阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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この二人、好き嫌いの感情はさておき相性はメチャクチャ良いな……?(書きやすさに戦慄しながら)


誰よりも、何よりも許せないもの

 道行く人々の前に仁王立ちし、一向にこちらと視線を合わせない青年の前に手をかざす。

 通常ならぶつかるか、その前に気づいて何らかの対応をするはず。しかし眼前の青年は一切の反応をせず――かざした手をすり抜けた。

 

「実体があるものではないな。こちらが認識されていない」

「私も実際に見るのは初めてですが、人の心の中というのはこういったものなのでしょう」

 

 一先ずの安全はあると判断したさとりも楓の背から降り、広い道を我が物顔で走る鉄の塊を興味深そうに身を乗り出して眺めていた。

 

「ここが心の中……ちなみにこの景色に見覚えは?」

「どれも初めて見るものばかりです。あなたこそどうなのですか。そのお得意の千里眼で全て見渡せば良いでしょう」

「広い範囲が見えるだけで知らないものはある。で、俺にもこの景色に見覚えはない」

 

 そして見えない箇所があるとは言え、楓の千里眼は幻想郷全土をほぼ見渡せると言っても過言ではない。

 楓とさとり、両者に見覚えがない景色でなおかつ早苗の来歴を考えるならばここは――

 

「外の世界の一風景、というものか。これが基本なのか、この場所が特別なのかはわからんが」

「彼女にとって、という但し書きを付けるなら基本かと。まだ幻想入りして間もないと聞きます。彼女の心の中にはこれらが根強く残っているのでしょう」

 

 そこでさとりは顎に手を当てて考える様子を見せる。

 

「ああ、なるほど。そう考えるとこの世界の人々に触れられないのも納得です。要するにこれらは東風谷早苗から見た人々なのですよ」

「……どういうことだ?」

 

 言っている意味が微妙にわからず楓が聞き返すと、さとりは大きなため息をついてこれでもかと馬鹿にした笑顔を向けてきた。

 

「全く、人の心がわからない輩はこれだから困ります。こんな調子ではきっとあなた一人で道に迷って途方に暮れているのが関の山です」

「…………」

「おっと、黙っても無駄ですよ。こいつうざい? うふふ覚り妖怪にとって最高の褒め言葉です危なっ!?」

「質問に手短に答えろ」

 

 鬱陶しくなってきたので第三の目に目潰しをくれてやろうかとしたところ、さとりが機敏な動きで第三の目を抱えたので一旦諦め、苛立った様子で話の続きを促した。

 

「ええ、まあここで時間を無為に潰すのもあれなので言いますが――東風谷早苗にとって人々はこういった形で見えていた、ということですよ」

「……他人を認識せず、誰かに触れることもないのが早苗にとっての他人だった、と?」

「見ず知らずの他人はそのように映っていたのでしょう。近しい人がどうなのかはわかりませんが」

「何が手がかりになるかわからん。留意しておこう」

 

 さとりのもたらした情報を頭に叩き込み、一旦楓は全体像を把握すべく千里眼で周囲を見回し始める。

 ガラス張りの建物が光を乱反射し、見えにくいと顔をしかめながらも全容を把握した楓が口を開く。

 

「……あまり大きくはないな。空はどこまでも広がっているが、街並みは一定の広さから先が文字通り存在しない」

「心象風景ですからね。彼女にとって印象強いものだけで構成されていると思います」

「で、一定の広さと話した街だが――だんだん縮まっている」

 

 櫛から歯が欠けるようにゆっくりとではあるが着実に建物が、人が消えているのが楓の目に映った。

 

「時間がないのでしょう。全て消えた時がタイムリミットである、と」

「そんなところだろう。……考察はこのぐらいにして動くか」

「足がかりは? ないが動き出さなければ変わらない。道理ではありますが、その前にできることもありますよ」

 

 ふふん、と自慢げに胸を張るさとりに楓は胡散臭そうな視線を向けた。

 それを受けながらもさとりの態度は変わらず、むしろ煽るように楓に笑いかけてくる。

 

「おやおや、そんな態度を取って良いのですか? ここは心の中で、私はいわば心のエキスパート。ことこの場において、私以上に頼れる存在はいないはずです」

「それは認める」

「であれば頭を垂れてお願いしますさとり様の一つぐらいぐわああああぁぁぁ!?」

 

