――奇しくも、前作の本編完結日にこのお話を投稿できることに運命的な何かを感じたため、今日だけはこの日に投稿させていただきます。
「本日は我が屋敷に遠路はるばるお越しいただき、ありがとうございます。私が楓の主人であり、当代御阿礼の子――稗田阿求と申します」
その日、楓と阿求は稗田の屋敷を訪れた白蓮をもてなし、応接間にて簡単な自己紹介を交わしていた。
阿求が白蓮へ頭を下げるのに合わせ、楓もまた頭を下げて改めて自己紹介をする。
「阿求様より紹介に与りました。従者をさせていただいております、火継楓と申します」
「ご丁寧な紹介に痛み入ります。先日、人里の近くに命蓮寺というお寺を構えさせてもらいました、聖白蓮と申します。稗田様のお役目についても火継様より伺っております」
それぞれが丁重に礼を尽くした挨拶を交わし、顔を上げる。
「……格式張ったご挨拶はこのぐらいにしましょう。白蓮さまもよろしいですか?」
「もちろん、構いません。楓殿も外で話す時とは別人のようで」
「公私を分けておりますゆえ。そして今、私は阿求様の従者です」
話すなら自分ではなく阿求と話せ、という楓の言外の要求に白蓮は笑い、阿求と向き合う。
「これは失礼しました。本日は幻想郷縁起とやらの取材、と伺っていますが……」
「はい。白蓮さま本人についても後ほど聞きますが、今は命蓮寺に住まう妖怪たちのことを確認したく」
いつの間にか楓が用意していた巻物と筆が阿求の前に差し出され、阿求は慣れた手付きで筆を受け取ると穏やかな、それでいてどこか超然とした――歴史を綴る者としての顔で笑う。
「では始めていきましょう。まずは白蓮さまの周りにいる妖怪から話を聞いていければと」
「かしこまりました。まずはそうですね……多々良小傘ちゃんから話しましょうか」
「む、彼女が命蓮寺に?」
てゐに引きずられて竹林へ消えて以来、姿を見ていなかったのでてっきり迷いの竹林でてゐにしごかれているものだとばかり思っていた。
「ええ、ここはお寺ということもあり、いずれは墓地を構えようと考えているのですが、それをどこからか聞きつけて墓地だったら驚かしやすいかも! と言って顔を出すように」
「お兄ちゃ――楓さん、知り合い?」
「以前、人里で人を驚かせられないかと相談を受けました。その時は悪戯に一家言ある妖怪を紹介したのですが……」
また今度竹林に向かった時にでも様子を聞くことを決めておく。妙なところで前向きだった小傘が逃げ出すとも思えなかった。
「楓さんから見たその妖怪はどんな感じ?」
「から傘お化け以上ではありません。人を驚かせようと動きこそしますが、害する意思はまるでない。むしろあれは人を驚かせて怪我をしたら心配をするでしょう」
「私の目からも同じく。本質的に心優しく、他者を害そうなど思いもしない子だと思います。対策らしい対策も不要でしょう。無論、私の方でも監督いたしますが」
「ではそのように。楓さんはその子とも友達になるの?」
「頼られれば応えます。人を紹介した責任もあるので近いうちに声をかけます」
てゐの様子を見る限りだいぶスパルタなのだろう。半泣きで自分に助けを乞う姿が今から目に浮かんでいた。
楓の話を聞いた阿求は筆で小傘の項目に危険度低と記した後、話を次に進める。
「次の妖怪について聞きましょうか。白蓮さまのお好きな順番で構いません」
「あらあら、それではお言葉に甘えて……次は村紗水蜜という船幽霊について話しましょう」
「船幽霊。楓さん、危険は?」
「幻想郷で船を使う状況がそう多くありません」
霧の湖で遊覧するか、妖怪の山から流れる川下りに使うか。どちらにせよ只人がやることではない。
「それに今のあの子は聖輦船という船を与えております。それも今や命蓮寺へと変わってしまったのでだいぶ暇そうにしてますが、安全は保証いたします」
「ふむ、楓さんはなにか知っている?」
「彼女についてはあまり。法界へ行く時に顔を合わせた程度なので」
