阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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意思を試す者たち

 伊吹萃香。伊吹童子とも、酒天童子とも呼ばれることもある鬼。

 はるか昔、大江山に居を構え都の者たちを思うがままに蹂躙し、蹂躙された鬼の生き残り。

 

 そして数十年前、地底に隠れ住む鬼を率いて百鬼夜行を今一度引き起こした鬼の首魁の一人。

 直近で言えば博麗神社にて三日おきに人妖の全てを集めて宴会を続けるという異変――萃夢想異変を引き起こした張本人でもある。

 

 それ以降、彼女にも思うところがあったのかめっきり大人しくなり、時折博麗神社を訪ねて博麗の巫女がうんざりした顔になるのを楽しむ程度だった。

 しかし、当然ながら彼女も生きて活動している妖怪。それも幻想郷の管理者、八雲紫に匹敵する力量と能力を所持する存在だ。

 

 もっとも、当の本人はそんなことを気にした様子もなく伊吹瓢を傾け、中身の酒を呷って酒臭い息を吐く。

 

「……ぷはぁ! で、我が愛おしき鬼退治の勇者がどうしてこんなところにいるんだい?」

「ちょっと、知り合い?」

「昔に色々ありまして」

 

 天子に小突かれ、椛は困った笑いを浮かべながら説明する。

 それを耳ざとく聞きつけた萃香は大仰に手を広げると、高らかな口調で語り始めた。

 

「おいおい、冷たいじゃないか! かつての百鬼夜行の折、私との勝負に打ち勝ったのは紛れもないお前、ただ一人だ!」

「……は? 勝ったの? 鬼に? 天狗が?」

「そうさ! 偉業も偉業、大偉業! そこらの凡百な鬼なんかじゃない、この伊吹萃香様に!! そこの白狼天狗は見事勝ったことがあるんだよ!」

 

 信じられない、という目で天子は椛を見る。楓の母であり、妙に体の動きがこなれている以外何の見どころもなく、取るに足らない白狼天狗だとばかり思っていた。

 天子の瞠目に対し、椛はゆるゆると首を横に振る。

 

「正確には、十分の一にも満たないあなたを倒しただけです。あなたを完膚なきまでに叩きのめしたのは私ではなく、あの人です」

「そこはわきまえてるさ。私という存在に対し、よもや正面から蹂躙しうる人間がいたとは誰も思うまい」

「あの人?」

「そこの勇者の旦那だよ。もう鬼籍に入っちまったが、あの武勇は見事と言う他なかった」

 

 うっとりとした表情で過去を思い返す萃香。その表情はどこか焦がれたものを見つめるそれであり、そして次の瞬間には普段の様子に戻って椛に視線をよこす。

 

「まあ、あの人間について語るのはよそう。それは私じゃなく勇儀の役目だ。いずれにしても、恐怖を押し殺し、未来を見据え、私に立ち向かって打倒した。誰がなんと言おうと私はお前を勇者と呼び続けるよ。……というか私はお前さんの名前を未だに知らないんだよ!!」

「教えてあげても良いんじゃない?」

「しがない白狼天狗でいたかったんです。そも、私の名前なんて少し調べればわかるのでは?」

「そりゃもちろん。お前さんが人里でどのように呼ばれているかなんて百も承知さ。――私が知りたいのは呼び名じゃない。お前さん自身が胸を張って、私に名乗りを上げる名を知りたいんだ」

「であれば、名乗りません。あなたを倒したのはあの人であり、私はおこぼれに預かっただけの名もない白狼天狗で十分です」

「……ちぇ、強情だなあ」

 

 答える気がない椛を見て、萃香は実に残念そうに眉尻を下げるもそれ以上の追求はすることなく引き下がる。

 

「じゃ、私はこれからもお前さんを勇者と呼ばせてもらうよ。それでいいよね?」

「できれば忘れてくれると嬉しいです」

「そりゃ無理だ。私を倒した相手に敬意を払わねえなんざ、鬼の風上にも置けないってものさ。そのぐらいの矜持はある」

 

 きっぱりと言い切った萃香を見て椛は肩を落とした。次いで、疑問に思ったことがあったため再び顔を上げる。

 

