阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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人間と天狗の違い

 空を飛んで一時間弱。たったそれだけで人里から妖怪の領域である妖怪の山に到着する。

 楓が天狗の領域とされる一角に降り立つと、隣を飛んでいた天魔も地面に降りて口を開いた。

 

「さて、本当なら水先案内人もオレがやりたいんだが、流石にそこまでやると風聞が面倒になる」

「天魔が一個人にそこまで入れ込むのか、ということか」

「ご明察。入れ込んでることも事実ではあるんだがな」

「父上の息子であるからだろう。今の名声が父上の七光であることは理解している」

「それを覆すのがお前の役目だ。なに、もういくつかの妖怪はお前さん自身を見始めている」

 

 無論、天魔もそれは同じだった。

 楓が異変に関わり始めた当初はそういった目で見ていたことを否定しないが、そのどれでも彼は相応の相手と戦って全てに勝利を収めている。

 

 特に風見幽香との勝負を制したのは天魔の耳にも届き、彼の認識を変える一助となっていた。

 天魔でさえおいそれと手を出そうとは思わない相手と一騎打ちで戦い、偶然が働いたにせよ生きて勝利を手にしているということは、その時点で大妖怪を相手に戦える力量があると言い換えられるのだ。

 

「自覚はないだろうが、お前さんの力量はもう誰もが一廉の人間として認める領域だ。しかもまだ二十歳にもならないと来た。恐ろしいったらないぜ」

「まだ父上には及ばない。武芸でも、知略でも」

「成長期のお前さんと最盛期の旦那。比較がおかしいってもんだ。ともあれ、オレは一旦離れる。ここからの案内人は――おい、文!」

 

 天魔が声を張り上げると同時、頭上から一人の烏天狗が降り立つ。

 予めその場所にいたのではないかと一瞬だけ思うが、次いで全身を襲う風がそれを否定する。

 実に単純明快ながら――彼女は呼ばれた瞬間その速度だけでここまで到着したらしい。

 

「はいはい、呼ばれて参上! 清く正しい射命丸文です!」

「来たか。今日一日、こいつの案内と目付を頼む」

 

 天魔が楓を指差し、楓は軽い会釈をする。

 文とは母の友人であることや、彼女自身が新聞屋として幻想郷中の有名人に声をかけていることから交友があった。

 

「ふむ、見せる場所を聞いても?」

「稽古場、武器庫、そういったところを見せてやれ」

「あやや、そんなところまで見せても?」

「構わん構わん。どうせこいつがその気になればどこだって見れるんだ。下手に隠し立てするより、見せて問題ない部分は見せてしまった方が信頼にもつながる」

「本人の前で言うのはどうなんだ」

「ここまで含めて信用している、と受け取って欲しいね」

 

 ああ言えばこう言う。呆れた視線にも全くひるまない天魔を見て、楓は己の父が彼を苦手とした理由が何となくわかった気になる。

 

「それじゃあ頼んだぜ文。今日一日はこいつにかかっていて良い」

「ちなみにこのこと、新聞には?」

「後日なら許す。まあ人里でも耳ざとい奴はすぐ気づくようなものだ。ネタになるかは保証しないぞ」

「大丈夫ですよ、天魔様と彼の息子ですよ? 絶対に何かありますって!!」

「ハッハッハよく言った。お前来月の給料ナシな」

「それは理不尽すぎません!?」

 

 自分までトラブルメーカーの枠に入れられていることに物申したい楓だったが、永夜抄に始まった異変では基本的に巻き込まれていたので何も言えなかった。

 ともあれ話はまとまったのか、天魔が悠然と空へ飛び立つのを見送って文は楓の方に向き直る。

 

「さて――本当なら椛の息子ってことで私も可愛がりたいところだけど、今日はお互い公人。その辺りの線はちゃんと引けてるかしら?」

「言われずとも。それでこれから一体どこへ?」

「まずは稽古場から行きましょうか。きっと驚くわよ?」

 

