その日、守矢神社はどこか物々しい雰囲気が漂っていた。
鳥居の前では風祝である東風谷早苗と、彼女の祀る祭神である神奈子と諏訪子の二人が真面目くさった顔で立っている。
「……さて、早苗。おまえさんにはこれから責任重大な使命を果たしてもらうことになる」
「はいっ」
「当然だけど、失敗は許されない。文字通りの死活問題だ」
「お任せくださいっ。神奈子様と諏訪子様の存在に足る信仰を見事獲得してみせましょう!」
意気揚々といった様子の早苗がむん、と胸の前で拳を握る。
そう、彼女ら一同は人里での布教活動を行うため、この場所に集まっていた。
人里へ演説、布教を行うのは早苗が担当。そうして神社にやってきた人への応対は神奈子が担当。この他、妖怪の山からも時折やってくる妖怪の信者を相手にするのは諏訪子が担当。
三人がそれぞれの役割を果たすことで、まず最低でも存在することができるだけの基盤を入手する。それが外の世界から何もかもを捨ててやってきた彼女らの急務だった。
「住む場所を変えた連中のやることは一つ。生きていくのに足る土台の確保だ。古今東西、老若男女、人妖問わず変わらない法則さ」
「私らはこの後にも天狗が来るのでそっちの相手になるけど、早苗の方は任せたよ」
「十全にこなしてみせますとも! で、そろそろ――」
そして早苗の方は人里での布教となるため、今回は人里からの代表が一緒に同行することになっていた。
「最初だけ、とは言ってましたけど必要なのでしょうか。見張りみたいなものを」
「向こうからすりゃ、私らは異邦人だ。文字通り住んでいた世界が違うし、価値観もおそらく違ってくる。守護者としては万が一を考えないといけないんだ」
「そんなものでしょうか」
「そんなものさ。見方を変えて、ここで誠心誠意やっておいた方が良い印象をもらえる、って考えると良いかもね。向こうも不躾なことを言っている自覚はあるし、罪悪感から良い印象を持ちやすいってもんさ」
「あ、あはははは……」
悪い顔で笑う諏訪子に早苗は困ったように笑うしかなかった。言っていることはわかるのだが、こういった思考を当たり前にやるようにはなりたくないな、と思いながら。
そんなことを考えていると、石段を上がってくる一人の人影がやってくる。
人影はあっという間に石段を登りきると、三人の前にその姿を表した。
「揃っていたか。待たせたようだな」
「いんにゃ、時間通りだ。人里の守護者どの、今日は早苗を頼むよ」
「ああ、よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします――火継さん!」
早苗に火継さんと呼ばれた少年――火継楓は早苗を伴って人里へ飛んでいく。
「一応、人の集まりやすい場所をいくらか見繕っておいた。今回は俺が着いている手前、場所を用意したが次からは早いもの勝ちだ。気をつけてくれ」
「ありがとうございます。他に演説をする人がいるんですか?」
「人が集まりやすい場所だからな。商人がござを敷く場所にもなる」
「あ、なるほど」
「喧嘩になりさえしなければ基本的に人里は不干渉だ。当事者同士で話し合って決めてくれ、というスタンスになる」
へえ、と早苗は楓の語る人里の決まりに興味深そうに何度もうなずき、手帳に書き込んでいく。
「やっぱり人里はきちんとしたルールがあるんですね。法律みたいなものですか?」
「法、というほど厳密な決まりはそんなにない。盗み、殺し、放火の類がご法度なのはいつの時代も変わらんだろう」
幸いというべきか、楓が守護者に就任してから殺しの事件は起きていない。せいぜいちっぽけなスリ程度である。
今は人妖共存が成り、人里に妖怪の姿がどこでも見受けられる状態だ。人間同士ならばごまかせる可能性があっても、妖怪が相手だと上手く行かないかもしれない。その恐怖が彼らを尻込みさせているのだろう。
実際、仮に殺しがあっても楓は千里眼で事件が起きた直後を察知する可能性が高い。屋内で行われれば事件の防止は難しいが、外に出てくる姿は見えるのだ。