「あ、でも楓が生まれてからはほとんど顔を見せませんでしたね。あれはどうして?」

「んー? 楽しみはとっておく主義でね。後はまあ……子が親の資質を受け継ぐなんてそうそう起こりゃしない。ダメそうなら私みたいな鬼と関わらん方が万事うまく行くと思ったんだよ」

 

 意外な気遣いに椛は目を見開くが、それを見て萃香はおかしそうに笑う。

 

「これでも勝者と敗者の分別は付けてるんだよ。私がでしゃばってお前さんらが不幸になるなんて笑えない。鬼退治の勝者は財宝を持って帰ってめでたしめでたしって相場が決まってる」

 

 まあ面白そうだと思ったらちょっかいかけるけど、と言って萃香はもう一度伊吹瓢から酒を呷る。

 どうにも掴みどころがない。鬼としての矜持を大切にする姿と、その矜持に反しない限りで楽しもうとする姿。

 椛の家族を尊重しながらも、自分の中で尊重のラインを逸脱しない限りちょっかいもかけてくると確信できる姿だった。

 その姿に椛は変わらないと笑うしかない。これは多分楓にも何かしらの面倒が行くなと思いながら。

 

「……酒に酔っているかと思ったらなかなかどうして。己の在り様を定めているのね」

「おっと、そろそろ話を戻そうか。私が来たのは別件だったんだ」

「別件?」

「そう。――なあ天人さんや、皆の心を萃めるのはあんただろう?」

「あら、ご明察」

「いかんせん、萃め方が雑だ。あれじゃ気質が天気として漏れちまう」

「それが目的だもの。気づいてもらわないと意味がない」

「へえ、その心は?」

「暇つぶし、というのが一番正確かしら」

「ふむふむ、なるほどなるほど」

 

 萃香は自分の立っている場所を改めて見回してみる。

 天界は雲の上にあり、見渡す限り花と桃の木が点在するばかり。

 

 美しい場所ではあるのだろう。萃香も風流を解さないわけではない。こういった場所で酒を飲むのはさぞかし気分良く飲めるはずだ。

 しかし、見渡す限りがこれでは飽きが来るというもの。美しい景色とてそれが続くなら人は見慣れてしまうし、たまには祭りの喧騒が恋しくなる。

 

「……ま、一時の羽休めぐらいなら良いけど、ここで暮らせって言われたら私なら退屈で死んじまう」

「その暮らしをしていたのが私よ。他の天人どもは欲望ってものがないからか、今に満足して私を不良天人とあざ笑うだけ」

「ふぅん、天人ってのも人と大差なさそうだ」

 

 どこに行っても立場の弱いものがいて、それを嗤う輩がいるのは変わらない。

 そんなんだから解脱できないんじゃない? と萃香は言いそうになったが口をつぐむ。仏敵である鬼が説教など笑い話にもならない。

 

「で、お前さんは心を萃めて人を呼んでるってところかい?」

「そうね。そこの白狼天狗はそのための人質ってやつ?」

「その気になればいつでも逃げれるでしょ?」

「逃げられない手段は別に用意してるわ」

 

 そう言って天子は下界を見据え、目論見通りであると薄い笑みを浮かべる。

 それに釣られて萃香と椛も下を見て、一直線にこちらへ向かってくる一組の男女を発見する。

 

「ほぅ、博麗の巫女と勇者の息子か。なかなか面白いところに目をつけたじゃないか」

「いささか予定外のことも起きてはいるけど、まあ利用できるものが増えたと前向きに捉えましょう。二人の気質は……博麗の巫女が快晴、楓が烈日、といったところかしら」

 

 どちらもらしい(・・・)気質である、と萃香は含み笑いをこぼす。

 反対に天子はやや不思議そうな顔になる。気質というのは本人の性質を指すものであり、先日話した楓の様子と今の気質が噛み合わないように感じられたのだ。

 だが、まあそんなこともあるだろうと天子は深く考えないことにした。今はそれよりも横で肩慣らしをしている鬼の対応の方が重要である。

 

