阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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緋想天の天人退治

「ええ、認めましょう。霊夢と楓。二人が揃うなら、私と萃香であっても手こずる相手である、と」

 

 戦いを終え、八雲紫は二人を前に仰々しい言葉を述べていく。

 二人はそんな彼女を前に何かを噛み締めたような、いかめしい顔つきでその言葉を聞いている。

 

「…………」

「両者ともに私の予想を超えて成長している。そのことを嬉しく思うと同時、私たちは敗者としての役割を果たします」

「…………」

「此度の異変に関して、あの天人がこれ以上の狼藉を働かない限り、全てをあなたたちに一任する……ちょっと、なぜ黙っているのです?」

 

 無言を貫く二人の代わりに、二重結界をまともに受けて全身がボロボロになっている萃香が呆れた顔で口を開く。

 

「いや、だってさあ。そんな扇子で顔を隠して、明らかに殴られまくって頬の腫れた話し方されちゃ黙ってないと笑っちまうでしょ」

「誰のせいだと思ってるのよ!!」

 

 扇子越しに聞こえるツッコミはどこか先ほど以上の怒りを感じてしまう。そして話しにくいのか言葉には今ひとつ力がない。

 ……当然ながら楓は千里眼でバッチリ見えているので、口の内側の肉を噛んで笑いを堪えている状態だった。霊力を込めて殴ると傷も相応に残るらしい。楓が斬っていた場合、もう治っていた可能性が高い。

 

「だ、大丈夫よ紫。霊力をたっぷり込めて殴ったけど、あんたなら一日もしないで治るでしょぷふっ」

「私を自由にしたら負けるとか言ってましたけど、それだけじゃなかったですわよね!?」

「まさか。日頃訳のわからんことばかり言って煙に巻いてくるやつを好き放題殴れて超気分爽快! とかこれっぽっちも思ってないわよ? うんうん、私、博麗の巫女。異変解決に嘘つかない」

 

 いやこいつは異変解決にかこつけてそういうことする、とは霊夢以外の三者が同時に抱いた感想だった。

 さすがに不憫に思ったのか、萃香が紫の隣に立って話を引き継いだ。いそいそとスキマに身を潜めた紫からすすり泣きのような声が漏れてきたのは気のせいだと思いたい。

 

「ん、まあ見事だったよ、二人とも。霊夢は結界術の腕を上げていたし、楓も剣の腕に磨きをかけていた。二重結界に押し付けられた時は痛い……い、いや? 鬼が痛がるわけないし? ちょっと全身にしびれが抜けてきた時みたいな感覚があっただけだし?」

「いや、大声で泣き叫んでいた――」

「あーあー聞こえない! 鬼が軽々に泣くわけないじゃん!! あ痛っ……痛気持ちいいってやつだねこいつは!!」

「やせ我慢もここまで来ると一種の芸ね……」

 

 霊夢の呆れた声も聞かなかったことにして、萃香は痛みを紛らわせて伊吹瓢から酒をラッパ飲みする。

 

「ぶはぁっ! 次は一対一で勝負したいものだ! じゃ、私は今の話を勇儀に自慢してやらないと! じゃあね!!」

 

 そう言って、萃香の姿が霞と消えていく。同時に紫も無言でスキマに消えていった。

 

「あ、いなくなった」

「スキマはわからんが、萃香はまだこの辺りにいるぞ」

「おや、わかるようになったか」

 

 霊夢のつぶやきに楓が答えると、どこからともなく萃香の声が二人の耳に届く。

 驚いて周囲を見回す霊夢と対照的に、楓の視線は一点を貫いていた。

 

「先の戦いで何度も薄くなったお前を斬ったからな。感覚がわかった」

「さすが。あの親にしてこの子あり、か。ふふっ、勇儀への良い土産話だ」

 

 その言葉を最後に今度こそ気配が遠のくのを楓は感じ、肩の力を抜いた。

 

「……今度こそ萃香はいなくなった」

「そう。紫と萃香なんて大物相手だったけど、あんたはまだ余裕ある?」

「問題ない」

 

