阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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脳で考えるより先に動いて会話のデッドボールするのやめろ()


希望のなくなった人里

「体術、というのは系統的に学んで馬鹿にできるものではない」

 

 楓は夢だとわかった上で父の言葉に耳を傾ける。

 幼い時分に耳にした言葉は全て覚えてるようにしているが、夢の中とはいえ他者の口を借りて語られる言葉には別の重さがあった。

 

「お前には剣を教えていて、その動きだけでもそれなりの形にはなる。なるが、それは結局のところ剣術の延長線に過ぎない」

「ではどうすると?」

「要は体の動かし方だ。剣を持った動きと、両手が空いた動きはまるで違う。構えろ」

 

 父は僅かに腰を落とし、緩やかに拳を握って構えを作る。

 応えるように楓も拳は作らず、掌を父に向けた。

 

「素手は最も手加減の利く武器だ。妖怪相手に手加減など不要だと心から思っているが、そうでない状況がないとは言い切れん」

「俺は半妖ですから」

「お前の方が俺より体術は適正がありそうだ」

 

 皮肉げに口を歪めた後、楓の父は一瞬で踏み込み楓の眼前に現れる。

 そして握った拳から放たれる一撃――を引っ掛けにした側面からの蹴りを楓は腕で受けた。

 

「――っ!」

「千里眼か。良い反応だ」

 

 楓の目がよく見える目でなければ直撃していた。

 内心で冷や汗を流しながらも今度は楓から打ち込んでいく。

 手刀、足刀、拳、肘、膝、踵。手足のあらゆる部位を駆使した乱打を仕掛けるも、父はそれらを丁寧に一つ一つ受け流してしまう。

 放った拳の一撃を父が撫でるように絡め取り、放り投げることで距離が開く。

 空中で身を翻して着地した楓は腰を落としたまま父と再び向かい合う。

 

「妖怪の攻撃は全て避けるか受け流す。力の一欠片もあれば人間の体を壊すのに十分な威力になる」

「半妖の俺なら多少は威力があるかと」

「上を見ればキリがない。それに攻撃は耐えるものじゃない」

 

 父の言うことが尤もだと思ったので、楓もそれ以上の反論はせずに父の言葉を待った。

 

「お前は俺と違い、妖怪の血を引いている。きっと俺より多くのことができるようになるだろう」

「…………」

「だからこそ、戦闘における土台となる部分に手は抜かない。どんな手を使えるようになろうと、当てて倒す技量がなければどうにもならないんだ」

「はい」

「休憩は終わりだ。次は倒れるまで打ち込む」

 

 言い終わると同時、今度は楓が踏み込んで父の懐に入る。

 そして先と変わらぬ猛攻を行うが、先と変わらず父に全て防がれてしまう。

 せめて一矢報いたい。今の状態は父がその気になれば一瞬で終わらせられるものに他ならない。

 

(俺にできて父上にできないこと。それは――)

 

「はっ!」

「――」

 

 袈裟懸けにわざと遅く放った右の手刀が父に掴まれ、絡め取られる。

 このまま何もしなければ今日もまた、いつもと同じように地面に転がされて終わりだろう。

 ――なので怪我を承知でさらに踏み込む。

 

 絡め取られた腕を強引に動かし、骨が折れるのも構わず引き抜く。

 あらぬ方向に曲がった腕が激痛を訴えるが、半妖の自分なら数分で治るので問題ない。

 父の顔が僅かに歪むのが見える。一撃加えられずとも、一矢報いることができたのならそれには意味があって――

 そこで楓の意識は頭部の衝撃と同時に薄れ始める。何が起きたのかまるでわからず、極限まで目を見開いたつもりなのに視界には何も入らない。

 

「――阿呆が」

 

 ただ、愚かな行動を取った時にのみ発せられる父の声音だけが耳に残っていた。

 

 

 

「……穴があったら入りたい」

 

 夢から覚めた楓がまず行ったのは、恥じ入るように己の顔を手で隠すことだった。

 いくら幼かったからとはいえ、父の意表を突くためだけに自傷して攻撃を仕掛けるとか馬鹿な行動にも程がある。

 格上の相手に傷を負ってでも仕掛ける場合、それで勝ちに運べる確信がなければやってはいけないことだ。

 対処されてしまった場合、手元には傷を負った肉体だけが残るのだ。そんな状況で格上相手に勝てるはずもない。

 

 だというのに自分はそのことを忘れ、半妖の耐久力に物を言わせて突っ込もうとしたのだから、父の手痛い反撃と耳に痛い説教をしこたまもらう羽目になったのだ。

 思い出すと身悶えするような思い出だが、おかげで半妖の身体能力を過信せず動けるようになったので、苦い薬ほど良い経験になると言ったところか。

 

