これは夢だ、と楓は意識を取り戻した時点で察する。
なぜって、明瞭になった意識で最初に感じたのが双手に握った刀の感触で、眼前にいるのがすでに故人の父親だからである。
父は刀を一振り持ったまま、感情の読めない無表情で口を開いた。
「今日はお前に天狗との戦い方を教える」
「戦い方、ですか」
「人間とはまるで別物だ。見目こそ人間に最も近いかもしれないが、中身は違う」
そう言って父は一歩、無造作に楓の方へ踏み込んでくる。
「……っ!」
「まず天狗との戦いにおける基本だが――相手が自由に動ける空間を限定しろ」
「空を飛ばせてはいけない、と?」
「それもあるし、こちらから白兵戦を仕掛けて動けなくするのも手だ」
言葉と同時、緩やかに振られた斬撃が楓を狙う。
当てる意思は感じられず、淀みなく振るわれる刃を楓は全て紙一重で回避していく。
「刀の射程に収めたら、絶対に外に出さない。それを徹底するだけでもだいぶ違う」
「遠間から術を撃たれたら?」
斬撃の合間を縫って大きく後方へ跳躍し、距離を取る。
この時の楓に術など使えるわけもないが、腕を突き出して術を使う形だけでも作っておく。
「お前なら対策となる術を覚えれば良い。人間はそうもいかないので――どうにか距離を詰めるしかない」
しかし、父は楓が必死に作った距離を容易く詰めてくる。
決して速くはないのだろう。だが緩急をつけたそれは半妖の楓をして反応しきれないものに変貌する。
「とまあ、自分の得意な距離に持ち込み続け、相手が動ける余地を削り続けることが必須だ。それができて初めて勝負の土俵に上がれると思え」
「できなければ敗北あるのみ、と」
「そうなるな。特にあいつは――天魔をも視野に入れるのなら、必ず覚えておけ」
「肝に銘じます。……父上」
「なんだ?」
「なぜ、それを俺に教えるのです?」
楓には疑問だった。なにせ自分は白狼天狗と人間の半人半妖。天狗と戦う日が来るとはなかなか思えなかった。
それを言うと、父もまた尤もであると楓の言葉に首肯する。
「俺もそう思う。妖怪の山は人里とも関係が深い場所だ。そうそう敵対することはないが――教えておいて損はない」
「なぜ?」
「時間の許す限り、お前に全てを教える。それが俺の役目だからだ」
「……俺にそれを背負えと言うのですね」
「そうだな。そしてそれができるのはお前だけだと思っている」
それで話は終わりだとばかりに、剣戟の激しさが増していく。
双刃を振るう楓と一刀を振るう父。手数の差など歴然であるはずなのに、追い詰められているのは楓だった。
父の一太刀に対応するのに、楓は三度刃を振るわねばならない。どれほど知恵を尽くして攻勢に対応しようにも、父の刃がそれを容易く上回る。
距離をとって仕切り直そうにも、それも父の剣が許さない。空間を削ぐような剣閃が楓の動ける場所を奪っていく。
楓も必死に食らいつきはしたものの、父の振るった逆袈裟の切り上げが楓の刀を弾いたことで、勝負は呆気なく終着となった。
「……参りました」
「常に思考を止めるな。今回で言えば、俺はお前の逃げ道を封じるように剣を振るった」
「どうすれば抜けられますか?」
「想定外の行動を取るか、詰まされる前に賭けに出る。粘り続ける可能性を否定はしないが、相手が格上だった場合粘ったところで順当に詰む可能性の方が高い」
そもそも人と妖怪では基礎体力も何もかも違う。妖怪を相手に根比べなど、それこそ自殺行為である。
「お前なら俺とは違う手もあるだろう。どんな手段を使っても良いから、自分なりの勝ち筋を見出だせるようになれ。ただ剣を振っているだけでは至れない場所だ」
「…………」
「お前が得るべきは剣だけではない。それを忘れるな」
そう言って父は楓の頭に手を伸ばし――
目が覚める。
ここ最近、数少ない睡眠をしている日は決まって父の夢を見る。
