阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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魔眼持つ阿礼狂い

「はっはっはっはっは!! 戦っている時にも言ったが何度でも言おう! 見事も見事、御見事なり!! たった二人で知略を尽くし、武芸を振るい、この私を打倒するか!!」

 

 楓が五体を切り刻み、勇儀の首を取った後。

 勇儀は全く消耗した様子もなくみるみるうちに四肢を再生させ、地面に放っていた星熊盃を拾い直して実に気持ち良さそうに笑いながら酒を呑んでいた。

 人生の絶頂が再び来たと言わんばかりの勇儀の様子に、楓と天子はがっくりと疲れ果てた様子で肩を落とす。

 

「楓、今の感想」

「二度とやりたくない」

「同感」

「なんだいなんだい。若いものがだらしない。私に勝ったんだからもっとしゃんとしな!」

「お前に勝ったから疲れたんだよ! 何度死ぬかと思ったか!」

 

 かすめるだけでも身体が持っていかれそうになるのだ。背筋にどれほど冷たい汗が流れたか、感じたくもない。

 楓のツッコミも気にせず勇儀は機嫌良く笑うばかり。

 

「なに、怒れる気力も大事だ。なにせ私との勝負に負けたら笑うことも怒ることもできなかったんだからね!」

 

 つまり負けたら死んでいたのだ。改めて目の前の存在が妖怪であることを思い知り、楓は苦虫を噛み潰した顔になるしかなかった。

 

「……まあ良い。勝ったのは俺たちだ」

「そうだね。こっちから吹っかけた喧嘩でもあるし、負けた以上は何でも言うことを聞くよ」

「どこまでだ?」

 

 どの程度までは聞いてもらえるのか、という意味で訪ねたのだが勇儀はきょとんとした顔で答える。

 

「そりゃ何でもだよ。首が欲しいんなら言ってくれりゃ差し出すよ?」

「は?」

「何驚いてんのさ。小細工なしの正面からの真剣勝負で負けたんだよ? 古今東西、鬼退治を成し遂げた勇者は金銀財宝――願いを叶えてめでたしめでたしが相場ってものさ」

「……天子、任せた。俺はその手の金銀財宝や何やらの願いに興味はない」

 

 楓は少しの間考える素振りを見せたものの、どうにも良いのが浮かばなかったらしく天子に丸投げする。そもそも彼の願いは御阿礼の子に仕え続けることのため、現在進行系で願いが叶っていると言えた。

 急に振られた天子は狼狽しながらも急いで思考をまとめて一つの案を思いつく。

 

「だったら、これから私が強くなるための礎になってもらうわ」

「ほう、具体的にはどんな形で?」

「此度の冒険で奇妙な縁が生まれてね。私は私を崇めるものには優しくする主義だから、これから地底に来ることも増えるでしょう」

「ほうほう。その時に練習相手にでもなれってことかい?」

「楓ほどじゃないけど、私だって剣術には自信があるわ。どう?」

 

 これからちょくちょく地底に行くので、自分が強くなる手助けをして欲しい。天子の話を要約するとこうなる。

 話をまとめた楓は不思議そうに首を傾げて口を開く。

 

「別に強くなりたいなら俺の稽古に付き合っても――」

「それとは別の相手が欲しいのよ! 私も強くなりたいの!」

「くっ、ははははは! 鬼を稽古相手に選ぶ胆力や良し! 良いよ、その願いに応えようじゃないか! お嬢さん、名前は?」

「比那名居天子。天界では天人くずれなんて呼ばれ、地上で天人と認められ、そして地底で天人として奉られる女よ」

 

 言葉にすると凄まじい来歴である、と楓は口に出さず思う。天子に不満はなさそうなので何も言わないが、天界に戻りたい素振りを見せたら多少は力を割くつもりだった。

 そして天子の出自を聞いた勇儀はいよいよたまらないとばかりに腹を抱えて笑い出した。

 

「天人! そうか、お前さんが天人か! 萃香の話じゃどうにもつまらなさそうな奴だとばかり聞いていたがなかなかどうして! お前さんみたいな気骨のある嬢ちゃんもいるじゃないか!」

「途中までは似たようなものだったわ。変われたのは――」

 