 驚かせたくてたまらない、といった表情の文がふわりと空に浮かび、楓を誘う。

 文を追いかけるように楓も空を飛び、谷間にある居住区画を下に眺めながら更に飛んでいく。

 到着まで少し時間がかかるのか、文が振り返って楓に簡単な説明を始めた。

 

「これから向かう稽古場について少し話しましょう。そも、鍛錬とは何を目的として行われますか?」

「外敵を効率よく排除し、自分たちの住処を守るため」

「はい可愛げのない正解どうも。で、その答えに従って言うなら、人里の外敵とは何が該当します?」

「野生の獣、理性のない妖怪が主体だ。後はまあ……里の内部で酔っ払いが暴れ始めた時ぐらいか」

 

 ここ十年ほどで人里の自警団に妖怪も協力するようになったため、前者の防衛は妖怪と人間の中でも精鋭が。後者は自警団の中でも新参者が行う役割と分担が決まっていた。

 人里の警備事情は詳しくなかったのか、楓の説明に文は興味深そうに何度もうなずく。

 

「ほほぅ、酔っ払いはいつの時代も絶えることがありませんからねえ。かくいう天狗も酒豪と言われていますが、酔わないわけではなく。醜態はさらさないようにしたいものです」

「人間でも鬼でも同じだな」

「鬼は四六時中酔っ払ってるようなものですよ」

「あなたがそう言っていたことを見かけたら教えておこう」

「あははははごめんなさい今のオフレコで」

 

 あまり格好良いところが見せられていないと文は咳払いをして話を戻し、指を一本立てる。

 

「ん、んんっ! 少し話が脱線しましたので話題を戻しましょう。人里が外敵に備えて鍛える理由はわかりました。では――天狗はどうでしょう?」

「む……」

 

 そう言われ、楓も考える仕草を取る。

 先ほど話したことが鍛錬の目的であるなら、天狗にそういったものは不要のはずだ。

 そもそも妖怪の山の頂上に陣取る彼らのもとに野生の獣も、理性のない妖怪も入ってこれる道理などない。

 では一体何のために、と考えると答えが限られてくるものの絞り込むことができない。

 なので楓は言葉を選んで質問をすることにした。

 

「……天狗の社会は階級のある縦社会だと聞く」

「ええ、合ってますね。白狼天狗、烏天狗、大天狗、天魔様。非常に大雑把に言ってしまえばこの括りです。表立って天魔様に逆らう人はいませんし、一部の例外を除いて烏天狗も大天狗様には逆らえません」

 

 一部の例外とは文を指すのだろう。天魔直属の部下というには、彼らの間には長い付き合いの生み出す信頼があった。

 

「では、その階級とは生まれつき全て決まるものなのか?」

「……いいえ。確かに白狼天狗と烏天狗は種族そのものが違うため、生まれつきと言えるでしょう。ですが、そこから上に行くのに制約はありません」

 

 無論、生まれ持った地力の差というハンデはありますが、と付け加えることも忘れない。

 

「……だったら答えは出る。――上を目指すためだ。天狗の位階を上げるには、自身の力量も大きく関係する」

 

 人間社会であれば、人に指示を出す人間が強い人間である必要はない。そういった経験は歳を重ねなければ得られず、歳を重ねる頃には全盛期から遠のいているからだ。

 しかし妖怪である天狗にそれは適用されない。老化など天魔含め誰も味わっておらず、常に全盛期と言える彼らにとって、上に立つ存在とは的確な判断を下し、なおかつ己より明確に強い存在でなければならないということなのだろう。

 

「――正解! いや、お見事! ここまでちゃんと理論付けて答えてくれる人間そうはいないわ!」

「こちらも興味深かった。上に立つには剣や妖術も必要ということか」

「そういうこと。もちろん、それだけでなく人を扱える経験とかもあるけど、最低条件として腕っぷしが付きまとうのは確か」

 

 上を目指すためには力量が不可欠なのだ。であれば相応に賑わっている、と楓は予測したのだが文は予想に反して肩を落とす。

 