 萃香との勝負でいくらか消耗はしているが、無視できる程度だった。体力にしたって今の会話でほぼ戻りつつある。

 それを告げると霊夢は馬鹿を見るような目で楓を見た。

 二人の師である楓の父親も何十、何百と繰り返される組手の中で息一つ切らさない馬鹿げた体力をしていたが、どうやらそれは息子にも受け継がれているらしい。

 

「だったらこの後の天人は任せるわ。私はもう霊力がからっけつ」

「それほどか?」

「無理すれば夢想封印が一発かませるぐらい。言っておくけど亜空穴も地味に体力使うんだから」

「わかった。留意しておく」

 

 霊力と妖力。どちらも本人が生まれ持つ資質によるものが大きい。特に霊力は生まれつき所持する量にも影響しているらしく、霊夢はずば抜けて大きいと聞いたことがあった。

 先代の巫女が五十、楓の父が三十とするなら、霊夢は三百近いと言えばある程度しっくり来るだろう。霊力がない楓には何を言っているのかわからなかったが。

 ……尤も、この霊力をどれだけ効率よく扱うかが問題となるため、霊力が多ければそれだけで良いというわけでもない。先代の巫女などは攻撃の瞬間にのみ霊力を込めることで、消費を抑える芸当ができたそうだ。

 

「私はもう疲れたし、後はあんたの戦いを見届けるだけにしておくわ」

「それは構わんが、神社が壊されたことの恨みとかはないのか?」

「形あるものはいずれ壊れるのよ。あの地震で崩れるってことはもう遅かれ早かれって状態だったわ」

「ひどい揺れだったのか」

「大きくはあったけど、家財一式吹っ飛ぶってほどでもなかった。それでも崩れたんだからまあ……寿命だったんでしょう」

 

 うんうん、とうなずいて納得する霊夢を、楓は今ひとつ納得できない表情で見る。

 自分だったら稗田の屋敷が崩れ、それの下手人がいるのなら何を差し置いても殺しに行くが、霊夢は割り切っているようだ。いや、側仕えの自分が見ている限り、稗田の屋敷が崩れるようなことがあってはならないのだが。

 

「ま、それはそれとして楓には私の分まで殴ってもらうけど! 人の家壊した責任は重いわよ!」

「わかったわかった。俺のついでにな」

 

 人里に要石を置き、母を連れ去り、妹分の家を破壊した。その落とし前はつけてもらう、と楓は内心でつぶやくのであった。

 

 

 

 

 

 天界に到着すると、二人はおっかなびっくりといった感じで雲の上に足をつける。

 しっかりと体重を受け止め、浮ついた感覚を与えない雲という存在に二人は目を瞬かせながら顔を見合わせた。

 

「うわ、歩ける雲ってなんだか変な気分ね。雲の中を飛んだことはあるけど、これは初めて」

「同感だ。しかし、ふむ……」

 

 楓の千里眼がようやく天界の全容を把握する。これまでは雲に阻まれていた上、空の上にこのような世界が広がっているという発想自体が存在しなかった。

 

「どんな感じ?」

「この場所はかなり広い。人はほとんど点在するばかり。どの人間も歌ったり踊ったり、酒を飲んだり、桃を食ったりしているだけだ」

「働いてないの?」

「必要ないんだろう。天子から聞いた話が全て真実なら物欲が薄く、食事も天界の桃でほとんど完結するらしい」

 

 地上の人間が働くのは生きる糧を得るためである。畑を耕さねば野菜は取れぬし、家を建てねば雨風をしのげず、布を作らねば服も用意できないのだ。

 そして衣食住が満たされただけでも人は生きていけない。楽しみに足る娯楽がなければならない。

 楓の感じたところを話すと、霊夢はわからないと肩をすくめた。

 

「酒を飲むだけで暮らせるならここで暮らすのも悪くないのかしら」

「巫女の役目を終えた後はここで暮らしてみるか? 飯は桃だけだが」

「やっぱ良いわ。ご飯は色々食べたいし、読み足りない本もあるし」

 

 それでこそだと楓はうなずく。どこか浮世離れしているように見えながら、その実欲望の塊。それが博麗霊夢という少女である。

 

「俺も一度来れば良いと思う場所だ。俺の居場所は阿求様のお側以外にありえん」

「それはどうでも良いから目的を果たしましょ」

「どうでも良いとはなんだどうでも良いとは!」

「あんたの阿求自慢はまた今度聞いてあげるからさっさと動けっつってんのよ!!」

 

