あ、今回はつなぎ的なお話です。
その日、楓は妖怪の山の一角にあるマヨヒガに招かれていた。
理由は単純――騒動に次ぐ騒動で有耶無耶になりかけていた聖輦船の置き場所を改めて決めるためである。このままではなし崩しに人里からも妖怪の山からも遠い、微妙な立地になってしまう。
とはいえ内容に関わりのない者は呼ばれておらず、妖怪の山からは天魔が直接出ることなく文に任せる程度には他人事だ。
「もう集まっているのか?」
「まだ全然。楓が一番乗りだと思うわ」
マヨヒガへは案内がないとたどり着くことが難しい。そのため楓は橙の先導を受けながら妖怪の山を歩いていた。
橙も勝手知ったる様子でひょいひょいと進みながら楓に近況を聞いてくる。
「それで楓は最近どう? また異変に巻き込まれたの?」
「……否定はしない」
「小難しいこと言わずにはいかいいえで答える!」
「はい」
「やっぱり関わってたんだ。そりゃそうよね。あんたがいると騒ぎが大きくなるもの」
訳知り顔でうんうんとうなずく橙に物申したくはあったが、事実なので何も言えなかった。
「ああ、悪い意味じゃないわよ? 私が草の根妖怪ネットワークに入れたのもあんたのおかげだし、騒がしくない幻想郷なんてつまんないわ!」
「俺はもう少し静かな方が良い」
「静か過ぎるのも考えものよ。私は藍さまと一緒に稽古ぐらいしかすることなかったし、そもそも子分だってこの辺りの猫ぐらいしかいなかったもの」
そう考えると橙にとって楓が産まれ、成長し、多くの異変に関わって知り合いを増やし、彼女らを紹介してもらえるのは嬉しい環境なのかもしれない。
「昔は昔で楽しいこともあったけどね。あんたの父親と一緒に騒いでたし」
「耳にタコができるくらい聞かされた。父上が頻繁に妖怪の山に足を運んでいたのも知っている」
子供心に気になったので何度か千里眼で尾行を試みたが、映るのは釣りをしながら河童と話す姿や橙と話す姿ばかり。時折、文もやってきて話すことがあった。
とどのつまり、楓の父親は今の楓ほど知り合いは多くなかったのだ。狭く深く、と言うべきだろう。妖怪相手に知り合いがいるだけで人里の人間としては凄まじいのだが。
楓は妖怪の山をうろついていたら、はたてがやってきて早苗たちもやってきて、雛らも顔を出すといった瞬く間に知り合いに囲まれる状態になる自信があった。
そんな楓の状況を話すと橙はおかしそうに笑い、楓の背中を叩いてくる。
「愛されてるのよ、あんたは。あいつは割と容赦ないというか、好かれる相手には好かれるけど苦手意識のある妖怪もいたし」
「侮られていると言い換えられるのでは?」
「親しみやすいとも言えるわね。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、それがあんたの特徴ってこと」
父のようになりたい楓としては微妙に嬉しくない評価だった。
そんな楓の心境を目ざとく読み取ったのだろう。橙はまた楽しげに笑い、次いでふと気になっていたことを聞いてみる。
「そういえばさ、あんたの目隠しはどうしたの? 取れたなら良いけど……」
「事故で外れた。また今度付け直さないとな……」
「ふぅん。でも、やっぱり私は目が見えている方が好きね。目は口ほどに物を言うってことわざ、あんたを見て実感したわ」
「そんなものか?」
「……見られたくない顔を見られないって利点もあるか」
一人納得した様子の橙に首を傾げながら、楓は詮索しないことにした。時々、橙が自分を通して遠い過去や深い何かを見ているのは知っている。
橙が言い出さないなら悪いことではないのだ。誰にだって知られたくないことの一つや二つ存在する。それが自分に悪影響を及ぼさない限り、そこまで突っ込む気はなかった。
などと考えていると、橙は気を取り直した様子で楓の手を引く。
「また今度、私たちの方にも顔を出しなさい。付き合いが広いのは結構だけど、仲良くなれたなら維持するのも大事よ」
「肝に銘じる」
「よろしい。……さ、マヨヒガに着いたわ」
橙が指差した先から遮るもののない日光が降り注ぎ、楓は僅かに目を細めてマヨヒガのある土地を訪れる。
「今日は紫さまに呼ばれた話し合いでしょ? 私もいつか紫さまたちと肩を並べられるのかな……」
「……橙が橙のまま成長するなら大丈夫だ。俺は人間の血が混ざっているから成長が早いだけだよ」
