楓が正しく一陣の風となって駆け出していくのを横目に、天子は身体を伸ばして緋想の剣に手を伸ばす。
「んじゃ、こっちはこっちでやりますか」
「あ? なにか打てる手でもあるのか?」
「……あんたも筋金入りね」
戦う準備をし始めた天子に魔理沙は首をかしげるものの、霊夢は天子のやろうとしていることを理解したようでため息をつきながら、自身のお祓い棒を握り直して魔理沙へ説明する。
「今の早苗は神になるための力をそこら中――文字通り大地や空気からも奪い取っている。それが神へ至るのに十分な量が溜まれば、早苗は正真正銘のタタリに成る。多分、こうなったら私が祝詞を読んで鎮めようとしてもどうにもならないわ」
「……なるほど、だったらあいつが溜め込んでいる力を使わせれば時間稼ぎぐらいはできるってことか」
「そういうこと。但し、魔法も霊撃も使ったらダメ。それが分解されて早苗の力になる」
「うへえ」
魔法を主体とした弾幕を操る魔理沙はうんざりした顔になるが、戦意に衰えはない。空を飛ぶことはできるのだ。やりようはある。
「楓もやってる原始的なやり方よ。――近づいてぶん殴る。相手の弾幕は今舞い上がっている風雨と土ね」
「わかりやすくて嫌いじゃないわ。良いわね、あんたたち」
霊夢が水を向けたのは神奈子と諏訪子の二人だった。
両名とも楓、霊夢らが全く諦める様子もなく事態の打開に動き始めたのを見て、その目にいつも通りの油断ならない輝きが戻り始めている。
「ああ、問題ないはずだ。それとこれは私の勘だけど、数時間の猶予はある。早苗は確かにいつ神に成ってもおかしくない力を持っていたが、だからと言って正規の手段をすっ飛ばしているんだ。相応の負荷もかかっている。……というかかかってないと本当に私の立つ瀬がない!」
「現代に生まれた神だとは言ったけど、あの子、神に成る才能は下手すると私たち以上かもしれないとか……生まれる時代を何千年間違えているんだか……」
立ち上がった二人は決意の表情で早苗に向かって手を伸ばす。
「そっちの話に力を貸そう。今集まっているものは信仰に近い。であれば、私たちが横取りすることも可能なはず」
「――ッ! 私も秋姉妹を呼んでくる! この力を集めればいいのね!?」
雛は誰の返事も待たずに妖怪の山へ駆け出していく。その足取りに迷いがないことから、彼女の語る秋姉妹の居場所に心当たりがあるのだろう。
それらを見送り、霊夢は誰に向けるでもなく小さく笑った。
「馴染めてない、って悩んでた顔だったけど……神に愛されているのは間違いないみたいね」
「そりゃそうさ。あの子は新しい神になる子だ。もはや消えゆくばかりだった我らの新たな同胞を歓迎しないはずないだろう?」
「そうみたいね」
話を切り上げると霊夢はお祓い棒を早苗に向け、大きな声で宣言した。
「待ってなさい、早苗。――ここじゃ自分の殻にこもってるやつは首根っこ捕まえて放り出せってルールがあるのよ!!」
「博麗の巫女たちは動き始めたか。しかしまあ、遠目で見ていてもわかるくらいに大きな力の本流だ。神に成るってのがかくも恐ろしいものとは」
「どうしてこう……騒ぎに次ぐ騒ぎばかり起きるの……」
早苗を中心とした球体状の嵐を遠巻きに眺めているのは、妖怪の山の天魔とスキマ妖怪である八雲紫の二人だった。
天魔は腕組みこそしているものの、表情に険しいものはない。あの近辺を住処としている妖怪はいないとわかっているため、丸く収まりさえすれば目くじらを立てるほどのものではないのだ。
当然、丸く収まらなければ守矢神社を焦土に変えるつもりだが、そこは表に出さない。
対し紫の方は頭痛に耐えられないとばかりに頭を抱え、打ちひしがれた顔を晒していた。
「一昔前でもここまで騒がしくはなかったぞ。幻想郷の過渡期、と言うなら間違いなく今なんだろうな」
「この前も過渡期だったじゃない……」
つい数十年前、幻想郷の長い歴史の中でついに人妖共存の蜜月が誕生した。
