白玉楼の庭師兼剣術指南役、魂魄妖夢は悩みを覚えていた。
「うーん……」
日々の業務である白玉楼の庭を整えながら、長いうなり声をあげて妖夢は己を悩ませる要因に思いを馳せる。
「最近、負け続きなのよね……」
考えることは他でもない。自分と同じく剣術を使用し、ちょくちょく一緒に稽古をする間柄の少年――火継楓との稽古についてである。
ほんの少し前までは伯仲していたはずの勝負なのだが、いつの間にか負け続きになってしまっている。
原因には理解が及んでいる。最近連続していた異変でそのどれもに彼は関わっていた。詳細な内容まで知っているわけではないが、おそらく戦闘もこなしているだろう。
前々から年齢に見合わない熟達した剣技を振るっていたが、それに実戦経験も付与されて手がつけられない領域に至りつつある。
純粋な剣術ではもう彼に勝てないかもしれない、と弱気になりそうな心に活を入れて妖夢は顔を上げる。
「……よし! 私も新しい修行を試してみよう!!」
自分より強い相手がいる。――結構なことではないか。競う相手が誰もいない頂きに何の意味があるのか。
未熟の身であることは自分が一番良くわかっている。わかっているからこそ、昨日より更に一歩、今日より更に一歩踏み出せることを願って走り続けるのだ。
決心を固めた妖夢は凄まじい速度で庭の剪定を終えると、愛用の楼観剣と白楼剣を携えて幽々子の座す部屋に向かった。
「幽々子様! 私ちょっとでかけてきますね!!」
部屋に飛び込んだ妖夢の目に入ってきたのは、何やら楽しそうな表情で便箋にさらさらと手紙をしたためている幽々子の姿だった。
幽々子は妖夢が入ってきたことに気づくと、便箋を丁寧に折りたたんで妖夢に渡す。
「ああ、ちょうどよかった。手紙も届けてもらえるかしら?」
「手紙、ですか? 誰宛です?」
「あなたもよく知る人物よ。当ててご覧なさいな」
「紫さまではないのです?」
「普段、彼女がどこにいるかなんて私にもわからないわよ。そんな彼女に手紙を渡してこいなんて無体を言うつもりはないわ。ちゃんと地上に定住してます」
そう言われて妖夢もちゃんと考え始める。何かにつけては考える癖を付けた方が良いと最近、学んだのだ。
(まず、幽々子様と交流のある人はハッキリ言って少ない。私、紫さまとその式の藍さま、映姫さま、霊夢に魔理沙。普段、白玉楼からほとんど動かない幽々子様を訪ねに来る人は数えるくらい)
さて、この中で文通をするような相手は誰がいるだろうか。
紫と霊夢、魔理沙は真っ先に除外する。紫は幽々子が直々に否定したし、霊夢と魔理沙はそんな面倒なことをするぐらいなら直接顔を見に来る性格だ。
……実のところ霊夢も魔理沙も普段の言動に反して非常に高い教養を持っているため、文通したいと相手が言い出せば対応する度量は持っているのだが、妖夢はそれを知らなかった。
「うーん……映姫さま、とか?」
「あの人、文通なんてやる柔らかい人に見えるかしら?」
「最近では人里で辻説法をよくやっているそうですよ。人気は全くありませんけど」
「それはそうよ。あの人のお話は私も苦手だわぁ」
堅苦しい言い回しだけならまだしも、説法というだけあって非常に説教臭い上にいちいち痛い場所を突いてくる。
受けた指摘をちゃんと受け止められる素直な人物か、あるいは彼女をして非の打ち所がないくらいに品行方正な生活をしているか。どちらかの条件が満たせない限り、彼女の言葉は耳に痛いものになるだろう。
「では一体だれに?」
「殿方よ。最近、懇意にしているの」
「……ああ、楓のことですか。殿方なんて言うから少し驚きましたよ」
「あら、驚かないの?」
「最近ならそれぐらいしかいないかな、と。楓のところに行く用事でもありますから、届けてきますね」
「お願い」
幽々子から便箋を受け取ると、次いで浮かんできた疑問に妖夢は首を傾げた。
「でも、なんで文通を? 彼は訪ねていけば普通に会ってくれますよ」
「もちろん、会える時は顔を合わせるようにしているわ。ただ、お互いに多忙の身だから、こうして文字での対話も大事なの」
「ふぅむ……」
楓は訪ねると大体会えるため錯覚しがちだが、あれで非常に多忙な生活を送っている。