 こいつもこいつで面倒なの忘れてた、という霊夢の無礼な発言は右から左に聞き流し、楓は改めて千里眼で周囲を把握する。

 

「――いた」

「本当?」

「母上がいるんだ、間違いない」

「わかった。ちなみに椛さんを助ける方法とか考えてるの?」

「縛られてるわけでもないし、母上ならその気になれば一人で逃げ出すくらい問題ない。不要だろう」

「そういうことじゃなくて。一応助けに行くんだから、椛さんに危ない真似してもらわないよう考えてもいいでしょ」

「……ああ、なるほど、そういう観点か」

 

 霊夢に言われてようやく気づく。確かに今の言動は情に欠けていた。

 人里の守護者として動くのを心がけていたからか、それとも根底にある阿礼狂いとしての性根が楓から感情を削ぎ落としたか。

 

「……そういう意味なら考えておくか。俺とて母上に傷ついてほしいわけじゃない」

「それでいいのよ。で、なんかないの? いつもしかめっ面してるんだからこんな時ぐらい名案出しなさい」

「なんでそう上から目線なんだ……」

 

 楓は呆れながらも霊夢に思いついた策を話し、そして移動を開始する。

 そして天子たちの前に現れた二人は大仰に腕を組み、要石の上からこちらを見下ろす天子と相対した。

 

「天子、言われた通りに参上したぞ」

「よく来ましたね。博麗の巫女も、全くもって素晴らしい見世物でした」

「さっきのやつも見てたってわけ。悪趣味」

「スキマ妖怪と鬼を退治したことも含め、人は見かけによらないとはよく言ったもの」

「……一応確認しておこう。博麗神社の地震を起こし、神社を倒壊させたのはお前だな?」

「ええ、もちろん。神社が壊れたことについては意図せぬことではあったけれど、私としては嬉しい誤算に近い」

 

 博麗神社の倒壊は喜ばしいことである、と言った天子に霊夢が飛びかかりそうになるが、楓が腕でそれを制して話を続ける。

 

「母上を拐かしたのも、俺を呼び出すためか?」

「そうね。天人を前にし一切へりくだらない男。――そんな男に身の程を教えるのも天人の役目でしょう」

「……最後の質問だ。異変を起こした意図は?」

「――退屈だったから。ここに来てわかったでしょう、それ以上の理由が必要?」

 

 そこまで聞いて、楓は目を閉じた。それが頭の中で言うべき言葉をまとめている時の癖であると、霊夢は見抜いていたので静かに続きを待つ。

 

「……人の気質を集め、天に緋色の雲を作り、地の安定を奪った。それら全て、お前が退屈だったからだと言うんだな?」

「状況が私に味方した、というのも否定はしないわ。でもそうね――全て私の掌の上と言えば満足かしら?」

「ああ、満足だ。心置きなくお前を退治できる」

 

 そう言って楓は手を添えていた刀から手を離し、徒手空拳の構えを取った。

 

「おっと、その前に彼女を見てもらいましょうか」

「お疲れ様、楓に霊夢ちゃん。私のため……って言えるほど自惚れちゃいないけど、大丈夫? 怪我とかしてない?」

 

 天子はその姿を待っていたとばかりに椛を前に出す。椛は気楽な様子で楓に手を振っていたが、そこは天子も楓も視界から追い出した。

 

「楓、あなたの母親がおとなしくついてきた理由は――」

「人里の要石だろう。あれがある限り、人里の生殺与奪が握られているも同然だ」

「へえ、自力で気づいたの。そこはお見事と言っておくわ」

「――すでに支配権は奪った。もうあの石でお前がなにかすることはできない」

「……む?」

 

 天子が怪訝そうな顔になると同時、楓の横に立つ霊夢から神々しい気配が発せられる。

 お祓い棒を両手に持ち、目を閉じるその姿は普段のそれとはかけ離れた荘厳な気配に満ちており、誰もが彼女を神々に仕える巫女であると認めるもの。

 ぶつぶつと楓にも聞き取れない言葉で早口に何かを告げ、そして目を開いた霊夢が楓たちに口を開く。

 

