阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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少年少女の鬼退治

 楓と勇儀の相性は率直に言って最悪の一言である。

 父ですら霊力を使わねば打倒が困難なのだ。霊力を扱えない楓は持ち前の剣術のみで、岩や鋼鉄などより遥かに頑丈な鬼の肉体を斬り裂かねばならない。

 種族単位で鬼との相性が悪い天狗の血が混ざっているのも逆風になる。どちらかと言えば速度を重視した楓の剣は鬼との相性が殊更に悪い。

 

「うーむ、考えてみればみるほど鬼と俺の相性が悪すぎる」

「泣き言は後で聞くとして、勝ち目はどんなものよ?」

「勇儀ほどの相手となると、正面戦闘をしても時間稼ぎが関の山だな。時間稼ぎだけに徹すれば一日だろうと持たせられるが……」

 

 決め手がない。勇儀の攻撃を回避し、受け流すだけなら今の楓でも問題なく行える。攻撃も萃香の時以上に斬撃を重ねれば手足の切断ぐらいはできるだろう。

 しかし、そこが楓の限界である。萃香の時と同じく、彼女に痛手は与えられても痛手以上にはなり得ないのだ。

 などと小声で天子と話していると、勇儀は楽しそうに笑いながら手元の星熊盃へと酒を注いでいく。

 

「はっはっは! お前さんの出自は知っているし、私とていきなり殺し合おうって言うつもりはないさ。かといって弾幕ごっこは……お前さん、向いてなさそうだしねえ」

「ほっといてくれ」

 

 勇儀に苦笑いとともに評されてしまい、楓は憮然とした顔になるしかなかった。隣の天子は口元を抑えて笑いをこらえていた。

 やがて酒がなみなみと注がれた盃を左手に持った状態のまま、勇儀は腰を落として戦闘の構えを取る。

 

「こいつはお前さんの親父さんに負けてから始めたことでね。盃の酒を一滴でも私がこぼしたら負けで良い」

「……どういう意味だ?」

「私は技ってやつに負けた。力のない人間が、力のある妖怪を打ち倒すために磨き上げた歴史と才覚の賜物だ」

 

 まあ彼を力のない人間に入れていいのかは疑問だがね、と勇儀は困ったように笑う。それには楓も同感だったのでうなずくしかない。

 

「技に負けたんだから、私らも技を勉強しようって気になっているのさ。萃香とはもう戦ったんだろう? あいつも色々と考えていたようだからね」

「……ああ。こちらの攻撃の瞬間だけ、攻撃の通る部分を疎にしてくる厄介な技だった」

 

 あれのおかげでいよいよ霊力がないと鬼に勝てないと実感してしまったのだ。ただでさえ強い肉体の持ち主なのに、技まで学び始めたらこちらの立つ瀬がない。

 勇儀はそれを聞いて楽しそうにケラケラ笑い、私のもそれだと説明を始める。

 

「私にゃ萃香みたいな小器用さはない。どこまでいってもこの五体が武器で、防具だ。これもその延長線上さ」

「…………」

「ああ、先に言っておくと、この方式で喧嘩したのも一度や二度じゃぁ足りんから安心しておくれ。地底は喧嘩っ早い連中も多いからねえ」

「……確認するぞ。盃から一滴でも酒をこぼしたらお前の負け。――俺に技で挑むと、そう言っているんだな?」

「おうさ! お前さんの時間を軽んじるつもりは毛頭ない。これが遊びであることを否定はしないが、私はお前たち人間には常に全力だ!!」

 

 ならば是非もない。楓は二刀を構え、隣の天子に目配せを行う。

 

「――天子」

「はいはい、下がっておくわ。負けたら承知しないけど」

「言われずとも」

 

 技の比べ合いで済むのであれば、楓一人で戦った方が良い。その方が天子の消耗も抑えられる上、楓も己の技量を更に磨くことができる。

 

「始めよう、星熊勇儀」

「おうとも。火継楓」

 