御阿礼の子の側仕えに始まり人里の守護者として多種多様な会合に顔を出し、なおかつ異変を通じて知り合った妖怪たちとの交流も深め、その上で自分の鍛錬も怠っている様子がない。
どんな時間の使い方をしているのだろう、と時間を操る瀟洒なメイドですら首を傾げていた。
「幽々子様もこれでお忙しいですからね」
「これで、という言葉の意味が気になるところではあるけれど、そうなの。だからお願いね」
「わかりました。じゃあ行ってきます」
そうして妖夢は人里の外れにある火継の屋敷までやってくると、楓を直接呼ぶことにした。
大抵は稗田の屋敷にいるのだが、今回は妖夢の目的がこちらの家にあったのでこちらから訪ねたのだが、運良く楓に会うこともできた。
応接間で正座して待っていると、当主である楓が姿を見せる。普段、御阿礼の子の側仕えとして仕事をしている時の簡素な服ではなく、どことなく豪奢な装いであるため公人としての姿であることが伺えた。
「こちらに来るとは珍しいな。何か用が?」
「私の用もありますが、まずはこちらを。幽々子様からです」
幽々子から預かった便箋を楓に渡すと、楓は中を確認して微妙な顔になる。
「あれ、何か書いてあったんです?」
「……文通だと返すのが大変だと思っただけだ。あの人の文は格式張って情緒的に過ぎる」
美しい文章、というのがあればこれを指すのだろう。ただ、読むにも返すにも相応の学識が求められるのが欠点だ。
他者への報告や命令を文にしたためたことはあれど、単純な手紙のやり取りなど初めてだった楓にとってはやや厳しい要求だった。
「いや、すまない。お前に話す愚痴ではなかった。相手の好意なんだからこっちもちゃんと返すのが礼儀だな。それでそちらの用件は?」
「はい、それなんですが――楓がやっていた稽古内容を私に教えていただけませんか?」
「うん?」
首をかしげる楓に妖夢は考えていたことを話していく。
ここ最近、楓との稽古で負け続けていること。さりとて絶不調――スランプのようなものを感じるでもなく、順調に腕を上げている自覚はあるということ。
「つまり――成長速度で負けている。成長速度で負けているということはすなわち、鍛錬の密度が違う」
「道理ではあるな。だから俺の稽古内容を知って、密度を上げたいと」
「そういうことです。一人で素振りするなら、相手がいた方が良い。基礎を固め終わったのなら、実戦の方が良い。圧勝する実戦より、負ける可能性の方が高い修羅場の方が成長の糧になる」
「…………」
妖夢の言に楓は微妙そうな顔になって、眉間のシワを揉みほぐす。強くなれているのは確かなので文句があるわけではないが、別に好き好んで命がけの修羅場に足を突っ込んでいるわけではない。
「……色々言いたいことはあるが、素振りより実戦の方が良いというのは同意しよう。そこまで言うなら俺の稽古を紹介する」
「本当ですか!」
「稽古相手が増えるのは良いことだからな」
中庭で待っていてくれ、と言って楓は立ち上がり部屋を出ていく。
それを受けた妖夢は素直に中庭へ向かうと、いそいそと楼観剣を用意して楓を待つ。
待つこと数分。楓が戻ってきた時、彼は一人の少女を連れていた。
頭頂部に狼の耳を持ち、手に大きな太刀を携えた少女が妖夢の前に立つ。
妖夢は腰を低く落としていつでも動ける姿勢になる。こうして目の前に立ってもらっただけでわかった。
そして妖夢にとっては忘れるはずもない。かつて春を集める異変を起こしていた時に、九死に一生を与えてくれた大恩ある人物だ。
「春雪異変の折はありがとうございました。あの男と縁のある人物だとは思っていましたが、こちらで会えるとは」
「ああ、あの時の……楓から聞いているわ。こうして会えなかったのは運が良いのか悪いのか」
「彼は亡くなり、あなたの見目も私は後ろ姿しか記憶に残っていなかった。感謝を言おうにもなかなか会えず、申し訳ありません」
「気にしないでいいわ。私の成すべきことをやっただけだから。さて――」
少女はそこで話を切ると、身にまとっていた気配を戦闘用のそれに変える。
かつて、威圧を浴びただけで戦意を喪失してしまった相手とは違う。しかし、肌がピリピリと粟立つような感覚を与えてくる。
(この人、強い……!)
