

 依姫が指を鳴らすと同時、空間に歪みが生まれて世界が切り替わる。

 凪いだ海があった場所は綺麗に消え去り、荒涼とした草木も何もない殺風景な空間が広がった。

 

「これは……」

「かつて、地上の民が月へ足を運びました。その際に我らが見せた、見せかけの月です」

「俺たちのように月の民が設置した通路を使うこともなく、独力で月にたどり着いたのか……」

「ええ。地上の文明は月と比べるべくもありませんが、それでも千年で大きな進歩を遂げているのは認めるところです。例えばあそこに立っている旗は地上の民が残したものになります」

「なるほど」

 

 月面に降り立った楓はゴツゴツとした月の表面を少し歩き、やがて手頃な石を拾い上げて依姫を見上げた。

 

「持って帰っても良いか? 土産を頼まれていた」

「その程度ならいくらでも。無欲なものですね」

「医療機器で俺の願いは叶っている。これは友人に頼まれたものだ」

 

 軽く、少し叩けばボロボロと崩れそうな石を見て、わかさぎ姫はこれを月の石だと信じてくれるだろうかと下らないことを考えてしまう。

 信じようと信じまいと真実は変わらない。何か違うと言っても本物はこれだと言って押し切ることにしてしまおう。

 

「この場所はこれぐらいですね。穢れた人間の夢の跡、と言うこともできます。地上の民は月まで来ましたが、月から先はまだ先の話です」

「星の海への冒険なんて素晴らしい話じゃない。楓、行く時は私を誘いなさいよ」

「だから俺がそこへ行くことを前提に語るのはやめてもらおうか!」

 

 人を何だと思っているのか。憤慨する楓だが、天子は意味深な笑みを浮かべるばかりだった。

 霊夢は一度見たことがあるのか、興味なさそうに欠伸を隠さない。

 そんな彼女を見て、依姫がそろそろ戻ることを提案する。

 

「では戻りましょう。姉さまが地上への道を作り、送り届けてくれます」

「わかった。あの綺麗な星に自分たちが暮らしている、というのは面白い情報だったな」

「そうね。外の世界はまだまだ広いってわかっただけ収穫だわ。世界にはまだまだ私の知らない顔がある」

 

 幻想郷だけで完結するには程遠いほど、世界は広がっている。

 そんな情報を得た彼らは依姫、サグメらに見送られながら地上に戻っていくのであった。

 

 

 

 

 

 地上――幻想郷に戻った時、周囲はすでに夜の帳が下りていた。

 二度、それも一度は死ぬ確率の方が高いような修羅場をくぐった霊夢と天子は疲れた様子で欠伸を隠さず各々の家に戻っていく。

 楓もそれを見送った後、永琳から話を聞くべく永遠亭を訪ねていた。

 

「一朝一夕とは行かないわ。機材が届いたら必ず連絡するし、日取りも決める必要がある」

「そこまでする必要があるのか?」

「ここまで成し遂げたのだから、ここで下らない失敗はしたくないでしょう? 私も万全を期したいのよ」

 

 永琳にそう言われては楓も納得する他ない。

 結局、この日は楓も戻るしかなく、依姫が何も言ってこなかったので持ってきてしまったよくわからない月の刀をどう扱うか頭を悩ませながら稗田の屋敷に帰った。

 草木も眠る丑三つ時にほど近い時間。良い時刻なので眠っているだろうと静かに屋敷に戻った楓だが、戸を開くと暗がりが動くのが見えた。

 

「お兄ちゃん?」

「阿求様!? 失礼いたしました、お休みになられているものと思い」

 

 冬の寒い時分、しかも玄関前で待っていた阿求の身体は冷え切っており、楓がすぐさま手を伸ばして暖めようとする。

 すぐに部屋に戻って暖かくしなければ風邪を引いてしまう、と慌てる楓に阿求は青い唇で、しかしとても嬉しそうに楓の戻りを喜んだ。

 

「お兄ちゃんが心配だったの。それに今回は私にとっても大事な異変だから」

「阿求様……」

「ねえ、少し縁側でお話しない? ここまで冷えちゃったんだもの。少しくらい良いでしょう?」

 

 側仕えとして見るなら断るべきだ。しかし、阿求の話しぶりからは拒否を許さない空気があった。

 

「……少しだけですよ。異変の詳細は明日お話いたします」

「うん、それで十分。ほら、行きましょう?」

 

 阿求に引きずられるように縁側に足を向け、楓たちは並んで座って月を眺めた。

 ついさっきまであそこにいたのだと思うと不思議な気持ちになる。

 天上に座す、普通なら手の届かない天体。それを見上げて阿求は楓と同じことを思う。

 

「お兄ちゃん、あそこにいたんだよね」

「はい。月からこの世界も見ることができました」

「わ、どんな世界だったの?」

「蒼く、美しい星でしたよ。ここに我らが暮らしているのだと思うと感慨深かったです」

「そっか。……ねえ、お兄ちゃん」

「はい」

「……私、もうすぐ願いが叶うのね」

 

 そうつぶやく阿求の横顔に喜びはなく、あるのは夢のような未来への戸惑いだった。

 