 初手は楓から。右の長刀が閃き、美しい弧を描く銀月が勇儀の首を狙う。

 勇儀はそれを半歩後ろに下がることで、首の皮一枚をかすめる距離で避ける。

 盃の酒はほとんど揺れていない。つまり見事に己の五体を操り、盃への衝撃を巧みに逃がしているのだ。

 

「っとと、いきなり首を狙うか。最初にこれを見た鬼どもは大体盃を狙うんだがね!」

「避けにくい箇所を斬りつけて身体を動かした方が手っ取り早い」

 

 狙いを定めては勇儀の思うツボである。なにせそこしか狙わないのだから攻撃も至極読みやすい。

 なので楓は盃の酒は気にする程度に留め、積極的に勇儀の首や急所を狙った斬撃を放っていた。自分の技量では相手がどれだけ斬っても殺せないとわかっているのだ。開き直って普段どおり戦った方が気楽というもの。

 

 長刀と刀。変則的な二刀を振るう楓の剣を勇儀は後ろに下がり、時に屈み、ある時は盃を上に飛ばして僅かな間だけ自由になった両手で防ぐなど、およそ鬼らしからぬ体捌きで避けていく。

 

「ああ……!」

 

 天子の目にそれはさながら演武の如く映った。

 楓の手が閃くたびに銀月が踊り、勇儀が手元の盃から一滴も酒をこぼすことなく、また刃の射程から逃れることもせず避け続ける。

 注がれた酒が微かに波紋を起こし、楓の操る銀と盃の朱を照らし出す光景に思わず見惚れてしまう。

 

 そして同時に思う。日の差さない地底にすら美しいものは溢れているというのに、今の自分はどうなのだ。

 天人として自分はあの二人以上に美しいものを作り出せるのか。

 知らず握り締められていた手に力がこもる。楓に負けた時も思ったことを、今再び強く願う。

 

 ――強くなりたい。

 

 衝動にも似た渇望が胸を焦がし、同時に目指すべき目標が見えたことに、天界で暮らしていた時にはついぞ味わうことのなかった高揚が天子の口を歪める。

 

「――ふぅっ!」

 

 天子が薄っすらと笑みすら浮かべながら自分たちを見ていることに、楓は千里眼で気づきながらも大して重要視はせず刃を振るっていた。

 短い呼気とともにタイミングを僅かにズラした薙ぎ払いを放つが、勇儀は見事に回避してみせる。今なお盃の酒は一雫たりともこぼれていない。

 楓は一旦立ち止まり、手応えを確かめるように刀を握り直す。

 

「……ふむ」

「おや?」

「大体読めた。お前のそれは父上に負けた時から続けている。大雑把に見積もっても俺が生まれるより以前からだ」

「もうそんなになるかい? 月日が経つのは早いもんだ。でもまあ、その推理は正解だ。あの人に負けてから今に至るまで、私は全部の喧嘩にこいつで勝ってきた」

 

 勇儀が認めたことに楓はなんてことのないようにうなずく。それ自体は別にどうでも良い。問題は次である。

 

「相手は地底の鬼や妖怪のみ、ということになるのか」

「そうだね。それがどうかしたかい?」

「いや、聞きたかっただけだ」

 

 首をかしげる勇儀を他所に、楓は改めて剣を構え直した。

 

「星熊勇儀に一つ問いたい。この勝負、どちらが勝つと思っている?」

「――お前さんが勝つよ。間違いない」

「それがわかっているなら良い。――終わらせよう」

 

 楓が次に踏み込んだ動きを、勇儀は目で追うことができなかった。

 そして振るわれる刃の鋭さも先程の比ではない。手元が光ったと思った瞬間には、すでに右足に幾重もの斬撃が絡みついて切り飛ばされ、返す刃が喉元に迫っていた。

 

 今まで楓は勇儀がどの程度体術を使えるのか、どういった相手と経験を積んできたのか、図りながら刃を振るっていたのだ。要するに手加減していた。

 なにせ彼にとって鬼とは、遊びであるという建前など平気で放り捨てて本気でかかってくる萃香が基準なのだ。この遊びの後、それはそれとして真剣勝負があっても驚かない。

 

