阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

60 / 143
天人の地底訪問とスキマ妖怪の見定め

「卵はすぐ火が通るから、手早くかき混ぜるのがコツだ」

「こう?」

「そう、そんな感じ。火の通った部分を手早く箸で巻いていくと玉子焼きが完成する」

「ふむふむ……む、なかなか難しいわね」

「一朝一夕にできるもんじゃない。だから店で出せる商品になり得るんだ」

「日々是修練、と。でも、明確に目指す先があるってのは良いわね。やる気が出るわ」

「店の暇な時間で良ければ手伝うよ。お前さんにも厨房に入ってもらった方が私も楽できる」

 

 楓の問題も一旦落ち着いたあくる日の昼下がり。

 人里に隠れ住み、とある料理屋で日々腕を振るっている妖怪の少女、赤蛮奇は客の少ない時間を利用してまかないの作り方を教えていた。

 

 実際に菜箸を操り、拙い手付きで料理を作っているのは最近下働きを始めた天人の比那名居天子。

 平時は看板娘として客の案内や注文を捌いてもらいつつ、皿洗い等を任せていたのだが料理屋で働く人間が望むのは料理を作ることだ。

 そのため蛮奇は折を見てはちょくちょく天子に料理を教えており、その教え方もなかなか堂に入ったものだった。

 少し焦げてしまった卵焼きを前に難しい顔になる天子に、蛮奇は努めて柔らかい声で彼女を励ます。

 

「最初に比べればだいぶ手付きも良くなった。料理人じゃないやつが普通に食っていく分なら、見れる程度にはなったと思うよ」

「お生憎様。私は自分で美味しい料理が作りたいのよ。普通の味じゃ作っても意味がないわ」

「だったらもっと頑張るしかない。ああ、その卵焼きは後で私が食べるから置いておいて」

「悪いけどお願いするわ。私もこれから出ないといけないし」

 

 料理をする際、邪魔にならぬよう束ねていた髪をほどいて前掛けを外す。

 身体をほぐして手足の調子を確かめていると、蛮奇が呆れた顔を隠さず聞いてくる。

 

「しかしこれから地底だって? この前行ったばかりだと聞くけど、また行くのか?」

「この前は色々あって間欠泉の原因までわからなかったのよ」

 

 色々の主な内容は原因調査を主導していた楓がいの一番に暴走し、同じく異変解決に向かっていた霊夢、魔理沙らを含めて殺しかけたというものだが、言いふらす必要はあるまい。すでに人里の守護者が目隠しをして暮らしているというのは噂になっているのだ。

 

「もう間欠泉は収まったのに?」

「バタバタしてる間に現象が収まっただけだから、原因はハッキリさせておきたいって楓の頼みよ」

「ふぅん、守護者様のお付きも大変だ」

「頼み事って言ったでしょう。あいつが頼むと頭を下げたから、私は引き受けた。上司と部下なんて関係じゃないわ」

 

 さすがに楓もあれだけの騒ぎを起こした自分がまた地底に顔を出すのは不味いと思っているようで、今回の件は天子に頼むしかない状況だった。

 

「命令されるのは嫌いだけど、頼まれるのは嫌いじゃないの。あいつが頼った天人として、恥じない結果を出してやろうじゃない」

「……蓼食う虫も好き好きというやつか」

「何か言った?」

「いいや何も? お前さんの働きぶりには感謝しているんだ。下らないことで怪我したりすんなよ?」

 

 君子危うきに近寄らず。いつものように傍観を決め込むことにした蛮奇は肩で風を切って地底へ向かう天子を見送り、軽く手を振る。

 そして人里でも有名人の部類である彼女の存在に慣れてしまった自分に気づき、顔をしかめてため息を吐くのであった。

 

「……全く、私はひっそりと静かに生きていたいだけなんだが、どこでおかしくなったのやら」

 

 

 

 

 

 天子が意気揚々と地底へ降り立つと、真っ先に彼女の前に先日剣を交えた釣瓶落としのキスメがやってくる。

 上半身だけを木桶から出し、最初に会った時に見せた凶悪な顔とは似つかない朗らかな笑みで歓迎してきた。

 