「天子様と仲良くしておりました。彼女はかつて念縛霊として水辺から動けず、船幽霊として彷徨っていた頃に私が解放し、聖輦船を与えたものです」
「危険はない、と?」
探るような阿求の言葉に対し、白蓮は即答しなかった。困った様子で頬に手を当てて言葉を選んでいる。
「確かに船を与え、落ち着きはしておりますが……残念ながら、船幽霊という自身の性質を克服しているとは言えません」
「つまり船を転覆させる可能性がある?」
「私の目を盗んでいるつもりなのでしょうが……星を騙すことは難しいので」
恐縮しきりとばかりに身体を縮こまらせる白蓮の様子に、楓と阿求は顔を見合わせる。
「どうしようか?」
「人里の船になにかやったら然るべき対応に出ます。そうでない限りは気にしないで良いかと」
「よろしいのですか?」
「妖怪の領域でそれをやったら、その領域に住まう妖怪が動くだけだ。こちらが目くじらを立てる理由はない」
「よく言って聞かせます。それでダメなら……もう一度退治いたしますので」
うふふと軽く笑って語る白蓮だが、その拳に秘められた威力を知っている楓は何とも言えない表情でうなずくだけだった。多分、直撃したら自分も一撃で沈む。
船幽霊の性質が変わってないことから危険度は極高と記しながら阿求は次に進む。
「次は寅丸星とナズーリンについてお話します。二人については楓殿もご存知かと」
「先んじてこちらに接触してきた妖怪です。寅丸星は毘沙門天の代理を名乗る妖怪で、ナズーリンはその従者みたいな形を務めております」
「みたいな形?」
耳ざとく聞きつけた阿求の質問に対し、楓は彼女らとの会話を思い出して返答する。
「はい。彼女らは自己紹介の際、毘沙門天の代理である寅丸星と、毘沙門天の弟子とナズーリンがそれぞれ語っています。――この場合、毘沙門天の弟子であるナズーリンは毘沙門天本人との関わりが深いはず」
「慧眼の通りです。ナズーリンは星の監視役として毘沙門天様より遣わされた妖怪。星はそれも理解した上で彼女と友誼を結んでいます」
「星さんって人は大物なのかな?」
「一廉の人物であることは間違いないかと」
それは楓も認めるところだ。誰にでも優しく朗らかな笑いを絶やさないが、決定的な一線は譲らないし、何も考えていないようで、おそらく命蓮寺の中で最も先を読む力に長けている。
村紗水蜜、雲居一輪、寅丸星、ナズーリン、聖白蓮。命蓮寺に関わる人妖を一通り見てきた楓が最も危険視するのが誰か、と問われたら寅丸星を挙げるだろう。
「ええ。私が封印されている間、仲間を束ねていたのも星です。楓殿の言葉が正確かと」
「……ふむふむ。大物妖怪である、と。人里には友好的?」
「仏徒として常に万物へ敬意を払っております。火の粉を払う、ないし己の鍛錬以外に武器を執ることはないかと」
「命蓮寺の面々で順番をつけるつもりは有りませんが、誰が最も真摯に修行しているか、と皆で決めるなら星があがることでしょう。あの子は昔から誰よりも熱心で、誰よりも努力家です」
「人間への友好度も高いし、危険度も低い、と。白蓮さまの人徳でしょうか。誰も彼も人々に優しいですね」
「彼女らが真摯に生きているからこそです。私の力などほんの僅かですよ」
お世辞も含まれているであろう阿求の言葉に白蓮は恥ずかしげに微笑む。
そうして各々の大雑把な情報を書き込んだ阿求は更に先を促す。幻想郷縁起の編纂は御阿礼の子の本分。阿礼狂いが御阿礼の子のために戦う状況と同義である。
「さて、では次に――そろそろ佳境ですか?」
「私を除くならあと一人です。雲居一輪。入道使いと呼ばれる一人一種族の妖怪です」
「一人一種族? 珍しいこともありますね」
一人一種族とは八雲紫や風見幽香といった、既存の妖怪の種族名に当てはまらないものを指す。正しく彼女一人しかおらず、またその妖怪一人で全て完結する妖怪だ。
総じて一人一種族の妖怪は極めて珍しく、ましてや名を馳せている妖怪は全てが大妖怪に近い力量の持ち主と呼べる。
一人で生きることを種族として強いられるため、脅威を退ける力量がなければ道半ばで朽ちて終わりなのだ。