「ふふ、私は酒でも飲みながら高みの見物と洒落込もうと思っていたが、予想以上に良い役者が揃っているじゃないか。こいつはちょっかいの一つでもかけないと損ってもんだ」

「ちょっと、私の暇つぶしなんですけど」

「だったら前座とでも思ってもらえばいいさ。私も本気でやろうってわけじゃない。……いや、それも楽しいか? というか鬼が手加減とかあり得ないのでは?」

「そこで自問自答に入る時点で信用も何もあったもんじゃないわね」

「いやいや冗談だよ! 鬼に横道はないが、遊びと本気の区別ぐらいつけるっての!」

 

 相手次第では遊びだろうと放り投げそうである、とは天子と椛両者に共通する感想だった。

 しかしこれ以上言っても止まりそうにない。そもそも天子が命令できるのは名目上は人質である椛だけだ。

 仕方がない、とため息をついた天子は軽く腕を振って萃香に向かうよう促す。

 

「鬼を遣いにできる、という天人らしさを報酬としましょう。遊び過ぎて壊れない程度にしなさい」

「へへっ、そりゃ相手次第だ。遊んでつまらんと思えば壊すだろうし、遊んでもったいないと思えば本気でやるさ」

 

 それを最後に萃香は身体を霞へと変え、この場から文字通り消え去る。

 見送った椛はまたも困ったような苦笑いを浮かべ、天子に声をかけた。

 

「天子ちゃん、私が言うのもあれですけどあの人は御そうと思って御せる人ではありませんよ?」

「……まあ、私の目的の妨害にならないならそれで良いわ」

「……? 暇つぶしでしたら楓と霊夢ちゃんが負けたりすることを考えると、妨害になるのでは?」

「目的の一つが潰れるだけよ。本命には問題ないわ」

 

 自信たっぷりに言い切る天子の姿を見て、異変を起こして祭り騒ぎを起こす以上の目的があるのだろうか、と椛は首を傾げるのであった。

 

 

 

 

 

 少し時間を巻き戻し、人里。

 霊夢と楓は人里にあった要石への仕込みが終わると、その足で一度稗田の屋敷に向かっていた。

 

「お前の神社が倒壊していることを話して向かったからな。余計な心配にならぬよう一度報告しておかねば」

「それは賛成。でもあんたは少し距離を離しなさい。事情は私の方から説明してあげるから」

「ええい、少し待て。ようやくこれの性質がわかってきたんだ。おそらくこれは天子の話していた気質、というものだ」

「気質ねえ……で、それがどうしたのよ」

「天子はこいつを蒐集することができると話していた。ということは、今自分たちに出ているものは天子の集めている気質の一部ではないか?」

 

 まあそうね、と霊夢も楓の言葉に一応の納得を見せる。

 

「で、それがどうしたってのよ。その話が本当ならこれは私たちの持つ性質そのもので、あんたがその暑っ苦しい天気なのは変わらないじゃない」

「いや、できるはずだ――ほら」

 

 その言葉と同時、霊夢は今まさに自分を襲っていた、灼熱の太陽が遠ざかっていくのを実感する。

 代わりに来るのは淡く、肌を撫でる程度の優しい風。

 

「微風といったところか。俺が阿求様のお身体に障る気質を許容するはずないだろう」

「うっわ気持ち悪い」

「ぶん殴るぞ」

 

 言葉と同時に手は出ていたものの、霊夢は軽くいなす。

 そうして稗田の屋敷に戻ると、パタパタと小さな足音を響かせながら阿求が出迎える。

 

「お帰りなさい、お兄ちゃんと霊夢さん! 霊夢さんは大丈夫でしたか!?」

「ええ、私の方には傷一つないわ。心配かけて悪かったわね、阿求」

 

 霊夢の元気な姿を見て阿求は安堵の息をこぼした。楓の口から霊夢がどうなっているかが聞けてなかったので、やはり心配していたのだろう。

 

「良かった……お兄ちゃんが呆然とした顔で神社が倒壊していると聞いた時は血の気が引きました」

「報告が遅れ申し訳ありません。一度霊夢の道具を私の家に預けておりました」

「で、その後色々と調べていたのよ。私もさすがに驚いたからね」

「そうでしたか。何かわかったことはある、お兄ちゃん?」

「はっ、報告させていただきます」

 

