その日、楓は命蓮寺を訪れていた。
喧嘩別れのような形になってしまった白蓮と改めて話すことと、彼女らの布教についてある程度形が決まったのでそれを伝えるためである。
「――とまあ、阿求様はそちらに顔を出さないかもしれないが、俺は変わらずそちらと付き合っていくつもりだ」
「ですが、主の不興はあなたの不興でもあるのでは?」
「阿求様は変わらず付き合えと仰った。俺個人の意思が介在する余地はない」
神妙な顔で楓を迎え入れた白蓮だったが、楓の話を聞くと納得したように何度もうなずいて穏やかな微笑みを浮かべた。
楓の言い方に引っかかるところはあるものの、それを突く理由もない。
「わかりました。ではそのようにいたしましょう。寛大なご配慮に感謝を」
「不要だ。……個人的に、ではあるが俺はそちらに感謝している」
「感謝、ですか?」
「ああ。御阿礼の子の御心を疑ったことなど一度もないし、あの方の献身が今日まで幻想郷を永らえさせた。……しかし、阿求様らはそのためにご自身の心を押し殺し続けていた」
だから楓たちが同道した。過酷な彼女らの旅路を少しでも支えられるように願って。
その行いを後悔したことは一度もないが、自分たちだけでは御阿礼の子が決意するには至らなかった。
阿求が生きたいと願うようになった今にして思う。御阿礼の子に必要なものは生き方の違う鏡だったのだろう。
「あなたが奇貨となってくれた。俺だけではきっと、あの方は変わらず使命に殉じただろうから」
「……浅ましく罪に塗れた身であると理解しております。ですがこの身体が誰かの役に立ったのなら嬉しく思います」
お互いに頭を下げて、それで話は終わりであると楓が別の話題を切り出す。
「いつだったか話した、そちらの布教方法について説明しようと思う」
「まあまあ。それはありがとうございます。私一人が聞いても仕方ありませんので、星を呼んできましょう」
「やはりこちらでの実質的な指導者はあなたと彼女になるのか?」
「そうですね。他の者たちがこういったことをやりたがらないというのもありますが、星は特に向いていると思います」
「あいわかった。今後もこういった話は二人に持ちかけるとしよう」
そうして星もナズーリンを伴わずに現れ、以前見たときと変わらない友好的な笑みを浮かべて楓に声をかけてくる。
「お久しぶりです。壮健なようで何よりです」
「そちらも変わりなく。宝塔はなくしていないようだ」
「あはは、ナズーリンをこれ以上怒らせるわけにはいきませんから。変わらず大事にしています」
「そのナズーリンはどうした?」
「彼女はかけがえのない友人ですが、厳密に言えば命蓮寺との関わりはありません。あくまで彼女は私個人を監視し、報告する役目なので。そのため住居もここではなく、無縁塚に掘っ立て小屋を建てて暮らしています」
必要ならば呼びますよ、と提案されるが首を横に振る。所在を知っておきたかっただけで、深い意味はない。
「そうですか。では改めてお話を伺いましょう。布教についてでしたね?」
「ああ。先に断っておくと、以前こちらに来た守矢神社と扱いに差はつけない方針だ」
そこで余計な肩入れはしない。楓はどちらの勢力も知っているが、彼女らの信仰についての興味はほとんどない。
「守矢神社と争いになられるとこちらが困るので日程はずらすが、基本は守矢神社にしている扱いと同じにする。決められた日、決められた場所で布教をする。人里からはあくまで場所と機会の提供だ」
一部の勢力、特に宗教関係で肩入れすると後々非常に面倒くさいことになる。楓はなんとなくそれを察していた。
「ふむ、布教の内容も公序良俗に反しない限りで問題ないと?」
「人里の中心部にほど近い場所で行うことになる。あまり周囲の家々を破壊するなどしなければ、ある程度は大目に見る」
無論、それだけでは彼女らも満足の行く布教はできないだろう。それも踏まえて楓は話を続ける。
「人里からこれ以上の便宜は図らない。しかし、そちらが提案という形で話を持ってくるなら考慮の上で受けることもある」
「ほう。それはどういったものがあります?」