「――神降ろし、大地主神(おおとこぬしのかみ)。あんたの地鎮が神頼みか天人の神通力かは知らないけど、地を司る神以上のものではないでしょう」

 

 天子が大地を操ろうとするのなら、単純に格上となる存在の力を借り受けて強引に支配権を塗り替え、無力化してしまう。

 そして天人以上に格上の存在となると、楓は霊夢に神降ろしをしてもらう以外の選択肢が浮かばなかった。

 

「普段なら一蹴する提案だけど、今回ばかりはこいつが異変解決をしてくれるって言うんで私も神降ろしに集中できるって寸法よ。――楓! 今のうちにさっさと天人を殴り倒して終わらせなさい!!」

「なるほど、私を退治するためにそこまでする。なんとも光栄で盛り上がってくるわね!!」

「ここまで来るのに手を尽くした。だから手抜きはしない。――母上、ご無事で何よりです」

「ええ。ただいま、楓」

 

 わざわざ天子の前で霊夢に神降ろしを行わせ、見せ札として注意を引いてもらっている間に楓が天狗の風を操り椛を連れ戻す。

 その段取りを予め霊夢と決めていたのだ。でなければ神降ろしをし、要石の支配権を奪うことに注力して無防備な霊夢を天子の前に連れてきたりしない。

 

「母上はお下がりください。自分が彼女の相手をします」

「お願い。……あの子にも抱えている問題があるようだから、気をつけてあげてくれない?」

「こちらを害して良い理由にはなりません。倒した後で考えます」

 

 椛はそれとなく手加減するよう楓に求めるが、楓はピシャリと言い返して聞く耳を持たない。そしてそれが正論だったので椛もこれ以上の言葉は出せなかった。困ったように笑って霊夢の方へ行くしかない。

 

 天子はいつの間にか消えていた椛の姿に驚きこそしたものの、すぐに平静を取り戻して楓に緋想の剣を向ける。

 

「小賢しくも色々と考えていたようだけど、それも全て私との勝負に横槍が入らないため。つまり最後は私とあなたの勝負に帰結する。違うかしら?」

「相違ない。この後、お前が俺に勝てば、俺たちに成す術はないだろう」

 

 そうなったらなったで紫が天子を殺すだけだが、天子はそこに気付いた様子はない。

 どうやら見ていたのはあくまで戦いだけで、そこでの話については感知できていないようだ。

 

「だったら私があなたに勝てば全てが上手くいく。さあ――あなたの心の緋想を見せてみなさい!!」

「抜かせ。――お前程度で俺に勝てるものか」

 

 

 

 

 

「あーあ、今のアイツに接近戦挑むとか自殺志願者と同じなのに」

「やっぱり霊夢ちゃんもそう思う? 楓も戦う度に強くなるから私も大変よ」

「っと、ご無沙汰してます。椛さん」

 

 椛が横にやってきたので霊夢は気持ち佇まいを正し、ペコリと軽く頭を下げる。幼少の頃にお世話になった寺子屋の慧音と、楓の母親である椛には丁寧な態度を取るよう心がけているのだ。

 何にも縛られたくないとはいえ、幼少の恩を忘れる恩知らずになった覚えはない。

 

「ふふ、霊夢ちゃんも変わりなさそうで何より。楓はいつもと同じ?」

「変わりないですね。いっつも私を稽古に誘って、馬鹿みたいに早く成長して。あんなに強くなる必要なんてないって爺さんは言ってたのに」

「それでも目指しちゃうのよ。男の子って」

「そんなものなんです?」

「そんなものなの。本当にあの人そっくり」

 

 本当にべた惚れだなあ、と霊夢は椛の口から流れてくる惚気を右から左に聞き流しながら思う。

 自分も爺さんに懐いていたことは認めるし、悪い人だとは思わないが、彼はどこか意図して良い友人で終わる関係を築いていたように見えた。

 それでも踏み込んだのは果たして良いことなのか悪いことなのか。いずれにしても答えは故人の胸の中である。

 

 過去には過去の壮絶な物語があったのだろう、と霊夢は思考を完結させて戦闘の方に視線を戻す。どれだけ思いを馳せたところで自分に何ができるわけでも、何を知れるわけでもない。

