その後、日が昇るまで楓は不寝番を墓場の周りで行うことになった。
椛は多少心配そうにしていたものの、楓は気にすることなく椿と話しながら時間を潰していた。
『実際さあ、どうやって逃げたと思ってる?』
「あの仙人か」
『うん。一人ならどうにかごまかせる術があるかもしれないけど、楓にお母さん、吸血鬼も入れれば三人になる。しかも一般人とかではない、千里眼持ち』
「……俺は逃げ出すところを見ていた、と言ったら?」
『納得するかな。キミは何の意味もないことはしないし、あの時だって一瞬たりとも目を離してなかったでしょ?』
「さすがにわかるか。正直、俺は母上やレミリアほど怒りを覚えられなくてな」
彼女らがあそこまで必死になって守ろうとするものにも実感がなかった。
死者の尊厳は守られるべきである。一般的な理屈として楓も知っていることだ。故に察知したら防ぐために動くことは当然だ。
しかし、それは放置すれば楓が損をするからとも言いかえられる。母は悲しむだろうし、さほど気にしていないが守護者としての名誉にも傷がつく。
「見逃すわけではないが、草の根分けて探して滅殺するというほどでもない。なのでまあ、逃げるなら逃げるで良いかぐらいの気持ちだった」
『阿求ちゃんに報告したらどうなると思う?』
怒髪天を衝く勢いで怒るというのは楓にもわかっていた。
肩をすくめて椿の言葉に答える。
「そうなったら改めて探して潰せば良い。第一、墓荒らしを見つけたので殺しましたでは阿求様の感情の置き場がなくなってしまう」
『阿求ちゃんのために殺そうとか思わなかったの?』
「椿、それは出過ぎたことだ。――俺たち阿礼狂いは御阿礼の子の剣だ。剣が斬るべき相手を勝手に定めるなんてあってはならない」
まあ御阿礼の子が侮辱されたり危険に陥ればその限りではないが、それは別である。
楓の言葉に椿は微妙な顔になって唸る。物心ついた頃から彼とは一緒にいるが、未だに阿礼狂いがよくわからない。
『……まあ良いや。話を戻すけど、あの仙人はどうやって逃げたの?』
「難しいことはない。――地面に潜って逃げた」
仙術かなにかで自身と芳香と呼んでいたキョンシーの見た目だけを作り、二人は瞬時に地面へ消えていた。
常に視界に収めて一挙手一投足、毛先の動きまで全て見ていた楓でもかろうじてわかった速度だった。
人は地面に飲み込まれるように消えないので虚を突かれたこともあるが、逃げ足だけは大したものだと認めざるを得ない。
その辺りを話すと椿は腕を組んで空を見上げる。すでに日も昇りかけ、白んだ空の上に微かな星灯が目に映る。
『……次は逃さないの?』
「さっきも言ったが、見逃す理由もないからな。積極的に追う理由も薄かっただけで、見つければ捕まえる」
『じゃあそうしてほしい。……私も、あの墓が荒らされるのは嫌なんだ』
「…………」
『胸がザワザワする。あるはずのない心臓が脈打ってるような心地になる。不思議だよね。私が私を認識してからはずっと楓と一緒だったのに、あの人を思うと冷静じゃいられない自分がいる』
「……当然だ。付喪神は長年使われた道具から発生する存在だ。この剣は俺より父上の手にあった時間の方が長い」
付喪神の発生メカニズムが蓄積された想いであるとするのなら、おそらく楓よりも父の方が比重として大きいのだろう。
そして父より以前に使っていた人物が誰なのか。それも類推することができる。
「二度同じ方法で逃げるのを見過ごすつもりはない。逃げた場所にもアテがないわけじゃない」
『そうなの?』
「俺が見つけられない場所という時点でだいぶ絞られる」
そこまで話すと楓は立ち上がり、一日を始める準備のために自宅に戻り始める。
「そろそろ戻るか。結界は地面にも作用する。阿求様に報告したら霊夢にも話せば強力なものに変わるだろう」
『そうだね。にしても不届き者もいたものだね。墓荒らしなんて』