 阿求の部屋に場所を変え、楓は霊夢との調査で判明した事実を全て語っていく。

 

「――そして私の母上に先のことを脅迫に用い、人質に取ったものと思われます」

「そうだったの……この前の風神録と違って、ずいぶんと用意周到な話ね」

「阿求も椛さんが人質に取られたって聞いても心配しないのね……」

「あの人とは阿弥からの付き合いなんです。あの人が頼れることも知っていますから」

 

 阿求は誇るように胸を張ると筆を走らせていた手を止め、楓たちの方を見る。

 

「お兄ちゃんたちはこれからその天人の元へ向かうの?」

「自分を名指しで呼んでおりますので、自分は向かいます」

「私も行くわ。どんな意図があっても、神社を壊した落とし前はつけてもらうわ」

「異変解決に向かったのはお兄ちゃんと霊夢さん、と……。わかりました。心配いらないとは思いますが、二人とも気をつけて」

「過分なお言葉でございます。それでは――」

 

 阿求に頭を垂れ、立ち上がった楓は霊夢を伴って部屋から出ていく。

 その後ろ姿を見送って、阿求は自分の最も信頼する二人が揃って異変解決に出向くことに、何の不安も抱くことなく口元に小さな笑みを浮かべるのであった。

 

「ふふっ、こう言ったらお兄ちゃんは凹むかもしれないけど……どんどん巻き込まれた異変への対処が上手くなってるなあ」

 

 これまでは巻き込まれた出来事への対処で終わっていたが、今は主導権を握ろうと動いている印象を阿求に与えていた。

 だが、今は違うように見える。巻き込まれているのは変わらなくても、自分の手にどうにか収めようとしている風に思えたのだ。

 

 つまるところ、成長している。単純な力量だけでなく、考え方や精神に至る全ての面で目覚ましい勢いを発揮しながら。

 年齢で言えば阿求の方が楓より年下だ。しかし、阿七に始まり阿弥、阿求と側仕えとなった阿礼狂いの記憶はかなり鮮明に残している。

 そのため阿求はどこか弟の成長を見守る姉の心境で、穏やかに微笑むのであった。

 

「――頑張れ。お兄ちゃん」

 

 

 

 

 

「ちょっと意外ね」

「どうした」

 

 天界へ至る道中。妖怪の山を眼下に空を飛んでいると、霊夢が不意に声を上げる。

 律儀に反応した楓が振り返ると、霊夢は腕を組んで楓の方を見ていた。

 

「あんたがすぐ異変解決に着いてきたこと。要石の様子を確認してからでも遅くはなかったんじゃない?」

「お前が封じただろう。あれ以上のことは何もできないし、下手人は文字通り空の上だ。推測止まりの情報であれこれと動くくらいなら当人から聞き出す方が早い」

 

 霊夢が封印した以上、最悪の場合だけは避けられている。霊夢の力で無理だったら、それは幻想郷の誰がやっても無理なのでどうしようもない。

 であれば不安に震えて人里で待つよりは、天子の話に乗って天界に向かい、天子を殴り倒して本人の口から聞く方が確実だし手っ取り早い。

 

 それらを告げると、霊夢は呆れた顔で楓を見た。普段は異変は弾幕ごっこで解決すべきだと言うくせ、いざ動くとなると一切迷わず黒幕を殴り倒しに行く道を選ぶ。そこは博麗の巫女に華を持たせる場面ではないのか。

 

「もし相手が弾幕ごっこでケリつけよう、って言い始めたらどうするの?」

「言う前に殴り倒す」

「えっ」

「人の身内さらっておいてこっちが行儀良く付き合う義理があるとでも思ってるのか」

「……あんた結構怒ってる?」

「怒っているわけじゃない。道理にそぐわないことをやったのが向こうである以上、こっちも相応の態度に出て良いという話なだけだ」

 

 自分が守護すべき人里を好き放題され、母を連れ去ったことに思うところがないわけではない。ないが、怒りと呼べるほど強い感情ではない。

 例えるなら、椿が断りもなく勝手に騒ぎ始めて、人が眠ろうとしているところを邪魔している時ぐらいの苛立ちである。

 

