阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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魔理沙の悩みと彼女を想う者たち

 アリス・マーガトロイドが魔理沙の家を訪ねた時、扉の向こうには本の海に埋もれるように本を読む魔理沙の姿があった。

 しばらく魔女の集まりに顔も出さず、食事をたかりに来る気配すら見せなかったので様子を見に来たのだが、正解だったようだと内心でひとりごちる。

 

「魔理沙?」

 

 アリスが声をかけると、魔理沙は大仰に肩を跳ねさせながら声の主の方へ身体を向ける。どうやら扉をノックしたことも、開いたこともまるで気づいてなかったらしい。

 そして振り返った魔理沙の顔を見て、アリスは僅かに顔をしかめる。

 

「……ああ、なんだアリスか。いきなり声をかけるなんて、驚かせるなよ」

「私も驚いたわ。あなたのその目のクマ、どのくらい寝てないの?」

「さてな。私もずっと本を読んでたからどのくらい時間が経ったのかもわかってなかった。今何月何日だ?」

「……なるほど、これは重症ね」

 

 魔理沙の状態をおおよそ察したアリスは、面倒事に意図せず首を突っ込んでしまったと大仰にため息をついて魔理沙の方へ近寄っていく。

 

「魔理沙」

「なんだよ」

「寝なさい」

「は? いや確かに疲れているのは事実だが、私に寝てる時間なんて」

「そう言うと思って今魔法を組んだわ」

「へ、しまっ……ぐぅ」

 

 言って聞く性格じゃないことぐらい百も承知である。今のやり取りはただ単にアリスが魔法を用意するための僅かな時間稼ぎに過ぎない。

 普段の魔理沙ならこれぐらい察して防御するぐらい問題ないのだが、アリスの魔法は気持ち良いくらいに魔理沙へ効果を発揮し、あっという間に彼女を夢の世界へいざなう。

 本の海へ頭から突っ込んで寝息を立て始めた魔理沙を見下ろし、アリスはこれからのことを頭に浮かべる。

 

「魔理沙をベッドに運んで食事の用意と服の用意。あとは……楓にも報告だけはしておきましょう」

 

 独り言を発しながらアリスが指を動かすと、彼女が人形劇に使う上海人形が何体か分散して動いていく。

 ある人形は本の片付け。ある人形は部屋の掃除。食事の準備まで始める人形もいた。

 その中でアリスは適当な紙を見つけると素早く内容をしたため、また別の人形に手渡すとふわふわと空中を漂いながら人里へ向かい始めるのであった。

 一通りやるべきことを終えたアリスは他の人形の作業が終わるのを待ちながら一息つき、魔理沙の状態を改めて確認する。

 

「体調自体は睡眠不足と栄養不足、過労と絵に描いたような無理無茶無謀だけど……」

 

 本質はそこではない。魔理沙はアリスの知りうる限り最も力に貪欲で、最も自分を霊夢と比較している少女だ。

 努力家である彼女が徹夜をして本を読むことに驚きはない。だが、今回のように己の状態すら把握できないほど自分を追い込む姿というのは初めて見る。これでは無謀を通り越して自殺に近い。

 

「魔導に魅入られた、とかなら魔女としては喜ぶべきなんでしょうけど、さっきの様子でそれも否定されたわね」

 

 魔導書というのは魔力の染み付き、魔導の知識を記された禁忌の書物。本それ自体が意思を持ち、未熟な者や覚悟なき者を喰らい、己の糧とする本すら存在する。

 そしてそれに魅入られた者は例外なく魔導の知識に異常な執着を見せる。もしも魔理沙がその状態だった場合、近づくアリスですら敵とみなすはずだ。

 

「無茶をする理由が魔理沙の中にあって、それは自分を蔑ろにしてでも優先すべきものである。……大体想像はつくわね」

 

 異変に次ぐ異変を見事に解決し、華々しく活躍するのも良し悪しである。大まかな想像はできたので、アリスは眠りこける魔理沙の顔をどこか優しい眼差しで見つめるのであった。

 

 

 

 その日の早朝はいつものように楓が霊夢を起こして稽古をしようとしていたのだが、想定外の客がいた。

 

「早苗もいたのか」

「お、男の人に寝顔を見られた……」

 

 もうお嫁に行けないと真っ赤にした顔を隠す早苗に、楓は特に気にした様子もなく声をかける。そもそも少女の寝顔など霊夢で見慣れている。

 

