阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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亡霊の姫君と魂縛りの瞳

 さて、と幽々子は書物をしていた帳簿を横に片付ける。

 冥界の管理人を任されているため、日々どんな幽霊がやってきて、どんな幽霊が去っているのかは常に把握しておかなければならない。

 日がな一日お茶を飲んだり俳句を詠んだりして気楽に過ごしたいのだが、これで意外と仕事は多いのだ。

 下手にサボろうものなら幽々子にこの仕事を任せた閻魔大王が鬼の形相でやってきてしまう。

 

 尤も、幽々子が亡霊として目覚めてからずっとやっている仕事でもあるので、もはや大した苦もなく終わらせられる仕事でもあるのだが、仕事は仕事である。

 同じ姿勢でいたため肩が凝った――なんてことも肉体を持たない亡霊には関係が薄く、気分で肩をぐるぐる回していると、襖の向こうに人影が映る。

 

「幽々子様、お茶をお持ちしました」

 

 襖越しに妖夢の声が聞こえ、幽々子は頬を緩める。

 

「ああ、ありがとう。ちょうど一息入れようと思っていたの」

「それは良かった。今日のお菓子は自信を持っておすすめできる逸品ですよ」

 

 そう言って穏やかな表情の妖夢が部屋に入り、暖かな湯気を立てる緑茶と白くもちもちとした大福を置いていく。

 あまり出歩くことのない幽々子に代わり、妖夢はよく人里に行っては何があったのかを聞かせてくれる。楽しいものや美味しいものを人聞きとはいえ耳にするのは、幽々子にとって数少ない娯楽だった。

 

「へぇ、美味しいお店でも見つけたの?」

「そんなところです。私が先に食べてしまって申し訳ありません」

「気にしないで良いのよ。それは人里に行けるあなたの役得、ということで」

 

 申し訳なさそうにする妖夢に真面目であると笑いながら、幽々子は大福に手を伸ばす。

 指に返ってくる程よい弾力を楽しみ、口に運ぶ。

 どこまでも柔らかく、歯を立てずとも切れるのではないかと思える生地の中から、芳醇な甘さの餡が顔をのぞかせる。

 雑味の一つもない、とにかく丁寧に下ごしらえがされた甘い餡を生地に含まれる微かな塩味が更に引き立てる。

 そして生地の柔らかさも相まって、頬が落ちるとはこのことかと幽々子は幸せそうに目を細めた。

 

「……これは美味しいわね。本当に驚いたわ」

 

 それなりに長く生きている自覚はあるが、それでも初めて味わうものだった。

 こういうことがあると、幽明結界を緩めて良かったと思えてくる。

 

「でしょう? 大変美味しいお菓子を作る方なんですよ」

「ええ、こういったものを作る熱意において、人間に勝るものはない……あら、妖夢の知り合いなの?」

 

 どうも相手を知ってそうな口ぶりの妖夢に、幽々子は小首をかしげる。

 幽々子の指摘を受けて妖夢は恥ずかしそうに頭をかきながら、質問に答えた。

 

「お恥ずかしながら、私が見ていたのに気付いて一つ分けてくれまして。その縁でこうしてお菓子をいただけるように」

「へぇ、妖夢の食いしん坊が巡り巡って私の口に入っている、と」

「その言い方は語弊を感じますっ」

 

 頬を膨らませてぷりぷりと怒る妖夢に笑って、緑茶をすすり余韻を楽しむ。

 お茶と合わせて食べることを想定されていたらしく、口内に残っていた甘さが綺麗に消えることにもう一度、幽々子は心地よい驚愕を抱いた。

 

「ご馳走様、妖夢。とても美味しかったわ」

「お口に合ったようで幸いです。その方も色々と作っているようですので、また今度いただけないか話してきます」

「お願いしようかしら。ふふ、每日の楽しみが増えるわね」

 

 淑やかに美しい笑みを浮かべ、お茶を飲み干す。

 すると妖夢がそれを待っていたのか、おずおずとした様子で口を開いた。

 

