最初に激突したのは萃香の拳と楓の剣閃だった。
「はっはぁ!!」
実に楽しそうに、それでいて瞳は注意深く楓を値踏みするもの。
そして振るわれる拳に秘められた力は鬼の首魁を名乗るに相応しく、かすっただけでもその部分が弾け飛ぶような威容を誇っていた。
刀で受けることすら不味い。直感的に悟った楓は空中で身を翻してその拳を避け、反撃の刃を手首に奔らせる。
「っ、硬い……!」
関節を狙った腕の切断。完璧な隙を見計らって放った右の長刀は、しかし肉と骨の異様に硬い感触に阻まれてしまう。
まるで鋼で作られた肉を斬りつけたような気分である。とても一太刀で切り落とせる強度ではなかった。
「そんなものか、勇者の息子よ!!」
骨で止まった刃を物ともせず、空いた手を握った拳が楓に迫る。
対し楓は冷静な表情を崩すことなく、左の刀をその拳へ側面から叩きつける。
斬れるはずがない。先の一撃で斬れなかった以上、左の刃も同じ結果に終わるだけだ――などという侮りを持っていたわけではなかった。
この少年は萃香ともう一人の首魁、星熊勇儀の二人を薙ぎ払った男の子供であり、その才覚を正しく引き継いでいることも知っている。
しかし――萃香は迫りくる刃を避けることはしなかった。
少なくとも、彼の父親であれば無駄とわかっている動きはしない。彼の才能を正しく受け継いだ楓もまた、意味のない行動はしないはず。
この腕を斬る算段が彼の中でついているはずだ。策があるならば――踏み潰すのが鬼の覇道である。
振るわれる刃に対し萃香は逃げることも防ぐこともせず、ただその刃が手首を通るままにする。
そして激痛と同時に手首から先の感覚が消え失せたことに、萃香はむしろ笑みを深くした。
「――はっ、それでこそだ!」
悠々と距離を取り、左手が再生するのを待って萃香は口を開く。
「いや、見事見事。斬られた思い出は数あれど、一撃で切断まで持っていく斬撃を身に受けたのは数えるほどだ。今の一撃、どうやった?」
「肉体の強度がわかっているんだ。だったらそれを斬るように刃を動かせば良い」
今の楓にとって、それはそう難しいことではなかった。多くの妖怪と戦い、積み重ねた経験が楓を一つ上の領域に押し上げている。
「……なるほど、それだけで実践するか」
「悪いが問答はここまでだ。とっととお前を片付けて霊夢の援護に回る必要がある」
楓の千里眼が捉えている二人の姿は、霊夢が亜空穴を使い、紫がスキマに身を滑り込ませて全く法則性のない動きでそれぞれが交錯しているものだ。
霊夢が弱いとは思っていない。弾幕ごっこの領分であれば夢想天生で自分含めた三人が相手でも薙ぎ払えるだろう。
しかし今回は違う。何より紫は相当怒っているのが読み取れた。早いところ霊夢を手助けしなければ取り返しのつかない事態になる可能性だってある。具体的には天人の命が無くなりそうな。
……天子との付き合いがそこまで長いわけでもないので死んだら死んだで残念だったな、ぐらいの感想しか出ないが、今の自分たちは曲がりなりにも異変解決に来ているのだ。
要するに自分たちの意思を邪魔されるのが気に食わないのである。口で真っ当なことを言ったところで、楓も結局は幻想郷の住人と言えた。
「……ほぅ? 私に勝てると思っているのか?」
「負けると思って挑んだことはない」
「そりゃそうだ。けどね、あんたが前にしているのはそんじょそこらの凡百な妖怪じゃない。――大江に謳われた伊吹萃香さまだ!!」
だが、次を見据えた楓の態度は萃香の癪に障ったのだろう。気炎を上げ、怒りの威圧を楓に突き刺してくる。
「…………」
「だからどうした、って顔だね。普段なら良い気骨だと褒めるところだが、今の私は虫の居所が悪い。試すだの遊ぶだのまだるっこしいこたぁやめだやめ。――鬼を嗤う者はぶっ潰す。それが私を退治した者の子であってもだ」
「……お前が俺をどう思おうと、俺のやるべきことは変わらない」