「他言も何もしないから安心しろ」

「見られたという事実が恥ずかしいんです!!」

「霊夢は俺に腹を出していびきをかいてる姿も見られてるぞ」

「こいつ相手に恥なんて持つだけ無駄かなって」

 

 霊夢にとって楓は口うるさくて几帳面で、ズボラな自分とは正反対な兄貴分である。家族に寝顔を見られて恥ずかしがる理由などあるのか。

 ……楓は千里眼を持っているので、その気になれば誰の寝顔だろうと裸だろうと見放題なのだが、その可能性を言及しない辺り、口ではあれこれ言っても楓の人間性は信頼しているらしい。

 

「幻想郷の恥じらいって一体……!」

「まあこの話題を続けても誰も幸せにならん。ところで早苗はなぜ霊夢の家に?」

「私が誘ったのよ。この前のお泊り会、ってやつ? をしてもらったからね」

「なるほど。そういうことなら予め言ってくれれば俺も配慮はしたのだが、悪かったな」

「い、いえ! 霊夢さんが言わなかったのが悪いですから!!」

「言うようになったわね、早苗……。いや事実だしそこまで気にするなら悪いことしたと思うけどさあ」

 

 来た当初と比べるとずいぶん肩の力が抜けている。もっと別のものも一緒に抜けている気がしてならないが、それは自分が気にしても仕方ないだろうと霊夢は割り切っていた。

 ともあれ、とお茶を飲み干した霊夢は楓の方を改めて見る。

 

「で、こっちはこの状態なんだけどどうする?」

「何かするんです?」

「普段、こいつと稽古してるの。起こしに来たのだってそうでしょ」

「そうなるな。とはいえ早苗もいるし、今日は時間をずらすか?」

「やらないとは言わないのね……」

「継続は力なり、だ」

 

 楓が引っ張らなければ霊夢はすぐサボるのだ。霊夢の力が落ちて博麗の巫女の活動に支障が出ると、その負担が楓に全て向かってくる。

 ただでさえ考えることや足を動かすことが山盛りな状態で、これ以上やるべきことを増やしたくはなかった。

 

 霊夢はサボりたい。楓は自分の負担を減らすため彼女に仕事をしてもらいたい。双方の相手のことなど全く考えていない思惑などつゆ知らず、早苗は稽古という言葉に目を輝かせる。

 

「稽古! 霊夢さんは巫女としての修練を積んでいたんですか!?」

「は? いやまあ、そりゃあ基礎とか動き方ぐらいは教わっていたけど、どうかしたの?」

「いいなあ。神奈子さまと諏訪子さま、幻想郷に来るまでそういうの全然教えてくれなかったんです」

 

 巫女としての作法ぐらいで、と早苗はため息をつく。

 ……彼女らが早苗に力の使い方を教えなかったのは、信仰のない外の世界で早苗が神になるのを抑えるためだったのだろうと楓には推測できた。

 変に力を付けて幻想郷に来る前に神になり、そのまま消滅など洒落にならない。

 早苗の事情を知らない霊夢は首を傾げながらも立ち上がる。

 

「じゃあ見ていく? 楓もそれで良い?」

「別に良いが、誰か見ているからって手は抜かないぞ」

「あんたにそんな優しさは最初から求めてないわ」

 

 そう言いながらも露骨に舌打ちする辺り、一縷の望み程度はあったのだろう。楓は霊夢を冷たく一瞥し、稽古場の方へ向かった。

 稽古場で向かい合う霊夢と楓に、早苗が目を輝かせて見学する。

 

「いつもどおり、準備運動から始めるぞ」

「はいはい、了解」

 

 言葉が終わると同時、両者の拳が閃く。そしてそこから二人にとっては普段と変わらぬ、早苗にとっては目にも留まらぬ速度での応酬が始まる。

 

「わ、わ、わぁ……!」

 

 早苗と同年代の二人が繰り出す、紛うことなき達人の技巧に早苗は心を震わせる。

 楓がその手の技術に熟達しているのは背負っている長刀や刀から理解していたが、霊夢がこれほどに白兵戦もこなすのは知らなかった。

 素人目で見ると二人の技量は互角か、やや楓が優位のようだ。霊夢が普段は弾幕ごっこに興じているので、その辺りの差もあるだろう。

 