 いい加減うるさいので第三の目を握り潰す勢いで握り込むと、さとりは両目を押さえてジタバタと暴れ出す。やはり痛いらしい。

 無視して力を強めたところさとりから懇願するように身体を叩かれ、そこでようやく力を緩める。

 

「くぅ……っ!! 武力に物を言わせてか弱い少女に言うことを聞かせるなんて良心の呵責がないのですか!」

「いや全く。お前の能力は認めるが、能力以外は嫌いなんだからこうやって言うこと聞かせても別に良いかなって」

 

 普段ならため息一つで済ませるところだし、なるべくなら嫌われない方が良いといつもなら考える。

 だがさとりがさとりである時点で楓にとっては嫌いな存在であり、彼女も自分を嫌っているのでこれ以上嫌われることを厭う必要もないと、思ったことをそのまま行動に出していた。

 そんな楓の心情も読み取ったのだろう。さとりはなんて男だと憤慨しながら第三の目を奪い返し、胸元に抱き込むようにしてそっぽを向く。

 

「これだから粗野な人間は嫌いです。心を読まれることを嫌わないくせ、私という個人を嫌っている輩は初めてですよ本当に」

「さっきまでの短い付き合いでわかったが、お前普通に性格悪いぞ」

「あなたも本来は口より先に手が出る性格だと思い知りました。……こっちです、付いてきなさい」

 

 複数の選択肢を頭の中に浮かべ、一番効果的と思われる方を選んでいるだけである。さとり相手なら拳になることが多いだけで。

 さとりの歩く方向に楓も足を向けると、さとりは面倒くさそうに口を開いて説明を始める。

 

「……ここは心の中で、私は心を読む妖怪です。背景の人々は読めませんが、どこから声が聞こえるかくらいはわかります」

「声の方向に行けば早苗がいると?」

「可能性は高いでしょう。もっとも、四六時中御阿礼の子ばかりうるさく考えるあなたが隣にいるせいで、精度は若干落ちますが」

「覚り妖怪に心を読むなと言うのと同じだ」

「これ以上の言及は避けます。大雑把な方角でもないよりはマシです」

 

 その意見には同感だったので、楓も素直にさとりの導く方向へ疑問を持たず歩いていく。

 そうして歩き始めると改めて周囲の人々に目が向く。

 彼らが本当に外の世界の住人を如実に再現したものかは疑問符が残るものの、楓たちにとっては未知の存在。その一挙手一投足が不思議で仕方がない。

 

「こんなに人がいるのか、外の世界は……」

「人間が幻想を駆逐し自らの世界を作り上げたと聞いていましたが、この発展を見るに嘘でもないようです。文明に関しては彼女の手が入る余地もないでしょうし」

「となると、あの建物とかは全て現実にも存在し得るということか」

 

 ガラス張りの建物の中を忙しなく行き交う人々と、何やら四角い箱を一心に睨む大人たち。

 

「……俺は馴染めなさそうだ。人が多すぎる」

 

 あまりの数の多さに目がチカチカしてしまう。楓は目頭を揉みながらそうぼやく。

 

「それには同意します。今でこそ読めませんが、彼らの心が全て読めてしまったらうるさくて困ります」

「動物の妖怪と暮らしているのもそういう理由か?」

「ええ、あの子たちは考えることと口に出すことが同じですから。そもそも私が地底へ潜ったのも静かな場所を求めてのことです」

「なるほど」

「ああ、私があなたの心を理解するまでは定期的に来るように。これが対価です」

「面倒だから嫌だ。お前が俺の家に来い」

「は?」

「あ?」

 

 なぜこいつの言いなりにならねばならないのだ。そんな意思がありありと浮かぶ目で睨み合う二人。

 両者とも相手が嫌いという意見は一致しているため、遠慮しようとか気を使おうとかそういった思考は存在していなかった。

 

「地底の話は天子にほぼ一任している。今更俺が行ってもお前と顔を合わせる以外にできることがない。非合理的だ」

「感情で生きてる人間が合理を語るとはへそで茶をわかせますね。なぜ私がわざわざ地上へ赴く必要があるのです」

「自分で言うのもあれだが、俺は多忙を極めている。真面目な話、この状態で地底へ行く時間が捻出できん」

 

