阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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感想返信する時間もなく申し訳ありません。感想はいつもありがたく読ませていただいておりますありがとうございます(五体投地)


阿礼狂いの処遇と天人の願い

 霊夢、魔理沙、天子の三人は重苦しい空気の中で地上へ戻ると、それぞれが疲れた足取りで各々の家に戻っていく。

 

「……ここで解散しましょ。私含め、思うところはあるでしょ」

「……おう。色々と考えさせられたな」

「……あいつの母親になんて言えば良いのかしら」

 

 この中で最も体力があったのは天子だった。あれほど斬られ、焼かれ、挙句の果てに腹へ刃を突き込まれたというのに、地上へ戻る間にほとんどの怪我が治っていたのである。

 しかし顔色は良くない。楓がスキマに呑まれ、使い手が消えたので回収しておいた二振りの刀を所在なさげに握り、戻った後のことを考えていた。

 霊夢は天子のぼやきを聞いて、心配する必要はないと声をかけてくる。

 

「ん、椛さんへの説明? だったら普通でいいと思うわよ」

「普通って、ありのままを話せってこと?」

「あんたもあの一族についてわかったんでしょ? で、あの人は楓の母親なのよ? じゃあ父さんはどうなんだってなるじゃない」

 

 言われてみればなるほど確かに。楓の口からも時折、彼の父親についての話は出ていたことを天子は思い出す。

 

「……あいつの父親もそうだったの?」

「私も直接見たことあるわけじゃないけどね。椛さんならあるんじゃない? その上であいつの母親やってるんだからすごい話よ」

 

 だから私はあの人を尊敬してるの、とおよそ誰に対してもおもねるという行為を全くしない霊夢が珍しく素直な敬意を表す。

 そう言われて天子も納得する。いつもニコニコと笑って楓や自分を眺めており、少女の見た目に似合わないほど穏やかで落ち着いた物腰の彼女は、自分たちと違って阿礼狂いの全てを理解した上であの屋敷に暮らしているのだ。

 

「わかった、帰ったら聞いてみる。あんたたちはか弱い人間なんだから早く戻って休みなさい」

「言われなくてもそうするわよ。もう泥のように眠りたいわ……」

「今ならベッドに入って一秒で眠れそうだぜ……」

 

 フラフラとした歩みで戻っていく霊夢と魔理沙を見送り、天子はこれからやるべきことを指折り数えてため息を吐く。

 

「……全く、足を動かすことも考えることも多いなんて」

 

 普段なら楽しいと言うところだが、今はそんな気分にもなれなかった。

 一旦全てを横に置いて眠ろう。この状態で頭がまともに動いているとは言い難い。

 天子は一直線に火継の屋敷へ戻り、自分に割り当てられた部屋に戻ると刀を床に置き、布団に身を投げ出して眠るのであった。

 

 

 

「――そう、ですか」

 

 一眠りして湯浴みをし、身支度を整えた天子は椛を呼び出して起こったことの話をしていた。

 楓が阿礼狂いとして妖怪を阿礼狂いに変える魔眼を使ったこと。そして自分たちがそれを食い止めるために命がけの死闘を繰り広げ、最後にはスキマ妖怪が出張って彼の身柄を回収したことまで全て。

 

 椛は静かにそれを聞いていたが、楓の能力が瞳による魔眼の類であることを聞いたところで明確な動揺を見せた。

 しかしそれを言葉にすることなく天子の話を最後まで聞いて、椛はゆっくりと状況を咀嚼するように何度もうなずく。

 

「――以上が話の顛末よ。ここから先は私にもわからない」

「…………」

 

 話を全て聞いた椛は瞑目し、言葉を語らない。あるいはそれは、何を一番に言うべきか迷っているとも読み取れた。

 故に天子も言葉を続けず、彼女の言葉を待つことにする。自分の今後のためにも、彼女の考えを知っておきたかった。

 

「……まずは天子ちゃん、ありがとうございます。息子を止めてくれて」

「放置して良い未来は見えなかったしね。とはいえ、一歩間違えば三人お陀仏は肝が冷えたわ」

 

