阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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神に至る道標

 東風谷早苗はずっと疎外感を抱えて生きてきた少女だ。

 

 生まれこそ外の世界だが、生まれた当初から類まれな才がなければ認識すらできなかった八坂神奈子、洩矢諏訪子の両名を姿かたち、声も認識できたのだ。

 神代ならともかく、幻想の消えつつある現代において彼女らの姿を正確に認識できるものは皆無だった。

 生涯を霊感の練磨に捧げればあるいは、声ぐらいは聞こえるかもしれないといった領域である。そう言えば彼女の才覚がどれほど図抜けているのかわかるだろう。

 

 だが、皮肉なことに彼女が生まれた時代はその類まれな才がもてはやされる環境ではなかった。

 見えぬものが見え、聞こえぬものが聞こえる。神々を認識しうる以上、それ以下の存在の認識も容易いものだ。

 早苗は幼い頃、生者と死者の見分けがつかなかったことすらあったのだ。それほどに彼女にとって幻想とは身近なものだった。

 

 両親は自分を遠ざけ、早苗は半ば放り出される形で守矢神社へ迎えられていた。

 そこで実の両親以上に大切な存在に出会い、健やかに成長し、幻想入りを果たしたのだから両親への恨みはない。ただ、彼らの子として愛される振る舞いをできなかったことには僅かな未練が残っている。

 力を持って生まれた以上、避けられない事態ではあったがもう少し上手くやれたのではないか。そんな気持ちが早苗に渦巻いていた。

 

 気の置けない友人もそれなりにいた。彼女らと流行りのものについて姦しく話し、普通の学生として過ごしているうちに自分が一般人になったような錯覚もした。

 しかし、自分と彼女たちでは住む世界が違うのだ、という疎外感が消えることはなかった。

 

 幻想入りした今にして思えば、あれは祭神二柱が早苗をどうにか外の世界に適応させようとした策だったのではないかと思える。

 幻想とかけ離れた場所に身を置き、自分の居場所がそこであると定義することで早苗の身に宿した膨大な力が霧散することを願ったのかもしれない。もっとも、結果は変わらなかったが。

 外の世界を全て捨て去ることになると神奈子に告げられても、早苗の心に未練はなかった。思うところはあったし、寂しくも思ったが、仕方がないとも思ってしまったのだ。

 

 そうしてやってきた幻想郷で、早苗はようやく呼吸の仕方を思い出したと言っても過言ではなかった。

 自分の力を偽る必要のない場所。外の世界と比べて原始的で、個人の力の多寡が生きやすさに直結する世界。

 この場所で多くの、本当の意味で対等な友人も獲得した。

 同じ巫女であり、早苗以上に巫女としての技術に長けた少女や、魔法使いを目指す蓮っ葉な少女。瀟洒で落ち着いた、それでいて茶目っ気のあるメイドの少女。半人半霊のやや猪突猛進なれど、真っ直ぐな少女。

 

 友人の輪の中には人里で暮らす半人半妖であり、早苗とほぼ同い年ながら人里の守護者という大役を担い、重責に潰れることなく立ち、どんな時でも頼れば必ず力になってくれる少年。

 

 誰もが早苗にとって大きな存在だ。遠慮や妥協などどこにもない、彼らという存在を世界に焼き付けるが如く輝きを放つ姿は眩しくすら映った。

 彼ら彼女らと一緒に走るのはどこまでも楽しくて――そこに、今の姿があるなど想像すらしていなかった。

 

「はぁ……」

 

 早苗はとぼとぼと妖怪の山の川辺にやってきていた。

 天子と楓が早苗を置いて法界へ消えてしまい、残されたものたちとやってきた霊夢との弾幕ごっこが再開してすぐ、早苗はその場を離脱している。

 本来なら残って、たとえ負けようと霊夢たちと戦うべきだったのだろう。

 だが、楓と天子の姿が脳裏に焼き付いて離れない早苗はそれどころではなく、とても弾幕ごっこに興じられる気持ちではなかった。

 

 裏切られた、というよりなぜ、という困惑の気持ちが大きい。何の脈絡もなく距離を取られたかと思えば、いきなり天人が現れて一緒に異変に引きずられ、そして自分は蚊帳の外。

