阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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少女は少年と出会った

 楓は自身へ迫りくる無数のレーザー状の弾幕を避け続けながら思案する。

 

(倒す。それ自体は簡単だ。この弾幕を抜けて天子の懐に入れば全て終わらせられる)

 

 先日の攻防で天子が懐へ潜り込んだ楓への対処法を持たないことはわかっている。日を置いて対策を練ったとしても付け焼き刃程度なら強引に貫ける確信があった。

 しかし、今回はそうやって相手を倒したところでは何の解決にもならない。彼女の異変が失敗した理由はただ単により大きな力を持つものに叩き潰されただけ、という結末になってしまう。

 天子を中心に展開される弾幕は、大きく距離を取ればまず当たることはない。そうして一旦距離を稼ぎ、楓は天子に届かない声量でつぶやく。

 

「さてどうしたものか。天子の境遇に推測は立つものの、結局天子は何を悩んでいるのかさっぱりわからん」

『ちょっと!?』

 

 こいつ何言ってんだ、というツッコミを律儀に入れてくれた椿に視線だけ向けて、楓は話を続ける。

 

「そうは言うがな。――そもそも俺は人の機微などわかった試しがない」

『人選最悪だこれーっ!?』

 

 相手の行動を洞察することはできる。付き合いが長ければ相手の抱く感情を類推して予測することもできる。物心ついた頃からの付き合いならば、それこそ相当な精度で行動の予測はできるだろう。

 だが、それらはいわば相手の表層を見て判断していること。相手がどんな感情を抱いているかは読み取れるが、どういった背景のもとでその感情を抱いたのか、という原因にはたどり着けないのだ。

 

 つまり、楓は相手が怒っていることはわかってもなぜ怒っているのか、という理由にはとんと思い至っていないのだ。ただ、彼の素の観察力が優れていたため顕在化することがなかっただけで。

 

「天子は俺が気に食わないと言った。……俺、そこまであいつに嫌われるようなことしたか?」

『一方的に殴り倒したと思うけど……うん、確かにそれが原因だとは思えないよね』

 

 小さな要石がいくつも楓の周囲を飛び交い、小規模な弾幕を展開してくるのを二刀で払い落としながら、楓は椿を相談相手にして思索を進める。

 

「あいつの抱えている事情を聞き出すか推察し、求めているものを提示してやらねばこの勝負は勝ちにならない。悪いが付き合ってもらうぞ」

『色々と面倒だなあ……本気で殺し合えば見えてくるものとか――』

「殴り倒して何も見えなかったんだからそんなものに期待するな」

 

 拳を交えて生まれる友情などあるはずがないと思っている口だった。殴られても痛いだけである。

 ……妖怪が寄ってくることに関しては彼女らがおかしいと思うことにしていた。

 

『……楓に期待するだけ無駄かぁ』

 

 ダメだこりゃ、と椿は大きくため息をついて身体をすり抜ける弾幕をそのままにしながら考える。

 

『で、実際問題どうするのさ。何もわかんないのにスキマ妖怪に啖呵を切ったの?』

「ああ言わなきゃ天子が殺されるだろうが。後はまあ……天子と対話を試みてみるか」

『お、上手く話す自信あるの?』

「予想はあるんだ。後は当たっているか確かめるだけだ」

 

 そう言って楓は椿との話を終わらせると、要石に乗って突貫してきた天子を紙一重でかわしながら再度口を開く。

 

「なあ、天子」

「なに、よっ!」

 

 要石での突貫のすれ違いざま、天子は手に持った緋想の剣の刃先を伸ばし、楓の双刃とぶつかり合う。

 そのままいくらかの乱打が行われるも、楓は全ての軌道を完璧に読み切っていなしながら話を続ける。

 

「お前はどうして居場所にこだわるんだ? 人里、博麗神社、どちらも領土が欲しがっていた」

「地上での基盤が欲しかったから! それ以外に理由が必要!?」

「その理由がわからない……む」

 