そういった情報を持っている楓と阿求は目を丸くして、白蓮に話の続きを促す。
「一輪は元人間の尼僧でしたが、当時人々を襲っていた妖怪――見越し入道を退治したことが切っ掛けで人間の道を外れます」
「見越し入道というと……見上げるほど大きくなっていく妖怪ね」
「見越したと言うことで妖術を打ち破り、退治できるようになる妖怪です」
幻想郷縁起の編纂を使命とする一族とその従者だけあって、妖怪に対する知識は二人ともすぐに出てくる。
白蓮は二人の息の合った様子に慈母の如き笑みを浮かべ、続きを語り始める。
「素晴らしい見識です。そうして退治された見越し入道は一輪の人柄に惚れ込んだのでしょう。彼女と一生を共にすると誓い、一輪もそれを受け入れました。今も彼は雲山と呼ばれ、一輪の傍らにいます」
「……なるほど、それで人間から拒絶されたのですね」
話の結論をいち早く読み取った阿求が真面目な顔で呟く。
いつの時代も力持つ存在は嫌われる傾向が多い。長い実績を積み上げ、人々の信頼を得たならまだしも、そうでないぽっと出の存在がいともたやすく自分を殺せるとあれば、心穏やかにいられない人は多い。
まして白蓮の語る時代は千年以上昔のこと。阿求は朧気ながら覚えているかもしれない時代であり、人妖共存など文字通り絵空事でしかない時代だ。
阿求の読みは当たっており、白蓮は痛ましく過去を思い返し、言葉を紡いだ。
「仰るとおり、彼女は人々から忌み嫌われました。それでも彼女は雲山と共に在り続けた。かつてその理由を何故か、と問うたことがあります」
「お返事は?」
白蓮は懐かしい過去を浮かべ、心から掛け値なしに尊敬する友人のことを誇り、自分にできない選択を軽々と成し遂げた少女への僅かばかりの憧憬を混ぜた、淡い笑みを浮かべる。
「自分で誓ったことを嘘にしたくなかった、と言って笑いました」
「……強い人ですね」
「はい、強い人です。そうして一輪は見越し入道を操る妖怪――入道使いとして名を馳せ、人間を完全に辞めることになりました」
「来歴はわかりました。彼女の現在についてお伺いしても?」
「今は一介の尼僧として修行に励んでおります。また、妖怪である自分は人々と一線を置くべきだと考えているようで、自分から人里に向かうことはないかと」
「人間には友好的ですか?」
「それはもちろん。命蓮寺で顔を合わせた人々には優しくしておりますよ」
であれば人間友好度は高で問題ないだろう。但し、自分から顔を合わせようとしないのだ。同時に危険度も高としておいた方が彼女のためになるはず。
阿求が命蓮寺の面々を一通り評価し終え、側に控えていた楓も白蓮や阿求のやり取りを全て記録し、楓は一旦小休止を挟むことを提案する。
「残りは白蓮殿だけとなりましたが、この辺りで一度休憩されてはいかがでしょう。お茶を用意いたします」
「うん、そうしようかな。私もちょっと頭の中を整理したいし。白蓮さまもどうぞ」
「ではお言葉に甘えて」
白蓮の言葉を皮切りに場の空気が弛緩する。
阿求が纏っていた空気も御阿礼の子として浮かべていたどこか油断ならないものから、年相応な子供のそれに変わった。
「お兄ちゃん、今日のおやつはなあに?」
「水ようかんになります。そろそろ初夏とはいえ、本日は暑いですから。お茶も冷たいものをご用意しましょう」
「わ、楽しみ! それじゃあお兄ちゃんの分も合わせて三人分ね!」
「かしこまりました」
うやうやしく頭を下げて一礼し、白蓮にも一礼した後で楓は部屋を下がる。
残された白蓮は阿求と話す良い機会だと思い、口を開いた。
「稗田様と楓殿は主人と従者という関係なのでしょうか? それにしては気安い関係も含まれているように見えましたが……」
「阿求で良いですよ。公の場では御阿礼の子とその従者として振る舞っていますが、普段は妹とお兄ちゃんみたいな関係でいたいと私が望んでいるんです」
そして楓は阿求の願いに応えている。
なかなか不思議な関係だと思った白蓮はもう少し詳しく聞いてみることにした。
