阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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地底の妖怪たち

 地底への大穴はどこまでも続く暗闇が広がっており、まさしくこれに飛び込んだら奈落の果てまで堕ちていくと錯覚するに相応しい大きさだった。

 楓と天子は地底から吹き上げる風が自分たちの顔を叩く中で、顔を見合わせる。

 

「なるほど、こんな大きな穴が開いていたのね」

「天界から見えていなかったのか」

「動きのない穴を見て何が楽しいってのよ。私は退屈しのぎで地上を見ていたのよ?」

 

 そう言われるとぐうの音も出ない。

 楓は大穴を睨みつけ、やがて意を決して大きく息を吐く。

 

「――行くぞ。地底を調べて最低限、地霊が出てくる状況はどうにかする」

「任せなさい。光あれ、ってね!」

 

 神通力か何かを使ったのだろう。天子の周囲に仄かな輝きを放つ光が生み出される。

 楓が妖術の炎で灯りを確保する場合、決して多いとは言えない妖力を消費する羽目になるので大変助かる行動だった。

 

「助かる。何が出てきてもおかしくない場所だ。警戒は怠るなよ」

「言われずとも。そっちこそ見えないからって油断はしないように」

 

 見えている方が警戒は楽だが、別に見えていなくとも周囲の気配の把握は常に行っている、と反論したい楓だった。視界が潰れても自分の周辺程度の把握なら、全く問題なくこなせるのだ。

 

 どうあれ楓たちは地底の大穴を進んでいく。地底からの風がごうごうと耳にうるさく、周囲から妖怪の気配もほとんどしない空間だった。

 すぐに地上からの光は見えなくなった。天子の灯りがなければどこが壁かもわからないほどの暗闇を手探りで進んでいく。

 

「風の流れはあるから方向だけはわかるのが救いだな」

「同感。少し穴の深さを甘く見ていたわ。地底の妖怪もここで暮らしている様子がないのだけは救いかしら」

 

 そもそも地底に封印された妖怪が鬼以外で、ここまで来たことがあるのか疑問な二人だった。これほどの大穴、うっかり落ちたら妖怪でも命がない高度である。

 念のため妖怪の警戒は怠らず進んでいくと、徐々に穴が狭くなっていくのを感じ取る。そして微かな明かりを持つ横道が顎の如く口を開けて佇んでいた。

 ようやく底が見えた地底に降り立つと、とうの昔に地上の光を通さなくなりどこまでも広がる暗闇しか映さない空を仰ぐ。

 

「あまり知られて欲しい場所じゃないな……。秘匿されてきた理由がわかるというものだ」

「どういうこと?」

「冒険に向かう命知らずが出るかもしれない。……自殺者の名所になるかもしれない」

 

 妖怪がいるのは確実なのだから、身投げすれば死体も処理してもらえるし、ここまで探しに来られることもない。まさに誰の迷惑もかからない死に方だろう。遺されるであろう家族の哀しみはさておき。

 楓の知る限りの人里でそんな輩はいないが、これから先も出ないとは限らない。天子も楓の思考を読み取ったのだろう。うんざりした顔を見せる。

 

「そういうところも考えないといけないわけ。全く、守護者は大変ね」

「考えずに済むならそれで良いんだがな……」

 

 守護者の役目は常に最悪の可能性を考えることである。自分たちの敗北が人里の被害に直結し、ひいては御阿礼の子への被害にもなりかねないのだから、手抜きは許されない。

 と、そこまで考えて楓は頭を振る。今のは自分の考えるべきことであり、天子には関係のない話だった。

 

「……済まない、愚痴になった。どちらにせよ後で考えれば良いことだ。先に進もう」

「了解。気づいてるでしょうけど、ここからは妖怪の気配もうじゃうじゃあるわよ」

「襲ってくるようなら全部薙ぎ払う。わかりやすくて良い」

 

 楓の感覚もすでに無数の妖怪を捉えている。地底に封印されていたというのも間違いではないらしく、獲物を値踏みするような視線だ。

 ともあれ二人は気にせず歩き始める。襲いかかってきたら返り討ちにすれば良く、事実それが可能な二人だったので特に恐れもない。

 