 やってやれないこともないが、さとりが望む頻度ではないだろう。面倒なのも事実だが、楓が頑張ってどうこうなる問題でないことも事実だった。

 さとりは楓の内情まで含めて読み取ったのか、頬に手を当てる。

 

「……正直、あなたが苦しむ姿が見られるのは私的に万々歳なのですが、それで訪ねる頻度が下がるのは本意ではありません。仕方ありませんね。対価を上乗せするなら私が地上へ向かいましょう」

「内容次第になる」

「大したことではありません。私は小説を読むのが趣味なので、面白い本があれば欲しいというだけです。地底ではなかなか本の入手はできませんから」

 

 自分で地上へ買いに行くのは人の心がうるさいですし、と言ってさとりは楓の方を振り向かず歩き始めた。これに関して問答をする気はないという意味だろう。

 楓もそのぐらいなら許容範囲だったので、了承の意を込めてうなずき歩行を再開する。そして数分としないうちにまたも足を止めることとなった。

 

「あれ、楓くんじゃないですか。おーい、こっちに来て話しません?」

「……早苗を探しているつもりだったんだが」

「良かったじゃありませんか。向こうから来てくれましたよ」

 

 村紗が来ているものと酷似した服を着た早苗が、ガラス張りのビルの一階からこちらを呼んでいる姿が見えたのだ。

 元気で友好的な笑みを浮かべた早苗は大きく手を振って、ビルの中にある真っ赤な色合いの店を指差し、中へ入っていく。

 

「……どう思う?」

「顔を合わせればわかるかと。第三の目で読める心もこっちの方角を指しています」

 

 建物への入り口がまるで獲物を待ち構える顎のように見えてしまい楓は顔をしかめるものの、他に道もない。

 

「虎穴に入らずんばなんとやら、か。お前を頼りにするしかなさそうだ」

「あなたも考えるように。私とて万能ではありませんし、あくまで心を読むだけです。読んだ内容をどのように解釈するかはこちらにかかっています」

「だから俺の逆鱗を踏み抜いたわけだしな」

 

 楓の言葉にさとりは返答せず、ただ肩をすくめる。

 そして二人は並び立って早苗の待つ建物の中へ入っていくのであった。

 

 

 

 

 

「ささ、遠慮せず食べてください。これが日本の学生御用達の食べ物、ジャンクフードです!」

 

 元気よく笑う早苗と向かい合って座る楓たちの前に置かれているのは、パンの間に肉とソースを挟んだものと、揚げた芋に塩をふりかけたもの。そして泡を立てている飲み物があった。

 

「ハンバーガーにフライドポテト、そしてコーラ! これを食べながら話すのが外の世界では基本です!」

 

 本当かよ、とは楓とさとりの両名が思ったことだった。いかんせん本人とも思えない明るさの早苗が言っていることなので、真偽を判断する術がない。

 心が読めることを期待してさとりの方を見るも、首を横に振られてしまう。どうやらこの早苗、考えていることと口に出していることが同じらしい。

 

「おっと、食べ方がわかりませんか? おにぎりと同じですよ。持ち上げてかじりつく! んー! これこれ、この味ですよ!!」

 

 手本を見せるようにハンバーガーという食物にかじりつき、幸せそうに頬張る早苗の姿を見て、楓たちも見習って食べ始める。

 

「……ふむ」

 

 幻想郷ではあまり馴染みのない小麦の味と香り、叩いて丸めた牛肉の脂が口の中に広がる。

 ソースはこれまた幻想郷では紅魔館ぐらいしか食べていないであろう、トマトを使用したものらしく、甘酸っぱく強い味が舌を刺激する。

 総じて言うならやや濃い味であるが、悪くないものだ。楓はぺろりと平らげて指に付いた油を舐め取りながら評価を下した。

 

「毎日は嫌ですけど、たまに食べたくなる。そんな味ですよね」

「それには同意しよう」

 

 楓の隣に座るさとりはハンバーガーはお気に召さなかったらしく、フライドポテトの方を一本ずつちまちまとかじっていた。こちらは気に入ったらしい。

 