「私が願ったことだもの。嬉しいんだって思うべきなのはわかってる。でも、なんでだろう……ほんの少しだけ、そんな日が来ることを怖く感じるんだ」

「…………」

「生きたいと願ったのは私なのに、いざ生きて良いと言われたら戸惑っちゃう自分がいるの」

 

 訥々と話す阿求を遮らぬよう黙っていた楓だったが、その沈黙を二の句が継げないと勘違いしたのか、阿求は場をごまかすように笑う。

 

「お兄ちゃんは本当に頑張ったのに、こんなんじゃダメだよね。あはは、ごめんなさ――」

「――短命の問題が解決したら、やりたいことはありますか?」

 

 阿求が謝って言葉を撤回する前に、楓が割り込んで阿求に質問する。

 

「やりたい、こと?」

「はい。私に生きたいと願った時、口にしていたでしょう。あれから少し時間が流れ、阿求様の願いは現実に叶おうとしている」

「……うん」

「だからこそ聞いておきたいのです。三十を過ぎても生きられる。そんなお体になった阿求様が最初にやりたいことを」

 

 楓の言葉に阿求はうーんと腕を組み、考え込む姿勢になる。

 そうしてしばしの間、無言の時間が流れた後、阿求がポツリとつぶやく。

 

「……家族がほしい、かな」

「家族ですか。ご結婚を考えておられると?」

「うん。歴代の御阿礼の子が一度は考えて、でも結局は諦めていた願い」

「素晴らしい願いだと思います。他にはございますか?」

「他? 他は……縁起の編纂も心ゆくまでやりたいし、縁起以外の本も書いてみたいと思うし、後は――そう! お婆ちゃんになってみたい!」

「父は年を取っても良いことなどないと仰ってましたが?」

 

 そんな風にうそぶく癖、楓の記憶している限り最後の最後まで父の剣筋は一切鈍らなかったのだから、つくづく彼を人類のカテゴリに入れて良いのか謎である。

 阿求もそんな父の姿を見てきたのだろう。軽やかに鈴のような笑い声をあげる。

 

「お祖父ちゃんは特別よ。……本当に最期まで、私たちのことを考えて生きてくれた大事な人」

「阿求様。それは我ら一族皆、同じ思いにございます。あなたが短命の軛から解き放たれることを恐れるのなら、私が願いましょう」

 

 そう言って楓は阿求の方に向き直って正座し、静かに頭を下げる。

 

 

 

 

 

「――生きてください、阿求様」

 

 

 

 

 

「あ――」

 

 楓の言葉を聞いた阿求の口から呆けた息が漏れる。

 奇しくもかつて、楓がいた場所で同じ言葉を告げた人物がいたのだ。

 彼は未来を託すために。そして楓は未来を願うために、同じようで少し違う言葉を紡いでいく。

 

「生きて、生きて、生きて――家族を作り、子を生み、子を育て、巣立ちを見送り、孫を得て。そして年老いて。そんな当たり前の人間の姿を、どうか――」

「お兄ちゃん……!」

 

 顔を上げて微笑む楓に感極まった阿求が抱きついてくる。

 嗚咽が止まらない彼女を落ち着かせるように背中へ手を回し、優しくその背を叩く。

 

「歴代の御阿礼の子に後ろめたく思うならば、我らの声を聞いてください。我ら火継一同――いいえ、私は――阿求様に末永く生きてほしいと心から思っております」

「うん、うん……! 私、生きるよ……! 絶対、絶対に長生きする! お祖父ちゃんも、お兄ちゃんも、皆が私に生きてほしいって願って、私はここにいるんだ!!」

 

 父と自分の名前を幾度も呼びながら本格的に泣き出してしまった阿求を抱きしめ、楓は静かに笑って最後にもう一度だけその言葉を紡ぐ。

 自分たちを阿礼狂いに変えてまで御阿礼の子の旅路に同道した一族の原初の願い。御阿礼の子に生きてほしいという、火継の一族なら誰もが抱く願いをとうとう実現してみせたのだと、思いを込めて。

 

 

 

 

 

「――生きてください、阿求様」

 

 

 

 

 

 

 

「さて、依姫たちにお願いした医療機器も届いたし、後は当人の万全を期して――」

「師匠、楓が来ましたー!」

「楓? 悪いけど魂の瑕を治す手術はもう少し先になりそう――」

「頼みがある、永琳。――過去に行く薬を作って欲しい」




かつて、同じ場所で阿求は今際の際の未来に託す言葉を受け取り、今は未来を願う言葉を少年から受け取りました。

阿礼狂いという壮絶な一族に生まれた者たち誰もが願う、生きてほしいという思い。それはついに火継の結実とも呼べる少年の手で果たされることになる。

寿命の問題が解決された後も彼らは家族として生き、阿求が精一杯己の人生を生き抜くのを見届けることになるでしょう。



……うん、本編最終話でも良いというか、前作の最終話と似た形に意識していますが、後一話続きます。
星を追いかけた少年が星を掴むお話が次回、本編最終話となります。
蛇足? 私はこれが書きたくて本作書き始めたんだよ(真顔)
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