「お前の方こそ怒ってないのか。神社が壊されたんだぞ」

「怒髪天を衝くって勢いで怒ってるわよ。それをあんたに向ける意味なんてないし、あんまり強い感情を持つのも好きじゃないってだけ」

「好きじゃない?」

「昔、爺さんが私に教えてくれたんだけどね。自由と無責任は違って、無責任なことをやれば巡り巡って積もった憎悪やら何やらで身動きが取れなくなるって話」

 

 霊夢の口から語られる内容は楓にも聞いた覚えがあるものだった。

 阿礼狂いというどうあがいても隔意を買う時が訪れるであろう一族に生まれ、なおかつ他者と接する機会の多い側仕えになっている以上、どんなに努力しても嫌われ者になるしかない時が来る。

 来るが、その時までに可能な限り良い感情を持ってもらうようにした方が良い。人間、一人でできることなどたかが知れているのだから。

 

「あれ、自分にも適用されるって思うのよ。自分自身がそういう強い感情を持つのって、それに捉われることなんじゃないかって思うの」

「ふむ」

「だからあんまり強い感情は持ちたくない。重い感情に振り回されるなんてまっぴら。もちろん、怒らないとか笑わないとかでもなくて……」

 

 上手く伝えられないことにもどかしいと、口をへの字に曲げる霊夢を遮って楓が口を開く。

 

「いや、言いたいことはなんとなくわかった。……俺と正反対だな」

 

 楓は常に御阿礼の子への狂気に縛り付けられている。それは先祖代々そういう一族に生まれ落ちたこともそうだし、自分で望んで縛られている面もある。

 無論、それはそれとして喜怒哀楽はちゃんと存在し、楓も阿礼狂いとしての一線に触れない限りは自分の心に正直に生きている。

 だが――楓たちが抱いていたい想いは御阿礼の子に幸あれという一念のみ。それが達せられるなら他の感情など全て不要であると言い切れる。

 

 唯一つの感情――一族の妄執と言っても良い――に捉われていたい楓と、天衣無縫にあるがまま生きたい霊夢。楓が自分たちを正反対と評した理由はここにある。

 

「え、なんか言った?」

「些細なことだ、気にするな」

「あんたがそういうってことはなんか面白いことな気がする。言ってみなさいよ減るもんじゃない」

「俺はお前のようにはできないと思っただけだ」

「当然でしょ。私だってあんたみたいにはできないんだし。ほんと面白くないわね、聞いて損した」

「殴るぞ」

 

 言いながら身体を翻して蹴りを霊夢に見舞うが、空を飛ぶ霊夢に何の引掛けもない攻撃が当たるはずもない。

 

「おっと危ない。しかし大分飛んだわね……もうとっくに妖怪の山の頂上は過ぎたわよ」

「俺の目で見てもここから先は雲が広がるばかりだ。どこが天界なのかまるでわからん」

「当てにならない千里眼ねえ……」

「うるさいな。光源がなかったり、視界を悪くするものがあるとどうしても見にくくなるんだ」

 

 それでも半妖なので常人よりも夜目は利き、多少の悪環境程度なら物ともせず見通すことができる。できるが、何事にも限度はあるという話だった。

 そして今回も例に漏れず、楓の千里眼をもってしても天界への入り口は見つけられない状態だった。

 

「こういう時こそお前の勘だろう。なんとかしろ」

「ったく、肝心なところで役に立たない兄ねえ。……こっちよ」

 

 大仰にため息をついた後、霊夢は先導するように楓の前を飛び始める。

 その後ろを楓もついていく。こういう時の霊夢は信用して良いので、疑うことなど考えもしなかった。

 雲の中に入っていき、しばらくした辺りで視界が開ける。

 

「ここが天界?」

「……違うが大分近くに来たらしい。俺の目にも見えた」

「ならここから先はあんたが案内しなさい。か弱い少女を矢面に立たせるんじゃないわよ」

 

 霊夢がか弱い少女であるかは議論の余地が大いにあると思いながら、楓は黙って前に進み、同時に霊夢を制止するよう手を伸ばす。

 