これで人里の様子は屋外に限りほぼ全て認識していたりする。どの程度見えているか聞かれたことがなく、彼自身も求められなければ口にしないだけで、人里の内部で彼が知らない情報は皆無と言っても過言ではない。
「人里の守護者はそうした話から人々を守るのも役目だ。里の中でなにかあったらそっちも言ってくれ。可能な限り協力する」
「え、良いんですか? 私達は自分で解決しろって言われるかとばかり」
「そっちの問題についてはそうだが、里で起きた問題は人里の問題でもある。そこは分けて考えるさ」
そんなことを話している間に人里に到着する。
早苗も眼下に見下ろすことこそあれど、実際に中に入るのは初めてだったので緊張して門前に立つが、先に楓が口を開いた。
「戻った。さっき話した守矢神社の者を連れてきた」
「ああ、お疲れさん。いつも忙しないなあ」
「里で一番身軽に動けるのは俺ぐらいしかいないからな」
「それもそっか。ああ、慧音先生も様子を見に来るってさ」
「覚えておく。そちらも気をつけてな」
気安い様子で言葉をかわし、楓は門番の青年に軽く手を振って人里へ入っていく。
それを追いかけて早苗も人里へ踏み入ると、楓に声をかける。
「今の方はお知り合いなんですか?」
「一応、名目上は部下と上司の関係になるが、同年代でな。昔は寺子屋で同じ授業を受けていた」
そして一緒に眠気を堪えていた仲でもある。特に楓は物怖じせず、増やせる友人は増やす主義なのでそれなり以上の友人が人里にいる。
「ああ、ついでに話しておこう。人里の守護者とは俺一人を指すわけじゃない。もう一人、人里で長いこと貢献してこられた方がいる」
「……高齢の方なんですか?」
楓の敬意を払った物言いから読み取るに、かなり長い年月を人里に奉仕してきたことが読み取れた。付き合いこそ短いものの、この少年がぶっきらぼうな物言いとやや砕けた言葉遣いを分けていることはわかった。
「高齢、というとその通りなんだが、俺と同じ半分妖怪が混ざった人だ。本人は半獣と言っている」
「昔から人里に妖怪がいたんですか?」
「そういうことになるな。もっとも、俺の父の上のそのまた上の世代の頃からいたらしいから、俺たちは全く気にしていなかったが」
子供の頃はつまらない上に頭突きの恐ろしい人という印象しかないが、成人して働くようになるとあの人の偉大さが理解できる。
生徒一人ひとりを今でも覚えていて、相手がどれだけ歳を重ねても変わらず教師として接してくれる人のありがたみがわかるのだ。
「本人は気安い人だが、掛け値なしの偉人だと里の誰もが認めている。だから人妖の共存が成立する以前から、人里の教育を任されているんだ」
「すごい人なんですね……きっと、人間が大好きでたまらない」
「……そうだな」
そのようなことを話しながら、楓たちは人里の中心へ向かう。
「里の中心に公共の建物類が集中する。人の行き来、という点では途中の市場も負けないが、人が足を止める場所という意味ではここが最も適しているだろう」
「色々と心遣いありがとうございます」
「この他にも分社の規模や向きなども話しておきたいが――いや、一旦横に置こう」
これまではつらつらと淀みなく話していた楓の言葉が途中で切れ、視線が早苗の方から変わる。
誰かいるのかと早苗も楓と同じ方向を見ると、一人の少女がこちらに向かってくるのが見えた。
学士帽を付け、陽の光を浴びて輝く銀髪を揺らして歩いてくる少女に、楓は軽く会釈をする。
「おはようございます、先生」
「ああ、おはよう楓。この子が先日話していた?」
「はい。妖怪の山にある守矢神社の――」
「守矢神社の東風谷早苗と言います。これからここで布教活動をさせてもらいます!」
「うむ、良い返事だ。私は上白沢慧音。人里で教鞭を執っている」
少女――慧音は鷹揚にうなずくと、中性的な言葉遣いながら優しい人だと誰もがわかる笑みを浮かべて手を差し出す。
外の世界ではあまり見ない、親近感を抱かせる姿に早苗は恐縮しながらもその手を握り返す。
「楓からある程度の話は聞いている。神々を生かすために身一つで幻想入りする。立派な覚悟だ」
