阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

29 / 143
ろくろ首の少女は平穏に生きたい

 赤蛮奇は人里で長いこと暮らしてきたろくろ首の妖怪だ。

 それこそ百年以上昔、人と妖怪がいがみ合っていた頃から、人間に紛れて日銭を稼いで日々を生きている。

 あまりに長い期間、容姿が変わらないことを怪しむ輩もいたが――そんな時は姿を隠して場所を変えれば良い。人里は決して広くないが、端から端まで網羅している人がいるほど狭くもない。

 そうして場所を変え、髪型や服装を変えれば人の見分けなどあっという間にわからなくなる。目立たず人に紛れて暮らす蛮奇にとって、それはさほど難しいことではなかった。

 人間たちの中に紛れ日々を穏やかに、時に嵐がやってきても身体を縮めてやり過ごし、人々の営みを横目に生きていく。理解が得られる生き方だとは蛮奇自身も思っていないが、この生き方が蛮奇にとって幸せだった。

 つまるところ、彼女は人間に寄り添いながら生きるのが趣味の妖怪と言える。妖怪の生き方が肌に合わないとすら言っても良い。

 

 ただ、最近はこれが上手く行かない。

 

 人妖の共存が始まり、人里で妖怪の姿が頻繁に見られるようになってから状況が変わった。

 蛮奇は人間の中では見分けのつかないごまかし方ができるが、妖怪相手はそうもいかない。単純に鼻が利く妖怪も多いのだ。

 好ましい状況でないことにため息はつきないが、自分に何ができるわけでもない。どうせ百年、二百年も経てばまた関係も変わるだろう。

 今は自分にとって嵐の期間なのだ。頭を下げて、一層目立たぬようにして生きていくのが賢明というもの。

 

 草の根妖怪ネットワークに顔を出せば多少の情報は得られる。いよいよ人里での暮らしが危うくなったら彼女らを頼って危険のない場所に庵を構えるのも良い。幸いというべきか、長い人里での暮らしが一人で生きていくにも問題ないだけの芸事を蛮奇に与えていた。

 料理、裁縫、大工仕事、染め物に写本、簡単なものなら薬だって作れる。一つの物事に深入りすることこそなかったが、どれも大抵のことは一通りこなせる自信がある。

 

 なので彼女は今現在、人里で暮らしながらもいざという時の備えを怠らず生きてきた。

 勤勉と言うべきだろう。彼女は自分にとっての幸せを極力崩さず、それが叶えられるよう努力もしている。

 だがしかし、忘れてはいけない。

 

 

 

 ――人の如き生活をしているのなら学ぶべきだ。その幸せは儚いものでしかないことを。

 

 

 

「二人だ、空いているか?」

 

 とある食事処。正午もだいぶ過ぎ、人の波も途絶えつつある時の来客だった。

 一人は蛮奇にとって見知った狼女の少女。もう一人は蛮奇が一方的に見知っていて、同時に絶対に近づいちゃいけない人物として頂点に位置する少年。

 およそ人里では取り回せない長刀を背負い、刀を腰に佩いた白髪紅目の新進気鋭な人里の守護者――火継楓が感情の読めない無表情で聞いてくる。

 

「……いらっしゃい。こちらにどうぞ」

 

 蛮奇は襟巻きに隠れている口元を全力で引きつらせて、眼前の相手を席に案内する。

 狼女の少女――影狼は良い。いや人が働いている時に訪ねてくるのは良くないが、今の人里では珍しくもないもの。まだ許容範囲だ。

 だがもう一人がいただけない。聞けばこの少年、外を出歩けば棒に当たるとばかりに妖怪と出くわし、その多くと知り合いになっているらしいではないか。

 こいつと関わり合いになるのは絶対に不味い。蛮奇は自分の直感に従い、近づかないよう暮らしていたというのに影狼が連れてくることになるとは思いもよらなかった。

 