あの瞬間こそ紫にとっての悲願であり、その時間が少しでも長く続いてほしいと頑張ってきたが……霊夢の時代が本格的に始まってからというもの、異変に次ぐ異変ばかりで心休まる時間がない。
「歴史の流れってのは人も妖怪も気にせず呑み込む。そして今の時代の中心は博麗の巫女とあの守護者が中心だ。あいつらに合わせて幻想郷が動くのも当然といえば当然さ」
「……あまり心配していないようね?」
「そりゃそうだ。稀代の巫女と旦那の後継者が、ああも大勢の力を借りて動いているんだ。あれでダメなら諦めもつく」
どこか懐かしく、それでいて眩しいものを見るように天魔は目を細める。
「あれが次代の形ってやつだろ。勢力の垣根を越えて他者を巻き込んで、一つの物事に当たっていく」
「……そうね。霊夢は立派な巫女に育ってくれたわ」
ぐうたらなところはあるものの、異変時の頼もしさは紫も認めるところ。やる気になればできる子なのだ。やる気になることが少ないだけで。
それでも最近は楓に引きずられる形で動き出すことが多い。それだけ異変が相次いでいるとも言えるので手放しで喜べるかは微妙だが。
ふぅ、とため息一つで紫は意識を幻想郷を愛する一人の妖怪から境界の賢者へ切り替える。
「――彼女たちの選択を尊重し、私もギリギリまで待ちます。但し、どうしようもなくなったら私がスキマへ放逐する。守矢神社の面々が阿礼狂いになるのは避けたい」
「そこは賛成しておく。それができるのと実際にやるのとでは全く違うからな……」
阿礼狂いが戦力を持つことを危惧しているわけではない。当主を楓が務めているのだ。御阿礼の子の命なくして無体を働くとは思っていない。
しかし、魔眼を実際に使うことは問題である。しかも信仰を失ったとはいえ古代から生きる神すらも変えたとなれば、周囲の勢力から袋叩きにされてもおかしくない。
というか天魔はそうする。一勢力を全てを了承もなく一方的に取り込んだとあっては彼を生かす道はいよいよもって選べない。次の天魔だと思っているが、それはそれである。
「……まあ現状でオレらができることなんて遠目から眺めるぐらいなんだけどな! いやあ、妖怪が近づくと問答無用で力を吸われるって反則だろそりゃ」
「妖怪であることが優位に働かない状況なんてそんな想定していませんわよ……。これが百年前とかだと思うとゾッとするわ」
妖怪が動けない事態に対処する存在が博麗の巫女一人しかいない時代だったら、あれこれと手を試すことなく真っ先にスキマへ放逐していただろう。
豊富な人材が揃っている今で良かった、と紫と天魔は揃ってため息をついて、互いに同じ行動を取ってしまったことに不本意だと口を曲げるのであった。
駆ける、駆ける、駆ける――
椿と足を合わせ、追い風を背中に受け、楓は自身に出せる全速力で地底への洞穴を駆け下りていた。
そんな中、椿が楓の動きに合わせながらも口を開いて声をかけてくる。
『それでさあ! 地霊殿に行くのは良いけどどうやって彼女を呼ぶの!?』
「今考えてる!!」
『あの時は考えてなかったの!?』
「正直、もう関わるとは思ってなかった!」
天子が何も言い出さなければ自分だけでやるつもりだったのだ。
だが天子が意味もなく自分の背中を蹴るとは思えない。それぐらいの信頼はある。
「あいつはできると言った。――ならば信じるしかあるまい。できる理由がわからずとも」
『わかってないんだ!?』
「俺もあいつに無茶なことを言った自覚はあるが、あいつの方がよっぽど無茶ぶりをしてくる……!」
阿礼狂いに人の心を解せよと言ってくるのだ。無茶ぶりと言わずなんと言う。
ここであれこれ考えても自分に正解などわかるはずもない。いや、そもそも正解があるのかどうか。
ならば足を早め、とにかく顔を合わせてしまうのが手っ取り早い。
「とにかく飛ばすぞ」
『はいはい、了解! ま、嫌われっぱなしよりは相手を理解しようとした方が良いのかもね』