弾幕ごっこや妖怪としての格を言っているのではない。ただ純粋に、その佇まいからだけでも察せられる隙のなさが彼女の剣士としての力量を物語っている。
楓もそんな少女の隣に立つと、紹介するように手を少女の方へ向けた。
「かつては父上に教わっていたが、父上が亡くなられてからはこちらの方に剣術を教えてもらっていた」
おお、と妖夢は喜びの驚きを表す。これはかなり期待が持てそうだ。
「教える、なんて大層なものではないわ。ただ、私の方があの人と剣を交えた回数が多かったから、その分だけ先に進めていただけ」
「それはわかりました。この人は?」
楓の父の知り合いだとは思っていたが、この家自体に縁を持つ人物だとは考えていなかった。なにせ妖怪だ。彼の個人的な友人程度だと思っていたのだ。
「うむ、俺の母上だ」
「犬走椛です。いつも息子がお世話になってます」
「あ、こちらこそいつもお世話に――えええええぇぇぇぇ!?」
白狼天狗の少女――なんと火継楓の母親である犬走椛に当然のように挨拶され、流れで挨拶しそうになり妖夢は仰天の声を上げる。
あの冷酷無慈悲が形になったような男に妻がいたのか。いや、楓が父上と呼んでいるのだからいなければおかしいのだが。
「え、え、えぇ!? は、母親!?」
「木の股から生まれるわけでもないんだ。母親がいるのは当然では?」
「い、いやでも剣の師匠って!?」
「それも間違いじゃない。ついこの前まで俺はこの人に勝てずにいた」
「今じゃもう私がボコボコにされる側だけどね」
困ったように笑う椛の顔を見て、ようやく妖夢の理解も追いついてくる。
半人半妖の少年で人間の父親なのだから、母親が妖怪であるのが当然だ。
しかしこうして並んでみるとほとんど見た目の年代に差を感じられない。兄妹と言っても通ってしまうくらいだ。
「さて、楓から話は聞いているわ。妖夢ちゃん、で良いかしら」
「あ、はい。本日はよろしくおねがいします」
「かしこまらなくても良いわ。今日は楓の母親ではなく、楓の師匠として接してほしいって言われたから」
そう言って、椛は大太刀と盾を構えた。
妖夢の意識はそれだけで戦闘のそれに引き戻され、総身に気迫がみなぎる。
「――」
「うん、良い気迫。私が言うのもおこがましいかもだけど、あなたは素晴らしい剣士ね」
「いえ、未熟も未熟。強くなったなどと言えるものではありません」
「指南するなんて大上段に言えるわけもなし。――どこからでもかかってきなさい。互いの剣を見て、腕を磨き合いましょう」
「お言葉に甘えて――いざ!!」
土を蹴り、一息に踏み込んで楼観剣を振るう。
それは読まれていたようで半歩後ろに下がるだけで避けられてしまうが、そこから妖夢の猛攻が始まっていく。
「てえええええぇぇ!!」
妖夢の身の丈にはやや大きく見える楼観剣を無尽に振るい、椛の剣を弾き飛ばさんと前に進む。
「はっ!!」
しかし相手もさるもの。妖夢の猛攻を時に剣で払い、時に盾で受け流し、合間合間に妖夢が放つ体術も全てが見切られ回避してしまう。
(なんて守りの堅さ! 鉄壁の守護とはこのことか!! これはある意味――)
楓を凌ぐかもしれない。そう錯覚してしまうほど、相手を押している感覚がまるでなかった。
内心で舌を巻き、同時に剣を握る手に力がこもる。これほどの相手に挑めている幸運、喜ばずして何を喜ぶ。
「――そこ!」
だが、それは一面で言えば余計な力が入ったとも言い換えられた。
雲間を縫うような緻密な剣閃。決して早くもなく、決して力強くもないが、とにかく正確無比。
妖夢の反応できない場所、反応できない瞬間を狙いすまして放たれた椛の斬撃は妖夢の目から見ても、まるで吸い込まれるようだと思うほど。
「あ……」
一瞬の甲高い音と同時、妖夢の手から楼観剣が弾き飛ばされる。