「楓殿とは長いのですか?」
「もう一年以上になりますが、それまでは顔を合わせたこともありませんでした。お祖父ちゃん――私の一族に本当に長い間仕えてくれていた人の子供なんです」
「まあ、てっきり幼少の頃から見知ったものだとばかり」
「お祖父ちゃんが亡くなって、繰り上げる形でお兄ちゃんと出会いました。――私はあの人に家族を見ているんです」
阿求の声音が変わる。先程まで纏っていた御阿礼の子のものとも、子供らしい阿求のそれとも違うもの。
求めてやまないものを与えてくれた誰かへの多大な感謝と、文字通り永遠に忘れないという覚悟を匂わせるそれに白蓮は言葉を失う。
どんな人生を送ればこんな子供がそのような顔をすることができるのか。心優しい姉のようであり、親を慕う娘のようであり、無邪気に兄を頼る妹のような笑顔を浮かべながら、阿求は話を続ける。
「お兄ちゃんも、お祖父ちゃんも、私に忠誠を捧げる一族に生まれた人です。私が主人で、あの人たちが従者。もともとそういう関係だったんです」
「……元はあなたの護衛、だったのですか?」
「根本はそうですね。歴代の御阿礼の子も皆、あの人達を心から信頼していました」
まるで見てきたように語る、と白蓮が疑問を抱いたのも一瞬。阿求が心から楽しそうに語る楓たちについての話はまだ終わっていなかった。
「あの人達は違った。あの人達は私たちを守るだけでなく、家族になってくれた。人は変わっても、在り方は変わらず」
「……とても、大切に思っているのですね」
「はい。この記憶は永遠に消させません」
阿求がそう話を締めくくったところで、人数分のお茶と菓子を用意した楓が戻ってくる。
それでこの話は終わってしまうが――白蓮が阿求と楓の二人をただの主人と従者とはまるで違うといった印象を抱くに十分な話となるのであった。
白蓮が自分だけで食べるのはもったいないと思える美味な水ようかんに舌鼓を打ち、爽やかな苦味のあるお茶で口内を洗い流したところで、話は再開された。
「では、最後は私の話ですね」
「はい。我々はあなたが命蓮寺という勢力の長であると認識しています。そのため他の方々より詳しくお話を聞かせてもらいますがよろしいですね?」
「もちろん。ここに来た時から覚悟しておりました」
「覚悟が必要なお話だと認識しても? あなたが人間を辞めたお話のように」
「……やはりお見通しでしたか」
阿求が見た目と違う老成した観察眼と知識の持ち主であることはすでにわかっていた。
そのため阿求の指摘に白蓮は驚くことなく、どこか哀しげな笑みを浮かべて応えるだけに留める。
「全てお話いたします。幻想郷縁起に載せるかは阿求様らの裁可におまかせしましょう」
「……わかりました。それではお話しください」
「はい。それでは――」
白蓮は懺悔するような面持ちで語り始める。
普通の人間なら誰もが一度は抱く思いであり、実行する手段が存在してしまったが故に手を伸ばしてしまった憐れな女の話であり――御阿礼の子にとって決して認めることのできないそれを。
話の序盤は楓が知るものと同じだった。
弟、聖命蓮と共に仏門の徒として研鑽に励み、功徳を重ね、苦界に喘ぐ民衆を救わんと手を尽くした。
そうして互いに歳を取り――弟の方が先に逝ってしまった。
「良い死に顔でした。道半ばなれど成すべきを成し、多くの民を救い、己の果たした結果に満足して死んでいきました」
「…………」
阿求は何も言わなかった。ただ、なめらかに動く筆が白蓮の話を書き綴る音が部屋に響くのみ。
全ての音が遠くなった錯覚を部屋にいる誰もが覚えたが、それを口に出すことなく白蓮の話が続く。
「――私は恐ろしくなりました。あれほど努力を重ね、衆生を救い、悟りを開かんと邁進した弟ですら、道半ばで斃れた。ならば私はどうなる?」
弟と同じように年老い、もう間もなく死ぬであろう老婆は死に恐怖した。すぐ頭上にあるそれを心から嫌悪し、自らの行いが無に帰すことを拒んだ。
