その日、楓は香霖堂への道を歩いていた。
品揃えは店主の好み。店を開く時間も店主の好み。当然、休みも店主の好み。
商売をナメているとしか思えない店だが、店主である森近霖之助はかつて霧雨商店で修行をしていたこともあり、人里一の大商店と懇意にしていた。
そして霖之助は霧雨商店でも仕入れることの難しい――言ってしまえば人里内部での入手が不可能なマジックアイテムや不思議な道具の製作法を知っていたため、定期的にこれらを霧雨商店に卸して利益を得ていた。
……商品の比較として人里で頻繁に事件を起こす河童が出てくる、と言ってしまえば彼の持ってくる品物の品質と安全性もある程度は伺えるだろう。
ともあれ霧雨商店側から時折、商品を受け取りに行ったり店主と話す人が必要になる。
その役目は居合わせた人によって様々だが、たまに楓が引き受けることもあった。
香霖堂は人里にほど近いとはいえ、魔法の森の中だ。人を襲う危険な妖怪が絶対に出ない、とは言い切れない場所にある。
尤も、霧雨商店の店主が自分を荷物の受取人に指名したがる理由は、他にあるだろうというのが楓の推測だった。
楓と同じことを考えていたのか、楓の頭上に肘をついて寝転がる姿勢を作っていた椿がつぶやく。
『君の境遇を慮って、というのもゼロじゃないと思うよ』
「自覚はあるが、言うほど同じではないと思うがな」
現在向かっている香霖堂の店主、森近霖之助は――人と妖怪のハーフだ。つまり、楓と同じ生まれの存在である。
しかし霖之助自身は過去のことをほとんど語らず、かろうじてわかっているのが半妖であることぐらい。それ以外は趣味に生きる気ままな自由人という情報しかなかった。
『ま、良くしてもらってるんだし、気にしないで良いんじゃない?』
「それもそうだな。嫌われるよりマシか」
『そういうこと』
椿が笑って距離を取り、楓のやや後ろを漂ういつもの定位置に収まる。
『ねえねえ、お話しようよ。花の異変からこっち、大忙しだったじゃん』
「良いぞ。今の話題だと……やはり閻魔大王か?」
『それもあるし、風見幽香との戦いだってあったでしょ? 私の大活躍、忘れてないよね?』
何度も死線をくぐった勝負で、しくじりそうになった自分を都度助けてくれたことは覚えている。
覚えているが、迂闊に認めるとロクなことにならないというのを楓は長い付き合いで理解していた。素直に借りを作ると後が怖いのだ。
「……まあ、忘れてはいない。結局、勝負は俺が決めたわけだが」
『あ、ごまかす気だー。ぶーぶー』
「話に付き合ってやってるだろ。お前への借りは作らん」
『借りって言うほど大仰でもないよ。楓が死んだら、私がどうなるかもわからないわけだし』
もしも道半ばで楓が屍を晒した場合、椿がどうなるのか。それは二人にもわからないことであり、知るべきことでもなかった。
もしかしたら楓の死と同時に椿も消えるのかもしれないし、または椿だけが誰にも認識されないままずっと空を漂い続けるのか。どちらにせよ愉快な未来予想図ではない。
「知りたくもない。で、目下の話題としては風見幽香か?」
『うーん……あれはあれで確かに激戦だったんだけど……』
「だけど?」
『なんか、違う気がした。以前に私が勝負について話したこと、覚えてる?』
首肯する。一度きりの、互いに後などない真剣勝負。それを椿の前身は求めていた……かもしれない、という内容だったはずだ。
楓の内容で概ね合っていたようで、椿はうなずいて話し始めた。
『上手く言えないんだけど、私にとってあれは違う……うん、求めているものとは違う気がするんだ』
「ふむ……」
『あんまり深く考えないでいいよ? 私も本当によくわかってないというか、もどかしいものだから』
「もう少しで掴めそうなところまでは来ているのか」
『それもよくわかんない。ひょんなことから思い出せるかもだし、あるいはこのままずっとわからないかもしれない』
「曖昧な」