 そうして進み続けることしばし。不意に楓が動きを止めて厳しい顔をする。

 

「天子、止まれ」

「――何か来る?」

「先ほどから俺たちの頭上を狙って何かが動いている。おっかなびっくりだったようだが、だんだん距離が縮まっている」

 

 天子は緋想の剣に手を伸ばし、楓も腰の刀に手を添えて相手を待ち構える。

 動きがなくなると地底にあるのは天子の作った灯り以外、一切見えない完全な暗闇と静寂が広がる。

 お互いの息遣いすら大きく聞こえる中、不意に頭上から何かが投げ込まれた。

 

「――」

「何か飛んできた?」

 

 楓がそれを察知して風で叩き落とすと、それは軽い音を立てて砕け、いくらかの大きな破片が天子の足元に転がる。

 

「ん?」

 

 何が飛んできたのかと何気なく拾い上げ――それが人間の骨の一部であると理解した天子の思考が一瞬だけ空白に染まる。

 そしてその時を狙い澄ましたのだろう。頭上から飛び降りてきた妖怪が無防備な天子の首を狙い――

 

「――っ!」

「うぎゃーっ!?」

 

 横合いにいた楓によってあっさりと食い止められる。

 降ってきた何かを楓が蹴り飛ばすと、人を蹴ったものとは違う感触が足に伝わり、それが木の桶であることに気づいたのは壁にぶつかった音からだ。

 

「怪我はないな?」

「感謝するわ。楓は驚かなかったの?」

 

 術の感触で人骨であることはわかっていたが、楓の感想はだからどうしたというものだった。

 驚くに値しないと思い口にしなかったことが天子の危険につながったため、楓はごまかすように肩をすくめる。

 

釣瓶(つるべ)落としだ。天井から落ちてきて、首以外の身体を喰らうとか聞いた覚えがある」

「そのようね。さっきのあれも人骨であるし……放置は不味いか」

 

 天子と話しながらも木桶への警戒は怠らない。そこに妖怪がいて、今なお動く気配がないのはわかっていた。

 二人が油断を消しているのがわかったのだろう。突如として木桶が跳ね上がり、中にいた少女がこちらに嘲笑を見せる。

 

「……ばあっ! 行方も知れぬ人の骨を躊躇なく砕くとは残酷なことだ。あの死体の魂は報われることなく永遠にさまようだろう」

「お前から解放されたんだ。どんな結果であれ感謝して欲しいくらいだ」

「くひひひひっ! 地底に人間がやってきたかと思えば! 活きの良い人間たちだ! お前たちの首から上は私に、首から下は火車にありがたがられるだろうさ!!」

 

 緑の髪を二房まとめた幼い少女の風貌に似合わない、凶暴な笑みを浮かべると少女は木桶の中から顔だけ見せて再び上に昇っていく。

 やがて木桶が暗闇に呑まれ、完全に見えなくなると天子は緋想の剣を片手に持って楓に指示を促す。

 

「向こうは殺す気みたいだけどどうする? そっちの指示に従うわ」

「殺すつもりなんだから殺し返しても問題ないとは思うが……こっちの目的はあくまで調査だ。地底の侵略じゃない」

 

 それに、と楓は刀に添えていた手を離して拳を握り、口元に悪い笑みを浮かべながら話を続ける。

 

「見方を変えれば、あいつは地底に詳しい存在だ。――情報を聞き出すために痛めつけても良心が痛まない相手は貴重じゃないか?」

「……この前殴られた側として聞きたいんだけど。あんた、誰かを殴って良心が痛んだことってある?」

「ない」

「でしょうね……」

 

 全く悩まず言い切られた言葉に天子は肩を落とす。あの時悪かったのは自分なので怒る筋合いはないのだが、せめて一欠片ぐらい何か思っていてくれれば、という淡い思いは粉々に打ち砕かれたのであった。

 そして二人が緊張感の欠片もなく話しているのに業を煮やしたのだろう。再び頭上からいくらかの人骨と共に釣瓶落としが鬼火を灯しながら降ってくる。

 

「襲われてるのにこっちを見ないとか万死に値する! その顔が苦しみに歪むさまを見せておくれ!!」

「――終わらせるか」

「ええ、了解」

 