「天人さま、お待ちしてました!!」

「お、おおぅ……本当に来るとは思ってなかったわ……」

 

 楓と一緒にいた時は血も涙もない扱いを楓に受けた反動からか、多少優しくした天子にものすごい勢いで懐いてきたのである。

 てっきりその場の勢いで口にしているだけだと天子も本気には受け取っていなかったが、今の様子を見てそれも否定された。

 

「いえいえ、あの時の天人さまはまさしく地獄に垂らされた一筋の蜘蛛の糸!! 私があの鬼にも劣る鬼畜野郎にどれだけ辱めを受けたか……!」

「それはまあ、隣で見ていたからわかるけど」

 

 蛇蝎の如き嫌われように天子も苦笑いするしかない。確かにあの時の楓は天子から見ても非道な風に見えたが、もとを正せば先に襲いかかってきたのはキスメで、殺しに来たのもキスメだった。

 なので楓はたとえ正面から糾弾されたとしても、一切悪びれることはないだろう。むしろ殺さず天子と会わせた自分に感謝して欲しいぐらい言いそうである。

 

「それで天人さまは何の用でこちらに? あ、旧都の案内ならやりますよ!」

「先日の間欠泉調査の続きよ。まあ、道中の案内程度なら頼んでみようかしら」

「はい喜んでー!」

 

 調子良く敬礼すると、キスメは木桶に身体を収めたままふわふわと浮かび、天子の先導を始めていくのであった。

 

「あ、この中には拾った人間の首とかが入ってるんですよ。道中の退屈しのぎに見ます?」

「……それ、最近殺した人間じゃないわよね?」

「? 人なんて来ませんし、落ちてくるのは死体ばっかりですよ? ほら、これも百年ほど前の死体です」

「見せないでいいから」

 

 骨しか残っていない頭蓋骨を見せられても反応のしようがなかった。一応、楓たちの生きる時代のものでないことだけが幸いか。もしも本当に最近だった場合、彼女を生かす道が選べなくなってしまう。

 これは釘を差しておいた方が良いと判断した天子は言葉を選びながら口を開く。

 

「だが、私の目が黒いうちに人を殺すのはいただけない。天人であるこの私の伴をしたいなら、妖怪としても気高くあってほしいものだ」

「へ? 襲っちゃダメなんです?」

「それは妖怪の摂理に反する。私とて呼吸をするなと言うほど無体ではない。が、何の因果か私は人の味方をする側に立っている。あまりにお前が妖怪として振る舞いすぎると看過できない」

 

 最悪の場合、天子がキスメを退治する必要が出てきてしまう。もっとも、そうなる前に楓がさっさと殺している可能性も高いが。

 それを告げるとキスメはむしろ感動した様子で顔を輝かせる。

 

「おお……ということは、それを守れば天人さまの子分を名乗って良いんですね!!」

「え、あ、うん、そうね」

 

 その反応は予想外だったと天子は生返事をするが、キスメは気にしなかった。

 

「わかりました! そもそも私は地上に出ませんけど、人が来ても襲うだけにします! だから地底で私は天人さまの一の子分を名乗って良いですよね!」

「……はいはい、良いわよ。ただし! 私の名前を出すからにはあんたも強くなる努力を怠らないこと! 虎の威を借る狐はいらないわ」

 

 ここまで好かれることをした気もしないので若干の気後れはあるが、素直に自分を慕う者を無下にもできない。

 毒を食らわば皿まで。とことん面倒を見てやろうじゃないかと決心した天子はキスメを伴って旧都へ向かう。

 

 旧都の入り口に到着したところ、パルスィと出会った場所で土蜘蛛の少女である黒谷ヤマメと水橋パルスィが話しているのが見えた。

 パルスィは顔を痛そうにさすっており、ヤマメはそんな彼女を見て笑い、パルスィは鬱陶しげに顔をしかめている様子だ。

 ヤマメは天子とキスメに気づくとこちらに手を振ってくる。

 