「この店がそうなのか?」

「うん、美味しいお店。ていうか楓の方こそ知らないの?」

「基本、自炊なものでな」

「ふーん、たまには外で食べても良いんじゃない? ほら、研究にもなるし」

「外食を否定まではしていない」

 

 蛮奇のことなど気にした様子もなく、話し込む彼らの姿は仲の良い友人同士そのものといった様子だ。

 影狼たちが最近、新しい友人ができたと喜んでいるのを見た覚えはあるが、よもやそれが楓だったとは。

 しかし嘆いたところで現実は変わらない。本音を言えば逃げてしまいたいくらいだが、新しい人里の守護者は千里眼を所持している。変に勘ぐられる可能性を考えると逃げる道もなかった。

 

「……ご注文は?」

「私は焼き鳥定食! 楓は?」

「煮魚定食を頼む」

「かしこまりました、少々お待ち下さい」

「頼んだ」

 

 人を使うのに慣れているというべきか、それとも人に何かを頼む仕草が堂に入っているというべきか、蛮奇にとって楓の態度は育ちの良さを感じさせるものだった。

 影狼も同じ感想を抱いたようで、好奇心で瞳を輝かせながら楓に声をかけてくる。

 

「ねえねえ、楓って家でもそんな感じなの?」

「そんな感じとは」

「偉そうっていうか、人に命令できる立場っていうか」

「……まあ、そう外れてはいない。俺の家は最も強い奴が当主となる決まりでな。女中もそれなりにいるし、人に命令することもある」

「ふぅん、やっぱり楓の家って大きい方なんだ」

「人里の戦力でもあるからな。多少は大きくないと戦力にならん。それに身体を鍛える場所も必要になる」

「他の人も楓みたいに外で稽古したりするの?」

「……どうだろうな。最近は外で鍛錬を積むものもいるとは聞くが、俺から見ても強くなったと明確に言えるものは少ない」

 

 そもそも外に出たっきり戻ってこない輩もいる。外で行方知れずになった以上、どうなったのかはほぼ予想がつくので楓は気にも留めていなかった。

 悪いのは己の力量も測れず無謀なことをした者である。余人がどう思うかはさておき、それが楓と同じ――阿礼狂いであるのなら、弱さは罪でしかないのだ。

 そこまで語らずともある程度察したのだろう。影狼が嫌そうに顔をしかめるのを蛮奇は横目に眺める。さすがに声は潜めているが、食事処で話す内容ではないなとも思いながら。

 

「私から振っておいてあれだけどさ、楓の家ってかなりおかしいよね」

「でなければあんな呼び方されん。だからこそ俺が受け入れられやすいという利点にもつながっているが」

 

 父が火継の家で七十年以上の最強を誇り続けていた影響もある。楓は半人半妖の、どちらにもなれない自分が阿礼狂いの家に生まれたのはある種幸運だとすら思っていた。

 阿礼狂いの精神があれこれと思い悩む余地を削ぎ落とし、人より頑健な肉体があの家で最強を名乗るのに役立っている。

 

「まあ話していて楽しいものではないな。話題を変えよう」

「あ、じゃあさじゃあさ! この前妖怪の山にできたおっきな神社! あれについて聞きたい!」

「なんで俺があれに関わっていると思った」

「楓だし」

「…………まあ構わん」

 

 そうして話し始める二人の姿を見ていて、蛮奇は自分が目当てではないのかと思い始める。

 影狼は単純に美味しい店としてここへ楓を誘い、楓は蛮奇のことなど視野にも入れていない。

 これは自分が自意識過剰だったのかもしれない。最近の環境変化が特に激しいからか、少々過敏になっていたのだろう。

 

 幸い、注文した料理もできたようだ。これを渡してさっさと帰ってもらって、再び自分の日常に埋没するとしよう。外に出歩けば何かに巻き込まれるようなおとぎ話の主人公など、自分は関わり合いになりたくないのだ。

 