 

 

 

 

 楓は片手に釣瓶落としの桶にくくりつけられた縄を握った状態で、木桶の中に入ったままの少女――殴り倒してキスメという名前を聞き出した――の案内を受けて地底の奥深くへと向かっていた。

 

「で、地底の都――旧都への道はこっちと」

「…………」

 

 キスメが黙ったまま何も言わないので縄を引っ張り、適当な岩肌にガンガンとぶつける。

 その度に楓の後ろにいる天子がうわぁ、という顔で楓を見ているのだが気にしない。

 

「ぎゃーっ! いやぁぁぁ!! 痛い痛い!! いたいけな女の子にこんなことして良いと思ってるわけー!?」

 

 反省した様子がないので更に勢いをつけて岩肌に叩きつける。

 あまり肉体の強度が高い妖怪ではないのだろう。血が飛び散り、楓の頬にも付着するが特に気にしない。

 ぐったりと桶の中に突っ伏したキスメに楓は表情を変えることなくもう一度同じ質問をする。

 

「俺は道が合っているかを聞いている。返事は?」

「はい……合ってます……。この先真っすぐ行けば旧都です……」

「それが聞きたかった」

「どっちが悪いのかわかったもんじゃないわね……」

 

 正義とは、悪とはなんだろうと柄にもない哲学的なことを思いながら天子も続く。いや、殺されかけたのは事実なので楓の対応は別に間違っていないと思うが、それにしたって絵面に問題がある。

 楓の恐ろしいところはそれが正しいと思えば、見た目や人道的に問題があろうと躊躇なく選べることだろう。そしてそれを気に病むこともない。

 

 だが不安もある。キスメの言葉の真偽を確かめる術がないのだ。現状、アテがないためとりあえずキスメの示す方向に向かっているが、この先が旧都である保証は誰にもできない。

 

「……ねえ、楓」

「言いたいことはわかってる。俺とて全部嫌がらせでこんなことをしているわけじゃない」

「嫌がらせはあるんだ……」

「仮にこいつが嘘を話している場合、俺たちを別の妖怪のもとへ連れて行くだろう。それはそれで別に構わん」

 

 キスメ自身にも聞こえるように話しているが、楓の口ぶりに淀みはなく、どちらに転んでも構わないと心底から思っていると判断できるものだった。

 

「新しい妖怪が来るならそれで良し。そいつに旧都への道を改めて聞けば良い。合っていればそれでも良し。こいつはお役御免だ」

「お役御免って私を殺す気じゃないでしょうね!?」

 

 キスメの震える声から放たれた強がりに反応はしない。別段する必要も感じられなかった。

 すると前を歩く木桶の中からすすり泣くような音が聞こえ始めるが、それも無視する。そもそも彼女の思い通りにことが運んでいたら、自分たちは泣くことも笑うこともできなくなっていたのだ。

 

「私も一歩間違ったらこうなっていたのね……」

「…………」

「嘘でも良いからそんなことないって言いなさいよ!?」

「根が正直なもので」

「この男……!」

 

 多分、また自分が敵になったら躊躇せず殴り倒して来るんだろうな、という嫌な確信を得てしまい、天子は苦い顔になるしかなかった。

 ぐすぐすという泣き声だけが響く気まずい空間を歩くことしばし。楓はふと耳に届いた音に眉をひそめる。

 そして風を操り、天子の耳元でキスメに気取られないよう声を届ける。

 

「……天子、何も答えず俺の言葉を聞け」

「……っ!?」

 

 自分の前を歩いている楓の声が耳元でささやかれるように聞こえたことに驚いたのか、天子はビクリと肩を大きく震わせるが声は出さなかった。

 

「こいつの泣き声、おそらく別の何かを隠す音だ。――俺たちの周りに何かいる。いつでも動けるようにしておいてくれ」

 

 楓は一方的に用件を告げ、話を終わらせる。

 天子は驚いていたものの、この手の話で楓が冗談を言うことはないと理解しているため、無言でうなずいてそれとなく周囲への警戒を深めていく。

 