「それで、ですね……」

「あら、お菓子とは別の用事もあったの?」

「それと同じと言いますか、関わりのある話と言いますか……幽々子様」

 

 なんと言ったものかと迷っている様子が伺えたが、やがて意を決したように妖夢が上半身を幽々子の方へ向けてきた。

 

「妖夢?」

「私から話しておきますので、お訪ねされてはどうでしょうか」

「その菓子作りの人に?」

 

 唐突にそんなことを言ってくる妖夢に幽々子は目をパチクリさせる。

 

「そうです! 最近、幽々子様は前にも増して冥界にこもっておられます。息抜きがてら、顕界を見に行かれてはいかがでしょう?」

「うーん……」

 

 何らかの思惑がある、というのはすぐにわかった。妖夢という少女はおよそ隠し事と縁のない性格なのだ。

 恐らく本人もわかっているだろう。軽い誘いのはずなのに、真剣そのものの表情で幽々子に判断を迫るそれは、さながら一騎打ちのそれ。

 そんな顔を見せられては、いたずら心がむくむくと湧き上がってくるのを誰が止められるだろうか。いや、誰も止められまい。

 

「さて、どうしようかしら」

「ゆ、幽々子さまぁ……」

 

 ちょっと思わせぶりな顔を作ってみると、面白いほどに妖夢の顔がへにょりと歪む。どうやらもう彼女の手札は出し尽くしてしまったようだ。

 からかって面白いのは間違いないが、もう少し張り合いがほしいと思ってしまうのは幽々子が普段から八雲紫との言葉遊びに興じているからか、はたまた妖夢が直情的に過ぎるだけか。

 

「……冗談よ。あなたがそこまで絶賛するのなら、行ってみましょうか」

「っ、はいっ! 私は先にお話をしておきますので、幽々子様の好きなお菓子とかあったら作ってもらうよう頼んでみます!」

「それは楽しみにしておこうかしら」

 

 パッと顔を輝かせる妖夢に目を細めながら、幽々子は思考の片隅で妖夢がここまで自分と引き合わせたい誰かを推測するのであった。

 

 

 

 

 

 後日、幽々子は妖夢を連れず一人で人里を歩いていた。

 妖夢から受け取った簡単な地図の紙片を片手に、キョロキョロと辺りを見回しながらのんびり歩く。

 

「こうして人里に来れるなんて夢にも思ってなかったわね」

 

 かつて冥界の管理者を任ぜられた時からは想像もつかない変化である。

 冥界と顕界は交わらないものだと思っていたため、顕界の様子がわからないことに不満はなかったが、この活気はやはり生きている者にしか出せまい。

 

「さて、お店の場所は……」

 

 見た感じ、どうにも人里の中心部にあるらしい。妖怪が入って良い場所なのだろうか、と疑問に思いながらも足はそちらへ向かっていく。

 現在、幽々子が立っている場所は人妖の区別なく商売に精を出す区画となっており、どこを向いても賑やかな声や瑞々しい野菜、魚などが所狭しと並べられている。

 冥界での食事に関しては、幽々子とは違う住み込みの亡霊などが仕事で作っていた。

 

「これらの食材が調理されて私に出される、と。食事は娯楽とはいえ、感謝の念を絶やさないようにしないと」

 

 並べられた食材を見て、幽々子は小さく笑って会釈を一つすると視界の先に見覚えのある人影を見つける。

 幽々子に人里での知り合いなど皆無に等しい。それでもなお知り合いと呼べるのは――

 

「あら、博麗の巫女じゃない。こんなところで何をしてるの?」

「それはこっちの台詞よ。冥界の管理者が人里まで来るなんて」

 

 幽々子を見る少女――博麗霊夢は呆れた目をしながらも、指は油断なく袖口の退魔針へ伸びる。

 これが妖夢だったら警戒などしない。よしんば彼女が暴れ始めたとしても、夢想天生を使うことで何もさせずに無力化させる自信があるからだ。

 しかし幽々子が相手だとそうもいかない。死を自在に操る彼女の能力は、その気になれば次の瞬間には周辺の人妖が残らず死に絶えることだって容易なのだ。

 