「……お待ちどうさま。焼き鳥定食と煮魚定食です」

「あ、ありがとう!」

「いただこう」

「ごゆっくりどうぞ」

 

 嘘である。早く帰ってほしいと心から願っている、と内心で言い添えて去ろうと蛮奇は背中を向ける。

 

「――で、あいつが俺と関わり合いになりたくないという妖怪か?」

「うん。ろくろ首の赤蛮奇。私はばんきっきって呼んでる」

「おいキサマちょっと待て」

 

 自意識過剰でもなんでもなかった。こいつらが疫病神であるという自分の勘は大正解だった、と蛮奇は向けた背中を反転させるのであった。

 

 

 

「私は言ったよな? こいつを極力連れてくるなって。なんで破ってんだ、ん?」

「い、痛い痛い! 頭ぐりぐりしないでぇぇ!?」

 

 食事もそこそこにどっかりと影狼の横に座った蛮奇は、剣呑な顔を隠そうともせず影狼を脇に抱えてその頭を拳でゴリゴリと締め上げる。

 影狼は涙目になっているがやめる様子はない。相当頭に来ているようだ。

 

「……紹介するよう頼んだのは俺だ。影狼は俺の頼みを聞いたに過ぎない。あまり怒らないでくれるか」

「なんであんたが私なんかに興味を示すのさ」

「会いたくないならないでこっちもどんな相手か見極めないといかん。顔も名前もわからない妖怪がずっと昔から人里に紛れていた、では確認も必要になる」

「む……」

「見たところ俺の予想以上に上手く紛れているようだし、下衆の勘繰りだったようだ。今回はこちらが全面的に悪い。謝罪する」

 

 そう言って楓は店の視線を確認し、誰も見ていないのを確かめてから頭を下げる。人を使うことに慣れた側であると思っていた蛮奇にとって、その姿はやや意外に映った。

 

「人里の守護者様がそれで良いのかい? 私みたいな輩に頭を下げるなんて」

「こちらが悪くても頭を下げないほうが問題だ。無用に騒がせてしまったようだし、そこは謝る」

「……で、それじゃああんたは金輪際ここには近づかないのかい?」

「え、それはしないが」

「…………」

「ばんきっき痛い痛い!? 私何もやってないよぉ!?」

 

 今までの話の流れは何だったのか。蛮奇はとりあえず苛立ち混じりに抱えた影狼の頭をぐりぐりする。

 

「なんで」

「いや、ここの飯は美味かったから」

 

 辞めるかこの店、と蛮奇は心に決めた。そして次からは影狼にも居場所を教えないでおこう。

 

「あと一応、俺の名誉のためにも言っておくが、俺は影狼やわかさぎ姫をこっちの事情に巻き込むつもりはない。静かに暮らしたがっている妖怪を俺の都合で引きずり回したりはしない」

「そもそも私が危惧しているのはあんたのその間の悪さを――」

 

 断言しよう。火継楓という少年は自分で思っている以上に間が悪い。歩けば棒に当たるどころではなく、棒が寄ってくるレベルで厄介事を引き寄せるのだ。

 なので蛮奇としてはもう顔を合わせたくない部類だった。話してみたところ道理をわきまえない男ではない様子。ちゃんと話せばわかってもらえるだろう。

 と、思考をまとめて口を開こうとしたときだった。三人の座っていたテーブルに八十一の網目が描かれた盤が白魚のような手で置かれたのは。

 

 

 

「あら、こんなところにいたの。探したわ、楓」

 

 

 

 誰だこんな時にと顔を上げた蛮奇は次いでその顔を蒼白なものに変える。影狼も顔だけ動かして相手を確認すると、全てを諦めたように目から光が消えた。

 それもそのはず。なにせ視線を上げた先にいたのは誰もが恐れる花の妖怪、風見幽香その人だったのだから。

 

 折りたたんだ日傘を片手に、もう片方の手はじゃらじゃらと駒の入った箱を持った幽香は影狼と蛮奇の存在など眼中にも入れず、楓を見る。

 