 秒と同じところに留まらず、拳、手刀、抜き手、掌底、肘打ち、膝打ち、足刀、踵、時に体当たりも。五体全てを武器になぞらえて繰り出される猛攻。

 そして受ける側もあらゆる相手の動作を見切り、全てを紙一重で回避する。否、そうでなくては次の攻撃に対処できないのだ。大振りな回避はその場しのぎどころか、状況を悪化させる要因にしかならない。

 無数に繰り出される攻防。ほんの僅かな時間でしかないそれを、早苗は呼吸も忘れて見入っていく。

 

「せいっ!」

 

 やがて霊夢の一撃を腕で受け止めた楓が後ろに飛んで距離を取り、互いに残心の構えを取って一呼吸を入れる。

 楓と霊夢。二人にとってはいつもどおりのもの。むしろ本格的な稽古前に身体をほぐす程度の運動でしかなかった。

 だが、普段と違うのはそれに対して惜しみない拍手が飛んでくることか。

 

「す、すごいすごいすごいですっ! 楓くんも霊夢さんも、達人みたいじゃないですか!」

「ま、博麗の巫女だもの。弾幕ごっこに応じてくれない妖怪退治も私の役目だからね」

 

 褒められて悪い気はしないのだろう。調子よく霊夢が話し始めるのを楓は半目で見る。自分がいくら言い聞かせても右から左のくせに。

 次からそれとなく早苗にも稽古に参加してもらうようにした方が、霊夢も素直に稽古してくれるのではないか。そんな風に考えながら楓は次の稽古に移行しようとし、動きを止める。

 

「じゃあ次に――うん?」

「どうしたの?」

「……アリスの上海人形だ。手紙を持ってこっちに向かってる」

 

 見慣れない浮遊物を楓の千里眼が捉え、何事かと詳しく見たのだ。

 

「は? なんでよ」

「俺が聞きたい」

 

 彼女は理由のない行動はしない合理主義者だ。訝しむ霊夢と早苗と一緒に上海人形へ駆け寄る。

 ふわふわと頼りなく浮かんでいた人形は霊夢たちが来るのを見ると喜んだのか手を上げ、持たされている手紙を振り回した。

 そして楓の前に来ると手紙を差し出してくる。

 

「俺に手紙?」

「恋文、だったら面白いんだけど」

「えっ!?」

「そんなわけあるか。確かに受け取ったと伝えてくれ」

 

 軽口を叩く霊夢の頭を軽く叩いて黙らせ、上海人形から受け取った手紙を読み始める。他言無用にとも書かれていなかったため、霊夢と早苗も横から覗き込んできても止めることはしなかった。

 記されている内容を見たところ、霧雨魔理沙が明らかに無理をしていたためアリスが止めた旨が書かれており、楓は人里の公人として彼女を動かすこともあり、なおかつ彼女の親とも知り合いであるため報告した、というものだった。

 読み終えた楓は手紙を懐にしまい、どうしたものかと腕を組む。

 

「ふむ……」

「魔理沙がねえ。なんかあったのかしら?」

「そこまで根を詰める理由などないだろうに」

「お二人がそこまで言うほどなんですか?」

「ん……」

 

 事情を知らないであろう早苗にどこまで話すべきか、楓は僅かに逡巡する。

 彼女が力を求める理由は本人が口にこそ出さないが、半ば周知の事実となっている。

 しかしそれはあくまで彼女と幼い頃から付き合っていた自分や霊夢ぐらいであり、早苗が知らないのも無理はない。

 本人が言いたがらない以上、他人の口からペラペラと出たと知ったら魔理沙も良い顔はしないだろう。

 

「……まあ倒れたあいつが悪いな」

「うわ出た。悩んだように見せかけて実はそこまで悩んでるわけでもないあんたの顔」

「俺がどれだけ熟慮を重ねたと思っているんだ」

「考えはしたけど、まあ最悪自分が嫌われても問題ないなって思ったんでしょ」

「……霧雨魔理沙の事情についてだが」

「ごまかした!?」

 

 霊夢の言ったことが楓の思考をそのものズバリ言い当てていたので、これ以上の反論は傷を広げるだけだと思ったのである。

 早苗は楓に微妙そうな顔を向ける。この人意外と適当なんじゃないだろうか。

 正確な言葉を探すならちゃんと考えてはいるが、御阿礼の子じゃないので人里との付き合いに影響が出かねない、極端な関係悪化でなければ許容する方針だった。

 