「例えば守矢神社は人里外部の見回りや妖怪退治に協力する、ないし妖怪の山の素材を人里に持ってくるといったものだ。そちらで何ができるかはわからないが、そういった形で少しでも知ってもらおうとする努力は認める」
「なるほど。聖、後で少し話しましょう。私たちは後発の勢力です。そういった手段もすぐに考えて実行しなければどこまでも出遅れてしまいます」
「わかりました。楓殿、こちらも後日お話を持っていくことになるかと」
「自警団の詰め所か、火継の家で直接俺を呼べば対応しよう」
外部の勢力との交渉関係は楓が一手に担っている。そのためそういった話も全てまず楓を通し、問題ないと判断すれば改めて人里内の会合に出てくる流れとなっていた。
「承りました。公平な対応に感謝を」
「……感謝されるほどのことか?」
「されるほどのことです。御仏の教え――いいえ、あらゆる宗教の教えは弾圧されるものでも、贔屓されるものでもありません。贔屓は腐敗を生み、弾圧は犠牲を生む」
まだ若い楓に実感はないが、星の生々しい言葉を否定する理由もなかった。
神妙にうなずき、今後も対応は変えないことを心に決める。
「これからもその公平さを保つには相当な労苦があると思いますが、頑張ってください。我らも心を腐らせることのないよう、精進します」
「そうしてくれ。では俺は――」
話すことも終わったので失礼しようとしたところ、星に袖を掴まれる。
その目にはキラキラとした戦意が宿っており、白蓮はそれに気づいて困ったように笑っていた。
「む?」
「聖から聞きましたよ。魔界で一戦交えたそうだとか」
「ああ、まあ……面倒な行き違いがあってな」
大本の原因をたどると自分にたどり着くが、言わないでおく。星に事情を説明したら憤慨より同情が来ると睨んでいた。
しかし楓の懸念とは別のところで星の琴線に触れるところがあったのか、不服であると言うように頬をふくらませる。
「それはずるい! 私はあなたの力量を高く評価しているのですよ!」
「……彼女は何が言いたいんだ?」
このまま星と話していても埒が明かないと思い、楓は白蓮の方に顔を向ける。
「星は大変良くできた仏徒であり、毘沙門天様の代理を十二分にこなせる立派な妖獣なのですが……もとが獣故か、少々己の気質に素直なところがありまして」
「まとめると?」
「強い相手に目がありません」
楓の顔が一気に面倒そうなものに変わり、次いでため息に変わる。
「……まあ良い。俺の鍛錬にもなる」
「おお、話が早い! 理解してもらえて嬉しいです!!」
「嬉しいのはわかりましたから、袖を引っ張ってはいけませんよ?」
今すぐ行こうと袖を引っ張る星をたしなめ、白蓮は優しい笑みで二人を見送る。
「申し訳ありませんがお付き合いをお願いします。私はこちらで布教の方法などをまとめますので」
「わかった、また後で」
誰の目にもキラキラと輝いて見える星に伴われ、楓は命蓮寺の稽古場に移動する。
そして目隠しをつけたまま二刀を抜き放ち、鉾を構える星と相対した。
どこから聞きつけたのか一輪や村紗も見物に来ており、楓は背中に突き刺さる視線が増えることに辟易した声を出す。
「……あまり衆目に見られるのは好きではない」
「それは申し訳ありません。ですが皆、あなたの力量が気になっているのです。聖しか知りませんからね」
「間違いなく私より強いですよ」
火に油を注がないでほしいと思う楓だった。
だが、身体は戦闘の構えを取り、いつでも動ける状態になっている。面倒に巻き込まれたと思っているのは事実だが、経験につながるので悪いとも思っていなかった。
「では始めましょう。胸をお借りします!」
「――こちらこそ、鉾相手の経験を積ませてもらおう」
踏み込みは同時で、そして余人の目には見えないもの。
一瞬の交錯の後、両者は互いの武器の間合いで猛烈な乱打が始まる。
美しい銀月を描く楓の双刃が星を襲い、星の流星に見紛う突きが楓の銀月の結界を崩さんと突き込まれる。
(――突きは点攻撃だから妖怪に効果が薄いと思っていたが、認識が甘かった!)