 ……いや、よくよく考えてみれば怒って良いかもしれないと思いながら、早苗は川辺近くの石に腰掛ける。

 

 戻っても二柱に合わせる顔がない。勝った負けたという報告ができるならまだしも、戦うことすらせずに逃げてしまったのだ。もう少しほとぼりが冷めるまで帰りたくない。

 

「上手く行かないなあ……」

 

 誰かの思惑に振り回されてばかりだ。祭神の思惑、天狗の思惑、霊夢の思惑、楓の思惑。

 皆が皆、それぞれにとっての最善を考えて迷うことなく動いている。その過程で誰かとぶつかることになっても叩き潰して進む気概があるのだ。

 争いと無縁な世界に生まれた早苗には未だ持ち得ぬもの。

 

「はぁ……」

「厄いわねぇ」

「きゃぁっ!?」

 

 際限なく落ち込み、ため息がこぼれていたところで横合いから急に少女の声が聞こえたため、思わずのけぞってしまう。

 視線を動かすとそこには彼岸花を連想させるドレスに身を包み、フリルのついたリボンを頭に巻いた少女――厄神の鍵山雛が深窓の令嬢の如く佇んでいた。

 

「あら、気づいてなかったの? 声はかけなかったけど、気配は消してなかったのに」

「普通の人は気配なんて読めないのでは……?」

「あなた、普通の人だったかしら?」

 

 くすくすとおかしげに笑われてしまい、早苗は羞恥に襲われて顔を赤くする。言われてみれば自分は現人神で只人とは違うのだった。

 それに霊夢や楓は確かにそういった気配を敏感に読み切って感づくだろうとも思ってしまった。

 

「それでどうかしたの? あなた、誰が見てもわかりやすく落ち込んで厄をまとっているけど」

「……少し、色々ありまして」

「ふぅん。ねえ、少しこっちに来なさいな」

 

 雛は早苗の言葉にはあまり関心を示さず、ちょいちょいと手招きをして早苗を呼んでいる。

 なにかあるのかと思って疑わずに雛の方へ近寄ると、雛は細くて小さな手を目一杯伸ばして早苗の頭を撫でた。

 

「へ?」

「いい子、いい子……少しだけ厄を受け取ってあげる」

「あ、あの……?」

「私は厄神。人の子が背負いきれない厄を受け取ることが役目の神。あなた、少し溜め込み過ぎよ?」

 

 厄を受け取るという言葉に偽りはなく、撫でられている箇所から黒ずんだ何かが浮かび上がり、雛の身体に吸い込まれていく。

 ほんの僅かな量だったのかもしれないが、それだけで早苗の心はいくらか晴れるのを感じ取る。同時に雛の浮かべる包容力のある暖かな笑みが、知らず張り詰めていた早苗の緊張を解す。

 

「ああ、泣かないで。私にこれ以上触れると厄が移ってしまうの。抱きしめてあげたいのは山々だけど、それは誰も幸せにならないわ」

「う、うぅぅ……っ」

 

 涙が浮かんでしまったことが恥ずかしく、しかし雛の浮かべた寂しげな笑みを困らせることもできず早苗は乱暴に服の袖で涙を拭った。

 

「す、すみませんでしたっ。お手を煩わせてしまったみたいで」

「私の役目でもあるから気にしないで。それで何かあったの? 距離を取ったままで良ければ話を聞くけど」

 

 そう言って雛は早苗からやや大きく距離を取るものの、早苗の前から立ち去る様子はない。話は聞いてくれるらしい。

 雛の笑みに背中を押されるように早苗は誰に話すこともできなかった己の裡も含め、これまで置かれていた状況を訥々と話し始める。

 

「――それで、逃げ出してしまって。あはは、私ったら何をしているんでしょうね……」

「……それはその子たちが悪いわね。誰も彼もあなたのことなんてこれっぽっちも考えていなかった」

 

 あまり要領が良いとは言えない早苗の説明を雛は相槌を打って根気よく聞き続け、最後まで話した早苗への言葉がそれだった。

 しかし、彼らが悪いと一方的に断じるような物言いに早苗は反感を覚え、言葉を続けていく。

 

「仕方がないんです。私も状況に流されてばかりなところがありました。ここではもっと常識にとらわれず、自分の意志を前に出していかないと」

「ああ、それがわかっているなら良いのよ」

「え?」

「彼らが悪いと思ったのは本当。でも、そこであなたは怒るべきだったのよ。ふざけんなって怒って、弾幕ぶつけて、それで水に流すべきだったの」

 