 その観点で言えば――勇儀の体術は鬼が振るうものとしてみれば厄介極まりないが、技術という面で見れば未だ拙いの一言だった。

 相手が地底の鬼や妖怪といった、技術など解さない連中ばかりだからだろう。ちゃんとした技術を学ぶ場合、独学と練習相手が破落戸ではどうしても頭打ちになる。

 

 勇儀の費やした時間を無駄と断じるつもりはない。彼女は独学で相手も良いとは言えない環境で、盃の酒をこぼさず戦う技量を身に着けている。むしろ才能があると言っても良い。

 しかし――物心ついた時から偉大な父の背中を追い続ける少年の技量には到底届いていなかった。

 

「あ――」

 

 喉元に突きつけられた刀に目を向けると、からんと軽い音を立てて左手から盃が落ちる。

 刀に意識を向けた瞬間、楓の右に握る長刀が至極あっさりと盃を払い落としていたのだ。

 地面に酒が染みを作り、広がっていく。それを見て勇儀は愉快痛快と顔を手で覆って笑い出した。

 

「は――あーっはっはっはっは!! 見事見事、いや御見事!! 地底の中ではちょっと知られてきたと自惚れていたが、やはり人間の技には敵わないか!!」

「練習相手が悪かったな。父上も存命の頃からなら、父上に頼めばいくらでも見てもらえただろうに」

「そりゃ無理筋ってもんだ。負けた私が勝ったあの人の時間を奪うなんて真似、鬼の端くれとして許せるもんじゃない。私のこれ自体、半ば意地で始めたようなものだからね」

 

 地面に落ちた盃を拾い直し、勇儀は改めて楓を見やる。

 

「まずは負けを認めるよ。私の試金石でもあったんだが、やはり技という点では付け焼き刃だったようだね」

「本気で学ぶつもりなら、地上に出た方が良い。系統立った技術もなく独学では悪癖も身についてしまう」

「この異変が終わったら考えさせてもらうよ。――さて」

 

 空気が変わる。今までの殺伐としていながらもどこか和やかだった勇儀の気配が払拭され、あるのは獲物を品定めする妖怪――鬼の気配だ。

 直接向けられていない天子も思わず身構えるそれを受けて、楓は思い切り顔をしかめる。

 

「勝負には勝ったはずだが」

「うん、それは認めよう。――でも、それで終わったとは思ってなかったんだろう?」

「…………」

「沈黙は肯定と受け取るよ。なに、私はもう一度見たい……いいや、立ち会いたいだけなんだ」

「何に」

「英雄の誕生。かつて私を打倒したお前さんの父親のように。鬼という試練を乗り越え、お前さんがどこまで高みに行くか見てみたい!!」

 

 そしてその過程で自分も楽しもうという腹づもりである。

 全くもって迷惑千万極まりない。嫌味の一つでも言わなければ気が済まないと楓が口を開こうとすると、その前に勇儀が言葉を続けた。

 

「それにお前さん、今の戦いに満足したとはお世辞にも言えないだろう?」

「…………」

「さっきのあれで終わらせるつもりだったのは本心だよ。だが、仮にも私がずっと――」

 

 勇儀は一度言葉を切り、何かに想いを馳せるようにまぶたを閉じる。

 その姿に楓は何も感じ取ることはなかったが、後ろにいた天子は勇儀が単なる勝者への敬意以上の慕情とも言うべき何かを持っていることに目ざとく気づいた。

 だがそれを楓に言い出せないまま、勇儀の話は続く。

 

「ずっと――尊敬する人間の子だ。それを満足にもてなせないとあっては鬼の名折れ」

「……そうか。そうしなければ気が済まないんだな」

「ワガママな鬼だと思ってくれて良いよ」

「ここまで誠実な鬼を俺は知らん」

 

 ただし、その誠意は楓ではなく楓の父に向いているらしいが。

 楓は肩をすくめ、霊夢に遅くなってしまうことを心の中で謝罪しつつ構え直した。

 

「――天子、ここからは手伝ってくれ。俺一人で勝てる戦いじゃない」

「その言葉を待っていたわ。で、私が入れば勝てるわけ?」

「絵面は描けている。後はどう持っていくかだ」

 