 一度言葉を切り、天子は楓の方を見る。

 ここで見られる理由に心当たりがなかった楓は内心で首を傾げた。確かに彼女のために色々と頑張った覚えはあるが、ここまで恩を感じるものなのかという点には疑問が残っていた。この辺り、少年はまだ人間の心というものへの理解がどこかズレている。

 楓がわかっていないことを察したのだろう。天子は見せつけるようにため息をつくと、勇儀の方へ向き直った。

 

「……まあ、目指す先ができるのは良いことよ。私はあんたを利用してもっと強くなる。あんたは私を利用して強くなれば良い。どちらにとっても損のない取引でしょう?」

「損のある取引でも断るつもりはなかったがね。良いだろう、いつでも来い! この星熊勇儀が天人さまの来訪を歓迎しようじゃないか!」

「天子で良いわ。尊称は本心から傅きたくなった時に取っておきなさい」

「ますます気に入った! 楓の腕前も味わえたし、気風の良い女とも知り合えた! 今日は実に良い日だ! 酒が美味い!」

 

 気取らず、飾らず、ただ真っ直ぐ進もうとする天子の姿は、横道など不要と嘯く鬼にとって心地よく映るのだろう。

 好かれることを悪いことだと思っていない天子はやや照れくさそうな顔になっていたが、横目で見ていた楓は同情する視線を向けていた。

 なぜって、妖怪に好かれることは大体ロクでもないことにしか通じないのだ。ロクでもない妖怪に好かれて苦労してきた自覚のある楓にとって、妖怪からの一定以上の好意は面倒以外の何ものでもなかった。

 

 とはいえ苦労するのは天子である。自分に厄介事が振ってこないなら何の問題もない。

 ……同じ場所で似たような仕事をしている関係上、何か問題があったら間違いなく自分にも累が及ぶ、という現実からは意図して視線をそらす。

 

 また色々な方向で面倒事が増えそうだという現実は一旦横に置き、楓は改めて口を開く。

 

「どうあれ話がまとまったなら行くぞ。霊夢達が先に行ってても驚かないぐらい時間を食ってしまった」

「ああ、異変がどうこう言ってたっけ。目的地はあそこかい?」

 

 楓の話を聞いて勇儀も思い出したのか、最初に目指そうとしていた大きな館を指差す。

 

「今のところはそう考えている」

「間違っちゃないと思うよ。あそこは地霊殿。旧地獄の中でも灼熱地獄の跡地に作られた屋敷だ」

「ふむ」

 

 地底の情報は皆無に等しいため、勇儀のもたらす情報は興味深いものだった。

 地上にある情報では旧地獄を利用した地底世界が存在することと、そこへ移り住んだ特別危険な妖怪が何人かいるといった程度である。

 

「覚り妖怪が手下の動物妖怪たちと一緒に暮らしているぐらいしか知らんけど、場所が場所だけあって、灼熱地獄跡の管理も任されているはずだ」

「なるほど、地上に影響を及ぼすほどの異変となるとそこ以外になさそうだ」

「適当な目的地だったけど、期せずして大当たりってわけ。だったら急ぎましょう、どうせ博麗の巫女は何も知らなくてもあそこに行くでしょ」

 

 天子の言葉を受けて楓たちは飛び上がり、見送る勇儀に天子だけ手を振り返して先を急ぐ。

 

「覚り妖怪ときた。楓は知ってる?」

「有名な妖怪だ。心を読み、言い当てる妖怪。厄介な相手だとは思うが、霊夢もいる。どうにかなるだろう」

 

 楓たちの目的は地霊が湧き出す状況の改善である。それがつつがなく進むのであれば余計な戦闘をする理由はない。

 話し合いに応じてくれる相手なら良いが、と内心で願いながら扉の開け放たれている地霊殿へ入っていく。

 

 踏み込んだ屋敷の中は地底であることを差し引いてもムッとした熱気を覚えるもので、それが足元――灼熱地獄跡から噴き上がっているものだと察するのに時間は必要なかった。

 同時に地下からの光も利用しているのだろう。楓たちが立っている場所は技巧の粋を凝らしたような色彩豊かなガラス張りだった。

 

