阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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朝が続くというのは書き終えてから気づきました(暴露)


少年の一日

 火継楓の朝は早い。というか寝ずにそのまま迎えることも多々ある。

 妖怪の血を引いて明確に良かったと思えるのは、人間とは一線を画する肉体の強靭さである。

 

 半人半妖故に純粋な妖怪よりは劣るとしても、食事や睡眠を取らなくてもある程度無理が効くというのは明確な利点だった。

 なにせ、その方が鍛錬に当てる時間が増える。父に一秒でも早く追いつくには、尋常な鍛錬では遅すぎるのだ。

 しかしそうして磨いた剣術も父を相手にすると、まるで赤子のように簡単に転がされてしまう。

 

「ふっ――!!」

 

 身体能力はすでに人間を超えている。自分の身長以上の刀も棒のように振るい、二刀流であることの疲労などまるで感じさせない。

 縦横無尽に振るわれる剣閃はどれも一流と読んで差し支えないもの。微塵の揺らぎもなく、精妙な太刀は触れたものに斬られたという感覚すら与えないだろう。

 

 ――だが、眼前の男はそれを素手でいなしている。

 

 自身に向けて振るわれる刀の腹に手を添え、僅かな力を加えて斬撃をそらす。横の斬撃は掌底で跳ね上げられ、縦の振り下ろしは出を見切って片手で白刃取りされる。

 稽古を始めてから何度も見ているが、何度見てもわからない絶技を前に楓は諦めず剣を振るっていた。

 

「このっ!!」

「また速くなった――が、だからこそだ。技の組み立てが雑になっている」

「がっ!」

 

 逆袈裟に切り上げた刀をかいくぐられ、懐に潜り込んだ男が楓の手首を打つ。

 的確に関節を叩かれた痛みに顔を歪めながら、しかし刃は手放さず距離を取る。

 男は軽く眉を上げ、僅かに気配を緩めた。

 

「武器を落とさなかったか。良い傾向だ」

「……父上は武器を落とすと容赦ありませんから」

「当然だ。主導権は絶対に相手に渡すな」

「はい」

 

 二刀を構え直すと、眼前の男――楓にとっての父親はいかつい表情のまま双掌を楓に向ける。

 

「良いか。どんな行動にも必ず予兆はある。その目だけでなく、五感の全てを使って相手の予兆、相手の取る行動を予測しろ」

「…………」

「攻撃を完璧に予測し、全てに対応して――初めて人間は妖怪と戦う土俵に上がれる」

「俺は父上と同じ土俵に立てる気がしません」

「今は良い。だがいつか必ず俺のいる場所に来い。そして俺を追い抜け」

「……俺にそれができると思っているのですか」

 

 物心ついた頃から父に鍛えられた。しかし鍛えれば鍛えるほど、目指す頂きがどれほど遠いか痛感するだけの子に、それを目指せと言うのか。

 そんな楓の視線を受けて、父はなんてことはないとあっさり首肯する。

 

「ああ、お前は必ず到達する」

「なぜそう思うのですか」

 

 楓の言葉に対し、父親は僅かに逡巡する様子を見せた。

 言葉に迷ったような、息子になんて声をかけるべきか考えたような時間を置いて、父親は答えた。

 

 

 

 ――親が子を信じないでどうする。それだけだ。

 

 

 

 

 

 瞼を開くと、そこは見慣れた自室の天井だった。

 身体を起こし、外の明るさから時間を大雑把に計算する。

 まだ日が昇るにも早い時間であることがわかると、楓は布団から出て身支度を整え始める。

 

 妙な夢を見て目が冴えてしまった。結局あの後も父親から一本も取れずに今に至っているが――とにかく剣を振るいたかった。

 

「……父上」

 

 自分と父親の触れ合いはほとんどが稽古の中だった。あの当時はそれを疑問にも思わなかったし、自分の強くなれる道を提示してくれる父親との稽古は厳しかったが、嫌いじゃなかった。

 

 稽古着に着替えて外に出ると、何をするでもなく空を眺めていた椿がおや、というように楓を見た。

 

『おはよう、早いね』

「目が覚めた。どうせだから稽古をする」

 

 ふぅん、と椿が楽しそうに笑って縁側に座るのを横目に、楓は二刀を振るい始める。

 

『私との動きはいいの?』

「理想は二刀で全部片付けられることだ。お前との連携も後でやる」

『じゃあいいや。あ、あの時覚えた炎とかは使わないの?』

 

