阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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兆し

「――以上を持ちまして、本日私が関わった異変は全てとなります」

 

 早苗を助け出した後、楓はその足で稗田の屋敷へ向かい、今日一日で起きたことを全て報告していた。

 阿求は楓の報告を困ったように笑って受け止め、自分の聞いていた話を符合させる。

 

「私の方……というか人里でも騒ぎになっていて、慧音先生から心配することはないと聞いていたけど、そんなことになってたんだ。あ、お兄ちゃんが関わってることは確信してたよ」

「……お褒めに与り光栄です」

 

 褒めてないのはわかっているが、そうでも思わなければやってられない。楓のどこか投げやりな言葉に阿求は苦笑するしかない。

 

「聖輦船の異変で法界に乗り込んで、戻ってきたら早苗さんがタタリに成りかけてしまったので助けに行く……。お兄ちゃん、お祖父ちゃんより騒動に好かれてるんじゃない?」

「今は幻想郷の勢力も増えております故。……必要ならお祓いに行こうかとも考えております」

「行ってどうにかなるのかしら……」

 

 阿求のぼやきに答える言葉は持ってなかった。

 これ以上この話題を続けても自分が辛くなるだけなので、楓は今後のことへ話題を変えることにした。

 

「私の運勢についてはさておきましょう。……今後ですが、まず優先すべきは聖白蓮とその配下らの妖怪たちの住処です」

「聖輦船が変形したと聞いたわ。いえ、思わず二度聞きしたけど」

「見ていたこちらも驚きました。法力らしいです」

「法力とは一体……」

「霊力に似たものだと思ってましたが、根本から違う気がしてなりません」

「私もそう思う」

 

 お互い真面目な顔でうなずき合い、この話は横に置くことを無言で決める。続けたところで実のある話にならないのは確実だ。

 空気を切り替えるように阿求は取材について話し始める。

 

「じゃ、じゃあ取材は聖白蓮さまにお願いする形で良いかな」

「その前に変形した寺の場所について話す必要がありますが、こちらは私の方で行います。おそらく人里にある程度近い場所になるかと」

 

 他にあんな大きい建物を置ける平地がないとも言う。幻想郷は森や谷、山が多いのだ。

 人の手が入っていない場所は多々あるが、木を切り倒して開墾しようものならその場所を住処にしている妖怪の不興を買ってしまう。

 それでも人里の周辺は平地が多いため、人口が増えた時に備えて開拓地として、いくらか候補にしていた箇所を白蓮たちに提供する形となるだろう。

 対価はその場所で畑を作り、人里と交換するよう持ちかければ人里が行う予定だった開墾も向こうがやってくれるので万々歳である。

 

 楓がそういった計画を話すと阿求は首肯し、楓へ全面的に任せる旨を伝える。

 

「わかりました。私も人里が繁栄することは喜ばしいけど、私自身が積極的に人里へ介入するつもりはありません。その辺りは守護も担っているお兄ちゃんの方が詳しいと思うから、お願いしても良い?」

「御意。阿求様にとっての最善となるよう微力を尽くします」

 

 楓が美しい所作で頭を下げ、次の話に切り替える。

 

「東風谷早苗についてですが、彼女は自力で現人神へ戻りました。今は眠っておりますので、意識が戻った後に詳しい話を聞いておきます」

「そっちもお願い。うーん、神になったなら幻想郷縁起への変更もあっただろうけど、現人神のままなら今のやつで大丈夫かな」

「おそらくは。守矢の祭神は神になれる力を裡に宿したまま現人神に戻ったと言っておりましたが、変化があったらその時に考えれば良いかと」

「そうだね。魔界については……まあ、普通に行く場所じゃないよね」

 

 夢子という存在についての話も聞かされていたが、阿求としては自分の側仕えがいつの間にか異世界に行って、しかもその異世界の少女に絡まれて戦ってきたというだけでもうお腹いっぱいである。

 楓の中でも嫌な思い出になっているようで、阿求が言及した途端に顔を苦いものに変えた。

 

「私から向こうへ行く理由もありません。これ以上関わることはないかと」

「お兄ちゃんならまた行きそうな気がする……」

「お戯れを。……お戯れだと言っていただけると嬉しいです」

「だ、だいぶ参ってるね……」

「一番辛かったのは相手が強かったこと以上に、天子らが全員、私に原因があると思っていたことです」

 