「そうねぇ……冥界が寂しいから少し幽霊を増やそうと思って」

 

 霊夢の反応を見た幽々子は着物の袖で口元を隠しながら、冷たい眼差しで嘲笑うように告げる。

 それを聞いた霊夢の総身から研ぎ澄まされた霊力が溢れ出ると同時、表情から一切の色が消えて冷厳なそれに変わった。

 

「――」

「冗談だとわかっていて、その殺気をぶつけられるのは鍛錬の賜物かしら」

「――――」

 

 戦意にいささかの揺らぎもない。ここで怪しい素振りを見せた場合、霊夢は博麗の巫女として一切の躊躇なく自分を排除にかかるだろう。

 妖夢と同じぐらいの小娘だと思っていたがなかなかどうして、彼女は幻想郷の調停者としての自覚と使命に殉じる覚悟がとうにできているのだ。

 これは甘く見た私が不味かった、と幽々子は両手を上げて降参の意を示す。

 

「参りましたわ。あなたという存在を過小評価していたことを認めます」

「はんっ、博麗の巫女ナメんじゃないわよ。私に喧嘩売ろうってんなら誰が相手でも百倍返しよ」

「肝に銘じるとするわ」

「……で、冥界の管理者が何の用よ。確かに人里は見るものは多いけど、あんたなら妖夢にでも任せればいいじゃない」

 

 幽々子が素直に自分の非を認めると、霊夢はまだ警戒の色は消えないものの、戦意を瞬く間に消して幽々子に問うてくる。

 

「驚いた。私にあれだけの殺気を飛ばして普通に聞いてくるの?」

「あったりまえでしょ。あんたを野放しにしたら何が起こるかわかったものじゃないわ」

「あらあら、思いがけない付き人ができてしまったわね。今度から人里に来たらあなたを呼びましょうか」

「次から楓呼ぶわ」

「今の言葉は撤回するわ。実は妖夢に紹介したい人がいるって言われてね。はるばる人里まで足を運んだのよ」

 

 ほらこれ、と幽々子は霊夢に紙片を渡す。

 霊夢は紙片をチラリと見て、目を丸くした。

 

「あんた、これどこか知ってるの?」

「妖夢からはとても美味しいお菓子を作る職人さんの家、と聞いてるわね」

「本当のところは?」

「さあ? あえて答えを推測せず、出てくるものを楽しむという娯楽は子供にはわからない?」

 

 何が出てきても楽しむ気概を持って泰然とした態度の幽々子に、霊夢はバカを見るような目をした後諦めてため息を吐く。

 

「…………いや、うん、あんたがそう言うなら良いわ。私も行くけど良い?」

「あなたをからかった罰として受け入れましょう。人里の土地勘もないし、道中静かなのも退屈だったからちょうど良いわ」

「その図太さは本当に紫の友達だって思うわ」

「図太くない妖怪は長生きできないわよ」

 

 軽やかに笑ってそんなことを宣う幽々子に、霊夢は形容しづらい表情でついていくのであった。

 

 

 

「ところで、霊夢はこれから向かうお菓子職人を知っているの?」

「ん? まあ付き合いは長いわよ?」

「へえ。お菓子も食べたことが?」

「んー……まあ、あるわね」

「有名な職人なのかしら?」

「いや? 知り合いにしか配ってないのよ。妖夢は運が良かったの」

「なるほど、ご相伴に与れた私の運も良かった、と」

 

 これから向かう先の人物について適度な情報を集め、空想しながら歩く。

 

「にしても妖夢が知り合ってほしい、ねえ……」

「あそこまで押しが強い妖夢も珍しかったからつい、ね」

「結構気にしてたんだなあ……」

「なにか言った?」

「こっちの話。それはそうとあんたから見て人里はどう?」

 