呆けた顔をした妖夢の首元に大太刀が当てられ、身動きも取れない。詰みだった。
「……参りました」
「はい、ありがとうございました」
「そう気落ちしないでも良いぞ。剣術勝負の土俵で母上相手に初見で勝つのは難しい」
「そんな持ち上げても何も出ないわよ?」
照れた椛の言葉を、楓はハッキリと首を横に振って否定する。
「母上を相手にする場合、大抵の存在は白狼天狗
いくらかの実戦を経て、読みの精度で勝てるようになった今は椛の守勢を突破できるが、あの実戦がなかったら今でも突破できていたか怪しい。
当人は今でも自分はしがない白狼天狗とうそぶいているものの、白兵戦で戦ったら天魔が相手でもそれなりの時間稼ぎができると楓は睨んでいた。
「戦ってわかったと思うが、母上の剣は守りの剣だ。相手の攻撃を粘り強く防ぎ続け、焦れて生まれる隙を突く。見えたかはわからんが、面白いように剣が飛ばされただろう?」
「はい」
悔しいとすら思わない一撃だった。ああも見事に自分を打ち負かしたのなら仕方がないと受け入れすらできるほどの。
たとえあの瞬間、そのまま自分の首が落とされたとしても何の後悔も抱かなかっただろう。それほどに見事な負け方だった。
「あれは俺が負ける時の流れだ。攻めても攻めても崩しきれず、腕や肩に力が入ったところを突かれてあっさり負ける」
「はい。自分の剣を弾く刃がひどくゆっくり見えました」
「ちなみに相手がこっちの攻撃の隙を突くならこっちも守りで、なんて考えても無駄だ。要するに焦れて余計な力の入った瞬間を突かれるんだ。攻撃してようがしてまいが関係ない」
母の強みは同じ集中を維持できるところにあると楓は考えていた。もとより父の剣を最も多く受けたのは母である。おそらく、今の己以上の精度で殺しにかかる刃を数え切れないほどその身で受けたはずだ。
その経験が彼女を今の高みに押し上げている。本人の自覚が今でもないのが難点でもあるが。
「ではどうやって勝てば良いんです?」
「考えろ……と言っても良いが、どうせ同じ結論に至るだろうから先に言っておく。――攻め続けろ。攻めて攻めて攻めて、母上の守りを突破するんだ」
「それ、言うは易く行うは難しってやつですよね……」
「剣以外でなら他にいくらでもあるが、剣のみならこれしか勝ち筋はないぞ」
「私が根負けするまで隙を見せないっていうのもあるわよ?」
「非現実的というか、それで勝っても戦術的には母上の勝利でしょう……」
そのやり方で戦った場合、決着がつくまでに下手すると二時間以上かかる。仮に人里を攻め落とさんとする勢力がいたとしても、それだけの時間を稼ぐことができればいくらでも対処はできる。
「とまあ、俺が剣術の稽古相手を頼んでいたのはこの人だ。参考になったか」
「とっても! あの、これからもよろしければ……」
「もちろん。私としても剣を競える相手は貴重だし、楓はもう可愛げがないからね」
妖夢のお願いに椛は快諾し、引き合いに出された楓は困っているようにも見える曖昧な笑みを浮かべた。
「では定期的に妖夢との稽古もお願いします。じゃあ次行くか」
「え?」
「俺の稽古が知りたいんだろう? 別に母上との組手だけではないぞ」
そう言って楓はスタスタと先に歩き始めてしまう。
妖夢が慌てて追いかけようとすると、後ろから椛の声が届いた。
「ああ、妖夢ちゃん。あの子は良い子かしら?」
「……? はい、誰に対しても思いやりがあって、対等にちゃんと見てくれる優しい人です」
「そう。――いつか、その評価が覆る時が来るかもしれないけれど、それでもあの子と付き合ってくれると嬉しいわ」
深々と頭を下げる椛に、妖夢は今ひとつ言葉の意味がわからないままうなずく。