「まだ着かないのか?」

「この先に行けばもうすぐです……」

「本当だろうな」

「本当本当!! この先に行けばもうすぐ――土蜘蛛の巣に到着するからぁ!!」

 

 キスメの殺意あふれる言葉が発せられた瞬間、楓たちは身構える。

 身構えるが――何も起きない。

 

 楓たちの周囲に土蜘蛛の配下と思われる気配はあるが、襲いかかる様子は皆無だった。

 むしろ戸惑いの気配が強いと楓は半ば直感の答えを出す。どうやらキスメにも、この先にいると思われる土蜘蛛にも予想外のことが起きているようだ。

 

「…………」

「…………」

「あ、あれ……?」

 

 何も起きないため、楓と天子の眼差しはキスメに集中する。彼女が自分たちを騙していたのは明らかで、どう料理してくれようかと考える。

 

「一思いに殺すか」

「要石で潰す手もあるわ。地底の妖怪にしては誉れある最期じゃない?」

「ちょっと待って話し合おう! 暴力反対!!」

「お前が俺たちにぶつけようとしていた妖怪の情報を洗いざらい吐けば考えてやる」

「殺さない?」

 

 涙目で自分を見上げてくるキスメに、楓はせめて多少は安心させてやろうと視線を和らげて声をかける。

 

「ああ、死に方ぐらいは選ばせてやる」

「いやだぁぁぁ!! 助けてぇぇぇ!!」

 

 色々限界を超えたのか、キスメはかつてない力を発揮して楓の握る縄を振りほどき、一目散に駆け出していく。

 

「あ、逃げた!」

「いや、逃がしたんだ。あいつを追いかけた方が手っ取り早い」

「……あんた、そういうところ可愛げないわよね」

 

 自分たちに襲いかかってからの行動が全て楓の掌だったとわかった時、あの釣瓶落としは何を思うのだろうか。

 もしも反省していたら少しぐらい優しくしてもバチは当たらないかもしれない、と思う天子であった。

 ……ちなみに楓は天子が優しくする可能性も見越していたため、多少意図してキツく当たっていたりする。アメとムチによる懐柔策は精神を拠り所にする妖怪だからこそ効果が大きい時もあるのだ。

 

 暗がりに逃げていったキスメを追いかけることしばし。道中何も襲われることなく進んでいたところ、見覚えのある退魔針と霊撃札の弾幕が彼らの目に飛び込んでくる。

 

「でぇい!!」

「あれは……」

「霊夢か。どこかで追い抜かれていたか、別口でここに来ていたか」

 

 キスメの語っていた妖怪が動けない理由がわかった。博麗の巫女と戦っていれば、他を助ける余力など残るはずもない。

 黄色の髪を持つ土色の服をまとった少女は必死の形相で霊夢の弾幕を避けていたが、そこへ意志を持っているかの如く動く陰陽玉が彼女の正面へと現れる。

 

「げっ!」

「落ちなさい! 頂門紫針!」

「ぬわぁぁぁぁ!!」

 

 黄色の少女は為す術もなく霊夢の弾幕に呑み込まれ、満身創痍になってしまう。

 楓と天子は戦いが一段落したと岩陰から姿を現したところ、戦闘で直感が研ぎ澄まされていたのか霊夢の退魔針が向けられる。

 戦意はないと両手を上げて楓が口を開いた。

 

「落ち着け、俺たちだ」

「あんたたち……なんか変な妖怪が化けてたりしないでしょうね」

「先日稽古で起こしに行った時のお前の寝相を事細かに語ってやろうか?」

「わかったあんたたちは本物ね。そこの釣瓶落としはなに?」

「道中襲われたので返り討ちにして道案内をさせていた」

「ヤマメ、大丈夫!?」

 

 楓が指差した方には満身創痍のヤマメと呼ばれた少女へ駆け寄るキスメの姿があった。

 

「い、いたたたた……。地上の博麗の巫女がどんなものかと思ったが、すごいじゃないか! こりゃ私の負けだ。あれ、キスメはなんでいるの?」

「地上の人間に襲われたから助けてもらおうと思ったんだよ! でも負けてるじゃん!!」

「殺す気まではないんじゃない?」

「……殺さない?」

 

