誰にとっても長い長い一日の後、楓は父を斬ったその足で火継の屋敷に戻っていた。
本来なら阿求の側にいるべきだと思ったのだが、その当人より今日だけは一人にしてほしいと乞われては何も言えなかった。
父を笑って見送り、青娥へ赫怒を見せて、阿求が楓の父に抱く並々ならぬ感情の一端を楓も理解した。
あれだけ想ってもらえたのだ。阿礼狂い冥利に尽きるというものである。楓が父の立場だったら何一つ憂うことなく死を選ぶだろう。閑話休題。
ともあれ楓は屋敷に戻り、自分のことを待っていたであろう母の椛に事の次第を報告していたのである。
「……そう、全部終わったの」
「はい。自分と阿求様で見送りました」
神子の話を聞いて、楓と阿求が考案した父の眠りを永遠のものにする方法。
しかしそれにはどうしても遺骨が必要となったため、阿求と楓は意見を一致させて椛に是非を確認していた。
「あの人は人として死にました。私は人間として生きて死んだあの人を尊重します」
確認した時はそう言って快く了承した椛だったが、楓の報告を聞いてもその顔に晴れたものはない。
阿礼狂いであることを承知の上で妻となり、自分を産んだ人だ。
母も阿求と同じく、彼への尋常ならぬ感情を抱えているのだろう。
阿求の名状できないほど複雑なそれとは違い、愛情と名付けられるものが。
楓は全てを報告した後、憂うように目を伏せた椛の言葉を待つ。
何度かの瞬き。そして深呼吸の後、椛はためらいがちに口を開いた。
「……あの人は」
「はい」
椛は楓の顔を見て、口を何度か開けては閉じてを繰り返し、やがてそれは楓も見慣れた困ったような笑顔になった。
「……あはは、何でもないわ。全部終わったのなら何より。私も安心して墓守ができるというものよ」
「あそこにはもう何もありませんが、続けるのですか?」
「楓もお墓参りはするでしょう? それと変わらないわ。あの人を知っている妖怪も同じようにするだろうから、私も好きにするわ」
そういうものかと楓は納得してうなずく。
しかし、今の椛の笑顔は無理をしているようにしか見えなかった。
阿礼狂いであっても、母と子。物心ついた頃より変わらず、母として楓を育ててくれた人だ。その変化ぐらいは気づく。
「……母上」
「あら、どうしたの? まだ話してないことでも――」
「……父上は母上のことにも言及しておりました」
嘘である。結局、彼は御阿礼の子の幸福を願う以外のことを口にはしなかった。
それは阿礼狂いとして正しい在り方だと楓も思う。
同じ立場なら
しかし、それではあまりにも母が酷である。誰もいない墓を守り続けるのが彼女に残された役目なのか。
そもそも火継の家で肉親が残り続けるのが珍しい例なのだ。火継の一族で母の顔を知っているのは楓ぐらいである。
もう自由になっても良いだろう。楓も父に追いついたと言えずとも、一端の腕前に到達したという自負はある。
椛が阿礼狂いに関わり続ける理由はとうの昔になくなっているはずだ。
「えっ?」
「自分のことを忘れ、己の人生を生きてほしいと――うぁっ?」
「はい、そこまで」
やや強めに額を叩かれ、楓の言葉は中断させられた。
なぜ遮ったのかと不思議に思いながら母の顔を見ると、先ほどとは微妙に違った笑みを浮かべているのがわかった。
「あの人が御阿礼の子の前で私のことを話すはずがないわ。楓よりも長い付き合いだもの。ちゃんとわかってます」
どうやら息子の浅薄な考え程度、母にはお見通しだったらしい。
楓は申し訳無さそうに眉根を下げる。今のは完全に余計なお世話だった。
「……すみません」
「良いのよ。楓はあの人が私に何も言わなかった、というのを伝えて傷つくのを避けるためでしょう? 人が傷つかないための嘘は必要だと私は思うわ」
「……なぜ嘘だと思ったのです?」
「その場にいない人に言葉を遺すなんて面倒なこと、あの人はやらないわ。やるのなら生きている間に手紙でもなんでも遺すでしょうし」