楓は残っている気がする手の感触を思い出すように頭に手を当て、ひとりごちた。
「……俺は父上の期待に応えられているのか」
応じる言葉はなく、答えは生涯わからない。だが、今なお父に勝てはしないだろうという確信が楓の心にのしかかる。
「……稽古するか」
何もかも足りていないのは承知の上で、それでもなお走り続けるしかないのだ。
今日も今日とて楓は飽きることもなく稽古着に着替え、剣を持って外に出ると椿が空を眺めていた。
『あ、起きた。おはよう』
「よく空を見ているな。暇なのか?」
『まあ、この身体で眠ったことはないねえ。楓が寝てるのを邪魔はできないし、することがないとどうしてもね』
「…………」
『それに空を見ていると色々と考えられるんだ。どうしてこんな身体になったのか、とか今の自分に何ができるのか、とか』
「なにか思い出したのか?」
全然、というように椿は肩をすくめた。
『あいにくと、昔のことについてはさっぱり。ただ、最近楓の成長が著しいからかな? できることは少し増えたよ』
そう言って、椿はその手に刀を出現させる。以前までは全くそんなことができる素振りを見せていなかったため、楓は驚愕に瞠目する。
「いつから?」
『ついさっき。できると思ったらできてた』
「無茶苦茶な」
『ここにいること自体が無茶苦茶の一つだから良いんじゃない? それにこれも試したけどほとんど意味はないよ』
椿が手に持っていた刀を下に向けて地面に突き刺そうとするものの、刀が地面にめり込むことはなかった。
次いで滑らかな動きで身を翻し、手近な木に斬りつけるが斬撃は木を透過するばかり。
『とまあ、そこにあるものを傷つけることはできない。この身体と同じってわけ』
「だったら俺はどうなる?」
『それは試してなかった。試す?』
はい、と椿が刃を差し向けてきたので、楓は刃先を軽く握る。
指に小さい痛みが走ると同時、血が一滴流れ落ちる。
「む」
『私に触れるのが楓だけだから、楓だけはこの刀でも斬れるんだ……』
「……もう少し試そう。刀はそのままにしておけ」
『はーい』
楓も刀を抜くと、椿の持つ剣と刃先を合わせてみる。
金属と金属の擦れる硬質な音こそ聞こえないものの、確かに金属質の刃に触れた感触が手に返ってくる。
『あ、触れた。楓を介していれば効果があるのかも』
「便利だな。これなら俺とお前で打ち合うこともできるんじゃないか?」
『おお、その発想はなかった。楓って本当に四六時中稽古のこと考えてるよね?』
「語弊のある言い方はやめろ。強くなることを考えているんだ」
そう言って楓は距離を取ると、改めて刀を構える。
「お前がどの程度やれるかもわからん。とりあえず慣らしも兼ねて軽くやるか」
『ふふん、私はこれでも剣術には自信があるんだよ?』
「その心は」
『楓が剣を振ってる姿をずっと見てた!!』
自信満々にそう言われてしまい、楓は大丈夫かこいつ、という冷たい眼差しを向けながら刀を握る手に力を込めた。
「しばらくはそっちに合わせる。俺に勝とうとか考えず、好きに剣を振れ。ひょっとしたら天狗の剣術を身体が覚えているかもしれん」
『余裕でいられるかは保証しないよ? じゃあ――行くよっ!』
「お前の剣術、という意味ではこんなものか」
椿の必死に振るう剣に対し、楓は剣を持たない無手で、さらに目を瞑って対応していた。
刀の側面に拳を合わせることで斬撃の軌道をそらし、時には勢いのまま刀を折ってしまう。
この刀は椿が何らかの力で生み出しているため、いくら折ってもすぐに生成されるのだ。
『甘く見てた……実戦経験を積み始めた楓の実力を甘く見てた……!』
「大体わかったから、もう俺に勝つための剣で良いぞ」
『後半からそうだったよ!! 本気で勝ちに行ってたよ!!』
「……じゃあ、今度は俺の攻撃をお前が防ぐ形でやるか」
『無視しないで!?』