 緋想の剣を受けた左の刀が刃こぼれしたのを見て、楓は僅かに顔をしかめる。あの時は緋想の剣に触れることもなく倒したが、これは相応に厄介な代物だ。

 楓が顔をしかめたのを見て、天子はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「さすがにこれは効果があるようね。緋想の剣は相手の弱点となる性質を突く武器。剣といえば金の属性。であればさしずめ今の緋想の剣は火の属性かしら」

「火は金を溶かす、か」

 

 幸い、父から受け継いだ長刀の方にはまだ傷が入っていない。これは徹底して慎重に受けなければ刀が早々に使い物にならなくなってしまう。

 

「で、話の続きをしようじゃないか」

「これを受けたら考えてあげる――非想非非想の剣!」

 

 楓が刀で受けるのを厭ったのを好機と見たのだろう。天人の身体能力から繰り出される斬撃が無尽に楓を切り刻まんと迫る。

 

「甘く見られたものだ」

 

 そしてその全てを、楓は刀を使わずに至近距離で避け切ってみせた。

 力量が開いていることもそうだが、天子の剣は人を斬るものではない。道場剣術、と言うべきだろう。

 優劣を競い、その心身を練磨するための剣術なら十分以上。しかし、殺せばそれで良い剣術に比べるとやや行儀が良すぎた。

 

「さて、話してくれるな」

「こんの……っ! 可愛げないわねこの男!」

 

 自信のある攻撃がまるで意味をなさず、捌き切られたことに天子は恥辱で顔を赤くしながら要石で距離を取る。

 しかし楓との対話を終わらせる気はないらしく、距離を稼ぎながら大きな声で話し始める。

 

「地上の基盤が欲しかった! 地上に対してそれ以上の意味はないわ!」

「では別の場所。――天界での意味か」

「あんた、私が天界でなんて呼ばれているか知ってる?」

「察しはつくが、お前の口から聞きたい」

 

 良い意味で呼ばれていないだろうとは思っていた。天界に行った時、楓の千里眼は天子以外の天人も捉えていたのだ。そして彼らが天子のことを嘲笑っていたこともわかっていた。

 小型の要石が楓を射抜かんとレーザー状の弾幕が襲ってくる。当たらない位置取りをしつつ、不規則な動きをするものだけ剣で切り払って天子の言葉を待つ。

 

「――不良天人! 天人くずれ! 成り上がりの七光で天人になった一族! 私の一族はそういう一族なのよ!!」

「ほう?」

 

 天子個人が他の天人から好かれていないことはわかっていたが、それが一族単位でだとは知らなかった。

 そして人を超えた存在といえど、自分と違う存在を見下し、嘲笑うのはどこも変わらないと内心で嘆息する。天道へ至った存在がなぜ解脱できないのか。彼らの態度が証明しているではないか。

 

「私の一族は仕えていた主人が神霊に祀られる時、ついでで天人になったのよ! 要するにおこぼれってわけ!! おまけに私は当時子供だったから正真正銘何もせず天人になった!!」

「道理で。他の天人と明らかに違うのはそういうわけか」

 

 今もなお、がむしゃらに剣を振るう天子の瞳には楓に負けたくないという思いと、己の願いを果たすという欲望にギラついている。

 それは楓がこれまで見てきた他の妖怪や人間にも共通するもので――きっと、御阿礼の子に仕え続けたいと願う自分と同種のものなのだろう。

 

 少なくとも楓にとって、享楽に浸り停滞してしまった他の天人より好感を抱ける姿だった。

 緋想の剣が頬をかすめて血を流すのも構わず天子の顔をのぞき込む。どうせかすり傷程度、治るのに十秒もかからない。

 

「地上に領土を求めた理由もわかった。――天界に居場所がないのか」

「……っ!!」

 

 楓の指摘に羞恥を覚えたのか、天子の頬に頭に血が上るのとは別種の赤みが指す。

 

「ああもう……! なんで会って少しも経ってない男にそんなこと言われなくちゃならないのよ!!」

「墓まで持っていくと言っただろう。今日のことは誰にも話さないから安心しろ」

「それ死ぬまで覚えてるのと同義じゃない!!」

「なにか問題でも?」

 