地底世界へ抜けた後も足を緩めることなくひたすら上空を駆け抜け、やがて見えてきた地霊殿に文字通り転がり込む。
扉を蹴破る勢いで入って驚く妖怪たちを無視して、いつぞやと同じ部屋を目指して走り抜けて扉を開く。
「覚り妖怪はいるか!」
部屋の中には以前に見た景色と同じ場所に座るさとりの姿と、その傍らで秘書のように侍る黒猫みたいな耳を生やした少女があった。
さとりは誰が来たのかと胡乱げに顔を上げ、そこに楓の姿を認めると一転して顔を青ざめさせる。
それを見て楓は咄嗟に目をつむり、口を開く。
「火急の用にて、無礼を許して欲しい。以前とは違う話だ」
「なぜあなたが……いえ、読めました。なるほど、地上の現人神がタタリへ変わろうとしているため、なんとか彼女に声を届けると同時、彼女の願うところを正確に理解したく、私を連れていきたいと」
「さとり様、こいつが……」
「ええ。私を以前、あのような状態に貶めた男です」
それを聞いた黒猫少女の顔は怒髪天を衝く勢いで真っ赤になり、怒りのまま接近してその爪を振り降ろす。
楓はそれを避けなかった。顔から胸にかけて妖怪特有の鋭利な爪で斬り裂かれ、血が吹き出ても表情は変わらず目を閉じたまま。
「…………」
「……どうして避けないんだよ」
「以前とは違う話だと言った。余計な横やりを入れてほしくない」
「お燐、下がって頂戴」
「ですがさとり様!」
「彼、次は反撃するつもりよ」
さとりが楓の心を読んで伝えると、お燐と呼ばれた妖怪は気勢を削がれたように後ずさる。
もともとは獣の妖怪故か、彼我の力量差はわかっているのだ。自分が彼に挑んだとて、数秒も持つことなく殺されるであろうことを。
しかしその危惧を砕いたのもまた、楓だった。
「覚り妖怪。お前が読んだ心の通りの頼みがあって来た。争うために来たわけじゃない。話の結末がどうなろうと、決してそちらに危害は加えないと約束しよう」
楓の言葉に対し、さとりは変わらず青い顔のままだが、同時に確かな意思も浮かべた顔で組んだ手に顎を乗せて楓と相対する。
「……その約束は結構です。お燐、もう一度言うわ。下がって頂戴」
「……何かあったら大声出してくださいね! お空と一緒にいますんで!!」
念入りに言い含めて部屋から出ていくお燐を見送り、さとりは小さく笑う。
「ふふ、心配されてしまいました。まあ私はあれからしばらくの間、あなたの語る御阿礼の子とやらが浮かび上がったり、視界から価値あるものが消えた錯覚に襲われたりと大変だったので」
「こっちもあれから目隠しを付けて生活をすることになった。今外れているのは偶然の産物で、本来なら博麗の巫女でも解除が難しい結界を張られている」
「なるほど、魔界で襲われた時に相手の剣を利用して封印を断ち切った……。えっ、魔界ってなんですか?」
「お前が読んだ通りだがなにか問題でも?」
「心を読んでいるのに何を言っているのかわからない相手はあなたが初めてですよあらゆる意味で」
こいつどんな生物なんだ、とでも言うような視線を向けられているのはわかった。
しかし説明しようにも心に浮かんだものが全てであって、それ以上の仔細を話す時間は残されていない。
楓の焦燥を読み取ったのだろう。さとりは椅子に深くもたれかかり、その腕を組んで楓を見据える。
「事態は把握しました。放置しておけば地上はおろか、地底も脅かされる災害が生まれかねないことも。――であれば今、あなたが浮かべている第二の選択肢を選べば良い。その魔眼をもって相手を堕とす。私にそうして、彼女にそうしない理由がわかりません」
「嘘だな。お前はなぜ、俺が魔眼を向けたかの理由もわかっている」
「なぜ断言を? あなたは私と違って心など読めない――」
「いいや? 一時であれ
「…………」
「文字通り心身に染みただろう。――俺たちはそれだけは許せない。それだけが許せない」
「ええ、理解しておりますとも。私は決して触れてはならない逆鱗を踏み抜いた」
ですが、と言葉を切ってさとりは立ち上がる。