たとえ彼にどんな一面があっても、別に今までの態度が全てウソとはならないだろう。そう思っての首肯であり、それらを椛に伝えたが椛はどこか哀しげな笑みを浮かべるばかり。
ただ、それについて深く考えるには時間がいささか足らず、妖夢もまた楓を追いかけて歩き始める。
「いけない、そろそろ行かないと……。あの、今日はありがとうございました!」
「ええ、またね」
何故か物悲しさを覚える椛の笑顔を背に、妖夢は楓の後を追いかけて火継の家を出るのであった。
――この後、椛の言葉が嫌というほど正しかったのだと思い知るのにさほど時間はかからなかった。
「次はどんな人です?」
「今度のは剣術の相手、というわけではない。俺が強くなったと実感できる戦いをした妖怪は何人かいるが、どれも紹介するのが少し難しい」
「厄介な人とか?」
「色々とな……」
率直に言って面倒くさい人だ、とは言えなかった。そもそも幽香や天魔を紹介しても彼女らは力を振るいたがらないだろう。
幽香は楓に何かを見出し、天魔は楓を次代の天魔として育てる気満々なのだ。他人を紹介しても意味がない。
「迷いの竹林に住んでいる人でな。俺の初陣の相手でもある」
「へえ、強かったんです?」
「とにかく手札の多い人だった。何かと応用の効く炎の妖術を主体に札を使った陰陽術、棒手裏剣。剣しか使えなかった自分には辛い相手だった」
炎の妖術を身に着け、天狗の術も覚えた今なら勝つこともできるだろうが、あの時にはそれも使えなかった。
「どうやって勝ったんです?」
「相手の使う術を読み取って真似して、後は殺す気で戦った」
一応、最初は無傷での無力化を目指していたのだ。無理だったので殺すことも視野に入れて戦い、勝利した。言葉にしてしまえばそれだけのことである。
そんなことを話しながら竹林の中を楓の案内で進む。妖夢には同じ景色が続いているようにしか見えなかったが、楓の足に迷いはなかった。
「この辺りは慣れているんです?」
「さっき話した知り合いに会うためにな。割と頻繁に通っている」
「……もしかして特別な仲とか?」
「他と違う、という意味では特別であると言える。……待て待て、そんな顔をするようなものではないぞ」
色恋のあれこれだろうか、と妖夢は顔を輝かせた。少女なのだからその手の話が大好きなのは万国共通である。
しかしそれは楓の言葉で否定されてしまう。楓は呆れた顔で前を見て、説明を始める。
「特異な体質のせいか、私生活がズボラどころじゃなくてな……衣食住全ての世話をしている」
「どんな感じに?」
「廃屋で飯も食わない生活を送っていた。それでも生きていけるのがタチが悪いというか……」
「それって人なんです?」
「……当人の口から聞いてくれ。着いたぞ」
そう言って楓が指差したのは、竹林の中では不自然に浮いている真新しい木造の家だった。
「あれ、廃屋は?」
「俺が家を建てた時に燃やした。残しておくとそっちに戻りそうだったからな」
その時はかなり怒られたが、楓の指摘を特に否定もしなかったので間違った行動はしていないと今でも思っている。
「さて、今日は起きているか……」
「あ、ちょっと!?」
楓は妖夢の制止を聞くことなくズカズカと家の中に入っていく。親しき仲にも礼儀ありという言葉はあるが、竹林に住む少女には適用されないらしい。
妖夢は仕方なしに楓の背中を追いかけて家に入る。家の中にある家具はどれも新品同然なのが目につく。使われた形跡すら感じられなかった。
キョロキョロと辺りを見回す妖夢とは別に楓は寝室と思しき部屋に乗り込み、呆れたようなため息をこぼす。
「また壁を背にして眠って……おい、起きろ!」
「痛っ!? こら、楓! 私を蹴って起こすなと何度言えばわかるの!」
「ちゃんと布団で寝てくれと何度言えばわかるんだ……」
寝室の方から年若い少女の声と楓の呆れきった声が混ざっていた。