 幻想郷において遺恨は残さないものだ。腹に据えかねるものがあっても弾幕ごっこ、ないし宴会で全て流してしまい、引きずらない。

 しかし早苗は腹に溜め込んでしまっていた。それが無意識のうちに積もっていき、今回の形になったのだろう。

 

「そっちの身の上はわからないけどね。もう少し自分に正直になっても良いんじゃないかしら?」

「でも、それで誰かに迷惑が――」

「そんなことを気にしてる輩、あなたが知っている中にいる?」

「……そう言えばいませんね」

 

 誰も彼も、それこそ自分を幻想郷に連れてきた祭神二柱だって好き放題に生きている。

 よく他者への影響などを口にする楓だって自分の力を行使することへのためらいはない。物事を合理的に考えられるから時に自分を曲げることもできるが、そうでなければ自分の都合を押し通すため霊夢が相手でも迷わず倒しに行くだろう。

 

「でしょう?」

「……なんだか色々考えないといけない気がします。私の在り方も、考え方も、何もかも変えるべきなんでしょうね」

 

 早苗はだいぶ落ち着いていた。雛と話せたことが大きかったのだろう。後は一日でも時間を置いて結論を出せれば、また彼女は皆と正面から向き合える結論を出せていたはず。

 だが、それは言い換えれば落ち着いて考える時間が彼女には必要で――今この瞬間、拙速は尊ばれなかった。

 

「――ここにいたか、早苗」

 

 そしてこの場に現れた白髪の少年は拙速を尊んだ。

 白髪の少年――楓は表情を凍らせた早苗に、目を瞑っているが故に気づかず声をかけていく。

 

「ぁ……」

「先の異変の対応含め、話したいことがあるんだ。時間を作ってもらえないか?」

「……ちょっと、待ちなさい。今のあなた、以前とは比べ物にならないくらい濃い厄をまとって――」

 

 雛の制止よりも早く、楓は一歩を踏み出していた。

 けれど言葉選びにも問題があったのだろう。早苗の顔が面白いぐらい蒼白に変わり、一歩後ずさる。

 

「嫌、嫌、嫌ぁっ! 来ないでくださいっ!!」

「おい、何を言って――」

「ダメッ! 今は離れなさい!!」

 

 これまでの穏やかな声とはかけ離れている、鋭く切羽詰まった声に楓は半ば反射的に距離を取り――幸運にもこれから起こることの射程外に逃れることに成功した。

 

 髪を振り乱し、楓の口から放たれる言葉が聞きたくないと耳を塞ぎ――感情の爆発が切っ掛けとなってしまう。

 直後、彼女を中心とした局所的な嵐が吹き荒れ、楓たちは身を守ることもできず吹き飛ばされるのであった。

 

 

 

 

 

「――ッ!?」

 

 訳もわからず吹き飛ばされた楓はすぐさま身を翻し、緊急事態だと誰にでもなく言い訳しながら目を開く。

 同時、楓と同じく吹き飛ばされていた雛を片腕で拾い止める。体勢を整えることもせず、ただくるくると吹き飛ばされていたところへ腕を伸ばしただけなので、思いきり背中を強打して身体が曲がっていたが、妖怪なので些細なことだろう。

 

「ぐぇっ!?」

「優しく助ける余裕がない許せ! で、あれはなんだ!」

 

 なんとか木が吹き飛ばされないで済む距離だが、それでも何かにしがみついていないと身体が浮きそうな暴風の中にある。

 楓は手近な木につかまり、自らも風を操って数人が入れる空間を確保した上で視線の先にある暴風の主――早苗の様子を見通す。

 

 早苗を中心とした球体状に嵐が渦巻き、風によって巻き上げられた土や水、木々が荒れ狂いおよそ人の入れる空間ではない。

 しかし楓の千里眼はその中心にいる早苗の姿を捉えていた。

 手足を丸め、何もかもを拒絶するように浮かび上がった彼女の姿はおよそ人間の空気が感じられず、また目に見えない何かが彼女に吸い込まれていることを読み取る。

 それらの情報を全て雛に伝えていく。楓には目の前の現象も早苗に何が起こっているのかも何もかもわからないので、知っていそうな輩に頼むしかなかった。

 