「本当にキスメを子分にしたんだね。まあ、うん……正直凶暴だし、並の人間なら首がもげてただろうけど、悪いやつじゃないんだよ。悪いやつじゃ」

「悪いやつじゃないって言えば許される欠点じゃないわよそれ」

「言い方を変えよう。凶暴で人も殺すけど、愛嬌はあるよ」

「殺さないよ。天人さまから殺すなって言われたし」

「ふぅん? また奇妙な縁もあったもんだ。今日は旧都案内かい?」

「目的地は地霊殿よ。道中の案内を頼んでいるの」

「だったら一緒に行くよ。どうせ私たちも暇してたんだ」

 

 気楽な様子で頭の上で手を組み、ヤマメは天子たちに同行する姿勢を示す。

 すると隣で話していたパルスィが苛立たしげに親指の爪を噛みながら嫉妬を向けてきた。

 

「この前殺し合った奴らと仲良くできる神経が妬ましいわね。……ところで、あの男はいないの?」

 

 恐る恐るといった様子にこの前殴られたのが利いていると察した天子は肩をすくめる。

 

「昨日の今日で顔見せるほど恥知らずじゃないってさ」

 

 この言葉は自らの魔眼を向けたさとりへの言葉で、十中八九パルスィへの言葉ではないだろうが、受けた言葉をどう解釈するかは天子に委ねられている。

 それを聞いたパルスィは僅かに肩の力を抜いて、それが自身にとって腹の立つ内容だったのかまた爪を噛み始めた。

 

「ああもう、嫉妬を操る橋姫が安堵するなんてあの実力が妬ましいし、あんたの察しの良さも妬ましい……!」

「よくこいつと話せるわね」

「嫉妬に駆られてなきゃ話しやすいやつなんだよ? 慣れた人だと普通に応対もするし」

「嫉妬は常に渦巻いてるわよその無神経さが妬ましい!」

「ね?」

 

 ヤマメたちがたいへん図太い性格をしているのはよくわかった。

 天子は色々と言いたいこともあったのだが、パルスィとヤマメのやり取りを見ていたら毒気が抜けてしまった。

 強いて言えば魔理沙や霊夢は物申したいことが山のようにありそうだが、それを言うのは自分の役目ではない。

 

「釣瓶落としに土蜘蛛、橋姫が私のお供か……。どこの鬼よ、私は」

「地底は代わり映えがしないからね。新しく来た人に群がるのさ。キスメはどうか知らんけど、しばらくしたら落ち着くよ。それまでの辛抱だね」

「天人の威光を地底に知らしめると前向きに考えましょう。じゃあ案内して頂戴」

「あいよ。地上とは違う酒と喧嘩が華の旧都、よく見ていくと良いさ」

 

 ヤマメ、パルスィが歩き出すのに従い、天子とキスメは旧都の奥へ進んでいくのであった。

 

 

 

「うーん本当に酒ばかりね……」

 

 キスメらに案内を受けながら旧都を散策した天子は、道中酒の匂いばかり嗅ぎ続けて麻痺してしまった鼻をこすりながら地霊殿へ進む。

 道中にあったのはひたすらに酒のみ。人間がおらず、妖怪のみで形成された社会だからだろう。他の食事と言えばせいぜい酒の肴程度である。

 

 ヤマメらはその中で人気者らしく、店を通る度に呼び止められては話していたため、天子は一旦自分の目的を優先させ、三人と分かれて進んでいた。

 少々意外だったのはパルスィも地底の妖怪たちから受け入れられていることだ。彼女も見知った妖怪相手には嫉妬をたぎらせはするものの、それ以外は普通に応対できているようだ。

 人間からすれば恐ろしいことこの上ない妖怪であっても同じ妖怪、それも地底へ排斥された者同士ならそれなりに上手くやっているのだろう。逆に言えばここで上手くやっていけない輩は文字通り生きていくことすらままならない。

 

「覚り妖怪ならそれも可能なのでしょう」

 

 人の心を読み、口に出す妖怪。会って間もない天子ですら嫌悪感を抱いたのだから、同じ空間で暮らす妖怪たちは言うまでもなく。

 動物から化性した妖怪が多かったのも、心が読めるという能力に起因しているだろう。詳しいところは本人に聞かねば闇の中だろうが。

 ともあれ天子は地霊殿の前に立ち、最初に来た時は蹴破った扉を今度は手で開く。

 