「死者を死者のまま操る術とはな。魔法として見ればそこそこありふれているが……」
独立した意識と忠誠を持った状態で操るのは聞いたことがなかった。
魔法による死者の復活は理性も意思も与えられないため、どちらかと言えば死体を材料にした自動人形と言った方が正確だ。
そこまで考えて楓は頭を振り、思考を切り替える。
どちらにせよ父を蘇らせるつもりは毛頭ない。ありもしない仮定を考えるより先のことを考えよう。
差し当たって、阿求にどのタイミングで報告するのが良いか、楓は頭を悩ませるのであった。
「阿求様、おはようございます」
「おはよう、お兄ちゃん。今日も良い天気ね」
障子越しに頭を垂れて恭しく朝の挨拶を述べると、阿求の返事が戻ってくる。
楓の父が側仕えをしていた頃はそれこそ部屋の中に入って阿求を起こしていたのだが、楓に代替わりしてからは寝顔を見られるのが恥ずかしいという理由で朝の挨拶は障子越しになっていた。
父は阿求を赤子の頃から知っており、自分は知らない。その差だろうと楓は解釈することにしていた。阿求が望まないなら楓は深入りしないだけである。
「着替えるから朝ごはんを用意してもらえる?」
「その前に一つ、ご報告したいことがございます」
「うん? 何かあったの?」
「はい。着替え終わりましたらお呼びくださいませ」
「わかった。そんなに大変なこと?」
「私の父に関連することです」
息を呑む声が楓の耳に届く。そして慌てた様子でしゅるしゅるとした衣擦れが続く。
普段の着替えより倍近く早く楓の前に現れた阿求は、着物の襟を直しながらも御阿礼の子としての顔で楓を見る。
「……何があったのか、全部教えて」
「かしこまりました」
楓は阿求に招かれて部屋に入り、そこで昨夜に起きたことを全て話していく。
墓荒らしが現れた部分で阿求は一度だけ目を大きく見開いたが、それ以外は一切の無表情で楓の報告を受けていた。
「――以上となります。私と母上、レミリアの三人で墓荒らしを撃退し、此度の件に関しては八雲紫らから無制限の助力を得られます」
「そう。お祖父ちゃんをキョンシーとして蘇らせようと……」
阿求は瞑目し、意識して深呼吸を繰り返す。
息を吸って、吐いて。ゆったりと上下する胸は阿求が必死に己の心を鎮めようとしている風に、楓には映った。
たっぷり三分ほど時間をかけ、再び目を開いた阿求は楓の情報を確認する。
「――お兄ちゃんは何か知っていることがある?」
「知っている、とは言えませんが見当は付けております。昨日の夕方に少しお話いたしましたが、神霊が出没している騒動が起きています」
「まだ騒動にもなってなかったと思うけど……確か命蓮寺の地下に霊廟があったのかしら」
「はい。見覚えのない邪仙に見覚えのない霊廟の出現。何らかの関わりがあると見ています」
「わかった。お兄ちゃんの今日の予定を聞いても良い?」
「早苗、はたてらと合流後、命蓮寺に向かう予定でした」
楓の言葉を聞いて阿求はうなずく。相変わらずこの少年は常に騒動の真ん中にいて、どんな事件にも必ず何らかの情報をもたらしてくれる。
阿求は大好きな家族の墓が荒らされそうになった、という腸の煮えくり返る怒りを一旦は底に沈める。
楓に声を荒げたところで八つ当たりにしかならないのだ。怒りの矛先は正しく、そして一滴たりとも逃さず向けるべきである。
「邪仙と関わりがある確信が得られたら戻ってきて。その後私を連れて向かってほしい」
「御意」
「仮に出会ったとしても殺さず捕まえて。私もこの目で見ないと気が済まない」
「かしこまりました」
阿求が阿礼狂いの主として動いている。幻想郷縁起を綴る御阿礼の子でもなく、稗田阿求というませたところのある少女でもなく――千年、阿礼狂いの主人であり続けた少女がそこにいた。
