阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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龍宮の使いのお告げ

「どうして私はこんなむさ苦しい場所に連れてこられたのでしょうか」

 

 羽衣をまとった少女は起伏に乏しいながら、不愉快という感情だけはしっかりと表して楓を睨みつけてくる。

 しかし、楓も彼女の言葉に尻込みすることはできなかった。

 少女の発言を聞いた楓は彼女と天子を伴って、自警団の詰め所に足を運んでいた。彼女の話が本当なら、こちらも備えなければいけないからである。

 

「大地震が来るなんて言われて放置できるわけないだろ」

「私に言われても困ります。私は龍宮の使い。龍神様のお言葉を伝えているだけなので」

「……それは真実なのか?」

「龍神様のお言葉に地上の人間が真偽を問いますか?」

「俺の耳に直接届いた言葉じゃないんだ。俺が信じるかを判断するのはあんたの言葉だけだが、あんたはこちらを見向きもせず言葉をぶつけるだけ。こっちこそ言わせてもらおう。――そっちは龍神様とやらの言葉を伝える気があるのか?」

「――混ざりもの風情が吠えますね」

 

 羽衣の少女は眉をひそめ、周囲に楓以外の人がいることなどお構いなしにバチバチと電気をまとい始める。

 楓もそれを見て一度叩き伏せた方が良いと判断し、刀に手を添えて――

 

「待て待て待ちなさい。なんでそんな短絡的に戦うことを選ぼうとしてんのよ」

 

 楓の肩を天子が掴んで強引に止めてくる。

 肩越しの手に楓は睨み返し、同時に羽衣の少女は僅かに目を見開いて驚きを表す。

 

「おや、そういえば総領娘様もおられたのですね」

「私を探しに来たんじゃないの?」

「そんなのもありましたね。あなたを見つけたあのお店で、そのままお告げも済ませてしまおうかと思ってそちらを優先してました」

 

 まるで他人事のような台詞で、なおさら楓には彼女の言葉が信じられなくなる。

 

「……知り合いなのか?」

「天界で顔は見たことあるわ。名前は知らないけど」

「永江衣玖と申します、総領娘様。これでも一応、比那名居の一族に仕える者です」

「あっそう。興味ないわね」

「左様ですか。あなたのお目付け役も総領様より頼まれているのですが」

「……とにかく、これでこいつの素性はわかったでしょう。龍宮の使いというのも私が保証する」

 

 総領様、という言葉を聞いた瞬間、天子の顔が不快げに歪められたのに楓は気づくものの、追求はしなかった。

 

「……では地震が来るのは真実なのか?」

「ええ、まあ。天子様の言葉は信じるのですか?」

「多少は信じる指針になるというだけだ。こいつが天人であることは疑ってない」

 

 少なくともさっきまでの全て羽衣の少女――永江衣玖の自称でしかない状態と比較すれば遥かに信じられた。

 それを話すと衣玖はまあ、と口を片手で隠しながら大きく開く。

 

「これは戻って総領様に報告しなければ」

「どんな意味よ?」

「天子様に男ができたと」

「違うわよ!? こいつは私をもてなして、私はこいつのもてなしを受けた。それだけ!!」

 

 天子が強い口調で否定する。楓も天子の言葉に否定する箇所はなかったため、うんうんとうなずいた。

 

「――話を戻すぞ。地震が来るのが本当なら、それはどの程度の規模だ?」

「場所は幻想郷全土に及びます。揺れの規模は……まあ、この人里はよく備えられています。土台の腐っている家屋の倒壊ぐらいで済むと思いますよ?」

 

 大問題である。その規模の地震が発生したら確実にけが人が出るだろうし、当たりどころによっては死者も出るだろう。

 楓は自分の後ろに控えている自警団の面々が騒ぎ始めたのを見て、それを手で制する。

 

「お前たちに話を聞かせたのは万一の時の人手だ。……永江衣玖、その地震はいつ頃に来る?」

「正確な時はわかりませんが、一週間以内には来るかと」

 

 衣玖の言葉を聞いた楓は彼女に背中を向けると、詰め所にいた自警団の面々に手早く指示を出していく。

 