 自分が盾にならなかったら確実に霊夢と魔理沙は死んでいただろう。あの状態の楓に他者への配慮などないだろうし、たとえそれが幼馴染であっても刃を鈍らせる理由になり得ない。

 

「私も腹を刺されたし。……あんたの時はそういうのなかったわけ?」

「ありましたよ。ただ、天子ちゃんの時とは大きく状況が違いました。時間は私の味方だったんです」

「……それは大いに違うわね」

 

 天子たちにとって時間は敵だった。霊夢が八面六臂の活躍をしていたのも、それだけの負担を彼女一人に担わせていたと言い換えられる。

 彼女が倒れるまでに勝負を着けなければならなかった。

 幸いだったのは、楓の思考に消耗戦を仕掛けて霊夢が潰れるのを待つ、というものがなかったことだろう。最短、最速で御阿礼の子の敵を排除しようとする彼に待ちの姿勢はなかった。

 

「それと、天子ちゃんはどう思いました?」

「どうって何が?」

「楓の姿ですよ。隠していたわけではありませんが、話に聞くのと実際に見るのではまるで違うでしょう」

「……そうね」

 

 来るだろうと思っていた話が来た。天子は膝の上に置いた手に顎を置き、ゆっくりと言葉を選んでいく。

 

「別の人格でもいるんじゃないかって思ったわ。いつものあいつならもっと……」

 

 敵に容赦しないのは変わらずとも、敵でさえなくなれば相手の事情も気にかけ、どうにかそれも一緒に解決できないかと苦心する優しさがあった。他ならぬ天子がそれに救われたのだから間違いない。

 だが、あの時の彼にそんなものは一欠片もなかった。あるのは主を侮辱した存在への殺意と敵意のみ。

 夢であって欲しいとすら思った。いっそ違う人格が入っており、楓にその時のことは一切覚えていない方がどれだけ楽だったか。

 

「……それは違います。どちらも楓なんですよ。普段の優しいあの子も、あなたが見たであろう冷酷無慈悲なあの子も、どっちも同じ楓なんです」

「…………」

「天子ちゃんがこれから考えることは多いと思います。離れることを選んでも、私もあの子も何も言いません」

「……離れることが正しいみたいな物言いね」

「正否を自分の身を脅かすものから離れる、という観点で語るなら間違いなく離れる方が正しいです」

「だったらあんたはどうなのよ?」

「……昔、自分でも愚かだと思う賭けに身を投じました。私がここにいるのはその結果です」

「後悔してるの?」

 

 天子の言葉に、椛は微笑むだけだった。だがその微笑みは後悔を押し殺すような痛みを堪えたものではなく、自分は見事賭けに勝利したのだと天子に確信させるものだった。

 つまり、彼女は今の天子が直面している問題を知っており、そして彼女なりの選択で乗り越えているのだ。

 

「こればかりは天子ちゃんが自分で考えて答えを出してください。家を出ていくとしても援助はしますし、顔も見たくないと言うなら合わせましょう。……そういう覚悟は、この家の人間なら誰しも持っているものです」

「……ったく、あいつだって私に負けず劣らず面倒なんじゃない」

「あはは、慣れると可愛いところもあるんですよ? 夫もそうでしたが、あの子も自分が狂った人間であると位置づけた上で、それを隠さず誰かに優しくできますから」

「惚気は結構」

「おや、ごめんなさい。……ただ、あの子の目についてだけは悪いことをしてしまいました」

 

 愛とか恋とか全くわからない天子をして、胸焼けしそうな様子で息子と夫を語っていた椛だったが、天子が話を遮ると一転して暗い顔になる。

 

「悪いこと?」

「はい。……彼の千里眼は間違いなく私から受け継がれたものです。そして火継の一族が持つ性質と混ざり合ったのでしょう。それでこんなことになってしまった」

「……だとしてもあんたの責任じゃないわよ。誰も予測できないでしょう」

 