相手が誰であっても楓は意思を曲げるつもりはなかった。
それに先の攻防で確信したが――自分はもう格上に挑む挑戦者ではない。大妖怪を相手に対等の勝負ができる領域に到達している。
「鬼をも退けた父上の偉業――ここで並んでみせよう」
「よく吠えた天狗崩れ!! その言葉が大言壮語でないと、この伊吹萃香を相手に証明してみせろ!!」
再びの激突は両者とも離れることなく、互いに零距離で拳打と斬撃の目まぐるしい応酬が始まるのであった。
一方、霊夢と紫は白兵戦を繰り広げる楓たちとは対照的な一撃離脱の戦いを繰り広げていた。
「しっ――!」
亜空穴を連続して開き、秒と同じところに留まることなく霊夢は不規則な移動を繰り返し、紫の背後や側面を取っていく。
「さすが。腕を上げているのね、霊夢」
縦横無尽に、なおかつまるで規則性のない動きで接近してくる霊夢の姿に紫はどこか微笑ましさすら覚え、スキマに身を滑らせる。
次に紫が現れるのは霊夢の頭上。人の注意が薄れやすいそこへ現れて閉じた扇子を向け――
「っおらぁ!!」
紫の存在が知覚できたわけでもないだろうに、霊夢の放った昇天脚が紫の扇子を弾き飛ばす。
「っ、獣じみた勘ですわね本当に……!」
「これが博麗の巫女の力よ!! あんたこそ鈍ったんじゃない?」
飛ばされた扇子はスキマに落ちて再び紫の手に戻るが、彼女の目に余裕は消えていた。
対し霊夢は気炎を上げながらも冷静に紫の状態を分析する。
(過激なこと言ってた割りに動きは
夢想天生を使用したところで、紫に姿を隠されたらどうしようもない。
あくまで霊夢の夢想天生は己の肉体を空にして何者からの干渉も受け付けず、目に見えるもの全てを殲滅するまで止まらないというだけ。
要するに霊夢の視界から逃げられたら追いかけられないのだ。
先ほどの瞬間移動の連発でチラリと見えた、楓と萃香の勝負は互いに至近距離での殴り合いになっている。あれに混ざるのは霊夢と言えど自殺行為に等しい。
白兵戦という分野において楓以上に腕の立つ存在を霊夢は知り合いの人妖含め、自分の師匠以外に思い当たらない。
その楓と萃香は互角の勝負をしているのだ。やはり鬼の首魁は伊達ではないということ。
そして霊夢の勘が告げていた。――あの勝負は自分か紫どちらかの介入がなければ長引くだろう、と。
(あっちの助力はアテにできない。かといってこっちも時間がかかる)
おまけに勝率で言えば分の悪い勝負である。あくまで戦いになるというだけで、さすがの霊夢も境界の賢者相手に優位な勝負ができるとは思っていなかった。
「全く、楓がいるといつも騒ぎが大きくなる。紫と戦うなんていつぶりかしら」
「……引くのなら追わないわ」
「冗談。私も楓も、引けと言われて素直に引いてやる殊勝な性格じゃないわよ」
分の悪い勝負になる――だからどうした。霊夢に戦い方を教えてくれた先代らの二人は、霊夢が博麗の巫女として戦う勝負に負けは許されないと教えたのだ。
それは相手が誰であっても変わらない。人が相手でも、妖怪が相手でも、神が相手でも、境界の賢者が相手であっても。
圧倒的な存在を相手にしても怯むことなく総身に霊力をみなぎらせた霊夢を、紫は目を細めて見つめる。ただしそれは子供と思っていたものの成長を喜ぶそれではなく、己の邪魔をする存在への不快気なものだったが。
「……不快ね」
「お互い様よ」
「いいえ、これは私のもの。――あなた程度の技量で私に勝てると錯覚した思い上がり、ここで正してあげましょう」
紫の一方的な言葉と同時、霊夢は再び亜空穴を開いて移動を始め――
移動した先へ開かれていたスキマに目を見開いた。
「――っ!?」
驚愕に動きを止めた霊夢の頬をスキマ越しに伸びた紫の手が撫でる。
「所詮、人間の浅知恵。霊夢、あなたの動きに私が馬鹿正直に付き合ってあげていたと思って?」
「……そういうこと。パターン探し」