「朝餉の後、私は霊夢にも事の次第を話します。今は私の結界を張っていますが、これは近づいたのがわかる程度ですので」
「お願い。必要なら稗田の屋敷からいくらか私財も投じるわ」
「無償でやってくれるかと。霊夢にとって父は師でもありましたので」
天衣無縫、あるがまま、常に己の心に従うであろう妹分であり、家族のことを大事に思う少女であることも知っている。
楓は当座の動きを報告した後、ややためらった様子で再び口を開く。
「阿求様、父のことについてご相談したいことがございます」
「……言って」
「はい。幻想郷には人の死体すら操る邪法を所持している存在がいます。生前の記憶と意思を所持したまま操り人形にする術も、おそらく存在すると思われます」
「そうね。……対策すべき、ということ?」
「それが父の眠りを妨げない最善かと愚考いたします」
今のままでも問題はない。ただし、常に母と自分のどちらかが千里眼で見続ける必要が生まれてしまう。
そもそも人間二人に頼った方法なのだ。何らかの理由で両者が動けない、ないし見えていない瞬間を狙われたらどうしようもない。
「お兄ちゃんは何か考えてる?」
「いくつかは。実現可能か確認が必要なものもありますが」
「教えて」
「はい、では――」
「ん、これで結界は張られたわ。本当は特定個人にここまで肩入れするのも良くないんだけど……」
「体裁が必要ならいくらか出すぞ」
「……いや、良いわ。私だって爺さんの墓荒らされて穏やかでいられるわけじゃないし」
朝餉を終え、しかしまだまだ人里が本格的に動き出すにはいささか早い時分。
楓は霊夢を伴って再び父の墓前を訪れていた。
霊夢は早朝から起こしに来た楓にいつもの稽古だと思っていたのだが、話を聞いたら激情を通り越した無表情で立ち上がり、楓と一緒に来た次第である。
「幻想郷じゃ死んでも安心できないのね。爺さんも面倒事が減らないって嘆いてたわけだ」
「そんな多くはないと信じたいがな。ともあれ感謝する。これで当面の間は墓荒らしを考えなくて良くなる」
「まあ良いけど、これだって永遠に続くわけじゃないわよ。どこかで根本的な対策を取らないと」
「そこは阿求様と考えている。無論、復活させるのは論外だが」
「そんなことになったら私も認められないだろうし、あんたもでしょう?」
霊夢の言葉に楓は曖昧に笑って肩をすくめるに留めた。
阿求が望むのであれば父の復活も楓は別に構わないと思っている。
ただ、御阿礼の子の側仕えができるのは一人だけなので、父と自分で本気の殺し合いをすることになるだろうが。
今の自分でも父に勝てるとは思えないが、本気を出させることぐらいはできるだろう。そしてその上で一縷の望み程度は存在する。
楓の思考を全てと言わずとも、ある程度読んだのだろう。霊夢は呆れた半目で楓を見た。
「ったく、この愚兄は……。で、これからどうするの?」
「早苗たちと命蓮寺の洞窟とやらを見に行くつもりだ。で、下手人との関わりが確定したら阿求様ともう一度向かう」
「阿求も行くの?」
「そう仰っていた。この目で見ないと気が済まないとも」
「……メチャクチャ怒ってる?」
「主の気持ちを推し量るなど畏れ多いが、かなり」
「……よし、今回の異変は任せた!! 私の勘が阿求を怒らせると死ぬって言ってるし!!」
「この前の空飛ぶ宝船でも俺に出し抜かれていたが、大丈夫なのか?」
「私以外でも働けば異変解決はできるって覚えてもらえば良いのよ。私一人が頑張る時代じゃないわ。あんたは大体巻き込まれてるけど」
腹を立てるのもバカバカしくなったので、楓はため息をつくに留めた。
そうして霊夢が突き出してきた拳に自分の拳を合わせる。
「じゃ――任せたわよ」
「任された。まあ……死人は出ないようにしよう」
「ああ、忘れてた。早苗たちには事情話すの?」
「こっちに事情ができたぐらいは言う。踏み込んできたら全部話す」