どう反応しても椿を傷つけそうだったので、あえて何も言わず話を進めたのだがそれもダメだったようだ。
楓は気難しいものを見るような目で椿を一瞥した後、今度は打って変わって楓が攻撃に出始める。
「まずは軽く」
『よっ、とっ、ほっ!』
攻撃は大体把握したが、守りがどうなるかは未知数だったので小手調べと軽く剣を振る。
やや危ういところは見受けられるものの、問題なく攻撃を捌いた椿に軽く眉を上げた。
「守りはよくやるな。ここまで防ぐとは思ってなかった」
『上から目線なのが腹立つ……!』
「実際剣の腕は俺の方が遥かに上だぞ?」
あるいは永夜抄で初陣を飾る前の楓であればわからなかったが、あれからいくつもの実戦を乗り越えてきたのだ。彼の才覚が本格的に開花するには十分な経験である。
『そうだけど!!』
「ともあれ稽古相手ができるというのは嬉しいことだ。それにお前だってずっと俺の剣を見ていただけだろう。勘を取り戻すのも兼ねてもう少し付き合え」
『うーん、私が剣を振れて何の役に立つのかって気もするけど……まあいっか。身体を動かすのは嫌いじゃないし』
気合を入れ直し、刀を構えた椿を相手に楓はわずかに目元を緩めて相手になるのであった。
なお結果は椿がボコボコに打ち負かされてしまい、しばらく拗ねることになるのだが些細なことだろう。
その日の朝、楓がいつものように阿求とともに朝食を終え、一日の予定を話している時だった。
「――そのため本日は、先日あった花映塚の異変に伴う話をまとめておくべきかと愚考いたします」
「そうだね。本来なら異変の枠組みに入れるのはおかしな話だけど、霊夢さんが動いた以上私も記録しなければ不自然」
「不要な仕事になるやもしれませぬが、幻想郷縁起の一翼にはなるかと」
「騒ぎがあって、妖怪が動いた。それだけで縁起に載せるには十分よ。私の代で多少形が変わっても、これは常に妖怪の対策本であるという意義を失ってはならない」
「は、出過ぎた言葉をお許しください」
自身に任された仕事の本質を見失わない阿求に頭を垂れ、心胆からの忠誠を改めて誓っていると、人の気配が阿求の部屋にやってくる。
障子越しに女中の戸惑ったような声が届いてきたため、楓が障子越しに応対に出る。
「失礼します、お客人の来訪です」
「お客人、ですか? 今日は人里で話す予定の人は……」
「いえ、それが楓様のお母様が天狗を一人伴って来ておりまして……」
「母上――失礼、椛様が?」
「はい。いかがいたしましょう?」
楓が阿求の方を見ると、阿求はクスクスと面白そうに笑いながら優しい声音で女中に返事をした。
「わかりました。私と楓さんでお相手いたします。ご報告ありがとうございます」
「いえ、とんでもない。では私はこれで……」
遠ざかっていく女中の気配を耳にしながら、楓は何も言わず阿求に頭を下げた。
阿求には楓のそれが公の場で母と呼んでしまったことへの照れ隠しに思えてしまい、笑いを噛み殺すのが大変だった。
「ふふ……ここには私とお兄ちゃんしかいないんだから、母上って呼んでも良いのよ?」
「そういうわけにはいきません。今の自分は阿求様の側仕えですから」
「私も椛姉さんに御阿礼の子として会うのは久しぶり。ふふっ、お兄ちゃんのお母さんなんだから私もお母様、って言った方が良いのかしら」
「それは……」
彼女なら普通に受け入れるかもしれない、と考えると即答はできない楓だった。
そんな風に困った様子を見せる兄の姿にひとしきり微笑み、二人は立ち上がって応接間の方へ向かう。
応接間に入ると、まず目に飛び込んでくるのは阿求の顔見知りであり、楓の実母である椛が困ったような笑みを浮かべている姿。
そしてその隣に座り悠々とお茶を飲んでいる若い男性の烏天狗。
それが誰か、楓も阿求も知っていたが言葉にしたのは阿求の方が先だった。
「妖怪の山の首魁、天魔様……」