 あながち間違いでもないが、根本的な原因を語るならアリスの手紙である。とりとめのない近況報告の手紙を送っただけのアリスを糾弾するつもりは毛頭ないが。

 

 しかし楓は知らなかった。

 魔界出身の存在はアリスだけでなく他にもいたことを。

 そしてその少女に連れられてまた魔界を訪れるのだが、それは別の話である。閑話休題。

 

「魔界に関しては私らの訪れた法界という一部だけ記載すれば良いかと。そもそも只人が行く場所でもないですし、行く方法も今となっては不明です」

「幻想郷縁起に異世界の内容を記すことになるとは思わなかったなあ……」

 

 阿求は自分が書いている幻想郷縁起の内容がどんどん分厚く、荒唐無稽なそれへと変わっていることに鈴を鳴らすような軽やかな笑みをこぼす。

 異変が少なく、書くことが少ない幻想郷縁起は幻想郷の平和そのものを表しているので、嫌いということはないが――やはり、編纂者としては書く内容が多い方が嬉しいものだ。

 

「幻想郷縁起は初代さまの頃が最も分厚く、そこから阿七の代まで徐々に薄くなっていく。阿弥の頃はお祖父ちゃんが色々と頑張っていた頃だからまた分厚くなって、私の代――ううん、私とお兄ちゃんの代はそれ以上に分厚くなる」

「時代の変遷、というのでしょうか」

「弾幕ごっこが普及して、霊夢さんたちに呼応するように色々な勢力が現れて――私たちはそれを見届けられる限り見届ける」

「…………」

 

 時代の変遷を最後まで見届ける、と阿求が言わなかったのは己の寿命があるからだろう。

 楓は何も言わず微笑んで頭を下げ、胸を貫く痛切な思いを堪える。

 口を開いて言ってしまいたい思いがある。だが、それは決して側仕えである自分が言ってはならぬもの。

 

 

 

 だから待つ。いつか、いつの日か――御阿礼の子がその願いを口にする時を自分たちはずっと――

 

 

 

「…………ぁっ?」

「お兄ちゃん?」

 

 一瞬だけ思考が茫洋としていた。楓は阿求が不思議そうに首を傾げ、こちらを見ていることに気づき慌てて平伏する。

 

「も、申し訳ありません! 側仕えの最中であるというのに気をそぞろにするなど従者失格! 伏してお詫び申し上げます」

「ううん、気にしてないよ。……だからお詫びに腹を切ろうとか従者を辞すとかはやめてね?」

 

 今から言おうと思っていたことに先手を打たれてしまった。楓は腹を切っても死なないので、死ぬなら見苦しくないよう天狗の業火で己を焼くのが手っ取り早いのだが、阿求に禁じられては是非もない。

 阿求の危惧したことを楓がそっくりそのまま実行しようとしたことが読まれたのだろう。阿求は時々どうしようもなくバカになる兄へ半目を向けた後、困ったものを見る目で笑った。

 

「今日は人里も騒がしかったし、私も疲れちゃったみたい。今日は早めに休みます。お兄ちゃんも早めに休むように」

「……かしこまりました。お心遣いに感謝いたします」

 

 阿求に気を使わせてしまった。己の不甲斐なさに歯噛みする思いだが、それで阿求の厚意を無下にするなどもってのほか。

 楓はせめて今日残された仕事は完璧に遂行すべく、決意を込めてもう一度頭を下げる。

 

「あ、お兄ちゃん、もう一回顔を上げてくれる?」

「む? はい」

 

 楓が顔を上げると阿求は楓の直ぐ側まで歩み寄り、楓の目を上から覗き込む。

 ほんの少しの間でしかなかったはずだが、自分を真っ直ぐ見据える優しい紅の瞳が懐かしい。

 

「うん、やっぱりお兄ちゃんと目を合わせられる方が私は好きだな。また目隠ししちゃうのが残念」

「スキマのさじ加減ひとつになるかと。私も阿求様のお顔が見られないのは辛うございます」

「ダメなら私からも言ってあげる。――私とお兄ちゃんの希少な時間をどれだけ奪えば気が済むの、って」

「心強いです」

 

 きっとそれを言われた紫は思いっきり頬を引きつらせるのだろうが、それよりも阿求の笑顔である。

 今日一日限りかもしれないが、改めて阿求の顔を目に焼き付けておこうと楓は微笑んで阿求と視線を交わすのであった。

 