橙がいずれ大成する存在であることは疑っていない。何百、あるいは何千年か。その先で楓と肩を並べる時も来ると思っていた。
楓は姉のようであり、妹のようでもある少女の頭を撫でると橙の反応を見ることなく、マヨヒガの中に入っていくのであった。
「あら、あなたが一番最初ね」
「早めに来た」
部屋に入った楓を出迎えたのは今回の招集人、八雲紫その人だった。
楓は彼女の前までやってくると懐に入れていた目隠しの布を取り出し、紫に渡す。
「急いでいて説明できていなかったが、魔界で襲われた時に外れてしまった」
「あなたに首ったけな天人からおおよそのあらましは聞いていますわ。あなたの天運は父親以上かもしれないわね?」
その天運は多分、間の悪さとか女難の相と言い換えられそうなものである。
「嬉しくない天運だな」
「ふふ、あなたが丸く収める限り私から言うことはありません。ああ、それとこの目隠しだけど――」
紫が受け取った目隠しに指を這わせると、幾何学的な紋様が一瞬だけ走る。そうしてただの布切れから再び楓の魔眼を封じることのできる魔眼封じへ生まれ変わった目隠しを楓に返す。
「個人的にはあなたが信用するに値するだけの成果を示したと思っていますわ。ですが、この短期間でそれだけの成果を上げられる状況に巻き込まれたのも事実」
「……返す言葉もないが、それについて責められても困る」
紫の言う通り自分は大体巻き込まれただけである。聖輦船に関しては天子と力を合わせて主導権を握り返したが。
困った顔になる楓に紫は手の甲で口元を隠してくすくすと笑う。
「責めてはいません。ただ、管理者としてあなたの天運には一定の警戒が必要というだけです。そしてもちろん、御阿礼の子への配慮も」
「阿求様にもご配慮いただけるのか」
「あなたと彼女の時間を邪魔しているも同然でしたから。御阿礼の子と険悪な関係になるのは私と言えど避けたいもの」
これまで表舞台に立つことがなかったため紫も気づくのが遅れたが、御阿礼の子の阿礼狂いへの思い入れは相当なものだ。
幻想郷縁起を編纂する関係上、常にどこか一歩引いた姿勢で物事を俯瞰していた彼女らがあれほどの執着を阿礼狂いに見せるとは。
阿礼狂いが御阿礼の子に狂うのは当然のこととして、御阿礼の子も阿礼狂い――否、楓が害されるとわかった場合、どんな手に出るかわかったものではない。
あの一件で紫にとって御阿礼の子は千年続く同盟相手であると同時、敵に回したくない相手になっていた。
阿礼狂いである楓も十分に恐ろしいが、彼はあくまで御阿礼の子の利剣であり、妖剣である。剣とは誰かに握ってもらって初めて意味を持つもの。
御阿礼の子の言葉に従い、阿礼狂いが十全に力を発揮する状況があるとしたら――それを食い止めるのにどれほどの犠牲が出るのか、考えたくもない。
「今回の目隠しは御阿礼の子の指示でも外せるようにしてあります。あなたも、阿求の顔を見ずに仕えるのは避けたいでしょう?」
「……厚意に感謝する」
楓は言葉少なに、しかし心底から嬉しそうな様子で紫から目隠しを受け取り、改めて自分の目を隠していく。
そして楓が目を塞ぐと同時、他の者たちの気配も来たため紫は微笑んで楓へ席に戻るよう促す。
「さあ、それでは今日も騒がしく愛おしい――幻想郷の一日を始めるために成すべきを成しましょう」
「あ、場所がどうあれ土地の整地はこっちでやるよ」
会合が始まって早々に宣言したのは守矢神社の祭神、諏訪子だった。
彼女らは聖輦船との関わりは薄いものの、その後の騒動で関わっているためこの場に参上していた。
「色々と迷惑かけちまったからね。今回はその詫びも兼ねて、無償で力を貸そう」
諏訪子らの言葉は当事者である彼女たちより、楓に向けられている。
楓も視線に気づいたのだろう。腕を組んで諏訪子らに問う。
「それは構わないが彼女らは仏教徒だ。八百万の神であるそちらとは相容れないのでは?」
「勘違いされても困るからこの場で明言しておくが、私らはお前さんの力になりたいんだ。ことこの場においては少年の決断を全面的に支持するよ」
「で、わかりやすい方法が今話した内容ってわけ。私は坤を創造する程度の能力――平たく言っちまえば大地に関わるものを操る能力があるからね。枯れた土地も肥えた土地に早変わりさ」
非常に優秀な能力である。しかし諏訪子が所持している以上、人間に有用なだけでもないはずと思い、顔をしかめるしかなかった。
楓のそれを難色と捉えたのだろう。諏訪子は補足するように口を開く。