 覚えた炎とは妹紅との戦いで学んだ術を指す。

 見て学んだ楓はあれと同程度、とまではいかなくてもそこそこ迫る精度の炎が扱えるようになっていた。

 しかし楓はその術を主力に磨こうと考えている様子はなかったので、椿は不思議に思ったのだ。

 

「炎、というのが曲者でな。いくつか使い方は考えたんだが、どれも殺傷力が高すぎて稽古にも実戦にも使えん」

 

 完全な殺し合いなら使う意味もあるものの、幻想郷での戦いは基本的に弾幕ごっこであってもなくても相手を殺すという一線は越えないよう配慮されている。

 無論、中には人間を喰らうためだけに襲うような妖怪もいるが――そういった連中は博麗の巫女である霊夢や人里の守護者である自分が手段を選ばず殺すため、逆に殺し合いの様相にならない。不意をついて一撃で決めてしまうのが一番消耗が少なく楽なのだ。閑話休題。

 

 ともあれ楓は炎の術こそ覚えたものの、その攻撃性故に積極的に使いたがらないのであった。少なくとも霊夢との稽古で使ったら、問答無用で夢想天生を使われても文句は言えない。

 

『霊夢ちゃんにあんなの使ったら危ないもんね』

「そういうことだ。よっぽどの相手以外に使う予定もない」

 

 そういって話を終え、楓は再び剣を振るう。

 己の身体に型をなじませるようにゆっくりと流麗に、淀みなく次の動きに変化させ、一切途切れることなく刃が空を裂く。

 始めこそ人の目に追える内容だったものの、その動きは徐々に速度を上げていく。

 揺蕩う波のようだった剣閃は一本の銀閃になり、銀閃はやがて束ねられ、広がり銀の球体と見紛うほどになる。さながら刃による結界であった。

 

 間違いなく一流以上。この歳で会得した技であることも加味すれば、彼の剣術は鬼才とも呼べる才を尋常ならざる努力で磨き上げたものであると誰もが理解するだろう。

 しかし彼の顔に晴れやかなものはない。あるのはただただ、何かに焦がれて手を伸ばし続けるような必死の形相のみ。

 

 やがてなにかに急き立てられるように振るわれた演武も終わりを迎え、銀の結界の中心にいた楓は荒い呼気をこぼしながら苛立ったように舌打ちする。

 

「……まだまだ父上には程遠い」

『気にし過ぎだと思うけどなあ。あ、でも息は乱しちゃダメだよ。呼吸で相手の状態ってわかるものなんだから』

「わかっている」

 

 椿の指摘に楓は不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、素直に息を整える。

 日の昇り具合を確認すると、もうそろそろ移動しなければならない頃合いだった。

 

「もうこんな時間か」

『霊夢ちゃんを起こしに行かないと』

 

 霊夢と楓は同じ人物に鍛えられた。そのため、楓の父が亡くなった今でも毎朝顔を合わせて稽古をする間柄だった。

 努力など嫌いと公言する霊夢だが、彼女も慕っていた父親代わりの人物の教えだけは愚直に守り続け、今なお稽古の習慣は続いている。

 ……彼女が朝に弱いのが困り物で、毎朝起こしに行くようなものなのは勘弁してほしいと思う楓だった。

 

 

 

 案の定、楓が博麗神社に到着しても霊夢は未だ夢の中だった。まだ朝早いのは確かだが、農家の人間などはすでに起き出している時間だというのに。

 ずかずかと彼女の寝室に上がりこんでもまるで起きる気配がない。というか腹を出して寝るのをやめろ。

 

「……おい、起きろ霊夢」

「あ、あと一時間……」

「誰が待つか!」

 

 布団の端を引っ張り、霊夢の身体を冷たい畳の上に落とす。

 さすがに寒かったのかがばりと身体を起こし、楓に非難の目を向けてきた。

 

「あーっ!! 私のお布団!」

「ったく、毎日毎日飽きもせず寝て」

「人間は寝るものなのよ!! あんたみたいな年中仏頂面と一緒にしないで!」

「仏頂面と何の関係があるんだよ」

 

 わけのわからない罵倒をされながらも、楓は気にせず布団を片付けて部屋を出る。

 

「さっさと着替えてこい。いつもの稽古を始めるぞ」

「着替え見たら退治」

「もっと見て楽しい身体になってから言え」

 