良かれと思って黙っていることが物事を悪い方向に運ぶというのは、身にしみて学んでいた。
楓が学んでいることを確認した霊夢は今度こそ力強く笑い、神社の方へ戻っていくのであった。
「おはようございます、楓くん! 絶好の冒険日よりですね!!」
人里の人々もぼちぼち動き始め、のんびりと店の準備を始めた頃。
昨日見たときと何も変わらない元気の早苗が、何やら萎れた植物のような状態になっているはたてを伴って楓の前にやってきた。
早苗の挨拶に楓もうなずきながら、隣で干からびている烏天狗の方を見る。
「ああ、おはよう。ところでそれは一体?」
「朝が弱いみたいなので私が引きずってきました!」
「ねむい……」
「家は知ってたのか……」
「昨日教えてもらいました」
こいつの懐どうなってんだ、と楓は可哀想な生き物を見る目ではたてを見ながら声をかける。
「使い物になるのかこいつ」
「んー、朝ごはんを食べればなんとか?」
「はぁ……」
やっぱり天魔は自分に面倒な天狗を押し付けただけではないだろうかとため息を漏らし、楓は踵を返す。
「簡単な軽食ぐらいなら作ってやる。食ったら命蓮寺に行くぞ」
「うう、坊やの優しさが身にしみる……」
「お前に友達ができない理由が全部わかるな……」
一周回って、こいつは自分が手元で面倒を見てやらねばダメなのではないか? とまで思ってしまう。
そこで手放すとか放置するとかの考えが浮かばない辺り、彼もなんだかんだ人が良い。
そうして手早く作ったおにぎりと大根の味噌汁を出すと、はたてはもとより早苗まで目を輝かせる。
「おお、これが楓くんの手料理ですか! 一度食べてみたかったんですよ」
「この前のクレープで食っただろう」
「霊夢さんがよく言ってましたよ。顔の割に作るものは繊細で美味しいって!」
「褒められている気が全くしない。そもそも俺は側仕えだぞ。人の身の回りの世話が本業なんだ」
剣を握っているのだって阿求を守るための戦力を得るためであって、彼女が安全が確約されるなら捨てても良いのだ。
……勢力ばかりが増えていく幻想郷で戦力を手放すのは考えたくないので、楓は誰よりも強くなることを己に課しているが。
などと仏頂面で考えていると、熱々の白米で握られたおにぎりと湯気を立てる味噌汁をはふはふ言って食い尽くしたはたてが立ち上がる。
その顔は先ほど見た萎れているものではなく、どことなく自信すら感じられるもの。
「よっし、元気出た! 坊や、毎日私のために味噌汁作って!」
「寝言は寝て言え」
「んぐ、けど本当に美味しかったです。これを毎日食べられる阿求さんが羨ましいですね」
「阿求様にはもっと手の込んだものをお出ししている。時折所望することもあるがな」
技巧の粋を凝らした食事も良いが、たまには普通の食事もしたくなるらしい。
ちなみに楓はここまで語っているが、彼自身は美味しく食べられれば大体何でも良かったりする。閑話休題。
二人の食事が終わったので、楓は立ち上がって今日の動きを説明していく。
「早速命蓮寺に向かう。こっちの事情が少し変わってな。できるなら今日中にケリを付けたい」
「何かあったんですか?」
「ちょっとした事件が人里で起きて、その関係者である可能性が高い」
「事件とは? 楓くんが動く以上、妖怪が関係していて見過ごせないって思ったものでは?」
「……知りたいか? そこそこ真面目な話になるが」
「楓くんは大真面目に私を助けてくれたじゃないですか。面白い方向に物事を考えはしますけど、それで友達の事情まで茶化すつもりはありません!」
胸を張ってそう言われてしまい、楓も観念するしかなかった。
そして楓ははたての方を一瞥するが、特に確認は取らず口を開く。
「よし、話そう。良いか――」
「あれ、私に確認は取らないの!?」
「早苗は対等の友人。お前は俺の手足」