 待ち切れなかったとばかりに緋想の剣を構えた天子が楓の横に並び、少年と少女が鬼と相対する。

 

「おや、二人か。いやいや、構わんよ。考えてみればお前さんは天狗と人の子だ。私を苦手とするのも無理はない」

「そうだな。率直に言えば、俺とあなたの相性は極めて悪い」

 

 本当ならその相性の悪さまで含めて一人でどうにかできるのが理想だが、そんな時が来るかは楓にもわからない。

 先程の戦いで勇儀の戦い方は概ね把握した。今の自分なら痛手を与えることもできる。後は天子の力を借りれば――勝つことも不可能ではない。

 楓は横に立った天子に自分の思い描く勝利の道程を話す。

 内容を聞いた天子は思いっきり顔をひきつらせ、楓の正気を疑うような目線を向けてきた。

 

「――この作戦で行こうと思う。できるか?」

「……それ、できないって言ったらどうなるか聞いても?」

「なんとかする」

「人に無茶振りしておいてその後はノープランってどうなのよ!?」

 

 作戦の要は天子だ。楓の要求することができない場合、改めて楓は身一つで勇儀と戦うしかなくなる。

 およそ絶望的な状況になるのは確かだが――だからこそ成長の糧にもなる。楓としてはそちらでも別に構わなかった。

 

「で、どうなんだ」

「……ああもう! やってやろうじゃないの! 成功したら崇め奉りなさい!!」

「一考はしてやる」

「さて、話はまとまったようだね。おっと、責めちゃぁいないよ。鬼に挑むんだ。無策で来られる方が興ざめってもんさ」

 

 天子が腹をくくったところで、勇儀が待ち切れないと己の拳を掌に打ち付ける。

 目には爛々と戦意が燃え盛っており、ここで逃げようものなら延々と追いかけ回される光景が目に浮かぶほどだ。

 

「じゃあ待ちに待った真剣勝負だ! 人の子らよ!! 鬼の暴威を前に容易く砕けてくれるなよ!!」

 

 勇儀が地面を踏みしめると同時、大地が大きく揺れる。そして鬼の身体能力に物を言わせた踏み込みが楓へ迫り来る。

 迎え撃つは楓の双刃。鬼の突進を正面から受け止めんと、先程見せた児戯のそれとは違う本気の剣閃が幾重にも勇儀を阻む。

 

「邪魔ぁ!!」

「っ、化け物が……!」

 

 楓が作り出した刃の壁を、勇儀は豪腕の一振りで薙ぎ払う。

 無論、ただではない。振り抜いた腕には楓の剣が絡みつき、骨と鉄の擦れる不快な音を発しながら勇儀の肉体と分離させる。

 

読んでたよ(・・・・・)、それは!!」

「っ!」

 

 右腕が切断されたことなど気にも留めず、左の裏拳と共に血の噴き出す右腕を楓に向け、血糊で視界を塞ごうとする。

 楓は咄嗟に風を操り、目に血が入ることを避ける。彼の千里眼はあくまで目を開いている時のみ。目を塞がれてしまうと全ての視界が閉ざされてしまう。

 

 だがそれすらも勇儀は読んだのだろう。裏拳の勢いで身体を回転し、切り飛ばされた右腕を左手で掴んで即席のこん棒として更に楓を攻め立てる。

 

「そぉらっ!!」

 

 後ろに下がらねば避けられない。そう判断した楓は風を操り後ろに飛び、着地と同時に自身の片割れへと叫ぶ。

 

「椿っ!!」

『前に、だね。任せて!!』

 

 体勢を整える時間を与えてはいけない。着地の足と椿の足を合わせ、互いに蹴り出すことで加速した踏み込みで再び勇儀の懐へ潜る。

 一瞬だけ見せた段違いの速度に勇儀は軽く目を見開くが、牙をむき出しにした笑みを浮かべる。

 そして左手に持った右腕を切断面にくっつけるだけで再生を果たした両腕を広げ、楓を迎撃せんと仁王立ちした。

 