「聞いたな。早急に自警団員を全員呼び戻し、竜宮の使いによる地震のお告げがあったことを触れて回れ」

「し、信じても良いんですか?」

「良いも悪いもない。別に来ないなら来ないで構わんから、心構えだけでもさせるんだ」

「来ますよ。私が伝えるべき言葉を間違えることはありません」

 

 むっとした衣玖の言葉を受けて、自警団の人間たちはその視線をやや猜疑的なものに変える。

 

「それに、その……楓さまは信じてますけど、もしかしたらその龍宮の使いが地震を起こす可能性もあるんじゃないですか?」

「失礼ですね。人を不吉の象徴みたいに」

「もっともな意見だな」

「総領娘様、お相手は選んだ方がよろしいかと」

「違うって言ってるでしょ!」

 

 天子と衣玖のやり取りは無視し、楓が自警団に説明を行っていく。

 

「今の状況で誰が地震を起こすか、なんて大した問題じゃない。重要なのはそれで人里が被害を負う可能性があることだ」

「…………」

「彼女が信じられない。ああ、全くもって同感だ。だが万一を考えて動く。それは俺たちの役目だ。違うか?」

「……いえ、違いません」

「では動いてくれ。理由は……そうだな、最近異変が続いたので今一度人里の安全を確認したい、とでも言えば良いだろう」

 

 楓の言葉を受けて、自警団の面々が二人一組を作って駆け出していく。

 その中には楓がいない間のまとめ役の男性もおり、彼は懐かしい何かを楓に見出すように目を細め、一礼をして出ていく者たちに続いていった。

 残ったのは楓、衣玖、天子の三人と、彼らと入れ違いにやってきた楓の母親――椛の姿だった。

 

「あら、何やら忙しなく動いていたけど……楓、何かあったの?」

「母上。実は――」

「え、なに、あんたの母親?」

 

 椛に事情を説明しようとしたところで、好奇心に塗れた顔の天子が椛を見た。

 

「へえ、白狼天狗。こいつの髪が白いのはそのためか。なるほどなるほど……」

「楓のお友達かしら? 息子がお世話になってます」

「なに、天人である比那名居天子をもてなしたのだ。後で息子を褒めておくが良い」

「えっと……独特な知り合いね!」

 

 精一杯言葉を選びながらも、その目は楓への同情が隠せていなかった。

 どうせ彼女の心中では楓のことを父親譲りの間の悪さ、だとでも思っているのだろう。楓自身もそう思いつつあるので泣けてくる。

 そんな内心を表に出すことなく、楓は椛にも事情を説明する。

 

「龍宮の使い……地震の予兆を告げる、だったかしら。私も初めて見るけど……」

「正確に言えば龍神様のお言葉から重要なものを告げることです。その上で幻想郷は天変地異には強いのか、あまり私が姿を現す事情もなかったので」

 

 言われてみれば確かに。幻想郷は何かと騒がしい場所ではあるが、それらは全て犯人が存在する。

 嵐や地震、土砂崩れといった災害は楓の生きている間に起こった経験はない。

 

「ここ百年はなかったはずよ」

「ええ。ですがそれは決して永遠の安寧を保証するものではありません。なので私がこうしてやってきました」

「……とのことです。彼女が言うには一週間以内に大地震が来ると。自警団には最近の異変と合わせて、家屋の確認と災害に備えているかの確認を取らせています」

「そういうこと。わかったわ、私の方でも天狗に話を持っていってみるわ。天狗の足と翼なら何か起きても対処できるはず」

「お願いします。私はもう少し話を聞いておきます」

 

 きびきびと出ていく椛を見送り、詰め所の中は今度こそ楓、天子、衣玖の三人になる。

 楓は一仕事を終えたと軽く息を吐くと、慣れた手付きでお茶を淹れて二人に差し出す。

 

「おや、どうも。あなたの空気からしてもうこのまま拷問してでも私から聞きたいことを聞き出すのかとばかり」

「それをしたところで情報の真偽を確かめる術がない。非効率だ」

「ふむ。ではこれで私の役割は終わったと見ても?」

「そうだな。足労してくれて感謝する」

「謝罪ではないのですか」

「お前が横着して済ませようとしたのが原因でもある。詫びはしない」

 