「…………」

 

 目が覚めたので楓は外に出て拳を握る。

 そのまま体術の型を稽古し始めた彼の背中にふわりと何かが触れてきた。

 

『あれ、私は使わないの?』

「気分だ」

 

 楓の返答に対し、椿は大して気分を害した様子もなく唸る。

 

『ふーん』

「怒らないんだな」

『剣を抜いた楓に勝てる相手がどれくらいいるの、って領域になってきたしね。守護者として考えるなら私を抜かない方が良い状況も多いんじゃない?』

「だろうな」

『道具の本懐は使い手の役に立つことだよ。私という存在が楓の役に立つなら、どんな形でも構わない。私が楓の一番近くにいられるなら、ね』

 

 悟った風なことを言うが、椿は楓の前に立って自身の力で具現化させた刀を構えた。

 楓が素手で戦う意義を理解してはいるものの、納得していないのが丸わかりの様子である。

 

「それは意思表示か?」

『お手伝いだよ。楓が素手でも、相手が素手とは限らない。でしょう?』

「……相手がいる方が何かと捗るのは確かか」

 

 椿の言い分も正しいと思い、楓は彼女と相対して拳を構える。

 そうしてしばらくの間二人で黙々と組手に近い形での稽古を行った後、一呼吸入れているところで椿が口を開く。

 

『ああ、そうだ』

「どうした」

『私、多分もうすぐ付喪神になれるよ』

「む、まだ時間がかかるんじゃなかったのか?」

『普通に使ってればね』

「俺の使い方が普通じゃないと」

『付喪神ってのは要するに道具に蓄積した思いが意思を持つこと。楓と一緒に多くの人の、多くの思いに触れることができた。それが大きいんだと思う』

 

 多分、一番大きいのは彼の主である御阿礼の子だろうと睨んでいた。

 付喪神のなり損ないであり、多少なりとも感情の熱量を図れる椿にも、阿求の抱く思いの深さを感じ取れていた。

 事実、あの時を境に椿は急激に自身の存在が膨れ上がったのを実感している。

 楓、楓の父、そして阿求。三者の願いを中心に人々の思いが積み重なり、生まれ落ちるもの。それが自分であると椿は考えていた。

 

「そうなったらお前の姿も誰かに見えるようになるのか」

『さあ? 元が元だし、今の状態だって私の感覚だもん。楓の剣に干渉できるようになるぐらいかもね。だってほら、妖怪が使ってる道具なんて九十九じゃ利かないぐらいのものもあると思うのに、付喪神の話なんて全然出ないじゃん』

 

 百年足らず道具を使うだけで付喪神が生まれるなら、もっと大勢の認知があって良いはずだ。

 椿の理屈に楓もうなずくしかなかった。

 

『それぐらいの方が気楽でいいよ。私が見えるようになったらなったで騒ぎになりそうだし』

「そんなものか」

『ほぼ間違いなくね。私は事態に巻き込まれる楓を眺めるのは好きだけど、当事者にはなりたくないんだ』

「本人を前にいい度胸だな」

 

 楓が青筋を浮かべるものの、椿は軽やかに笑って飛び上がってしまう。

 

『ま、これからも隣にいるからさ。頑張れ、少年!』

「俺より年下だろ……」

『私はこの剣と同じ年だから楓より年上ですー』

 

 屁理屈をこねる椿にため息をつき、楓は今日も騒がしい幻想郷の一日を始めるのであった。

 

 

 

 

 

「――売上が芳しくないな」

 

 そうつぶやいたのは人里の料理屋にて働く蛮奇だった。

 先日、自重という言葉を遠くへ放り投げた早苗より外の世界のレシピがもたらされ、当たると見込んで蛮奇も店に出したのだが、それが上記の発言に通じている。

 蛮奇の言葉を聞いていたのは当事者である早苗と、彼女を紹介した楓、従業員である天子が腕を組んで聞いていた。

 

「むむむ……こんなに美味しいのになぜ売れないんです!」

「それを考えるために呼んだんだ。いくらか原因にも心当たりがある」

「ふむ。蛮奇と天子からはどう見えていたんだ?」

「そうね……一回は頼むんだけど、それっきりってのが多い感じね」

「要するに一度頼んで話題にはするが、それで終わりという扱いなんだ。特にクレープは材料費も馬鹿にならん。あれは継続的に売れてもらわないと困る」

 

 楓は早苗の意見も聞こうと顔を向けるが、早苗は不満をありありと表に出してフライドポテトをパクパク食べていた。

 

「美味しいと思いますし、話題性もあると思ったんですけど……」

「…………なあ、早苗。早苗はそれを美味いと思うのか?」

「え? はい。不味かったら提案しませんよ」

「ふむ……」

 