「邪魔するわ――」

「さとり様の仇ぃぃぃ!!」

「っと!」

 

 扉を開けた瞬間、黒翼を広げた少女が飛びかかってきたのを半身になることで回避し、緋想の剣を突きつける。

 少女の右腕にある棒が振り下ろされた場所は大きく抉れ、直撃していたら天子と言えど危なかったかもしれない威力だ。

 

「いきなりご挨拶ね。戦おうってなら相手になるわよ」

「むむむ……! ってあれ? 男の人じゃない? じゃあ違うのか」

 

 敵意をみなぎらせた瞳を向けてきた少女は天子が男でないことに気づくと、あっさり戦いの構えを解く。

 右腕に何やら奇妙な棒をつけ、天子よりも大柄な少女だった。艶のある黒翼を隠さず広げているので、縦にも横にも大きな印象を与えてくる。

 そんな大きな少女は天子を見下ろすと、ペコリと素直に頭を下げてくる。

 

「うにゅ、ごめんなさい。さとり様をいじめた男がまた来たのかと思ってた」

「まあ当たらずも遠からずと言った――今のは私の言葉選びが悪かったからその棒に力を集中させるのをやめなさい!」

「違うの?」

「あなたの主をいじめに来たわけじゃないから安心なさい。今後も静かに暮らすために必要なことよ」

「そうなの?」

「そうなの」

「そっか! ならあなたは良い人なんだ!」

 

 パッと顔を輝かせる少女に天子は見た目以上の幼さを感じ取る。むしろ幼いと言うより、成熟していないと言った方が正確か。

 

「さとり様のところに案内してあげる! あの人、今は具合が悪いみたいなの」

「助かるわ。あなたの名前を聞いてもいいかしら」

「地獄烏の霊烏路空! みんなはお空って呼ぶの!」

「天人の比那名居天子よ。よろしくね」

 

 天真爛漫な笑顔を見せる空に握手を返しながら、天子は内心で思考を回す。

 

(さっきの攻撃の威力、どう見ても地獄烏のものじゃない。それに右腕の棒に胸についている赤い石も通常の地獄烏とは違う)

 

 そもそも異変がなぜ今になって起こったのか。そしてさとりと初めて会った時に僅かながら交わした会話で読み取れた、彼女自身も原因を把握していない点。

 二つを組み合わせるとそれなりに説得力のある推論が天子の中で生み出される。

 空なら聞いてみたら答えてくれるだろう。自身の推論を確かめようと天子は口を開き――

 

「……ねえ、空」

「うにゅ? お姉さん、誰?」

「そこまで忘れるの!?」

 

 彼女に確認することを即座に諦めた。心底自分が誰か思い出せないと首をかしげている空に天子は諦めて肩を落とすのであった。

 

 

 

「さとり様ー。えーっと……お客さまを連れてきました!!」

「天子よ天子! 天人の比那名居天子!! ここに来るまで何回言ったと思うのよ、いい加減覚えなさいよ!!」

 

 一向に覚える気配のない空に怒鳴りながら部屋に入ると、ベッドで上半身を起こしたさとりと彼女の傍らに立つ猫の耳を持つ少女が天子を見た。

 さとりの憔悴ぶりは傍目に見てもひどく、一睡もできていないのか目の下にどす黒い隈が浮いていた。

 

「お空に覚えてもらうなら年単位で一緒に過ごして、大事な人だと認識してもらえないと難しいですよ」

「お空、案内ありがと。後は私たちが話すから仕事に戻っていいよ」

「うん! お燐もさとり様のお世話頑張ってね!」

 

 空は敬愛する主人と仲間に褒めてもらえたのが嬉しかったのか、無邪気に笑って部屋を出ていく。

 残された天子はどう話を切り出したものかと頭の後ろをかきながら言葉を選ぶ。

 

「あーっと……」

「ふむ、間欠泉の原因は知っておかねばならないと……」

 

 天子の心を読んだのだろう。そのものズバリな内容を口にしたさとりだが、途中で顔を露骨にしかめて口を閉ざす。

 