脳天、首、胸、みぞおち。正中線と呼ばれる人体の急所が多く集まる箇所を怖気が走るくらい精密に狙ってくる。
突きの厄介な部分は出が読みにくいことだ。目が見えないのも相まってわずかに反応が遅れる。
波濤が如き突きの乱舞をどう崩し、攻略したものか。楓は体捌きで突きを回避しながら星の首に刀を奔らせた。
(よもやこの歳で私と互角に打ち合うとは! しかも本来の彼は目が見えていると聞く! 天賦の才とはここまで恐ろしいものでしたか!!)
戦慄する思考と裏腹に星は口元に歪な笑みを浮かべながら、秒と気を抜けない斬撃の嵐を己の鉾で打ち払う。
彼の斬撃を一つも受けてはならない。鉾の刃で受け流すことに失敗したら容赦なく武器ごと破壊される。
活路は前にしかない。後ろに下がったが最後、勢いに乗った彼の双刃をかいくぐって攻撃に回る未来が描けなかった。
傍目には互角の勝負をしている風に見えるのだろう。事実、今時点での打ち合いはほぼ互角であると星も睨んでいた。
だが、あくまで今だけである。というより、星が攻撃に専念しているから楓が様子見をしてくれているという側面がある。
「――ふっ!」
星の手が霞み、神速の突きが楓の左に持つ刀を払い落とす。
ざわめきが広がる。二刀を振るっていた手から一刀が落ちたのだ。戦況は星の優位に傾いたはず。
けれど星の顔はむしろ愕然としたもの。
(抵抗が少なすぎる!
とても鋼と打ち合った感触ではない。ただちょうど手放したものを鉾で払っただけのような手応えだった。
案の定、楓の体勢は剣を払われたにも関わらず全く崩れておらず、むしろ鉾を引くより速く星の懐に潜り込もうとしていた。
背筋に冷たい汗が流れる。不味いと思いながらも打開策が浮かばない。
それでも反撃をと星が鉾を振るい、楓はそれを最後の悪あがきだと判断して手の空いた左で白刃取りしようとし――
――一瞬、自身の身体に向かっているものがわからなくなる。
「っ!?」
何が自分に向かっているかわからない。あり得ない状況に困惑した楓は咄嗟に身体を翻して距離を取る。
星も同様だったのか、一瞬だけ自分は何を握っているのかと目を見開き、すぐに原因を察したのか楓から視線を外す。
誰かを探しているのだろうか。一瞬で戦意を消した星に合わせる形で楓も周囲の気配を探り、不自然に読めない箇所へ顔を向ける。
そこにはいつの間にか左右非対称の赤青の羽を持つ、黒いワンピースの少女が佇んでいた。
「あははははっ! 必死になって避けてやんの。鉾だってわからなかったのかねえ?」
甲高く、そこはかとない悪意のこもった笑い声に反応したのは星だ。
楓の横に立ち、近くにいるだけで伝わる怒気を少女へぶつける。
「ぬえっ! この悪戯は見過ごせませんよ!!」
「えー、助けてあげたつもりなんだけど」
「殺し合いの場であれば感謝したでしょう。ですがこれは組手です。敗北すらも糧に変えられるもの。そして彼は私の知る中でも指折りの使い手」
「ふーん」
まるで興味がないといった様子で耳をほじっていた。
怒鳴る気力も失せたのか、星は大きくため息をつくと別の切り口から攻めることにする。
「――聖に言いつけますよ」
「うぇっ!? 聖は関係ないでしょ!?」
「大アリです。良いですか――」
白蓮の名前を出すと少女は露骨に動揺を見せた。
そしてその動揺の隙を突くように星はずんずんと少女へ距離を詰め、お説教を開始する。
「…………」
その様子を見て楓も少女の力関係をなんとなく察してしまう。
稽古がうやむやになってしまったのは残念だが、あの少女の助けがなければ間違いなく自分が勝っていたのも事実。
聖白蓮、寅丸星。どちらも油断ならない相手であり今見せた札が全てだとも思わないが、武芸に関して言えば紙一重で自分が勝っていると確信できた。
状況次第で揺らぐ差だが、言い換えれば状況が整っていれば確実に勝てる差である。
などと考えていると、楓の隣に尼僧の格好をした少女が近寄ってきた。
「悪いね、余計な茶々が入っちまって」