「ああ、お話は二人でどうぞ。私はある意味賑やかしのようなものなので」

「正直、来るなら楓くんか霊夢さんだと思ってましたよ。楓くんの友人関係を甘く見ていました」

「こいつと友人なんて虫唾が走ります」

「右に同じく」

「友人……えっ、友人じゃない?」

 

 この二人どういう関係なんだ、と早苗は素で引いた様子を見せながらも気を取り直して話し始める。

 

「まずは私の心の中にようこそ。察しているとは思いますが、私は楓くんが探している早苗ではありません。正確に言えば東風谷早苗を構成する心の破片、と言うべきでしょう」

「さとり」

 

 楓に呼ばれたさとりは面倒そうに第三の目で早苗を見て、それで興味を失ったようにフライドポテトへ戻っていく。

 

「嘘は言っていません。彼女から読み取れるのは外の世界への未練と、やりたかったことへの憧憬ばかりです」

「あはは、私が言う前に言われちゃいましたね。私は早苗が持っている未練や憧れを具現化したものです。何一つ偽る必要のない友人と、こうして何の気もない話がしたかったというもの」

「……外の世界ではできなかったのか?」

 

 楓の質問に対し、ため息を返したのはさとりだった。

 

「やれやれ、これだから人の心を理解できない狂人は困ります。彼女は現人神であることを以前から知っていたのでしょう? それを外の世界で言えるとでも?」

「言っても電波少女みたいに思われて終わりです。外の世界には妖怪なんていませんし、人は空を飛びませんし、弾幕ごっこもありません。楓くんみたいに強い人もいないんです」

 

 どこか哀しげに語る早苗の姿に楓も黙るしかなかった。

 それを早苗は肯定と捉えたのだろう。話の続きを再開する。

 

「ずっと、疎外感が私の傍らにあり続けました。このガラス張りのビルみたいに、薄い膜が私をずっと覆っているんです」

「…………」

「神奈子様と諏訪子様は私をなんとか外の世界に馴染ませようとしていたみたいですが、難しかったでしょう。他ならぬ私自身が己の居場所がここではないと定義していたのですから」

「さとり」

「嘘ではありません。というより、友人である彼女の言葉をいちいち疑うあなたの人間性に疑問を覚えます。いえ問うまでもありません目がぁぁぁぁ!?」

「一言多いんだよ」

 

 フライドポテトの油分と塩が付着した指で第三の目に目潰しをすると、さとりは両目を押さえて身悶えしていた。

 隣でバタバタうるさいさとりを無視して楓は早苗の話を聞き届け、うなずく。

 

「こちらも又聞きでしかなかったお前の事情はおおよそ把握した。……次は俺の番だな」

「え? 今回の一件については幻想郷に来たのに、自分らしくあれなかった私の責任が大半では――」

「いや、責任の所在を語るなら俺にある。ここまで色々と考えてきて、お前を追い詰めてしまった言動にも思い当たるフシがあった」

 

 楓はこれから話すことをまとめながらコーラと早苗が言っていた飲み物に口をつけ、口内で炭酸が弾ける感覚に思いっきり顔をしかめる。

 

「……なんだこれ」

「炭酸飲料です。幻想郷にはないものですね」

「これを外の世界ではありがたがって飲むのか……」

 

 つくづくよくわからない世界である。楓はコーラをさとりに押し付けて話し始めた。

 

「結論から言うと、俺はお前を急かしていたんだ」

「急かしていたんですか? 私は蚊帳の外に置かれているなあって思ってましたけど」

「それも含めてだ。俺の事情を全て話そう。神奈子、諏訪子も知っていることだ」

 

 そう言って楓は自身が人里でどう呼ばれているか。またそれが事実であること。そして現在の当主である楓のみが所持する魔眼についても包み隠さず話す。

 早苗も最初の方はまさかそんな、という顔であまり信じていない様子だったが、楓が文字通り目の色を碧に変えたのを見て、冗談ではないと気づいたようだ。

 

「……嘘、ではないんですね」

「全て真実だ」

「で、でも狂人みたいには見えませんでしたよ! ほら、刀とか舐めてるような感じじゃ――」

「そんな露骨に危ないやつが人里にいられると思うか?」

 

 というかそれは単なる危険人物である。楓はそんな輩を見かけたら積極的に排除する側だ。

 