「彼女は人里の生まれでな。霧雨商店を知っているか」

「あ、はい。おっきいお店ですよね?」

「それで合っている。魔理沙はそこの生まれだ。いわゆるお嬢様、と言っても過言ではない」

「寺子屋に通ってた頃は今みたいな言葉遣いでもなかったのよねえ」

「小さな頃からの付き合いなんですね」

 

 楓と霊夢の首肯が返ってくる。楓と霊夢、魔理沙は三人とも幼い頃から互いを見知っていて、だからこそ相手の性格も大体把握した行動ができるのだろう。

 中でも霊夢と楓は特別に関係が深いように見えるが、あまり好いた惚れたの関係ではないように早苗には見受けられた。

 ともあれ、と楓は幼い頃の話は省略して今に至るまでの経緯を話し始めた。

 

「当然ながら霧雨商店の跡取り娘として育てられていたわけだが、ある日彼女に魔法の才能があることが判明する」

「ふむふむ」

「で、魔理沙は魔法使いになりたいと言うが、彼女の親はそれに反対する」

「ま、人里から出ないと魔法使いにはなれないし、人里から出るってことは庇護も失われるわけだからね」

「普通の人は人里の外に出ないそうですからね」

 

 妖怪に難なく対処できる自分たちが例外なのであって、大半の住民は人里の中で暮らしている。

 魔理沙はそこから抜け出そうとしていたため、父親からの猛反対を受けていた。

 

「この辺りは色々あった結果、魔理沙は勘当という形で魔法使いになった。ああ、あくまで家としての繋がりがなくなっただけで家族仲自体はそう悪くないから安心しろ」

「何かしらの落とし所は必要だったものね」

「そういうことだ。で、肝心要の魔法使いになった理由だが――俺たちと対等になりたかったらしい」

「らしい、ですか?」

「俺も霊夢も伝聞でしかない。本人の口から聞いてない」

「気にしないで良いと思うけど、それじゃ魔理沙の気が済まなかったんでしょ」

 

 他者がなんと言おうと、本人が納得しない限り意味がない。

 

「そういった経緯で彼女は魔法使いになって、色々な異変に関わり弾幕ごっこの腕を磨いている。話としては以上だ」

「魔理沙に言うんじゃないわよ。どうせどこからかバレるでしょうけど」

 

 色々と省略してはいるが、概要を聞かされた早苗はふんふんと何度もうなずきながら浮かんできた疑問を聞いてみる。

 

「あれ? それと今回のお話は何の関係があるんです?」

「あいつはどうにも俺たちを天才だと思っているらしくてな……」

「それはまあ、正しいんだけど」

 

 自分たちが天才であることを臆面もなく認めている二人だが、そこには確かな鍛錬と経験による積み重ねで生み出された自信が背景にあるのだろう、と早苗には理解することができた。

 

「焦っているんだろう。自分で言うのもあれだが、ここ最近の異変で自分が磨かれている実感があるのは事実だ」

「最近、私の勝率も悪くなってるしねえ……もっと楽に生きなさいよ」

「断る」

 

 霊夢の茶々に一瞬で返答し、二人は顔を見合わせてため息をつく。

 

「しかしまあ、いつか来るかもしれないとは思っていたが……」

「どう言ったものかしらねえ……」

 

 二人はどうやらこの時が来るのを薄々予見していたらしい。どういうことかと思い早苗が首を傾げると、楓が再び口を開いた。

 

「俺たちが天稟を持つ存在であることは自覚している。――だが、別に魔理沙が凡人というわけじゃない」

「弾幕ごっこの観点で言えばピカイチどころか、私より才能あるんじゃない? そういう意味ではあんたもだけど」

「え、ええっ!?」

 

 急に自分も出てきたことに早苗は驚愕するが、霊夢と楓はうんうんと納得している様子。それなりの根拠があって言っているようだ。

 

「俺も霊夢も幼い頃からかくあれかしと育てられた人間だ。物心ついた時から稽古に次ぐ稽古で今がある」

「下積みの有無ってやつよ。私と楓は生まれた時から使命があって、その使命を果たすために力が必要だった」

 