言われてみればその通りである。やるべきことを全て終えて死んだ人間が、いかなる奇跡かもう一度生き返ったとして、何をすれば良いのか。
無言になった楓を見て、落ち込んでいると思ったのだろう。椛は努めて明るい声で楓を励まそうとする。
「ああ、でも楓の考えた言葉はだいぶあの人に近かったと思うわよ? 実際、目の前にいたらそれぐらい言いそうだし。というか絶対言うわね、うん」
うんうんと一人納得してうなずいた後、椛は目を細めて優しく笑い、背伸びをして楓の頭を撫でる。
「――私は私の好きにした結果として、今もここにいる。楓も、たとえあの人にも。好きにしろと言うなら私はここにいます」
「……母上」
「義務や使命感で続けているわけじゃないの。今も昔も、私はやりたいようにしかやっていません」
そう言って頭を撫でていた手でもう一度だけ楓の額をペチリと叩き、楓を押し出した。
「む」
「墓守のこともそう。あの人にやめろって言われたら、飽きたらやめるので飽きるまで続けると言い返すつもりだったし」
妖怪の飽きるまでだ。それがどれほどの年月になるのか、未だ人間の尺度で生きている楓には想像もつかない。
しかし楓が何を言っても椛は答えを変えないだろう。誰になんと言われても己が阿礼狂いであり続けるように、椛も自分のあるべき姿を見出しているのだ。
「……母上にこの手の質問はしないことにします」
「そうした方が良いわ。はい、じゃあ今日も行ってらっしゃい! 今日も大忙しなんでしょう?」
椛は笑って屋敷の中庭に通じる障子を開き――
――目の笑っていない満面の笑みで楓を睨む天子の姿があった。
「……あっ」
そういえば戻ってきていたのを完全に忘れていた。
神霊異変の頃はかろうじて覚えていたが、そこから墓暴きやら阿求が動き始めるやらで息つく暇もなく状況が目まぐるしく動いてしまい、頭から抜けてしまっていた。
「天子ちゃん、本当はすぐ戻ってきていたのよ? でも楓は阿求ちゃんの方に行っちゃってて、私も事情を説明して待っててもらいはしたんだけど……」
「ああ、いえいえ。ご母堂に説明頂く必要はありませんわ。私から、みっちりと、お話いたしますから」
これ完全に怒ってるやつだ、と楓にもわかる態度だった。
しかし待ってほしい。天子が怒っているのは彼女が天界に戻る直前に言っていた、自分を差し置いて異変に巻き込まれるなというもの。
改めて内容を思い返すだけでも彼女の自分勝手さがよくわかるものだが、それはそれとして彼女がいない僅か一日の間に楓が神霊異変に関わったのも事実。
楓は何を言うべきか頭の中でまとめながら、神妙な顔で天子の元へ近寄る。
そして天子の前にやってきた楓はおもむろに口を開く。
「……異変と呼ぶ前に終わったので冒険扱いにはならないのでは?」
「それが辞世の句で良いようね」
にこやかに笑いながら抜かれた緋想の剣が天子の返答だった。
「大まかな事情は聞かされたわ。あんたの主であるあの少女がものすごく怒ったのも聞いている。聞かされた限りだけど、相当に深い関係だったようね」
「そうなるな」
「それについては理解を示すわ。というか私、部外者だしどうこう言える側でもないもの。強いて言えば家族仲が良くて大変結構」
「それはどうも」
天子の大暴れにひとしきり付き合った後、縁側に場所を移した楓は横に座ってゲシゲシと機嫌悪そうに蹴りを入れてくる天子を鬱陶しそうに払いながら話を聞く。
話を聞く限り、楓と阿求の動き自体に文句はないらしい。遊びで済ませられない問題が起こって、それを二人が対処したという認識なのだろう。そこは割り切っているようだ。
「ええい、そう何度も蹴るな! 悪かったとは思っているからやめろはしたない!」
いい加減邪魔なのでそう叫ぶと、天子はスカートを押さえて顔を赤らめた後、咳払いをして口を開く。