 

「……まあやっぱり、というかわかりきってたわね」

「あはははは……天子ちゃんと話した時にそれとなくやめておけとは言ったんだけどね」

 

 霊夢と椛の視線の先には、すでに戦いの趨勢など決まりきった勝負が展開されていた。

 要石に乗った突撃や要石からの弾幕など距離を取ろうにも、縦横無尽に動く楓の動きが捉え切れず懐に潜り込まれる。

 そして懐に潜り込まれたが最後、楓の双手から繰り出される拳打を天子に捌く方法がなかった。

 

「っく、無念無想の――」

「遅い」

 

 天人としての頑丈さを活かし、耐え切ろうにも楓の拳は天子の身体の芯へ衝撃を通す。

 奇しくも、先の萃香との戦いが楓に本来通らないものへ衝撃を通す技巧を与えていた。今の彼にとって、ただ頑丈なだけのものへダメージを与えるのは難しいことではない。

 

「動きが遅い、攻撃の予兆が素直、受けた衝撃をいなす技術もない。――子供の駄々だな」

 

 酷薄な言葉を告げた後、楓の蹴りが容赦なく天子のみぞおちに突き刺さる。

 痛み以上に驚愕の色が強い天子の身体が吹き飛び、その矮躯が浮かび上がり――前に回り込んだ楓が地面と垂直に回転し、追撃を入れる。

 そして雲の地面にうつ伏せに叩きつけられた天子の背に、無慈悲な踵落としが叩き込まれた。

 楓の戦いぶりに一切の情けはなかった。人間相手なら使わないような技であっても躊躇なく叩き込んでいるのは、天人の耐久は妖怪に近いと判断しているからか。

 

 そして何より天子のプライドを傷つけるのは、楓が今に至るまで剣を抜いていないことだ。会話をしている時は添えていた背中と腰の剣に、今は全く触れていない。

 痛みなど問題ではない。それが何よりも天子の神経を逆撫でする。

 

「こ、の……っ! 人をコケにして……!」

「お互い様だ」

 

 口の端から血をこぼして呻く天子の首を掴むと、楓は表情を変えることなくその身体を持ち上げ顔面を殴りつける。

 そのままこれ以上の口答えを許さないとばかりに淡々と殴り続けていく。

 

「痛いか? いや良い答えなくて。痛めつけているからわかる。自分でやっていて身にしみるが、これが廃れた理由もわかるものだ」

 

 弾幕ごっこならまだ勝負の体裁になっただろう。弾幕に当たってはならないルールの関係上、楓とて天子のスペルカードの間は回避に専念する必要が生まれる。

 だが、天子は少々幻想郷のルールを破りすぎた。人里に害を与えかねない状況があった以上、楓はそれを防ぐためにあらゆる手段が許容されてしまう。

 それでも戦えるなら良かった。一矢報いる程度の力量があれば天子も多少は溜飲を下げられただろう。

 しかし、それもなかったのだ。残るのは互いの力量差による蹂躙だけだ。

 

 多少形は違えど、これが本来人と妖怪に横たわる力の差だ。天子は天人であり、天人ながら様々な分野へ努力を重ねた少女であるが、残念ながら修羅場をくぐる経験がなかった。

 殺意を受け流し、敵意を退ける術を知らない。意気軒昂に叫ぶ気骨は大したものだが、それだけで楓と対等の領域に到達できる道理はない。

 

 そうして楓はひとしきり殴り続けた後、片手を振って天子の身体を放り投げる。

 受け身も取れず背中から落ちた天子は何度か咳き込んだ後、手が緋想の剣を握っているのを確かめて顔を上げ――そこに映る楓の顔を見てしまう。

 義憤があるわけでもなく、天子への憐れみがあるわけでもない。それこそ先日人里で話した時と変わらない表情だった。

 それで察してしまったのだ。天子は直感に優れ、不運なことに楓のそれが本心であることも悟ってしまった。

 すなわち――楓にとって人とは何の感慨もなく殴れるものであり、今回の異変に至っても彼の心を大きく揺り動かすものは何一つないのである、と。

 

「――ぁっ!」

 