 魔理沙や早苗が子供として過ごしている時間が、そのまま彼らは稽古になっていた。

 寺子屋の教科書を持つ前から楓は刀を手にし、霊夢は読み書きを習う前から霊撃札を操っていたのだ。

 そうした積み重ねがあってこそ霊夢は博麗の巫女として。楓は誉れある御阿礼の子の側仕えとしてそれぞれの使命を果たすことができていた。

 

「魔理沙が魔法使いとしての修行を始めたのは本当に最近だ。一年前程度だろう」

「そのぐらいでしょうね。で、それで弾幕ごっこなら私と若干不利なぐらいに詰められてるわけよ。私の立つ瀬がないったら」

 

 実際に弾幕ごっこをした場合、おそらく霊夢が七割勝つだろう。

 だが言い換えれば三割は魔理沙に勝機があるわけで。

 八雲紫であっても霊夢との弾幕ごっこでの勝率は二割程度だというのに。

 

「早苗もそうだが、最近の奴らは馴染みが早い。いや、歓迎すべきことなんだがな」

「そういうわけで私らは別に魔理沙が凡人だとかは思ってないわけ。でもこういうのって私らが言っても納得しないでしょう?」

「それでどう対処したものか、と悩んでいたわけだ」

 

 楓と霊夢はある意味当事者でもある。自分たちが対等だと思っていると言っても魔理沙が納得しない。

 しかし手をこまねいている段階は過ぎてしまった。さすがに過労で倒れるほど自分を追い込むようになって、破滅に向かっていくのを見過ごすことはできない。

 

「とにかく、この話を俺は親父さんと霖之助さんに持っていく。俺たちの一存でどうこうはできんだろう」

「ん、お願い。今日の稽古は中止?」

「せざるを得まい。魔理沙の身体のことだ」

「はいはい、私の方でもちょっと気にしてみるわ。あいつと話す頻度はあんたより多いだろうし」

「頼んだ。早苗も悪かったな、全部見せてやれなくて」

「いえいえ! なんていうか……嬉しかったです。霊夢さんはどこか超然としている感じですし、楓くんは見かけたらいつも何かに巻き込まれているようでしたけど、ちゃんとお友達のことも考えているんですね」

 

 霊夢はさておき自分は褒められている気がしない。

 楓は難しい顔になるものの、早苗は本心から出た台詞のようで疑問を覚えていなかった。霊夢は口元を両手で抑えて肩を震わせていた。

 

「じゃあ私の方でも見ておきます。お二人に比べて付き合いは短いので何ができるかはわかりませんが……」

「手伝ってくれるだけありがたい。頼んだ」

 

 

 

 

 

 走る、走る、走る。どれだけ息を切らしても、足がもつれても、肺が破れるほどの痛みを発しても、走ることは止めない。

 足元など最初から見ていない。見えているのは遥か上に位置する、綺羅星の如き輝きだけ。

 輝きは二つある。双子星のように寄り添い、どちらも自分など置き去りにする速度で飛翔していく。

 

「早いんだよお前ら……!」

 

 少女――魔理沙は走る足を緩めずに空を飛ぶ楓と霊夢に毒づく。

 

 地を行く自分と空を飛ぶ二人ではもとより追いつけるはずなどない。厳然な事実だけが魔理沙の前に横たわる。

 脳裏によぎる不安を目の前の魔導書に没頭することで打ち消し、命の危険だろうと知ったことではないと異変に飛び込み続けた。

 しかし、距離が縮まることは決してない。むしろ彼らも本格的に異変へと関わり、その才覚を本格的に開花させ始めている始末。

 

 涙がにじむ。結局自分には無理だったのではないか。魔理沙にとって、霊夢と楓は幼い頃から自分とは違い、ひときわ輝く物語の主人公とも言うべき存在感があった。

 彼女らと対等になりたい。そう願って走り出し、冷徹な事実が彼女を打ちのめす。

 すなわち、自分が彼女たちに追いつくことは永劫にあり得ないというもの。

 けれど、それでも認めたくないと魔理沙は手を伸ばし――

 

 

 

「置いていくなよ、霊夢――!」

 

 目が覚める。入った覚えのないベッドの感触と、見慣れた自宅の天井が魔理沙の意識を引き戻す。

 

「あ、あれ……?」

 

 自分はいつベッドに入ったのか。最近はずっと魔導書と格闘し続けていた記憶しかない。

 汗で貼り付いた髪と服の感覚が気持ち悪いが、上半身を起こして記憶をたどろうとしたところ、視界に一人の少女が映った。

 