「……誰も彼もがちゃんと上を目指せば良いんですけど」

「そうはなってない、と」

「人生五十年、程度なら必死で上を目指す理由にはなります。ですがあいにく、私たちは千年生きようと終わりの見えない妖怪なものでして」

「生きるのも惰性になるのか……」

「文字通り身内の恥ですけどね……まったく、退屈が妖怪を殺す最悪の毒だというのに誰もそれを理解しない」

 

 刺激こそが妖怪を生き永らえさせる一番の薬だと言ってはばからない文を見て、楓も自分について思いを馳せる。

 今でこそ人間社会で生きているが、百年もすれば自分と同じ年代の人間は皆死に絶えるだろう。そうなった時に自分は何を思うのか。

 

 ……いいや、考えるまでもなかった。彼女らと避け得ぬ離別があることは残念ではあるが、それだけだ。

 

 

 

 ――御阿礼の子の側に居続ける。それが阿礼狂いの願う唯一つの幸福である。

 

 

 

「……俺には関係なさそうだ」

「でしょうね。今言ったのもとにかく変化に乏しい妖怪社会ならではの問題というやつです。人間と交わるようになった今であれば、解決する問題もあるでしょう」

「俺に武芸を披露しろと言ったのもそのためで?」

「そういうことです。代わり映えのしない相手との稽古ばかりでは手の内も全てわかっちゃいますから」

 

 そろそろ着きますよ、という言葉を受けて思索にふけっていた楓も顔を上げる。

 するとそこで繰り広げられていたのは、楓の顔を驚愕へ変えるにふさわしいものだった。

 

 弾幕の代わりに武技を見せつけあっている。そう言うべきだろう。

 刀を持った双方が近づくたびに火花が散り、距離を取ると両者の手から術が飛ぶ。

 さながら弾幕が武技に置き換わったようなそれに、文は自慢げな口ぶりで説明を加えていく。

 

「どうです? 人間と違い、天狗は空を飛べますからね。技も術も、それに合わせたものになります」

「人間と天狗が根本的に違う生き物だと思い知らされる。……だが、あれで剣の稽古になるのか?」

 

 剣で何かを斬る際に必要なのは、ものの斬れる箇所をなぞることと適切な勢いだ。

 強ければ刃に負担がかかり、弱ければ斬れない。妖怪の肉体が見た目通りのそれと思うなかれ。中には岩より硬く、柔軟な肉体を持つものだっているのだ。

 よほど隔絶した技巧を持ち、斬撃の通した箇所に斬撃を重ねるような絶技でもできない限り、それらを相手取るのは難しくなる。

 

 それを指摘すると文は尤もだと笑った。

 

「恐らく仮想敵は鬼ですね。確かに鬼と天狗は相性が悪いです。今の戦い方を見てわかる通り、天狗というのは速度に物を言わせ、小さな手傷を絶え間なく与えて削る戦いが得手となります。妖怪の自然治癒すら追いつかない速度で叩きのめす。速さこそ至高である」

「ふむ」

「なのでもし、この戦い方で勝てない相手が出たら……」

「出たら?」

「逃げて倒せる人に助けてもらいましょう。幸い、速さにおいて私たちは幻想郷一ですから追いつかれることはありません」

「それで良いのか……」

「一人で何でもできる人なんていないのです。できることはできる人に任せる。それぞれの勢力のつなぎを速やかに行える、というのは速くなければできない役割です」

 

 そう言われると納得できるようなできないような。

 確かに楓も人の力を借りることに躊躇はないが、これと一緒にされるのはなんとなく嫌な気分になってしまう。

 

「小難しい話はこのくらいにしまして、そろそろ楓にも技の一つぐらい見せてもらいましょうか。おーい!!」

 

 言うがいなや、文は瞬く間に稽古場で汗を流している同僚に声をかけると、視線が楓の方へ一斉に集まる。

 白狼天狗と人間のハーフである楓に向けられる目線は不躾を通り越して、無礼とすら言えるものだった。

 

「天狗全員が常に人里と交流しているわけではありません。楓の評判もこう言ってはあれですけど、あくまで大物に知られているというところが大きいので」

「末端に知れ渡っているわけではない、と」

 