妖夢が遅れて部屋の中に入ると、壁際に座り込む少女が非難の眼差しで楓を見ている。
「私はこれで良いって何回も言ってるでしょ!?」
「人として問題があると何度も言っている。添い寝がいるか、ん?」
「どうしてそこまで面倒見ようとするのよ!?」
「毒を食らわば皿までという諺があるだろう。それだ」
「私は毒なの!?」
楓にとっての特別、という意味が何となくわかる言葉のやり取りだった。
人付き合いの幅は広く、誰にでも優しい楓だが一線を引いていると感じることはある。
親しき仲にも礼儀ありという諺があるように、一線を引いているから友人になれないというわけでもない。何もかもさらけ出さなければ真の友情はないと無邪気なことを言うつもりもない。
しかし彼女に対してはそれがない。遠慮や思いやりを彼方に放り投げた対応をしている。彼がこんな雑な対応をする人物、妖夢は他に霊夢ぐらいしか知らなかった。
少女は言い返すのも面倒だとため息を吐き、次いで妖夢の方を見る。
「……で、この子はどちらさま?」
「ああ、紹介するから客間に移動しよう。茶をくれ」
「来たのはそっちなんだからあなたが用意して」
「わかったわかった」
客間に移動して楓の用意したお茶をすすりながら、三人は自己紹介をする。
妖夢が事情を話し、楓が補足をして少女――妹紅はお茶を飲んで困った顔になる。
「強くなる方法が知りたいって……さっき話していた楓のお母さんじゃダメなの?」
「確かにあの人は素晴らしい剣士でした。一緒に稽古すれば私はさらなる高みに到れるでしょう。……でもそれでは遅いのです」
「遅い?」
「楓の成長速度に追いつくには、もっと密度を上げなければ追いつけない」
「こう言ってるけど楓はどうなの?」
「稽古相手が増えるのは良いことだし、高みを目指す姿勢は見習うべきだと思っている」
妹紅の質問に迷うことなく答えた楓だが、妹紅はそうではないと言いたげな顔になる。
「いや、無理して潰れちゃったらどうするのよ。私が言うのもあれだけど、あなたの稽古って一歩間違ったら自分も相手も死ぬようなやつよね?」
「そうだが」
「それで死んだらどうするのよ……命は一個しかないのよ?」
「その程度の器だったというだけだろう?」
別になんてことはない、という顔でとんでもないことを言っていた。
しかもそう語る楓の表情は冗談じみたものじゃないどころか、常と全く変わらない表情だった。心からそう信じていなければ出ない言葉だと妖夢にも確信できるほど。
「うん、やっぱりあなたに稽古で相談するということ自体が間違いだと思うわ」
「私もそんな気がしてきました」
ちゃんと本人なりに頼み事を誠実にこなそうとしているだけだと思うが、どこかで致命的なボタンの掛け違いが起こる気がしてならない。
「失礼な」
「いや、これは私が正しいと思う。で、妖夢ちゃんだっけ?」
「あ、はい」
「あなたは最終的にどんな強さを求めているの?」
「どんな強さ、ですか?」
「これが定まっているのといないのでは大きく違うわ。その道の頂点を目指すでも、ただ単に誰かに負けるのが心底我慢ならないでも、何でも良いけど」
「私、は……」
妖夢は即答できなかった。主を守るため、と言い切れればよかったのだが、あいにくと妖夢の主は妖夢より強いのだ。
「楓はどう?」
「――阿求様のため以外に俺が力を求めるものか。俺が父上を超えることに執着するのは、あの人が今なお最強の火継に君臨しているからだ」
修羅場をくぐり抜け、相応に成長した今でもなお背中が見えないでいる。
しかし単純明快なのは強い。楓は主を守るために力を求めており、そのためならば幻想郷全てを敵に回す覚悟も持っている。