「あら、起きたの」

 

 アリスは魔理沙が覚醒したのを見て、澄ました顔で魔理沙の方へ近寄っていく。

 

「へ、あ……アリス! 思い出した! さっきはよくも!!」

「普段のあなたならレジストするぐらい造作もない魔法よ。それすら防げないのが疲れの証左」

「だからってなあ! ……ってあれ? 私の部屋、なんか妙に片付いてる?」

「あのまま放っておいても倒れるだけでしょう。部屋の片付けと掃除はしておいたわ」

「……母ちゃん!」

「誰がお母さんよ! 減らず口を叩く元気があるなら食べるもの食べてさっさと寝なさい!!」

 

 ほら、とアリスが差し出した卵入りのお粥を受け取り、魔理沙は色々とアリスに迷惑をかけてしまったことを実感する。

 

「迷惑かけちまったみたいだな、アリス」

「全くよ。次はないのだから、自己管理はしっかりなさい」

「肝に銘じておくぜ」

「そうしなさい。……で、何があったの」

 

 ベッドに腰かけ、アリスは魔理沙の顔をじっと覗き見る。

 話すまで動きそうにないアリスの様子に魔理沙は苦笑するしかなかった。

 

「そこ聞くか? 疲労でぶっ倒れた直後の私に」

「何も聞かなかったら同じことの繰り返しで私の負担が増えるばかりでしょう。原因を知らなきゃ何もできないわ」

「次はないんじゃないのかよ」

「ほら、さっさと吐きなさい」

 

 自分の面倒見が良いのを自覚し、隠していないのがアリスの美点であり、強みである。

 魔理沙の苦し紛れの指摘にも動じることなく、話を促す姿に魔理沙は観念したのかがっくりと項垂れた。

 

「……霊夢たちに置いていかれるんじゃないかって不安だったんだよ」

「そんなところだと思ったわ」

「わかってるじゃないか。……それだけだよ。長い長い年月を生きた魔女なら鼻で笑うんだろうな」

「私は理解できないけど、それを嘲笑いもしないわ」

 

 そこで一度言葉を切る。先ほど語った言葉は本当で、アリスには対等になりたい人もそのために努力することも今ひとつ理解できているとは言い難い。

 言い難いが、魔理沙が己の全てをなげうってそのために走っているのは知っている。それを嘲笑う理由もなかった。

 ただ、魔理沙に上手いことを言える自信もない。理解できていない者の言葉など薄っぺらいだけだろう。

 なのでアリスは魔理沙の頭にその繊手を置いて、頭を撫でてやることしかできなかった。

 

「やめろよ、子供じゃあるまいし」

「今は食べて休みなさい。食事も休息も不要な魔女になってこそ、これらの必要性が身にしみるわ」

「本当かよ……」

「本当よ。パチュリーですら、休みは取っている。そうしなければどこかで無理が出て、休むこと以上のロスが出ることは確実だもの」

「……おう」

 

 言葉少なに魔理沙がお粥を食べ始めるのを見て、アリスは視線を和らげて魔理沙の食事が終わるのを待つのであった。

 

 

 

 

 

「――ということがあって、魔理沙が倒れたとアリスから聞きました」

 

 所変わって霧雨商店。楓はアリスの手紙を受け取った足で人里の霧雨商店に向かうと、そこでは商品の受け渡しがあったのか丁度霖之助もいたので、魔理沙の父である弥助と霖之助の二人にまとめて報告をしているところだった。

 楓の話を聞いた二人は難しい顔になって腕を組み、顔を見合わせる。

 

「なるほど……いや、報告してくれてありがとな。魔理沙は絶対そういうの言わねえだろうし」

「アリス・マーガトロイドには僕からも伝えておくよ。同じ魔法の森に居を構える者のよしみだ」

「こちらも注視しますが、二人はどのような考えで?」

 

 これ以上の無理は禁物であると判断し、魔法使いであることをやめろと言ってくるかもしれない。実の父と兄貴分が可愛い娘の破滅を見たいはずもない。

 

「二人の考え、と聞くからには楓の考えは違うんだろ? ……人里の守護者さまの言葉だ。何を言っても怒りはしない」

 

 弥助の言葉と霖之助の視線に促され、楓は渋い顔になりながらも口を開く。おそらく二人の望んだ答えではないものを。

 