「いや、気にしていない。そちらは?」
「入道使いの雲居一輪って言うんだ。聖輦船内部の管理をしていたおかげで、あんまり顔を合わせなかっただろ? 一回ちゃんと話しておきたくってね」
「火継楓だ。天子にお前たちへの助力を頼んだ側になる」
「感謝してるよ。あの天人さまはちょいと偉そうだったが、偉そうにするだけの知恵も力もあった」
「だろうな。あいつの能力は心配していない」
「おたくも大したものじゃないか。星と打ち合える人なんて聖の姐さんぐらいしかいなかったのに」
「俺より強い妖怪だって大勢いる。俺もまだまだだ」
「はっは、そりゃ恐ろしい。私も精進しないとね」
豪快に笑う一輪に肩をすくめ、顔を星に叱られている少女の方へ戻す。
「それで彼女は一体?」
「封獣ぬえ。あの異変で顔は出してなかったけど、飛倉の破片をさっきみたいに正体不明にして邪魔していた妖怪さ」
「ぬえ……正体不明……なるほど」
鵺とは様々な動物の特徴がごちゃまぜになった得体のしれない怪物として描かれている。人間にとってよくわからない――正体不明そのものを操るようになった妖怪と考えれば合点はいく。
「邪魔をしていたのか」
「元の形がわかってないと特に刺さる能力らしい。元の形がわかっていれば効果は薄れるみたいだが……おたくには効果があったのかい?」
「一瞬だけだ。すぐに戻りはしたが、あのタイミングだと警戒せざるを得なかった」
素手で白刃取りしようとも考えていたのだ。一瞬でもわけがわからなくなるものを掴みたいとは思わない。
「まあ悪戯好きでおまけに太古の妖怪だから割と強いし、反省の色も見えない妖怪だけど、姐さんは慕っている。一応、私も仲良くしようと思っているよ」
「人里で何かやったら白蓮の名前を出すとしよう」
「そうしてくれ。星! そろそろ良いんじゃない? というか効果ないから聖の姐さん呼んでこようよ」
呼ばれた星は一輪に振り返るも、彼女の提案には首を横に振った。
「そうするのが手っ取り早いとは私も思います。ですが、彼女には聖以外にも怒る人がいることを知るべきです」
「ぬえ、もうどっか行ったよ?」
「ってああ!? ちょっと目を離した隙にすぐいなくなる! 全くもう!!」
ぷりぷりと怒りの収まらない様子の星は楓のもとへ戻ると深々と頭を下げる。
「寺の人間が申し訳ありません。とても楽しい勝負でしたが、水を差されてしまい」
「気にしていない。一輪から聞いたところ、白蓮には懐いているらしいが」
「それは事実です。ですが経緯がどうあれ命蓮寺に身を寄せている以上、彼女には周りの人間とも打ち解けてほしいのです」
「……放逐するつもりはないのか」
楓の言葉に星は何を言っているのかわからないと首を傾げた。
「ただ個人に惹かれているだけでも、命蓮寺の一員です。私は決して見捨てませんし、できることなら世界を広げるためにも他に目を向けてほしい。気に入った人だけ大事にする、ではあまりに受け身過ぎます」
「なぜ?」
気に入った人だけを大事にするやり方に問題があるのか。阿礼狂いである楓にも思うところがあり、理由を問う。
「だってそうでしょう? 気に入ったものだけ大事にするというのは、言い換えれば気に入ったものが現れなければ何も大事にしないのと同義です」
「……人それぞれにとって大事なものを大切にするのは当然だと思うが」
「それは間違っていません。ただ、気に入ったものだけで完結する人にはならないでほしいのです。人もものも諸行無常であり、私たちも例外ではない。もしも聖がいなくなったら、彼女はどうするのか」
「…………」
「生きる理由が一つの妖怪は脆いです。そして理由を自覚しない妖怪も脆い。逆に自己の存在理由を理解している妖怪は頑丈です。力の強弱に関わらず、後者は長生きする傾向にある」
「……そういうものか」
「はい。求めていた答えになっていましたか?」
ニッコリと微笑んでの言葉に、楓はそれがぬえに向けた言葉であると同時、自分にも向けた言葉であると理解する。どうやら楓の考えは気づかれていたらしい。