 文の耳打ちに楓はため息で答える。

 視線の意味を考えないようにしつつ、軽い自己紹介を済ませたら早速剣を抜く。

 

「ここで交わすべきは言葉ではなく武技である、ということですね。では始めましょうか。人里と天狗の里の交流を――!」

 

 文の言葉と同時に楓と烏天狗は飛び上がり、空中で苛烈な剣戟を開始するのであった。

 

 

 

 

 

「あの親にしてこの子あり、というべきかしら」

 

 射命丸文は空中で剣戟が始まった――のも僅かな間。自分の同僚があっという間に遠間から術を撃つしかない状態まで追い込まれたことに顔をひきつらせる。

 楓の名は幻想郷の名だたる存在には知られていたが、末端には知られていなかった。

 それは単に彼の力量がまだ大妖怪と並ぶに見合っていない――のではなく、ただ単に末端と戦う機会がなかっただけである。

 

 数多くの妖怪を蹴散らしたことがなく、幻想郷でも上位に位置する存在と戦ってばかりいたために、その名が知られていなかった。

 ただそれだけであり――要するに、彼の力量は紛うことなく幻想郷でも相応の位階に位置しているのだ。

 

 文の見立てでは剣術、という括りならすでに烏天狗で敵うものはいないだろう。今、楓と稽古しているものが束になってかかっても鎧袖一触だ。

 距離をとって術を使い、戦いの形にこそなっているものの――あれは単純に楓が何かを見ようとしているだけだ。文の集めた情報によれば彼は非常に強力な炎の妖術を使えたはず。

 人間が相手ならためらう理由もわかるが、相手は妖怪。灰も残さず燃やし尽くすとかでない限り、黒焦げにされてもすぐに治ってしまう。

 

 などと考えていると、楓の振るった腕から風が巻き起こったのが文にはわかった。

 風を操る程度の能力を所持する文は、風を読むことにかけては天魔以上の力量を誇る。

 その優れた感覚が、楓が今まさに術を覚えてそれを相手以上の精度で使いこなし始めていることを教えてくれた。

 

「あ、楓が術を使い始めた。なるほど、文字通り術を見ていたのね……いやいやいや!?」

 

 彼の父親は人間だったから妖術が扱えなかった。しかし楓にはその縛りが存在しない。

 文の視線の先では風を操り、距離を取りたがる烏天狗へ急接近を仕掛ける術を会得した楓が烏天狗を次々に撃墜していくのが見える。

 一人で空を飛んでいれば接近からの斬撃で落とし、二人で空を飛んでいれば一人を落としたところで残りの頭上に天狗礫を投げて足を止めて落とす。

 勝負の趨勢は誰の目にも明らかになっていた。勝負は楓が勝つだろうと思っていた文でも唸ってしまうほど、圧倒的な力量差による蹂躙だった。

 

 否、これは少し正確ではない。正しくは戦っている最中に彼の力量が蹂躙し得る領域まで伸びた、というべきだろう。

 

 程なくして全ての烏天狗を地に落とした楓が戻ってくる。息は多少弾んでいたものの、傷も汗も何一つない。

 

「戻った」

「あやや、お疲れさまです。で、烏天狗はどうでした?」

「弱くはない。むしろよく練り上げられている。が、それだけに小粒にまとまった印象が強い。格上と戦った経験がしばらくないのでは?」

「むむ、なるほど。とはいえ誰もがあなたみたいに相手に困らない人生ではありませんからねえ……」

「その物言いには言い返したいこともあるが、別の相手を定期的に用意した方が良いと思う。こう言ってはあれだが、母上も普通に勝てる相手だ」

「彼女もですか?」

「剣術ではつい最近まで俺が負け越していた」

 

 本人に言っても謙遜すると思うが、文のような烏天狗が相手でもない限り母が圧勝する、というのが楓の見立てだった。

 

「それで稽古は一通り終わりか?」

「そうですね。残らずあなたが叩き伏せてしまいましたし、次は武器庫の方へご案内します」

 