『自分のことなんだけどねえ』
そう言いながらも椿は実にあっけらかんとした様子で、悩んでいる姿などまるで見えない。
これでは気にしている自分がバカみたいではないか、と楓は眉をひそめる。
「お前な。俺にしか見えないこと以外何もわかっていないんだから、もうちょっと危機感を持ったらどうだ」
『何もわかってないけど、不便もしていない。私はこの生活、結構気に入ってるよ?』
「いや、ものすごい不便だと思うが……」
楓以外には認識すらされず、楓が見ていてもそんなに遠くへは離れられない。常に首輪がつけられているようなものではないか。
『……楓につけてもらえるなら、首輪でも嬉しいかも痛い!?』
「真面目に言え」
『大真面目だよってイダダダダ!!』
「なお悪いわ」
椿の頭を握りこぶしで挟んでグリグリと押さえつけながら、楓はため息を吐く。
ひとしきり痛めつけたところで解放すると、椿は涙目でこちらを睨みつけてくる。
『いったー……。もう、なんでそんなに気にするのさ。楓が気にすることじゃないと思うよ?』
「おい、次それを言ったらもっと痛めつけるぞ」
自分は関係ない、と言われたことに楓は内心自分でも驚くほどの苛立ちを覚えていた。
表には出さないように意識したが、椿にはわかったのだろう。バツが悪そうな顔になって頭を下げる。
『……ごめん。今のは薄情だった』
「そうだ。お前との付き合いは霊夢より長いし、気にもかけている。何か気づいたことがあったらすぐに言え」
『うん、ちょっと頑張ってみる』
「……わかればいい。そろそろ香霖堂につくから話はここまでだ」
阿礼狂いとして、普段は乱れない感情が乱れたことに戸惑ったのだろう。楓は強引に話を切ると、スタスタと歩を早めていく。
その後ろ姿を見ながら、椿は先ほどまで見せていた楽しげな表情とはまるで違う、虚無感すら漂う無表情でつぶやいた。
『楓は優しい子に育った。――だから言えないんだよ』
きっと、これを言ったら今の関係は終わってしまう。それを心底から惜しいと思う程度には、椿はこの状態を気に入っていた。
過去を知りたい気持ちはある。手がかりも楓に着いていけば見つかるという直感もある。だが――全てを理解するには自分からも動く必要があるのだろう。
そう――いつか、楓とも本気の殺し合いがしたいという欲求に素直になる必要がある。
それが果たされた時、自分は何もかもを思い出すという自信があった。根拠など自分の勘以外のなにものでもないが、確信を持っていた。
しかし、楓にそれを言うのはあまりに残酷だ。今はただでさえ彼もあれこれと多くの勢力に目をつけられ、てんてこまいな状態。誰よりも彼の近くにいるからこそわかってしまう。
何より、楓は阿礼狂いとしては似つかわしくないほど、感情を表に出す心優しい少年だ。これでもう少し無感情かつ誰に対しても辛辣な態度を取るのなら、椿も気楽だったのだが現実は違った。
だから言えなかった。これを彼に告げるには、椿はいささか彼の人となりを詳しく知りすぎた。
――その考えが全くの思い違いであることに気づくのは少し先の将来、異変解決のために地底へ赴いた時である。
「こんにちは。霧雨商店に頼まれて使いとして来ました」
何やら妙にしんみりとした様子の椿に内心首をひねりながら、楓は香霖堂の古めかしい扉を開く。
中に入ってまず感じるのは雑多に置かれたガラクタが一斉にこちらを見てきたような、奇妙な感覚。
そして視線の先にいつも座り、客が来たことにこれっぽっちも関心を示さない店主の姿がある。
あるのだが、今日の店主は本を手にしておらず、先客である少女を相手に嫌そうな顔を隠さない。
「だから良いでしょ。いつも通り服の修繕をお願い」
「君の服はこれで色々な技術や保護の術が含まれているんだ。修繕も馬鹿にならない手間と素材がいるんだぞ」
「わかってるわよ。だからなおさら霖之助さんにしか頼めないじゃない。人里じゃ直せる人がいないんですもの」