 無言の陰陽玉が飛んできたので、紙一重で避けて部屋を出る。

 あー! という霊夢の怒りの声が聞こえてきたため、追撃されないようとっとと距離をとって稽古場に移動してしまう。

 稽古場に着くと、一連のやり取りを見ていた椿が面白そうに笑いかけてきた。

 

『あははっ、二人とも見ていて飽きないねえ。君も霊夢ちゃんも』

「あいつ相手に下手に出るなんて寒気がする」

『だよねえ。付き合いも長いし、息ピッタリだしね』

 

 息が合う、というのは不本意ながら同意なので楓は肩をすくめるに留める。

 そうしてしばし椿のからかい混じりの話を聞いていると、見慣れた巫女装束に着替えた霊夢が陰陽玉を携えてやってくる。

 

「ほんとに見てないでしょうね?」

「そんな暇があったら剣を振っている」

「相変わらず私の愚兄は堅物ですこと」

「毎朝起こしてやるだけ慈愛に満ち溢れとるわ」

 

 軽口を叩き合いながら、お互いに構えを取る。最初は素手での組手だ。

 

「――行くわよ」

「かかってこい」

 

 砂利の爆ぜる踏み込みと共に突き出される霊夢の掌底をいなし、楓の拳が霊夢の顔を狙う。

 それを焦った様子もなく回避し、お互いにゼロ距離での攻防が目まぐるしく行われる。

 半妖の楓の一撃、霊夢の霊力のこもった一撃、どちらも直撃したら痛いどころではないものだがそれを放つ両者の顔は平然としたもの。

 それもそのはず――これは単なる朝の準備運動である。適度に体をほぐし、暖めることが目的であって相手を倒すことなど考えてもいない。

 

 そういった目的のもと、しかし交わされる攻防は間違いなく練達のそれ。霊夢と楓は数分ほどの組手を追えると一旦距離を取って構え直す。

 

「今日の稽古は」

「素手。霊力使用あり。陰陽玉使用あり。飛行はなし」

 

 楓の口から告げられる内容は互いを縛るものであり、これから始まる組手のルールである。

 霊夢と楓。お互いにできることも得意なことも違う二人の組手は、内容次第でどちらが勝つかあっさり決まってしまうため、こうしてルールを決めなければまともな勝負にならないのだ。

 今回の内容は主に楓が重い負担を背負うものになる。霊力のこもった一撃は受けると楓の奥にある何か――おそらく魂――に響き、恐ろしく効くのだ。

 

「オッケー。今日はあんたが負けたいのね!」

「言ってろ。――勝つのは俺だ」

 

 そうして二人の朝の稽古が始まるのであった――

 

 

 

「で、負けちゃったの?」

「……粘りはしました」

 

 日も本格的に昇った朝。楓は阿求のもとに戻り、一緒の朝食をとって朝の次第を報告しているところだった。

 阿求曰く、お兄ちゃんは半妖だからってすぐ無理をするのでちゃんと見ないといけないのです、とのこと。どちらが歳上かわからないものである。

 ……おそらく、阿求は良い意味で隙のある楓を好ましく思っているのだろう。楓の父親――阿求が祖父と呼び慕っていた先代の側仕えは、あらゆる面で阿求の手を煩わせないよう完璧に振る舞うことができていた。

 未熟だからこそ、支えたり力になる楽しみがある。阿求はそんな考えのもと、日々精進を続ける楓を優しく見守るのであった。閑話休題。

 

「霊夢さんとお兄ちゃんはライバルね。どっちが強いの?」

「距離を取られるとあいつが。距離を詰めれば私が勝つといったところですね。組手での勝敗も大体五分五分です」

 

 大体であり、端数では負け越していることは言わないでおく。彼にも見栄というのはあるのだ。

 霊力を扱えるという時点で、霊夢は楓に対して有利になっていると言っても過言ではない。それほどに霊力は妖怪にとって天敵とも言える効果を発揮する。

 そして話を続けられると負け越していることもバレそうなので、楓は話題を変えることにした。

 

「……んんっ! ところで阿求様。本日のご予定はいかが致します?」

「あ、話題を変えた。うーん……そろそろ満月の異変から少し時間も経ったことだし、慧音先生に話を聞いてきてもらえないかしら。確か先生がお兄ちゃんの言う妹紅さんって人の知り合いなのよね?」

「はい。では本日は先生と妹紅より、そしてあわよくば異変に関わったものの話も聞いてきましょう」

「お願い。もうすぐ宴会もあるでしょうから、その時に顔合わせはすると思うけど今のうちに話は聞いておきたいし」

「かしこまりました」

「私は家で書き物に集中するわ。お兄ちゃんには先生と一緒に動いてもらってもいい?」

「ご命令とあらば」

「今回のこれはお願い、かな?」

 