「……生きる理由が生まれた時から決まっている妖怪が別の理由を探せと言われた時、妖怪はどうすると思う」
「――探します。そして選びます。たとえ同じ答えに帰結するとしても、己の意思が介在せず与えられた理由と、自分の意思で選んだ理由は全く違う。自分で定めた理由というのは何よりも強固な意思になり得る」
自分の決断が間違いだった、なんて誰だって思いたくないでしょう? と語る星に楓は神妙にうなずく。
確かに。生きる理由を探せと言われているが、それがまた御阿礼の子になってはならないという理由はない。
要するに御阿礼の子を喪った悲しみに耐え得るものであれば何でも良いのだ。それこそまた御阿礼の子に会える希望でも。
……とはいえ仮に阿求を亡くした直後に次の御阿礼の子に会える喜びで心を満たすなど、阿礼狂いである自分でもそんなことができるかは疑問だが。
「ありがとう。まだ探している途上だが、参考になった」
「力になれたのなら良かった。では私はぬえを探してきますのでこれで」
慇懃に頭を下げて稽古場を立ち去ってぬえを探しに行く星を見送り、楓は隣の一輪に話しかける。
「……彼女が毘沙門天の代理となれた理由がわかった気がする」
「だろう? 命蓮寺自慢の仲間だ」
魔界に行くことはもうない。それが楓にとっての認識だった。
命蓮寺は再び聖輦船に変化させることで魔界巡航ツアーなるものを企画しているらしいが、それは彼女らのもの。楓が援助する理由も最低限の安全以外確認する理由もない。
魔界関係者もアリス以外にいないはず。そのアリスも全ての事情を知った後、単身魔界に乗り込んでの大立ち回りをしたとは疲れ切った様子の彼女本人から聞いたもの。
そんな彼女に負担をかけさせまいと魔理沙には言い含めておいたが、効果があったかは疑問が残るところだ。閑話休題。
どうあれ楓は最近とみに増えつつある騒動の一つ程度の気持ちだった。珍しい風景を見られたので良い思い出の部類に入れても良い。
そして――
「なぜ俺はまた魔界に来ているんだ……」
「あら、私と一緒に歩くのは不満?」
今現在、楓は再び魔界の風を身体に浴びていた。しかも隣にはよりにもよって風見幽香を伴って。
花屋の前で顔を合わせたので軽く話をしていたところ、唐突に楓に顔を寄せた幽香が眉を寄せ、そこから先はあっという間だった。
スキマとも違う得体の知れない空間を作り出し、そこに楓を放り込んで幽香自身も入って、いつの間にか再び魔界である。
「原因はあなたよ? 久しぶりに顔を合わせたから今度こそ将棋で敗北を味わってもらおうと思ったのに、魔界の匂いなんて漂わせているから」
「匂い?」
「そう、匂い。戦ったんでしょう、魔界人と?」
「……まあ、そうだな。あまり良い思い出ではないが」
「なに、負けたの?」
訝しげな幽香の言葉と同時、肌にひりつく魔力が向けられる。
もし負けたと言ったら、彼女の期待に応えられなかった存在として骨も残さず消し飛ばされるのだろう。
「勝ったよ。より楽に勝つために他者の力を借りもしたが、究極的には俺一人でも倒すだけならどうにかなった」
「ならばよろしい。誰と戦ったの?」
「夢子と名乗るメイド姿のやつだ」
「ふぅん、あいつ。魔界人の中では最強クラスらしいけど」
「知っているのか?」
「昔、魔界へ遊びに行った時に少しね」
絶対ロクなことじゃない、と察した楓はそれ以上の追及を避けた。
「私もほとんど忘れていたけど、あんたの匂いで思い出したわ。ここの神は妖怪にほど近い性質がある。力は段違いだけど」
「夢子から聞いた話だととても人が逆らえる存在じゃないんだが」
「魔界人には、ね。私たちには関係ないわ」
「……今、迷わず足を進めているが向かっている先はもしかして」
「魔界神、神綺の居城よ。古い知り合いに会いに行くの」
「一人で行ってくれないか?」
楓の心底からの言葉に幽香はむしろ嗜虐的な笑みを浮かべる。
「あら、手土産の一つも持たないなんて無粋でしょう?」