「それはこちらも承知している。僕が言いたいのはもう少し丁寧にものを扱ってほしいという――おや、楓」
香霖堂の店主――森近霖之助が楓に気づいて破顔する。
間の悪い時に来てしまったか、と楓が思っているとこちらに気づいた霊夢も振り返り、詰め寄ってきた。
「楓、良いところに来たわね。霖之助さんが服の修繕を渋るのよ。あんたからも言ってやって」
「代価は支払ったんだろうな」
「え、御札上げたわよ?」
足りてるのか、という意味を込めて霖之助の方を見る。無言で首を振られたため、到底足りていないようだ。
しかしこれを霊夢に直接言ったところで、彼女はあまり理解を示さないだろう。彼女はこれで価値が釣り合っていると思っているのだ。
……楓の見たところ、それはそう間違っていなかった。御札の質は特上とも言えるものであり、人里でこれを用意するには相応の金銭が必要になるものだ。
尤も、それがこの人里にもほど近く、妖怪もほとんど出ない香霖堂で役立つ機会が得られるのかは甚だ疑問だが。
「……わかったよ、俺からも口添えはしておく。しかし、よくそんなに服が破けるな」
「弾幕ごっこでグレイズしてると袖とかボロボロ行くのよ。あ、この後神社に萃香と紫が来るから戻ってないと」
あいつら人が神社にいないってわかると何するかわかったもんじゃない、とぶつぶつ言いながらあっという間に飛び出してしまう。
手を振る間もなく行ってしまった霊夢を見送り、楓は改めて霖之助の方に向き直って頭を下げる。
「愚妹が申し訳ありません。この代金はこちらで……」
「いや、良いよ。霊夢にはああ言ったし、こんな御札は僕の家には過分の代物だけど、これでまあ……博麗の巫女の服飾を担っている体裁は維持できたと思うことにしよう」
「…………」
調子に乗らせると際限なく調子に乗るのが幻想郷に生きる少女たちである。
だから適当なところで叩いて戻した方が良い、と楓は思っていた。
しかし、それをしないのが霖之助の魅力なのだろう。だから霊夢も魔理沙も遠慮なく甘えられるのだ。
「……わかりました。ではこちらの都合から」
「いや、さっき聞いていたよ。旦那の使いとして頼まれたんだろう? 商品を持ってくるから少し待っててくれ。ああ、そこにあるお菓子を食べてていいよ」
霖之助が指差した場所を見ると、お茶請けを入れるお盆があった。……お盆だけがあった。
なにもないと指摘する前に霖之助は店の奥に行ってしまい、楓は諦めてその場に立ち尽くす。
『霊夢ちゃんが食べたんだろうねえ』
「間違いなくな。別に食い意地を張るつもりもないが……」
『その辺りの遠慮はないからね、霊夢ちゃん』
「傍若無人と言うんだ」
「待たせたね。……おや、楓の話し声が聞こえたんだけど、誰かいたのかい?」
「いえ、霊夢にどう言ったものか悩んでいただけです」
「魔理沙もだが、あの子達はあれで甘えて良い人を見分けるのが得意だ。きっと僕も甘えて良い枠の中なのだろう。困っているのは確かだが、悪く思っていないのも確かなんだ。あんまり言うのは勘弁してあげてくれ」
「……そこでそう言ってしまうから霊夢達がまた来るんだと思いますよ?」
「そこはほら、君や旦那の持ってくる儲け話で相殺しているんだよ」
穏やかな声音でそう言われてしまい、楓はうなずくことしかできなかった。
彼は今の状況に満足しているのだろう。騒がしい少女たちが訪ねてきて、それを追いかけるように自分もやってきて、話していく今の時間に。
「わかりました。ともあれ商品の方、確かに受け取りました」
「使い方はこの紙に記してある。誰にでも扱える道具だし、単純なものだから不便もしないはず。壊れてしまったら霧雨商店の方に持っていって、僕に話をくれれば見に行くよ」
「叔父さんに伝えておきます」
「君も覚えておいてほしい。この手のマジックアイテムは耐久年数がわかりにくくてね。一年足らずで壊れる可能性もあるし、百年以上持つ場合もある。君なら覚えていられるだろう?」