「いえ、私はそんな……」
神奈子と諏訪子の話を聞いて、半ば衝動的に着いてくることを選んでこの場に立っているのだ。褒められたものではないと早苗は思っていた。
「ふふ、霊夢と違って巫女としては初々しいな。あいつならもっと褒めて、と臆面もなく言ってくる」
「あれが変なだけだと思います……ともあれ、先日話していたようにここで布教をしても?」
「ここが衆目の集まる場所である、という一点だけ理解していれば何も言わないさ。ないとは思うが釘を刺すと、この場所で弾幕ごっこや能力を使用した洗脳、扇動の類は硬く禁じられている」
なるほど、と早苗も理解を示す。力のない人間が大半なこの場所でそんなことをやったら、下手をすれば何百人といった死人が出るだろう。
そうならぬように人里の守護者のみならず妖怪も目を光らせているが、愚かな存在というのは予想の下を行くから愚かな存在なのだ。楓たちも細心の注意を払っている。
「お前がそんな人間でないことはわかっているが、念の為だ。破った場合は――」
「破った場合は?」
「こちらも一切の警告はしない、とだけ言っておこう。私はさておき、楓は強いぞ?」
そう言われ、早苗は咄嗟に楓の方を見る。
とても人間に使いこなせるとは思えない長刀を背中に背負い、腰にも刀を佩いた、自分と同年代にしか見えない少年が、人里の守護者をしているという事実を今更ながらに認識したのだ。
それに思い返せば神奈子と諏訪子とも対等に話していた。つまり彼は人里の代表者、という意味合いも持っているのではないだろうか?
などと同行者について考えを巡らせていると、それを緊張に受け取ったのだろう。楓が慧音に口を開く。
「先生、あまり脅かしすぎるのは」
「っとと、すまない。君が気に病むことではない。要するに悪いことはしないでくれというだけさ」
慧音は朗らかに笑い、楓も表情を緩めて早苗の方を見る。
「話が脱線してしまったな。そろそろ始めるか」
「は、はい!」
楓に促されて人の集まりやすい場所に案内されてくると、今から布教活動を行うという実感が湧いてきて急に緊張してきた。
神奈子や諏訪子を相手にした練習は何度も繰り返した。話すべき内容も吟味している。
だが、道行く人々の視線が自分に集まるという気恥ずかしさは想像を超えていた。
「あ、あわわ……」
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫です!!」
「……何を言っても無駄だろうが、気負いすぎてもロクな結果にならんぞ」
力いっぱい答えたつもりなのに、楓は生暖かい視線で当たり障りのないことを言うだけだった。
これ以上は自分の出る幕ではないとさっさと離れていく楓を早苗は未練がましく見送る。あくまで彼は人里の所属であり、守矢神社の趨勢にはあまり関心のないのだから、当然といえば当然なのだが。
何度も深呼吸を繰り返し、早苗は人々の行き来する往来に立つ。
そして何度も練習した言葉を今また、口にする――
「皆さん! 我が守矢神社を信仰すれば私がこれから振るうような力が簡単に手に入り――」
「おいばかやめろ」
東風谷早苗。追い詰められると明後日の方向に行く少女の最初の布教活動は、まず最初に楓のげんこつによる制止が入ってから始まるのであった。
「うう、まだ痛い……」
初めての布教活動を終えたあと、律儀に待っていた楓に早苗は恨めしそうな視線を向ける。
緊張に緊張を重ねた話の後だからか、先ほどまで存在していた遠慮がいくらか消えていた。この少年は自分に遠慮しないのだから、自分も遠慮する必要がないと思ったのだろうか。
「痛いで済ませただけ感謝してほしいものだ。やめろと言った弾幕をいきなり撃とうとしたのには目を疑った」
「うう、はい、あれに関しては申し訳ありませんでした……」
「次はやめろよ。ほんとやめろよ。最初だから大目に見ただけで、次は本当にかばえないからな」
「肝に銘じます。ところでこの後はどちらに?」
「ああ、守矢神社の分社を建てるんだろう。その予定地を見せておこうと思ってな」