「これはどういう現象だ!?」

「わからないわよ!! ただどう見ても良い傾向じゃない! というかあなたあの子に何やるつもりだったの!!」

 

 雛は楓の身体にしがみつきながら大声で叫び返す。風の音が凄まじく、普通の声ではかき消されてしまうのだ。

 

「説明もなしに振り回しすぎたと思ったからその辺りを謝ろうとした! 不味かったのか!?」

「不味くはないけどタイミングが最悪!! 大体あなた最初に会った頃より遥かにひどい厄まとってるじゃない!! 何やったの!!」

「なんで俺が悪いことをしているみたいな前提で話すんだ!」

「あなたが悪いとは言わないけどとことんまでに間が悪いでしょう! 私、そういう厄を受け取るからわかるんだからね!!」

 

 そう言われると返す言葉がなかった。最近の自分の間の悪さについては自覚もある。

 しかしそれを責め立てられたところでどうしようもない。楓も自分の対応に悪いところがあったと思っているので、それを挽回したいという気持ちはあった。

 

「後で土下座でも何でもしてやる! どうすれば早苗を助けられる!! 放置して良いやつじゃないだろあれ!!」

「誰の目にも明らかよそんなの!! でも一体どうすれば……!」

 

 楓、雛双方の顔に焦りが浮かぶ。原因に心当たりこそあれど、結局起こっていることの詳細がわからず、放置したら不味いことがわかってもどう対処すれば良いのかわからない。

 楓の脳裏に殺害ともう一つ、魔眼によって阿礼狂いに変えるという二つの選択肢がよぎった時だった。彼らの後ろに複数の気配が降り立ったのは。

 

「早苗っ!!」

「なんでこんな早く……! ああもうっ、あの子の才能甘く見てたのは私たちもか!!」

 

 楓が振り返るとそこには神奈子と諏訪子が焦燥と後悔を露わにして立ち尽くしていた。

 神奈子はまだ呆然とした色が強いものの、諏訪子はすでに諦めてしまったようにその場にへたりこみ、頭をかきむしっている。

 

「神奈子、諏訪子――今は状況の把握が先だ! 後悔も懺悔も後にしろ!! あれは一体なんだ!?」

 

 立ちすくむ二柱に楓が叫ぶと、どちらももしかしたらという希望をにじませて楓の方を見返した。

 そして諏訪子がポツリと早苗の状況を伝える。

 

「――神に成るんだよ」

「……これが、か?」

「神へ至るのに必要なのは本人の資質と神の在り方を決定付ける信仰の二つ!! だというのにあの子は……あの子は自身の負の感情を信仰の代替として神に成ろうとしている!!」

「そんなことができるのか!?」

「普通は無理だし私も初めて見るけど、早苗の状況からはそれしか考えられないんだよ!」

 

 諏訪子の語る普通がわからないため、楓には訳がわからなくともうなずくしかできなかった。

 

「神ってのはまず二種類いる! 一つは人に恵みを与えるもの! そしてもう一つは人に試練を与えるもの!!」

「八百万の神々はどちらも持ち合わせているものではないのか!?」

 

 火が災禍と繁栄の双方を司るように、水にも風にも人にとって良い面と悪い面が存在する。

 よって神もそちらの属性に引っ張られ、人に都合の良い面と悪い面を持ち合わせるのが基本だと思っていた。

 

「それは後付だ! 早苗が今から成ろうとしているものはまず先に災厄が来て、その後で人々の信仰が彼女を神として形作っていく存在だ!!」

「……待て、それだと矛盾している。そもそも今の状態が神に成るためのものじゃないのか?」

「本来なら、と言っただろう? あの子は正規の神になる手順をすっ飛ばしているんだ。このまま手をこまねいて見ている果てに生まれるのは神の一つ手前。信仰という枠を持たず、ただその身に秘めた神威だけを振り撒く――タタリが完成する」

「放置したらどうなる!?」

「幻想郷が滅ぶ。今から彼女が成るのは風と水の災厄を振り撒くだけの機能。人々の信仰で型にはめるにも時間が必要だ。……それまでこの規模の嵐が幻想郷中に吹き荒れるわけだ。妖怪はともかくとして、人間に耐えられるものじゃないだろう?」