「その通り。一人の人間だけで完全な不規則、というのは無理な話なの。指向性を持たない弾幕ならさておきあなた自身の移動である以上、そこにはどうしてもあなたの意思が介在する」
「だからそれを読んでしまえば私の移動先なんて全部お見通しってわけ」
「正解」
紫の繊手が霊夢の額を小突き、スキマが閉じる。
「これであなたの手は封じたわ。亜空穴が大した技であることは認めましょう。その歳で私と一芸とはいえ張り合えるのですから。――でも、それで私と対等になったわけではない」
「…………」
「もう同じ技は通じない。当然、大技にかけても無駄。これでもまだ戦うかしら?」
「……当然でしょ。私は博麗の巫女。私が屈することなんてあってはならないのよ」
霊夢の戦意は揺るがない。札と退魔針を両手に構え、陰陽玉が彼女を守るように前に出る。
本当に素晴らしい巫女に育った、と紫は内心で嘆息した。歴代随一とも呼べる才覚に合わせ、勝ち目のない相手であっても萎えることのない精神力。
あと二、三十年もすれば八雲紫と同等、ないし彼女を超えた領域に到達するだろう。
人間の中には時折、妖怪を正面から打倒する天稟の持ち主が現れることを紫はここ百年の間に思い知っていた。
けれど、それでもまだスキマ妖怪には届かない。
「では――終わらせましょうか」
スキマに腰掛けた紫が扇子を開き、口元を覆い隠す。伺い知れぬ口に浮かぶのは健闘を称える微笑か、あるいは身の程を弁えなかった愚か者への嘲笑か。
霊夢は自分の中で考えをまとめると、ゆっくりとその肉体から余計な力を抜いていく。
夢想天生に賭ける気であると紫は即座に見抜き、苦笑する。
霊夢の夢想天生は発動までに僅かな溜めが必要になる。互いに遊びの範疇なら無視できる程度のものであっても、今は戦いの趨勢を決められるほどの大きな隙になってしまう。
それでも霊夢が可能性を見出すなら、これしか浮かばなかったのだろう。責めることではない。追い詰められた以上、一発逆転の可能性を探すのは当然である。
(当然、悪手――)
次の一撃で霊夢の意識をなるべく優しく刈り取り、萃香と戦っている楓を二人がかりで潰し、目的を果たそう。
霊夢の行動は読めている。手に持つ札と退魔針を全方位にありったけ飛ばし、陰陽玉も目くらましにして時間を稼ぎ、夢想天生を発動させる。
「はっ――!」
霊夢の手から放たれた弾幕を、紫は指の一振りで霊夢の全方位にスキマを開き、あらぬ方向へ飛ばしてしまう。
次いで放たれた陰陽玉もスキマで遠くへ飛ばしてしまう。手元に戻すには亜空穴を使うか、時間をかけるしかない。無論、夢想天生の準備をしている霊夢にそんな余力はない。
「おやすみなさい。次に目覚めたときには全て終わっているわ――」
小さなスキマを一つ。そこから腕を伸ばし、霊夢の頭を慈母の如く撫でるだけ。それで終わりだ。
そう。ここで紫は一つ誤った。霊夢を倒すのなら、ちゃんと正面からその姿を現しておくべきだったのだ。
紫の手が霊夢の頭に伸びる瞬間、霊夢は賭けに勝ったと言わんばかりの笑みを浮かべていたのだから――
楓と萃香の勝負は熾烈極まる白兵戦ながら、一定の法則を見せていた。
すなわち、楓の斬撃は萃香に通り、萃香の攻撃は楓にかすりもしていないのである。
「はっは! この距離でよく避けるじゃないか!! 私も振るう甲斐があるってもんさ!」
「受けたら死ぬだろうが……っ!」
手足を振り回し、手首や足首にある分銅まで使用した萃香の攻撃を楓は全て見切り、一つ一つ丁寧に回避と受け流しを成立させる。
回避と受け流しにしても、極力萃香の肉体に触れないことを念頭に置いたもの。
それもそのはず。下手に受けたが最後、鬼の膂力を前に楓の肉体は耐える術を持たない。半人半妖故に治癒はするかもしれないが、まず間違いなくこの戦闘で使い物にはならなくなる。
この前提ですら手足をかすめたら、という前提である。胴体に直撃などしたら、再生すらしない血煙となる未来しか見えなかった。