「私が何に怒っているか、わかってるのあんた」
「……まあ、想像はついてる。お前が天界に戻った直後に早苗に引きずられたことだろう」
「わかってるじゃない!! 確かにトラブルはあったみたいだけど何よ夢殿大祀廟って!! 何よ千四百年前に眠りについた聖徳太子って!! そんな面白そうな冒険にどうして私を呼ばないのよ!!」
「命蓮寺の洞窟辺りまでは覚えていたんだが、それ以降は完全に頭から抜け落ちてた。許せ」
「許せるかあ!?」
服の襟を掴んで詰め寄ってくる天子に、どう言ってなだめたものかと考える。
しかし楓が考えている間に天子は楓に詰め寄ることの虚しさを悟ったのか、がっくりと頭を落として距離を取る。
「正直甘く見ていたわ。たった一日、たかが一日程度ならあんたも平穏……とまではいかなくてもまあ異変に巻き込まれることはないと思っていた」
「俺もそう思ってた」
「ダメだったわね」
「まあ……そうだな」
「いい加減受け入れましょう。あんたの人生、博麗の巫女にも劣らないレベルで波乱万丈よ」
今度は楓がうなだれる番だった。すでに自覚もあったので受け入れるしかない。
そんな楓を天子が指差し、自分が怒りを収めるための条件を告げる。
「私も次からは気をつけるわ。あんたのことは常に思考の片隅に置いておくから異変には絶対呼びなさいよ」
「努力はする。気づいたら巻き込まれていた場合は諦めてくれ」
「その時は許しましょう。私は天人だもの。外界の人間のやんちゃなんて可愛いものよ」
「だったら忘れていたのも許して――」
「不可抗力は許すわ。でも、忘れたのは許さない」
青筋の浮かんだ笑みを向けられ、楓は降参だと両手を上げる。
「お前の知らないところに連れて行くから許せ。忘れていたことに関しては悪かった」
「へえ、どこか案でもあるの?」
「それもこれから考える」
「……ま、及第点としましょう。あんたの選ぶ場所ならハズレはないでしょうし」
「信じてもらえて嬉しいよ。そっちはどうだったんだ?」
これで自分への詰問は終わったので、今度は天子の方へ水を向けてみることにした。
天界へ戻ったのも父親より呼び出されたためであり、それ以上のことは何も知らないのだ。自分ばかり根掘り葉掘り聞かれるのも収まりが悪い。
「そっち?」
「父親に呼び出されたと言っていたが、詳しいところは言ってないだろ。俺の行動ばかり気にしているが、そっちはどうなんだ」
天子が家族間に問題を抱えているのは知っているので、多少の興味があった。
特に楓は自分たちの家族仲が悪いと思ったことはなく、関係が悪い親子というのが新鮮なのだ。
「……大したことないわよ。地上で不届きなことをやっていないかとか、されてないかとか」
「不届きなことをされてないか?」
「衣玖が男の家に入り浸ってるとか報告したのよ。間違ってないけど、人里有数の家で世話になってるって話して誤解は解いたわ」
「その話を聞く限り、特筆するところのない近況報告みたいなものか」
「私も拍子抜けよ。強引に監禁されるぐらいは覚悟してたのに」
「どういう関係なんだ……」
「まあそうなったら今度こそ絶縁叩きつけて、大手を振って帰るつもりだったけど!!」
どこに、と聞くのは野暮だろう。まだ一年にも満たないが、この天人が人里に馴染みまくっているのは事実である。
「とにかく期待して待っておくわ。私が知らないものでお願いね」
「善処する」
怒りは鎮火したらしい。機嫌良さそうに部屋に戻っていく天子の歩きに合わせて、尻尾のように揺れる髪を見ながら自分の提案はそこまで面白いものなのだろうかと疑問に思う楓だった。
『で、アテはあるの?』
「これが全くない」
『楓さぁ、とりあえず言ってから考えるのやめない? 基本出たとこ勝負になってるよね?』
「ああ言わないと天子が納得しないだろうが」
実のところ、天子が知らない場所に楓は全く心当たりがなかった。