「来い! 私は逃げも隠れもしないよ!!」

「下がることすら許されないか……っ!」

 

 再び勇儀と一足一刀の間合いに飛び込んだ楓は忌々しげに吐き捨てる。

 鬼の再生力を甘く見ていた。確かに切った端から治る夜の吸血鬼ほどの速度ではないが、切った腕をくっつけるだけで再生するだけでも厄介に過ぎる。

 触れたもの全てを薙ぎ払う豪腕。岩をも斬り裂く楓の剣をして、無数に重ねなければ断ち切れない金剛石にも勝る頑健な肉体。そして致命の一撃をかいくぐり、手足を断ち切ったとしても瞬く間に治る再生速度。

 

 鬼の持つ身体的特徴の全てが恐ろしく高い領域でまとまっている。それが星熊勇儀という鬼の恐ろしさであり、強みだった。

 複雑な能力も小賢しい術も不要。ただ己が暴力のみで伊吹萃香、八雲紫らと同等の領域にいる妖怪は伊達ではない。

 

 先に繰り広げた演武の如き動きなど見る影もない。そこにあるのは鬼の振るう暴威に抗い、一矢報いんと虎視眈々と機を伺う人間の姿。

 それはかつて見られた鬼退治の姿と変わらぬものであり――違う点があるとすれば、鬼は体術の概念を理解し、能動的に防御と回避を行い、小刻みな攻撃を加えていることだ。

 

「お前の親父さんと戦って理解したよ。――私の全力は人間相手には過剰だってなぁっ!!」

「それでも本気で来るのが鬼だろうが!」

「彼に負けるまではそれでも良かった。だがそれで正面から打ち倒された以上、私が成長しなけりゃあの人の価値が落ちっちまう!! 学ばない愚かな鬼に勝っただけの男になるなんて――神様仏様が許そうとこの私が許さない!!」

 

 叩きつけられる情念に楓は顔をしかめ、避けにくい胴体を正確に狙った拳を避け、反撃の刃を勇儀の胴体に奔らせる。

 しかし、重ねることのない斬撃では鬼の身体を切断どころか、骨まで到達することすら難しい。肉を浅く切るだけに留まり、その程度の傷は瞬きの間に消えてしまう。

 

(父上はつくづく面倒な妖怪に好かれたな……!)

 

 おかげで自分は今ものすごく苦労させられている、と彼岸へ旅立った父に毒を吐きながら楓は息つく暇もない超至近距離での乱打を見切り、対処し続けていた。

 と、そんな二人の上空に影ができる。誰の行いなのかわかっている楓はあれほどこだわり続けた勇儀との接近戦をあっさりと放棄して後ろに下がり、楓が下がったことで上を見てそれが何か理解した勇儀は受け止める姿勢を作る。

 上空――楓が稼いだ時間で作り上げた巨大な要石に立った天子が緋想の剣を勇儀に向けた。

 

「二人の世界入ってんじゃないわよ――天地開闢プレス!!」

「無視してた、って思ったんなら謝罪しよう! 私は私の敵から意識を離したことは一度もないよ!!」

 

 両の手を広げても到底足りぬ、山と見紛う巨岩を前に勇儀は腰を落とし、さながら力士が如く待ち構えた。

 そして激突し、身の程を知らぬ鬼は哀れにもその身を要石に押し潰される――などということはなく、むしろ落下の衝撃をその五体で受け止め切っていた。

 

「ぐ、ぐ、ぐぎぎぎぎぎ……!」

 

 さすがに常と同じように飄々と笑いながらでは難しかったのだろう。勇儀の顔は真っ赤に染まり、その両腕は丸太に等しい太さに膨れ上がっていた。

 これ以上要石を動かせない。しかも勇儀の握っている箇所から要石にヒビが入っている事実に、天子は悲鳴をあげるしかない。

 

「ちょっと人間離れ――じゃない、鬼離れし過ぎにも程があるわよ!?」

 