 

 本当ならそこから命からがら逃げおおせた人々が他の集落へ落ち延び、その脅威を語り、広めることで信仰というものが生まれ、現象であるタタリはやがて祟り神へと成る。

 そして人格を手に入れた祟り神は信仰を変え、いずれ人々に気まぐれな恵みも授ける神となっていく。

 それが神の生まれる一つの過程なのだ。これまで語っていた内容が全て諏訪子の口から語られたことと、神奈子は理解していない様子だったことから神に至る方法が一つでないとは推測できるが、今はそれを考える場面ではない。

 

 幻想郷は外の世界と隔絶された世界。人間に人里以外の安住の地はなく、そこから散り散りになったとて人の集落など存在しない。

 故に早苗がもしもタタリへと至ってしまったら、楓たちが総力を尽くして殺さなければ人間が滅ぶ。人間が滅べば妖怪も死に、やがて幻想郷から誰もいなくなる。

 

「ここまで追い込んでいたのか……!」

「私たちも悪かった。正規の手段でもないし、早苗に集まっていた信仰もまだ微々たるものだったから、神になるとしても十年、二十年は先の話だと思っていた。あの子は神に至る才能だけで過程をすっ飛ばそうとしているんだから大したものだ」

 

 諏訪子は困ったような、諦めたような、何もかも投げ出してしまったような透明な笑みを浮かべて早苗を取り巻く嵐を指差す。

 

「ご覧よ。あれは多分、早苗が必要な力を集めている証拠だ。この辺りはまだ影響が及んでいないが、あれに近づけば近づくほど、神や妖怪の力は根こそぎ吸い取られてあの子の糧になる」

「……諏訪子」

「神奈子、終わりだよ。ああなったあの子は止められない。そもそも、私たちじゃあの中に入れない。入っても力と信仰を奪われて吸収されておしまいだ」

 

 あるいは、彼女を正しく神として導けなかった末路としては相応しいかもしれない。

 もはや誰にその名を呼ばれることもなくなり、元気な笑みを見せることもなくなるが、それでも早苗とともにいられるなら悪い結末ではないのかもしれない。

 諦めた笑みを浮かべる諏訪子と、普段は飄々として泰然自若な諏訪子がそんな顔をしていることが何よりの事実だと悟ってしまった神奈子の顔にも絶望が広がり――楓の声がそれを遮った。

 

「そういう諦観は全部終わってからにしてくれ。俺はまだ諦めていないぞ」

「私もね! 厄神は人の厄を受け取る神。――私の感覚はまだ、あの子を人間だと捉えている!」

 

 楓と雛の二人は神奈子たちを抱えて早苗から距離を取り、木の陰に隠れることで風を避けながら方法を考えていく。

 

「少年? しかし、あの中に入るのは……」

「神と妖怪には不可能、というだけだろう。――俺や人間なら可能なはずだ」

 

 楓にも影響はあるかもしれないが、純粋な妖怪よりは少ないはず。

 それに諏訪子の語る情報を聞いていくつか案も浮かんだ。楓は指を三本立て、浮かんだ案を話していく。

 

「俺は今、三つの方法を考えている。一つ――俺があの中に入って早苗の首を落とす。率直に言えば殺して終わらせる」

 

 タタリに成るのを防ぐ、という観点で言えばこれも問題ないはず。

 だがそれは神奈子や諏訪子のみならず、雛からも首を横に振られることで否定される。

 

「……ダメだ。できるできないではなく、殺した後が問題だ。今のあの子は文字通り力の塊。行き場を早苗の身体にしているから嵐がこの程度で済んでいる。それを奪ったら……幻想郷を呑み込む大津波で終わるなら御の字だろうね」

「だったらもう一つ。これは俺が俺の都合のみを考えるなら悪くないだけで、俺が選びたいわけでもないが――魔眼を使う」

 

 その言葉を聞いて魔眼の詳細を知る二柱は息を呑む。

 楓が魔眼を使うということはすなわち、彼が身に秘めている視たものを阿礼狂いに変える程度の能力を使用し、早苗を阿礼狂いに堕とすことに他ならない。

 

「今の彼女は人間だが、同時に限りなく神にも近づいている。今なら俺の魔眼で縛ることは不可能じゃない」

 