「……それを言うなら俺に道具の手入れを教えるべきでは?」
「必要になって、僕にそれを求めるなら遠慮なく教えよう。知識とは広められるべきものであり、伝えられるべきものだ。僕の考察も、僕だけの持ち腐れになっては誰も受け継いでいかないからね」
仮に教わることになっても、霖之助の考察を受け継ぐことだけはないと思うが口には出さない。大体、傍から聞いててあり得ないような突拍子もない推論に飛躍するのだ。
「その時が来たらお願いします」
「うん、待っているよ。これでも僕は君に同族意識がある。ふふ、それなりの歳を生きてきたけど、本当に僕のようなハーフが生まれてくるとは想像もしていなかった」
「慧音先生がいるでしょう」
「彼女は厳密には違う存在だ。後天的に妖怪の要素を取り込み、生き永らえる。……全く根拠のない推測になるけど、恐らく生まれた時は病弱だったんじゃないかな。身体の弱い人間が健康な肉体に憧れて、外法に手を伸ばす。古今東西、よくある話の一つだ」
「本人も覚えていないほど幼い頃の話だったと聞いています」
「真っ当な親なら、子供に生きてほしいと願うものじゃないかな」
「……そんなものでしょうか」
「どうにもそうらしい。僕も実感として得たのは旦那や大旦那の姿を見てからだけどね」
寂しげに微笑む霖之助を見て、これが半妖らしい姿なのだろうと思う。
楓はそれに何も言えなかった。両親がいる自分には実感を伴った言葉が出ない。
ただ、それは途方も無い幸運に恵まれた末のものである、と霖之助が言外に言っているようだった。
「……そろそろ失礼します。あまり長話をするのもあれでしょうし」
「そうかい? どうせだからこの道具の由来について僕なりの薀蓄を語ろうかと思っていたのに」
「ではまた今度」
これ以上長居するのは危険だとわかったため、楓はそそくさと店から出ていく。
椿が揶揄するように頭を小突いてくるので、荷物を抱えた手を動かして肘鉄を入れて黙らせる。
『楓はあの人に同族意識はないの?』
「……俺は半妖以前に阿礼狂いだ。同族意識というもの自体がわからない」
『同じ一族の人間であっても?』
「俺の地位を虎視眈々と狙う敵であり、有事の手足だ。同じ穴のムジナ、という意味なら間違ってないが同族意識なんて綺麗なものじゃない」
『やっぱりそんなものか。じゃあ私はどうなの?』
「……帰るぞ」
『あ、逃げた!』
椿の言葉を無視して楓は歩く。そして心の中に生まれた言葉を飲み込む。
――もはやこの世で唯一人、楓の能力の真髄を本能的に知っている存在として仲間意識を持っているなど、言えるはずがない。
その日、妹紅は規則正しく響く木槌の音で目を覚ました。
「ん、ぁ……」
眠る時は壁に背を預け、座って眠る癖がついていた妹紅はギシギシと軋む上半身を起こす。
灰のように白い髪が妹紅の動きに追随し、サラリと背中に流れる。髪の艶や流れ心地はとても廃屋で暮らしている少女のそれではない。
「あー……どうなったんだっけ?」
眠気の残る頭を振って記憶を掘り起こすものの、妹紅の頭にはそもそも家に戻ってきた記憶自体が浮かばなかった。
またこうなったのか、と原因に心当たりがあった妹紅は恥じ入るように目を伏せる。
「髪や肌の調子も良いし、普段みたいに輝夜と殺し合いをして、そのまま帰ってきた。でも、頭が物理的に吹っ飛んだかなにかで記憶が壊れている。そんなところでしょう」
蓬莱人の不老不死とは絶対に死なないという意味ではない。死んだとしても蘇り、蓬莱人になった瞬間の状態に肉体を戻すというのが適切である。
そのため脳が物理的に破損するような死因だった場合、直前の記憶が全く思い出せなくなることは良くあることだった。
原因はわかったので、妹紅は気にせず立ち上がる。どうせくだらない理由で殺し合いになったんだろうし、そこで思い煩う方が輝夜に拘っているみたいでなんとなく癪だ。