「おお! そこまで協力的になってくれるとはもしかして守矢神社への信仰希望者で!?」
「違うから安心しろ。情けは人のためならず、ということだ」
多少の手間を費やしても、人の好意というのは受けて損はない。
母親もそうだが、これに関しては父親からも教わった楓の処世術である。
当然、早苗がそれに気づくことはなくにべもない楓の言葉に肩を落とす。
「そっかー……あ、でもこれからは普通に声をかけても良いですか?」
「別に構わん。というか、許可を得るものでもないだろう」
「それはその通りなんですけど、あんまりこういった友人が多くなくて。特に男の子の友達はほとんどいませんでした」
「ふむ」
早苗の事情はわからない。現状、楓が知っているのはもっぱら神奈子と諏訪子の事情ばかりなのだ。
それに神奈子と諏訪子はどこか早苗をかばっているようにも見受けられた。まるでひな鳥の成長を見守る親鳥のようにも感じられた。
(単なる世話役……ではないんだろうな。逆に考えるなら彼女らが幻想入りした理由は――)
「楓くん?」
「いや、なんでもない。……楓くん?」
「はい。霊夢さんも私のことは早苗って呼びますし……ダメでした?」
「驚いただけだ。あいつらは俺を呼び捨てにするからな」
早苗のような距離感を覚えてほしいものだ。自分も男である――という言葉以上に危険な存在であるとわかっているのだろうか。
楓のそんな視線の意味はつゆ知らず、早苗は楓によく話しかけてくる。
「楓くんは人里で守護者以外に何を?」
「とあるお方の従者を生業にしている。仕事としてはそちらの方が主体だ」
「へええ……人里の守護者と兼任なんですか?」
「人里の守護が結果的にその方の利益になる、という方が正確だな。人里に住んでいるなら、内部が安全に越したことはない」
「実際、妖怪が人を襲うことってあるんです?」
「弾幕ごっこという形でならそこかしこであるし、そういった理性のない妖怪による被害も……まあ、ゼロではない」
畑荒らし程度で済むなら良いが、けが人が出ることも稀にある。死者については――人里に暮らしているものにはいない、としか言えなかった。
あるいは楓にも感知できない場所に幻想入りし、憐れにも助かることなく喰われてしまった存在はいるかもしれないが、それを早苗に言うことのメリットが見出だせなかったため言葉を濁す。
そして話題を変えるため分社の話を出そうとしたところで、こちらに向かって歩いていた紅白の少女がこちらに声をかけてくる。
「あれ、楓じゃない。なに、早速新しくやってきたところの女と逢引? また?」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた少女――霊夢の言葉に楓は思い切り顔をしかめる。
「えっ、また!?」
「違う。というかまたとはなんだ」
「だってあんた、顔見る度に違う女連れてるじゃない」
「誤解を招く物言いはやめろ」
ある意味否定できない事実ではあるのだが、それでも口にされると否定したくなるのが人情だった。というより、名だたる妖怪連中がことごとく少女なのが悪い。
「それでお前は何を?」
「鈴奈庵で本を返して、ついでに新しい本を借りてきたの。前々から気になってたものをいっぺんにね。うふふ、これでまた退屈が紛らわせるわ……!」
「徹夜はやめておけ。人間の体なんだ、不摂生しているとすぐ倒れるぞ」
「うるさいわねえ。たまには身体に悪いことも人生に必要なのよ」
「俺が目を離すと身体に悪いことしかしてないだろお前」
夜ふかし、深酒、そもそも楓が見に行かないと稽古もやりたがらない。
誰かが構っていれば良いものの、誰も構わない状況になるとものすごい勢いで堕落を始めるのが博麗霊夢という少女であることを、楓は長い付き合いで嫌というほど知っていた。
霊夢は楓の小言にうんざりした顔を隠さないまま、本を包んだ風呂敷片手に早苗の方を見る。
「で、なんで早苗はこいつと歩いてるの? え、男としてみてる? うわ、趣味悪い」
「何も言ってませんよ!? 布教活動のお手伝いと分社を見に来たんです!!」