「誰が作ったのかはわからんが、なかなか見栄えにこだわっているようだな」

「地の獄に咲く硝子の花。そう言えば聞こえも悪くないわ。天人の目を楽しませるに値するもの」

「……一部持って帰れないだろうか。阿求様にお見せしたい」

「硝子なんだから割れたら価値なんてないわよ……」

 

 こいつの頭の中は御阿礼の子以外にないのだろうか、とげんなりしながら馬鹿なことを考え始めた楓を天子が止める。

 などと屋敷の入口で足を止めていたのが悪かったのだろう。動物から化性したと思われる妖怪がどこからともなく現れ、その牙や爪をむき出しにして襲いかかってきた。

 どれも大した相手でないことは楓の千里眼で一瞥するだけでわかる。

 刀を抜く様子も見せないので天子も楓と同じ結論に至ったのだろう。肩の力を抜いた様子で気楽に声をかけてくる。

 

「どうする?」

「殺すと後が面倒になりそうだ。足を止めず邪魔するやつだけ退治して進むぞ」

「了解!」

 

 天子は自身の周囲に小さな要石をいくつも召喚し、楓は拳を握って腰を落とす。

 そして端にいる妖怪には目もくれず、自分たちの正面に立つものだけを天子の弾幕と楓の拳で吹き飛ばし、彼らは館の中を進み始めるのであった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、休憩を終えた霊夢と魔理沙は改めて地霊殿を目指していた。

 

「楓たちが異変を終わらせてくれるのが一番ありがたいんだけど」

「ちょっかいかけた側で言うのもあれだが、楓に限ってそれはないだろ? だって楓だぜ?」

「まあ、うん、そうなのよねえ……」

 

 付き合いの長い魔理沙だからこそ言える身も蓋もない評価に、霊夢も同意せざるを得なかった。

 本人の気質は余計な争いを好まず、そのためならある程度の譲歩も見せる温厚な気質であることは確かだ。

 だがそれはそれとしてある程度の譲歩を超えたちょっかいをかけてくる輩に容赦もしないため、何かと騒動に巻き込まれやすい少年でもあった。

 特に異変解決に表立って参加するようになってからはその傾向に拍車がかかっている。もしかすると霊夢以上に妖怪に絡まれているかもしれない。

 

「上手く行けば儲けもの程度の気持ちだったし、追い抜いたら追い抜いたでしばらくネタにできそうだから良いんだけど」

「ネタって」

「あんたもしばらくはネタだからね。私に逆らえると思わないように」

『寝てるので聞こえないぜ』

『寝てるので聞こえないぜ』

「霊夢、その陰陽玉の声って切れないか? 切れないなら私の手元に良いものがあるんだが」

 

 ミニ八卦炉に魔力を集中させた魔理沙が青筋を浮かべているが、霊夢は肩をすくめるだけだった。

 

「術をかけたのが紫だから、私からは難しいわね。あと陰陽玉はマスタースパークでも壊れないわよ」

「くそっ、こいつらが聞いてたってわかってたらあんなこと言わなかったのに……!」

 

 人の噂も七十五日というが、どいつもこいつもロクでもない妖怪ばかり。下手をすると一生言われかねないネタを与えてしまったことに、魔理沙は歯噛みするしかなかった。

 

「ちょっと恥だと思うくらいが忘れないのよ。私を殺しかけたのは忘れてもらっちゃ困るからね」

「恥を通り越して黒歴史になりそうだぜ……」

 

 魔理沙の周囲を飛んでいる上海人形が無言を貫いているのが余計に辛い。おそらく気遣いの一種なのだろうが、今はいっそ罵ってほしかった。

 よし気にしないことにしよう、と問題を先送りにすることを選んだ魔理沙は次いで霊夢の向かっている方向について聞いてみる。

 

「で、私みたいな普通の魔法使いも見捨てないお優しい博麗の巫女さまはどちらに向かっているんで?」

「拗ねないの。とりあえずあの館ね。勘だけど」

「だったらそれが正解だ。さっさと行って終わらせようぜ」

 

 そして頭から布団を引っ被って寝たい。色々な感情をぶちまけたことも含めて、心の整理が必要な魔理沙だった。

 霊夢の先導に従い旧都の奥にある大きな屋敷に到着すると、すでに開け放たれていた扉の向こう側に累々と横たわる、動物の特徴を持ち合わせた妖怪の姿があった。

 先頭に立つ霊夢の横からその光景を覗き込んだ魔理沙は合点がいったとしきりにうなずく。

 