 霊夢に促され、幽々子は人里の中央部に向かって建物の密集している区画を改めて眺める。

 市場の類は人里の入口部分に集中し、中心部へ向かうにつれて居住区画、公共区画と分かれていく。

 今いる地点は居住区画と言うべき場所であり、働く大人や遊ぶ子供が多く見受けられる場所だった。

 

「私を恐れないのね」

「具体的になにかわかってないだけよ。天狗とか鬼だったらもうちょっとわかりやすかったかも」

「本当に鬼まで来るの? 妖夢から聞いた時は冗談かと思ったわ」

「天狗ほど頻繁じゃないけどね。夕方ぐらいに飲み屋に入っていくのは見たことあるわ」

「へえ……」

「だからあんたももうちょっと気楽に来たら? 今の人里じゃ紫が来たって気にせず商売するわよ」

「考えておくわ。いえ、紫も来ているの?」

 

 彼女が町娘のように人里へ繰り出す姿は付き合いの長い幽々子だからこそ、想像ができないものだった。

 

「ん、来てるわよ? あいつの式だってたまに見るし、式の式はしょっちゅう遊びに来てる。ここが一番騒がしくて、一番物も揃ってるからね」

「……なんだか、幽明結界があった時代が馬鹿らしく思える変化ね。人間はいつの間に妖怪を畏れなくなったのかしら」

「畏れているわよ。でなきゃ私の妖怪避けの御札が完売御礼なんてしないわ。ただ――畏れと恐れは違うし、関わりがなくなったら畏れもなくなってしまう」

「…………」

「だから関わるのよ。畏れはこれから減るかもしれないし、もしかしたら昔以上に畏れるかもしれない。どう転ぶかは誰にもわからないけど――わからないから、より良くしていこうと誰も彼も足掻いているの」

 

 人妖の未来を語る霊夢の目はここではないどこか遠くを見ているようで、同時に誇らしい何かを語るような口ぶりだった。

 

「……それは誰かの受け売りかしら?」

「この場所を一番最初に作った人の言葉。変わらなかった世界に倦んだ妖怪の末路を見たのが転機だったって言ってた」

「……そう」

「ま、そういうことだから。少なくともこの人里はちょっとやそっとの変化じゃびくともしないわ。なにせ每日がお祭りみたいなんですもの」

 

 自分のことのように人里を誇る霊夢の姿を見て、幽々子は目を細める。

 霊夢と顔を合わせたのは自分が起こした異変の時ぐらいだった。

 己の役割に従順で、迷いを持たない少女だと思っていたが――何のことはない。彼女は大事にしているものと守るべきものがちゃんとあって、それらのために自分に何ができるのか全てをきちんと把握しているのだ。

 

「良い場所ね。あなたの顔を見て、掛け値なしにそう思ったわ」

「でしょう? あいつはまだまだこれからだ、って言いそうだけど――っと、着いた」

 

 足を止めた霊夢と一緒に足を止め、眼前の大きな屋敷を見上げる。

 美しい屋敷だ、と直感的に思ってすぐに理由を察する。

 屋敷の周辺から微細な部分に至る全てにおいて、一切の手抜きがない手入れが成されているのだ。

 塀、入り口の引き戸、少し見上げて屋根の瓦。ひと目で視界に入りはするものの、細かく見ることは決してないそれらまで丁寧に磨かれ、入念な手入れが施されている。

 

「このお屋敷は?」

「え? 妖夢の言ってるお菓子職人の家」

「いえ、このお屋敷はどう考えてももっと重要な――」

「阿求ー? ちょっとお客人連れてきたんだけどー?」

 

 阿求、という単語を聞いた幽々子の脳裏に連鎖的な閃きが起こる。

 妖夢があれほど一生懸命だったので余計な詮索をすまいとしたのが仇になった。そうだ、彼女が仲良くしてほしいと思う相手など――

 

「妖夢から話は聞いていた、西行寺幽々子」

「……あまり考えないようにしていたけれど、やっぱりあなただったの。――火継楓」

 

 

 