 能力の継承が起こり得ることも、両者の性質が悪い方向に混ざり合うことも、誰も予想なんてできなかった。

 だが、それでも椛は親として落ち込んでしまうのだろう。自分たちが息子に重荷を背負わせてしまった、と。

 

「それに危険性は楓も承知していた。千里眼の使い方も妙に熟達していると思ったけど、万に一つも能力の暴発が起きないためでしょう」

「…………」

「気になるなら本人に聞いてみれば良いのよ。面倒な能力だとは思ってるかもしれないけど、それで親を恨む人間じゃないことは私にもわかる」

 

 むしろあれは椛にそんな後ろ向きな想像をさせてしまったことを謝罪するだろう。それぐらいは付き合いの短い天子にもわかった。

 と、そこで天子は名案を思いついたと立ち上がる。

 

「……そうよ、聞けば良いじゃない」

「え?」

「何を悩んでいたのかしら。あいつに直接聞けばいいのよ!」

「いや、あの人もそうでしたけど楓は多分、そうやって選択を委ねられると困るタイプだと思いますよ?」

「困らせるのが目的だもの。私は決めたわ」

 

 そう言って立ち上がった天子の横顔には、椛と話し始めた時に見えていた迷いがすっかり消えていた。

 椛との話を通じて自分なりの答えを見出したのだろう。椛が見慣れた、普段通りの自信あふれる笑みさえ浮かべている。

 

「……ま、あいつが死んでたら何の意味もないんだけど」

「死にませんよ」

 

 息子として楓を信じているとかそういったものではなく、純然たる事実を語る口調だった椛に天子は首をかしげる。

 

「なんで?」

「楓の話し合い、阿求ちゃんも招待されたようでしたから。……私は彼女の前の御阿礼の子とも知り合いだったのですが」

「だったのですが?」

「――相手に執着しているのは阿礼狂いだけではありませんよ」

 

 

 

 

 

 時は少し遡り、阿求はスキマをこじ開けて自分の元へ馳せ参じた楓と共に妖怪たちと相対していた。

 阿求は周囲の目など気にせず、自分に傅く存在に声をかける。

 

「――火継楓」

「はっ」

「お前は誰のものだ」

「無論、この身、この命、この魂、全て阿求様のものにございます」

「そうだ。お前の生殺与奪は私が握っている。私以外のものに命を握らせるな」

「かしこまりました。死ぬべき時は阿求様へ伺います」

 

 床に額づき、楓は心からの歓喜に包まれていた。

 もとよりこの身は御阿礼の子のためにある。阿求はそれを明確にし、あまつさえ楓の命が阿求のものであるという至極当然(・・・・)のことを口にしてくれた。

 それが何よりも楓を喜ばせる。心臓が早鐘の如く打ち付け、感動に胸が張り裂けそうだ。

 

 阿求は楓が無事であることに一先ずの安堵を心の中で行い、しかし表に出すことなく紫たちに向かって口を開く。

 

私の(・・)楓について事情はわかりました。危惧する理由にも一定の理解を示しましょう。――ですが、彼を排除しようとした場合、私は私の刃を振るうことに一切の躊躇いを持ちません」

 

 阿求の言葉と同時、傍に侍る楓からゆらりと闘志が膨れ上がる。

 今の彼は御阿礼の子が近くにいて、彼女の命令で動き、戦えるという、阿礼狂いが最も力を発揮する条件が全て整っていた。

 素手であることなど重石にもならない。今の彼を相手にするのなら、大妖怪と言えど死を覚悟しなければならないだろう。

 

 紫は彼女を同席させようと考えた一時間ほど前の自分を殴り倒したい衝動に駆られながら、慎重に言葉を選ぶ。ここでしくじれば自分の命すら危うい。

 

「……阿求、あなたの望みをまだ聞いていなかったわね。彼の生存はもちろんとして、他に何が望み?」

「私たちは多くを望みません。私は御阿礼の子として幻想郷縁起を編纂し、その隣に彼がいれば他はいりませんが、彼は私の全てです」

 

 阿求はそう言って、楓の目を覆う布を優しく撫でる。

 