「普通に過ごす分には周囲に合わせるし、俺も俺でやりたいようにやっている。御阿礼の子の側仕えの傍ら、人里の守護者をやりつつ他勢力との折衝もやりたいことだ」

「……でも、優先順位は動かない」

「そういうことだ。どこまで深い仲になったとしても、御阿礼の子以上に優先する存在にはなり得ない」

 

 そこまで語り、楓は横のさとりにも補足を求める。

 

「まあそういうことです。余談ですが私は彼の逆鱗を一度踏み抜いて死ぬよりひどい目に遭いましたよ、ええ」

「別に許してないからな」

「私も許してないので」

『…………』

「無言で睨み合わないでください!? ここ私の心の中! メイン私!!」

 

 思いが通じ合っている視線の交わし方ではなく、睨むだけで相手を殺せるなら躊躇なく殺すタイプの視線だった。

 早苗が止めてきたので睨み合うのをやめ、再び楓が口を開いて説明を再開する。

 

「俺が狂人だということまでは話したか。じゃあ次は直近の話だ。……この魔眼について、幻想郷の主だった勢力の主は大体知っている。神奈子と諏訪子も例外じゃない」

「……あっ! 最近になって急に疎遠になったのって!」

「二柱に頼まれていた。責めないでやって欲しい。こちらも二柱の判断を妥当だと判断した」

「私が蚊帳の外だったの間違ってなかったんですね! ひどい!!」

 

 プリプリと頬を膨らませて怒り、そっぽを向いた早苗に楓は変わらない口調で語りかけるように話を続けていく。

 

「で、距離を取っていたわけだが。今回の異変然り、早苗を良いように利用しているだけな気がしてな。悪いことをしたと思ったし、別に金輪際顔を合わせるなと言われているわけでもないから、その辺りを謝罪しようと思ったんだ」

 

 それがついさっきの出来事だ、と話すと早苗はそっぽを向いていた顔から一転、頬を引きつらせてぎぎぎとぎこちなく楓の方へ顔を向けてきた。

 

「……あの時の話って、私がもういらないとかそういうのじゃなかったんです?」

「そんなこと一度も思ったことはない」

「……私にひどいことしちゃったから謝りたかっただけ?」

「善は急げと言うだろう。結果的に最悪だったわけだが」

 

 立て続けにひどいことをしたのだから時間を置くべきだったが、楓はその辺りの機微がわからないままとりあえず動こうとしてしまった。

 それがあの結果である。楓がここまで力を尽くしている理由として、自分がやったことの責任を取るためでもあった。

 

 早苗は冷静沈着で頼りがいがあり、面倒見の良い少年だと思っていた楓が顔を俯かせている姿を新鮮な気持ちで見る。

 自分より遥かにしっかりした少年ではあるが――年相応に間違えることもあり、それに落ち込む時もあるのだとわかった気分だった。

 

「楓くんはこんな風に落ち込むんですね、ですか。間違いではありませんが、彼はそういったものは引きずりませんよ。――御阿礼の子ではないので」

「――そろそろ行くか」

 

 ここで早苗に謝罪しても良かったが、彼女が早苗本人でないことは本人の口から確認済みだ。

 そして必要な情報は大体聞けた。これ以上ここにいても無駄な時間を食うことにしかならない。

 楓とさとりは立ち上がり、ビルの外に向かって歩き出す。

 

「謝罪は本人にしよう。お前の役目は俺たちに情報を渡すのと、可能な限りの時間稼ぎだろう?」

「……バレちゃってました?」

「さとりに最初に聞いた時、こう答えた。――嘘は(・・)言っていない、と。要するに別の意図も含まれていることは最初から気づいていた」

 

 この場であり得る別の意図など、時間稼ぎぐらいしか浮かばない。

 そこまで読み取った上で楓はあえて彼女の思惑に乗って話を続け、情報を得ていたのだ。

 楓一人だったら彼女の話から読み取るしかなかったため、気づくのが遅れていただろう。しかし、この場には心を読んで口に出す妖怪という、この状況において最も適した存在がいた。

 