「なるほど、こりゃ楓だな。あいつの方が早かったらしい」

「だとしてもそんなに差があるわけじゃなさそうね。行くわよ、魔理沙。ここまで来たら屋敷の主の顔ぐらい拝んでいきましょ」

「道もわかりやすくて助かるぜ。どれもこれも綺麗に気絶させられてるからな」

 

 霊夢と魔理沙は色とりどりの光を足元から放つガラスに目を細めながら先に進む。

 

『ステンドグラスというやつね。地底にこのようなものがあるとは』

「ふぅん、珍しいの?」

『幻想郷では珍しいでしょう。気にするほどのものではありませんわ』

「……珍しいなら持って帰ればお金になるとか」

『破片だけ持ち帰ってその価値がわかる輩がどれほどいるか、賭けてみます?』

 

 そもそも珍しいだけのものに金銭を支払う輩はそう多くない。レミリアなどは好事家の一面もあるため可能性はあるが、可能性程度のために地底から床張りのステンドグラスを剥がして持っていく手間暇は割に合わない。

 

「つまんないわね。せっかくこれで信仰を一儲けできそうだと思ったのに」

『信仰が欲しければ地道に布教することね』

「楓みたいなこと言って。老けるわよ?」

「紫じゃなくて楓にものすごい失礼だなそれ……」

『私にも失礼ですわ!!』

『んで、先行かなくていいの? 妖怪の気絶は起きるの早いよ?』

 

 憤懣やるかたないとばかりの紫の声と、先を促す萃香の声を背中に受けながら、霊夢と魔理沙は進んでいく。

 道標のように点々と妖怪が倒れているのを追っていく中、ふと魔理沙は気になったことを萃香へ聞いてみることにした。

 

「妖怪の気絶と人間の気絶って違うのか?」

『回復速度が段違いって意味だよ。人間は頭を強く殴られれば簡単に気絶するだろ?』

「鬼の力でやられたら頭が弾けるだろうけど、まあそうだな」

『妖怪もそうだが、起き上がるまでが全く違う。人間が昏睡するものでも、妖怪にしてみればせいぜい数分で治るものだ』

「はー……やっぱ人間と妖怪はぜんぜん違うんだな」

『そりゃそうだよ。楓もその点で言えば妖怪側だ。あれだって四肢がどこかもげたって治るんだからね』

「最近のあいつはほとんど怪我しないけどね」

 

 魔理沙と萃香の話に霊夢がうんざりした様子で口を挟む。

 ここのところ特に腕を上げているのが、毎日稽古している霊夢には如実にわかるのだ。

 異変に関わり始めた当初は多少の手傷も負っていたみたいだが、直近の異変はほぼ無傷で戦闘に勝利していると聞く。

 

『ま、治るって言っても戦ってる最中に治るほど早いわけじゃないからね。それに忘れてるだろうけど――格上相手に傷なんて負ったら勝てる勝負も勝てないよ?』

 

 五体満足で勝ち目の怪しい勝負に挑み、四肢の一つもなくしたらそれこそ勝てる目も消えるというものである。

 楓に関しては技量が上がったこともそうだが、戦う相手が格上ばかりなのもあって傷を避ける戦い方に自然となっていったというのが正しい。

 

「ふーん。あいつも痛い思いしないで弾幕ごっこやればいいのにな」

『霊夢に向いてないって言われたのがよほどショックだったんじゃない?』

「お前のせいかよ!?」

「あーもううるさい! ほら、もうすぐゴールよ!!」

 

 自分に流れ弾が来たので霊夢は話をそらし、一つの大きな扉を指差す。

 霊夢の勘もそこが怪しいと言っており、気絶した妖怪はそこで途切れている。

 途中で楓たちとも会わなかったので、おそらくこの先にいるだろうと霊夢たちは予測して扉を開け放つ。

 その先には楓と天子がいつもの様子で佇んでいて、地霊殿の主であろう妖怪と戦って決着をつけたか、あるいは戦っている最中だったりするのだろう。

 戦いが終わっていればそれで良し。事情を聞いて自分たちは戻れば良い。終わっていなければ加勢してさっさと終わらせれば良い。この四人と一度に戦って勝てる相手など幻想郷におるまい。