 微笑みとともにそう呼びかけられ、楓は一瞬だけキョトンとした顔になるもののすぐに理解して微笑みを返す。ここで言うべきは従者として命令を賜る姿勢ではなく――

 

「――可愛い妹の頼みとあらば」

 

 彼女が自分に求める、兄としての言葉で応えるべきなのだろう。

 

 

 

 

 

 寺子屋に行くとすっかり元気になった慧音が出迎えてくれた。半獣であるからか、人より疲労の回復も早いらしい。

 そんな彼女に事情を話したところ、乗り気になった慧音が案内を買って出てくれたため、今は竹林の中を歩いている途中だった。

 

「先生は彼女とどこで?」

「行き倒れを拾ったんだ。たまたま竹林近くに行く用事があってな」

 

 あの時は驚いた、と言って苦笑する。

 

「駆け寄ってみたところ、もう助からないと確信できる衰弱だった。おそらく竹林で迷い、行き倒れたのだろうと思ってせめて手厚く葬ろうと近寄ったら――」

「復活した、と」

「知っていたのか?」

「戦っている時に自爆されたので」

「どんな戦いをしたんだ!?」

 

 慧音がツッコミを入れてくるが、あれが妹紅の戦い方なのだから仕方ないと楓は理解していた。

 

「どんな種族かはわかりませんが、死んでも生き返る……正しく不死身の存在です」

「……ああ。私もそこまでは知っている。なにせ目の前で生き返ったからな」

「それが縁で?」

「ん、まあ不死身だからと言って、私の前で死なれるのは寝覚めが悪い。知ってしまった以上、見て見ぬ振りはなおさら寝覚めが悪い」

「それで食事やら何やら面倒を見ていると」

 

 楓が慧音の手にぶら下がっている風呂敷――中に握り飯の入ったお弁当を見ると、慧音は照れたように笑った。

 

「そういうことだ。お節介だと言ってくれて構わんぞ」

「私も同じことをしますからお節介とは思いませんよ」

 

 楓は何気ない返事をしたつもりなのだが、横を歩く慧音が目を丸くしてこちらを見てくるため不思議そうな顔になる。

 

「なにか変なことでも言いましたか?」

「……いや、お前がそんなことを言うことに少し驚いただけだ。そうかそうか、火継のお前がそんなことを言うようになったのか」

 

 目を細めて喜色満面の慧音に、楓は彼女の喜びを理解して鷹揚にうなずく。

 

「優先順位が変わることはありませんけど、その範疇でなら私は私を好きな人を助けますし、知り合った人なら仲良くなりたいとも思います」

「お前はその辺り、父親とは似なかったのかもな。あれは来るものは拒まないが、去るものも追わなかった」

 

 楓と楓の父は、仲の良い存在は多いに越したことはないとどちらも思っている。仲間が多ければ多いほど、御阿礼の子は守りやすくなる。

 ただその方法がそれぞれ違う。父親はあくまで自然体を貫き、それで去るのならそれも良しとする人間だった。

 対して楓は一度知り合った存在とは積極的に声をかける性格だった。知り合った直後の相手など、こちらもわからないし相手も同じなのだ。絶対に相容れない、という程に相性が悪くない限り、お互いを知ることは決して悪いことにはならないと思っていた。

 

 父と己の差異を思い返してうなずいていると、慧音が朗らかに笑って道の先を指差した。

 

「ははは、私は良い傾向だと思うよ。っと、見えてきたぞ」

「ああ、あれが……あれ、が……」

 

 控えめに言ってボロ屋。悪く言ったら壁と屋根があるだけの廃屋。およそ人が住まうにふさわしくないあばら家があるだけだった。

 

「……あそこに?」

「……まあ、うむ。私からも引っ越しを勧めてはいるんだが」

「芳しくはないと」

「そうなるな。妹紅さん?」

 

 慧音は慣れた足取りであばら家の中に踏み入っていく。

 楓もそれに続くと、壁にもたれかかって座る少女の姿が目に入った。

 頭は垂れ下がり、長い白髪が顔を覆って表情は伺えない。しかし口元からかすかに聞こえる規則正しい吐息は、彼女が眠りに落ちていることを教えてくれた。

 

「ふむ、眠っているのか。これは起こすのが悪いから弁当だけでも置いて出直し――」

「来客だぞ、起きろ!」

 