「――自分は魔法使いを続けてほしいと思っています。人里の守護者として、彼女の力は手放したくない」

「それが彼女を更に追い詰めることになっても、かい?」

「守護者としての考えを教えます。――人里に属していない少女一人使い潰して、当面の安全が得られるならそれは安いと言っても良い」

 

 魔理沙は人里に属する少女ではない。なので極論、彼女がどうなろうと人里は痛くも痒くもない。

 無論、眼前の弥助やアリスたちの感情面での問題はあるだろうが、あくまで人里という集団のみを見るなら楓の言葉が正しかった。

 ただ、それはあくまで楓たちが何もしなかった場合である。自分たちが動いて状況が改善するなら見過ごす理由などない。

 

「こっちに報告してきたってことは、お前さん自身はそうなってほしくない、で合ってるな?」

「これでも幼馴染ですから」

「では僕たちの考えも伝えよう。親父さん、良いですか?」

「ああ、伝えてくれ」

 

 弥助に促され、霖之助が楓に向かって口を開く。

 

「僕と親父さんの考えは――楓と同じ、彼女に魔法使いを続けて欲しい、だ」

「え、それは……」

 

 やめさせるのではないかと思っていた。このまま続けたとて、彼女の未来は決して明るくないだろう。

 しかし二人はそう思っていないようで、むしろ信頼に溢れた笑みを浮かべるぐらいだ。

 

「確かにあいつは今、苦境に立たされているんだろう。傍に行って力になれないのは苦しく思う」

「でも、これは必要な苦しみだと思っている。もともと、彼女の進む道が茨の道であることは承知の上だからね」

「……彼女なら乗り越えられる、と?」

「確信しているわけじゃない。本当に無理だと思ったらやめさせるのも優しさだ。――でもそれは今ではない」

「だから僕たちも見守るよ。結末がどうであれ、彼女の出した答えなら暖かく受け入れるつもりだ」

 

 そこまで言われては楓も納得するしかない。

 

「ああ、それとこれは僕の勘だけど、魔理沙は壁を乗り越えて大きく成長すると思うよ」

「なぜ?」

「君たち含め、魔理沙は多くに愛されているからね」

「それになんて言ったって俺の娘だぜ? ――俺の娘は博麗の巫女にも人里の英雄にも負けない!」

 

 なるほど確かに。自分やアリス含め、多くの存在が彼女のために心砕いているのだ。これを愛されていると言わずして何を愛と呼ぶのか。

 楓は二人の家族愛を確かに垣間見て、静かにうなずくのであった。

 

 

 

 それから幾日後。博麗神社の近くに間欠泉が吹き出した。

 霊夢は最初、これをもとに温泉事業でもやって博麗神社への信仰を取り戻そうと企てたが、すぐにその野望は霧散する。

 吹き出したのは間欠泉だけではない。地底に住まう存在も一緒に地上へ現れていたのだ。

 すぐさま異変であると理解し、霊夢は紫とともに、魔理沙はアリスとともに、そして楓は――

 

「――行くぞ、天子。さすがにこれは原因を叩かねば終わらない」

「任せなさい。この僅かな間に天界から下界、下界から地底へ、なんてなんとも刺激に溢れた冒険じゃない!」

 

 楓もまた天子とともに動き出し、地底へと向かう。

 

 

 

 

 

 ――この異変で、楓の異常性が全て白日の下に晒されることになるとは誰も知ることなく。




次回から地霊殿開始です。霊夢&紫と魔理沙&アリス、楓&天子の組み合わせで進んでいきます。なお紫とアリスは遠隔なので実際の戦闘が始まったら離れます。

魔理沙視点:楓も霊夢も天才だ。私なんかがいくら走っても追いつけない……!

楓、霊夢視点:いやつい最近魔法使い始めたお前に追いつかれたら立つ瀬がないんだけど? というかなんである程度追いつけてるの???

そもそも楓も霊夢も小さい頃からそういう修行してるのに、途中参戦した魔理沙が追いすがってくるので真顔不可避。
実際、弾幕ごっこという土俵なら霊夢に次いでいます。霊夢が何らかの要因で動けなくなった状態で弾幕ごっこでの異変解決をする場合、紫は魔理沙に声をかけるでしょう。

なお今のメンタル状態最悪な模様。なんで今メンタル最悪なのかって? そこに嫉妬を操る妖怪がおるじゃろう?

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