阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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火曜日から謎の倦怠感とめまいで倒れてました。あらゆる意味で恐ろしいですが、多分治ったのでギリギリセーフとしたいです()


咲夜の休日と永遠亭の健康診断

 とある晴れた日の朝。紅魔館のメイドである十六夜咲夜は早朝から主人であるレミリアに呼び出されていた。

 なので咲夜は普段通りのメイド服に着替えてレミリアの部屋に入室する。

 

「何か御用でしょうか、お嬢様?」

「ああ、咲夜。この時間に呼び出しても来るのね……」

 

 呼び出した張本人であるレミリアは豪奢な椅子に腰掛け、几帳面に現れた咲夜にどこか残念そうなため息をこぼす。

 はて、自分はいつの間にか主の心象を悪くさせるようなことをしただろうか、と首を傾げながら咲夜は真意を問う。

 

「お嬢様? 私に不満がお有りなら私は潔くメイドを辞す覚悟ですが」

 

 無論嘘である。咲夜も楓とは違えど、レミリアに心底からの忠誠を誓った身。たとえ主から拒絶されようと咲夜は己の忠誠を貫くだけだ。

 しかし日頃からその態度を表に出すわけではなく、むしろ主をからかって遊んでいるところのある咲夜の言葉だったため、レミリアは大層狼狽した様子で言い訳を始める。

 

「いや違うのよ!? 咲夜の仕事に不満があるわけじゃないの!! ただ、私がため息をついたのは咲夜がちゃんと休めているのか気になっただけ!」

「休めているか、ですか?」

 

 口元に手を当てて驚いた風に見せる。

 それでとりあえず愛すべきメイドが仕事を辞めるということだけは避けられたと判断し、レミリアが意図を話し始める。

 

「そう。あなたもここで暮らして長いでしょうけど、ここは妖怪やら妖精やら、純粋な人間なんてあなた以外にいないでしょう?」

「仰るとおりです」

「そうなると私たちも感覚が狂うというか、人間の感覚がわからないのよ。ついつい妖怪を相手にする感覚であなたに仕事を割り振っている可能性がある」

「なるほど、そういった意味でしたか。ですがどうして今になって?」

「魔理沙が過労で倒れたって聞いたでしょう? それを聞いた時に思ったのよ」

 

 霊夢や魔理沙のように妖怪であっても無視できない力を持つ人間が生まれることもあるが、そんな彼女らですら数日寝ずに動くだけであっさり物言わぬ骸になりかねないのだ。

 レミリアが人里で積極的に関わる相手が楓であることも悪い方向に働いた。半妖である彼は父親以上の無尽蔵と言っても過言ではない体力で活動している。

 そのため気づくのが遅れてしまった。今、自分に仕えているこの少女もふとした拍子に倒れ、帰らぬ人となる可能性が鎌首をもたげた。

 

「咲夜にはなるべく長生きして欲しいからね。私からも気にしようってなったわけ」

「意図は把握いたしました。ですが、私の身体に特に問題は――」

「ないと言っても聞けないわ。私は妖怪で人間の体はこれっぽっちもわからない。だからちゃんとした証拠が欲しいのよ」

 

 そう言われると咲夜も返す言葉がない。現状で不調がないのは確かだが、身体のどこかに見えない病状が進行している可能性は否定できない。

 

「あとはしっかり休めているか、ね。私もあんまり休日とかを決めてこなかったから、咲夜にはここらでガツンと休んでほしいのよ」

「はあ」

 

 そう言われても困ってしまう。咲夜にとってはレミリアたちのお世話をすることが日常の一部に組み込まれているのだ。

 咲夜にしてみれば今日は風呂に入らないで良いとか、そういった領域の話ですらあった。

 

「お嬢様のお心遣いはありがたく。ですが私はこう見えて仕事一筋の人間。休めと言われても困ってしまいますわ」

「ふぅむ……咲夜の趣味は何かしら?」

「紅茶を淹れることと家事全般ですね。あ、こちら朝の紅茶になります」

 

 話の流れでついでのように咲夜は何もない場所から紅茶の準備を取り出す。

 時間を操る程度の能力で時間を止めて、紅茶の準備を終えてからレミリアの前に現れただけなのだが、レミリアはそれだとばかりに咲夜を指差す。

 