 無言の要石が返答だった。正面の視界全体に広がった要石から逃れるべく、椿の力も借りて大きく横へ跳躍する。

 

「このっ、どこまでもチョロチョロと鬱陶しいわね! その気になれば私なんてあっという間でしょう!」

「否定はしないが、それをやってもダメだろう」

「どうして!」

「――お前の問題は何も解決しない」

 

 追撃の弾幕を切り払い、楓はその場に立って天子へ声をかける。決して大きくはないものの、芯の通った遠くまで届く声だった。

 

「異変というのは、過程がどうあれ最終的には黒幕もそれで良い、と思える結果を得られなければならない。なぜかわかるか」

「退治だからでしょう。討伐できない以上、ある程度は相手の欲求も満たさないとまた異変が起こされる」

 

 天子の言葉に楓はうなずく。霊夢はそれを意識してか無意識か、全ての異変でやってのけていた。持って生まれた天運とはこのことかと、阿礼狂いが同族以外への嫉妬を覚えたのは久しぶりである。

 

「そういうことだ。俺が先日やったように、叩き潰すだけでは何の意味もない。お前なら俺が人里を離れざるを得ない状況を作ってその隙に目的を果たすなど簡単なはずだ」

「…………」

「これはお前のためだけじゃない。俺のためでもある。お前の問題を解決して、俺は初めて異変を解決したと胸を張ることができる」

 

 そこまで言い切り、楓は真面目くさった顔で要石に立つ天子を見上げた。

 

「――だから面倒くさいことせず抱えているものを洗いざらい吐け。俺がここまで他人に心を砕くことなどそうないぞ」

「その上から目線が腹立つって言ってるのよ!!」

 

 要石ごと大きく上空に飛び上がったかと思うと、巨大になった要石で楓を押し潰さんと楓の足元に大きな影を落とした。

 それに対し楓は動くことなく、何かを見据えて刀を腰だめに構え、要石を待ち構える。

 そして自らを圧殺する要石に刀を振り抜き、柄頭をある一点に当てる。

 

「んなっ!?」

「――ようやく理解できた。物の壊れる点」

 

 するとどうだろう。楓の放った一点から放射状にヒビが広がり、要石が砕け散ったではないか。

 さすがに驚いたのか天子は大きく距離を取って、楓はその場に佇んだまま振り抜いた刀を持つ手で何度か感触を確かめる。

 

「要石を壊すことができる人間がいるとはね……!」

「相当硬いようだがな。――単なる物なら破壊する点が見極められる」

 

 もはや要石を使った攻撃は脅威ではない。その事実に天子は歯噛みしつつ、天子は諦めた様子の見えない顔で斬りかかってくる。

 それを涼しい顔で受け止めながら、楓は至近距離で刃を交える天子に声をかける。

 

「まだ言いたいことがあるんだろう。――俺が気に食わないそうじゃないか」

「ええそうよ! あんたのその澄ました顔、初めて見た時から大嫌いだった!」

「今はどうなんだ?」

「腸が煮えくり返るわよわかってて聞いたわよね今の!?」

 

 大きく踏み込み、横薙ぎに振るわれた緋想の剣を下がって回避し、楓は懲りずに話しかけていく。

 

「俺が嫌いとはどういうことだ? お前が天界に居場所がないのはわかったし、地上に居場所を求める理由もうなずける。だが、その過程で俺が嫌いになる要素があったか?」

「個人的な事情よ!!」

「ああ、そちらか」

 

 話す気がなさそうな天子の猛攻を防ぎながら、楓は僅かに顔をしかめる。

 天子の動きが徐々に良くなっているのだ。楓の防ぎ方から楓が嫌がる攻め方などを学んでいるように見えた。

 あまり時間をかけると厄介になるかもしれない。そう思いながら楓は思索に浸っていく。

 

(天子について得られた情報は天界の境遇と本人がどう呼ばれているか。居場所がないのは確定したので良いが……む、そういえば)

 