「は? 布教活動? そんなものやるの?」
「神社としては早苗の方が真っ当だからな」
祭神の名前もわからない。掃除も適当。おまけに道中は普通に妖怪も出る。
およそ神社という体裁をなしていないものだが、それでも幻想郷に長く続く博麗の巫女であることが博麗神社を神社たらしめていた。
「ふぅん……大変ねえ」
「そ、そんなに余裕で良いんですか。私の神社が霊夢さんのところの信仰まで根こそぎ奪っちゃいますよ!」
「その時になったら楓に頼んで守矢神社への道を塞いでもらうわ」
「ええっ!?」
「やるわけないだろ。そういうのは自助努力に任せる。そもそもお前は博麗大結界を維持する限り食うには困らん」
「ううん、とはいえ信仰がなくなったらどうしましょ。巫女でなくなったら……あんたのところに転がり込むか! 家もでかいし私一人養うぐらい簡単でしょ?」
「穀潰しに食わせる飯はない」
「良いとこの坊っちゃんなんだからケチなこと言うんじゃないわよ」
「お前も似たようなものだろうに……」
天衣無縫な霊夢の言葉に、楓は呆れながらも対応していく。
その様子を見た早苗は二人とも表にこそ出していないものの、とても仲が良いことが見て取れた。
相手の長所も短所も知っていて、それでもお互いが背中にいることが当たり前の関係。そんな風に見えたのだ。
「んじゃ、私は帰るわ。明日の朝に私が寝てたら稽古はなしでよろしく」
「蹴っ飛ばしてでも起こしてやるから安心しろ。じゃあな」
風呂敷片手に博麗神社への道を飛び去っていく霊夢を見送り、楓は早苗の方を向いて肩をすくめた。
「……まあ、あれが平時の博麗の巫女だ。誰かが見てやらんとすぐ自堕落になる」
「し、親しみやすいと思えば……」
「物は言いようだな……しかし、霊夢とはもう話すのか?」
「霊夢さんの方から私を誘ってくるんです。その縁で魔理沙さんや咲夜さん、妖夢さんたちとも知り合いました」
「友人が増えたのなら良い。あいつら相手に遠慮なんてするだけ無駄だ」
「日々、自分の中の常識が崩れていくのを実感してます。その点で言えば楓くんは常識的ですよね?」
「仕事なんだ。適当なことをやって困るのは自分だけじゃない」
ましてやそれが最愛の主にも累が及ぶ可能性があると思えば、軽挙妄動などできるはずもなかった。
ある意味では堅物とも言える楓の言葉に、早苗はむしろ眩しそうに楓を見る。
楓の姿はこれまで早苗の記憶にある同年代の少年たちとは違う――自立した大人とも言うべき姿に映ったのだ。
「まあ良い。散々脱線したが、ここに分社を建てる予定だ」
楓が指差した場所にはすでに資材が積まれており、早苗たちの指示さえあればいつでも作業に取りかかれる準備が整っていた。
人里が協力的なのは知っていたが、ここまで至れり尽くせりだとは予想外だった。
「あの、どうしてここまで?」
「文字通りの死活問題なんだろう。誰だって持ちつ持たれつなんだ。当座の危機を凌ぐまでの協力ぐらい約束する」
「…………」
「その代わり、こっちも困ったらそちらを頼ることになるかもしれん。恩を売れる状況なんだから恩を売っている。それだけの話だ」
楓にとって――というより、幻想郷の住人にとっては至極当たり前のことだった。
なにせ彼らは行き場が他にない。人間は人里を追い出されればどこにも行けず、妖怪は幻想郷を追い出されたらどこにも行けない。
ある時期までは互いの領域にこもり、それを冒した相手への容赦は不要という不文律があったが、それも数十年前に取り払われた。
「さて、一応いくつか分社の設計図は預かってきている。そちらの希望があればそれに沿って形は変えるつもりだ」
「あ、では一旦こちらで受け取ってもよろしいですか? お二人に相談してみます」
「頼んだ。こっちも動かせる人手の都合があるから早めに頼む」
「わかりました。では――これからも公私にわたって良い付き合いになれると嬉しいです」
「ああ、こちらも良好な関係を築きたいと思っている」
楓の言葉に早苗はうーん、と微妙な顔になる。真面目な人だとは思っているが、これはどうにも真面目を通り越した堅物な気がしてきた。