 幽々子と霊夢は客室に通され、楓は阿求様を呼んでくると告げて部屋から出ていく。

 霊夢は勝手知ったる様子で急須に茶葉とお湯を入れて、緑茶を自分と幽々子の分を淹れる。

 

「はい、お茶」

「……ありがとう」

 

 幽々子は硬い表情で霊夢に礼を言って、お茶に口をつける。適当に淹れたはずのそれは実にちょうどよい塩梅で、優しい緑茶の香りが幽々子の心を落ち着かせる。

 

「じゃ、お茶の分話してもらいましょうか。なんで楓が出た時に身体が強張ったの?」

「……私があまり人里に来ない理由にもなるのだけど」

 

 そう前置きをして、幽々子は語る。

 彼の目を見ると自分でも言い表せない警戒が先立ち、どうしても彼に気を許すことができないということを。

 

「ふぅん。目、ねえ。そりゃあいつの千里眼はその気になれば私の着替えだろうとなんだろうと見れるわけだけど、あいつその辺はかなり気を使ってるわよ?」

「断言しても良いけど、あの目はただの千里眼じゃないわ。もっと……私の中の何かを見据えるような……」

「あんたがそこまで言うんだし、気の所為ってこともないでしょう。んじゃ阿求もいるんだし問いただしてみますか」

「え?」

 

 霊夢がそう言うと同時、襖が音もなく開かれて少女と少女の後ろに侍る楓が入ってくる。

 

「お待たせしました。妖夢さんから話は伺っております。西行寺幽々子様、ですね?」

「――まずは不躾な訪問となってしまったことに謝罪を。言い訳になりますが、妖夢はあなたの従者に話を持っていくと思っておりました」

「間違ってないので、妖夢さんを責めないでください。妖夢さんから話を聞いたお兄ちゃ――楓さんが私に話したのですから」

 

 阿求の言葉を受けて楓は綺麗な所作で頭を下げる。そして阿求に目配せすると立ち上がってお茶菓子を用意する。

 丁寧に裏ごしされた小豆の黒艶が美しい羊羹が並べられ、楓は阿求の後ろに控えた。

 

「まずはお菓子を食べましょう。楓さんがこの日を聞いて頑張った自信作です」

「恐縮です」

「待ってました。いやあ、道案内もやるものね」

 

 ウキウキと羊羹に手を伸ばす霊夢に、楓は阿求の後ろから凄まじい視線を送るがまるで気にしない。

 小豆の甘さと香りを存分に堪能した霊夢がお茶で口内の甘さを流すと、横目で幽々子が硬い表情でお菓子に手を付けていないのを確認してから不意に口を開く。

 

「――ねえ、楓の目ってただの千里眼なの?」

「……阿求様」

「答えてあげて。楓さんの目はひけらかすものじゃないけど、隠すものでもないでしょう?」

「…………御意」

 

 阿求からの許可が出たことに楓は深々と頭を垂れ、顔を上げるとその目は見慣れた紅から碧へと変わっていた。

 霊夢は目の色が変わったことに不思議そうな顔をするだけだったが、幽々子は誰の目にも明らかなほど身体を強張らせ、冷や汗を流している。

 

「……っ!」

「――魂縛りの瞳。この目の本質は魂を縛るもの。精神に比重を置く存在ほど効果は大きくなる」

「人間の私は?」

「全くないとは言わないが、著しく効き目は弱くなる。お前相手なら半日以上かけてようやく多少は効果が出るかも、といったぐらいだ」

 

 もっぱら妖怪相手にしか使えない能力であり、楓もまたこれを積極的に使うつもりはなかった。

 

「あまり使いたい能力ではない。相手を選ぶし、極端に言ってしまえばこれは相手に倦怠感を与える程度でしかない。来るとわかって心構えができていれば効果も落ちる」

「でも、幽々子はかなり警戒しているけど」

 

 幽々子が聞けなかったことを霊夢が直球で聞く。

 それについても楓は想定していたとうなずき、話し始めた。

 