 

 

 

 

 ――御阿礼の子が死んだ。

 

 原因は不明。ただとにかくひたすらに若くして亡くなった。

 もとより人の命の軽い時世。出来て間もない幻想郷で、今日知り合った命が明日には消えているなどさして珍しくもない。

 

 スキマ妖怪を名乗る八雲紫の甘言に乗り、幻想郷と呼ばれる隠れ里に主ともども移住を決めたのが十年ほど前。

 しかし、幻想郷の理念を説かれたのは八雲紫が直々に選んだごく僅かな人間のみだった。

 大半の人間は事情を知ることなく、むしろ妖怪が大勢集まる場所ということに勇んで現れた、妖怪退治を生業とする者が多い。

 

 とはいえ退治屋としての質もまちまちで、宮中に仕えており鍛えてこそあるものの、妖怪退治の最前線に出たことのない自分ですら力量では上位に位置するような有様だ。

 それでも数の暴力というのは侮れないもので、幻想郷が始まってから十年。当初より置かれていた博麗の巫女の尽力もあり、どうにかこうにか人里は形を保てていた。

 全霊を捧げるに相応しい主である稗田阿礼は幻想郷で暮らすようになり、幻想郷縁起――妖怪への対策本の編纂を担った彼女はその名から御阿礼の子と呼ばれ、畏敬を集めるようになった。

 

 いかに人の命が軽い時代と言えど、そういった存在は丁重に扱われる。人里の中でも中心部に邸宅をもらい、極力妖怪と顔を合わせることなく食事や衛生にも細心の注意を払った。

 だというのに、彼女は三十歳(みつとせ)となる前に遠くへ逝ってしまった。

 病の兆候があったわけでも、老いの兆候があったわけでもない。ただ静かに、己の見ている前で眠るように息を引き取った。

 

「なぜだ……なぜなのです、阿礼様……!」

 

 ひっそりとした葬儀も終わり、男は一人机の上で拳を握り阿礼の死を嘆く。

 すでに涙は出尽くした。後を追うことを何度も考えたが、まだその時ではないと思い直すばかり。

 なぜなら――まだ、何もわかっていないのだ。

 主が死んだのは単なる偶然なのか。それとも転生の支度を終えた直後に来た以上、何らかの作為が働いたものなのか。

 残された自分は生き続ける必要があるのか。それとも彼岸まで彼女を追うべきなのか。

 

 知らなければならないことが山程ある。そして全てを知っているであろう存在にも心当たりはついていた。

 

「――八雲、紫」

 

 人の気配がないこと。今日、この屋敷に誰もいないことを慎重に確認した上でその名を呼ぶ。

 誰に届くでもない密やかな声はしかし、確かに人ならぬ存在へと届く。

 男の眼前の空間にヒビが入り、何かが軋む音を立てて本能的恐怖を煽り立てる眼球蠢く空間が開かれる。

 

 中から姿を表したのは西国の道士服と呼ばれている衣装に身を包み、綺羅びやかな扇子で妖しく笑う口元を隠した女――男が呼びつけた存在、八雲紫が現れる。

 紫は悠然とスキマに腰掛け、男を見下ろした。

 

「呼ばれたので参上いたしました。この度は御阿礼の子の早逝、心よりお悔やみ申し上げますわ」

「心にもないことを語るな妖怪。もとより私など歯牙にもかけてないだろうに」

「まあ怖い。その目が恐ろしくて恐ろしくて、私のような手弱女には荷が勝ってしまいます」

 

 よよよ、とまるで感情のこもっていない嘘泣きを見せられ、男は苛立たしげに吐息を漏らして本題を切り出す。

 

「――その御阿礼の子の死について聞きたいことがある」

「私が殺したか、とでも聞くおつもりで?」

「いいや。あの方は己の持つ求聞持の力を保持したまま幾度も転生し、その都度幻想郷縁起を編纂することを己が使命となされた。これに相違はないな」

「……ええ、はい。私が頼み、あの子は了承した。そういった契約となっておりますわ」

「であれば、今の状況はそちらの思惑通りか」

「その答えは是であり、否である、とだけ語りましょう」

 

 巫山戯ているのか。男が側に携えていた剣を抜いて紫に突きつける。

 