 阿礼狂いになれば間違いなく精神は安定する。御阿礼の子が関わらない限り決して揺らがず、誰を殺したとて顔色一つ変わらなくなる。

 無論、阿礼狂いになれば早苗は今後、神奈子と諏訪子の味方にはならないだろうし、現人神を阿礼狂いに変えたことでの問題が起こる可能性もあるが、この場をやり過ごすには一つの策になる。

 

 詳細を知らない雛は首を傾げていたが、神奈子と諏訪子はその意味がわかったため、固唾を飲んだが首を横に振ることはなかった。

 

「……最後の手段として数えておくれ。それともしそうなったら――私たちも頼むよ。少年には迷惑をかけ通しだからね」

「うん、罪滅ぼしにもならないけど、そうなったら私たちも受け入れるよ。何もできない神だが、せめてお前さんの力になろう」

「ええい、最後の手段だというのにそれ前提で話を進めるやつだな……!」

 

 楓もそうなってほしいわけじゃないのだ。というか守矢神社を全て阿礼狂いに取り込んだら他の勢力から何を言われるかわかったものじゃないというか、他の勢力にも同じ目を向けるかもしれないとして今度こそ目を封印されるでは済まない可能性だって高い。

 なんかもう自分の結末を受け入れつつある二柱を無視して楓は三つ目の案を話す。

 

「最後の一つ! ――彼女に近づき、呼びかけることで至る神の方向性を変える」

「……どういうことか説明してもらえない?」

「こいつの話を信じるなら早苗は今、自分の感情だけを起点にしている。……だったら、どうにか彼女に声を届けられれば抑え込めるんじゃないか?」

 

 楓の提案に諏訪子たちは顎に手を当てて思案する素振りを見せ、無理ではないと顔を上げた。

 

「……悪い方法じゃない。けどいくつか問題もある」

「近づくのは俺がやるとして、そもそも声が届くか。そして結局、早苗が何を拒絶しているかがわからない、の二点か」

「そういうことだね。どれも当人の口から聞けるのが一番だが……」

 

 諏訪子が言葉を濁したことから、それが難しいこともわかってしまう。

 だがこの場にいる面々でこれ以上の案は出ない。第一、どの案を採用するにしても早苗に接近できる楓が最も危険な役目を背負うのだ。

 悩みはしたが、最終的な決断は彼が下すべきだ。神奈子と諏訪子はそんな決心をして楓を見る。

 

「……少年! どれを選んでも私たちはお前さんを責めない! だからお前さんの好きに――」

「――とまあ、こんな状況だから助けてくれ、霊夢」

「ったく、ちょっと目を離した隙にここまで騒ぎを大きくするなんて、本当に我が愚兄は間の悪いこと」

「へっ?」

 

 楓は諏訪子たちの方を見ず、別の方向を見ていた。

 そちらに視線を向けると、霊夢を始めとして魔理沙、天子といった人間がこの場に集っていたのだ。

 呆けた顔で霊夢たちを迎えた諏訪子たちに楓は外の状況を話す。

 

「これだけの嵐ができているんだ。幻想郷の大体の勢力はこれを注視しているはずだ。霊夢、外の様子は?」

「文が天狗を率いて様子見。紫も来たけど、解決策を練ってこいってさ。本当にダメなら早苗をスキマに放逐するとかやるかもね」

「聖輦船の連中は人里の騒ぎの鎮静に向かわせてるわ。顔見知りでもない連中をここに混ぜたって足並みが乱れるだけでしょ」

 

 霊夢、天子の話を聞いて楓は一つうなずき、先ほど話した案をもう一度説明する。

 二人は何も言わずに話を聞き、終わると同時に霊夢が二つの何も書かれていない札を取り出した。

 

「楓、なにか書くもの」

「血で――」

「神道の御札にそんな穢れ持ち込むんじゃないわよ!?」

 

 死や血を穢れとみなす巫女らしい言葉に楓は肩をすくめ、手近に転がっていた枝を拾い瞬間的な火で炭化させたものを手渡す。

 

「……よし、これを使え。即席の炭だ」

 

 受け取った炭で霊夢は猛烈な動きで札に何かを書き込んでいく。

 教養のある魔理沙や天子が見ても達筆で美しい動きからまたたく間に札は作られ、それを楓に押し付ける。

 