「それよ、それ! 私も当たり前のように受け入れてたけど、あなた自分の能力を便利に使いすぎでしょう!?」

「紅茶、いりませんか?」

「それはもらうわ。で、それが終わったら咲夜は今日、家事をやってはいけません!!」

「むぅ、おゆはんはどうするおつもりです?」

「咲夜の手を借りなくてもなんとかなるわよ。咲夜の作ったご飯の方が美味しいのは当然だけどね」

 

 レミリアは困ったように笑い、咲夜の淹れた紅茶をすすりながら話を締めくくった。

 

「咲夜にはまだまだ頑張って欲しいの。そうね、これは紅魔館の主としての命令。――十六夜咲夜、お前の心身を十全に休ませる方法を見つけてきなさいな」

「――お嬢様の命令とあらば」

 

 ここまで主に言わせてしまったのだ。もはや是非もなし。

 咲夜はうやうやしく頭を下げながらも、これからどうしたものかと内心で困り果ててしまうのであった。

 

 

 

「はぁ、お休みですか」

 

 紅茶の時間が終わった後、本当にレミリアに追い出されてしまった咲夜はとりあえず門番の紅美鈴を尋ねることにした。

 事の次第を聞いた美鈴はお嬢様にも困ったものですね、と咲夜に同意しながら苦笑する。

 

「そうなの。でも急に言われても何も思いつかなくて。美鈴は何かないかしら?」

「残念ながらご期待には添えないかと。私は門番だけやっていられることに満足してますから」

「休みが欲しいとかないの?」

「お嬢様ほどではありませんが、私も妖怪ですから。肉体面の疲労より、精神面の疲労を重視するんですよ」

 

 そう言って美鈴は人指し指を立てて、妖怪と人間の差について講釈を始めた。

 

「妖怪は基本、肉体の疲労なんてあってないようなものです。戦闘じみた動きを長時間続ければ動きが鈍るのはありますが、それは目まぐるしく頭を使い続けることへの負担が大半です」

「その辺り、人間とは完全に違うのね」

「はい。見た目こそ同じでも、私たちとあなたたちは絶対的な差がある。その分、妖怪は精神的な疲労に対して恐ろしく脆い。死にたいって思ったことはあります?」

 

 咲夜は首を横に振る。幻想郷に来るまでの人生はそれなりに過酷なものであったが、あいにくと咲夜はその辺りの生命力に満ち溢れていたのだろう。殺されても死んでたまるかという意志があった。

 美鈴は咲夜の回答に嬉しそうに目を細めながら、妖怪についての話を続けていく。

 

「妖怪はそれを極力考えないようにしています。なぜって――それを考えると死にかねないからです」

「死にたいって思っただけで……?」

「本心から思った場合、それが真になりかねない。より正確に言うなら自分なんて消えてしまえば良い、って思った時ですね。妖怪によってはそういった負の感情こそを力にするものもいるので、あまり一概にも言えませんが」

「美鈴、私の予想以上に妖怪に詳しいのね……」

「予想以上ってどういう意味です!?」

 

 これでも長生きしてる妖怪なんですよ、と言って美鈴は苦笑する。

 

「とにかく、妖怪は精神の充足を何より重視します。充足、というのが重要で刺激そのものと等価ではありません」

「満ち足りていれば良い……。ああ、だから美鈴は門番で満足しているの」

「そういうことです。私は今の状態が好きなので」

 

 日がな一日門番をして、時折やってくる妖精たちの遊び相手をして、図書館から懲りもせず本を奪っていく魔法使いと弾幕ごっこをして、うららかな日差しにうたた寝などして、咲夜に叱られる。この流れが美鈴にとって幸福を感じられる日々の生活だった。

 

「っとと、話がそれちゃいました。私は今に文句がないので、休み方を聞かれても困ってしまうというわけです」

「そのようね。どうしたものかしら」

「日向ぼっこしながらお昼寝とかどうです? 気持ちいいですよ?」

「まだ朝なのに? それに寝る時間がズレると生活習慣もズレるから困るわ」

 

 昼寝を楽しむつもりはなさそうである。美鈴はこの瀟洒なメイドにどうやって休み方を教えたものかと悩ませ、一つ浮かんだ人物のことを話す。

 

「あ、そうだ。とりあえず困った時は――」

 

 

 

 

 

「困ったら、楓に聞けば何かしら出てくる。良かったわね? あなた、美鈴からも信頼されてるわよ」

「人間の休み方を半妖の俺に聞くか普通……?」

 