 今度は歩き始める。稽古場と武器庫は近い距離に置かれているようだ。

 

「わかった。何か特別なものでもあるのか?」

「見方を変えれば人里より原始的ですよ」

 

 数分歩いて着いた蔵を文が開け放つと、戸から漏れ込んだ光を反射して置かれている刃が煌めく。

 槍、刀が様々な長さのものが置かれ、他にも天狗が使うとされる羽団扇もいくつか並んでいた。

 

「ふむ……弓はないのか?」

「お互いに風を操るんですよ? まず当たりません。個人が狩りに使ったりするぐらいですね」

「なるほど、武器の長さがそれぞれ違うのは?」

「これも人里との違いでしょうか。見た目と違った力があるので、それぞれが手に馴染む形にするのが主流なんです」

 

 年月による代替わりもほぼ発生しないため、あくまで個人が使い続けるものを作るという方向性のようだ。

 人間ならば怪我や年齢による引退が起こりうるため、それぞれが使用する武器もある程度規格化される。

 

「属人化している、と言えばその通りですがここは人間と妖怪の違いでしょう。妖怪はそうそう死にませんし、忘れません」

「興味深い。武器は概ねこの二つか?」

「槍は足止め。刀が主体です。何分、我々は心臓を突かれようと治りますので」

 

 斬撃による線の攻撃で首を落とし、四肢を斬り刻まなければ妖怪の死はない。三寸斬り込めば死ぬ人間とは違うがゆえに、有効とされる武器も変わってくるのだ。

 

「なるほど、把握した。俺が二刀流を扱うことも正しいわけか」

「対人、という意味であれば無駄が多いかもしれませんが、対妖怪を突き詰めたらその形に行き着くのかもしれません。本当に純粋な人間なら、霊力に頼るという手もありますが」

「博麗の巫女のようにできれば良かったが、あいにくと混ざりものの身では霊力がわからん」

「今代の巫女も大した腕利きですからねえ。弾幕ごっこでも名を聞きますし、あなた達の世代で誰が最強かという話でも必ず名が挙がります」

 

 だろうな、と楓は驚いた様子もなく首肯する。

 霊夢の才能は楓の父も太鼓判を押すほど。そして霊力の扱いに長けた彼女は自分含めた全ての妖怪に対して有利に戦うことができるのだ。

 

「さて、お見せできるものとしては今ので以上ですかね。残りは会議場、居住区が主体になります」

「ふむ……」

「なにか見たいものとかありますか? あるなら多少は融通しますよ」

 

 言われて思案するが、咄嗟に思い浮かぶものはない。強いて言えば食事事情がどうなっているのかに興味があるものの、今すぐ知りたいというほどではなかった。

 

「いや、自分には――」

『あ、どこでも言って良いなら聞くだけ聞いてもらいたいところがあるんだけど』

 

 特にないと言おうとしたところで、背中を指で突かれて止まる。

 楓は顎に手を当てて考え込む仕草を作りつつ、背後に今も漂う椿の言葉を待つ。

 

『私の家があった場所に行きたい。ほら、古典的だけど幽霊が生家に行って何かを思い出すってあるじゃん』

 

 言われてみれば道理だった。確かに今のタイミングを逃したら次、いつ天狗の領域に行けるかわかったものではない。

 

『無理ならすぐ引いていいよ。私もあわよくば、ぐらいの気持ちだから』

「……一つだけあった」

「おお、言ってみてください。できるかどうかは私が考えます」

「――吸血鬼異変の折に父上が殺した烏天狗の家に行きたい」

 

 楓の言葉を聞いて、文の顔がこわばる。

 どうしてそこを、という疑問がありありと顔に浮かんでいた。

 

「俺の背後には常に俺以外の誰にも見えず、誰にも触れない何かがいることは知っているか?」

「え、ええ。何かがいる、ということまでは私も以前に聞いたことがあります」

「こいつの名前は椿と言ってな。容姿や雰囲気を俺から聞き出した父上が名付けている」

「彼女がそこに……!?」

 