「……何の用だ」

「つれないわね。指が寂しいから将棋の相手をしてほしいって言ったでしょう? 来なかったから私の方から来たってわけ」

「…………」

 

 蛮奇は楓の顔が筆舌に尽くしがたいそれに変わる様を見て、一抹の同情を抱く。

 彼のめぐり合わせの悪さや奇縁についてはこちらに近寄らないでほしいの一言だが、その被害を最も多く受けるのが誰かと言われれば、それは当人以外にあり得ないのだ。

 この歳で苦労しているんだな、と蛮奇は柄にもない憐憫を覚えながら影狼を抱えてそそくさと距離を取る。

 店内を見渡せば空気が危ないことに気付いたのか、店主含め誰もいなかった。危機感知能力が高くて結構なことである。自分たちも連れて逃げてほしかったが。

 

 幽香は距離をとった二人など気にせず、楓の対面に座って慣れた手付きで盤上に駒を並べていく。

 

「……父上ほどの腕はないぞ、俺は」

「あら、あいつと指したことが?」

「母上が父上にせがんで、その流れで俺も混ぜてもらうことは」

 

 多少は合わせてくれたのだろうが、勝ちを譲る気まではなかったらしくボコボコにやられた思い出しか浮かばない。

 父が亡くなってからは母に頼まれた時ぐらいしか触っていない。実力があるとは言いづらいと考えていた。

 そのことを正直に伝えると、幽香はむしろ愉しそうに笑う。

 紛うことなき嗜虐性の浮かんだその笑顔に、楓は言葉を誤ったことを即座に察するが時既に遅し。

 

「へえ、じゃあ、つまり――あなたを甚振るならこれが一番手っ取り早いってこと」

「…………」

「冗談よ。勝負である以上勝ち負けがあるのは当然だけれど、これで命のやり取りをしようってわけじゃないわ。あくまで遊戯は遊戯。そこに生き死にを持ち込むなんて無粋よ」

「では純粋に遊びに来ただけと」

「それ以外の何かに聞こえて?」

「俺以外の人のところに行ってくれないか?」

「お断りね。ああ、そこの妖怪さん」

 

 澄ました表情で幽香は将棋の準備を整えると、ソロソロと逃げようとしていた蛮奇と影狼に声をかける。

 

「は、はいぃぃ!?」

「そんなに怖がらなくてもいいわ。私の領域でもないところで暴れるつもりはないもの」

 

 自分の領域なら暴れるつもりだったのか、と蛮奇らの表情が真顔になる。

 

「ここ、料理屋でしょう? お金なら楓に払わせるから、何か甘いものでも作って頂戴な」

「いや私らにそんなこと――」

「無理とは言わせないわよ? 特にそこの赤髪のろくろ首、あなたがこの店で働いているのはわかっている」

「……かしこまりました」

 

 やっぱりこいつは疫病神に違いない、と心の底から思った蛮奇は恨みのこもった視線で楓を睨んでから、渋々調理場へ行くのであった。

 

 

 

「さて、出来上がりを待つのも退屈だし始めましょうか」

「……わかったよ」

 

 幽香の先攻となり、淀みない手付きで駒が動かされる。

 対し楓の手付きにも迷いはない。序盤はある程度形が決まっているため、どちらの指し方にもさほど変化がない。

 パチ、パチ、と駒を動かす音が静かな空間で妙に大きく聞こえてくる。

 

「――そういえば」

 

 指し手の速度は変わらないまま、不意に幽香が口を開く。楓も指の動きは変えぬまま返答する。

 

「どうした」

「最近はどうしていたの。私が来い、と言ったら大抵の妖怪は私を最優先にするけれど」

「妖怪の山に神社が幻想入りしたのは?」

「花が教えてくれたわ。非常識な輩もいたものね」

「お前が常識を語るのか……」

「あら、何かおかしなところでも?」

 