 ボロボロになったヤマメにすがり、庇護欲を誘う涙目でキスメは楓――ではなく天子の方を見る。この少年には何やっても通じないということが身にしみたのだろう。

 天子は楓の方をチラリと見てきたので、楓はどうでも良いとばかりに肩をすくめて霊夢の方へ向き直る。

 

「お前の勘なら旧都まで一直線だろう。案内してくれ」

「……まああんたたちなら良いか。私の弾除けぐらいにはなりなさいよ」

「露払いぐらいはする。ところであの妖怪は?」

「土蜘蛛ね。戦う気はないみたいだから無視する予定だったんだけど、紫と萃香がうるさくてね」

「二人もいるのか?」

「説明すると面倒なんだけど……」

 

 楓が霊夢と話し始めたので、天子はどういったものかと後頭部をガリガリかきながらキスメたちの方へ向かう。

 天子はそれほど怒ってはいなかった。殺されかけたのは事実だが、楓の対応のおかげで傷を負ったわけでもなし。

 

「……私はもう気にしてないわ。ここから先にあんたたちが必要なわけでもなし、どこへなりとも行きなさい」

「お、おぉ……え、というかキスメ、殺されるようなことしたの?」

「ちょっと首をもらおうと……」

「天人の首が獲れるという驕り、手痛い学びであっただろう? これに懲りたら相手は選ぶことだ」

「……天人さま!!」

 

 生殺与奪を自分のことをなんとも思っていない相手に握られ、そこから解放されたところに天人の言葉はキスメの心に深く染みた。ものすごく深く染み渡った。ちょっと楓の意図したアメとムチを逸脱している領域で染み込んだ。

 その結果、キスメは天子に向かって深々と頭を下げる姿を見せて天子を困惑させていた。

 

「え、えぇ……?」

「感動しました! 地底暮らしの暗い世界に光が差し込んだ心地です!!」

 

 反応が予想したものとだいぶかけ離れている。天子はキスメの変貌ぶりに同じく驚いている、ヤマメと呼ばれた妖怪に話を向けた。

 

「ねえ、この子こんな感じ?」

「普段は割と凶暴だけど……なんか天と地の落差がある状況でもあったの?」

「あー……」

 

 思い当たるフシはあった。我関せずと霊夢と話している少年である。

 ……通常、いくら心が弱っていてもここまで大きい振れ幅を見せることはまずない。ないのだが、相手は妖怪。精神、心を拠り所にして生きる存在である。

 彼女らに限って言えば珍しい事態ではあるものの、心境の激変やそれに伴う変化は起こり得ることなのだ。天子は今、その事例に直面していた。

 

「この後も良ければお会いしてもよろしいですか! あ、もちろん人は襲いません!!」

「いや襲わないと妖怪的に問題あるんじゃ……え、地上に出ていいの?」

「あ、ダメでした! じゃあ天人さまにご足労お願いします!!」

「そこは図々しいわね!! あーもう、わかった、わかったわよ! 天人の器ナメんな! 全員面倒見てやるわよ!!」

 

 拒絶することも考えたのだが、キスメに優しくしようと思ったのは楓の所業を間近で見たからというのが大きい。さすがにあれと同じ穴のムジナと思われるのは避けたい。

 そうなるともう受け入れるしかない。天子は八割以上ヤケになった思考でキスメの尊敬を受け入れることにするのであった。

 それを横目で見ていたヤマメはマジかよこいつ、みたいな顔をしながらも頬をかいて困ったように笑う。

 

「へへーっ!!」

「あー……そっちの事情が片付いたらさ、旧都の方まで来ておくれ。私はそれなりに地底に明るいから、案内ぐらいするよ」

「そう、助かるわ。えっと……」

「ヤマメ。黒谷ヤマメだ。地底の知り合いも多いから、名前を覚えて損はないよ」

「ではヤマメと。うーん、あの男に関わると妙な知り合いが増えるわね……」

「――天子、そろそろ行くぞ」

 