天魔――そう呼ばれた天狗は飲み干した茶碗を置き、爽やかな笑みこそ浮かべているものの目の奥に値踏みする光をたたえながら二人を見た。
「こうして公の場で会うのは阿弥以来か。初めまして、今代の阿礼乙女」
「私がお会いした姿は老爺の天狗でした。はて、彼の使いか何かでしょうか?」
「よく言う。ま、今回はこちらが来訪者だ。改めて名乗らせてもらおうか」
天魔は立ち上がると楓と阿求の二人に親近感のある、しかし決して油断してはいけないと警鐘を鳴らす笑みを浮かべて自己紹介を始める。
「――天魔。元を正せば妖怪の山を統べる者の称号なんだが、いかんせんこっちを名乗ってる時間の方が本名でいた時間より長くなっちまった。こっちで呼んでくれ」
「九代目阿礼乙女。稗田阿求と申します。かつて私の側仕えであった祖父とあなたとのお噂はかねがね」
「ク、旦那の口からオレへの良い話は出ないだろうさ。で、そっちが――」
「稗田阿求様の側仕えをしている、火継楓だ。公人として会うのは自分も初めてになる」
気圧されるな、と自身に言い聞かせながら楓はさり気なく阿求の方へ身を寄せる。何かあった際、いつでも守れる位置取りである。
そんな楓に阿求は後ろに回した手でそっと触れる。そこにある誰よりも頼れる存在を確かめるように。
主を支えようとする従者と、そんな従者を心から信じて寄りかかる主。主従としてのあるべき姿を体現するかのような二人に天魔は一瞬だけ目を細め、懐かしい何かを見出す顔になる。
だがそれも一瞬で、次の瞬間には普段どおり全てを見定める抜け目ないそれに変わった。
「自己紹介どうも。ああ、事前に連絡もない不躾な訪問となったことを詫びよう。が、そこは妖怪の性ということで大目に見てほしい」
「時間間隔に乏しい、妖怪らしい意見ですね。幻想郷縁起に残しましょうか?」
にこやかに笑いながらそんなことを言う阿求に、天魔は参った参ったと両手を上げる。
「それが人間の記録に残るのは勘弁してくれ。さすがにオレ一人でいきなり行くのは誤解を招きかねないから、元部下にも頼んだんだ」
「あはははは……ご、ごめんね? 阿求ちゃんに楓」
椛が連れて来られたのもそういう理由のようだ。
これ以上天魔を突いても適当にはぐらかされて終わるだろう。それにこちらも本気で突いて関係を悪化させたいわけではない。
「……じゃあ要件を伺いましょう。それとも
「最初はそのつもりだったが、今の言葉で気が変わった。今代の阿礼乙女をないがしろにしたら縁起にあることないこと載せられそうだ」
「ふふ、どうでしょう?」
「おおこわいこわい。では早速本題に入るが――火継楓」
「……なにか」
「お前に妖怪の山へ来てほしい」
「来てほしい、とは?」
その言葉を受けて、楓は眉をひそめる。
母親である犬走椛は父と結ばれるにあたり、妖怪の山から追放の処分を受けている。
それが彼女らの関係を険悪にするものではなく、個人単位でのつながりは相変わらず存在するが――妖怪の山へ踏み入ることは禁じられた。
それは楓にも適用されているものだと思っていたが、どうやら天魔の顔を見る限り違ったようだ。
「個人としての火継楓を妖怪の山に入れるわけにはいかない。実態として守ってるやつなんてほとんどいないが、それはさておき。――公人としてのお前なら話は別だ」
「人里の守護者としてそちらにいけ、と?」
「それもあるし、もう一つの公人の姿があるだろう? お前にゃそっちの方が優先される」
「……阿求様の従者として?」
阿求に視線を向けるが、彼女も初耳だったようで目を瞬かせている。
人里の守護者として妖怪の山へ向かうことは予想できたため驚かなかったが、従者として呼ばれることは想像していなかった。
「そうだ。昨今の幻想郷は異変に次ぐ異変。まあオレらも新聞作成で大忙しなんだが――そろそろこっちも見てほしいところでな」