「そこからは文字通り死にもの狂いでした。人を助ける術こそあれど、己を生かす術のない法力に見切りを付け、私はあらゆる方法を探した」
「……そこであなたは魔法に行き着いた」
「はい。捨虫の魔法。己の肉体を望んだ年齢で停止させ、殺されなければ恒久的に生き永らえることが可能となる――魔法使いへ変生する外法に手を伸ばした」
故に魔女。聖白蓮は御仏に仕える身でありながら己の死を恐れ、誰にでも訪れる結末から逃れようと禁忌に手を染めた存在だった。
「そうして生き永らえましたが、すぐに次の問題が発生しました。魔女として生き続けるには魔力が必要不可欠。それがなければ捨虫の魔法すら効力を失い、私は死んでしまう」
「俗世を捨て、魔法の研究に耽った……わけではないのですね」
「私は独学で魔女となりました。当時は妖怪から妖力を頂戴し、それで魔力を維持する方法以外にないと考え、実行した。幸い、旅の尼僧として振る舞っていれば妖怪の話には事欠かない時代でした」
妖怪を退治するフリをして助け、その見返りとして妖力を受け取り、己の糧とする。本性が知られれば人間からも妖怪からも迫害されかねない、文字通り全てを裏切る行いだ。
「あの当時に罪悪感はありませんでした。とにかく生きたい。死にたくないという一心で動いていました。まるで死から逃れる人形です」
そういって白蓮は自嘲し、今の思想――人妖平等を抱くまでに至った経緯を語り始めた。
「ですが、妖怪にも人間を害するものと害さないものが当時からおりました。そして害さないものが人々から迫害を受けている姿も見ました」
「当時の人妖は不倶戴天の敵でした。妖怪は人を喰らい、人は決死の思いで妖怪を退治する」
「ええ、その通りです。しかし、その摂理に馴染めぬ妖怪がいたのも事実」
最初は死から逃れるためだった。しかし、段々とその思いは変化し、やがて人を襲わない妖怪や、己の説得を聞いて改心した妖怪たちを守りたいというものに変わっていく。
「村紗たちと出会ったのもその時です。そして当然ですが、私も人々を襲う妖怪や、説得を試みても聞かない者たちに加減はしませんでした」
「それでも人々は気にしないでしょう。弱い妖怪も強い妖怪も、等しく妖怪です。そんな風に相手を選び、手を差し伸べるあなたが排斥されるのも当然の結末かと」
阿求の言葉は無情だが、同時に的確なものでもあった。
白蓮も否定することなくうなずき、続きを話す。
「……やがて私は人々に囚えられました。そして死を与えることすらおぞましい所業の罪として魔界へ封印されることに。そこから今に至るのは楓殿もご存知の通り、あの子たちが頑張ってくれたおかげです」
話を結び、白蓮は温くなっていたお茶を飲んで長話で乾いた喉を潤す。
そして一から全てを語ることで白蓮の中にもなにかの整理がついたのか、しみじみとつぶやく。
「しかし、そうですか。――本当にあれから千年、経っていたのですね」
「はい。あなたが生きていた時代を全て知っているわけではありませんが、あの頃とは何もかもが違う」
「その通りです。私も願ってはいましたが、まさか人妖共存が本当に成立するなど……」
「……大勢の人と妖怪が頑張ったんです。私のお祖父ちゃんも一緒になって」
「阿求様?」
楓は父の名が出たことに疑問の声を上げるが、阿求は応えなかった。
「幻想郷の賢者の紫さまが。妖怪の山を統べる天魔さまが。外の世界からやってきたレミリアさまが。そして――これら全ての妖怪と対等に渡り合ったお祖父ちゃんの尽力が。今に至る幻想郷を作り上げてきた」
「……はい。きっと、壮絶な物語があったのでしょう」
阿求の言葉に白蓮は想像もできない過去に思いを馳せ、目を閉じる。
「これからは白蓮さまもその中で生きてください。ここにもう、あなたたちを脅かすものはありません」
「……はい」
白蓮がうなずくと、阿求は巻物に落としていた顔を上げ、白蓮を真っ直ぐに見据えた。
阿求の口から放たれるであろう言葉に予想がついた白蓮は罪科を受け入れる咎人の面持ちで、その言葉を待ち受ける。