「――止まれ、霊夢」

「んぁ、なに?」

「……雲に紛れているが、何かいる」

「紛れているぅ? そんなこと言っても何も見えないわよ」

 

 霊夢は怪訝そうな顔になるものの、楓の表情が嘘や冗談を言っているとは別種の険しいものであるとわかったのでわずかに腰を落とす。

 警戒態勢に入った二人の間に僅かな静寂が訪れ――どこからともなく聞こえる高笑いが静寂をかき消した。

 

「は、ハハッ! ハハハハハハハハハッ!! 見えていないとはいえ私を感じるか! 疎の状態である私を察したか!!」

「この声は……萃香!?」

「知り合い……いや、萃夢想の黒幕か」

 

 この異変はまだ楓が関わっておらず、楓の父が対応していた。そのため楓に萃香と会った記憶はなかった。

 楓と霊夢の警戒を他所に萃香はひとしきり笑うと、楓たちの前に姿を表す。

 

 手足の鎖に繋がれた重りを軽々と装飾品かなにかのように振り回し、雄々しく天を衝く二本角を持つ小柄な少女――百鬼夜行の主、伊吹萃香。

 萃香は手に持つ瓢箪の中身を呷り、口元を拭いながら力強い笑みを浮かべる。

 

「軽い味見程度で済ませる予定だったが、もう滾ってきちまった。いやはや、この時代になって私を昂ぶらせるものが出てくるとはつくづく人生ってやつは面白い!」

「あんたがどうしてこんなところにいるのよ」

「うん? ああ、今の異変の黒幕に会いに行ってたのさ。ちょいと気になることはあったんだが、こっちの話だ。そっちは気にしなくて良い」

「話の経緯は一旦横に置こう。――お前は俺たちの邪魔をするのか?」

「ああ。黒幕の考えも何もかも横において、徹頭徹尾私の自分勝手な都合で――お前たちを試させてもらおうって心胆さ!!」

 

 その言葉と同時、萃香の総身からビリビリと妖気混じりの威圧が発せられる。

 肌が粟立つそれを受けて、しかし霊夢と楓は怯むことなく互いの情報を合わせて戦闘態勢を作っていく。

 

「霊夢、情報」

「疎と密を操る程度の能力を持ってる。さっきみたいに身体を薄くしたり、逆に大きくしたり、分身したりやりたい放題。だけど薄くなれば力は発揮できないし、分身したらその数だけ力は分散する」

「なるほど。萃夢想の時はどうした?」

「私と魔理沙と咲夜と妖夢。四人がかりで萃香の分身含めてぶっ飛ばした」

「俺とお前で勝算は」

「――絶対勝てるに決まってんでしょ。誰にもの言ってんのよ」

 

 語るまでもない、と断言した霊夢の姿に頼もしいものを覚えながら楓が前に出て抜刀する。

 

「俺が前、お前が後ろ」

「異論なし。だったら始め――」

 

 

 

「――ああ、それは少し待ってもらえるかしら」

 

 

 

 いざ勝負、と両者が動き出そうとした瞬間だった。互いの空間に酷薄な少女の声が響いたのは。

 声の主が誰かは全員がすぐに察する。そして全員が警戒する中で少女――スキマ妖怪、八雲紫が姿を表す。

 紫は扇子で口元を隠しながら、全く笑っていない目で三人を睥睨する。そして場に似つかわしくない軽やかな声で告げた。

 

「はぁい、お三方。ごきげんよう」

「ごきげんよう、なんて答えられる様子には見えないわね。どうしたのよ、紫」

「おいおい、スキマ妖怪が出張ってくるとは驚いた。やっぱり博麗神社の倒壊は大きかったのかい?」

 

 霊夢、萃香の呼びかけに対して紫は答えず、視線が楓の方へ向いた。

 

「あなたたちはこれから異変の黒幕を退治しに向かうところかしら」

「……見ればわかるだろう。俺と霊夢で異変解決に向かっているところだ」

「……解決?」

 

 その言葉を聞いた紫の目が細められ、楓を射抜く。

 これまでの付き合いで見てきたどの表情とも違う、殺意を孕んだその瞳に楓はいつもと様子が違うことを察して内心の警戒度を上げる。

 