「私のものであり、私の剣であり、私の手足であり、私の目であり耳である。――私の目であるのに、目隠しがされるなんておかしくありません?」

「悪いけど、今すぐ外せという要望には応えられないわ。最低でも地底の覚り妖怪に向ける危険だけは排除したい」

「ふむ……」

 

 阿求はもっともらしく顎に手を当てて思案の様子を見せる。

 紫の要求を突っぱねるのは簡単だ。阿求が楓をけしかけることをチラつかせ続ける限り、彼女は大体の要求を呑むだろう。全くもって武力を背景にした交渉はやりやすくて困る。妖怪側が手放したくないわけだ。

 しかし、それを続ければ間違いなく自分たちの立場は悪化する。幻想郷縁起の意義以上に自分たちが幻想郷にとっての害となったなら、あらゆる犠牲を飲み込んで自分たちを滅ぼしにかかるはず。

 それは阿求にとっても不本意だ。楓が幻想郷のために死ぬぐらいなら幻想郷もろとも道連れにする覚悟はあるが、阿求とてそうなって欲しいわけではない。

 紫も迷っているのは先ほどのやり取りで読み取れた。ここですべきは自分の要求に固執するのではなく、どちらにとっても妥協できる落とし所を用意することだ。

 

「……ではこうしましょう。楓の目隠しについてしばらくは何も言いませんので、紫さまは楓を知ってください」

「幽々子が話していたように、かしら」

「その通りです。言われてみれば確かに紫さまと私たちが話したことはあまり多くありません。それ故、今回のような不幸な行き違いも起きてしまった。違いますか?」

「……違わないわ。御阿礼の子と長い付き合いであっても、阿求との付き合いが長いわけではないわね」

「私も紫さまを知識と記憶で知っていますが、こうして話したことは数えるほどです。――いやはや、互いの不理解は時としてこのような諍いを生みます。恐ろしいものですね?」

 

 阿求は努めてにこやかに笑い、周囲の妖怪たちを一瞥する。どいつもこいつも実に面白いとばかりに顔を輝かせていた。

 

「相互理解には時間が必要、といったところでどうでしょうか、紫さま?」

「おいスキマ。これは呑まないとヤバいぞ」

「そうねえ。阿弥の頃から知ってるけど、御阿礼の子も面白いものね。ここまで怒った姿は初めて見るわ。あ、戦うんなら私が最初ね!」

「おうこら私らを差し置いて一番槍はいただけねえな。その役目は私ら鬼が担うのが筋ってもんだろう」

「鬼なら吸血鬼の私にも権利があるわよ。あんたたちは最近遊んだんだから今度は私の番よ!」

 

 阿求の言葉に対して、天魔はどこか楽しげに紫をせっつき、レミリアと萃香、勇儀らといった過去に阿礼狂いと刃を交えた経験のある者たちは楓と戦う場合に誰が一番最初に戦うかで揉め始めた。

 永琳や諏訪子、神奈子らは大変なものを呼び覚ましてしまった、と阿求たちを見つめている。

 にわかに騒がしくなった空間で紫は頭痛をこらえるようにため息を吐き、やがて顔をあげて阿求を見据える。

 

「……そちらの言う通りね。私たちには時間が必要」

「ええ、ではそういった形で話もまとまりましたし、私たちは帰らせてもらっても?」

「わかりましたわ。足労してもらって悪かったわね」

 

 紫が手を一振りすると、阿求たちの後ろにスキマが開く。スキマ越しの風景は人里のそれで、阿求は楓の手を取って立ち上がらせる。

 

「目は大丈夫?」

「周囲の把握程度なら問題なく。このままでも側仕えに不具合はありません」

「なら良かった。帰りましょう?」

「御身の願うままに」

 

 阿求と手をつないだまま、楓は淀みない足取りで先行しスキマへ向かう。どうやら問題ないという言葉に嘘偽りはないようだ。

 先に行って安全を確かめます、と楓は阿求に告げて一足先にスキマをくぐる。

 そして阿求もくぐる――直前で振り返り、紫に一言を告げて外に出るのであった。

 