 そもそも要石は地鎮に用いられる石であるため、通常の石より遥かに重く、頑丈なのだ。

 それを武器として活用しているのは要石が壊されず、阻まれることもないと確信していたから。

 だというのに半妖の少年は物の壊れる点を見つけたとかで軽々と破壊し、鬼の首魁とも呼べる少女は天子の自信作でもある超特大要石を正面から受け止め、あまつさえ破壊しようとしているのだ。要石って実は大してすごくないのでは? とすら思いそうになってしまう。

 

「なん……って重い岩だ! ここまで重い岩なんて初めてだ!! 素性は知らんが大した術だよ、お嬢ちゃん。けど――私の方が強い!!」

 

 要石を受け止めた勇儀は天子への称賛を忘れず、敬意を込めながらも容赦なく要石をその腕力のみで砕き割ってしまう。

 天子は呆然としながら後ろに下がり、入れ違いで再び前に出る楓とすれ違う。

 

「――合図を送って、それに合わせる」

「助かった、天子!」

「うん?」

 

 天子と楓のやり取りに勇儀は微かな疑問を抱くものの、それが何なのか考える前に楓の猛攻が始まる。

 勇儀の体術に対応し、回避と攻撃を一体にしたものとは違う。勇儀の攻撃が来るのなら、それごと食い破らんとする攻撃一辺倒の動き。

 だがそれでこそだ。鬼を相手に守りなど考えるだけ無意味。どうせ一撃受ければ戦闘不能は免れず、下手に攻めあぐねればかろうじて与えた手傷を治す時間にしかならない。

 

 これには勇儀もたまらないと一瞬だけ守りを考えるが――即座に放棄して前に進むことを選ぶ。

 かつての戦いと同じだ。主導権を一度でも相手に渡したが最後、食い破られるまで手放さないとばかりの猛攻。

 もはや霊力が使えないなど些細なこと。星熊勇儀という大きな壁に挑み続ける楓の技量は正しく秒刻みでの成長を遂げている。

 

「はぁっ!!」

「まだまだぁ!!」

 

 勇儀の拳と楓の刀が無数に絡まり、血しぶきが舞う。

 白兵の間合いを維持しながらその範囲で時に飛び、時に屈み、時に背後に回り込み、残像すら残す体捌きで楓が勇儀を翻弄し、勇儀はそんな楓の一挙手一投足を観察し、受けても良い斬撃は受けるままにしながら執拗に首を狙うものだけ的確に防ぐ。

 首が切られれば勇儀も隙ができる。そしてその間に両手足が切り落とされ、首を奪われたら戦闘の続行は難しくなる。霊力がこもっていない以上、死ぬこともないが。

 それだけが楓の勝ち筋であり――勇儀もそれがわかっているため、首へ飛ぶ斬撃は必ず防ぐか避けるかしていた。

 

 対し勇儀の勝ち筋は多い。一撃楓に当てればそれで終わりである。

 拳であろうと、蹴りであろうと、何なら頭突きでも良い。大振りである必要もなく、小手調べの軽い一撃だろうと楓に当たればそれは致命傷となる。

 故に勇儀は的確に当てられる隙を狙う。速度で楓に敵わずとも足を止めず、動きを読み、置くように攻撃を放つ。

 およそ鬼らしからぬとは勇儀自身も思う。相手の動きを読み、一撃を当てるなどいかにも人間らしい――萃香に言わせれば賢しらな動きだ。

 だがこれで良い。鬼の戦いではないと嘲笑われようと構わない。その強さが鬼以上のものである限り、勇儀に打ち勝った人間はもっと強いのだという証左になり続ける。

 

 そうした二人の攻防と呼ぶにはあまりに猛々しい技の応酬は、勇儀の後退という形で一先ずの終着を迎えた。

 

「っと、ふぅっ! 見れば見るほど冴えていく技量、見事なり! 途中からお前さんの動きに親父さんの影を見出すぐらいそっくりな剣閃だ」

「褒め言葉として受け取ろう。そしてそちらも俺の動きで体術のイロハを学んでいるな。末恐ろしい」

「はっはっは! なにせ極上の教材が目の前にあるんだ! こっちにその気がなくても動き方のコツがわかっちまうってもんさ」

 