 朝からいきなり咲夜が訪ねてきて、休日の過ごし方と人間の体調の整え方を教えて欲しいと言われた半妖の心境や如何に。

 楓は突拍子もないことを言い始めた咲夜にどう答えたものかと頭痛をこらえながら頭を回し、なんとか言葉を絞り出す。

 

「……事情は概ね把握した。だが、人選を誤っているとは思わないのか? 俺も半分とはいえ妖怪の血が混ざっている。肉体の強度は人間と比較にならない」

「それはわかっているわ。でも、私の知り合いで人間のことを一番理解していそうなのはあなたしかいなかったのよ」

「魔理沙や霊夢は」

「霊夢はあなたが面倒を見ているも同然だし、魔理沙も最近は体調管理までアリスに頼りっきりよ。アリスの面倒見の良さも筋金入りとしか言いようがないわ」

「当人らがそれで良いならこっちから口は出せないが……」

 

 一応魔理沙の父親に報告しておく必要はありそうだ。魔理沙の夢は応援しているが、それはそれとして家事炊事も一通りできて困ることはないと思っているはず。

 ともあれ楓の知っている人間が何の役にも立たない事実は把握できた。しかしと楓は腕を組んで難しい顔になる。

 

「阿求様は俺が側仕えをしているから言うまでもないとして、他の人間の休み方を聞くのもなあ……」

 

 自警団に顔を出せばいくらか話は聞けそうだが、それを咲夜が律儀に実践するとも思えない。彼女が求めているのは誰が見ても休んだと言えるものだ。そんなものが実在するかは楓にも皆目検討がつかないが。

 

「そうなの。でもだからといって、ただ何もせずボーッとしているのも味気ないでしょう?」

「言いたいことはわかる。咲夜がそこまで考える休み方というのに俺も興味が出てきたから、何か考えてみよう」

「半妖のあなたが?」

「阿求様の休み方に何らかの提案ができるかもしれんからな」

 

 人里で暮らしているが、楓は半人半妖である。純粋な人間ではなく、病に倒れることもなければ一月の絶食を行っても平気な顔をしていられる存在だ。

 阿求の体調のみならず、知り合いの人間の状態には細心の注意を払っているが、それでも人間と半妖で認識の差が出ないとも限らない。

 そのため咲夜の申し出はある意味、楓にとって渡りに船と言えるものだった。

 

「ちなみに俺の父上は当てにならんぞ。あの人も俺とそう変わらん生活を送って、特に疲れた様子もなかった」

「私もあの人の教えを受けたことはあるけど、つくづく人間なのか疑うお人ね……」

 

 従者としての年季が違うのだ。咲夜は楓の父親より従者の心構えや家事のやり方などを教えてもらっていた時期がある。

 去る人は追わないが、来る人も拒まない楓の父はやってきた咲夜のことも無碍にせず、面倒を見ていた姿を楓も覚えていた。

 

「話がそれたな。ここで話していても答えは出ないので人里の方に出よう。そうすれば何かあるやもしれん」

「わかったわ。今日一日よろしくね」

「一日付き合えるかは保証しないが、なれる限りは力になろう」

 

 そう言って咲夜と楓の休日模索は始まっていくのであった。

 

 

 

 

 

「休み方ぁ? なんで私に聞くのよ」

「医者の卵だろ。人間が病気にならないための予防法とかも知っているんじゃないかと思って」

 

 人里に繰り出した楓たちは折よく置き薬の配達に来た鈴仙を捕まえ、話を聞いていた。

 鈴仙はいきなり突拍子もない質問をしてきた楓に呆れながら、背中に下げていた薬の一部を手渡していく。

 

「はいこれ」

「これは?」

「置き薬の配達を手伝ってくれたら考えてあげる。楓はどこに何を置いているか把握してるでしょ?」

「えぇ……」

「人の仕事の時間に聞こうってんだから、少しは手伝う姿勢を見せてもバチは当たらないわ」

「俺のところに来る連中がそんな殊勝な態度取った姿見たことない」

「……これは私のおごりで良いわ」

 

 同情に満ちた視線で栄養剤を手渡された。

 

「面の皮が厚い輩もいたものですね」

「あんたも含まれてると思うけど!?」

「まあ俺は気にしていない。こっちも誰かを頼る時は大体相手の事情を無視している」

「楓も同類でしたわ」

 

 茶々を入れてくる咲夜を無視して、楓は鈴仙の背負っている薬を勝手にガチャガチャと半分ほど持っていく。

 

「こっちは俺が持っていくから、終わったらここに集合で。無断で帰ったら永琳に告げる」

「恐ろしいこと言わないでよ!?」

 