「なるべくあの男を考えないでもらえますか。顔も見たくない」

「なに、お姉さん。さとり様をいじめたやつの知り合いなの?」

「今日、あいつはここに来ないで私に任せた。それを誠意と受け取るか、挑発と受け取るかはそちら次第よ」

「…………」

「あいつは悪いことをしたと思っていないし、私もそれには同意する。話し合いで済ませようとした姿勢を見せたのはこっちで、それを突っぱねたのがそっち。その構図は変わってないわ」

 

 楓があんな能力を持っていたのは皆の想像の埒外だったが、言い換えれば相手がどんな存在かもわからない状態で仕掛けてきたさとりの失敗とも言い換えられる。

 

「お互い不幸な事故だった。おそらく楓は金輪際ここに近寄らず、あなたも彼との関わりを避ける。それが自分のためになるでしょう」

「……許せ、というわけでもありませんしわかりました。思うところはありますが飲み込みましょう。……っ!」

 

 忌々しげに舌打ちを隠さないさとりだったが、話している中で突如として頭を抱え始める。

 それを見てお燐と呼ばれた少女が慣れた様子でさとりの背中をさすり、彼女の瞳の前に自分の顔を映す。

 

「さとり様、落ち着いて。私の声を聞いてください。そして私の名前を言ってください」

「火焔猫燐、私のペットで大切な家族……あぁ、お燐、ありがとう……」

「…………」

 

 お燐と呼ばれた少女がさとりの背をさすり続けると、やがて落ち着いたのかさとりが再び顔を上げる。

 

「……あの男の能力はおそらくあと一歩のところまで来ていたのでしょう。あれ以来、不意に誰かの顔が頭に浮かび、家族を家族と思えなくなる瞬間がある」

「…………」

「なんておぞましい。心を読む私など可愛いもの。意のままに心を侵食し、不可逆の狂気に落とすなど……」

「……その発作の頻度は下がっているのでしょう。だったらいずれ消えるわ。話を戻しましょうか」

 

 さとりが非難の目を向けるが、天子は取り合わない。

 

「そっちの言いたいことには理解を示すわ。――でも私はそれを聞きに地底まで足を運んだわけじゃないの。恨み節なら私がいない時に存分に吐いて」

 

 天子の言葉が本心であると心を読んで理解したのだろう。さとりは大きくため息を吐き、話を変える。

 

「……そうですね、失礼しました。そちらの疑問である間欠泉の原因についてですが、どうやらお空にあるようです」

「あの烏。右腕の棒や胸の赤石と関連した話かしら」

「そのようです。どうやらあの子、誰かから外部の力を埋め込まれたようで」

「外部から?」

「はい。心を読んだのですが、その……肝心のあの子が覚えてなくて……」

 

 知っていれば心に浮かぶものの、完璧に忘れていたら心を読んだところでどうしようもない。

 

「ああ、そう……いや、そんな気はしてたけど……」

「山から来た二人組、程度の情報でした。その方に八咫烏の力を埋め込まれ、今の彼女になっている」

 

 また大物が来た、と天子は内心で驚愕と新たな冒険の気配に胸を躍らせる。

 八咫烏と言えば天照大御神の遣いとも呼ばれている存在だ。力だけとはいえ、それを持っている存在などどれほどいるのか。

 

「お空からおおよその事情は聞きました。埋め込まれた力を使い、地上に灼熱地獄を顕現させることで寂れて久しいこの場所の活気を取り戻したい、と」

「地上からすればいい迷惑ね」

「私としても本意ではありません。なので彼女を説得し、そんなことしないよう言い聞かせてあります。それでも彼女の能力の性質が変わってしまった以上、定期的に発散させてやらねばなりませんが……そこはまた別途、ということであなたに相談しましょう」

 

 いつの間にか自分が地底と地上の顔つなぎになっている、と天子は心の中で苦笑し、同時に楓がそれを見越して自分をここに遣わせたと察する。

 だがまあ、仕方がない。さすがにあれだけの騒ぎを起こした楓が地霊殿の面々と仲良くなるのは無理だろうし、そこは自分が補ってやれば良い。

 誰であれ頼られるのに悪い気はしない。それが己の価値を証明したい相手であるならなおさらだ。

 