手足にこれから動くことを懇切丁寧に説明する人間はいない。
ここ数日、はたてと行動をともにしていた楓の出した結論だった。
こいつに忠誠を向けさせるよう動くぐらいなら、強引に引きずってなし崩し的にこっちの味方にしてしまった方が早い、と。
「いつの間にか部下になってた!」
はたてのちょっと嬉しそうな悲鳴は横に置いて、霊夢にもやった説明を早苗たちにもしていく。
「――ということがあってな。今は関係者の探り出しも兼ねている」
「一大事じゃないですか!? ちょっとした事件どころじゃないですよ!?」
「人が死んだわけでもなし。大事と言うほどでもないのでは?」
「天魔様まで動くような事件を大したことないって言う辺り、坊やも大物ね……」
彼らは父との思い出に価値を見出しているのだ。墓そのものに価値は見ていないだろう。
「なのでまあ、こっちはこっちの事情で動かざるを得ない。昨日みたいに弾幕ごっこでのんびり進むことも難しくなった」
「構いません。楓くんは私の命を救ってくれました。命の恩には命がけで返します! 現人神としても、あなたの友達としても!」
「おぉご立派。あ、私も付き合うわよ。何にしても花果子念報の大スクープだし! 坊やの手足になってれば退屈はしないってわかってきたし!」
自分と一緒にいる人間は大体そういうことを言ってくる。
楓も阿求の側仕えになってから退屈を覚えたことが一度もないので、肩をすくめるしかなかった。
「話がわかったなら向かおう。今日中に終わらせる。……うん?」
いざ出発、としたところで楓は何かを忘れているように首を傾げる。
その様子を見て足を止めた早苗が楓と同じ方向に首を傾げ、楓の目を見てきた。
「どうかしたんです?」
「いや……何か忘れているような気が」
「んー? 楓くんが思い出せないなら大したことではないのでは?」
「うーん……」
早苗の言葉に従うなら、楓にとって御阿礼の子以外全てが大したものではない。なので楓は自身にとって些細なことでもきちんと思い出す必要がある。
しかし思い出せない。今日やってはいけないことがあったような、なかったような。
後々面倒なことになりそうな見落としをしている気がして気持ちが悪いのだが、どうしても思い出せない。
はたてもそんな楓を見かねて声をかけてくる。
「思い出せないなら無理することないんじゃない? それより動きましょ」
「……そうだな。思い出せないんだし後回しだ」
はたての言葉で楓も切り替えたのか、頭を振って前を向いて命蓮寺へ一直線に飛び始める。
なお、この時彼女――天子を完全に忘れていたことのツケは後日、しばらく彼女のご機嫌取りをする羽目になるのであった。
命蓮寺まで近づいた辺りで楓が口を開く。
「場所の目星は付けてある。事情が事情なので、内部まで千里眼で洗った」
「ほほう、じゃあどこにあるかわかっているんです?」
「ああ、ついて来い」
楓は命蓮寺で一度降りる――ことはなく、そのまま通り過ぎて墓地の方へ向かう。
「この先に洞穴がある。その内部に霊廟とやらが存在する」
「命蓮寺の方はわかっているらしいので、先に話しておいても良いのでは?」
「人里の事情をあまり口外したくない。二人に話したのが例外だ」
そう言って楓は洞穴前に降り立つと、片手に妖術の炎を携えて先に進もうとする。
そしてそんな彼を阻むように一人の少女が洞穴の暗がりから姿を表す。
「おっと待った。聖に言われて、ここは誰も通すなって言われてんだ」
赤と青の非対称な、翼とも言えない何かを背中に生やした少女――封獣ぬえが退屈そうな様子で楓に話しかけてくる。
「……封獣ぬえ、だったか」
「覚えてたか。混ざり物にしては殊勝な考えだ」
「それで通さないとはなぜ?」
「何が出るかわからないからだって。というか今日、聖たちが説明に向かったはずだけど会ってないの?」