「そちらの方は嫌いなのでは?」

「能力は疑ってないし、悪いとも思ってない。それはそれとしてこいつが嫌いなだけだ」

「奇遇ですね。私もあなたの力は疑ってません。それとは別にあなたの人格が大嫌いなだけです」

『…………』

「はいストーップ! 今から私が良い感じなこと言って楓くん送り出す場面なんで! そういうメンチの切り合いは終わってからでどうぞ!!」

 

 こいつら事あるごとに視線で喧嘩はじめやがる、と早苗は二人の間に割って入る。

 そして咳払いをして空気を変えてから、早苗は楓へ困った笑みを向けた。

 

「……正直、楓くんがここに来た時点で、私のやってることは多分失敗するんだろうなってわかってました」

「止めるために来た」

「はい。私ではきっと止められません。なので――」

 

 そこで言葉を切って、早苗は深々と頭を下げた。

 

 

 

「――ちゃんと私のこと、見つけてあげてくださいね?」

 

 

 

「でないと拗ねちゃいますから。私が言うのもあれですけど、面倒な子なんです」

「……そうだな。今日の一件で思い知らされた」

「嫌いになりました?」

「こいつだけで間に合ってる」

 

 さとりの肩を小突く。さとりはムッとした表情で楓の肩に思いっきり拳を当ててくるが、大して痛くないので気にしなかった。

 

「――はいっ! だったらこれ以上の言葉は全部本体にお願いします!! それでは行ってらっしゃい! 私のことを覚えてくれると嬉しいです!!」

 

 早苗はビルから出ることなく大きく手を振って楓たちを見送り――彼らがビルから出たところで跡形もなく溶けて消えるのであった。

 

 楓たちが外に出ると、それなりに時間が経っていたのか周囲の風景がだいぶ消えていた。

 目障りなくらいに多かった人通りも今や数えるほどになり、空を食い潰さんと伸びていたビルも楓たちの背後のもの含めていくらかある程度。

 それも今、一つのビルが消えていくのを楓たちは見る。

 

「いよいよ時間切れが近いようですね。これを待った意図を聞きましょうか」

「そう深い意味はない。こうやって徐々に消えていく場合――最後に消えるのは何だと考えただけだ」

「……順当に考えれば核と呼ばれる部分でしょうね。なるほど、時間稼ぎに付き合ったのは本体の場所を確定させるためですか」

「さっきの話で居場所の目星もついた」

 

 早苗はずっと外の世界に疎外感を覚えていたのだ。であれば、彼女の本体が外の世界を模した地上にいることはまずあり得ない。

 そして地上にいないのなら次に考えられるのは――

 

「……そういうことですか。確かに違和感は覚えていましたが」

「気づいて黙っていたんじゃなかったのか」

「……私と彼女は初対面なのです。初対面の人間の心を読んでも理解できるのは表層的なことばかりですよ悪いですか」

 

 不愉快極まりないとさとりはゲシゲシ楓の足を踏みつけてくる。軽いのでこれも大して痛くない。

 

「ともあれ向かおう。のんびり話す時間は終わりだ」

 

 さとりに手を伸ばすと、彼女は疑うことなく楓の手を取った。そして二人は同時に上――徐々に消えていく地上とは対照的にどこまでも広がっている蒼天目指して飛び上がっていく。

 

 

 

 

 

 高い高い空の上。世界が丸いことすらわかってしまうほどの成層圏。そこに早苗の姿はあった。

 外の世界と同じように身体を丸め、心地よい微睡みに身を委ねて揺蕩い、時が訪れるのを待つ姿はさながら、地球から宇宙へ旅立とうとする種子を連想させる。

 

 しかし、そんなある種神々しさすら覚える見た目とは裏腹に早苗の心は後悔と自責で埋め尽くされていた。

 外の世界が自分の居場所でないなら――なぜ幻想郷で上手くやれなかったのだ。

 もっとやりようはあっただろう。流されるままに流され、良くない感情を溜め込み、爆発させてしまい、今まさに幻想郷にさらなる迷惑をかけている。

 

 このまま消えてしまいたい。友人だと思っている少年少女らの口から否定の言葉が発されるのを見たくない。

 そんな気持ちのまま早苗は深い眠りへ意識を手放そうとして――その手を掴まれる。

 

「えっ?」

「やっと見つけた。思いの外高いところにいたな」

 