「承ったわ。この比那名居天子が、あなたと地上の関係を結ぶ顔役となりましょう」

「その言葉、確かに聞きました。友好的、とまではいかずとも良好な関係を築けることに期待します」

 

 さとりと握手を交わし、心を読まれても構わないと天子は力強く笑う。

 相手はこれまで地上と断絶し、独自の文化を築き上げてきた地底の住民だが――天人が力を発揮する相手としては十二分だろう。

 

「概ね聞きたいことも聞けたし、あまり病人に長台詞を言わせるのも無作法ね。今日のところは失礼させてもらうわ」

「ええ、気をつけて。……これは老婆心からのお節介ですが、人を見る目は鍛えた方が良いですよ?」

「これはと決めた相手を押し上げるのも醍醐味よ」

「何を言っても無駄ですね。正直、私は付き合ったところで破滅しか見えませんが、お好きにどうぞ」

「言われずとも」

 

 天子にとって楓は非常に面白い相手なのだ。突っ立っているだけで騒動を運んでくるような男を手放すなどとんでもない。

 きっと彼はもっと多くの異変を引き寄せる。その渦中で一緒に物事へ立ち向かえるなど、これこそ天子が心より望んだ胸躍る冒険ではないか。

 

 地上に降り、楓と出会ってから退屈する暇すら覚えない。天界で過ごした何もない時間を懐かしく思えてしまうほどだ。

 さてはて、地上に戻ったら今度はどんな冒険が待っているのか。天子は意気揚々と地上へ戻っていくのであった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、天子曰く渦中の人である楓その人は、蛮奇の店にいた。

 両目を覆う目隠しをして暮らすようになったので一時話題になったが、当の本人はまるで困った様子を見せず普通に仕事をこなすので、あっという間に馴染んでしまった姿。

 そんな楓は現在、目が隠れて表情が読めなくなった顔で腕を組んでテーブルの向かいに座る少女と相対している。

 

「昨日の今日で来るのは少し予想外だったな――八雲紫」

「御阿礼の子の側仕えであるあなたの時間をいたずらに奪いたくありませんもの。それでここがオススメのお店かしら?」

「ああ、まあ、うん……」

「……?」

 

 紫と出会ったのは蛮奇の店に入った時――ではなく、見回りをしていた楓の前に紫が現れたので場所を変える際にここを選んだ事情がある。 

 なので楓は絶賛、蛮奇から殺意のこもった目線を受けており、あまり肯定しづらい事情があるのだが、紫は気づかなかった。

 しかし仮にも八雲紫を相手に茶飲み話がしたいと言われた時、連れて行ける場所が他にあるかと言われたら楓にはここしか浮かばない。

 内緒話をするのに向いている店もいくらか知っているが、スキマ妖怪との話だ。必要なら彼女がいくらでも静かにする方法を知っているだろう。

 

「……いや、こちらの事情だ。それで話とは?」

「あら、私とは幽々子のように話してくれないの? 私だって何の目的もなくお茶を飲みたい時がありますわ」

「……阿求様に言われたことか。俺はスキマをくぐった後は知らないが、何か言われたのか?」

「痛烈な言葉をもらいましたわ。あれは効きましたね」

 

 そう言って紫は苦笑する。楓も見えておらずながら察したのだろう、うなずいて理解を示す。

 

「ふむ、意図はどうあれ阿求様の言葉を受けて、というなら俺に断る理由はないな。ああ、栗蒸し羊羹と酒饅頭、ぜんざいも頼む」

「ずいぶん食べますわね? ああ、私にはみたらし団子とお茶をいただこうかしら」

「……少しでも売上に貢献しようと思ってな」

 

 自身の周辺気配を探ることぐらい造作もない楓にはわかっていた。

 自分たちがこの店に入った瞬間、他の客が静かに、だが素早く店から出ていったことを。八雲紫がスキマ妖怪だと知っている人がそういるとも思えないので、全くもって大した危機察知能力だと言わざるを得ない。

 後で蛮奇に頭を下げなければならない、と楓は今後の予定に憂鬱な内容を書き込んでから改めて紫に口を開く。

 