楓が本格的に異変に関わってから、比較的すぐに天子と知り合っている。そして彼女の異変を解決した後はほぼ一緒に異変解決に当たっていた。
なので彼女が知っている場所がほぼ楓の知っている場所と重複しているのだ。
「天界……は当然なしとして、紅魔館……俺の命が危ない。太陽の畑……死ぬ。妖怪の山……天魔に借りを作りたくない。地底……さとりと顔を合わせたくないし、天子の方が通う頻度が高い。魔界……この前二人で行った」
『考えてみると天子ちゃんの好きそうな場所、大体網羅してるよね。あ、仙界は? なんか夢殿大祀廟の三人はあそこを放棄して新しくそっちに移る予定だって言ってなかった?』
「昨日の今日ですぐ尋ねるのはちょっと……」
自分たちの対応で存分に心身を消耗したことだろう。
魔眼の詳細も知られてしまったことだし、できればほとぼりが冷めるのを待ちたかった。
阿求が望めばその限りではないが、そうでなければ気遣いの一つもしようものである。青娥などという女の手を取ってしまった過去の自分を恨んでほしい。
とはいえ仙界に興味がないと言えば嘘になる。仙人の術も使えるならば覚えたいので、折を見て尋ねる候補には入れておく。
『あ、迷いの竹林は? あそこは天子ちゃんも知らないんじゃない?』
「正直、見て面白いものがあるかと言われると……」
夜の屋台は候補に入っているが、天子が昼に出かけたいと言い出したらどうしようもなくなる。
しかしそこまで潰れるといよいよ楓の知っている面白そうな場所が消えてしまう。頭を抱える楓に椿はどうしたものかと適当に思いついたことを話す。
『こうして考えるとないもんだね。何か知ってそうな人の心当たりはない?』
「うーん……」
自分の知らない何かを確実に知ってそうな存在だとすぐには思いつかない。
と、そこで楓は天啓にも等しい何かが自分に舞い降りるのを直感する。
一人、確実に自分の知らない光景を知ってそうな存在を思いついたのだ。
「――一人いる。どうしてこいつを思いつかなかったんだ」
『お、誰かいたの?』
「後の問題は……まあ自分がなんとかすれば良い。よし、行くぞ」
そうと決まれば早い。楓は早速立ち上がり、約束を取り付けられないか動き始めていた。
『どこに?』
「草の根妖怪ネットワーク……というよりわかさぎ姫に頼みに行くんだよ」
『そういうこと。確かにそこは知らなさそうだ』
楓が挙げた人物の特徴を思い出した椿は合点が行ったとうなずく。
わかさぎ姫は人魚の妖怪であり、普段は霧の湖にほど近い場所で暮らしている。
そう、彼女は水棲なのだ。つまり――水中の案内はお手の物である。
「――という事情があってな。できないか?」
すぐさま草の根妖怪ネットワークの会合場所を訪ねた楓は、開口一番でわかさぎ姫に思いついたことを話していた。
その場にはわかさぎ姫と影狼、そしてちょうどよく橙も来ており楓の話を聞いた彼女らの反応もまちまちだった。
「うーん、そういうこと。女の機嫌を取るために別の女に助けを乞うのね」
「楓さあ、姫ができないって言ったらどうするつもりだったの?」
「それに忘れたのは楓の責任なんだし、女の子一人ぐらい楽しませる甲斐性を持ったらどう?」
「ここまで言われるようなことかこれ?」
忘れたのは確かに自分の責任だが、どうにかしようと動いたのにこの言われようである。
納得行かない気持ちはあるものの、彼女たちぐらいしか頼れる相手がいないのも事実。楓は内心の怒りを押し殺して口を開く。
「俺も悪いことをしたと思っているからこうして奔走しているんだ。それで、できるのかできないのか」
「水中なら力が強まるから、数人ぐらいならなんとかできるかしら。でもそれで良いの? 霧の湖で見て楽しいものってあんまりないわよ?」
「そこは考えている。守矢神社の湖は知っているな?」