「ああ、言っておくけど信仰が少ない今だとできることも限られる。全盛期なら話は別だけどね」
「彼女らへの助力に関してはどの程度だ?」
「出血大サービスってところかな。無論、少年への」
「ふむ、受けられる厚意ならありがたいが……そちらはどう思う?」
今回は諏訪子の厚意に甘えても良さそうだ。そう判断した楓は腕を組んだまま諏訪子の座る反対側――聖白蓮が束ねる面々の中で唯一人里との接点を持つため参上した、寅丸星とナズーリンに声をかける。
声をかけられた星は部屋に入室した時から崩さない、背筋を伸ばした美しい正座のまま朗らかに笑って答えた。
「願ったり叶ったりです。宗派は違えど、困っている時はお互い様ですよ」
「ご主人はこう言っているし、私たちは新参者だ。これから要求するものは増えるかもしれないが、当座の住処だけ用意してもらえば大体なんとかなるさ」
「あやや、思いの外あっさり解決しそうですねえ。もっとバチバチに敵対すると思ったのですが」
揶揄するようにつぶやいたのは天魔の名代としてこの場にいる射命丸文だ。
今回の場においてはほぼ部外者のため、話の結果だけを天魔に報告すれば良い彼女は実に気楽そうである。
そんな彼女に星は常と変わらぬ友好的な笑みを浮かべた。
「人妖平等を掲げる我らにとって、敵は存在しません。無論、意見の相違や立場の相違で争うことはあれど、私たちはいついかなる時でも皆と仲良くしたいと思っておりますよ」
「うーん優等生なお言葉ありがとうございます。これは記事にはならないかなあ……」
「話がまとまるなら結構なことだ。ともあれ詳細な立地等が決まったらそちらに声をかけよう」
「ん、早苗も気にしていたし、私たちも個人的に話したいことがあるからね。後で神社においでよ」
了承の意を込めてうなずくと、言うべきことも終わったと諏訪子らと文は部屋から出ていく。ここから先は自分たちに関係がないため、聞いても面白くないのだ。
残された楓と星にナズーリン。そして場を用意した紫だけが残ったところで、楓は懐から一枚の紙を取り出す。
「こちらで用意した地図を使っても?」
「構いません。場所の当てはありますか?」
「いくらか候補は作っておいた」
そう言って広げられた紙の上には人里を中心とした周辺の情報が記されていた。
もともとある程度の地図はあったが、異変が続くようになって勢力がどんどん増えていく今の地図に即してはいなかった。
幸い、今は楓を始めとした千里眼を所持する存在が二人とも人里にいる。そのため二人はここ最近の地図も作り直している背景があった。
「諏訪子が協力してくれるなら話は早い。もともと人里の人間が増えすぎた時用の開拓地として目星を付けていた場所だ」
「あら、今の時点でそれは少し早くなくて?」
「備えだけはしておきたかった。どうせ一朝一夕にいかない内容だ。その時になって焦るよりマシだ」
「ふむ、どの場所も良いですが……開拓地としての候補を潰すことになるのです。何かしらの条件があるのでは?」
「そちらが野菜を育てて、こちらとの物々交換に使用してくれれば良い。こちらが不味い時に多少の色を付けてくれると助かる」
土地を開拓する人手も、育てる人手も人里から捻出せずに食料の調達先が一つ増えるのだ。
物々交換が必要になるとは言え、相手は寅丸星と聖白蓮が束ねる妖怪たち。ぼったくられる心配をしないで良い商売相手ができると思えば破格の条件である。
星もナズーリンも楓の意図を読み取ったようで、ナズーリンが人の悪そうな笑みを浮かべた。
「なるほどなるほど。人里の守護者殿は容赦なく私たちをこき使うつもりらしい。ご主人はどうだい?」
「構いませんよ。むしろ歓迎します。田畑を耕し、作物を育てるのは並大抵のことではありません。我々だけであれば日々の糧が得られれば良いですが、大勢となればこれも修行となります」
「……ご主人がお人好しで良かったね、守護者殿」
「知ってて言った」
ナズーリンの顔が思いっきり酸っぱい梅干しを食べた時みたいにシワが走るが、すぐに気を取り直して楓を指差す。
「んんん……! 物々交換にはこっちも噛ませてもらうからね! そっちこそぼったくる真似はしないように!」
「そこは商人と話してくれ。俺はあくまで橋渡しだ」
「わかりました。こちらの内容を聖たちに伝え、希望する場所を後ほどお伝えします」
「そうしてくれ。立地の話はこれで終わりか?」
「ええ、過分な厚意に感謝を。では――」