「ぶっ飛ばすって言ってんのよ。いつも通り、今まで通り、ね」

「――それだけで足りる相手だと思ってるの?」

 

 霊夢の言葉に対して放たれた紫の言葉は、恐ろしく冷たく怒りを押し殺したものだった。

 

「霊夢。あなたなら理解してもらえると思って言わせてもらうわ。――今回の異変はこれまでとはまるで違う。博麗神社の倒壊といい、幻想郷の根幹を揺るがしかねないものよ」

「わかってるわ」

「博麗神社は博麗大結界の楔でもあり、あの場所が長期間壊れたままだと博麗大結界に支障すら出かねない」

「わかってる」

「知っていたかどうかなど関係ない。此度の異変を起こした相手には退治などではなく、死を――」

「それは理解できないわね」

 

 黒幕の死を望む。その言葉に霊夢はピシャリと言い切る。

 

「怒ってないとは言わない。恨んでないとも言わない。――でも殺す気はないわ。私も楓も、相手を退治して異変を終わらせるだけ」

「……なぜ!」

「楓には言ったけど、そういう重たい感情に振り回されたくないの。もちろん怒ってるけど、一発思いっきりぶん殴って終わらせるつもり」

「……楓! あなたはどうなの!!」

 

 霊夢の理解を得るのが難しいと思ったのだろう。紫は楓の方に視線を戻し、問うてくる。

 

「……俺はあの天人に母上をさらわれ、人里に要石を埋め込まれた。正直、被害という点なら霊夢と同じ程度だと思う」

「ならば――」

「だが、御阿礼の子ではない」

 

 なので楓にも殺す気はなかった。御阿礼の子に被害は及んでいないのだ。母がさらわれようと、楓に相手を殺す意思は生まれない。

 

「……要石は違うのかしら?」

「悪用する素振りを見せたら殺す。殺すが、すでにこちらで手は打ってある」

 

 人里に地震を起こそうとしたら、それはもう御阿礼の子の敵である。敵になったなら殺すことへの躊躇は覚えない。むしろ殺意も覚えない。その時点で楓にとって天子は終わった存在になるのだから。

 しかし、いずれにしても今ではない。そう答えると紫は扇子で隠した口元を不愉快そうに歪める。

 

「…………そう」

 

 どこか残念そうな声音でつぶやくと、紫は萃香の隣に立つ。

 

「意思は受け取ったわ。――ならば次は力を示しなさい。私はあの天人を殺すべきだと思っている。あなたたちは生かすべきだと思っている。ぶつかった以上、どちらかの意思が折れるしかないわ」

「おいおい、私が味見しようと思っていたんだけど――まあ良いか。紫が本気で怒ったところなんて久しぶりに見たし、ここは古い友人の怒りに付き合ってやろうじゃないか」

 

 萃香と紫。どちらも大妖怪どころか、幻想郷の枠組みで見てもトップクラスの妖怪。

 その二人が力を合わせ、自分たちの意思を手折ろうとしている。

 楓は刀を握る手に力を込め、後ろの霊夢を見た。

 

「……霊夢」

「なに」

「――やるぞ。誰が相手であってもやることは変わらない」

「言われずとも私の――いいえ、私たちの邪魔をするやつは全員ぶっ飛ばす!!」

 

 己の意思を貫くことを邪魔するやつは退治して進む。その意思を宿し、楓と霊夢の二人は恐れることなく最大の敵へと向かっていくのであった。




次回は萃香&紫と霊夢&楓の勝負です。恐ろしい組み合わせですね。筆が滑りました()

霊夢と楓は相性も良いし仲も良いですけど、生き方については正反対だったりします。
御阿礼の子への思いに縛られていたい阿礼狂いと、なにものにも縛られたくない博麗の巫女。

お互いに相手を深く理解しようとしたら必ず破綻します。そもそも阿礼狂いについての理解を得るのはSANチェック案件なので霊夢は触れないようにしています。
それでも霊夢と楓は仲の良い兄妹です。楓はあれで妹思いですし、霊夢はあれで楓を頼りにしている。前作で言うなら先代とノッブの関係が一番近い。

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