 面白そうに微笑み、同時に幽香の指した駒が楓にとって置いてほしくない箇所に置かれる。

 

「む……」

「こちらでは一日の長があるかしら。ああ、もちろん待ったはなしよ」

「わかっている」

 

 顔をしかめる楓を見て、それはそれは心から愉しそうに笑う幽香。

 料理を作ることもなく、さりとて逃げることも敵わないので彼女らのやり取りを見ていた影狼はこの人性格悪いな、とぼんやり思う。

 

 楓は口や表情では厳しい顔を作っているものの、思考そのものは冷静なまま彼我の状況を見極めていた。

 

(確かこの女は父上によく将棋の勝負を挑んでいた。様子を見る限り勝てていたようではないが、今の自分より上手い。これは――)

 

 一箇所の攻防で勝ち目はない。ならば別の方向からのアプローチを試す以外に勝利の道はなかった。

 

「…………」

「あらあら、それは苦し紛れと変わらないわ。王手まであと十手を切ったわね」

「詰みではない。あと――勝負事で負けるのは嫌いなんだ」

 

 幽香の意識の外。盤上において警戒の薄い箇所を狙う。正攻法で勝てないのであれば、搦手を使う。

 予想外の箇所を狙われたことに驚いたのか、幽香の指が僅かに揺れる。

 眉は不快げにしかめられ、口元が歪むが同時にまとう気配に本気のそれが混ざる。

 

 一方的に甚振れない相手だとわかったので、それは嗜虐趣味を持つ彼女にとって面白くない。面白くないが――これでこそだとどこか安堵している自分がいることを幽香は自覚していた。

 

「……ふ、ふふっ、やっぱりあんたたち親子はそうでなくちゃ。この私の思い通りにならない不愉快さがどうしようもなく愉快に思えてしまう」

「いい迷惑なんだが」

「私は楽しいから問題ないわ」

 

 妖怪はろくでなしばかりである。楓は大仰にため息を吐き、かつて父が被った迷惑を自分も被っているという事実に頭痛を覚えてしまう。

 そうして一進一退の攻防に引き戻した盤上で指し手同士の知恵比べを行っていると、またも幽香が口を開く。

 

「――あいつと指していた時はこんな風に思わなかったわ」

「…………」

「楽しいなんて思わなかった。この私が童女みたいに翻弄されるのが只々悔しくて不愉快で、でも力任せに薙ぎ払うこともできなくて。過去を振り返っても思い出せるのは苛立ちと怒りばかり」

「……それは思い出したくもない思い出か?」

「いいえ。不愉快で、悔しくて、腹立たしいけど――嫌いではなかった。あいつと将棋を指すことばかりを考えていた時期もあった」

「ならきっとそれは――」

 

 楓はそこで言葉を切る。幽香が父に抱いていた感情は大体察しがついたが、それを口にして良いのか迷ったのだ。

 そしてその判断は正解だったようで、幽香が遮るように掌を楓に向けた。

 

「そこから先は言わないで。私にもわかっている。わかっているけれど――言葉にしたくないだけ」

「……ならばこれ以上は何も言うまい」

 

 そういって楓と幽香は再び将棋に戻ろうとしたところで、二人の横にコトリと小さなお皿が二つ置かれる。

 

「……金つばだ。衣は厚めにしたから手に付きにくい」

「気が利くわね。そういうのは嫌いじゃないわ」

 

 幽香は早速手を伸ばし、金つばを一つ摘むと優雅な手付きで口に運ぶ。

 程よく抑えられた小豆の甘さが口いっぱいに広がる。一個ではやや物足りないと思わせる甘さだが、だからこそそれぞれのお皿には二つずつ金つばが置かれていた。

 

「俺にも良いのか?」

「お前だけないのも不公平だと思っただけ。それにそっちは巻き込まれているだけだ。お前が悪いわけじゃない」

 