 

 

 

 

「――ああ、私の一秒とあなたの一秒では時間の重さがまるで違うのはお忘れなく。私の時間は貴重ですよ?」

 

 

 

 

 

「ま、今回はお前の負けだな。スキマ」

 

 阿求たちが去ったことによりレミリアたちも興味をなくしたのか続々と退去していき、最後に残ったのは紫と天魔の二人だけだった。

 天魔のからかい混じりの言葉に紫はふてくされたようにそっぽを向く。

 

「……うるさいわね。自覚はあるわよ。私は踏んではいけない虎の尾を踏みかけた」

「わかってるなら重畳。オレも阿礼狂いの怖さは身に沁みているが、主の方はとんと意識していなかった」

「私も軽視していたのは否定できませんわ。あくまで彼女らは幻想郷縁起の編纂のみを使命とし、それ以上のことはやらないしできないようにした」

「が、御阿礼の子も人の子。ましてや千年、阿礼狂いを従者として傍らに置いてきたんだ。そりゃ一廉の人間にもなるだろうさ」

 

 それだけ言うと天魔も立ち上がり、帰り道であるスキマの方へ歩いていく。

 

「ああ、だが楓の処遇についてはお前さんが決めろ。御阿礼の子を怒らせた場に同席するなんて二度とゴメンだ。生きた心地がしない」

「良いの? 次代の天魔を殺すかもしれないのよ?」

「この幻想郷で一日でも長く権力者の座に居座り続ける方法を知っているか? 境界の賢者サマ」

 

 言外に紫は権力者とは違う場所にいると含めながら、天魔はわざとらしい嫌味な口調で聞いてくる。

 

「……何よ」

「敵を味方にすることだ。嫌でも顔を突き合わせる以上、敵の数は少ないに越したことはない」

 

 つまり、天魔はこの状況すらも楓にとっての試金石とするつもりなのだ。

 現状、紫は楓を危険視している。その認識が変わらないまま、楓が紫を味方につけることを期待している。否、それぐらいできなければ天魔の座は務まらないと思っている。

 

「どうしたって相容れないやつとも顔を合わせない状況を作るぐらいはしてもらわんと困る。剣だけ振ってりゃなんとかなるって話じゃないのさ」

「…………」

「そういうわけで楓については好きにしな。天狗に害がなければこれ以上の干渉はしない」

 

 それだけ言うと天魔もスキマに身を投じる。

 誰もいなくなった部屋で紫は一人、ままならないとため息をつくのであった。

 

「全く……私だって本当なら管理者として見守るだけに留めておきたいのに、皆勝手に動くのだから……」

 

 

 

 

 

 阿求たちがスキマを通って現れたのは火継の家だった。

 

「あれ、お兄ちゃんの家に出ちゃった。私の家だと思ったのに」

 

 阿求は紫と話していた時のことなど忘れたように、楓を兄と呼んで身を委ねてくる。

 いかに御阿礼の子と言えど、阿求はまだ幼い少女だ。先の彼女の姿が紛うことなき阿求の本質であるなら、今の姿も彼女の本質なのだろう。

 できることなら主には主の望む姿でいて欲しい。楓は何度誓ったかもわからない一層の精進を己に課し、阿求へ口を開く。

 

「いかが致しましょう。稗田の屋敷に戻られますか?」

「私が先に戻っておくから、お兄ちゃんは椛姉さんたちに報告をお願い。色々と話すことがあるでしょう?」

「確かにありますが、それは阿求様が屋敷に戻られてからでも……」

「ダメです。天子さんと椛姉さんにはちゃんと全部話してから戻ってくること!」

「かしこまりました。お気をつけてお戻りください」

 

 よろしい、と阿求は楓に笑いかけ――笑っても楓には見えないことに気づき、楓の頬を労るように撫でる。

 いきなりの行動に戸惑って身動いだ楓に阿求が告げる。

 

「これから私が笑っている時はお兄ちゃんの頬を撫でるから。それなら私が楽しいってわかるでしょう?」

「……お心遣いに感謝いたします」

 