 ふと楓の脳裏に天子と初めて出会った時が思い起こされる。

 大概まともな出会い方ではなかったし、人里を連れ回されて面倒な時間をかけられたが、大事なのはそこではない。

 ……というかいきなり妖怪がやってきて楓の時間を潰していくことなど、彼の中では比較的よくある出来事の部類である。今更特筆するほどのものではなかった。

 

 ただ、思い出すべきはその直後のやり取りだ。格式張った言葉遣いを用い、古典の格言を使い、彼女なりの天人としての威厳を取り繕っていた姿。

 あれは一朝一夕で身につくものだろうか、という疑問と即座の否定が楓の思考によぎる。

 あの姿は間違いなく堂に入ったものであり、話し方も知識も相応の努力を重ねなければ得られないものだ。

 

「そこっ!」

「む」

 

 逆袈裟の切り上げを避けると同時、楓の足元から小型の要石がみぞおち目掛けて飛んでくる。

 だが慌てず楓が刀の柄頭を当てると、砂糖菓子のごとく崩れてしまう。

 馬鹿げた技量だ、と天子は舌打ちを隠さない。見様見真似で隙を作り、どうにか一撃入れようとしても全てを完璧に見切られている。

 

「読めてきたぞ。いや、考えてみれば当然の話だ」

 

 おまけに楓は息を切らした様子も見せずに、むしろいつも通りの調子で平然と言葉を紡いでくる。それが鬱陶しく、何より遮ることのできない自分に嫌気が差す。

 

「人と戦ってるのに……余裕かましてんじゃないわよ!!」

「余裕があるわけじゃない。むしろこの前より余裕がないくらいだ。こっちは身体だけでなく頭も回しているんだぞ。しかも慣れないことにだ」

「それが余裕ってことでしょう!!」

 

 叩きつけるような天子の叫びも意に介さず、楓は自分の推論を語り始める。

 

「俺を嫌う理由だが――努力が報われていたからだろう」

「…………」

 

 ピタリと剣を止め、天子は目を見開いて楓を見つめる。

 その様子に自分の推理が合っていることを確信した楓は続きを話す。

 

「お前は幼少の頃に主の七光で天人となった。……つまり、天人としての修行など一切していないのだろう」

「……ええ、そうよ。不良天人と言われるのも――」

「だが、以前に会った時のお前は天人らしい知性と威厳に溢れていた」

「それ喧嘩売ってるわよね」

 

 一転して真顔になった天子が要石より巨大なレーザーを放ってきたので、楓は身を屈めて紙一重で回避しつつ話し続ける。

 

「知性と威厳。口で言うのは簡単だが、言われて身に付くものじゃない。俺も未だ途上だ。むしろその点ではお前に劣ると思う」

 

 単純な時間の問題だ。楓は生まれて十数年しか研鑽していないが、天子は大雑把に考えて千年近く研鑽を積んでいる。

 楓も己が天稟を持つ人間である自覚はあるが、その時間を一足飛びに追い越すことはできない。

 

「言い直せばお前は努力した人間だ。認めるよ。経緯はどうあれ、お前は間違いなく天人たらんとした人間だ」

「…………」

「その上で不良天人と呼ばれ続ける所以を考えれば、俺を妬む理由にも思い当たる」

 

 瞑目し、己の道筋を振り返る。

 思えば天子に言われるまで、楓は自分の道程を省みたことはなかった。今まではがむしゃらに父の背を追いかけるだけで精一杯だった。

 ……次から次へと異変が起きてそれに巻き込まれていたというのも理由にあるが、そこはさておく。

 

 父の後継として誉れ高い御阿礼の子への側仕えを許され、今なお誰にもその役目を譲らずいられる。

 側仕えの傍らで行うようになった人里の守護者もつつがなく役目を果たせている。無論、父より築き上げた人脈が手助けしている部分はあるが。

 そして異変解決にしても、過程に命がけの修羅場こそあれどその全てにおいて彼は勝利し、経験を積むと同時に多くの勢力の主に認められる領域に到達しつつある。

 