 楓の顔が無表情ながら、どこか感動した様子に見えるのは蛮奇の気のせいだと思いたかった。言葉選びを盛大に間違えてしまったかもしれない。

 蛮奇は襟巻きに隠した口元を引きつらせ、お盆を抱えて下がろうとすると再び後ろに気配を感じ取る。

 誰だと思って振り返ると、蛮奇よりもやや小柄な少女が口元を悔悟棒で隠して立っていた。

 

「先程泡を食ったように走ってきた町人より、この店で妖怪が集まっていると聞きつけて来たのですが……なるほど、これは確かに驚きの光景だ」

「え、えっと……?」

「ふむ、ろくろ首ですか。しかしあなたは少々妖怪の本分を思い出すべきだ。人を襲い、人に退治される。形を多少変えはすれど、この法則に変わりはありません」

 

 うわ面倒な輩が増えた、と察した蛮奇は遠い目になる。この少女が誰かはわからないが、限度があるだろうと。

 

「狼女に花の妖怪に、半人半妖の阿礼狂い。千客万来とはこのことですね。風見幽香」

「……閻魔大王がこんな寂れた店に何の用よ」

「寂れさせたのはあなたでしょうに。むやみやたらに威圧を振りまいて歩くのは感心しませんよ。大妖怪たらんとしているのはわかりますが、その威圧と人里は合わない」

「どうしろっていうのよ」

「折り合いを覚えろと言っているのです。あなたの力量は誰もが認めるものであり、気位もそれに準ずるものがある。……そもそも、彼が絡まない限りあなたは穏やかに花屋の娘と談笑しているではないですか」

 

 幽香の剣呑な視線にも全くひるまない閻魔の言葉に幽香は嫌そうに顔を振る。どうやらこの少女が嫌がられているのは蛮奇も幽香も変わらないらしい。

 

「わかった、わかったわよ。ちょっとこいつにちょっかいかけたかっただけ。次は振る舞いを変えるわ」

「そうしてください。さて、火継楓」

「……何か?」

 

 え、自分にも来るの? という心境の楓だったが、表情には出さず映姫の言葉を待つ。

 

「昨今の騒動、私も耳に挟んでおります。そしてそのどれもにあなたが関わっているとも」

「……関わりたくて関わったわけではないが」

「時流の中心に立っている自覚は持つべきです。巻き込まれている事態に対処することも大いに結構ですが、それだけではただ受け身なだけで終わります。己の意思を貫き通すならば、最初が巻き込まれたものであっても全て掌握するぐらいの覚悟が必要です」

「……わかっている」

 

 かつてそれをやってのけた人を楓は知っているのだから。

 楓は映姫の言葉にうなずくと、指に挟んでいた駒を狙っていた箇所に置く。

 

「――王手」

「あっ……!」

 

 意識の外。幽香としのぎを削るように見せかけて虎視眈々と狙っていた隙を突いた。

 

「……な、なかなかやるわね」

「褒め言葉と受け取ろう。俺の将棋も捨てたものではなさそうだ」

 

 これで詰みというわけではないが、一矢報いることはできた。

 幽香のどこか余裕を感じさせた態度が消えたのを見て、楓は少しだけ口角を釣り上げる。

 

「おや、将棋ですか。それも見たところ伯仲している様子。花の妖怪が将棋を嗜むとは意外ですね」

「何よ、悪い?」

「善悪は言っておりませんよ。あなたにそういったことをやる相手がいたことが意外……失礼、失言でした」

「喧嘩売ってるなら買うわよ!?」

「やるなら人里の外でやってくれ」

 

 楓はうんざりした顔で二人を諭す。幽香と映姫が本気でぶつかり合った場合の被害など考えたくもない。

 ワイワイと騒がしい幽香と映姫を相手にしていると、ふと影狼が楓の後ろに立っていた。

 