「にしても上手いものだ。私の肉体を綺麗に捉えて斬ってくる。ここまでの痛みを受けたのはあの日以来だね」
「少しも痛そうには見えないが……なっ!」
身を翻して顔面を狙う拳を回避し、同時に勢いを利用して萃香の胴体を斬り裂く。
刃は間違いなく萃香の肉体を両断しているというのに、萃香はまるで気にせず攻撃の手を緩めない。
「斬り方が綺麗すぎるってのも考えものだ。私の身体は鈍感でね。――ここまで綺麗に斬られると斬られたこともわからないんだよ!!」
「……っ!」
ふざけるな、と叫び出したい気持ちを舌打ちに込める。
鬼との勝負は理不尽に抗うことだと昔、父に聞いたことがあったがそれが身にしみて実感できた。
萃香の肉体は頑健過ぎる。楓も綺麗に斬りたくて斬っているわけではなく――それ以外に鬼の肉体を切断する術がないのだ。
しかし寸分の狂いもない斬撃は萃香の肉体に対し、傷となり得ない。
何たる矛盾か。鬼の肉体を刃に負担なく斬るには狂いなど許されないというのに、その斬撃では鬼の肉体を切断できないとは。
(父上の話していた鬼を倒す術が一つ!)
斬撃を重ねること。一撃で切断ができずとも、斬撃を一瞬の間に同じ場所へ重ねることで切断を可能にする技法。
鬼の肉体を斬るためだけに編み出されたと言っても過言ではないそれを思い出し、楓は実行しようとして――手応えが急に軽くなったことに目を見開く。
「っ!?」
「お前さんの腹は読めているよ。私の身体に有効打を刻むなら、一刀両断ではなく千の刃を一つに束ねるしかない。――お前の親父も同じことをやってきたよ」
萃香の腕を切断せんと迫る斬撃を――刃の触れる箇所だけ疎として斬撃を受け流してみせたのだ。
驚愕した楓に追撃することはなく、萃香は堂々とした動きで距離を取り、見せつけるように手足の一部を疎に変えては戻すことを繰り返す。
「鬼がチマチマした小技を使うって思うかい?」
「……らしくないとは思う」
萃香は能力を便利に使いこそするものの、能力の使い方への技量向上などには無頓着な印象を受けていた。
先の攻防にしてもそうである。疎と密を操る程度の能力を活用したのは最初ぐらいで、後は鬼としての殴り合いに終始していた。
楓の疑問を見抜いたのだろう。萃香は尤もだとうなずいて口を開いた。
「私も自分でそう思うよ。こんな小賢しい技、人間のすることで鬼のやることじゃないってね」
「ならばなぜ」
「――負けたからだ。正面から言い訳もできないほど完膚なきまでに叩きのめされた。たった一人の人間に」
それが父であることはすぐに察せたが、理由に繋がるようには思えず楓は眉をひそめる。
「妖怪ってのは大体どいつもこいつも自分の力こそが一番だって思うところがある。力こそが拠り所なんだ」
「それがどうした」
「わからないかい? ――力を頼みにする者が力で負けたんだ。だったら次は足りないものを埋める工夫の一つもするってことだよ」
「…………」
「それが私に勝った人間への敬意であり、餞だ。私はあの時以上に強くなり、打倒した勇者たちの価値を決して翳らせない」
そう言って萃香は再度拳を握る。その拳すらもゆらゆらと疎と密を行き来し、まるで焦点が定まらない。
防いだ瞬間は疎に変えて、直撃する瞬間だけ密に変える。単純故に対策も取りにくいが、同時に目まぐるしく動く戦場でそれを実現できるのは鬼の動体視力があるからだろう。
「ここからは私も技を使う。――この拳、お前はどう捌く?」
「…………」
楓の表情は変わらず、冷徹にすら見える凍てついた顔で双刃を構える。
同時に頭の中では目まぐるしく思考が回転し、状況の打開策を探していた。
(――不味いな。今の自分では打つ手がない。父上ですら霊力がなければ敗色濃厚な相手だぞ)
父はかつて、霞と変じた萃香の肉体を斬り裂いて苦痛を与えたと聞いていた。