楓以外の三人はうなずくものの、あくまで知識として知っているだけで実体を見たことはないようだ。
「ああ、いきなり出てきて大騒ぎになった場所。あそこに湖って大きいぐらいしか知らないけど、綺麗なの?」
「私もまだ見てないわね。楓は知ってるの?」
「俺の目を何だと思っている。千里眼だぞ」
上空からではあるが、特に汚れていると思えるような湖ではなかった。流れている水に問題もない以上、見ても問題ない場所だろう。
「とはいえ俺も水の中まで把握しているわけじゃない。思い立ったが吉日ではあるが、天子のついでだけでもない。俺も興味がある」
「確かに楓の言う通り、水中散歩なんて夢があるよねえ。姫は自分から言い出さないし」
「だって、水の中ってそんな夢見るような綺麗な場所じゃないのよ? 浅い場所には釣り針だってあるし、引っかかるとものすごく痛いんだから!」
「うわ、想像しちゃった。痛そう」
橙がしかめっ面で自分の頬を撫でながら、ぴょんと楓の頭によじ登る。
影狼やわかさぎ姫、そして楓にとっても慣れた肩車の体勢になった橙は楓へ上から声をかける。
「動機は不純だけど面白そうじゃない! わかさぎ姫も住み慣れた霧の湖じゃなくて、守矢神社の湖なら楽しめるでしょう?」
「形になってきたねえ。姫はどうやって私たちを水中に案内するの?」
「水中でも普段どおりに目が見える術なら使えるから、それは使ってあげる。後は楓がなんとかしてくれるでしょう?」
「だいぶ俺任せだな……いや、どうにかするが」
考えてみれば人魚であるわかさぎ姫は種族の特徴として水棲だ。
水棲生物が意識して水中で過ごせるようになる術を覚えるか、と言われれば否である。
むしろ視界を確保する術を使えるだけ御の字と考えるべきか。
「濡れないように空間を確保する術と呼吸できる空気を確保すれば良いか。幸い、風を操ればどうにかなりそうだ」
「濡れたくないの?」
橙の疑問に楓は変なことを言っているかと首を傾げる。
「橙は濡れたら不味いんじゃないのか? 式神だろ」
「え、行っていいの?」
「来る前提で考えていたぞ」
人数の指定はされていないのだ。自分と天子、わかさぎ姫だけが楽しんでも意味が薄い。
なので楓はこの場にいる面々全員を誘うつもりだった。
それを話すと橙は嬉しそうに笑い、楓の頭を撫でた。
「それでこそ私の子分だわ! 女のご機嫌取りとからしくないことやってるって思ったけど、やっぱり楓は楓ね!」
「…………」
褒められているのか今ひとつわからないが、橙の機嫌は良いので追及しないことを選んだ楓だった。
自分でも露骨なご機嫌取りをしている自覚はあるのだ。
ただ、巻き込まれたことは仕方ないにしても、彼女の存在を完全に忘れていたのは悪いことをしてしまった罪悪感があったので動いているだけで。
その動きにしても自分が楽しめるものが大前提である。無私の奉仕をする相手は生まれる前から決まっている。
「ともあれできるな? 念のための守矢神社への確認と視界確保の術以外はこっちで用意する。思い立ったが吉日だ。明日決行するぞ」
「楓はさあ、時間をかけてじっくり考えるって悪だと思ってない?」
呆れたような影狼の疑問に楓は真面目くさった顔で答える。
「時間をかけて考えるべきことと、そうでないものを分けているだけだ」
例えばこれが数多ある勢力との交渉方針ならいくらでも熟慮し、議論を重ねよう。
しかし今回はそうではない。やるか、やらないかの二択だけである。やると決めた以上、さっさと始めた方が良いのは自明の理だ。
……何かと巻き込まれることが多いため、思考が即断即決に寄りつつあるのは否定できないのだが。
「大筋が決まったところで気になってたんだけど。楓が誰かの約束を忘れるなんて珍しいわよね。そんなに忙しかったの?」
「俺が忙しかったというか、幻想郷の一部が震撼していたというか……」
「ふぅん……?」