「ありがと。あんたの案をサポートする方法があるから手短に説明するわ。出来た妹分に感謝することね」

「最後の言葉がもう手短じゃない」

「うっさい。――良い? 今渡した札は神降ろしをする際に必要なものよ」

「それを俺が持って何の意味が?」

「神降ろしってのは身に降ろす予定の神と交信して、許可をもらって一部を降ろすの。今の早苗ならこれでつながりを持つことはできる。……でも、どうなるかはわからない。ひょっとしたら荒れ狂う力に呑まれて私が死ぬかもしれない」

「……俺がその交信の間に挟まる、ということか?」

 

 呑まれかねない危険な力から霊夢を守る緩衝材であり、同時に早苗と対話することを可能にする唯一の手段である。

 楓の理解に霊夢はうなずいて話を続ける。

 

「そういうこと。外部から届くかわからない声も、交信に混ざれば確実に届くはず」

「これで声を届けることはどうにかなるわね。あと残った問題は一つ」

 

 天子の言葉に楓は言葉を濁し、ここまで迷わず早苗を助ける方法を考えていた時とは違った姿を見せる。

 なぜなら楓には次の天子の言葉が読めており、残った問題――早苗の心がわからないという問題を解決できる存在を知っていたからだ。

 

「ぶっつけ本番で、失敗したらもろとも死ぬんだから失敗は許されない。わかってるでしょ?」

「……俺が行かないとダメか?」

「ダメ。ここで顔を合わせて話がこじれるより最初に済ませた方が良いわ」

「……俺があいつの行いを許すことはない」

「彼女もあんたの行いを許しはしないでしょうね。――その上で関係を作りなさい。敵より味方を増やすのがあんたのやり方じゃないの?」

「憎んでいてもか」

「憎んでいても。……私はできないことをやれと言うことはないわ」

 

 それ以上を天子は言わなかった。

 楓は何も言わずに顔を俯かせ、ため息を一つ吐くと立ち上がる。

 

「――少し離れる。心を読める存在に思い当たるやつがいる」

「ああ、そういう……。良いわ、行ってきなさい。その間の時間は魔理沙と天子が稼いであげる」

「おっと、自分一人だけ楽しようってのは問屋がおろさないぜ。私はまだ暴れ足りないからな」

「こんな楽しい冒険、独り占めする気はないわよ。どうせなら全員で楽しもうじゃない」

 

 霊夢たちの心強い言葉を受けて楓はうなずき、その場を飛び出す――前に雛に引き止められる。

 

「あ、待って!」

「っ、なんだ、急いで――」

「わかってる! だから、ほんの少しだけ助力してあげる」

 

 雛が楓の頬に触れると、そこから黒ずんだ何かが引き抜かれる。

 それが厄と呼ばれるものであると理解した時、雛はすでに離れて両手を祈りの形にしていた。

 

「――神とは本来、人の背中をほんの少しだけ押すもの。何をやるのかはわからないけど、応援しているわ」

「……行ってくる」

 

 雛の言葉に感謝の首肯を返し、楓は今度こそ動き出す。

 踏み出す足に風を受け、迷うことなく一直線に向かう。

 

 

 

 

 

 向かう先は地底の地霊殿。かつて阿礼狂いへ堕としかけた少女――古明地さとりの助力を求めて楓は走るのであった。




Q.つまりどうするの?
A.レイサナの間に女連れで挟まる(超意訳)

早苗のメンタルは確かに悪かったけど、雛のおかげで時間さえあれば元通りになるところでした。なお即断即決の楓が動いてしまった模様。

元々溜め込むところのあった早苗の感情は爆発。それを切っ掛けに強引に神になろうとしています。この少女、神としての才能は本当に途轍もない。



タタリ化(人である必要はない。ただの災害でも可)→逃げ延びた人が信仰して祟り神へ→更に信仰を集めて諏訪子みたいな神に



大体こんな感じで邪神、祟り神系列は生まれていく設定です。ただし、これが全てではなく神奈子さまは別の方法で穏便に生まれている。本当なら早苗にもそうする予定でした(過去形)

次回は地霊殿でのお話と早苗への特攻予定です。早苗の地雷解除が終わったら今度こそ一日が終わるから頑張れ(他人事)

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