だがそれは苦痛を与えただけであり、致命傷を与えたとかそういった話ではないのだ。言い換えれば、父の剣をもってしても疎の状態になった萃香へ有効打は与えられなかったということ。
五体を霞に変え、変幻自在の攻防を成立させる萃香を斬ることは――可能であると楓は確信していた。幾度も激突を交えた今なら、霞の手応えもわかっている。
斬って、萃香に驚愕と苦痛は与えられるだろう。しかし、そこまでが楓の限界だ。
身体を霞に変えた瞬間を見計らい、風の術で萃香を吹き飛ばす? やったところで密になれば対処されてしまう。
炎の術で身体を体内から焼き尽くす? ――実はさっきからやっていた。鬼の肉体は熱にも強いのかまるで応えていない。あるいは萃香が能力で炎を消しているのか。
天狗礫は当然無理。楓もあれは妖怪相手に目くらまし程度の効果しかないと認識しており、その認識は正しかった。
魂縛りの魔眼は魂の拘束を行うばかり。萃香の能力に干渉することはできない。もう一つ先の力を使えば問答無用に勝てるが――その後楓は幻想郷のあらゆる勢力に殺されるだろう。
つまり――楓に打開する手段はもうない。それで心折れるほど殊勝な人格ではないので戦意は変わらないが、この状況から自分一人で脱するには一度や二度の奇跡では足りなかった。
「――――」
「さて、休みももう良いだろう? 戦いを……いいや、鬼の蹂躙を見せてやろうじゃないか」
「……勝ったつもりでいるんだな」
「ああ、悪いがお前の見立ては終わった。今のお前さんに私を倒す術はない。痛手を与えることはできても、それが関の山だ」
「そうだな。否定はしない」
霊力が使えない。鬼を相手にした場合、それがひどく重い枷として楓を縛る。父も霊力を使う必要がある相手であっても、楓は己の妖力と剣術で戦うしかないのだ。
「――だが、負けたとは思っていない」
「ほぅ? それはどういう――」
「――こういうことよ!」
瞬間、楓の立っていた場所に霊夢が現れ、萃香に陰陽玉を飛ばしながらこれでもかと言うほどに霊力を込めた四肢で殴りかかってくる。
萃香は慌てて防ぐが、楓の斬撃と違い霊力がある霊夢の一撃は萃香の芯と呼べる何かを重く震わせる。
「う、ぉっと!?」
「あんたたちに肩並べるって発想はないかもしれないけどねえ! こっちは二人いるのよ!!」
霊夢は萃香の驚愕を見逃さず胸に遠慮のない蹴りを食らわせた後、目にも留まらぬ速度で素早く印を組む。
「疎と密だか黒蜜だか知らないけど! ――要するに逃げ場をなくせば良いんでしょう!!」
瞬時に編み上げられた術式、二重結界が萃香と霊夢の空間を削り取り、二人は狭い空間で互いに相対する。
萃香は驚きながらも意図を理解したのか、鷹揚にうなずいて口を開く。
「まさかこっちに来るとは思わなかったよ。だが間違っちゃいない。私を倒すならお前の方が――」
「死ねゴラァ!!」
「巫女の言っていい台詞じゃないだろそれ!?」
話を聞く姿勢がまるで見えない。萃香はこの巫女で大丈夫なのだろうかと幻想郷の未来に一抹の不安を覚えつつ、肌を二重結界がかすめた痛みに顔をしかめる。
先の楓は技量のみで萃香を傷つけたが、これは違う。霊力で編まれた妖怪特効の結界。触れるだけで萃香ですら無視できない痛みが走る。全身が触れたらあまりの痛みに泣き叫ぶかもしれない。
面白くなってきた、と萃香は獰猛に笑う。楓の器を見るのもそれはそれで楽しかったが、やはり喧嘩は楽しい方が良い。
そうして霊夢が萃香に殴りかかった瞬間、楓は逆に霊夢が先ほどまで立っていた場所に現れる。
「――っ!」
出現と同時、周囲を覆っていたスキマをその双刃で斬り捨てて紫へ向かう。
「何を……!」
「霊夢の思考は読めるそうだな。――俺の考えは読めるか?」
紫はスキマへ身を滑らせようとし、瞬時に身の危険を察してスキマから離れる。
するとスキマの空間を覆う形で風の刃が形成される。気づかなければ紫の身体はバラバラとまではいかずともズタズタに切り裂かれていただろう。