 それに地震が来るなら彼女らに構っている暇もない。

 なので楓は天子に構うのはここまでだと告げるべく、彼女の方を見た。

 

「全く、天変地異が来るとはツイてない。災難だとは思うが、こっちにも事情がある。悪いがここで終わり――」

 

 これ以上ここにいても楽しいことはない。楓も楓でこれから慧音を呼んで緊急の会合を開こうかと考えており、忙しくなるのは目に見えている。

 しかし天子は楓の言葉に対し、あっけらかんとした様子でこう言い放つのであった。

 

「ああ、地震のこと? だったら私が起こすから平気よ?」

「…………あ?」

 

 今なんて言った。楓は溢れそうになる殺意を抑えつつ、天子の方を睨む。

 天子は楓の目に怯んだ様子を見せながらも、天人としての威厳を保とうと声を張った。

 

「言ったでしょう、私は異変を起こすって。そのためのわかりやすい方法として、大きな地震を局地的に起こすことにしたの」

「……続けろ」

「被害を出す、なんて言うほど大きなものにするつもりはないわ。人死が出たらそれこそ異変なんて言ってられないでしょう」

 

 その通りだ。仮に人里にそんな被害が出てしまった場合、楓は人里の守護者として下手人を討伐する義務が発生する。

 

「だから局所的。あくまで異変解決に動きそうな面々だけを狙って地震を起こして動かすつもりだったの」

「おや、そうだったのですか。緋色の雲の濃度が不味いことになっているのは、総領娘様の起こしたものだったのですね」

「…………」

「よしわかった、説明するからその刀に手を添えるのはやめなさい」

 

 楓は険しい顔で二人を睨んだ。自分の好悪はさておいて、この二人とここで知り合えたのは人里にとって非常に幸運なのではと思えてしまう。

 

「まず緋色の雲とは」

「私が人々から集めている気質――まずここから説明が必要かしらって拳を握るのは待ちなさい!」

「菩薩じゃないんだ。早くしろ」

 

 問答無用で殴らないだけ譲歩している方である。楓の父であればとりあえず殴っていた。

 

「気質というのは個人の持つ性質。私はそれを見極めることができるの」

「見るだけじゃ取り出せないのでは?」

「それを可能にするのがこれ――緋想の剣よ」

 

 そういって天子は腰に下げていた棒状のものを取り出す。

 刃も何もついていないが、天子が何やら力を込めると緋色の刃が生まれた。

 

「む……」

「これを使うことで人々から気質を集めることができる。そして特定の気質を集め――」

「緋色の気質とやらが地震を起こすものというわけか」

「そういうこと。見極め、蒐集し、自在に操る。まさに天人の神通力にふさわしいと思わない?」

「とのことだがそこら辺はどうなんだ」

 

 胸を張っている天子を無視して衣玖に話を聞く。わからないことだらけなので、とにかく今は様々な観点からの情報が欲しかった。

 

「事象は把握しました。ただ、当然ながら人為的に地震を起こすなど、確実に大地への歪みが生まれます。起こる時に起こしてやらねば歪みが増える一方で、いつ爆発するかわからなくなります」

「辞世の句ぐらいは読ませてやる」

「私が責任持って地鎮するから安心なさい! というか緋色の雲自体はもともと集まっていたものよ!!」

「……む?」

 

 天子の口ぶりから考えるに、地震を引き起こす緋色の雲まで天子が用意したものだと思っていた。

 違うのだろうかと説明を求めて衣玖の方を見る。

 

「ええ、まあ。確かに遅かれ早かれ私が動くことにはなっていたでしょうね」

「でしょう。私はそれを利用するだけ。そして人里に害がないよう、地鎮もこれから行う。私は楽しい、人里に害はない、地震も起こし、歪みが生まれないようにできる。誰も不幸にならない道ではなくて?」

「らしいが」

「地鎮で一部をせき止める、というのも良くないですが……まあ、そこは人の世と自然の世との兼ね合いといたしましょう」

 