 

 そう、異変解決はつつがなく終わると誰もが思っていた。多少の障害こそあれど、それを乗り越えていつもと同じように解決するのだと信じていた。

 霊夢も、魔理沙も、萃香も、アリスも、紫でさえもそう思っていた。

 そうして二人が扉を開いた先で――

 

 

 

 

 

 楓と天子を出迎えたのは椅子に腰掛けて本を片手に読む、傍らに第三の目を侍らせた一人の少女だった。

 

「……ふむ、ずいぶんと騒々しい来客のようですね。私のペットたちは敵意がない人には襲いかかりません」

「敵意はない。ただ聞きたいことがあっただけだ」

「神社の近くに間欠泉が出て、そこから地霊が現れている……。それについての心当たりを求めて、ですか」

 

 少女は第三の目を天子の方に向けて、どこを見ているのか今ひとつ測りかねる茫洋とした顔で二人を見る。

 

「相違ない。確かに覚り妖怪らしい」

「すみません、心の声が大きいので静かにしてもらえますか? そちらの女性と話した方が心がわかりやすいので」

「…………」

 

 心の声が聞こえるのなら黙ってても大差ないと思う楓だったが、何も言わず押し黙る。

 代わりに天子が楓の前に立ち、胸を張って朗々と語り始めた。

 

「心が読みたければ好きにすると良い。天人の私に後ろめたいものは何もない」

「そうですか。……ふむ、隣の男性にかなり強い信頼を抱いて――」

「それは今関係ないでしょう!?」

「すみません。人の恥ずかしい部分や隠したい部分を読んで口に出すのが覚りの習性で」

「なんて嫌な習性……! ……待って、こいつはどうなのよ?」

「どうも何も御阿礼の子、とやらのことしか考えてませんよ。この人、普段の思考リソースはほぼその方を考えることに割いていますね」

「それが何か問題でも?」

 

 ちゃんと日常生活や異変、各勢力との政治的な話に回せる分は残してあるだけ、むしろ阿礼狂いの中ではたいへん理性的な部類だと常々思っていた。

 恥どころか誇らしく思っていることがわかった覚りの少女は気持ち悪そうな視線を楓に向け、改めて天子の方へ向き直る。

 

「話を戻しましょう。間欠泉についてはこちらも調査しないとなんとも言えません。灼熱地獄跡に原因はあると思いますが、管理はペットに任せているので」

「だったらそこを調べれば良いわけね」

「はい。こちらの方で調べるので今日のところはお引取り願います」

「だってさ、どうする?」

「問題が起きて、人里は実害を被る一歩手前だった。管理の良し悪しはさておき、問題が解決するところまで確かめたい」

 

 初対面の少女に全て任せて帰ります、では問題外だ。この覚りの少女が信じられるかどうかもわからない以上、ここで帰る選択肢はなかった。

 

「……だそうだけど、そっちは譲ってもらえるの?」

「私たちの管理している場所を信じられない、と言われるのはいささか心外ですね。そも――私のペットに狼藉を働いた輩の言葉を聞く理由もありません」

 

 どこを見ているのかわからない目が剣呑な光をハッキリと宿し、眠そうにも見える据わった目でこちらを睨む。

 それを受けて天子はわかりやすいとばかりに好戦的な笑みを浮かべ、楓は対照的な渋面を浮かべる。

 

「良いわね、力づくって嫌いじゃないわ」

「どいつもこいつも血の気の多い……」

「心を読める妖怪を敵に回したこと、後悔しながら朽ちていきなさい。――想起」

 

 覚りの少女――地霊殿の主古明地さとりは対象の心を読み取り、さとりの目的を達するのに最適と思えるものを幻として見せる能力を持つ。

 そうして天子にとってのトラウマを作り出した彼女は、不思議そうに片眉をあげた。

 

「おや、あなたのトラウマはこちらの人自身でしたか。奇妙な縁もあるものですね」

 

 天子の前に現れたのは刀を握らず、拳を構えた楓の姿だった。

 さとりは首を傾げていたが、楓は心当たりがあるので微妙な顔になるしかない。

 