 なるほど、確かに自分の人生は順風満帆であると楓は述懐した。天子が己を妬む理由にも納得がいく。

 努力をどれだけ積み重ねても不良天人の呼び名は変わらず、天人くずれ――成り損ないと呼ばれ続ける。それも一年二年ではなく、千年だ。

 楓には想像できない痛みだ。むしろまだ天子の瞳に欲望の輝きがあることが奇跡的にすら映る。

 

 ここに来て楓は天子に掛け値なしの敬意を抱く。

 彼女は間違いなく我がままで自分こそが世界の中心であると憚らない碌でもない性格だが、同時に天人として恥ずかしくないだけの力量を努力で身につけ、今なおその魂を腐らせることなく楓の前に戦意をたぎらせて立っている。

 

「……一つ、お前に謝罪しよう」

「なによ。生まれてきてごめんなさいって?」

「いや、お前という人間を見誤っていたことだ。お前は俺が見てきた人間の中でも飛び抜けて自己中心的で我がままで他者への思いやりというものがまるでないが――お前の在り方は確かに天人として認められるべきものだ」

 

 そう言って軽く頭を下げる。それは楓にとって最大限の誠意であり、目の前の存在が天人であると認めた瞬間だった。

 

「誰がなんと言おうと関係ない。俺はお前の歩んできた道を尊敬する。何も生まれず、何の結果も出せなかったとしても、積み重ねた研鑽が俺の前にある事実に感謝する」

 

 楓の言葉に嘘はなかった。彼は本心から天子に敬意を払っているのがわかってしまい、天子はかえって怯んでしまう。

 以前拳を交えた時は何の感情も抱くことなく潰しに来たというのに、落差に驚いてしまったのだ。

 

「……っ、だったらこの場所を譲ってくれる? そしてあんたが頭を下げるなら人里の民もこの私が導いてあげるわ」

「それはできない。お前はここで俺に敗れ、お前の目的は何一つ達せられずにこの異変は終わる」

 

 しかし敬意とこの場は別物だった。楓は天子に敬意を払いつつも構えを解くことはなく、むしろ戦いを終わらせるべく口を開いた。

 

「お前の妬みも理解した。そしてお前の願いもわかった。――次の一撃で終わりにしよう」

「……それで全部が丸く収まってめでたしめでたしってわけ? ――巫山戯るな!! あんたがちょっと考えた程度で私の人生全てわかりましたみたいな面すんじゃないわよ!!」

 

 空に瞬く極光と周囲の気質が緋想の剣に集まるのを、楓は確かに感じ取る。

 紛れもない最大火力が自分にぶつけられる。それを察し、しかし楓は正面から乗り越えんと刀を握りしめる。

 

「お前の苦しみは全くわからん。俺が思い至った経緯とてその一端に過ぎんだろう。……そして俺がお前に何を言ったところで逆効果になるのは、他者の機微を読み取るのが苦手な自分でもわかる」

 

 相手の最大火力を発揮させる前に潰す。天子相手に行うのはハッキリ言って容易い。今なら百回は彼女を殺せる自信がある。

 だが、行わない。ここで必要なのは単純に天子を倒して得られる勝利ではなく――天子の全身全霊を乗り越えることにこそ意味がある。

 故に楓は腰を落として天子の溜めを待ち続け、時間が来ると同時に言葉を紡ぐ。

 

 

 

「――来い、天人!!」

「――全人類の緋想天!!」

 

 

 

 視界を埋め尽くす緋色の極大弾幕を楓は避けなかった。

 双刃を振るって天子のあらゆる気性と、これまで集めた全ての気質がこもったそれを切り拓く。

 刃を振るう速度が一瞬でも遅れれば弾幕に飲み込まれる。一度でも斬り方を間違えれば刃が溶け落ちる。そんな恐ろしい弾幕を前に楓は一歩も引かず、むしろ前に進んでいく。

 ここで引いてはいけない。天子の全霊を受け止めなければ、楓は胸を張って天子を倒したと言えない。

 楓を突き動かしているのはそれだけであり――それだけだからこそ今のような馬鹿な真似もできた。

 