「出自が大きく関係しているだろう。亡霊とは肉体がなく、精神のみで構成される存在。妖怪はまだいくらか肉体に依存するが、それすらない。……恐らくあなたは誰よりも俺の目の影響を大きく受ける」

「どのくらい?」

「推測だが、俺がこの目を本当に発動させたら何もできなくなる。それぐらい影響があるんだろう」

「うわこっわ。その気を起こせばあんたすぐにでもこいつを殺せるわけ?」

「言葉を飾らず言えば、まあ」

 

 目の発動すら許さない不意打ちを彼女ができれば話は別だが、これは千里眼という土台の上に存在する能力。すなわち千里眼との併用もできる。

 千里眼を所持し、日々腕を上げている少年の不意を突いて一息に殺すというのは至難の業と言う他ない。

 

「そちらが俺を本能的に避けるなら、それは仕方がないと思っている。この目が万人に受け入れられることはないと思っていたし、危険性も理解しているつもりだ」

「ま、無理なものをわざわざ我慢する必要はないか」

「お互い顔を合わせない。それが一番後腐れはない」

 

 少なくとも問題は表面化しないだろう、と霊夢と楓は思っていた。

 思っていたが、楓は阿求へ目配せをする。己の目の処遇を全て委ねると言うかのように。

 それを受け、今まで黙して話を聞いていた阿求は顔を上げると、幻想郷の長い歴史を綴り続けた阿礼乙女としての顔で口火を切った。

 

「私は幽々子さんの好悪にどうこう言うことはできません。できませんが、あえて言います。――そんな当然のことを理由に知ることを諦めないでほしい」

「……阿求?」

「だってそうでしょう? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃないですか」

 

 常に殺される危険がある。そんなものは人間が妖怪と関わる中で当然のように背負っている部分なのだ。

 

「それともこう仰っしゃります? ――私は常に命を脅かす側であり、その逆などあり得ない。あり得ない仮定を現実にしかねない輩からは距離を取る、と」

「……言ってくれるわね」

 

 わずかに空気が歪み、幽々子の周囲に光り輝く蝶が漂い始める。

 触れたが最後、生者は例外なくその生命を散らす反魂蝶。それを前にして、しかしその程度で怯む輩はこの中にいなかった。

 

「あなたが距離を取る選択をするなら、それを非難はしません。人里とて一枚岩ではなく、先ほど語った危険が飲めない人だって大勢います。自分の命を守るため、家族の命を守るため、そうやって身を守る行為は決して間違いではありません」

「…………」

「ですが、今になってそれを言うのはやめていただきたい。――私にも怒りはあるのです」

 

 阿求の脳裏によぎるのは今の幻想郷に至るまでの長い長い道のりだ。

 人妖共存の理想を掲げたスキマ妖怪は謀略に長け過ぎていたのが災いし、他者との協調ができず。

 妖怪の山は自らの権勢を維持することに腐心せざるを得ず。

 そして人里は――否、人間という種族は生き残ることで手一杯だった。

 発展も発達も妖怪に調整され、人里の外は妖怪が跋扈し、種族が絶えない程度に生かされるだけの状態。

 

 

 

 今は状況が改善されている。――それで過去の仕打ちは全て消えるのか?

 

 

 

「人間がどれだけ――」

「阿求、言い過ぎ。もう過ぎたことでしょ」

 

 言い募ろうとした阿求を霊夢が遮る。楓は全く止める気配がないので、この役目は自分だと悟っていたのだ。

 それを受けて阿求は自分が何を言おうとしたのか気づき、顔を羞恥に染めた。

 

「あ……す、すみません! お客人になんて無礼なことを!」

「――いいえ、そちらの言葉が正しいわ」

 

 阿求の言葉を聞いた幽々子は噛み含めるように何度もうなずき、そして静かな瞳で楓を見据える。

 相変わらず彼の目を見ているだけで魂が震える。気を許すなと叫び、叶うならすぐにでも殺すべきだと魂が命じてくる。

 しかし、幽々子の顔に強張りはない。阿求に言われて合点がいった。

 