 心底から仰天したと文が楓の背後を見るが、そこに漂っている椿と視線が合うことはない。

 

「全く見えないし感じられないだろうが、確かにここにいる。……そして、こいつは俺が見えるようになってからの記憶が一切ない」

「で、では私のことや天魔様のことも?」

『全然わかんない。そもそも私が天狗だってことも楓のお父さんからの情報だし』

「全く知らんそうだ。天狗である、という情報すら天狗装束を着ていることや父上から聞いた情報での推測に近い」

 

 楓としてもこれまでほとんど情報のなかった椿に関係していることのため、情報が得られるなら得ておきたかった。

 

「そ、そうですか……であれば確かに生家に行くのはうなずけますね。ええ、確かに場所は知っています」

「であれば案内してほしい」

「ただ、あそこにはすでに人が住んでまして……。その子とも知り合いなんですけど……」

「顔を合わせにくいとかあるのか?」

「顔見知りなところがある子なんですよ。家主が死んだ家に住む辺り、変なところで図太いんですがね」

「軽く見るだけだ。最悪、門前払いされても構わん」

 

 戸が少しでも開いたなら楓の千里眼で中を見ることなど造作もないし、場所さえわかっていれば椿に見に行ってもらう手も使える。

 

「頼む。俺もこいつのことが知れるなら知っておきたい」

「ふぅむ……私も興味が湧きました。あなたの後ろに何かがいることは知っていましたが、それがまさかの彼女だったとは。そういった幽霊が出るとしたらあなたの父親の方だとばかり思っていたので、それがなかった時点で成仏したものとばかり」

「俺もそう思う」

 

 話を聞く限り、どう考えても縁が深いのは父の方だ。

 今、自分の後ろを漂っている椿という烏天狗は楓の父にとって師匠とも呼べる存在であったらしい。

 幼年の父に天狗の武術、体術を教え、妖怪と戦える力量を身に着けた後、吸血鬼異変で父と対決し敗北。そこで椿という烏天狗は父によって殺された。

 

 その際に彼女が遺した長刀は父の愛用品であり、今も楓の背中に背負われているものだった。

 

「俺とこいつの縁は見えるようになってからでしかない。とはいえ、父上はもう故人である以上、俺しかいないわけだが」

「そういうものですかね。まあ良いでしょう、行きますか」

 

 飛び上がった文に続いて空を飛び、彼女の後ろをついていくと再び背中を指で突く感触がやってくる。

 

「なんだ」

『ありがとね、私の言葉を聞いてくれて』

「……俺もお前との付き合いは長い。何かしらわかるなら知っておきたい」

『ふふ、楓ってそういう優しさを表に出すことにためらいがないよね』

「言わなきゃ通じないだろ。だから思ったことはちゃんと言うようにしているだけだ」

 

 言っても通じないことはあるが、言わないで通じることはまずない。それを楓は父へ話しかけ続ける母を見て学んでいた。

 自分がこうしたい、ああしたいと言って相手が拒絶したら代案を出すなり諦めるなりする。相互で意思疎通を行うなら自分のやりたいことはちゃんと伝えなければならない。

 それを話すと、椿は目を細めて嬉しそうな顔になる。

 

『うんうん、そうやって自分の言いたいことを言えるのは良いと思うよ』

「なんだその母親みたいな台詞は」

『え? だって私、キミのこと小さい頃から見てるわけだし。お母さんはあの人がいるので、お姉さんじゃない?』

「片腹痛い」

『真顔で言うのやめてくれない!?』

 

 ニコリともせずに言われても悲しいだけである、と悲鳴を上げるが楓は取り合わない。

 そんな楓の姿を盗み見て、本当に彼の側には誰かがいるのだと理解して文は内心面白いネタが手に入ったとほくそ笑むのであった。

 

 

 

 

 

「ここがその家です。どうです?」

 

 椿がかつて暮らしていたという家に案内される。居住区画の一角、岩をくり抜いて作ったものではなく地面の上に建てられた、特筆するところなど何もない普通の家である。

 

「どうなんだ」

『あ、家だなー、ぐらいにしか』

 