「一回心を折りにいったからな……」

「ええい、私の心を冷静に分析するんじゃないわよ!! というか折りにいった自覚あったのね楓!!」

「わざわざ素手で殴り倒すのはそういう意味もある。……刀を抜くまでもないと思ったのも事実だが」

「追い打ちかけるな!?」

「心を折られた人と折った人でこのような関係になりますか。やはり人間の心の動きというのは興味深い。さて、あなたは――」

 

 なるべくなら視界に入れたくもない、という感情が浮かんだ目で楓を見るさとり。

 その彼女に嫌な予感を覚え、楓は先んじて口を開く。

 

「……警告しておくぞ。お前が考えているであろう幻影を俺に見せるのは――」

「あなたはやはりこちらが良いでしょう。――想起」

『……楓さん。ここは下がってくれないかしら?』

「――――」

 

 しかし、楓の警告が間に合うことはなく、さとりは彼の前にその最愛の主――御阿礼の子の幻影を作り出してしまうのであった。

 

 

 

 

 

 心が真っ白になった、とさとりは両目を限界まで見開いている少年の心を読み取った。

 何かに塗りつぶされたでもなく、ただ何も考えられない。その人の処理能力に余る出来事に遭遇した場合、ままあることだとさとりは知っていた。

 そして彼に主の言葉に逆らう思考はない。ならば幻影の口から下がるよう言えば、彼は一も二もなく退却するだろう。

 

 と、その時だった。楓たちより後ろの扉が再び開き、紅白の巫女と白黒の魔法使いが現れたのは。

 白黒の魔法使いは三角帽子のズレを直しながら状況を見て、丁度よいところにやってきたと力強く笑う。

 

「おっと、こいつは良い場面に来れたんじゃないか?」

「――そこの妖怪! 今すぐその幻を消しなさい! 早く!!」

 

 魔理沙の声など耳にも届かない様子で、霊夢は切羽詰まった声で必死にさとりへ呼びかける。

 

「それは一体どういう――」

「良いから早く!! でないとあんた、死ぬより酷いことになる!!」

 

 霊夢の心は要領を得ないものだった。ほぼ全てが直感に支えられたものであり、彼女は過程をすっ飛ばして結論のみをさとりに伝えているのだ。

 だが、結論だけに到達できることが今回は仇になった。過程が不明なので、さとりにはどうして彼女が切羽詰まっているのかわからなかった。

 同時に陰陽玉からもそれぞれ必死な声が届くが、それもまた地上からの声であるためさとりには心が読めず、信用に値しなかった。

 

『霊夢の言う通り、早く幻を消すのよ。消したら話でも何でもしましょう!』

『ああ、急げ!! 今ならまだ間に合う――っ!!』

 

 陰陽玉越しの声は途中で途切れる。それは術越しでもわかる膨大な殺意を感じ取ったか、あるいは――根源的な存在に干渉し得る、本能的な恐怖を彼から感じ取ったか。

 霊夢、紫、萃香。三者がそれぞれ普段の飄々とした様子などかなぐり捨てた剣幕に驚きながらも訝しんでいた魔理沙と天子は、そこで先ほどから立ち尽くしていた少年の口から零れる声を聞く。

 

「……した」

「楓?」

「あの方を踏みにじったな……」

「ねえ、楓?」

 

 

 

 

 

「阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した阿求様を侮辱した」

 

 

 

 

 

 うわ言のように同じ言葉が繰り返され、その内容に天子と魔理沙は背筋が粟立つのを感じる。

 それと同時に霊夢たちが血相を変えた理由も理解する。

 彼女は――さとりは、決して踏み抜いてはならない逆鱗を踏んでしまったのだと。

 そして楓――阿礼狂いの後継者たる阿礼狂いは、その目を煌々と碧に輝かせ、激情をむき出しにした声で叫ぶ。

 

 

 

 

 

「何人にも触れ得ぬあの方を侮辱した罪――死より重いと知れ、女ぁっ!!」

 

 

 

 

 

 変化は劇的だった。楓が叫んだ瞬間、何かに弾かれたようにさとりは目を見開き、己の身体を抱きかかえる。

 