「ああ怖い。ですがあなたに嘘を言う意味はありませんもの」

「……どういう意味だ」

「今、彼女は三途の川の向こう側にある是非曲直庁にて、閻魔の仕事を手伝っております。ここで働くことにより記憶を保持した転生を可能とする」

「それはどの程度の期間となる」

「ざっと百年ほどは必要と伺いました」

「…………」

 

 百年。妖怪にとっては短い時間かもしれないが、人間にとっては長い時間だ。男も間違いなくその場に居合わせることはできないだろう。

 

「……あの方が三十歳迎える前に亡くなられたのは、転生という人を逸脱した領域に手を伸ばした代償か?」

「さて、それは神ならぬ私には読めぬこと。ですがまあ、私としても本意でないことは確かです。編纂をお願いしている以上、その期間が長いに越したことはありません」

「あの方は納得しているのか?」

「彼女には先に話しておきました。転生の準備に寿命が間に合わないようでは本末転倒でしょう?」

 

 つまり、彼女は全て承知の上で転生の準備を終え、そのことを自分に知らせぬまま死ぬことを選んだのか。

 己は信用されていなかったのか、と男が打ちひしがれたように顔を俯かせるとその頬を紫が撫でる。

 顔を上げるとそこには妖艶と語るにはあまりに凄絶な笑みを浮かべ、悪鬼を連想させる顔が男を見ていた。

 

「あなたに果たせる役目はもうない。次の御阿礼の子に会うことは叶わず、仮に思いを継ぎ続けたとしても人は時間の前にあらゆる決意を風化させてしまう――本当に?」

「……何が言いたい」

「私に一つ、提案があります。彼女を守る役目の人間がいるのは望ましいですが、今のままでは形骸化、あるいは風化してしまうことが避けられない。忠義に篤いあなたはともかく、子々孫々までその思いを残せますか?」

「…………」

 

 難しいと言わざるを得ない。ましてや主が転生するには百年近い期間が開く。生まれてから死ぬまで見ることのない主に忠義を尽くせと言い遺しても、守られる保証はないだろう。

 そんなことを考えた男に、紫は決定的なそれを言う。彼女にとって最大の誤算の発生であり、長きに渡って人々を守護する狂気の一族の誕生に紐付いたものを。

 

 

 

 

 

 ――あなたの魂、私に捧げる気はない?

 

 

 

 

 

 言いたいことだけ言って、八雲紫は消え去った。男はかろうじて考える時間がほしいと告げ、誰もいなくなった空間で頭を抱える。

 

 苦悩している? 否。答えは最初から出ている。八雲紫に言うのを先送りにしたのは自分が恐れていると勘違いしてもらった方が(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)良い(・・)からだ。

 頭を抱え、誰にも見えないようにしたその口元は歓喜に満ち溢れている。

 

「ああ……」

 

 なんという僥倖。まさに渡りの船。あの女は禁忌の取引を持ちかけたつもりだろうが、願ってもない申し出だ(・・・・・・・・・・)

 知りたいことがあったのも確かだが、男が一族単位で御阿礼の子を待つのは決定事項となっていた。

 ただ問題は紫も言った通り、どのようにして御阿礼の子への忠義を持ち続けるかが課題として残っていた。

 

 陰陽術でも、博麗の巫女でも何でも良い。生まれた瞬間に記憶を刷り込ませることも考えていたが、どれも不確定だった方法を向こうが提供してくれるのだ。奇跡と言わず何と言う。

 

「…………」

 

 男の決意は変わらない。いや、むしろ紫の話を聞いて一層決意は強くなった。

 御阿礼の子の旅はどこまで続くのか。百年、千年、万年もあり得るのだろう。

 

 ならばそれに同道しよう。幾星霜の年月に及ぶ旅になろうとも、男の一族は必ずそれに付き従う。

 そして――

 

「……いつの日か、あなたがそう願うことを祈って待ち続けましょう。我らはずっと――あなたの側に寄り添います」

 

 喜悦の顔は隠れ、男は何かへ祈るように両手を組んで自身の願いを胸に秘める。

 

「許されるならいつか、我ら一族の願いを叶えてください。――」

 

 

 

 

 

「――阿礼様」

 

 楓が目を開くと、天井へ伸ばした自分の左腕が目に入った。

 右手を動かし、目元を拭う。やはりというべきか、そこには涙の跡があった。夢という形ではあるが、御阿礼の子の死を体験したのだ。阿礼狂いである楓が何の影響も受けないとは考えがたい。