「私は覚り妖怪です。心を読み、読んだ心を口に出す性質の妖怪。私がこの能力を誇りに思っていることは否定しませんが、私は覚り妖怪としての役目を果たしただけに過ぎません」
「そうだな。そして俺は阿礼狂いとしての役目を最大効率で果たした。それだけだ」
互いの言葉に迷いはなかった。ただ、それぞれがそれぞれの役目を果たそうとしただけ。
どちらがよりまともかと言えばそれは当然、さとりの方だが――この場において、求められるのは正否ではなく両者の納得である。
「目を開けなさい。人に頼み事をするのに目を閉じたままというのはいかにも無作法でしょう」
さとりに言われた通り楓は目を開き、その紅い目でさとりを見た。
顔に恐怖の色はなく、心を理解したいという欲求のままに第三の瞳が楓を捉えて離さない。
「私はあなたが理解できない。あなたの心はどこまで読んでも御阿礼の子ばかり。それ以外は塵芥と言っても過言ではないのに、なぜそんなもののために私すらも頼るのです」
「心を読めばわかるのではないのか」
「読むのと理解するのは別です。あなたのような狂人は特に」
「知りたいのか? 心を」
「興味はありますね。あなたは己の心に対してどんな結論を出しているのか」
「ふむ……」
楓は少しだけ考え、己の中で言いたいことをまとめる。
確かに自分は阿礼狂いであり、御阿礼の子こそ至上の存在だ。御阿礼の子と比較すれば、他などさとりの言う通り塵芥だろう。
だが、それはあくまで御阿礼の子を基準として比較したら、という話である。
楓は知っている。阿礼狂いであってなお、多くの人妖とともにその命を走り抜けた人間を。
楓は知っている。狂人と一緒に歩みたいと言って、今なお寄り添う妖怪を。
楓は知っている。阿礼狂いの本性を知った今でも変わらない付き合いをしてくれる友人たちを。
なんてことはない。楓はただ――
「御阿礼の子が一番大切だ。――それとは別に皆も大事に思っている。それだけの話だ」
御阿礼の子以外にも大事なものがあるとちゃんと知っている、欲張りな少年であるというだけだ。
楓は自らの言葉を補足するように言葉を足していく。
「無論、時が来れば俺は御阿礼の子を優先する。幻想郷と引き換えであっても、全ての人妖を鏖殺することでも、それで御阿礼の子が喜ぶなら俺にとってそれは何よりも嬉しいことだ。
……だが、その時が来ない限り俺は誰かの力になりたいし、誰かの助けになりたい」
そもそも楓は誰かを嫌うことがない。たとえ殺し合いを仕掛けてきた相手であっても、被害が自分で収まるならば特に咎めることもしない性格だ。
面倒だと思ったり苦手意識を持つ相手はあれど、嫌いだと思ったことはない。
「打算はありますか?」
「それはもちろん。嫌われるよりは好かれる方が何かと便利だ」
ただ、それが全部ではない。むしろ楓は咄嗟に身体が動いてしまった後の理由付けに使っている節もあると自覚していた。
さとりも読んだのだろう。口元にどこかおかしげな笑みすら浮かべて次の言葉を続ける。
「では私のことはどうなのです?」
「言うまでもないだろう?」
「奇遇ですね。私も同じ答えが出ています」
楓たちはお互いのことだけを見据え、双方が抱く感情を口にした。
「――お前のことは大嫌いだ。御阿礼の子を穢したことは生涯許さない」
「――あなたのことは大嫌いです。一時とはいえ私をあのようなおぞましいものに変えようとしたこと、絶対に許しません」
ニコリともせず真顔のまま言った後、楓は更に言葉を続ける。
「俺が明確に嫌いだと思ったのはお前が初めてだ」
「私も覚り妖怪として嫌われることこそあれど、私自身が嫌悪の感情を抱いたのはあなたが初めてです」
そう言って楓は一度だけ目を瞑り、開く。
「――俺の友達を助けるのに協力してくれ。お前の力が必要だ」
「――承りました。代価はどこまでも嫌いなあなたの心を私に理解させることとします」
「いやいやいやいや!?」