「……っ! いやっ、やめてっ!!」

「――――」

 

 すでに抜刀した二刀を携え、幽鬼のごとき足取りで楓は一歩一歩、さとりの方へ歩を進めていく。

 さとりはそれを見ることすらできないと、自分の身体を抱き、倒れ伏し、虫のように身体を丸めて震わせる。

 

「嫌嫌嫌……っ! ナニかが私の中に入ってくる!! やだっ、やめてっ!! 私が変わっていく! 大事なものが大事に思えなくなる!! 世界から色が消えるペットなんてなんで大事にしていたの――違うっ!! 違うっ!!」

 

 さとりの様子は尋常ではなかった。何かに抵抗しているように嗚咽混じりの悲鳴を上げ、血が出るのも構わず己の身体に爪を突き立て、楓が近づくのも知ったことではないと目を固く閉じている。

 

「そうよ私にはもっと大事なものがあったそれはここではなく地上で――違う! 私は地上になんて行かない! 私の家族は不要違う! 妹とペットたち!! だから私の中に浮かぶなぁ……っ! 誰だお前は――いいえあなたは!!」

 

 意味のある言葉の羅列ではない。しかし決死の感情であることは誰の目にも明らかで――その言葉を吐き出させているのは他ならぬ、楓以外にあり得なかった。

 楓はさとりの言葉など耳を通した様子すら見せず、その碧眼を誰も見たことがないほど爛々と輝かせ、さとりへ歩み寄ることを続けている。

 

 と、そんな彼の前に霊夢と魔理沙、天子が立ちはだかった。

 

「そこまでよ、楓」

「……やつは御阿礼の子を侮辱した。俺は警告している」

 

 先に見せた激情を残滓すら残さない声音だった。だが感情という感情が全て殺され、輝き続ける碧眼と対照的に表情は能面の如き有様。

 霊夢は僅かに怯みそうになる己の心を叱咤し、敬愛すべき兄貴分を見上げて言葉を放つ。

 

「だとしても! これは私が止めなければいけないものよ!! 殺すなんてこと、認めるわけにはいかないわ!!」

「殺しはしない」

 

 霊夢の覚悟に対し、楓はさも当然とばかりにそれを否定する。殺すだって? なぜそんな無駄なことをしなければならない。

 そもそも、ここで彼女を殺すメリットが楓には一切見受けられない。確かに尊い御阿礼の子を模した罪は何よりも重いが――殺すより良い方法があればそちらを選ぶのは当然だ。

 

「やつは御阿礼の子を侮辱した。その罪を死んで償わせると言えば聞こえは良いが、それで終わりだ(・・・・・・)

「だったら、今、何を……」

 

 そこで再びさとりの声が霊夢たちの耳に届き、そして彼女は理解する。この阿礼狂いの少年が持つ本当の能力を。

 

「あなたは――違う! 私は知らない、知らない……っ!! あなたの顔も名前も役目も何もかも知らない――いいえ、知っているのです……っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 ――阿求様。

 

 

 

 

 

 

 

「――っ!!」

 

 さとりが知り得ない地上の人物であるその名を聞いて、霊夢の脳裏に直感の閃きが走り、彼の能力に確信を持つ。

 

 そもそも、もっと深く考えるべきだったのだ。彼の持つ瞳は千里眼であり、魂縛りの瞳であり――魂という無形のものを縛り続けた果てはどうなるのか。

 いいや、話は単純だ。――その魂を縛るものは彼のどこから来ている?

 答えは一つしかない。少年の――いいや、彼に連なる一族が代々受け継ぎ、世代をまたぐごとに効果を強め、不可逆に己の魂を変質させる狂気の術。

 

 

 

 

 

 つまり彼の瞳は――視たものを阿礼狂いに変貌させる程度の能力なのだ。

 

 

 

 

 

 これは駄目だ。それを彼が所持することだけは認められない。彼を殺してでも止めなければならない。

 

「……っざけんじゃないわよこのバカ兄貴!!」

 

 確信した霊夢の行動は早かった。さとりへ片手をかざし、彼女を何もかもから浮かせる。ぶっつけ本番で失敗したら彼女が浮いたまま戻ってこられない可能性もあるが――楓の能力が完全に発動するより安い(・・)ものだ。