「……逃げるなら今のうちだぞ?」

「ううん、なんかもう良いやってなった。二人とも私なんかと比べることすらできないすごい存在なんだろうけどさ」

「なぜ?」

「……人なんだなあって思ったんだ。ばんきっきや私と同じで好きなものや嫌いなものがあって、こうして話すこともできる存在なんだって」

「…………」

「あ、もちろん危ないのには近づかないよ? あの二人だって私一人だったらひっくり返っちゃうもん」

「……何が言いたいんだ?」

「楓がいるときだったら、もっと大勢と交流するようにしても良いのかなって思った。ダメならダメでもとに戻るだけだし」

 

 楓の前でぎゃーぎゃーと騒ぐ大妖怪二人という構図を見て、影狼には思うところがあったようだ。あまり褒められている気がしない。

 しかし影狼はその気付きが嬉しいものであったらしく、しっぽをブンブンと振りながら機嫌良さそうに楓の肩に手を置いていた。

 影狼の機嫌の良い理由まではわからなかった楓が首を傾げていると、映姫の分のお菓子まで作った蛮奇もやってくる。

 

「ったく、お前のめぐり合わせを甘く見ていたよ」

「俺も甘く思っていた」

「だろうな。……正直、お前にはここに来てほしくない」

「……まあ、そうだな」

 

 店の迷惑にしかなっていないと言われたら返す言葉もない。

 この場を収めたら金輪際、この店には来ないと楓が言う前に蛮奇が口を開く。

 

「……時折」

「え?」

「時々、私はここで厨房を任されることもある。その時ならまあ、多少は許容するよ」

「……自分で言うのもあれだが、さんざん迷惑かけたと思う」

「いい迷惑だよ。けど、お前はちゃんと事態を収拾しようとしている。この場からお前だけなら逃げる方法だってあるんだろう?」

「…………」

 

 否定しないのが何よりの肯定だった。影狼と仲良くなっていて錯覚しかけたが、この少年はすでに大妖怪とも正面から戦える力量を持っているのだ。蛮奇や影狼の安全を度外視すれば逃げることなど容易いはず。

 それをせず、ちゃんと幽香らに付き合ってやっているのだ。懐に入れる、とまではいかなくても多少は甘くしてやっても良いかもしれない。

 

 ……まあ、彼の間の悪さに一周回って同情を抱いてしまったというのも理由にあるのだが、それは告げると楓も落ち込みそうなので黙っておく。

 

「ほら、お代わり。お前が頑張る限り、私も多少なら目を瞑ってやる」

「……感謝する」

 

 蛮奇の言葉にうなずき、楓は幽香の方へ向き直った。

 

「――さあ、勝負を決めるぞ。いつまでも閻魔と話していないで俺を見たらどうだ」

「……へえ、言うようになったじゃない。自分が不利だってわかっていて言うの?」

「不利だから諦めて良い、なんて教わってないものでね」

「言葉で勝負は決まりませんよ。私も少し興味が出ましたので見守りましょう。ああ、金つばごちそうさまです。美味しいです」

 

 三人の視線が将棋盤に向かうのを見て、影狼と蛮奇は顔を寄せ合った。

 

「ものすごい強い連中が将棋盤囲んでる……」

「ある意味すさまじい光景だな……」

 

 もっと超然としているのかと思いきや、そうでもない。ただの人かと思いきや、これで指先一つで人里を吹っ飛ばせる力量を持っている。

 全くもって幻想郷とは複雑怪奇かつ、退屈させない。二人は仕方がないと困ったように笑い、彼女らの勝負が終わるのを待つのであった。

 

 

 

 

 

「……む、千日手か」

「そのようね。これは仕切り直しかしら」

「いえ、ダメです。勝負をするのであれば白黒決めるまで行うべきです。続行してください」

「一番面倒なのはこいつか……!」

 

 ……このような一幕もあったらしいが、その日のうちに勝負は決まって解散となったので些細なことだろう。




※このお店は今後面倒なことに巻き込まれます(確定)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。