ツッコミは楓でもさとりでもなく、部屋になだれ込んできたお燐のものだった。
何事かと楓とさとりの視線が向けられる中、お燐はさとりに具申する。
「さとり様、こいつのこと嫌いなんですよね!?」
「それはもう。今もこうして心を読むだけでも騒がしいったらないわ」
「だったら断りましょうよ!?」
「なぜ?」
「嫌いなやつの頼みを聞きたい人間はいません!!」
そうだろうか、と首を傾げたのはさとりと楓同時だった。
「嫌いだけど、同時に興味の対象でもあるのよ。私が唯一人、本心から嫌った相手の心。覚り妖怪として興味を覚えるわ」
「個人的に嫌いなのは変わらないが、避ける必要もなかろう。父上曰く、人の信頼関係は時間によって醸造されるものだ。言い換えれば、嫌いな相手であっても時間を重ねることで信頼は生まれるということを言いたかったに違いない」
うむうむと楓も納得した様子でうなずいた後、さとりに向かって手を伸ばす。
さとりはそれを握り返し、お燐の方へ留守にする旨を伝える。
「それでは少し地上へ行ってくるわ。お土産にお魚を買ってくるから楽しみにね」
「わーいやったー! ……じゃなくて! あ、ちょっとさとり様ー!?」
時間が惜しいのは本当だったのだろう。楓はさとりの身体を引き寄せると自分の背中に乗せ、文字通り風の如き速さで飛び出してしまう。
残されたのは呆然と見送るしかなかったお燐と、楓が飛び出した衝撃で撒き散らされる書類の束。
お燐は何と言って良いのかわからないまま何度か口をパクパクさせた後、叫ぶしかなかった。
「……さとり様がグレたぁぁぁぁあああ!?」
騒ぎを聞きつけたお空もやってきてまた一騒動起こるものの、それらは全て事が終わった後にさとりが人聞きで済ませる話でしかなかった。
楓が地底に向かって数十分ほど。
早苗の巻き起こす嵐に踏み入ることのできる霊夢、魔理沙、天子の三人は一度呼吸を整えるべく、距離を取っていた。
「よう霊夢、お前ひょっとして嫌われてんじゃないか?」
「魔理沙こそ泥だらけ。あんたの方が嫌われてんじゃないの?」
「あんたたちはまだ比較的軽いのだから良いわよ。私なんて天人だから死なないと思ってバカスカ岩やら木の槍やら飛んでくるわ。刺されば痛いのよ」
互いに減らず口を叩く元気ぐらいは残っているらしい。
霊夢は擦り傷だらけになりながらもお祓い棒を自分の肩に乗せ、わかったことをまとめていく。
「早苗、多分私たちのことは認識しているわ。脅威として、という意味だけど」
「で、その脅威度に応じて何らかの対処もしているな」
魔理沙の言葉に二人がうなずく。
同じ巫女であり、霊力を使った戦いで右に出る者がいない霊夢と緋想の剣を持ち、頑丈な肉体を持つ天子の二人には苛烈な風雨が襲いかかってきた。
「あとあいつの身体は神にだいぶ近づいてる。何回か近づけたから思いっきりぶん殴ったんだけど、すごい勢いで治ってたわ。人間なら骨が砕けてると思うのに」
「それを躊躇なく早苗に向けたことにびっくりだぜ……」
もし戻ってきた早苗が今回の記憶をなくしていたら、何も伝えないでおこうと決心する魔理沙だった。
「無駄……にはなってないでしょうけど、焼け石に水でしょうね。神々の抵抗もだいぶ辛くなってきたみたいだし」
天子がチラリと視線を向けた先には汗まみれになりながらも必死に両手を伸ばし、早苗の集めた力を少しでも奪おうとしている五人の姿だった。
「うおおおタダで信仰に近い力をもらい放題だって雛に聞いたのにこれはちょっとヤバいー!?」
「私たちみたいな弱い神じゃもう無理!? これ以上はこっちが破裂しちゃう!?」
「ああもう少ない信仰で生きられるように調節したからここで不便が出るなんて……!」
「もう弱い神どころか中堅どころの神にだって至れる力を集めているのに、まだ貪るのか! は、はははっ! 諏訪子、こんな時に不謹慎だとわかっているが、私はゾクゾクしてきたぞ!! 早苗が将来神になる時は私たちを凌ぐ神になる!!」