 霊夢によって浮かされたさとりは震えが嘘のように消え、ただその身体を半透明に浮かせるばかり。

 それを見た楓もまた、二刀を構えて戦闘態勢を取る。相手は当然、霊夢たち三人。

 

「魔理沙、天子、構えなさい!! こいつを止められるのは私たちだけ!!」

「え、あ、お、おう! どう見ても様子がおかしいからな!」

「――普段通りで良いの?」

 

 戸惑いながらもミニ八卦炉を構えた魔理沙と対照的に、天子は静かな表情で霊夢に問いかける。

 霊夢と魔理沙に比べれば楓との付き合いが短い天子だが、今の様子が尋常でないことはわかる。そして、今の彼を止めるのに普段と同じで良いのか疑問だったのだ。

 そんな天子の疑問に、霊夢は無慈悲に答える。

 

「――殺す気で止めなさい。殺らなきゃ殺られるし、向こうに慈悲なんて期待しちゃ駄目」

「……そう」

 

 天子は言葉少なに応え、様々な感情の浮かぶ瞳で無表情に――しかし一切の迷いを見せず殺しにかかるであろう楓を見つめ返して、緋想の剣を構える。

 

「一度目は殴り倒され、二度目は思いの丈を受け止めてもらい――三度目は死合と来た。本当、なかなかの奇縁だと思わない?」

「……邪魔をするなら始末する」

 

 楓の言葉に感情はない。今の彼にそんなものは余計なものでしかなかった。

 かくして、魔眼持つ阿礼狂いの少年と、彼を止めるべく少女たちは激突するのであった。

 

 片や、阿礼狂いとして加減せず破滅の道を歩もうとしている彼を止めるべく。

 片や、視た者を阿礼狂いに変貌させる瞳をもって狼藉者を堕としてしまおうと。

 

 両者の激突の行方に、間違いなく幻想郷の行く末が委ねられていることは、この場にいる者たちだけが知っているのであった。




さとりん:愛する主の幻で退くように言えば下がるでしょううふふ
楓:は? お前ごときが幻ですら出して良いお方だと思ってんの? 死ぬよりひどい目に合わせる(ガチ)

さとりん、踏んではいけない逆鱗を踏み抜いてしまう。11点だったから……(白々しい顔)

そしてとうとう楓の能力開示です。前作主人公はこれに気づいたから楓を殺すべきか真剣に迷い、二人だけの秘密として黙っておくことを選んだ。これについては母である椛すら知りません。

千里眼も魂縛りも全て楓本来の能力を制御し、デチューンしているものに過ぎません。

Q:つまりどういう能力?
A:視線を媒介に阿礼狂いの一族が受けている魂の呪縛を相手に与える能力。受けた者は価値観、思想全てが塗り替えられ、御阿礼の子を至上とする価値観に侵食される。妖怪など、精神に依った存在ほど効果は大きい。当然、戻す術のない一方通行。ただし途中で効果が途切れた場合は時間をおけば元に戻る。一度にかけられる相手の制限もなく、視界に入る限り誰もが射程内。
 逃れる術は彼が認識し得ない場所(見つかっていなかった天界や地底などは射程外だった。今は違う)に行くか、あくまで視る必要があるため、彼の目の性質そのものを変えてしまうことが挙げられる(ミスティアの能力はその意味でも楓に刺さっている)
 魂縛りはこれの効果を弱め、なおかつ時間も一瞬に留めることで最低限の使用ができるようにしたもの。

 事実上、楓はその気になれば全ての妖怪相手に無傷で勝つことができます。これが発動したらほぼ誰しもさとりんと同じ状態になる。ゆゆ様が畏れていたのは相性の良し悪し以前に、相手がその気になったらこれまでの価値観も何もかも崩されると本能的に察していたから。
 ただ、逆に言えば精神に依っている存在でなければ効果は著しく落ちるため、霊夢たち人間や人間の上位である天人、蓬莱人などは効果を受けず戦えます。言い換えるとその代の人間に楓を抑え込める実力がないと詰みます()

 次回は本作でも最大規模のバトルになると思われます。なお敵は本作主人公な模様。



 ちょうたのしい(開始当初から温めていた設定、描写が出せて絶頂してる人)

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