 阿求の細やかな気配りには平伏するばかりである。楓は口角を釣り上げ、阿求が立ち去るのを足音で聞き届けた後、屋敷に足を向けてすぐに止める。楓の前に仁王立ちし、腕を組んだ少女の気配がすぐ傍にあったのだ。

 

「……天子」

「戻ってきたのね。あんたの母親も心配してたわよ」

「ああ、世話をかけた。今から事の次第の報告をするつもりだ」

「そ。スキマのところからは戻ってこれたのね」

「阿求様に大いに助けられ、当面は目隠しを外せない条件だがな」

「なるほど。……ちょっと顔貸しなさいよ。そう時間は取らせないから」

「……わかった」

 

 まあ来るだろうな、というのが楓の正直な感想だった。阿礼狂いとして戦い、滅多切りにして殺そうとまでしたのだ。むしろ声をかけてくるだけ有情とすら思っていた。

 天子の先導に従って歩き、やがて離れにほど近い縁側で天子が腰を下ろして隣を叩く。座れということらしい。

 楓が腰掛けると、天子は静かに口を開いた。

 

「まず、私に言うことはない?」

「……ない。あの時、俺の邪魔をする奴は全員敵だった。御阿礼の子を害した敵をかばう者は全て敵。その認識はこれからも変わらない」

「そう。じゃああんたは自分の意志で私の腹を刺したわけ」

「そうだ」

「酷い話よねえ。私は結構あんたに恩義とか感謝とか色々感じてたから、殊勝にも力になろうって思ってたのに、手痛い裏切りよ」

「阿礼狂いとして考えるなら、俺は間違ったことはしていないと胸を張る。……しかし、お前が言いたいことも理解はできる」

 

 普通に考えて、状況次第で自分の首を迷わず狙う相手と一緒にいたいバカはいない。

 

「以前に言ったことは忘れてくれ。金輪際、人里で生きるお前の手は借りず、顔も合わせないようにしよう。ああ、家を出るのに資金が足りないなら援助も――」

「あんたはどうしたい?」

「……なに?」

 

 自分の言葉を遮って放たれた天子の言葉に、楓は訝しむ声音で聞き返す。

 

「あんたが戻ってくる前にあんたの母からおおよその事情は聞いたわ。あんたも別に隠していたわけじゃないでしょうけど」

「…………」

「で、言われたわ。今後の付き合い方は私が決めろって」

「それはそうだろう。もしかしなくてもお前の命に関わることだ」

「うん。まあ私の腹はもう決まってるの。でもそれはそれとしてあんたの意思も聞いておきたいのよ」

「なぜ」

「だって不公平じゃない。阿礼狂いのあんたを見て止める決心をしたのは私。そこからの付き合いについて決心したのも私。

 私ばっかりがあんたとの付き合いをどうするのか選ばされる。あんたも少しは選ぶ苦しみを知ったら良いわ」

「嫌がらせかよ」

「そう、嫌がらせよ?」

 

 なんて嫌な女だ、と楓は渋面を作る。これでは罵倒されていた方がいくらか気楽だった。

 しかし効果はあった。楓にも希望はあるが、それを口にするのは面の皮が厚いにも程があるというもの。

 

「…………」

「さ、言いなさい。それを聞いてから私の答えを教えてあげる」

「……俺の立場は今回の件で難しいものになった。おまけに目が封じられて力もいくらか落ちている」

「そう、それで?」

「今後も異変は起こるだろうし、直近で言っても地底の異変に俺はこれ以上関与できない。解決するには俺以外の誰かに動いてもらう必要がある」

「うんうん、続けなさい?」

「……ここまで言えばわかるだろう」

「残念。私ってば天界で言うところの不良天人なので? 願いは直接口に出してもらわないとわからないのよ」

 

 この女、と内心で抱いた苛立ちを押し殺す。さすがに殺しかけた側が怒るのは虫が良すぎる。

 そしていよいよ逃げ場がなくなった楓は観念して考えを口にする。

 