「私も同感だよ! だけどこのままだと早苗は私たちの誰も見たことがない規模のタタリになる!! 幻想郷どころの話じゃない! 下手すると外の世界すら危うくなりかねない!!」
いよいよ限界が近そうな秋姉妹に雛はさておき、神奈子と諏訪子はこの状況ですら早苗の才覚を褒め称えている。
外の世界が危ない、という話にも霊夢たちはピンとこない。見ず知らずの世界が危険にさらされる前にまず自分たちの住処がなくなるかもしれない瀬戸際なのだ。それより考えることがある。
「つーか早苗、本当に神になれるんだな。現人神ってのも自称みたいに思ってたけど、あの姿を見ると神さまってのも本当に思えるぜ」
嵐の中で魔理沙も何度か近づき、早苗の姿を視認していた。
赤子のように手足を丸め、生誕を待ち望む姿は少女のものなれど、その身に込められた神威は神奈子にも諏訪子にも感じたものと同種で――それより力強いもの。
「それで楓はまだ!? あいつがいないと私は緩衝もなしにあの早苗と交信するとかいう自殺行為に身投げすることになるんですけど!?」
「お前しかやれるやつがいないんだ。骨は拾ってやるぜ」
「末代まで語り継いであげるわ。あんたが死んだらほぼ確実に末代私だけど」
「楓の代わりをやるぐらい言いなさいよ薄情者ども」
霊夢が毒づくと魔理沙と天子は顔を見合わせ、気の抜けた顔で肩をすくめ合う。
「だって、なあ?」
「ねえ。――起こり得ない仮定を考える必要なんてないもの」
「すまない、遅くなった……なぜ拳が飛んでくる」
「ふむ、兄のように思っていますが、狂人でもあるあなたを信頼している人がいるのが嬉しいことと、そんな彼がタイミング良く戻ってきたことに安堵してしまい、それで自分に腹が立って拳が出たようです。博麗の巫女はだいぶわかりやすい性格ですね」
半ば首を締める勢いで手を回し、足を腰に回して楓の背中にしがみついた少女――さとりが第三の瞳を霊夢に向け、こくこくと小さくうなずきながらその心を読み当てて口に出す。
それを聞いて魔理沙と天子はからかうネタが増えたとニヤニヤ笑い、霊夢は全く目の笑っていない笑みを楓に向けた。
「楓、背中の女こっちに寄越しなさい。今からちょっと私も山の地形変えるから」
「待て待て待て。こっちも苦労して連れてきたんだぞ。さとりも誰彼構わず心を読むな」
「そう言われてもこれが覚り妖怪というものです。阿礼狂いが御阿礼の子を考えるなというようなものですよ?」
「霊夢、我慢してくれ」
「どっちの味方なのよあんた!?」
「ご安心を。私としてもわかりやすい心を読むことにさしたる興味は覚えません。あなたはもう十分に把握できましたので無闇に口に出すことはないでしょう」
「ああ、そう……」
それはそれで馬鹿にされている気がしてならないが、霊夢はとりあえず話を進めることを優先した。
戻ってきたばかりの楓に早苗の状態を手短に話し、さとりにも結界の札を押し付ける。
「内部で妖力、霊力とかの力は使えないと思いなさい。後、早苗は脅威に応じて私たちへの対応も変わっていた。今回の事件の直接的な原因は楓みたいだし、どうなっても保証しないわよ」
「承知の上だ」
「とにかく近づいて札を当てて。それで私は早苗と交信してつなぐ。そこから先はあんたたちでどうにかしなさい」
「わかった。さとり」
「神に至る少女の心を読めるとは。あなたは大嫌いですが、持ちかけた取引は悪くありませんよ」
さとりの言葉に楓は答えず、長刀を抜き放って嵐の中心へ駆け出していく。
「――行くぞ。離れるなよ」
「言われずとも。運動は苦手なのであまり激しく動かないように」
「それは相手次第だ!」
嵐に踏み入った最初の瞬間、楓を襲ったのは妖怪の力が根こそぎ奪い取られる倦怠感と土石流だった。
風、水、土、木々。早苗が巻き上げ、集めている全てが文字通り楓に殺到してくる。
さとりはそれを見上げて思わずと言った様子でつぶやく。
「あなた、嫌われているのでは?」