「あら、話はまだあるでしょう?」
もう話すことはないと思った星が席を立とうとするが、それを遮ったのは聞き役に徹していた紫だった。
「楓も忘れちゃダメよ。彼女らは仏教徒よ? 至極当然の話だけど――信徒を増やす活動はどうするの?」
「……博麗神社や守矢神社と違い、信者の多寡が死活問題に直結するわけではないだろう? であれば優先度を下げても良いのでは?」
「それは少し困ります。確かに信仰がなければ存在できないと言うことはありませんが、御仏の教えを知るものが多いに越したことはない」
星の控えめな、それでいて譲る意思の見えない言葉を聞いて楓は唸るしかない。
楓も人々の信仰にどうこう言うつもりはないが、布教活動を行う過程で彼女らがかち合うのは避けたい。多分霊夢は喧嘩を売る。
「……早苗たちにも話を通すから布教活動は場所がかち合わないようにやってほしい。信仰の自由は認めるが、人里で無用の争いが起こるのは看過できん」
「争いたいわけではないのですが、そちらの言葉に従います。博麗神社に守矢神社、そして我々の信仰の管理まで行うとは大変ですね」
誰のせいだと思ってるんだと言いたい楓だった。
宗教とか面倒なことばかりである、と人里を束ねる側である楓は密かにため息をつく。
「布教活動についてはこっちも考えておく。今日のところはそれで良いか?」
「わかりました。これで今度こそ終わりですかね。八雲紫殿には場所を貸していただき深く感謝を」
星は身体を紫の方へ向けると、楓が見ても洗練された所作で頭を下げる。
それに対し紫は僅かに微笑みを見せようとして、すぐにそれを扇子の向こうへ隠す。
「幻想郷は全てを受け入れる。それが私たちの理念ですから」
「それは何とも――美しいものです」
星たちが考える人妖平等において、紫の唱える題目ほどぴったり当てはまるものはない。
全てを受け入れるとは――かつて彼女らを排斥した人々も受け入れることに繋がる残酷なものであると知った上で、星は一片の迷いも持たず同意を見せる。
どうあれ話は終わったため星たちが立ち上がると、楓も立ち上がって彼女らの方を見た。
「俺もそちらについていっても?」
「構いませんが、何か用でもあるのですか?」
「先程の祭神も会いたがっている素振りだった。そちらを優先すべきじゃないかな」
「少し話したいことがあるだけだ。時間は取らない」
星とナズーリンが知っている楓という人物らしからぬ、有無を言わせない口調だった。
断っても無理やり付いてきそうな様子に星たちは顔を見合わせ、紫の方を見るものの彼女は予想していたのか肩をすくめるばかり。
「ふむ……? わかりました。そちらが我々に不義理を働くと思っているわけではありません。聖のところへ案内しましょう」
「助かる」
星たちが楓を伴って部屋を出ていくのを見送り、紫は扇子に隠していた口元を表し、その顔を思案するものへ変える。
「あの子が最優先で動くのはわかる。幻想郷縁起の取材を申し込むため。でも――奇妙な胸騒ぎを覚えるのはなぜ?」
非論理的だ。だが、こういった虫の知らせというものは何かしら当たっていることが多い。
「そういえば――彼女らが探していた聖白蓮という尼僧は死を恐れて魔女になったと言っていたわね」
楓は星らの案内に従ってお寺の中へ入り、仏像の前で瞑想をしていた白蓮のもとに到着する。
「聖、ただ今戻りました。会合は全てつつがなく終わりましたよ」
「それは喜ばしいことです。あら、楓殿?」
「どうにも聖に話があるらしくてね。私らは一旦席を外そう」
「頼む」
星とナズーリンが席を外し、残された白蓮と楓が相対する。
「お話とは一体何でしょうか。おそらく、私個人に当てたものだと愚考しますが」
「合っている。……俺の本来の役目について話そうと思ってな」
「本来のお役目、ですか?」
「ああ。俺は本来、とあるお方に仕えることを役目としている」
楓は自分が御阿礼の子に仕える従者であること。幻想郷縁起を編纂する御阿礼の子の使命について語っていく。
そして幻想郷縁起に描かれる妖怪や英雄について、聖輦船に関わる妖怪たちもまとめたいことを話す。
「昨今は異変に次ぐ異変で次々と新しい勢力が現れているため、主も多忙を極めている。故、代表であるあなたの話を聞いてまとめさせてもらいたい」
「そういうことでしたか。私の方はいつでも構いませんとお伝え下さい」
「協力に感謝する。時が来たら改めて招待させてもらおう」