 はぁ、と衣玖はこれみよがしにため息を吐いて、お茶を飲み干す。

 

「では私はそろそろ次の場所に向かいます。これでもそれなりに忙しいので」

「博麗神社にも向かうなら、俺の名前を出しても良いぞ。火継楓の名を出せば無碍にはしないはずだ」

「遠慮なく使わせていただきます。総領娘様も適当なところでお戻りください」

「連れ戻さないわけ?」

「正直面倒――もとい、龍宮の使いとしての役目を優先します」

 

 それだけ言い放つと、天子の反論も待たずにそそくさと詰め所を後にして飛び去ってしまう。

 残された楓はコクリと首肯し、天子の肩を叩く。

 

「――俺もお前のことは面倒だと思う」

「少しは慰めようとしなさいよ!!」

 

 慰めるも何も楓は天子に迷惑しかかけられていないので、むしろ口を開いて罵倒が出ないだけ寛大だとすら思っていた。

 

「まあ事情は大体わかった。異変を起こすのもどうこうは言わん。人里への被害だけはきっちり防いでくれればな」

「……あんたは異変に関わらないの?」

「人里に地震は来ないんだろう? じゃあ俺が動く理由はない」

「ふぅん。ところで、さっき博麗神社に自分の名前を出すよう言ったわね。博麗の巫女とあんたは知り合いなわけ?」

「子供の頃からの付き合いだが、それがどうかしたか?」

「なんでも。少し気になっただけ」

 

 そう言って天子は腕を組み、詰め所の出口の方へ向かう。

 

「私も帰るわ。今日は色々と退屈しなかった。その点には感謝してあげる」

「……いきなり大岩で降ってくるような真似をしなければ、こっちも相手はしてやろう」

「次に会う時はその態度を改めさせてあげるわ。天人の威厳とともに、ね」

「期待はしないでおく」

 

 少なくともこの先、天子がよっぽど徳の高いことでもしない限り態度を改めるつもりはなかった。

 楓にしてみれば、彼女も自分にちょっかいをかけてくる面倒な輩の一人に過ぎないのだ。

 高く、高く、雲の先まで見えなくなるまで天子が飛び立つのを見送った後、楓は御阿礼の子に事の次第を報告すべく歩き出すのであった。

 

 

 

 

 

「――以上の流れで天人と遭遇し、先ほど戻っていくのを確認しました」

 

 稗田の屋敷に戻り、阿求に先ほどまで自分が巻き込まれていたことについて報告する。

 最初の方ではまたお兄ちゃんが変な人に付きまとわれてる、ぐらいの調子で聞いていたが天人と龍宮の使いが話に出た辺りで表情を真面目なものに変える。

 

「天人……」

「ご存知でしたか?」

「幻想郷にいる、というのは……うん、初耳。歴代の記憶をさかのぼっても、それらしいものは浮かばなかった」

 

 トントンと頭を叩きながら、楓には及びもつかない遠い過去を頭の中で旅した阿求は首を横に振った。

 

「龍宮の使いも?」

「以前の私も軽く見た程度で記憶が歯抜けになって怪しいけど……過去の歴史書に記述はあるかも。その人は災害の先触れを教えてくれるのでしょう? だったら幻想郷にも何度か顔を出しているはず」

 

 御阿礼の子は代々転生を繰り返し、その記憶を引き継いでかつ本人の求聞持の力――一度見たものを忘れない程度の能力により、過去の幻想郷を全て自らの脳内に収めていると言っても過言ではない。

 ……ないが、転生時に多少は記憶の欠落が発生してしまう。当人にとって思い入れのある記憶や忘れたくないと願ったものは消えないが、そうでないものはどうしても朧気になってしまうらしい。

 ともあれ、手がかりになったことには違いない。楓は頭を垂れ、主の助けとなるべく手を動かすことにした。

 

「承知しました。後ほど探ってみます」

「お願い。慧音先生に話せば見せてくれると思う」

「はい。それを基にすれば地震の規模も多少は類推できます」

「ありがとう。それにしても大地震かあ……」

 