 なるほど確かに、この焦燥にも似た恐怖は亡霊となって以来持った覚えのない感情。

 これは人と妖怪が関わりを持つ上でまず最初に受け入れるべき感情の一つなのだ。

 そしてこの感情を乗り越える方法は一つしかなく――

 

「……楓」

「ああ」

「私はあなたのことを何も知らない」

「俺も同じだ」

「だから、これから知っていくことを許してもらえるかしら?」

「もちろん」

 

 相手を知っていくことしかないのだ。

 快諾した楓を見て、幽々子は目を細めて嬉しそうに微笑み、そしてようやくお菓子の方へ手を伸ばす。

 

「……うん、美味しい。まず一つあなたのことを知れたわ」

「光栄だ」

「今度は妖夢も連れて尋ねさせてもらいます。阿礼乙女への非礼もその時にお詫びしましょう」

「それには及びません。こちらも言葉が過ぎた無礼をお詫びします」

「では、今度はお二人を冥界に招待いたします。それで手打ちといたしましょう」

「楽しみにしています」

 

 和やかに言葉を交わし、次の約束も取り付けたところで霊夢が楓を見ながら立ち上がる。

 

「さて、今日の私は大活躍だったと思うのよ」

「まあ、それは認めよう」

「だからお菓子のお代わりを要求しても良いんじゃない?」

「…………」

「……ふふっ」

 

 眉にシワを寄せ、端的に言ってものすごく嫌そうな顔になる楓を見て幽々子は思わず吹き出してしまう。そうか、この少年がこんな顔をすることすら自分は知らなかったのだ。

 

「幽々子?」

「い、いえ……こんなに楽しい気持ちになったのが久しぶりだったの。笑ったのは許して頂戴」

 

 そう言いながらも噛み殺した笑いは収まらず、目の端に涙すら浮かべて幽々子は笑っていたため、三人は顔を見合わせることしかできないのであった。

 

 

 

 

 

「幽々子様、お帰りなさいませ。どうでしたか?」

「とても有意義なものになったわ。これ、おみやげね」

「わ、ありがとうございます」

 

 その日の夕方。上機嫌で戻ってきた幽々子が手渡してきたお菓子を見ながら、妖夢は今日の出来事を聞いてみる。

 

「……妖夢」

「はい?」

「あなたは紫や私と一緒にいて怖いと思ったことはない?」

「へ?」

「忌憚のない意見がほしいの。答えて頂戴」

「……そりゃもちろん、ありますよ。でも、それだけです(・・・・・・)

「なるほど、長い時間で驕っていたのは私」

 

 一朝一夕に受け入れられるものかはわからないが、これが当然であるのなら自分もそうであるべきだろう。

 それに――目標がある日々というのは充実していてたまらない。

 

「妖夢」

「はい」

「また今度、人里へ行きましょう。次は一緒に、ね?」

「……はいっ!」

「じゃあ部屋に戻りましょうか。有意義な一日になったし、妖夢に聞かせたい話もあるの」

 

 そう言って幽々子は白玉楼の中へ戻っていき――今日もまた何事もなく、しかし静かな変化のあった幻想郷の一日が終わるのであった。

 

 

 

 

 

 この翌日、幻想郷はまたも大きな騒動に見舞われるのだが、それを予見できていたものはこの場にいなかった。




ゆゆ様と楓の歩み寄りみたいなお話です。相手が怖い? それは人間が妖怪と接する時は当たり前のことなのです。
反撃できる力を持っている霊夢や楓が例外で、大抵は相手がその気になれば逃げることもできずぶっ殺されます。

そして阿求は阿礼乙女として昔の人里を知っていたので思うところがありました。人妖の共存は歓迎していますけど、いつでも殺せる相手が怖いなんて当たり前のことで怖気づかれるとやっぱりきつかった。

次回から風神録編入っていきます。10話前後で異変+幕間をできるようにやっていきたい……。








……まあ楓の能力の本質考えるとゆゆ様の恐怖が一番正しいんですけど(小声)

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