 悲鳴を上げる鈴仙を背に楓と咲夜はさっさと歩き始めてしまう。

 指定された家に手早く薬を置いていく楓を見て、咲夜は先ほどから考えていた疑問をぶつけることにした。

 

「ところで、なんであの子なの?」

「説明した通りだ。鈴仙はあれで医術の知識は俺より深いし、永琳まで話を持っていければ人間の健康を維持する方法も聞けるかもしれない」

「ふむ」

「咲夜も知りたいのは曖昧な方法ではなく、わかりやすい結果の出るものだろう? だったら明確な方法を知っている奴に聞いた方が早い」

「なるほど。意外と考えてくれたのね」

「とりあえず人里に出れば誰かしら会えるからな。出たとこ勝負なのも否定はしない」

 

 そもそも人里に出れば誰かに会えるという確信がおかしいのではないか。咲夜は楓の人間関係に仄かな疑問を抱いたが、あえて口には出さなかった。楓はこの方が面白い、もとい楽しい人生だろうと思って。

 薬の配達を終えた後、鈴仙と合流した楓たちは鈴仙の案内で永遠亭への道を歩いていた。

 

「休み方なんて人それぞれだから知らないとして、人間の健康状態については調べる方法があるわ」

「ふむ?」

「ちゃんとした機材を使って調べるのよ。楓に馴染みはない?」

「問診、触診といった程度ならあるが、それとは違う物言いに聞こえる」

「だいたい合ってる。それなら人間の状態を数値化できるのよ。紅魔館の吸血鬼も目に見えてわかるものが欲しいんでしょう?」

 

 なるほどと楓も納得する。数値として見えると、他者への説明も容易になる。

 楓も咲夜に頼まれれば医術を学ぶ者として診察することは構わないが、それでレミリアを納得させられるかは怪しいところがある。

 

「それで調べれば良いわけ。こっちももっぱら往診ばかりだったし、機材が使えるのはありがたい話よ」

「大体わかりました。それなら確かにお嬢様もご理解いただけるかと」

「内容次第では人里の人間を受けさせても良いな……」

 

 思わぬところから良い話が出るものである。あわよくば御阿礼の子にも良い程度にしか考えていなかったが、人の身体を詳細に調べる方法があるのなら、それで人里の人間を調べれば医療水準の向上に役立つかもしれない。

 

「まあ師匠の判断次第だけどね。あんたもあの手この手で話を持ってくるわねえ」

「いや今回はとりあえず見つけた知り合いに声をかけただけだが……」

「どんだけ知り合い多いのよあんた」

「私やあなたとは比べ物にならないほど、ということでしょうね。人里に行けば誰か会えると言うくらいですし」

「会えないのか?」

 

 二人から何言ってんだこいつという目で見られていると気づき、楓はこれ以上の言葉をつぐむことにした。

 楓が黙ると鈴仙は気楽な様子で咲夜の方を向いた。

 

「で、休み方だっけ。そっちは休みとかないの?」

「この日は何もしなくて良い、という意味だとそうですね。仕事の少ない日というものはありますが」

「ちなみに俺もないぞ。仕事の少ない日もない」

「あんたは別」

 

 にべもなくぶった切られてしまい、楓はどことなくしょんぼりした空気を漂わせながら口を閉ざす。

 

「休まる日……身体の休みは単純に寝たりすれば良いとして、心の休みについては気が楽になる時間を作りなさい」

「気が楽になる時間……」

「いくらあんたが好きでも、主人の前で粗相はできないわけでしょう。そういうのは気づかないうちに負担になっているの」

 

 こんな感じに、と言って鈴仙は道端の竹の葉を一枚広い、両手の指で伸ばす。

 

「これが精神。引っ張っている間は気を張っていて、緩めれば休めている」

「……常に引っ張り続けるとある時急に切れてしまう?」

「そういうこと。妖怪もそうだけど、ずっと気を張っていられる存在はいないわ。ちなみにこれ、妖怪が死ぬ場合の大体のパターン」

「美鈴からも聞いたわね。妖怪は人間以上に精神が脆いって」

「知ってるんなら話が早いわ。これ、人間は死にはしないけど面倒な状態に陥るの。肉体の損傷と違って治癒の証明もしづらいから」

「……私もそうなると?」

「自分は大丈夫って思ってる人ほど危なかったりするわよ」

 