 御阿礼の子の側仕えたる阿礼狂いでもなく、人里の守護者でもなく、ただ火継楓という一人の人間として。

 比那名居天子という天人の積み上げてきたものを真っ向から受けて立ちたかった。

 

 振るう、振るう、振るう。

 視界は緋色に染め上げられ、弾幕の向こうにいる天子の姿はとうに見えなくなった。

 足が前に進んでいるのか、弾幕の勢いに押し負けて後ずさっているのかもわからない。

 だが、刃を振るう腕は止まらない。むしろ一振りごとに精緻に、速くなっていくのがわかる。

 

 腕の感覚さえもなくなりかけ、それでも無心に刃を振るうその先に――緋想の剣を振りかぶって待ち構える天子の姿があった。

 天子の最大火力であるスペルカード、全人類の緋想天。楓はそれを正面から超えてくると信じ、読んでいたのだ。

 その顔には高揚した戦意と、信じた相手が予想通りの結果を出したことへの歓喜で歪んだ笑みが浮かび、心の昂ぶるままに叫びが溢れる。

 

「緋想の剣よ!! 今こそ人の心の緋色を映し出せ!!」

 

 眼前に迫った緋想の剣を楓は左の刀で受ける。

 正面から受けた刀は果物のように容易く溶け落ちるが、その一瞬があれば右の長刀を振るうには十分だった。

 

「あ――」

 

 カラン、と剣を弾いたとは思えない軽い音が響き、博麗神社の境内に刀身の消え失せた緋想の剣の柄だけが落ちる。

 それを見届け、天子の心に一瞬の空白が生まれる。

 己の最大火力を突破され、潜ませた最後の一撃も防がれた。正真正銘、比那名居天子に打てる手はなくなった。

 負けたのだ。完膚なきまでに。その事実が胸に浸透する――少し前に、眼前に迫った楓が口を開いた。

 

「天人の御力、この身にしかと受け止めた。お前と戦えたことを誇りにしよう」

 

 その言葉を聞いて、天子は肩の力が抜けていくのを感じる。

 思えば全力で動き、その全霊を受け止めてもらうことなど何百年ぶりだろうか。肩の力が抜けるという感覚も、あるいは天人となってから初めてかもしれない。

 ようやく気付いた。自分が欲しかったものは居場所であり、己を認める他者であり――これまでの道を認めてくれる誰かが欲しかったのだ。

 全力を尽くした後特有の倦怠感が心地よく天子を包み、意識が朧に溶けていく。

 もうこのまま休んでしまおう。そう思い身体の力が抜けるままにする。

 

 ああ、だがこれだけは伝えなければ。戦いは終わり、勝者と敗者が生まれたのだ。勝者に祝福を授けるのが敗者の役目である。

 意識が完全に消え去る直前、まともな感覚も残っていないが不思議とその言葉をハッキリ告げることができたのは、天子の中では僥倖の部類だった。

 口で言ったことはあれど、心からこの言葉を口にするのは初めてとすら言える、その言葉を。

 

 

 

 

 

「――参ったわ。私の完敗よ、人間」




というわけで天子戦でした。ちゃんと情報があれば理解はできます。情報なしに理解したい? 無理をおっしゃる()
千年天人として暮らし、一度も認められていない天子と表舞台に立って以来、失敗らしい失敗もせず華々しい(他者視点)道を歩んでいる楓。
こうしてみると意外と対極というか、どちらも努力を重ねて結果がついてきた者とついてこなかった者に分かれます。

その上で楓は天子が欲しがっているもの以前に、まずその努力を認めたいと思ったのです。頑張った結果が報われなかったとしても、誰かがその価値を認めるべきだと考えた。
そしてその上で彼女を天人と認め、乗り越える形になりました。君、意外と主人公適正あるのか……?(不思議な顔)

この異変を通し、楓は幻想郷全体に影響を及ぼせる英雄の後継として相応しいとほぼ全ての勢力に認識されました。
なお次の異変でやっぱこいつ阿礼狂いだわ、となります(確定路線)

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