言葉を濁す楓に橙は胡乱げな視線を向け、ふと思い出したことを口にする。
「そういえば紫さまも慌ててた時があったわね。最近だけど楓は心当たりある?」
「…………」
黙り込んだ楓に聞いてはいけないことだったかと思い、橙は自分の言葉を引っ込めようとする。
しかし楓が黙っているのはどこまで話すべきか逡巡したためである。
楓を赤ん坊の頃から知っているということはつまり、父との付き合いも相応に長いということ。
そんな彼女が今回の事件を知ったらどう動くかわからなかった。
「あ、ダメなら言わなくても良いのよ? 無理強いはしないわ」
「……いや、どこから言おうか迷っただけだ。歩きながらで良いか?」
「うん。良いけど……。影狼、わかさぎ姫、また明日ね」
「待ってるわ。私も楽しみになってきたから」
「私もー! 楓たちが来てから本当、イベントが増えて騒がしいけど楽しくなったよねえ」
影狼とわかさぎ姫の歓談を背に、楓は橙を肩車したまま人里への道を戻る。
その道中、楓は誰にも聞かれる心配がないと確信できる頃合いを見計らって重い口を開いた。
「今から話すことはもう終わったことになる」
「いやに前置きするわね。どうしたのよ?」
橙は器用に上体を動かし、逆さまの顔を楓の前に持っていく。
その胸に下げられた鈴の音が自分を咎めているように聞こえたのは、父の遺志だろうか。
「……父上の墓を暴かれかける事件があった。俺と母上で防いで、下手人には相応の罰を与えている」
「そう。こっちに何もないなら良かったわ」
「……取り乱さないんだな?」
「だってもう終わった話でしょ? それにあいつのお墓にあるのは骨だけじゃない」
「その骨もなくなったが、今度こそ父上は何に邪魔されることもない永遠の眠りについた」
橙が冷静さを保っているのは少々予想外だったが、これなら話して良いだろうと楓は大まかな事件の顛末を話す。
全てを聞いた橙は静かに噛み締めるようにうなずき、楓の頭をポンポンと叩く。
「阿求は辛かったでしょうね。あの白狼天狗はあいつが好きだし」
「……橙は何もないのか?」
「別に? 私の思い出はここにあるもの」
誇るように胸元の鈴を揺らし、涼やかな音が主を称えるように響く。
「それに会えるとしても会う気はなかったわ。次があるとしたら、その時はもっともっと立派になってからって約束してたもの」
「どのぐらい立派になるんだ?」
「あんたの父親よりも、あんたよりも、よ」
その声が普段聞いている橙の声とは思えないほど穏やかなものであったため、楓は思わず橙の顔を見上げる。
すると橙と目が合った。目を細め、慈愛の光を宿し、弟を相手にするような優しい眼差しが楓を捉える。
「だから子分のあんたが気に病まなくていいの。大事なものは全部、肌身離さず持ってるから」
そう言って橙は楓の頭を抱きしめる。
今、その顔を知るのは無粋であると思い、これ以上の言葉は語らずただ歩く。
ただ、不甲斐ない己へのため息を一つだけ零す。
椛に言われたことと言い、橙に言われたことと言い、どうにも自分はまだまだ心というものへの理解が甘いようだ。
それとも、阿礼狂いであっても長い時間の付き合いは人を変える何かが生まれるのか。
椛、天子、橙と三者三様の心の在り方を見せられた楓は、人の世はまこと複雑怪奇であると思うのであった。
誰かを慮ることはできるけど、彼女らはちゃんと受け入れていることまではわかっていないお話でした。
まだ若いのでから回るのは仕方なし。
ここからまたしばらくは異変外のお話が続きます。さとりんとまた言葉のノーガード殴り合いしたり、仙界で一息つけた神子たちに改めて話を聞きに行ったり、仙人つながりでようやく出せる華仙に仙術を習ったり等々。
これらが一段落ついたら心綺楼が始まります。ちなみにこの異変はさとりんが相方予定なので味方同士で殴り合いながら異変解決する予定です()