 

 

「――お前の力が必要だ。離れてほしくない」

「わかったわ。一緒にいてあげる」

 

 

 

「……は?」

「何よ、もっと喜びにむせび泣きなさいよ。この地上に降臨した尊い天人の比那名居天子様が! 御阿礼の子に狂った阿礼狂いの力になってあげるって言ってるのよ?」

「いやいや、お前を殺しかけた男だぞ? 正気か?」

 

 というか天子一人だったら確実に殺していた自信がある。

 天子の考えがまるで読めず、楓は信じられないものを見る顔で天子を見るしかなかった。

 

「根っから狂ってるあんたに正気を問われたくないわね。これでも考えたのよ?」

「何を」

「あんたから距離を取って、人里で暮らしていく場合のこと」

「危険はないだろう」

「ないでしょうね。人里の見回りやって、時々やってくる雑魚妖怪を蹴散らして、寺子屋で教鞭をとって、料理屋で働いて……普通の人間の一生みたいなものね」

「それの何が不満なんだ」

「忘れたの? そもそも私が地上に来たのは天界が退屈だったからよ? ――なんで私がそんな退屈な道に自分から進まなきゃいけないの?」

 

 そういえばこいつはこれがあったな、と楓は眉を寄せて困った顔になる。

 

「好奇心猫を殺すと言うぞ」

「良いじゃない、猫。その猫は死んだけど、確かに冒険したのよ」

「…………」

「退屈に生きるくらいなら冒険で死ぬわ。千年も退屈に耐えて生きてる時点でだいぶ長生きなんだし、死に方を選んでも良い頃合いだと思わない?」

「……だから俺に付き合うのか」

「そう。あんたの周りは良くも悪くも刺激に溢れてる。きっとこれから先、それはもっと増えていく」

 

 自分の間の悪さはいい加減自覚しているので、返す言葉がないと黙る楓を見て天子は微笑む。

 もっと深いところを言うなら楓と一緒に冒険するのが一番楽しいのだが、そこは言わぬが花である。

 

「だからこれは取引よ。あんたの隣でもっと私を冒険に巻き込みなさい。その代わり、私はあんたの力になってあげる」

「……対等な取引。そういうことか」

「そう。今までは恩義やら義理やらあったけど、あんたに殺されかけたんだし全部チャラどころかお釣りが来るわ」

「……またお前に刃を向けるかもしれない」

「そうならないよう立ち回るのがあんたの仕事だし、仮にそうなっても止めるわよ」

「次は死ぬ」

「最低でもあんたは道連れにしてあげるわ。それで彼岸に渡っても私を楽しませなさい」

 

 ここまで言われれば楓も気づく。もう彼女は自分の決めた答えに従い、楓がなんと言ってもついてくるのだと。

 どこで彼女が道を違えたのか。考えても答えは出ないが、せめてもの負け惜しみを言うくらいはできる。

 

「俺が今後平和な人生だったら、お前の見立ては大外れだからな」

「絶対ないから安心なさい」

 

 妙に力強く断言されてしまい、楓はふてくされたように唇を引き結ぶしかなかった。

 ……そして二人のやり取りを少し離れた場所から千里眼で見ていた椛は、二人の姿にそっと笑みをこぼすのであった。

 

 

 

「……確かに気が触れているけれど、でもとても優しくて、いつも暖かい騒がしさがある。――私は今も後悔なんてしていませんよ、あなた」




Q:楓の話し合いって結局どうなったの?
A:大体あっきゅんオンステージ

それと天子がなんか良い感じのルート通ってますが、爆弾処理が一番最初に終わったからとも言い換えられます。これから色々な爆弾処理が増えてきますが頑張れ(他人事)

ここからは各種異変解決に絡めて阿礼狂いと御阿礼の子の物語が進み始めます。まだ明確にはなっていませんが、ストーリーラインでの大目的はこの二人の物語の一区切りとなります。
まあそれだけだと味が薄いので各人に大小様々な爆弾があったりなかったりしますがそれは私の趣味です()

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