 妹紅に気を使う慧音とは別に、楓は容赦なく彼女の頭を叩いて起こそうとする。

 

「お前に遠慮の二文字はないのか!?」

「いや、夜ならまだしも今は昼ですよ? 具合が悪いでもないのに寝てる方が悪い」

「本当に具合が悪かったらどうする!?」

「そこはほら、私がスパッと首を落とすので」

「対応が雑すぎる!!」

 

 復活すれば多分治るだろう、と考えていたら慧音が涙目で詰め寄ってくるので撤回することにした。

 などと騒いでいると、妹紅が眠気の強く残っていそうな様子で頭を上げた。

 

「う、ううん……? 二人とも、何してるの?」

「あ、ああ、起こしてしまいましたか?」

 

 慧音が慌てた様子で敬語を使うのを、楓は興味深そうに眺める。

 教え子の前では中性的な言葉遣いの慧音だが、公式な場などでは敬語を使うことも多い。あまり頻繁に見る姿ではないので新鮮なのは否定しないが。

 

 やや緊張した様子の慧音に妹紅はくすっと小さく笑い、手を伸ばす。

 意味を察した楓が手を伸ばし、妹紅の身体を引き起こしてやる。

 

「ありがとう、楓」

「これぐらい平気だ。慧音先生が弁当を持ってきたぞ」

「また? 悪いから良いって言ってるのに」

「妹紅さんの良い悪いは関係ありませんよ。私が、そうしたいからしているんです」

 

 そう言って慧音は笑い、妹紅の前に風呂敷を広げて中の握り飯を取り出す。

 妹紅は困ったように後頭部をがりがりとかいて、ふと楓を見る。

 

「あー……いいよ、私は。それより後ろに食べ盛りの少年がいるんだし、そっちが食べたら?」

「間食はしない主義だし、先生がお前のために作ったものを横取りもしない」

「ああもう、わかったわよ。餓死しようと復活するんだから気にしないでいいのに」

 

 ぶつくさ言いながら握り飯に手を伸ばし、妹紅はあっという間に全て平らげてしまう。なんだかんだ言って腹は減っていたらしい。

 

「はー、美味しかった。いつもありがとうね、慧音」

「私がしたくてしていることですので、お気になさらず。それより、これを恩と言うならぜひ引っ越しをですね……」

「悪いけどそれは聞けないわ。あまり竹林から離れたくないのよ」

 

 慧音に感謝はするものの提案は即答で断る妹紅に、楓はふと思い出したことを聞く。

 

「確か異変の黒幕と知り合いだと言っていた。その関係か?」

「ああ、覚えていたの? だったら話が早いわね。そういうことよ」

 

 なんとなく納得がいったので慧音の方を見ると、慧音は初耳だったのか驚いた顔になっていた。

 

「先生。自分も詳しいところは知りませんが、彼女にも事情があるようです。今日のところは諦めた方が良いかと」

「そうそう。お世話してくれるのは本当に嬉しいけど、私も私でここから離れたくない事情があるの。わかってくれると嬉しいわ」

「む、むむ……。わかりました、今日は失礼します……が! こんなあばら家に住むのはダメですからね!!」

「まあそこは最悪私や先生の手で改築する手もありますから」

「えっ」

 

 慧音を止めたのだから自分に理解がある、と思っていた妹紅の顔がびっくりしたものに変わる。というより、この少年がごく当たり前のように踏み込んできたことに驚いていた。

 

「その手があったか! って、妹紅さん? どうしたんです、そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「あ、い、いや……楓がそんなことを言うことにびっくりした」

「別に不思議に思われるほど長い付き合いの覚えはないぞ」

「なおさらわからないわ。長い付き合いでもない人にそこまでするの?」

「知り合いが明らかに変なこじらせ方をしていれば助けるのは当然では?」

 

 頼られない限り動かないなど、楓にはまだるっこしくて不可能だ。困っている人が視界にいるならさっさと助けてしまった方が気分的にも楽だ。

 

「こ、こじらせ方……」

 

 身も蓋もない楓の言葉に妹紅が頬を引きつらせるが、楓は取り合わない。

 

「俺はともかく、慧音先生に心配かけない最低限の生活をしてから言ってくれ。小言を言われる原因だってお前のこの生活だろうに」

「い、いや、私はこれで良いって」

「これではダメです! 衣食住!! これらが揃って人は人となります! 死なないからと言ってこれは破滅的にも程がある!」

「ひぇぇ……」

 