「だから取材に来てほしいのですか?」
「そう言いたいのは山々だが、以前の事件がある。御阿礼の子は覚えているか?」
「私に忘却があるとお思いで?」
「ご尤も。あれも三十年近く過去の話になるとはいえ、妖怪の感覚じゃ三十年なんてつい最近だ。対策を講じたからまたどうぞ、って言うのはお互いに怖い」
「だから楓さんを?」
阿求の言葉に我が意を得たり、と天魔は稚気に溢れた笑みを浮かべて続きを話していく。
「そういうことだ。取材に来てほしいが、安全保障が確約しづらい。――じゃあ従者にだけ来てもらおうって話さ。天狗の血を引く半人半妖の小僧がどんなものか、気になっている輩も天狗にゃ結構いる」
「え、それは初耳です。私なんてそんな有名人ではなかったでしょう?」
今初めて知ったとばかりの顔をする椛に天魔は何を言っているんだお前は、という呆れた顔になる。
「人間と婚姻結んで出奔したやつが有名じゃないわけないだろ? お前の名を知らないやつは天狗にいねえよ」
「もう追放されたから関係ないとばかり思ってました……」
「本当に関係なかったら文がそっち行くわけないっての……」
「――自分一人が行って、過去とは違うものが見せてもらえると考えても良いと?」
母が落ち込む姿は見たくなかったので、楓が話に割り込むと天魔はやや意外なものを見た目で楓を見る。
阿礼狂いである彼はこの場においては御阿礼の子を何よりも優先すると思っていたが、ここで母親をかばうことが予想外だったのだ。
……実際、その認識は正しい。楓が口を出したと言っても、その位置取りは御阿礼の子が守れる位置から一切動いておらず、ただ言葉だけで止めているに過ぎない。
「ふむ、阿礼狂いと言えど母親は大事か?」
「俺に持ってきた話があるのなら、俺に話すべきだと思っているだけだ。そもそもなんで彼女を連れてきている」
「妖怪の山の頭が一人で連絡もなしに来たと知れたらお互い面倒だろう。公式の話ってのは秘密にすべきことと、秘密にするべきじゃないことの二種類があるってことさ」
「いやその理屈なら今回は秘密にすべきじゃ――」
「椛がいるんだ。こいつが口裏を合わせてくれりゃあ問題ない」
「楓、こんな大人になっちゃダメよ? この人は間違いなく頭が良くて、誰よりも天狗のことを考えてるけど、人格は大概はた迷惑だから」
「はた迷惑じゃない妖怪の方が少ないっての。配慮してるだけマシだと思ってくれ」
当人を前にして言うのだから椛も図太さで言えば相当である、と楓は思っていた。
ともあれ、ここで二人をそのままにすると話が進まないと楓は察したので強引に進めることにする。
「――それで、結局自分は妖怪の山に行けば良いのか?」
「ああ。過去に見せられなかった、天狗の山の居住区以外の部分を見せたい。ついでに武芸の披露なんかもお願いしたいね。ちと外の刺激が少なくなってたんだ」
「受けなかった場合は?」
「受けてもらうに値する利益は提示したつもりだぜ? ということで、どうかな? 御阿礼の子よ」
阿求をこの場に居合わせたのはそのためか、と察した楓が苦い顔になる。
楓に対し強い信頼と独占欲を持つ阿求をないがしろにして話を進めた場合、楓は天魔の話を断る可能性が生まれる。そこにどんな利益があろうとも、御阿礼の子が厭うだけで話は全てご破産だ。
だから阿求にも話を聞かせた。昔に妖怪の山へ行った時はとある騒動が起きてしまい、うやむやになっていた部分も見せてくれるという。
「……なるほど、これはお受けしなければならないお話のようですね」
ここまで言われて幻想郷を綴る役割を帯びた少女に、断る選択肢など浮かぶはずもない。
そして阿求が決めたことである以上、楓に疑問を挟む余地などなかった。
「期間はどの程度?」
「一日、長くなっても二日。こっちの都合を通すからには、そちらの融通は利かせる」