「となると、次に気になるのは……」
同じ体勢で寝ていたからだろう。凝り固まってしまった筋肉をぎこちなくほぐしながら、妹紅は外に出る。
すると彼女の目に飛び込んできたのは、トンカントンカンと耳に心地よい音を響かせ――家を建てている白髪の少年の後ろ姿だった。
「…………」
「おや、起きたか」
あんぐりと開いた口が閉じずにいると、少年――先日の異変で知り合って以来、妙な懐かれ方をしてしまった――火継楓が振り返り、軽く頭を下げる。
「おはよう。遅い朝じゃないか。もう日もそこそこ高いぞ」
「あ、おはよう……ってそうじゃなくて!」
「そうじゃなくて? ああ、朝ご飯なら慧音先生が俺に持たせてくれた握り飯があるからそれを食べてくれ」
「違うわよ!? 私が聞きたいのはそこじゃない!」
そういえばそうだった、と妹紅は覚醒し始めた頭で自分の現状を把握する。
慧音と楓。ごく最近知り合った二人の人間が、最近恐ろしい勢いで自分の生活を改善させようと首を突っ込んでくるのだ。
慧音一人だけなら良かった。彼女はちゃんと良識を心得ており、妹紅に譲らない意思があると見れば折れてくれた。
しかし楓が困りものだった。一度は刃を交え命のやり取りをしたからなのか、妹紅に対する遠慮というものがまるでない。
形あるものはいつか壊れ、不老不死である自分は残り続ける。
食わねば死ぬが、蘇る。凍えても死ぬが、蘇る。此世の理から外れた自分はそういうものなのだ。
故に握り飯を食わせるなら、腹をすかせた子供が良い。温めてやるのは人の熱を持った存在が良い。どちらにも自分は当てはまらない。
そう何度も言っているのだが……。
「わかった、じゃあこの家を建ててから話の続きをしよう」
「聞いてないわね? 私の話全く聞いてないわね?」
燃やすぞ貴様、と妹紅は額に青筋を浮かべながら片手に炎を宿す。
「ちゃんと頭から聞いた。だが、永遠亭はちゃんと文化的な生活を送っているぞ」
蓬莱山輝夜も八意永琳も、妹紅の知る蓬莱人の知り合いは最近、人里に薬師として交流を持つようになった。
大きな薬箱を背負った鈴仙の姿を妹紅も見たことがある。
そして彼女らは全員、永遠亭という屋敷に暮らしてきちんと衣食住の足りた生活を送っていた。
「それは……」
「言いたいことはなんとなくわかる。限りある物資を果てのない自分に使うより、他に有意義な使いみちがあるということだろう」
「そう、それよ。わかってるじゃない」
「それはそれとして俺は知り合いが人の生活をしていないのが目につくので世話を焼く」
「こ、この……っ!」
怒りで頭の血管が切れそうになる。この少年、慧音には目上の人間として敬意を払うのに自分には全く遠慮しない。
どうやって燃やしてやろうか、と考えているとガラガラと重いものを引きずる台車の音が妹紅の耳に届く。
「ふぁ?」
「ああ、来たか」
「え、何が」
「俺が持ってきた物だけで家なんて大きなものが建つわけないだろう。ちゃんと見てるか?」
「とりあえずあんた燃やしてから考えるわ」
いちいち人を煽ってくる楓に炎を投げつけるが、楓は全く同種の炎を指先に作り出してぶつけてくる。
同じ規模、同じ質の炎はぶつかり合うと、微かな灰の匂いだけを残して跡形もなく消失する。
術と術の相殺。相手の術の規模、精度、込められた妖力を一瞬で正確に見抜き、同種のそれを素早く構築するだけの速度が求められるそれを、楓は苦もなく成功させたのだ。
超高等技能を誇るでもなくあっさり使いこなす楓に目を見開いていると、台車を引いていた主が姿を表した。
陽光を浴びて燦然と輝く銀髪をなびかせ、重たい家具や木材がいっぱいに乗った台車を引いて爽やかな労働の汗を流す慧音の姿に、妹紅は本気でめまいを覚えてしまう。
「妹紅さん、おはようございます。楓、順調か?」
「問題なく進んでますよ。妹紅がちょっとうるさいですけど」
「いや、二人とも。私はそういうのは良いって何回も――」