 

 視界を巡らせると、障子越しの月明かりがまだ夜深い時間であることを教えてくれる。

 目が覚めてしまったので上半身を起こし――激痛が左腕を襲う。

 

「あ、が……っ!?」

 

 痛みに対する訓練は受けている。手足が飛ぼうと治るのだから、痛みを無視して戦う訓練は父から身体に叩き込まれた。

 だというのに、今襲う腕の痛みはまるで違う。体の芯に直接響くそれに楓は腕を抱えて痛みに震えるしかできなかった。

 痛みで上手く動かない右腕を動かし左腕の寝間着をまくり上げると、左腕全体に黒ずんだヒビが入っているのがわかる。

 どういった現象なのかひと目ではわからなかった。しかし楓の脳裏に一つの直感が奇妙な確信とともによぎる。

 

 

 

 これは――妖怪が精神的に弱り果てた末の結果である。

 

 

 

 今、楓を襲っている痛みは魂にダメージを与えるもの。この痛みが全身に伝播した時、それが妖怪の死につながるのだろう。

 つまり楓は夢の中で経験した御阿礼の子の死が、己の魂を蝕む激痛となっているのだ。

 

 恐る恐る右手で左腕のヒビに触れると、それを切っ掛けにもろもろと砂糖菓子の如く左腕が崩れ落ちていく。

 血は流れない。ただ楓の身体から離れた部分が砂にもならず消え去るだけ。

 そうして完全に消失した左腕は徐々に再生の兆しを見せ始めるものの、いつもとは比べ物にならない遅々としたもの。

 

「……考えたくないが、阿求様が亡くなられた時に俺は死なないで済むかな」

 

 朝までには治るだろうと判断し、楓は堪えの汗を浮かべながら自嘲の笑みを浮かべる。

 阿礼狂いとして生まれたことで、楓の精神は御阿礼の子以外で揺らぐことはほぼなくなった。

 そしてその代償として、御阿礼の子に関わることでは脆すぎると言っても良い精神性を獲得している。

 

 いつか、自分は御阿礼の子を看取る時が来る。阿求だけでなく、その先の御阿礼の子も看取るだろう。

 その時に楓が無事でいられるのか。あの夢を見た今となっては断言することができなかった。

 

「…………」

 

 左腕の再生が進み、痛みも多少和らいだので楓は立ち上がり外へ出る。

 肌を撫でる夜風が寝汗で湿った身体に心地よい。楓は屋根の上に飛び上がり、座って月を眺め始めた。

 完全に目も覚めてしまったし、もう一度眠って夢の続きを見るのが恐ろしい。腕が治ったら改めて着替え、一日を始めるつもりだった。

 と、そんな楓の背に熱を伴わない感触がやってくる。

 

「椿」

『楓、どうかしたの? いつも外に出る時は服装とか整えてるのに、寝間着のまま外に出たりして――どうしたのその腕!?』

 

 寝間着の左腕の部分が風にあおられてブラブラと揺れていることから、左腕がないことに気づいたらしい。ありもしない血相を変えて楓の調子を聞いてくる。

 

「……夢を見てな。その影響で左腕が崩れ落ちた。通常と違う傷だから治りが遅いだけだ」

『夢? 楓、いつも寝る時は深く寝てなかった?』

「確かにそういう稽古も積んでいたが……どうにも、ここ最近は別の夢を見ることが多い」

 

 少し前までは父との稽古を思い出すことが多かったが、目隠しをして暮らすようになってから別の夢を見るようになった。

 信じ難いのは自分も一緒だが、という前置きをして楓は夢の内容をかいつまんで椿に話していく。

 

「……といった感じの夢でな。俺が阿礼様の時代に生まれていたはずもなし。あんな光景も生まれてこの方見たことがない。おまけに以前は俺が俯瞰していただけだったのに、今回は初代の阿礼狂いになったような感覚だった」

 

 おかげで御阿礼の子の死に対する悲しみがダイレクトに流れ込んでしまい、魂に傷を負う羽目になったと楓は痛みが引いた左腕を動かす。

 

『不思議なこともあるもんだねえ』

「全くだ」

 