 目を細め、ここではないどこかに記憶を飛ばした阿求に、楓は穏やかな様子で声をかける。

 

「……昔と今では状況が違います。無論、私も手を尽くします。阿求様が心配なさることは何もございません」

「うん、ありがとう。本当に変わったなあ、って感慨深かったの」

「やはり、その頃とはまるで違うのでしょうか」

 

 楓にはわからない感覚だった。楓は生まれた頃から人と妖怪は同じ場所で交流するようになっており、関係が途絶えていた時代があったと言われてもピンとこない。

 だが阿求はそうではない。過去になればなるほど求聞持の力でも記憶の欠落が発生してしまうが、言い換えれば直近の御阿礼の子の記憶は比較的保持していられる。

 楓の疑問に阿求は困ったように笑う。苦しくも楽しかった時代を懐かしむ顔だった。

 

「そうだね。お兄ちゃんは特に実感がないかも。なにせお祖父ちゃんと椛さんは幻想郷でも初めての、人と妖怪の夫婦なわけだし」

「当時は大騒ぎだったと聞いてます」

「あはは、簡単に情景が浮かぶわ。話を戻して人と妖怪の関わりだけど……これについては本当に長い間途絶えていたと言えるわ」

「どの程度途絶えていたのでしょう」

「公式の記録として語るなら、博麗大結界ができた頃の結界大騒動まで遡るわね」

 

 百年ほど昔に成立した博麗大結界。これの完成に伴い、多くの妖怪が騒いだ事件だと楓はすぐに思い至る。

 そしてその騒動を鎮めたのは火継の面々が博麗の巫女と協同し、文字通り狂乱して妖怪を殺し尽くして血で血を洗う争いの末に終結したと記されていた。

 そこから先、人と妖怪が交流したと公的な記録に残るのは、数十年前にレミリアたちが幻想入りした事件――吸血鬼異変の頃まで時間が進む。

 つまりそれだけの間、どんな形であれ人と妖怪の交流は行われていなかったことを表す。

 

「もちろん、個人個人で見れば何かしらはあったと思う。妖怪に襲われて亡くなった人も皆無だったわけでもないし」

「……父も幼い頃、天狗に鍛えられたと話しておりました。ですが幻想郷縁起や史書に乗るような出会いではなかったのでしょう」

「慧音先生、お祖父ちゃんは個人で伝記作ってたから探せば見れると思うけど……」

「実父の伝記を読むのはちょっと……。必要になったら読みます」

「だよね。私ももっと未来で読むつもり」

 

 いささか気恥ずかしいものがあるので遠慮したいと言ったら、阿求も同意して笑う。

 

「とにかく、その当時は本当に妖怪との交流が少なくてね。阿七の頃の幻想郷縁起なんて本当に薄いわ」

「それが幻想郷を想って記されたのなら、貴賤などございません」

「私もそう思う。で、その頃にも災害はなかったけど……もしあったら、その度に悲惨な光景を目にすることになっていた」

「…………」

「もちろん、今だって危ないことに変わりはないんだし、備えないといけないけど……本当に、変わったのね」

 

 追憶の眼差しに楓は何も言えない。その時に自分が生きていたら、あるいは気の利いた言葉でも浮かぶのだろうか。

 ただ、一つだけ思ったことがある。今の幻想郷は決して変わったのではなく――

 

「阿求様。幻想郷は変わったのではありません。変えていったのです」

「え?」

「阿七様、阿弥様、そして父上。他にも多くの人妖がその状況を変えたいと願い、動いた結果に今があります」

 

 日々を過ごす間に気づいたら変わったのではない。今のままではダメだと叫び、それに同調した者たちが動いて、新しい形を作り上げていった。

 楓と阿求が立っているのはそういう場所なのだ。誰かが変えたいと願い、その願いが結実した場所に二人は立っている。

 

「当時の人々が作り上げたのです。そして私たちはそれを受け取り、ここにいる」

 