故に迷うことがない。打倒すべき相手がどれほど強大であっても、単純な力だけで解決できない問題があっても、楓は迷うことなくできることを積み重ねていく。
「――とまあ、目標の有無は大事って話。楓はこういうところで迷わないから、妖夢ちゃんが迷った時も迷わず走っていられる」
「だったら私も……」
すぐに答えを出さなければ永遠に楓には追いつけない。そんな焦燥が妖夢の口を動かしたが妹紅が待ったをかける。
「焦って答えは出すものじゃないわ。それはあなたの芯になりうるものだから、絶対に迷わないと自信を持って言えるものでなければならない」
「…………」
「第一、これに関してはこいつが例外なの。生まれ落ちた時から目的が定まっているなんて馬鹿みたいな例外」
「そう褒めるな」
「褒めてないわ」
楓の顔がどことなく残念そうなものに変わるのを横目に、妖夢は深呼吸をしてから口を開く。
「……わかりました。やはり楓を頼るのは正解でした。こうして私に足りないものを教えてくれる方を紹介してもらえた」
「人脈はそれなりにあるつもりだ。不本意なのも含めてな」
「これから考えてみます。そしてそれが出て、私が楓の母親に勝てる時が来たら――私と真剣勝負をお願いします」
「……どちらかが死ぬまでか?」
楓の言葉に妖夢は何を言っているんだお前は、という顔になる。よもやこの少年、そんな恐ろしい勝負観でも持っているのだろうか。
「いや、そんなことはしませんよおっかない。ただ、今の自分がどこまでやれるか試したいんです」
「……わかった。俺の持てる力で応えよう」
「はい。じゃあ私はそろそろ戻ります。本日はありがとうございました!!」
楓がうなずいたのを確認すると、妖夢は顔を輝かせて二人に礼を言うと慌ただしく竹林を飛び出していく。空を飛んでいたので、冥界に戻るつもりだろう。
家に残された楓は気にした様子もなく茶をすする。
「帰りの案内はしなくて良いの?」
「空を飛んでいたなら、迷う心配はない。ところで妹紅」
「あら、なに?」
「……お前、適当なこと言って妖夢を煙に巻いただろう」
楓が指摘すると、妹紅はバレたかとウインクする。
「あの手合は精神論をぶつけると勝手に考えて悩み始めるから楽でいいわあ」
「一応俺はお前ならと思って紹介したんだが」
「あの子は何か掴みそうだし良いじゃない。あながち間違ったことを言ったつもりもないしね」
「全く……」
ひどい師匠もいたものである、と楓は妖夢の感謝が全く報われていないことに憐憫のため息を漏らすのであった。
「……ところで、添い寝はしてやった方が良いか?」
「いきなりどんな話の飛び方よ!?」
「いや、あれだけ言っても壁を背にする寝方をするなら、それはもうお前はそういう育ち方をしたのだと思って。それなら矯正してやらんと身体に悪いだろう」
「どれだけ子供だと思ってるのよ!」
「子供だとは思っていない。ひたすらに残念な時間の重ね方をした輩だと思っているだけだ」
「なお悪いわ!!」
……こんな一幕もあったらしいが、結局その後も楓は妹紅を訪ね、妹紅は怒ったり呆れたりしながらも付き合ってしまう辺り、仲は良いのだろう。多分。
※この後楓はゆゆさまの手紙の返事をどう書いたものか頭を悩ませます。
楓は付き合っている人には割と線引をしています。無茶振りしても良いけど一線は引く友人(魔理沙、妖夢等)と、無茶振りせず一線を引く友人(影狼、わかさぎ姫、橙等)と、無茶振りするしズカズカと相手の地雷もお構いなしに距離を詰めていく人(霊夢、妹紅等)で分けています。
……まあこの分け方は全部御阿礼の子が頂点に立っているという前提なので御阿礼の子の事情次第ではあっさり消えますが(小声)
4/13(追記)前書きにも置きましたが一部修正しました。よく考えなくても妖夢と椛面識あるよ。何を考えていたんだ深夜の私は(真顔)