 楓の言葉がきっかけで開き直ったのか、慧音の怒涛の攻勢が始まり妹紅は頭を抱える。

 普段の慧音一人ならば適当にあしらえたのに、妙なところで押しの強い楓が入ったことでそれができなくなってしまった。

 

「わ、わかった! 考える、考えるから! だから今日のところは戻って頂戴、ね?」

「むむ……確かに、一朝一夕に結論を出すのは無理ですか。でも、納得の行く答えが聞けるまで私は来ますからね!」

「……いっそ逃げようかしら」

「俺の目がなにかわかってて言ってるのか?」

「タチ悪いわねあなた!?」

 

 逃げたら逃げたで楓の千里眼が容赦なく見つけ出し、慧音をけしかけてくるに違いない。

 妹紅はお弁当を包んでいた風呂敷を回収して帰っていく慧音を見送り、肩を落とす。

 

「はぁ……どうしてこうなったのやら」

「お前が行き倒れていたのが原因だと思う」

「それもそうだった。じゃあ巡り巡って私が原因――なんで帰ってないの!?」

「別に俺まで帰るとは言ってないぞ」

 

 慧音には道中で予め言ってあるので、彼女が一人で戻っても何も言わなかったのだ。

 

「で、何か慧音の前では話せない用事でもあるの? 私は朝から疲れたから休みたいんだけど」

「体力なさすぎでは?」

「あなた達が騒がしすぎるのよ!! こんなにしゃべったのだって久しぶりよ!」

 

 慧音が来ていたので話す機会はあったものの、ツッコミを入れているのは楓が来てからである。

 出会いのきっかけ自体は妹紅がふっかけたのだが、それで知り合った少年がここまで騒動を運んでくる輩だとは思っていなかった。

 

「まあ落ち着いて。俺が頼みたいのは道案内だ」

「道案内……ああ、なるほど。今回の異変の関係者に会いたいわけ?」

「そうなる。あとはまあ、異変が終わった後に博麗神社で行われる宴会の誘いぐらいか」

「ふむ……」

 

 妹紅は値踏みするような目で楓を見る。

 さっきのやり取りを考えるに、下手に断るとこいつは踏み込んでくるに違いない。

 触らぬ神に祟りなしとか、藪をつついて蛇を出すとかそういった遠慮は殆どないのが楓という少年だと、妹紅は薄々察していた。どちらかと言えば虎穴に入らずんば虎子を得ずの生き方である。

 

「……まあ、気が向いたらね。お酒自体は嫌いじゃないし」

「わかった。じゃあ当日になったら迎えに行く」

「ねえ、私の話聞いてた? 気が向いたらって言ったわよね?」

「……? いや、博麗神社の場所を知っているのか?」

「それぐらい知ってるわよ!?」

「他のやつも誘う予定だった。ついでだから遠慮するな」

 

 具体的にはこの前知り合った影狼とか。さすがに妹紅と一緒に行かせるほど冷血ではないが、誘えるなら誘ってしまいたかった。

 

「楓に遠慮してるんじゃないわよ!? というかそっちが私に遠慮しなさいよ!?」

「ははは、初対面の人を燃やそうとした輩に何を遠慮する必要があるのか」

「あーもう! なんでこいつに突っかかったのよ数日前の私!!」

 

 もし過去に戻れるならこの少年は絶対騒動に巻き込まれるし、本人も騒動を起こすから関わらない方が良いと言っているだろう。

 当然、覆水が盆に返ることはない。妹紅は諸々諦めて肩を落とすのであった。

 

「はぁ……もうわかったわよ、負けたわ。宴会当日は迎えに来てもらうとして、その代金は払いましょうか」

 

 そう言って妹紅は歩き出し、竹林の奥へ入っていく。

 

「――永遠亭。月からやってきた連中と妖怪兎が大勢いる、面倒な場所まで案内してあげる」




次回は永遠亭の面々と顔合わせ。その後魔理沙や咲夜、妖夢とも話すのを入れると……おっと、これ結構長くなるのでは??(今さら気づく)

さておき、楓は人間関係のスタンスにも割と父親との違いが出ています。スタンスはだいたいこれです。

父:来る者拒まず去る者追わず
楓:虎穴に入らずんば虎子を得ず

良し悪しはさておき、楓は割と人付き合いに積極的な方です。もこたんとの絡みが予想以上に書きやすかったのは内緒だ。


この三連休中にもう一話は上げてしまいたい……

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