 つまり全くわからないということである。

 椿の感想を楓が文に話すと、そんなものかと納得した文が戸を叩く。

 

「じゃあ次は中に入ってみましょうか。ちょっとはたてー? 今いるのー?」

 

 文の軽快な声が響くと、家の中から足音が聞こえてくる。どうやら家主は在宅のようだ。

 やがて出てきたのは紫の頭襟を付け、同じく紫のリボンで髪を二房まとめている少女の烏天狗だった。

 彼女は予期せぬ来客である文に怪訝そうな顔をしながら、口を開く。

 

「文? 一体全体何の用よ? 私は今、花果子念報を作るので忙しいんだけど」

「仕事の邪魔をしたことは謝るわ。ちょっとこの家に用事があったのよ」

「家に用事ぃ? 本当に何事――っ!?」

 

 文にはたてと言われた少女は鬱陶しそうな顔を隠していなかったものの、楓の姿を見つけると目を見開いて驚愕を露わにする。

 理由はわからないがとりあえず会釈してみると、そんな楓の腕をはたてが鷲掴みにする。

 

「え?」

「文、こいつちょっと借りていい!? 聞きたいことがあるの!」

「いやちょっと困るんですけど!?」

「お昼ぐらい奢るしちゃんと返すから!」

「そういう問題じゃないのよ! ああもう、話を聞くなら私も同席します!! 何話しても新聞のネタにしたりしないから安心なさい!!」

 

 さすがに友人の暴走で楓に迷惑が及ぶのは本意ではなかった。天魔に知れたら何を言われるかわかったものではない。

 文の言葉で渋々納得したのか、楓の腕を掴む力が僅かに弱まり、はたては二人を家の中に促す。

 

「わかった、入って。お茶は出すから」

「ああもう、なんでこうトラブルになりそうなことばっかり起こるんですかね……?」

「間が悪いのでは?」

「それ間違いなくあなたですよ!!」

 

 失礼なと憤慨するものの、文も椿も訂正してくれなかった。

 家の中に招待された楓は失礼のない程度に興味のある姿を装いつつ、千里眼で部屋の中を見る。

 紫と黒のモノクロが基調となった家具で統一された、全体的に少女らしい印象を与える部屋だった。人里では和風のものばかり見ているが、この家はどちらかと言うと紅魔館の様式に近しいものがある。

 

かぶれ(・・・)なのよ。新しい物好き、って言えば聞こえは良いかも知れないけど」

 

 楓の視線の意味に気付いたのか、文が耳打ちしてきた。

 そしてそれとなく椿に目線を向けるが、彼女は残念そうに首を振るばかり。

 生家を見ればもしかしたら、と思ったがこれも椿の琴線には触れなかったようである。

 

 手がかりなしだったことを残念に思っていると、楓と文の前に湯気の立つお茶が置かれる。

 自分の分も用意したはたてが対面に座り、楓を見た。

 

「さて、いきなり腕を掴んだりして悪かったわね。私は姫海棠はたて。花果子念報っていう新聞を作ってる記者よ」

「花果子念報……」

「あら、知ってるの? 癪だけど、文のところより知名度は低いと思ってた」

「人里でそういう新聞がある、というのは聞いたことがあるぐらいだ」

 

 人里にどういった内容の新聞がどの程度来ているのかの大雑把な把握ぐらいである。

 その中でも花果子念報をたまたま聞いたことがあった。

 基本的にどこかの新聞の後追いだったり、確固たる根拠の有無も怪しいものが大半だが、ごくごく稀に誰も知らないような情報が載っていることもあり、人里ではおみくじ的な立ち位置を形成している新聞だ。

 

 誰も知らない情報が知れたら一日幸運。そうでなければ一日普通。そんな感じの扱いを受けていた。

 

 ……これをそのまま言うのがはたてを怒らせることになるのは目に見えていたため、楓は知っている以上の情報は黙っておくことにした。

 はたては楓が知っているだけでも嬉しかったのか、気分良さそうに含み笑いをしながら手元に長方形の何かを取り出す。

 