「この現象自体はいつから?」
楓の口ぶりから本当に聖たちと会っていないとわかったのだろう。ぬえは目を丸くした後、面白いものを見る目になる。
「昨日からだよ。え、というか聖たちと会ってないの? どこで知ったのさあんたたち」
「私が教えたのです。何せ私は現人神! 人の欲望が形取った神霊の探知はお手の物です!」
「ふーん。混ざり物に烏天狗、あとよくわからんけど神気持ちの人間か……」
ぬえは片目を閉じて思案する。
ここの見張りなんてやりたくなかったが、先日の無礼を咎めた星によって無理やり任されてしまっていた。
任されていたが、彼女が下した命令は何が出てくるかわからず、一般の人が入ったら危ないので見張っていてほしいというもの。
彼らなら問題ないのではないか。星を圧倒する武芸の持ち主である少年含め、この面々で向かってなお危険なら命蓮寺の者たちの手に余りかねない。
「んー、あんたらなら見逃しても良いけど、私と口裏を合わせてもらえる?」
「お前はちゃんと見張っていたということか?」
それぐらいなら構わないと首肯しようとしたところ、違う違うとぬえが手を振った。
「私はちょっと外の世界行こうと思う。この先に何があるのか私たちも詳しいことは知らないけど、あんたらでヤバかったら命蓮寺じゃもっと危ないでしょ?」
「そうなるな。博麗の巫女に頼めばどうとでもなると思うが」
彼女の夢想天生を突破できる輩が存在するとも思えない。最悪の場合でも彼女ならなんとかしてくれるはずだ。
ぬえがその辺りを知らないだけかもしれないと思い説明するが、ぬえの顔は苦いままだった。
「妖怪が人間に頭下げるなんてゴメンだね。私は私のやり方で問題を解決する」
「意気込みは結構だが、外の世界に伝手があるのか?」
「まあね。私も一目置く大妖怪が外の世界で活動している。そいつを呼んでこようって寸法さ」
「ふむ……」
どう答えたものか楓が悩んでいると、ぬえが楓を指差して凄んでくる。
「大体あんた、混ざり物のクセして人間の味方でしょう」
「状況によるとしか言えないな。妖怪は色々とやらかすが、人間がやらかさないわけじゃない」
「じゃあ人間と妖怪の戦争になったらあんたはどっちの味方する?」
「人間だと思うが、そもそも犠牲が少ない道を探すぞ俺は」
阿求が望んでいる世界が今の世界なのだ。それが壊れないために楓は尽力している。
しかし楓の答えはぬえのお気に召すものではなかったようで、フンと鼻息荒く顔をそらされた。
「妖怪に育てられたとは思えない気性だね。ちょっと穏やかすぎない?」
「好き勝手やらせてもらっている。それが人を傷つける方向じゃないだけだ」
「……ちぇっ、私とは合わなそうだ。妖怪は人間を怖がらせてこそなのに」
楓のことをつまらない人間だと評価したのだろう。ぬえは面白くなさそうに楓から視線をずらし、さっさと森の中へ消えてしまう。
それを見届けると、早苗は彼女の失礼な物言いに憤慨した様子を見せた。
「なんですか、あの子は。楓くんのことよく知りもしないくせに!」
「一理あるとは思うけどね。楓、妖怪らしくないって言えばその通りだし。価値観も人間寄りでしょ?」
「まあ、人を食おうとは思わんな」
畏れを糧にする感覚も今ひとつ理解できていない。人間の食事でどうにかなっているので、特に問題視もしていなかった。
「それが嫌いって妖怪もいるんでしょう。あ、私は坊やのこと好きよ! イロイロな意味で!」
「そりゃどうも……いや待てなんて言った」
「ささ、出発しましょう楓くん! 善は急げですよ!!」
はたてから不穏な言葉が漏れたので聞き返そうとしたところ、早苗に遮られて先に進まれてしまう。
そうなると楓も進むしかない。隣にいるはたてに妙な危機感を覚えながら、彼もまた洞穴に足を踏み入れるのであった。
次回予告:阿求、キレる
以上、終わり。解散。