 思わず早苗が目を開き、視線を下に向けると楓の姿があった。

 楓は早苗が見た覚えのない少女と手をつないだ状態で、早苗に手を伸ばしていた。

 

「ど、どうやってここまで!?」

「うん? 思い出せるはずだぞ。地上で話していたのも元を辿れば早苗だ」

「え? えーっと……」

 

 なんだかよくわからないが、言われてみると確かに。楓と地上でハンバーガー片手に話し込んだ記憶があった。

 この場所がどういったものであるかも理解し、早苗は改めて楓と向き直る。

 

「……私に言うことがあるんですか?」

「ああ。――済まなかった。お前をここまで追い込んだのは俺の行動が原因だ」

 

 まずは深く頭を下げる。楓は自分の行いが全て最悪の結果として裏目に出てしまったことを隠さず話し、謝罪した。

 そして顔を上げた楓の顔は早苗もよく知っている、迷いのないものとなっていた。

 

「早苗、帰ろう。まだまだ謝ることも、話すこともたくさんあるんだ」

「……っ」

「ふむ、己を燃やし尽くすほどの自責の念がありましたが、今の言葉で多少は揺らぎましたね」

「ず、ズルいですよ楓くん! 心を読む妖怪を連れてくるのは反則でしょう!?」

 

 自分の心を言い当てられてしまった羞恥をごまかそうと早苗は大声を張り上げるが、楓は困ったように眉根を寄せるばかり。

 

「――誰も怒ってなどいない」

「……っ」

「俺はもちろんのこと、霊夢や魔理沙も、神奈子と諏訪子も、雛に秋姉妹だって。皆、お前がタタリになるまいと力を尽くしている。損得など関係なく、お前を助けたいと集まってくれたんだ」

「……それは嬉しいと思います。でも、私はっ!」

 

 早苗は再び頭を抱え、溜め込んでいた感情を楓に向ける。

 

「誰よりも自分が許せないんです!! 外の世界に居場所がないなんて嘯いて! 幻想郷に来たのに何にもできなくて!! 皆さんに迷惑ばかりかけている自分が嫌いなんです……っ!」

「…………」

 

 どういったものか。楓はこの時のために用意しておいた助っ人に視線を向ける。

 するとさとりは普段通りのどこか眠そうな顔のまま、こともなげに言い放つ。

 

 

 

「それ、何か問題があるのですか?」

 

 

 

「え……?」

「迷惑ばかりかける? 良いじゃありませんか。自分は自分、他人は他人です。他人は他人の理屈を優先させるのですから、自分だけは自分の理屈を優先させて何が悪いと言うのです?」

「そ、れは……」

「あなたの心は読ませてもらいました。幻想郷にやってきて、色々と行動したつもりだけど、結果が伴わず――断言しましょう。今までのあなたは他者に遠慮し過ぎです」

「え、遠慮……?」

「はい。この男然り、幻想郷の輩はどいつもこいつも最低最悪の自己中な輩ばかりです。遠慮というものがいかに無意味か、あなたもいい加減わかっているのでは?」

「そ、それはまあ確かに……」

「で、あれば。あなたがやるべきはこのように殻にこもることではありません。――反逆です。今までの自分に決別し、自分の都合を最優先する己に生まれ変わるのです」

「生まれ変わる……」

 

 オウム返しのようにさとりの言葉を反芻する早苗と、そんな彼女に向けて言葉の洪水を畳み掛けるように放つさとり。

 それを見ていた楓には、さとりがただ勢いで言葉をぶつけているだけな気がしてならなかったが、心のエキスパートであるさとりの意思を尊重することにした。

 

「ここで諦めたら今度こそ終わりです。あなた自身が語った、何もできない己のまま終わってしまいます。己の評価を変えるなら、自分自身が変わるしかないのです」

「……あの、あなたひょっとして勢い任せで適当なことを言っているだけじゃ」

「さあ楓! あなたの言葉で彼女を引っ張り出しなさい!!」

「……まあ、こいつが勢い任せで言っているというのは同感だが」

 

 急にさとりから話を振られた楓だったが、何を言うべきかは決めていたのか早苗にもう一度手を伸ばす。

 

 

 

「――帰ろう。帰って、全部最初からやり直せば良い」

 

 

 

「……やり直して、良いんですか?」

「ダメと言うやつは俺が黙らせる」

 