「はい、承りました。お話とはこのことですか?」
「そうだな。そちらの今後の動きについても多少は気になっている」
楓の言葉に白蓮はあまり特筆することはないと笑いながら話してくれる。
「そう大したことはしません。この命蓮寺にて人妖平等を掲げ、来る者拒まず去る者も追わず、助けを求める遍く存在に手を差し伸べる。それだけです」
「命蓮寺?」
「ああ、このお寺の名前です。命に蓮の華と書いて、命蓮寺と書きます」
「由来があるのか?」
「最愛の弟の名より頂いております。聖命蓮と」
過去を懐かしむ様子の白蓮の声音から、命蓮という人物はすでに故人であると楓も察する。
しかし同時に不思議なこともあるものだと首を傾げた。
「……先立たれたのか」
「はい。弟は高名な僧でしたが、悟りへ至ることなくその命を終えました」
「うん?」
「あら、何かわからないことでも?」
「一つ気になった。――なぜお前は魔女になる道を選んだんだ?」
「――――」
楓にとって、それは何気ない疑問だった。なぜって、父は死を選んだからである。
だから人間とは多くの死を看取っても、その上で己の死を受け入れるものだと思っていた。むしろ彼らと同じ場所へ行けることを安らぎとする向きだってある。
そして最も身近な人間といえる霊夢も死を恐れるでなく、受け入れて日々を悔いなく過ごす死生観を持っていたため、楓の考えを助長していた。
そんな楓の疑問に対し、白蓮は大きく目を見開いて絶句した後、神妙な顔で話し始めた。
「……恐ろしくなったのです」
「恐ろしくなった?」
「はい。弟、命蓮は本当に立派な僧でした」
「ふむ」
「私などより遥かに御仏の教えを理解し、精進して……それでも、死んでしまった」
「……道半ばだったのか」
「……どうでしょう。命蓮の死に顔は穏やかなものでした」
そこまで話すと白蓮の言葉が途切れる。
楓は静かに続きを促したが、それ以上が語られることはなかった。
「楓殿はどうしてそのように思ったのですか?」
「父上は死んだからだ」
父の後を継いで幻想郷の守護者を始めてわかったことがある。幻想郷で人間を辞めるのはそんなに難しくないということだ。
自分や父のように妖怪の知り合いが多ければ簡単だ。誰かに聞けば誰かしら答えを返してくれるだろう。
半妖の自分は必要ないが、人間である父にとって人間を辞める選択肢は魅力的に映った時もあるはず。
そもそも、楓の力に不満があるなら自分が人間を辞めて阿求に仕え続ける道だってあったはずだ。
「俺の父――最初から最期まで人間だった父上が何を思っていたのか、全部はわからない。わからないが、死を恐れていた様子はなかった」
「……きっと、素晴らしい出会いと別れがあったのでしょう。死の恐怖を上回るほどの」
「そんなものか」
死の恐怖など阿礼狂いが感じるはずもなし、父が死を選んだ理由は別のものがあると考えるまでもなく直感する楓だが、白蓮の答えに反論はしなかった。
「これ以上はあなたの語る主の前で話しましょう。私にとっても苦い思い出。あまり何度も語りたいものではありません」
「わかった。その時を待たせてもらう」
楓は鷹揚にうなずき、立ち上がる。
「長話してしまって悪かった。また後日」
「ええ、またお会いできるのを楽しみにしております」
命蓮寺で暮らす誰とも違う、静かな足音を響かせて退出する楓を見送り、白蓮はそっと呟く。
「――私の答えを聞いたら、彼らはきっと私を軽蔑するのでしょうね」
それはほんの少し先の未来を正確に予測しており――同時に彼らがどこまでも正しい生き方をしてきたことの証左であると、白蓮は哀しくも優しい笑みを浮かべるのであった。
楓の人間観は父親や霊夢が基準になっているところがあるため、常人とは微妙にズレています。
人間はやるべきことやってれば死ぬことを恐れないんじゃないの? みたいに考えているのでひじりんとは噛み合わない。
ここからいくらか書いて神霊廟が始まります。守矢神社が原因? 楓がドンピシャな場所提供しちゃったのも原因だから……(震え声)
余談だけど神霊廟ネタボツ案
■一足先に幻想郷にやってきたせーがにゃんがノッブの話を聞いて、宮古芳香と同じくキョンシーにしようと墓暴きを目論むお話。
ボツにした理由? 原作キャラ死亡有りタグが増えるから(真顔)ゆかりん含め利害無視してブチ切れる妖怪が多いし、阿求も知ったら躊躇わず楓という剣を振るう。