「目的もない茶飲み話と言うが、最近で面白いことはそうなかったぞ?」

「面白いことが聞きたいわけじゃないのよ。あなたが普段、何を思って、どうやって生活しているのか知りたいだけ。……思えば、それも私は知らなかったのよ」

「ふむ……まあそれで満足するのなら」

 

 楓は紫に促されるままに日々の生活について話し始めていく。

 日も昇る前から起きて剣を振り、阿求の側仕えをし、里の見回りを行って妖怪に絡まれては何かと引っ張られることも赤裸々に語る。

 

「――で、見回りの戻りで人里で風見幽香に呼び止められて、そのまま花屋の買い物に付き合わされた。帰り際にやたらと不味いハーブティーを勧められたので、率直に不味いと言ったら妙に嬉しそうだったのはなんだろうな」

「あらあら、あなたも隅に置けませんね。……いえ、というかそれが普段の日常なんです……?」

「特筆することもない日々だろう?」

 

 普通の人間は風見幽香に呼び止められたら死を覚悟するだろうし、仮に生き残ってもそのことを一生忘れはしないだろう。

 それを楓は大したことのない日常の一部として語っているのだ。ちょっと彼の人生の波乱万丈ぶりを甘く見ていたかもしれない。幽々子が文通しているだけで楽しいと言うはずだ。

 

「……妖怪に一切絡まれなかった日とかないのかしら?」

「風見幽香はさすがに珍しい部類だが、薬売りに来た鈴仙や遊びに来た橙と話すことは結構よくあるぞ。橙は最近、俺の紹介した妖怪たちを子分にできて嬉しいようだ」

「ああ、藍に嬉しそうに話していたのを聞いておりましたわ。なに、それも楓が紹介したの?」

「そんなところだ。ああ、仔細は悪いが言えない。あまり目立つことを好まない妖怪でな」

「橙が紹介してくれるのを楽しみにしていますわ」

 

 楓の語る話はどれも面白い。人里内部での人間とのやり取りにしても紫から見れば新鮮に映り、人里へ訪れる妖怪たちの新たな一面を楓から聞くことができる。

 やがて運ばれてくる甘味を口にし、紫は意外な味の良さに目を瞬かせた。

 

「……あら、美味しい」

「味が良い、というのもここを使う一因だ」

「覚えておきますわ」

「……ああ、そうしてくれ」

 

 蛮奇にはなんと言って詫びようか心の片隅で考える楓だったが、紫はそんな楓の心境など露知らぬまま笑みを深める。

 

「……思えば、あなたとの付き合いはあなたの父親が亡くなってからだいぶ絶えておりましたわね」

「俺がそちらの眼鏡に敵わなかっただけだ。今は違う」

「その言葉遣い含め、あなたも心境の変化があった、と?」

「阿求様のお言葉が俺の心に今なお響いている。俺は正真正銘阿求様のものであり、俺が傅くのはあの方だけだ。それに――もうあなたは手の届かない人ではない」

 

 目を封じられたことが何するものか。楓の真価はそこにはない。

 皮肉なことに地霊殿で霊夢たちを相手に繰り広げた死闘が、楓の才覚を一段上の領域に押し上げていた。

 元より大妖怪と戦える力量を身に着けていたが、今の彼は状況次第で八雲紫だろうと殺せる領域に至っている。

 

「あれだけの死線をくぐってやっとか、という気もするがな――やっと、父上の背が見えた気がする」

「……あなたが力を求めるのはやはり父親を超えることが目的?」

「いいや? ただ俺より明確に上だから目指しているだけだ。無論、父上の最も得意とした剣術でも勝ちたいとは思っているが

「では何を目的と?」

「決まっている。――御阿礼の子を完璧にお守りするためだ」

 

 父が亡くなってから幻想郷の勢力は凄まじい勢いで拡大している。

 もはや全ての天秤を人里へ傾けることは不可能なところまで来ているだろう。あるいは楓自身の所業によって相容れない関係になる場合もあるだろう。

 そんな状況下においても楓に、阿礼狂いに求められるのは唯一つ。御阿礼の子を守り抜くことである。

 