 楓の次に天人の威光を理解する相手が、よもや人の首を狙ってきた釣瓶落としになるとは。全くもって人生とは予想できないことばかりである。

 とはいえ自分を敬う相手が増えるのは悪いことではない。地底に天人の偉大さを教え広める、というのも一興だろう。

 天子とは対照的にキスメ、ヤマメにはほぼ最低限の警戒程度の興味しか向けていない楓の呼びかけに応えながら、天子は自分たちを見送る二人に手を振り返して先に進むのであった。

 

 

 

 霊夢と合流し、改めて歩みを再開させた三人は霊夢の直感に従って、旧都への道を一直線に向かっていた。

 

「もうすぐよ。多分灯りが見えるはず」

「確かに。ここまで来れば俺の目にも見える。なるほど、こんな場所にあったのか……」

「だったらお役御免かしら。旧都に入ったら分かれましょ」

「状況次第だな。……む」

 

 視界が開ける。ほとんど光源のなかった洞窟を抜けると、そこには一つの世界が広がっていた。

 

 地上には煌々と明かりを灯した木造家屋が立ち並び、それが人里とほぼ遜色のない規模で広がっている。

 道行く人々は鬼が中心でそれ以外も見慣れぬ妖怪ばかり。だがどれも楓たちの想像したような陰鬱なものではなく、むしろ独特の熱気にあふれたもの。

 地底に大きな空間が広がっているという表現では足りない。冥界や天界に劣らず、一つの世界として成立している場所だった。

 

「これは……驚いたな」

「旧地獄をそのまま流用したって紫は言ってたけど、これは確かに……」

「ああ……! 見知らぬ土地、見知らぬ世界を冒険するって素晴らしいわ……!」

 

 何やら天子だけ別方向の感動を覚えているようだが、どちらにせよ感嘆していることに変わりはない。

 三人は眼下に広がる光景に圧倒されながらも前に進み、旧都と地底をつなぐ大きな橋にさしかかる。

 

「……何かいるぞ」

「そりゃいるでしょ。妖怪の総本山みたいなものなんだから。無視よ無視」

「いや、こっちを見ている。完全に認識されているぞ」

「あーもう」

 

 逃げられないと悟ったのだろう。霊夢が先陣を切り楓たちも橋に降りていく。

 楓たちを待ち受けていたのは地底で一際明るく輝く金の髪と、尖った耳を持つ少女だった。

 

「あなたたち人間? どうして旧都に?」

「ちょっと事情があって邪魔させてもらったわ。私たちの邪魔をしないなら何もしない」

「…………」

 

 霊夢の言葉に少女は何も答えず、ただ口元を手で隠すばかりだった。

 怪訝そうな顔になる霊夢だが、その目が一瞬だけ緑の輝きを放ったのを見逃さない。

 

「……妬ましい」

「は?」

「その迷いのない目が妬ましい。信頼できる存在のいる縁が妬ましい。競い合う好敵手がいることが妬ましい。その若さが妬ましい。その力が妬ましい妬ましい妬ましい!!」

 

 おぞましい声だった。悪意そのものが形となったと錯覚させる、霊夢と天子をたじろがせるに足る声音に、しかし怯まず前に出る少年が一人。

 

「霊夢、橋姫だ! 嫉妬に駆られ、嫉妬に燃え、嫉妬を操る妖怪!」

「私を知る知識が妬ましい迷わず前に出られる勇気が妬ましいその剣術が妬ましいああもうあらゆる全てが妬ましい!!」

 

 不味いと声をかける間もなく、三人の心に醜く蠢く重い感情が鎌首をもたげる。

 

「む……」

「これは……重たいわね」

「う、ぐっ……」

 

 それが嫉妬と呼ばれる感情であることに全員が気づく。そしてそれが誰を対象とした嫉妬であるのかも。

 言葉に出さずとも悟る。彼女の能力は他者の嫉妬心を操ることであり、嫉妬に駆られた者たちの同士討ちを見るのが彼女の心からの喜びであるのだと。

 

 事実、彼女らは能力に見事引っかかった。それぞれの相手への嫉妬が腹に渦巻き、今にも爆発を求めて猛り狂っている。

 

「ま、私は気にしないけど」

 

 ――そして最初に立ち直ったのは霊夢だった。

 

「は……?」

 