 引きつった息を咽む音が楓、霊夢、椛の耳にそれぞれ届く。そして三者は同時に戦いの終わりを察する。

 見物していた霊夢は立ち上がって、いざという時に楓を止められるよう位置を調整する。

 

「ったく、楓と戦いたいなんて言うからよ。言わんこっちゃない」

「折れちゃったわね、心。私が止めようにも楓の方に大義名分はあるし……」

「無理ですって。あいつ、敵だと思ったら私だってあの顔で斬りかかってきますから」

 

 霊夢にも椛にもこの結末は見えていた。だから椛は楓に手加減を求めたのだ。霊夢は天人の事情など知ったことではないので気にしなかったが。

 楓はその声を聞いても動きを止めず、指の骨を鳴らしながら天子へ近づいていく。

 

「そろそろ骨を砕こう。お前の身体の頑丈さも大分読めてきた」

「そこまでよ。これ以上は必要ないわ」

 

 天子へ近づいていた楓の肩を霊夢が掴んで止めてくる。

 それを受けて楓はあっさりと拳を収め、霊夢に視線を向けた。

 

「お前が言うならわかった。俺のやり方でやったが良いな?」

「ひたすら殴り倒した辺りに言いたいことがないわけじゃないけど、私が任せたんだから許すわ。でもここから先は私の仕事」

「わかった」

 

 戦意を収めた楓は最後に天子へ一瞥を向けると、膝を折って彼女と視線を合わせた。

 

「人里に手を出すというのはこういうことだ。未遂であっても次を認めるわけにはいかない。それを忘れるな」

「……ここまで強いとは、私の目は何も見えてなかったというわけ」

「お前は色々と考えていた。こっちも同じように考えていただけだ」

 

 楓の言葉に天子は自嘲の笑みを浮かべる。

 

「そのようね。……全く、羨ましいったらないわ」

 

 後半の言葉は顔を伏せてつぶやかれ、楓の耳にも正確な内容は伝わらないものだった。

 しかしそれを追求することなく、楓は立ち上がって霊夢の方へ向き直る。

 

「後は好きにしてくれ。神社を直させるか?」

「そんなところね。あんたもそれで良い?」

「母上は?」

「私からは何も。美味しい桃をありがとう、ってぐらい?」

「だそうだ。母上がそう言うのなら俺から言うことは何もない」

 

 そしてこれ以上の興味も楓にはなかった。異変の黒幕は天子であり、彼女を倒したのだから楓にとって天子の背景に興味はなく、ただ異変を解決したという事実のみが彼にとって重要だった。

 

「じゃあ俺は戻る。後のことは頼んだ」

「はいはい、頼まれたわっと。後で阿求のところに事の次第含めて報告するから」

「わかった。では母上」

 

 楓は天子を見ることなく、椛と地上へ戻っていってしまう。

 すでに彼にとって天子は倒した相手でしかなかった。この異変が終わってまた訪ねればその時はその時で応対するが、異変の黒幕と解決に来た者としての関係は終了していた。

 天子は去っていく楓に悔しそうな目を向けていたが、霊夢が前に立ったことでそれは遮られる。

 

「――さて、あんたには私の神社を壊してくれた落とし前をつけてもらわないとね」

「……全く」

 

 

 

 後日、博麗神社の倒壊が起こったこととそれが人為的に引き起こされた地震によるものであること。異変の黒幕は退治されて神社の再建に協力する旨を取り付けたことなどが報告された。

 

 

 

 

 

 ――そしてここから先に起こったもう一つの騒動は幻想郷縁起に載らないものとなる。




天子との勝負はあっさり終わります。萃香戦終えた楓に素の殴り合いで戦える人妖はもうかなり限られてきます。種族が鬼とか、天狗の頂点極めてるとか、吸血鬼とかで殴り合いの適性がないと大分苦しい。

そして楓もメンタルが阿礼狂いなので、人を殴ることにも殺すことにも必要だと感じたら特に躊躇はしません。心優しい面倒見の良い好青年の顔のまま人を斬れる。

……まあこれだけで終わると天子にトラウマ刻んだだけなのでそこは次のお話で。
そもそも天子が楓に絡む理由もまだ書けてなかったり。

大丈夫大丈夫ガッツリトラウマ刻む予定の相手は別にいるから(何も大丈夫じゃない)

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