「俺も自信がなくなってきた」
言いながら楓は長刀を振るい、自分の進行とさとりへ傷がいかないよう最低限の空間を作り上げ、楓は常と変わらぬ体捌きで前に進み始める。
「妖怪の力は使えないのでは?」
「せいぜい一回が限界だ。だが――俺の剣はもともと人間の父上から教わったものだ」
半妖である楓に使いやすくなるよう改良もしたが、源流は人間の剣術。そして楓は父が振るった剣は全て記憶している。
一撃受ければ即死の中、どのようにして生存圏を確保し、攻撃を浴びせ続けるか。相手の行動のみならず、戦場そのものを読み切り、流れを己のものとする戦闘法。
それらを知っている楓にとって、
たとえ相手が瀑布の如き風雨を叩きつけようと、攻撃を放棄して進むことだけに専心できるのなら問題なかった。
「あなたが剣を振るう度に道が開けていく。あなた実は彼女と談合して私を嵌めようとしてません? いえ、心を読む限りそんなことはないのでしょうが、見ても理解できぬものがあるとは」
「遠回しに奇天烈な人生を送っていると言うのはやめてもらおうか」
「直球に言ったつもりですが」
「そういうところが嫌いだ!」
言いながらも楓の腕と足は止まらず、みるみるうちに距離を縮めてさとりが早苗を視認できる距離まで近づく。
そこで早苗も攻撃ではダメだと判断したのだろう。楓を襲っていた風雨が全て早苗のもとに向かい、彼女を守るように動き始める。
「今度は守りを固めましたか。嫌われ者ですね?」
「うるさい黙れ。……いや、これは好機だ」
楓は詳しい説明を省き、さとりへ端的に告げる。
「――これから早苗の心に向かう。用意は良いな?」
「いつでもどうぞ。ここまで来て無理とか言ったらそれこそ抱腹絶倒ですね。笑い転げてあげます」
「そのよく回る舌、噛まないようにだけ注意しろ――」
そうして楓が早苗を取り巻く泥の結界に手が触れる瞬間――夢子との戦いで会得した短距離転移を発動させる。
あれだけ何度も使われ、見せられれば嫌でも使い方を覚えてしまう。そして早苗の位置は楓が最初に千里眼で捉えていた。
楓にしがみついていたさとりも一緒に転移し、瞬き一つの間に手足を丸める少女の前に来たことに目を見開くものの、それ以上の驚愕はしなかった。
「お見事。では少女の心の中、私が読んであげましょう」
霊夢より渡された札を早苗の身体に叩きつけた瞬間、三人は札から発せられた白い光に飲み込まれ――
見上げるほど高く空を食い破らんと風景を侵食する建物。獣並みの速度で行き交う鉄の塊。忙しなく誰に目をくれることもなく動き、薄い板上のなにかに目を落とす人々。硝子張りで安定感のなさそうな建物でお茶を飲む人たちの姿。四角い箱に向かって何かを叩き、整然とした建物に詰まっている男女の姿。
楓とさとりはそんな場所に放り出され、立ち尽くしていたのであった。
『……は?』
難産でしたが書きたい場面でもありました。
相対評価だと御阿礼の子以外ゴミだけど、絶対評価なら他の皆も大事にしているのが楓の偽ることないスタンスです。ちゃんと霊夢たちへの好感度は大体70~90ぐらいあって、楓もそれを理解している。
ただ好感度の数値が普通だと100が上限のところ、御阿礼の子だけ無量大数行ってるだけで。
楓は自分がそういう人間であるという自覚が最初からありました。御阿礼の子以外どうでも良いと言えば正しいけど、どうでも良いものが大事でないわけではない。
奇しくも前作主人公が半生を費やしてようやく理解したものを、楓は両親の姿から学んでいました。椛もこれにはニッコリ。
そしてさとりんとの対話はこういった形になりました。お互いに役目を果たしたので悪いことしたとは思ってないけど、それはそれとしてひどいことされた(した)ので嫌いだと表現しています。互いに唯一無二の嫌いを向け合っているってシチュって良いよね……(ろくろを回す)
次回は早苗との対話を行い、地雷解除の予定です。殻にこもった少女を空へ引きずり出す。