早苗が変な顔になったことに気づき、しかしどういった理由かまではわからない楓が首を傾げる。
その姿がどこかおかしくて、早苗はこれまでのどこか遠慮したそれとは違う、本心からの無邪気な笑みを浮かべるのであった。
「ふふふっ。いえいえ、こちらこそ、です!」
「異国の地に来て最初に触れるのが人の暖かみか……泣かせる話じゃないか」
守矢神社に戻り、早苗が報告する話を聞いた神奈子は大仰に目元の涙を拭うような仕草をとる。
その話を聞いていた諏訪子もどこか愉しそうに笑っていた。
「打算はあるけど、こちらを助けようと協力的な姿勢を取ってくれるだけ万々歳だ。排他的な可能性も十分に考えられたからねえ」
「外部との交流がほとんどない田舎にはままある姿だが、良い意味で予想が裏切られたな。人妖共存の楽園に偽りなしか」
無論、相手が非協力的だった場合の方策も考えていた。
本来の力などほぼ発揮できないとはいえ、神の祟りや呪いは恐ろしいに違いない。それらを背景に交渉を進める道も神奈子たちには存在した。
しかしそれはあくまで最悪の場合。彼らが協力的な姿勢を見せてくれる以上、こちらがそれを無下にする真似をするメリットなどどこにもない。
「これなら当初考えていた通りで良いだろう。早苗には今後も布教を頑張ってもらいつつ、私らで河童や天狗に外の世界の知識を教えていく。幻想郷の文明開化を私たちの手でやろうじゃないか」
「それが良さそうだ。ああ、そうそう。あの少年とは話せたのかい?」
将来の展望が見えてきたことに神奈子が手応えを感じて拳を握る中、諏訪子は思い出したように楓のことを聞いてくる。
そんなに興味を惹かれるものがあったのか、と思いながら早苗が首肯すると諏訪子はにんまりとどこかいやらしい笑みになった。
「ふふん、いやいや仲良きことは美しきかな。向こうはあれで人里のおえらいさんだそうじゃないか。これからも仲良くしてくれると良いなってだけさ」
「は、はぁ……」
外の世界では見なかった諏訪子の様子に早苗が軽く引いていると、様子を理解した神奈子が曖昧な笑みで説明してくれた。
「……祀られていたとはいえ、諏訪子には祟り神の属性があるからな。久しく見ていなかった美味そうな輩だ。まあ、こいつも良い年なんだから欲望を優先させるようなことはないだろう……ないよね?」
「くふふ、嫌だなあ。わたしゃ神様だよ? ――神が人間に遠慮する必要なんてどこにあるんだい?」
あっ、と神奈子は色々察してしまい遠い目になる。早苗もこれはよろしくないと空気で察するが、祭神なのであまり強くも出られない。
「おいこら、直接祟るなんてことはしてくれるなよ」
「やだなあ、そんな無粋なことするわけないじゃない。ああいうコツコツ積み上げていく子を頭から潰すなんて面白くもなんともない。自分の足元から崩れていくさまを見るのが一番楽しいんだよ?」
「早苗、こいつは私が抑えておくからあの少年に言っておいてくれ」
「は、はぁ……」
「……あと、できれば私の方にも顔を出すよう言ってくれ。諏訪子じゃないが、あの少年の器には興味があるんだ」
霊夢が言っていた会う度に違う女を連れている、という楓に向けられた評価の理由がわかった気がする早苗だった。
なんでここまで興味を持たれるのだろう? と心底不思議に思うものの、早苗に彼女らの言葉を反対する理由もなし。
「――はい! 今度また守矢神社に来てもらうようお勧めしますね!」
かくして、楓の将来にまた面倒事が増える将来が約束されるのであった。
早苗と楓の人里歩き。早苗さんの常識はまだそんなに欠けていません。これから欠けていきます(予言)
人里、というより幻想郷自体が困っている人にはそれなりに優しい性質です。だって自分たちの行き場をなくしたら今度こそおしまいだから。
……まあ優しさの性質が人間と妖怪で違うのは当然なので相手によっては普通に喰われますが()
もう少し色々とキャラを出したら、緋想天が始まっていきます。天子、良いやつだったよ……(先行入力)