 鈴仙にそう言われてしまい、咲夜も黙るしかなかった。そしていつかの永夜異変で関わった時と違い、鈴仙の医療への知識に内心で驚いていた。

 異変の時は大体、自分以外の他者は敵みたいな認識で見敵必殺だが、異変が関わらなければこうした一面も見られるのだろう。むしろ楓はこういった部分の方が詳しいのかもしれない。

 

 などと話していると永遠亭に到着したため、咲夜たちは鈴仙の案内のもと永琳のところに顔を出す。

 そして楓が鈴仙と話したことを全て話したところ、永琳も興味を示す。

 

「事情は把握しました。まず鈴仙」

「はい」

「人里の住民が知り得ないものを軽々に話すのは感心しないわ。今回は二人だけなので良いけど、これからはみだりに話すことを控えるように」

「す、すみませんでした!」

「楓も、悪いけどこれを広めることは許可できないわ。鈴仙の言っている機材は確かに存在するけど、私もそればかりにかまけることはできない」

 

 二の句を告げさせない言葉に、楓もこれは粘ったところで無理だと察してしまう。どうやら永琳にとって多くの人間を見るのは許容の範囲外らしい。

 

「……そちらが拒絶する以上、俺から何かは言えないな。ただ、俺の主は別として欲しい」

「医師が患者の区別をすることも望ましくないのよ?」

「俺に恩を売れる。それは取引の材料にならないか」

「あなたはいざとなればその恩を踏みにじるでしょう」

「――確かにその時が来たら迷わない。だがその時が来ない限り、俺はそちらの……あなたの教えを受け続けたい」

 

 楓がそう言い切ると、永琳は困ったものを見るように眼鏡越しの目を細め、次いでため息をつく。

 

「我が強い弟子というのは大変ね。……あなたの身体もついでに研究させなさい。この条件を飲むなら力になるわ」

「命や五体に危険のないものであれば」

「交渉成立としましょう。鈴仙、紅魔館のメイドに丁重なもてなしと検査を」

「わかりました。じゃあこっちへ」

 

 鈴仙に促されて退室する直前、咲夜は楓を振り向いて感謝を告げる。

 

「楓、ありがとう。あなたに声をかけて正解だったようね」

「こっちにも得のある話だ。こちらこそ声をかけてくれて感謝する」

 

 声をかけ、悩みを相談しただけで一緒に悩み、解決策を提示してくれた上、こちらに感謝までしてくる楓がどこかおかしかった。そこは少しなりとも威張って良いところである。

 咲夜は笑いを噛み殺しながら部屋を出ていき、部屋には永琳と楓が残された。

 

「彼女の診断はきちんと行わせてもらうわ。それであなたについてだけど……半人半妖は極めて希少なケースであることは知っていて?」

「理解はしている。人より頑丈な肉体を持ち、妖怪よりも肉体に依っている精神を持っているのが俺だ」

 

 肉体の多少の損傷は再生し、精神もどれほど傷つこうと即、命に影響するものではない。

 ……もう少し付け加えるなら阿礼狂いでもあるため、精神の傷つく状況自体が数えるほどしかないのも挙げられる。

 御阿礼の子を守りきれず喪うか、御阿礼の子に拒絶されるか、御阿礼の子を見送るか。そのいずれか以外、彼の精神が揺らぐことはない。

 なので楓は単なる半人半妖とも言い難いところがあると告げると、永琳は頭を抱える。

 

「……見方を変えれば、あなたは妖怪の弱点を克服している、と」

「鬼ほど頑丈な肉体はないが、まあそうなる」

 

 五体を切り刻まれ、首が落ちればさすがに死ぬ。そうでもしない限り死なないとも言えるが。

 

「……まあ良いわ。希少な検体であることは変わりないもの。ひょっとしたら半人半妖にしかかからない病なんてのもあるかもしれない」

「恐ろしいことを言うな……」

「医学、薬学の発展に他者の献身は不可欠よ。特に実験体……もとい、被検体を用意しにくい事例は、ね」

 

 そう語る永琳の顔は今までにないほど輝いたものであり、楓という特異な存在を調べられる喜びに満ち満ちていた。楓は正体不明の寒気を覚えていた。

 

「あなたとはこれからも良い関係を築きたい。姫様も言っていたけど、これは永遠亭の総意よ。……私たちの問題にも、いつかあなたが足を踏み入れるでしょうし」

 