 能力は発動している。彼女らの心に嫉妬があるのは嫉妬心を司る妖怪、水橋パルスィには手に取るようにわかる。

 これを受けた相手は例外なく相手への醜い嫉妬に襲われ、剥き出しの感情から生まれる罵詈雑言とともに同士討ちし、息絶えていく。

 息絶えるはずなのだ。こんな、平然とした様子でいることなどあり得ないことだ。

 

「どうして!? 私の嫉妬からは逃れられない!!」

「でしょうね。嫉妬ってやつを感じたのは初めてだと思うけど、確かにあるわ」

 

 楓への嫉妬。見るたびに目覚ましい速度で成長し、やがて霊夢すら置き去りにするのではないかと思う――家族のような少年。

 

「だったら――」

「――私は縛られない」

「え?」

「そういう重たい感情に縛られたくないの。怒りも嫉妬もある。あるけど、そこに囚われたくないだけ」

 

 ただそれだけ。しかしそれだけで霊夢は嫉妬の心から解放されていた。常と変わらず、迷いのない瞳でパルスィに退魔針を向ける。

 

「相手が悪かったわね。私もだけど――」

「もう治ったか。早いな」

「この男もよ。こいつに関しては運が悪かったわね」

「んなっ……!?」

 

 楓に至ってはそもそも能力が効いた形跡がない。いや、間違いなく能力は発動し嫉妬心は生まれているが、そんな自分の心は些事であると一蹴するものでしかなかった。

 

「俺は霊夢への嫉妬だな。俺にない霊力が扱えたり、俺が必死に稽古を積んでどうにか互角でいられるその才覚が妬ましい。――で、それは阿求様の願いより重いのか?」

 

 当然、否。パルスィにとって不運なことに、この少年にとって自分の心というのは大した優先順位にないのだ。そのため嫉妬がどれほど高まろうと、二の次三の次にできる程度のものでしかなかった。

 そして楓たちに続いて、天子も顔を上げて緋想の剣を構える。

 

「遅くなったわね。……私は楓への嫉妬。私にない全部があって、私が求めたもの全部を持ってて、私よりも強い男」

「ああ……ああ、そうよ!! 妬ましいでしょう? 疎ましいでしょう? 殺意を覚えるでしょう? ならばそれを――」

「もう受け止めてもらったの。私の抱える妬みも怒りも全部をそいつにぶつけて、そいつは正面から打ち破った。一度負けたものでもう一回同じことをやれと? ――阿呆が。同じ轍を踏んで負けるなど天人の行いではないわ」

 

 この場にいる三人はどれも自分の嫉妬を見つめる術を知っていた。

 嫉妬を認め、それに囚われまいと受け流す者。嫉妬を認め、そんなものは些細であると心底から考える者。嫉妬を認め、そこはすでに通過したと奮起する者。

 

 嫉妬すら抱いたことのない相手なら良い。妬み、嫉みと言った感情は誰しも持ち合わせるものである以上、ちょっとそれを抱かせてやれば勝手に自滅してくれる。無垢なものほど染めやすいとは誰が言ったか。

 しかし、それらの感情を受け入れた上で、自分なりの答えを返す者たちにパルスィは為す術を持たない。嫉妬を操り、嫉妬に駆られる妖怪であるのだから、嫉妬を克服した者に勝てる道理などないのだ。

 

「……なーんだ。つまんないわね。久しぶりに嫉妬で殺し合う光景が見られるかもって思ったのに」

「そ。言い残すことはそれで全部みたいね」

 

 霊夢は構えた退魔針に霊力を込める。人の嫉妬心を煽るなどという邪魔をしてくれたのだ。退治することへの迷いなど欠片もない。

 楓と天子の瞳も険しい。逃げられそうにないとパルスィは肩をすくめ、両手を上げる。

 

「やれやれ、参ったわ。私はそもそも直接戦う妖怪じゃないのよ。そっちと殴り合いなんてやったら十秒でノックアウトよ」

「でしょうね。だとしても――」

 

 人にちょっかいをかけたのだから、応報もあるべきだろう。霊夢が退魔針を投げようとした瞬間、後ろから鋭い声が届く。

 

「――霊夢っ!!」

「あ――ああああああぁぁぁっ!!」

 