 楓の言葉に早苗は小さく笑い、涙を浮かべた眼差しで楓を見る。

 

「また私と友達になってくれますか?」

「友達でないと思ったことは一度もない。距離が離れていても、だ」

 

 疎遠になったことで早苗が楓を友人と思わなくなったとしても、楓は早苗を友人だと思い続ける。

 それが己のような狂人のことを何も知らずとも、一時友人と呼んだ存在へ向ける楓なりの誠意だった。

 

 楓の言葉を聞いてとうとう決心したのだろう。早苗は目尻の涙を拭い、希望に満ちた顔で楓の手を取って――

 

 

 

 

 

 外で待っていたものたちは、嵐が唐突に消え去ったことに思わず呆けた息を漏らす。

 局所的な、しかしだからこそ竜巻じみた強烈な風雨は跡形もなく消え去り、その爪痕を深々と地表に残るばかり。

 

 空は台風一過の如く晴れ渡り、霊夢たちが戦っていた場所にもかろうじて抜けなかった木々から木漏れ日が差し込む。

 

「終わった、のか……」

「……みたい、ね。霊夢、だいじょう――」

 

 魔理沙と天子はそれが戦いの終わりであると察して肩の力を抜き、霊夢の方を振り返る。

 楓とさとりという緩衝材があったとはいえ、タタリに成りかけた早苗との交信は相応に体力を消耗するものだったらしい。霊夢は立つのもやっとと木にもたれかかりながら荒い息を吐く。

 

「あ、あの馬鹿ども……限界まで交信させやがって……。戻ってきたら、夢想封印じゃ済まないんだから……」

「これだけ減らず口が叩けるんだ。問題ないぜ」

「そのようね。肝心の早苗たちは……と」

 

 天子が視線を向けた先。神々が立って信仰を奪っていた場所を見て、天子は顔を緩める。

 そこには信じて送り出した少年と、腕の中で眠る現人神の少女に縋る二柱の姿があったのだから。

 

「早苗、早苗は大丈夫なのかい!?」

「疲れて眠っているだけだ。素人目にもあそこまで神に至りかけていたというのに、戻りたいという気持ちだけで元の現人神に戻るとは脱帽だ」

「は? あれだけ集めて? 全部放り投げたでもなく、裡に取り込んだまま現人神に戻ったの?」

「そのはずだ。見た目から受ける感覚が以前と変わりない」

「そんなバカな……。それこそ奇跡でも起きなきゃ無理――あっ」

 

 諏訪子は何かに気づいたのか思わずと言った様子で口元に手を当てて神奈子と顔を見合わせ、次いで腹を抱えて笑い出す。

 

「は、はははははははははっ!! なんだそれは、なんだそれは!! あそこまで集めた力にこの上さらに貯めて、もっと大きな神になろうってのかい!! 早苗の器をまだ見誤っていたか!!」

「ああ、全くおかしいったらありゃしない! こんな大食らいの神、見たことがない! もう何らかの神になるのは不可避だと思ったのに、そんな道理を無理でこじ開けた!!」

 

 ひとしきり笑った後、二柱は真面目な顔になって楓へ向き直り、宝物を扱うような手付きで早苗を受け取る。

 そして眠る少女の頬を慈母の如き笑みで撫で――それが正真正銘、今日という長い長い一日の終わりを示すものとなるのであった。




これにて早苗絡みは一旦終了となります。今後も異変の導線にはなりますが、まあそこは守矢神社なので(身も蓋もない)

さとりんと楓は互いにこいつ嫌いだとは思ってますが、嫌いな理由は相手がさとり(楓)だからであり、さとりんの能力があるから嫌いというわけではなく、楓が阿礼狂いだから嫌いというわけでもありません。
特に理由はないけどこいつ嫌い! という子供じみた感情の矢印を向け合ってます。なおそれ以外の相性は良い模様。

そして早苗さんは結局神にはなりませんでした。後のお話でまたちらっと話す時があるのでその時に話しますが、早苗が本当に神になるのは多分、楓が死んだ後になると思います。


次回は阿求と一緒に今回のお話のまとめをし、命蓮寺への取材申し込みをするお話になりそうです。命蓮寺、というより白蓮が阿求の物語へのキーキャラです。

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