 呵々大笑と勇儀は豪快に笑い楓の健闘を称えた後――身体をねじり、拳を握る。

 腰を落とし、拳を固めた一撃必殺の構えであるそれを見て、楓もまた双刃を構え直す。

 

「全く楽しい時間だ。けど、楽しい時間には終わりがある、違うかい?」

「……そうだな、終わりは必要だ」

「これで終幕だ。――私はこれから三歩の踏み込みの後、一撃を放つ。私が絶対の信頼を置く、必殺の技ってやつだ。

 避けるなり、防ぐなり、あるいは迎え撃つなり、好きにすると良い。これが決まれば私の勝ち。決まらなければ私の負けだ」

 

 それだけを語ると勇儀は必殺の意思を込めて戦意を集中させにかかる。

 楓も応えるように一撃に傾注した構えを取り、集中を研ぎ澄ます。

 

「…………っ!」

 

 踏み込みは同時。その場から姿を消したと見紛う速度で互いに前に出て両者が交錯し――

 

 

 

「――天子っ!!」

「待ってたわ、その合図を!!」

 

 

 

 大地が割れ、踏み込むべき地面が消失する。

 

「な、ぁ――っ!?」

 

 踏み込まんとしていた地が消え去り、完全に体勢を崩した勇儀が楓の前に無防備な姿を晒す。同時に先ほど天子と楓のやり取りで脳裏によぎった疑問が完全に氷解する。

 

(あの小娘――巨大な岩はハッタリか!!)

 

 本命は地面に要石を埋め込むこと。地鎮を担う比那名居の一族である彼女は、要石を埋め込んだ場所を己の領土として操ることができる。

 無論、ただ埋め込むだけでは不可能だ。実際に領土とするには埋め込む場所を選び、ある程度の工程が必要になる。

 それを承知の上で楓は天子に無茶振りをしたのだ。

 

 

 

 ――すなわち、どうにかして地底に要石を埋め込み、楓の指示するタイミングで地割れを起こして欲しいというものを。

 

 

 

 天子はそれを見事成し遂げた。巨大な要石をフェイクに用いて本命を地面に仕込み、先ほどまで地底の大地の掌握に勤しんでいたのだ。

 そして楓は勇儀と戦い続け、必殺の攻撃でないと埒が明かないと思わせる。無論、押し切れるならそれが一番だが、十中八九互いの必殺を撃つ形になるだろうと踏んでいた。

 楓は一撃受ければ終わりの相手と戦い続け、天子はこれまで行ったこともないことをぶっつけ本番で成功させることを要求され、どちらも見事に応えてみせた。

 

 かくして策は成る。楓は椿と足を合わせることで空中だろうと地上と変わらない斬撃を放つことができる上、何より――

 

そこ(空中)は天狗の間合いだ――!!」

 

 振るわれた刃は勇儀の腕を刈り、足を斬り落とし、首を飛ばし――少年少女は鬼退治を成し遂げるのであった。




ということで勇儀との勝負でした。
盃状態なら楓が圧勝するけど、両腕ありなら天子がいなきゃ詰みます。

触れるを幸い全部薙ぎ払う腕力と、楓どころか前作主人公ですら斬撃を重ねなければ斬ることすらままならない肉体と、たとえ傷を与えても後ろに下がって息を整えようものならその間に治ってしまう治癒力。
ここに列挙している内容だけでもうクソゲー待ったなしなのに、今回は一丁前に体術を使って防御、回避の概念まで理解しているという。なおこれら人間の技術を使用する背景には楓の父親の勝利が根底にある模様。

ぶっちゃけますと萃香と勇儀は前作より強化されてます。どちらも創意工夫や人間の技術を学ぶということをやり始めていたり。

そして勇儀姐さん。表に出てないだけでクソ重グラビティなお人です。但しその感情は今のところ楓を通して彼の父に向けられている模様。

……でも私、こういう死んだ人相手でも律儀に、交わしたわけでもない約束を守り続けようとする人が大好物なんです(自白)



余談ですが天子は楓に明確な助力を求められたのでかなり嬉しかったりします。なお次回。

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