「あまり考えたい事態ではありませんが、その時に何かが起こったら?」
「オレが全霊を尽くして事態の収拾に当たる。無論、人里もな。オレとて関係を悪化させたいわけじゃない」
「ふむ……楓さん」
「はっ」
「楓さんの意見が聞きたいです。この話に裏はありますか?」
「ハッキリ聞くな……いや、良い。お前さんの答えに興味があるから言ってみろ」
阿求、天魔、椛の三者に見つめられた楓だが、動じることなく瞑目して考えをまとめてゆっくりと言葉を選んで口を開く。
「――裏はあるでしょう。今の時点でいくらか考えつく可能性はありますが、一番高いところは個人的な願い」
「ほう、その心は?」
「本当に公的な仕事であるならちゃんと手順を踏む。自分が目的であるのならなおさら、せめて一言はある。それもなしにいきなり来たのだから願いは天魔個人。あまり余人に知られたくない類であると推測できる」
願いが天魔個人のものであることにはほぼ確信があったが、余人に知られたくないという部分は当たっていれば儲けものぐらいの気持ちである。
「……内容は?」
しかし天魔は更に興味を覚えたようで続きを促してきた。
こうなったらさっきの話が全て真実であると仮定して話すしかない、と腹をくくって楓は話し始めた。
「……俺の器が見たい。俺に天狗の術を教えたい。俺に――天狗の社会を見せたい」
もう浮かんだ可能性をとりあえず口にしただけだったが、天魔はにんまりとした笑みを浮かべるばかりだった。
「で、お前さんはどうする?」
「阿求様の御心のままに」
「では天魔様。持ってきていただいた話は正式にお引き受けします。少しの間ですが、楓を貸し出しましょう」
「その決断に感謝と敬意を。楓はオレが責任持って預かろう」
たった一日程度に何を大げさな、と思うことなかれ。
これは御阿礼の子に狂った阿礼狂いを御阿礼の子から引き離す所行に等しいのだ。何度でも念を押し、契約を履行させなければ冗談抜きで天魔の命が危うい。
どうにか話が上手くいって一安心である、と天魔が内心胸をなでおろしたところで阿求が唐突に口を開いた。
「お願いします。ああ、ただ――」
――楓さんになにかあったら、あなたを許しませんから。
心胆の冷える声音でそう囁かれ、天魔は背筋に汗が伝うのを感じながら努めて笑みを作る。
「……なるほど、これが二人の関係か」
御阿礼の子と阿礼狂い。守られる者と守る者。信頼する者と信頼を受ける者。そして――支え合う者。
かつて天魔が見た二人は阿礼狂いが強すぎた。強く、完成していたが故に御阿礼の子は安心して心身を委ねられた。
しかしこの二人は違う。年若く未熟であることを自覚している二人であるがために、お互いに相手の力になろうとする。
互いを思って力を磨く。なるほど美談であるが、彼女らの場合はいささか意味が異なってくる。
やっぱりこの連中はおっかない、と自分の抱く阿礼狂いと御阿礼の子への認識を一層固くした天魔は飄々とした空気を消し、真面目な顔で頭を下げた。
「それでは御阿礼の子の従者をお借りする。お互いにとって良い結果となるよう全力を尽くそう」
「それじゃあ楓さん、お願いします」
「御意」
そうして楓は天魔に連れられ、妖怪の山の頂点にある天狗の里へ赴くことになる。
……この日に外の世界から妖怪の山へ一つの勢力が丸ごとやってくることなど、つゆ知らず。
天魔のお誘い回。考えることが……考えることが多い……!
なお色々言ってますが天魔の狙いそのものは別にあります。私心百パーセントの狙いなので、楓に見抜けと言うのが酷な内容ですが。
ちなみに阿礼狂いと御阿礼の子の関係性としては今の楓と阿求が一番
あっきゅんが独占欲出してる? 自分の手足を他人に貸し出す人はいないでしょう? そういうことです()
なので楓の天狗の里訪問はごく短い期間に。それで異変にぶち当たるあたり、持ってますね(他人事)