「その上で私はこう言いましょう」
――私はあなたを認めません。聖白蓮。
「――はい。その思いは間違いなくあなたが抱くべきもので、どこまでも正しいものです」
阿求の言葉に白蓮は頭を垂れ、何一つ否定することなく受け入れてその場の話は締めくくられるのであった。
「……お兄ちゃん」
「はい、ここに」
白蓮が去った後、阿求は無言で楓の胸に飛び込んで鼓動の音を聞き続けていた。
「……ずるいよ、あの人は」
「そうですね。私も全てを聞いてようやく納得しました」
「うん」
白蓮の理念を否定するつもりはない。早すぎたとは言え、人妖共存を掲げた彼女の行いを悪と断じることはできない。
だが、楓たちはそれでも白蓮の生き方を認めることができなかった。
「だってあの人――
学び、育ち、産み、守り、死に――託し、継ぐ。それが遍く人の生き方だ。
しかし白蓮はそれをしなかった。仲間がいるなら仲間に託せば良かったのだ。彼女らが未来を紡ぐと信じ、死ぬべきだったのだ。
それをしないということはすなわち――自分の意思を受け継ぐに足る存在がいないと、周囲を信頼していないに等しい。
「私たちは後に託し続けて、記憶を継承し続けてここにいるんだよ? なのにあんなの……ずるい」
「――そして、私も父の願いを受け継いでここにいます」
御阿礼の子は短命の軛に縛られて生き、後に続く者たちに託して阿求につないでいる。
楓もまた人間である父に後のことを託され、御阿礼の子の側にいる。
「誰にも託さず、自分の手で全てをやる。そんなことをみんながやったら、人が人でなくなる」
「はい。そこに喪失の悲しみはないかもしれませんが――託す喜びも、受け継ぐ誇りもなくなります」
両者ともに先人の願いを託され、継承した者だ。そして楓たちは言葉に出すことなく、一つの思いを抱いている。
それは極めて単純なことで、人々が当然のようにやっていること。
――受け継いだものをより良いものに昇華する。たったそれだけ。
「白蓮さまが生きる限り、人妖平等は実現する。
「それ以上にはならない。他ならぬ彼女が生きているから」
理想を掲げた張本人が生きているのだ。理想を叶えはしても、理想以上にはなり得ない。
受け継ぐ誰かが他者だからこそ、より良いものが生まれ得るのだ。
無論、儚く消える可能性だって大きい。理想とかけ離れたものになることもあるだろう。
――だから信じられる者に託すのだ。自分が作り上げたものを、もっと良くしてくれると願って。
「……お兄ちゃん」
「はい」
「……命蓮寺との付き合いは変えないで。あの人は認められないけど、幻想郷は全てを受け入れるから」
「かしこまりました。白蓮とも?」
「うん。あの人の生き方は認められないけど、あの人は素晴らしい人」
「かしこまりました」
たとえ生き方が認められずとも、そこに在ることを認められる主は何と素晴らしい人徳を持っているのか。楓は内心で感動しながらうなずき、続く言葉を待つ。
予感は確信だった。白蓮が阿求たちに認められない生き方をしていると語っていた時から、それは楓の胸にあった。
最近見るようになった過去の夢の意味も同時に理解した。阿礼狂いが御阿礼の子へ抱き続けた唯一つの願いの内容も。
阿求は楓の胸に埋めていた顔を上げ、涙で潤んだ瞳で楓の紅い瞳を見上げる。
「……実はね、お祖父ちゃんから託されたものがあるの」
「はい」
内容は聞かずともわかった。阿礼狂いならば必ずいつか抱く思いだ。
そして自分の父なのだ。道半ばで斃れるはずもない。きっと一定の成果を出し、後につなげたのだ。
「……私はそれを受け取ったまま、保留してた。多分、今日のことがなければずっと保留して、次に託したと思う」
「……はい」
「言って良いのかな? 私たちはずっとこれを受け入れて来たんだよ? なのに、私がそんなワガママ言って良いのかな?」
「――良いのです、阿求様。私たちはあなたの願いを叶えるためにおります」
これより先、楓は本当の意味で父の後を継いで走り出す。