「人を手土産にするな」
「良いわね、遠慮が消えてきた。多少は活きが良くないと」
何を言っても聞きやしない。
かと言って帰ろうにも幻想郷に戻る手段がない。幽香が作った空間は複雑な術式が使われており、まして目が見えていない楓に一瞬で模倣するのは難しかった。
「…………」
「ふふ、静かになったわね。私に屈服した? いいえ、あの男の息子がこんなところで折れるはずはないもの。きっと心のどこかで私を倒す術でも考えているのでしょう」
「いや、もうやったが」
「あら?」
幽香が左腕に視線を向けると同時、
それ自体はすぐに再生するが、いつ斬られたのか。幽香にもわからなかった。
そして楓に切られたということは――幽香の体内に術式を刻む余裕もあったということ。花の妖怪を燃やし尽くす炎の術を。
「俺も遊んでいるわけじゃない。お前を殺すだけなら難しいことではない」
「…………」
幽香は何も言わない。言わないが、口が裂けたと見紛うおぞましい笑みが彼女の感情を雄弁に語っていた。
楓はそんな彼女の顔が脳裏に浮かんだものの、何も気づかなかったことにした。せっかく目が見えないのだ。余計なものを見たくない。
「殺さないのは積極的に殺す理由がないことと、幻想郷への被害を抑えて勝つことができない二点だ。ここは魔界。後先考えず殺すだけなら不可能でもない」
「……吠えたわね。以前の私が本気だとでも?」
「そっくり返そう。今の技が本気だとでも?」
両者の間に流れる空気が変わる。隙を見せたが最後、互いを殺し尽くすまで止まらない戦いになる。そんな予感があった。
「…………」
「…………」
表面上は和やかに歩きながら、しかして実態は相手の隙を抜け目なく探すもの。
そんな空間に割り込んできたのは――
「よう少年、久しぶりだな! 風見幽香を伴って現れるとはお前さん、私の想像まで越えてくるな! だがそれでこそお嬢様のご友人!」
殺意や敵意など全く読めず、実戦経験皆無のくせ魔界人最強のメイド――夢子がケラケラ笑いながら両者の間に入ってきた。
「夢子、迎えに来たわけ?」
「おお、そうさ。本当なら幽香をぶっ飛ばす武器とか準備して来る予定だったんだが、少年を連れているなら話は別だ。少年、幽香に勝てるかい?」
「戦えと言われたら勝つ」
「それでこそ私に勝った男だ! お嬢様のだんな……おっとこれはオフレコだ」
「おい待て今なんて言った」
「男が細かいこと気にするもんじゃないよ。さて、幽香はまあ……招かれざる客だが、少年と一緒なら話は別だ。案内しようじゃないか」
どこに、という言葉は不要だった。夢子の向かう先は幽香が向かう先と同じでもあるのだ。
「あら、連れてみるものね。良かったわね、楓。この私の役に立てて」
「帰りたい」
「なに、戻ったら自慢すれば良い。幻想郷に神はいるかい?」
「零落した神なら」
ほう、と夢子は意外そうな顔をする。神がいるとは幻想郷もなかなか侮れない。
しかし創造神には敵うまい。夢子は我がことのように誇らしげに胸を張り、これから楓が出会う人物を語る。
「だったら創造神に会ったことを自慢してくれ。さ――魔界神のおわす宮殿に案内しよう」
帰ったら真っ先にアリスと会い、洗いざらい話して助けを請おう。
そう心に決めた楓は夢子、幽香の案内を受けて魔界を進むのであった。
魔界のイベントも終わらせたかったのですが、切りどころが見つからなかったので分けることに。次回はこの続きと神霊廟の予兆イベ辺りが始まります。
星は強いやつに目がありませんが、同時にめちゃくちゃ優秀な毘沙門天代理を意識しています。
世の中が清廉潔白でないことを理解していて、でもだからといって汚いことに手を染めずに済む立ち回りができるタイプ。ガチガチの仏徒なので旗頭はやりたがりませんが、副官に一人いるとものすごい楽ができる人。
ぬえに関しては出そう出そうと思って忘れていました(土下座)
でもこの後の神霊廟が始まる前に出てくるお話はあるので許してください()