「なぁに、とりあえず作ってしまえばなし崩しにこちらのものだ……!」
「本人がいる前でそういうの話すのやめましょう?」
押しの強い楓と組んでいるからか、妹紅の拒絶にまるで怯んだ様子がない。
「お前が人間らしい生活をするようになったら考える」
「楓の言うとおりです。少なくとも今の妹紅さんが私たちに何かを言う権利はありませんよ?」
「おかしい……どうしてこんなことに……」
「俺と関わったじゃないか」
「あなたがここまで私に関わってくるなんて読めないわよ!?」
適当にちょっかいかけた相手がここまで絡んでくるなど、誰にも予想できまい。
「なんで私だけそこまで突っかかってくるのよ!? あなた、鈴仙とは普通に話すだけでしょう!?」
「普通にちゃんと暮らせているやつと、まともな暮らしすらできないやつ。どっちの面倒を見た方が良いかなんてわかりきってるだろ」
「むぐ……いや待った。それってつまり、私がちゃんとしたら関わって来ないってこと?」
「お前がちゃんとしたら、まあ考えておく」
つまりこれはあれだ。楓にとって、自分は一人で生きることすらままならない小娘のように思われているのだ。いや、実際蓬莱人の不老不死に物を言わせているところもあるので否定できないが……。
不老不死だからと強引に生きてきたツケが、楓という少年の形を取って現れている。妹紅はそう結論づけてため息を吐く。
「はぁ……わかったわかった。降参よ、私の負け」
「ということは……」
「あなたの言う通り、ちゃんとします。三食食べて夜に眠る。住むところにも気を使う。これでいい?」
「それが人らしい生活の最低限だからな」
「もう……慧音もそれで良い?」
「本当ならそこから人里に関わって社会復帰……もとい、人との交流をしてもらおうと思っていますが、今はそれで良いです。ありがとうございます、私たちのお節介を受け入れてくれて」
「ダメと言っても聞かないじゃない。実力行使なんてやろうにも、楓は私に勝っちゃうでしょうし」
殺し合いに発展しない素の実力勝負において、楓はすでに妹紅を上回る力を手にしている。
炎の術にしてもほんの少し会っていなかっただけなのに、見違えたと言っても良い上達ぶりだった。
それに――ここ最近で急速に賑やかになっていく自分の日常に、どこか高揚感を覚えているのも否定できないのだ。
「もう良いわよ。私に関わってもロクな事にならないと思うけど……それで付き合いを変えるつもりもないのでしょう?」
「それはもちろん。吉事が起きるか凶事が起きるか、誰もわからないからこそ人は選ぶのです。せめて己が後悔しない方を、と」
「安心しろ。多分俺がお前に持っていくロクでもない事の方が多い」
「うん、そう言うと思った……いえ、ちょっと待って。楓の方からすごい聞き捨てならない台詞が聞こえたんだけど」
「じゃあ一旦食事にするか。終わったら私も手伝おう」
「ありがとうございます。先生の持ってきた机を出して並べよう」
待って、と妹紅が言う前に楓たちはさっさと準備を始めてしまう。
そのため妹紅の追求はできず、そのまま食事の前に疑問も消えてしまった。
だから気づくことはなかった。
――将来、自分が楓を巻き込むこと以上に、楓が自分を巻き込んでくることの割合の方が高くなるなど。
椿と楓のすれ違い。椿は楓という人間のことがわかっていても、阿礼狂い自体がわかっていなかったりする。だからお前前世であんな酷い死に方するんだよ(無慈悲)
妹紅、お前こんなに書きやすいのか……?(戦慄)
ちなみに彼女の地雷は爆発すると永遠亭の面子も揃って爆発する連鎖式です。なぁに、規模はでかいが一回だけだから大丈夫大丈夫()
楓は距離を詰めて良いと判断できる相手は地雷だろうとお構いなしに詰めていきます。仲良くなった方が御阿礼の子への害意も減るよね、というアプローチ。地雷を踏む? 乗り越えられればええんや(真顔)