「ふうん、まあ良いわ。本当なら読者に公開する予定はないんだけど、今回は特別。私の念写を見せてあげる」

「念写?」

 

 首を傾げた楓の前で、はたては長方形の物体をパカリと開く。どうやら開く物体だったらしい。

 

「そう、私の能力はこのカメラに取りたいものを入力すると、欲しい情報が出てくるの。後はその裏付けを取ったり取らなかったりして、私の花果子念報は完成する」

「取らないこともあるのか」

 

 楓のツッコミは咳払いで無視された。

 

「で! 今回私が入れた情報はこれ!!」

「特ダネ……またわかりやすいところを」

「大体これなんだけど、実際に特ダネを引けたのは体感一割に満たないわ!」

「ダメじゃない!?」

 

 文のツッコミは勢いで無視された。

 

「でも今回は絶対に違うのよ。なんたって今回の写真は――これよ!!」

 

 そう言ってカメラと呼んでいた長方形の物体をこちらに差し出す。

 そこにははたての言う通り写真が表示されており――見慣れない神社で見慣れない少女と相対する二振りの刃を携えた少年の姿が映し出されていた。

 

「これは……」

「あんたでしょ!? 二刀流で、幻想郷の有名人な男なんてそうそういないわ!!」

 

 ずずい、と興奮した様子で机越しに距離を詰めてくるはたてに楓は顔をのけぞらせながら口を開く。

 

「それはその通りかもしれんが……」

「でしょ、でしょ!?」

「ちょっと待ちなさい、はたて。写真に映ってるのが楓だというのは私も同感だけど、この場所はどこなのよ?」

「幻想郷の神社なら博麗神社じゃないの?」

「あそこにこんな光景ないわよ。それにこの楓以外の誰かも知らないわ」

「そこはほら、この少年が……」

「場所も相手も知らん」

 

 誰も知らないから特ダネ足り得る。それはその通りだが、本当に誰も知らないと情報にすらならないという当然の事実を三人は学んだ。

 はたても勢いで楓を引き込んだものの、期待していた情報が得られないことに落胆し、机に突っ伏す。

 

「えーっ、見た感じあんた当事者なのにどうして……」

「俺に言われても……」

「ま、はたてならこんなものでしょ。これに懲りたら少しは自分の足で稼ぐことも――」

 

 肩をすくめた文がはたてを慰めようと席を立った瞬間だった。

 地面の下から突き上げるような衝撃と地響きが三人を襲う。

 一瞬のことだったそれにはたてと文が身を固くし次の振動を警戒するが、幸いにも揺れは一度だけで終わるものだった。

 

「っ!」

 

 反応が最も早いのは身を緊張させることなく動いた楓だった。

 今の揺れは大きかった。であればその揺れは人里にも行き、阿求にも被害が及んでいるかも知れない。

 千里眼を最大限に駆使した楓が家の外に飛び出すと、二つの驚くべき情報が彼の視界に入ってくる。

 

 一つは心配していた人里への揺れなどは存在しないこと。さっきの揺れはあくまでこの近辺だけを襲ったもののようだ。

 そしてもう一つは――

 

「……はたて、笑っていいわよ。特ダネが向こうから来たじゃない」

「ここまでは予想外だったわ……」

 

 妖怪の山の中腹付近。楓たちの立つ場所からやや下の部分に、大きな神社が湖とともに現れていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 後に風神録と語られる異変は、この時より始まっていた――




次回から風神録です。大概ノンストップだなこいつら(驚愕)

そして出せそうなキャラは出せそうな時に出していく。はたてさんの今後の活躍? がんばる(震え声)

天狗の里の武器事情や鍛錬事情は妖怪ならこんな感じなのかな、という印象で書いてます。人間と違って代替わりなんてそうそうないだろうし、属人化するんじゃないかなって。

なおサラッと流してますが、楓は本話で天狗の術は一通り覚えてます。多分風神録で予定している戦闘で使用するでしょう……今後の活用? 私の頭が手札をすべて覚えていられたらな!

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