「もう父上程度で止まっていられないんだよ。父上の語っていたあらゆる全てを鎧袖一触に薙ぎ払う力量があれば守れるなら、俺はそれを目指すだけだ」

「……あなたならば到れると?」

「それで御阿礼の子が守れるならば」

 

 迷いのない言葉に紫も過去を思い出す。

 本当に父親と良く似ている。纏う空気まで含め、彼ならばもしかしたら、と思わせるところまでそっくりだ。

 どこか懐かしい時代を思い起こさせる少年は匙を片手にうんざりした様子で甘味と格闘していた。

 

「口の中が甘ったるくなってきた。いかん、苦しい」

「……ほら、佃煮だよ疫病神」

 

 そんな彼の前に佃煮が小皿で置かれ、同時に彼の頭を店員が強めに小突く。

 

「痛っ、仮にも客だぞ」

「うるさい、お前なんて疫病神で十分だ。今度という今度は怒ったぞ」

「……その、すまない」

「謝っても遅い。……全く、次はあの子がいる時にしろよ」

「良いのか?」

「業腹だが、実に業腹だが、お前が自分でどうにかしようとする限り大目に見ると言ったのは私だからな」

「助かる。次も妖怪に絡まれたらここに案内しよう」

「無闇に宣伝したら今度こそ出禁だから覚えておけよ」

 

 店員と話している楓を見て、紫は今まで抱いていた印象を放り投げることにした。

 確かに彼は父親譲りの才覚を持ち、それを磨いてあらゆる異変に立ち向かおうとし、場合によっては幻想郷を敵に回すことすら厭わない狂人だ。

 だが、それとは別に店員の妖怪に頭が上がらなかったり、彼女が寛容なことを言えば露骨に顔を輝かせるような少年らしい一面も持っているのだ。

 

「ふ、ふふっ、ふふふふふっ!」

「む、何がおかしい」

「い、いえ、ちょっと自分が馬鹿馬鹿しくなってしまっただけですわ、ふ、ふふふっ」

 

 やはり自分は何も知らなかったのだろう。幽々子の言う通り、彼のことを額面だけの情報で判断しようとしてしまった。

 異変解決時の姿だけで判断するなど、霊夢を品行方正な巫女と判断するようなものである。そう思うと笑いが止まらない。

 

「――ねえ、楓。こうして時々お話することは良いかしら?」

「……? 別に好きな時に来ればいいだろう。こっちがダメだと言えば来ないのか?」

「まさか。スキマ妖怪を縛れるものなどこの世にありませんわ」

「あまりに目に余るようなら映姫に話そう」

「あら、それは勘弁してもらわないと困りますわね」

 

 口元に薄っすらと笑みを浮かべ、紫と楓の雑談は続いていく。

 そして紫は気分良く日傘を揺らして戻っていくのであった。

 

 

 

 

 

 これより先、楓のもとを尋ねる金髪の美しい少女が人里に現れるようになるが――ああ、いつものことかと人里の人が受け入れるのはすぐの話だった。




さとりんの後遺症は時々存在しない記憶が浮かんだり価値観が変わりかけたりする程度です。時間が経てば治りますしまあ軽微ですね(真顔)

地底の妖怪とは主に天子が交流することになりそうです。天界から人界に降り、地底へ赴くなどこいつの人生どうなってんだ……(戦慄)
そして書いてて思いましたが、楓には半身とも呼べるが楓にしか見えない椿と、一緒に協調することこそあれど立場自体は違う霊夢ぐらいしかいなかったな、と。
公人である楓の相棒役はいませんでした。実に上手く滑り込んできました()

ゆかりんは異変解決時の楓をよく見ていましたが、逆に言えば普段の楓はあんまり見ていなかったので今回の形式に。ばんきっきは人里で働いている妖怪なので使いやすくて困る。草の根妖怪ネットワークもそろそろ出すから安心してくれ……強い妖怪と絡ませてやるから……(親切心)



ともあれ地霊殿は大体終わりましたので、またしばらく閑話やら地雷起爆の兆しを挟んだら星蓮船が始まっていきます。星蓮船からは阿求の物語も動き始めます。まだ動いてなかったのが遅い? はいスミマセン(土下座)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。