 道を切り開き、作ったのがかつて来た人々なら、受け取ってより良くしていくのが自分の責務である。

 楓が父超えを目標に掲げるのはそういった背景もある。継承するのが自分の役目であるなら、それ以上の存在にならなければ意味がない。

 それらを阿求に語ると、阿求は呆けた顔で楓を見てきたので楓は自分が熱くなっていたことを自覚し、頭を下げる。

 

「お兄ちゃん……」

「――っと、出過ぎたことを言いました。申し訳ありません」

「ううん、気にしてないわ。お兄ちゃんもそういうのを考えてくれていたんだなって、嬉しかったの」

「む……」

 

 阿求にとって楓は受け継いだ役目を果たすべく、ひたむきに努力して前に進もうとしている少年だった。

 その姿に疑いはないが、どうしてそこまで頑張るのかは疑問だったのだ。

 なんてことはない。彼は自分が両親――否、そこに連なる多くの存在から色々なものを託されて生まれたことを知っていた。

 知っているからこそ、それに応えたいと頑張っているのだ。無論、それだけでなく父親を超えたいという少年らしい意地も含まれているだろうが。

 

「ねえ、お兄ちゃん。この後って時間、ある?」

「阿求様がお望みであれば、いくらでも用意いたします。何ならすぐにでも」

「だったら少しお話しましょう? お兄ちゃんが一生懸命頑張っているのも知ってるし、それが私の助けになりたいからというのもわかってる。――でももし、それだけじゃないならその理由を聞かせてほしいな」

「――喜んで」

 

 自分のことを知りたいと阿求が願っているのだ。応えずして何が阿礼狂いか。

 楓は感極まって声が震えてしまう前に平伏し、顔を隠すことでその喜びを噛みしめる。

 やはり自分の主はこの方しかいない。その思いを胸に楓は自分の何を話すべきか、ゆっくりと言葉を選んでいくのであった。

 

 

 

 

 

 そうしてほんの少し時間が流れ――人里に小さな地震が訪れる。

 本当に小さな、立っていれば気づかない程度の揺れ。阿求と楓はその時同じ部屋に座っていたため、偶然気づけた程度のもの。

 

「あ、揺れた?」

「はい、私も感じました」

「じゃあ気のせいじゃないわね。前に言ってた地震ってこれかしら?」

「おそらくは。千里眼で見ていましたが、地鎮は行われたのでしょう」

「そうみたいね。一応、お兄ちゃんの目で確認してもらえる?」

「はっ」

 

 阿求の言葉を受けて楓は手早く人里を確認し、特に問題がないことを告げる。

 

「わからなかった人も多いようです。続いて少し範囲を広げます」

「お願い」

「紅魔館は揺れこそありましたが、特に被害なく。魔法の森も変わらず。守矢神社、妖怪の山も同じく。博麗神社が――は?」

「お兄ちゃん?」

 

 

 

「博麗神社が――倒壊しています」

 

 

 

 阿求の言葉を受けた楓が慌てて博麗神社に向かうのと同時刻。

 火継の家で鍛錬を行っていた椛のもとに、一人の少女が現れる。

 蒼天の髪持つ少女はその手に緋色の剣を持って、椛に剣呑な言葉を向けた。

 

「あら、あなたは確か楓のお友達の――」

「一週間ぶりね。楓のご母堂。――痛い目にあいたくなかったら、私についてきてもらいましょうか」




ということで本格的に緋想天が始まります。
てんこが椛を人質にとった理由? 不遜にも楓が殺意なんて物騒なもの飛ばしたじゃん?(真顔)

まあ真相は次話で。

楓が頑張る理由の一端は自分が受け継いだ者だから、というのがあります。ノッブや椛が頑張って今の時代を築いたのだから、そこにいる自分も頑張ってより良くしていきたいという思い。両親から色々受け取っているので阿礼狂い以外の部分はひどく真っ当。阿礼狂いの部分? はい()



そしてサラッと話に出た結界大騒動。大騒動時代の話も案はあったけど、さすがに関係なさすぎるのでボツに。そもそも規模も大したものじゃなかった(最大で鬼と天狗が数人で他雑魚妖怪を大勢率いている感じ)

……まあノッブも楓もいないならこの規模でも犠牲者多数の血みどろ合戦になるのですが。

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