霊夢との数え切れない組手の中で、亜空穴による瞬間移動を受けたことなどいくらでもある。当然、対策も存在する。
亜空穴、スキマ、どちらも実質的な瞬間移動を可能にする厄介極まりないものだが――異空間へ身を潜り込ませる動作が必要になる。
霊夢で言えば亜空穴を使って移動した先で攻撃するための体勢を整える必要があり、紫は開いたスキマへ身を投じる必要がある。
それを楓は見抜くことができる。後は紫と楓の思考の読み合いである。
楓が接近してくるため距離を取ろうとスキマを開くが、その度に礫や風が移動の邪魔をする。おまけにスキマを開く度に楓の反応が早くなっている。紫にとって業腹なことに、楓の思考速度が紫のそれに匹敵しつつある証左だった。
これで移動のためのスキマは封じることができた。後は腕や指が通る程度の極小規模なスキマから散発的に放たれる弾幕や、紫自身の卓越した結界術から繰り出される結界を回避し、懐まで潜り込み――
「――終わりだ」
楓の言葉と同時に振り下ろされた刃が、
同時、楓と入れ替わった霊夢の拳が紫を捉えていた。
「え、ぁ……?」
「俺と霊夢の付き合いは長くてな――それこそ、あいつの目を見れば大体何をやりたいのかわかるんだ」
萃香は霊夢の攻撃に、紫は楓の攻撃に備えたはずなのに来たのは攻撃の瞬間に入れ替わった別人による攻撃。
入れ替わった絡繰自体は二人とも気づいている。霊夢の亜空穴で霊夢が先に移動し、残っている亜空穴に楓を放り込んだ。それだけのことである。
そして楓は霊夢に難しい紫への懐に入る役目を果たし、霊夢は楓に難しい萃香への決定打を用意する役目を果たし、それぞれの相手に戻っていった。
しかしそのタイミングが完璧過ぎた。まるで互いに攻撃する瞬間までわかっていたようで――
「俺は霊夢を常に見て入れ替わる瞬間を見ていた。あいつは……まあ、勘だろうな」
いつもなら勘に理論をつけろと小言を送るところだが、今回はそれに助けられたので何も言えない。
「種明かしはこれぐらいで良いだろう。――では」
虚を突かれ、斬られたままの傷はまだ治っていない。そして今なお二人の身体は二重結界の中にあり――楓は無慈悲にも萃香の肉体を結界に押し付けた。
「あっ」
昨日の夕飯を思い出したような軽い声を最後に、身も世もない悲鳴が二重結界の中に響き渡るのであった。
そして――
「せいっ! はっ! そりゃっ!!」
楓と入れ替わり、紫の懐に潜り込んだ霊夢が紫の腹へ思いっきり拳を突き刺した後、追撃の拳を紫の顔面にぶつけていた。
「ちょ、待っ、やめなさぶっ!?」
「うっさい! 手を緩めたら私が負けんのよ!!」
「参った! 参りましたから降参を認め痛い!? 殴ってないで人の話を聞きなさい!!」
「あんた気絶させた方が私も安心できるわ!! だからおとなしく殴られて気絶しなさい!!」
「ああもう!! 誰ですかこの巫女をこんな野蛮人に育てたのは――!!」
一方、霊夢は紫のことをまだ殴り続けており楓たちが止めに入るまで続くのだが、まあそれは些細なことだろう。
本編で楓は萃香と、霊夢はゆかりんと戦ってますが、実際に相性が良いのはその逆です。
霊夢は萃香にダメージを与えられる霊力が使えますし、楓はゆかりんと知恵比べで勝負ができるので思考パターンが読まれにくい。
萃香と後のお話に出てくる勇儀もですが、人間に正面から負けたので人間の技を取り入れ始めています。ぶっちゃけ前作より多少ですが強くなってます。
そしてゆかりん。スキマ妖怪なんだから人間一人の思考を読むくらいわけないので、めちゃくちゃ戦いにくい相手です。ただし肉体の強度自体は鬼に匹敵するとかではない。あと何をするにもスキマが起点になるので、スキマ対策を用意できればまあ戦えなくはないです。
ただしある程度ゆかりんと知能勝負できないと思考パターン読み切られて詰みます()