 それが避けられたのは楓の声が間一髪届いたからに過ぎない。霊夢一人だったら被弾は免れないだろう。

 なにせ――幻想郷において霊夢に次ぐ弾幕ごっこの力量を持つ少女の十八番でもあるスペルカードだ。単純に範囲が大きい。

 

 三人をまとめてぶち抜く軌道で放たれたマスタースパークを横に跳んで回避し、三人は後ろを見る。

 そこにはミニ八卦炉を構え、苦痛を堪えるように顔を歪めて脂汗を流し、瞳を嫉妬渦巻く緑色に輝かせた霧雨魔理沙の姿があった。

 

 なぜ彼女がここに、という思考を挟む前にパルスィの楽しげな笑い声が届く。

 

「あははははっ。やはり嫉妬は素晴らしいわ。その子の嫉妬は煽ってあげたから、頑張って殺し合いなさいな、人間さん?」

「……楓、先行きなさい」

 

 パルスィの言葉には答えず、霊夢は陰陽玉と退魔針を構えながら楓たちに進むよう促す。

 

「これはスペルカードルールで行われる戦いよ。天子はともかくとして、あんたはいても役に立たないし、役に立つとしたら魔理沙を殺す時だけ」

「…………」

「それに――」

 

 興奮しきり、血走った目でこちらを睨む魔理沙の視線は霊夢に集中している。隣りにいる楓や天子のことはほとんど眼中にない。

 

「相手は私をご指名のようですし? 売られた喧嘩から逃げるのは博麗の巫女の名が廃るわ」

「……わかった、先に行く」

 

 霊夢の決意は覆らないだろう。それを察し、楓は天子とともに魔理沙から離れていく。

 

「あら、逃げるの? あなたなら簡単に殺せると思うけど」

「――黙れ、妖怪」

 

 パルスィはそれをつまらなさそうに見送ろうとして――楓の拳が手首まで顔面に突き刺さり、吹っ飛ばされる。

 何度も地面を跳ね、橋から落下し弱々しい水柱を立てて川へと沈んでいく。妖怪なので死ぬことはない。

 

「人の心を土足でいじっただけに留まらず、人の幼馴染の嫉妬を操ってタダで済むわけないだろうが。……くそっ、能力の解除はないか」

 

 パルスィがいなくなっても操られた嫉妬は消えない。楓は苦々しい顔で霊夢と魔理沙を見やり、それでも自分にできることはないと踵を返し、天子もそれに続く。

 

「さて……これで二人きりね」

 

 残された霊夢は律儀に待ってくれた魔理沙へ視線を和らげる。彼女の嫉妬は自分にしか向いておらず、他を巻き込むことは本意ではないのだろう。

 

「言葉でどうこう、って状態でもないでしょうし始めましょうか」

「ふーっ、ふーっ、ふぅぅぅ……!」

「――来なさい! あんたの嫉妬、この博麗霊夢さまがきっちりしっかり受け止めてやろうじゃないの!!」

「あ、ああああぁぁぁぁっ! 霊夢ぅぅぅぅ!!」

 

 再び放たれるマスタースパーク。それを避けて、霊夢と魔理沙の真剣勝負は幕を開けるのであった。




ということで次回は嫉妬魔理沙VS霊夢になります。
魔理沙が焦るエピソード自体はいつ入れても良かったのですが、パルスィの能力があったのでここにしました(笑顔)

そしてキスメが登場。お前どうしてそんなおかしな方向に……?(天子の舎弟じみた存在になる)。本当ならちょい役で今後も楓を蛇蝎のごとく嫌うのでヤマメ共々そんなに絡まないキャラになる予定だったのに……。

地霊殿が終わった後、天子が地底に一人で行って舎弟を増やす話があるかもしれません。ないかもしれません。お前はどの方向を目指しているんだ……。

パルスィは設定上、クソヤバい能力の持ち主なので活かしてもらいます。地霊殿の本編ではどいつもこいつも一人(+子機)で動いていたので効果が発揮できなかっただけで。
なお能力の効かない相手が大半の模様(縛られたくないので浮く、そもそも自分の心とかどうでも良い、ちゃんと正面から乗り越える等々)

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