父が作り上げたもの。遺したもの。託した思い。全てを背負い――父が予想し得なかった、最上の結果を目指して。
阿求は楓に抱きついたまま、その瞳から涙をこぼして、とうとうその願いを口にする。
歴代の御阿礼の子誰もが願い、そして胸に秘めたまま消えていったものを。
「――私、生きたい」
「大人になりたい! 生きて誰かと結ばれたい! 生きて子供を産みたい! 生きて子供を育てたい! 生きてお婆ちゃんになりたい!! 生きて、生きて、生きて――!! 生きたいよ」
秘めやかに、言ってはならぬ言葉を言うように囁かれたそれは、阿求が言葉を続ける度に勢いを増す。
楓はその言葉を瞑目して噛み締め、
御阿礼の子を守るために御阿礼の子に狂い、彼女らを守るためならあらゆる禁忌を犯す一族。
そこに生まれ落ちた楓もまた御阿礼の子に狂い、そして阿礼狂いが抱く原初の想いに到達する。
一番最初。あとに続く一族を全て、その狂気の鎖に絡め取った男が抱いた思いはひどく単純で、それ故純粋なもので。
「――
ただただ、愛しい主に生きてほしかっただけなのだ。
楓は何も心配することなどないと微笑み、涙に濡れる阿求の頬を優しく拭う。
阿求は楓たちが、先祖代々自分を守り続けた一族が己の側に居続けた意味を理解し、その目に決意の色を浮かべる。
着物の袖で強引に涙を拭い、阿求は楓の手を引いて戸棚の方へ足を運び、大切に保管されていた一冊の本を手渡す。
「ここにはお祖父ちゃんが最期に作り上げた、私を短命の軛から解き放つ術が書かれています」
「はい」
「ですがこれは未だ途上。あくまで可能性が高い、としかお祖父ちゃんは言いませんでした。そしてこれを使えば、私は求聞持の力を失う可能性もあると」
「私に完成させろと言うのですね」
阿求の心は決まっていた。一番大きいワガママを言ったのだ。ここまで来たらとことん欲張りになってやろうではないか。
「はい。私が求聞持の力を失わず、御阿礼の子としての役目を果たせるまま――私の寿命を人と同じものにして欲しい」
「――己の全てに代えても成し遂げてみせましょう」
阿求は楓の言葉にそれはいけないと首を振る。
「私はお兄ちゃんと一緒に生きたいの。そしていつか、しわくちゃのお婆ちゃんになった私を見せたい。お祖父ちゃんも見られなかった姿だよ?」
「……それは、是が非でも見たいものですね」
御阿礼の子が年老いるまで生きる。それは阿礼狂いの誰もが願い、誰もが叶わなかった何よりも美しいもの。
確かに、そんな素晴らしいものを自分以外の阿礼狂いが最初に見るなど耐えられない。これは絶対に生きて彼女の願いを叶えなければ。
「じゃあお兄ちゃん――ううん、楓さん。私たちに狂い、私たちのために生きた一族の結実。どうかあなたが、私の願いを叶えてください」
「――我が父の名に懸けて」
白蓮と阿求たちの絶対的な違いは誰かに託すことができたか、それを受け継ぐことができたか、です。
阿求も楓も自分たちより前に生きた人たちから多くのものを託され、またそれを受け継いでここに居ます。
そのため誰かに託さず、誰かの思いも受け継がず生きている白蓮の在り方とは決定的に異なってしまう。
東方求聞口授で割とボロクソ言われてたのもこの辺りが原因かなと思っています。阿礼狂いがなくても、彼女らは代々転生を繰り返して後に託してきたのですから。
前作含め、残された時間を生きたいとかそういったニュアンスの言葉こそあれど、阿求のような願いを口に出した御阿礼の子はいませんでした。
白蓮の話を聞くのが阿求にとってのターニングポイントです。人妖共存の理想にたどり着きこそすれど、一番最初に願った死にたくないという大きな欲望を聞くことで、阿求の中に生きたいという願いが芽生える。
そして前作主人公が最期に遺したものと言葉がそれを後押しし、託され、受け継いだ少年が父の願いを越えた結果に至ろうと動き出します。
ただ、生きてほしい。たったそれだけの、しかし父が己に託した願いを胸に。
よもやこのお話がこの日に来るとは全く想像してませんでした(小並感)