 夢を操れる類の能力を持つ誰かが見せている、という可能性も否定できないのだ。幻想郷にはそういったことを可能にする輩がいても不思議ではない。

 だが、楓はなんとなくそれは違うとも思っていた。理由は一つ。

 

「俺にこんなもの見せても何も面白くないだろうしな……」

『じゃあ楓が自分の意思で見ていると思ってるの?』

「俺の、というより俺の身体に流れる血だと思っている」

 

 楓に流れる阿礼狂いの血は大本をたどれば彼にたどり着く。その血が楓に何かを訴えかけているのかもしれない。

 

「この前母上にも聞いたが、父上はこういった夢は見なかったらしい。つまり俺だけが見ている」

『じゃあその夢の意味とかも楓は考えたの?』

「話しているうちにまとまってきた。……これが兆し、というやつなんだろう」

 

 楓は顔を上げて月を見、ささやくような声量でつぶやく。

 

「……これまで俺は父上の背を追い続けていた」

『楓?』

「異変に巻き込まれても、誰の面倒事に巻き込まれても、ずっと父上の影を感じていた」

 

 楓なりに対処しながら、常に頭の片隅で父ならどうするかを考え続けていた。

 もっと上手く、もっと丁寧に、もっとスマートに解決する道はないのか常に模索していた。

 楓がまだ未熟なのもあるだろう。結果としては異変に正面からぶつかり、楓なりに考えた結論を霊夢らと一緒にぶつけていく泥臭いものが多い。

 

 それでも楓は成長を自覚し、最近はとうとう父の背が僅かながら見えるようになった。

 

「……俺がこれから進む道の先に、父上はいないのかもしれない。……父上ですら歩めなかった道を歩むことになるのかもしれない」

『……不安なんだ』

「そうだな。柄ではないと思うが、少しだけ心細いものを感じている」

 

 椿の指摘を楓は否定しなかった。魂が傷を負って弱っていたのもあったかもしれない。

 しかしそれを椿に言っても何も解決はしない。ただ愚痴をこぼしているだけだと楓は自省して言葉を取り消そうとする。

 

「こんなことを考える時点でまだまだ未熟なんだろうな。すまない、聞かなかったことに――」

『――大丈夫だよ』

 

 返答はふわりと背中に広がる感触――要するに椿に抱きしめられることだった。

 

「椿?」

『根拠のある言葉じゃないけどね。でも私は確信してる。楓は絶対にそれをやり遂げるって』

「…………」

『私がいる。霊夢ちゃんたちがいる。天子ちゃんがいる。楓は一人で解決できなくて忌々しく思ったかもしれないけど、頼られることに悪い気分はしないんだよ?』

「……これまでと同じ、か」

 

 目の前の問題に対処し、自分の手に余るなら誰かの助けを借りる。

 ただそれだけのことで――きっと、これから先の自分には何より必要だと思われることだった。

 

「父上にも言われたな。個としての力を追い求めるのは構わないが、頼れるものを作るのは大事だと」

『そうそう。確かに楓は女難の相でも持ってる? ってぐらい色々巻き込まれてるけど――巻き込まれただけで終わったことはないでしょ?』

 

 楓が声をかければ動く存在は椿の予想以上に多いはずだ。自分一人でダメなら他者の手を借りれば良い。

 付喪神の成り損ないという、力だけで言えば楓の知る中で最弱な自負のある椿だって、楓のために力を惜しむつもりはなかった。

 

『最低でも私はそう。楓が一声頼めば、私は私の全力でキミに応えようとするよ』

「……そうか」

『あ、照れた』

「茶化すな。……だが、感謝はしている」

 

 それだけ言って再び月を見始めた楓の背に、椿は自らの頬を寄せる。 

 

『こうしていると昔みたいだよね。親にも弱音なんて見せないんだから』

「…………」

『私はキミの味方になる。それは変わらないから、覚えておいてね』

「……言われるまでもなく知っている」

 

 物心ついた頃から一緒に育ってきた、楓にしか見えず楓にしか触れない儚い存在で――楓が弱った時にも必ず一緒にいてくれる存在。

 椿の心遣いを嬉しく思いながら、楓はいくらか晴れた心持ちで山へ消えゆく月を二人で眺めているのであった。




阿礼狂いにも願いはあるお話でした。
願いの内容は前作を知っていれば想像できる人もいると思います。そこまで引っ張るものではないので、割とすぐお披露目することになりますが。

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