 永琳は楓の服の袖をまくり、腕の付け根を縛ると素早くアルコールで消毒していく。

 何をされるのかわからない楓は首を傾げながらも憮然とした顔になって反論する。

 

「なぜそんなことを断言する」

「これでも人を見て長いの。あなたは私が見てきたどの弟子とも違うわ。鈴仙含め、間違いなく優秀なのは認めるけれど」

「……それがどう話につながるんだ?」

「才能でも、特性でもない。ただ、事態を動かせる何か。めぐり合わせでも、運命でも、あるいはただ単に悪運でも良い。ええ、これには確信を持っているわ」

 

 

 

 ――私たちに変化が生まれるとしたら、それはあなた。

 

 

 

「…………」

「そのいつかを……そうね、柄にもなく期待しているのかもしれない。これじゃ姫様を怒れないわね」

 

 永琳の声音はどこまでも静かで、事実を噛みしめるが如きものだった。

 今に至るまで、隠れ続けた時間を憂いていたのは輝夜だけでなく永琳もだったのかもしれない。

 そして永遠亭の面子と関わりを持つようになり、技術を学び始めた楓には期待がかかっているのだ。一人の少年に背負わせるにはあまりに重い、永遠の澱を打ち払うことを。

 

「もっと強くなりなさい。力も知恵も今以上に磨き上げて――私の予想を超えて頂戴」

「……尽力しよう」

「それが聞けて嬉しいわ。はい、それじゃチクッとするわよ」

「――っ!?」

 

 ある種の決意を込めてうなずいた瞬間、楓は自分の腕に針が突き刺さる痛みに心底から驚愕するのであった。

 

 

 

 

 

「それで健康診断とやらを受けてきたと、ふむふむ」

 

 後日、レミリアは咲夜から受け取った診断結果とやらの紙をまじまじと見つめていた。

 細かい数値の意味はよくわからないが、永遠亭の医師が見て問題ないと言っているのだ。

 これを疑える見識があるでもなし、むしろ咲夜と関わりの薄い場所からよくこんな協力を取り付けたとほくほく顔である。

 

「その後は楓の案内で博麗神社の温泉に入ってきたりして、休みというものを私なりに満喫しました」

 

 なおその時の楓はどこかげっそりしており、精神的に疲弊している様子がありありと伺えた。何か恐ろしい体験でもしたのだろうかと思ったが、楓は頑なに口を割らなかった。

 

「温泉、というのもいつかは行ってみたいわね。今度案内してちょうだいな」

「お嬢様の命令とあらば」

「あと、これからは定期的に休みを取ること」

「かしこまりました。ああ、ただ一つだけお願いしたく」

「何かしら?」

「――お嬢様のお茶を淹れることだけはどんな時でもやらせて欲しくあります」

 

 咲夜は瞬きの間に紅茶のセットを整え、レミリアのカップに優雅な手付きでお茶を注いでいく。

 それを受け取り、常と変わらない芳しい香りを吸いながら咲夜は問いかける。

 

「それはどうして?」

「もちろん――私の心が休まる瞬間はお嬢様に笑っていただくことですから」

 

 柔らかく、優しい咲夜の微笑みを見て、レミリアは休みを与えた自分の判断が間違っていなかったことを確信しながら紅茶に口を運ぶのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「――あと時々イタズラするのも私の楽しみですから」

「また変な毒を入れたわねあなた!?」

「ああ、その顔が見たかった……!」

「やだ一秒前の確信が揺らぎそう」

 

 ……きっとこれも愛情の形なのだろう。レミリアはそう願いながら、毒入りの紅茶に深々とため息を落とすのであった。




咲夜と永遠亭のお話でした。
原作での絡みが比較的少ない箇所は好き放題げふんげふん好きに解釈して書いています。ちなみに注射は原型が1850年代発祥らしく、そんな頃の技術が幻想郷にあるはずもないので楓にとって初めての体験になります。

鈴仙は基本的に優秀なお医者さんですが、彼女は彼女で地雷が埋まっています。まあこの辺りは永遠亭関連の地雷が一斉に爆発した時に見られる予定です(真顔)

永琳は楓に少なくない期待を寄せています。何かしらの爆発が起こるとしたら必ず楓が関わり、楓も行動するだろうという意味で。
ちなみに永遠亭は本作のメインストーリーに関わる勢力ですので、絶対に地雷解除が発生します。大変ですね(他人事)



次回でもう一度だけワイワイとキャラを出したら、それ以降から星蓮船が始まる予定です。御阿礼の子の物語も動き始めます。

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