 楓は早苗が食べているものに手を伸ばし、自分も口に入れて咀嚼し、飲み込む。

 

「早苗はこれを美味いと感じている。そうだな?」

「はい」

「……この味付け、外の世界向けになっているんじゃないか?」

 

 楓のつぶやきに対して目を見開いたのは早苗含めた全員だった。

 

「天子は先日まで桃ばかりの生活だったから除外するとして、俺と蛮奇は人里の味を知っている。それとあまりにかけ離れていたから、里の住民に馴染まなかったんじゃないか、と考える」

「……可能性はあるな。私も鈍ったか、そんな簡単なことを見落とすとは」

「最初の味見が妖怪ばかりだったのも失策だったな。人里の味を知らない連中ばかり呼んでいた、とも言い換えられる」

「とりあえずそれが問題点だと仮定しましょう。次はそれをどう解決するか、よ」

 

 蛮奇と楓がそれぞれの失敗に顔をしかめていると、パンパンと天子が手を叩いて話を進める。

 

「人里向けに味付けを変えるとして、それで目新しさが失われては元も子もないわ。早苗、何か良い考えはある?」

「うーん……楓くんは何かあります?」

「味の実験をするしかないと思うが……。ああ、あと一つあったな。トマトの味がするソースが外の世界ではあったんだが……」

 

 どうやって作るのかわからなかったので後回しにしていたものだ。

 あれをつければフライドポテトなどの印象を大きく変えることができる。

 名前までは覚えていなかったので早苗に問いかけると、早苗はそれだと言わんばかりに手を叩く。

 

「ケチャップ! ソースを作るということですね!!」

「根本的な味付けを変える挑戦をするよりは現実的だろう。それに個々人の好みにも合わせられる」

「大体何をやりたいのかはわかった。だが私たちだけでやったら私たち好みの味にしかならんぞ」

「あまり堂々と味の実験やってます、なんて言えないわよね、さすがに。……楓?」

 

 山積みの問題にやれやれと肩をすくめた天子がふと楓を見ると、楓は何かに驚いた様子で蛮奇を見つめていた。

 天子の視線に気づくと楓は頭を振って、やや照れたように白状する。

 

「いや……私たちの中に俺が入っていたのが嬉しかった。さんざん迷惑かけ倒したからな」

 

 そう言うと蛮奇は凄まじい形相で楓を睨みつけ、その頭をバシンと容赦なく叩く。

 

「あ? お前ここまで私を巻き込んで、一抜けしますなんてやったら末代まで呪うぞ」

「わかってる」

 

 楓にここまで強気に出られる知り合いは蛮奇ぐらいしかいないのではないか。

 遠慮なく楓の頭を叩く蛮奇を見てそんなことを思う天子だった。

 

「で、アテはあるのか?」

「実験台にして良心の痛まない相手なら心当たりがある」

「あんたが良心を痛める相手なんているの?」

「失礼だな。俺だって相手は選ぶぞ」

 

 つまり良心が痛む相手はいないということである。

 基本的に物事にも合理性を持ち込むため、彼が相手を選ぶ基準は今後の付き合いに影響が出るかどうかだろう。

 となると天子の知る中で、楓が今後の付き合いがどうなっても構わないと思っている存在となると、思い浮かぶ相手は限られる。

 しかし天子が答えに辿り着く前に楓は立ち上がっていた。

 

「次までに実験台のことは考えておく。悪いがこの後別件で呼ばれている」

「ん、そうか。呼び立てて悪かったな」

 

 楓が多忙なのはわかっているのだ。蛮奇もそこに文句を言うことはなく楓を送り出す。

 

「あ、私も神社に戻らないといけません。楓くん、途中まで一緒に歩いても?」

「構わん。ソースについて聞きたいこともある」

 

 さっさと揃って出ていった二人を見送り、天子は蛮奇の方を見た。

 

「楓が実験台にして良い相手って心当たりある?」

「居候しているお前にわからないものを私が知っているわけないだろ。それよりそろそろ夕飯用の仕込みを始めるぞ。ったく、最近は私が店主みたいだな……」

「え、違ったの?」

「人間の店主がいるんだよこれが。ヤバそうな妖怪が来るとすぐ逃げるし、最近は私に店を任せて好きに料理の研究やってる人間だが」

「趣味に生きてるわね……」

 

 妖怪も妖怪だが、人間も人間で大概図太い。いや、それぐらいでなければ幻想郷では生きにくいのだろう。

 呆れながらも天子は蛮奇に続いて厨房へ入っていき、今日の仕事を始めていくのであった。

 

 

 

 一方、里を歩いていた楓と早苗は外の世界の料理について議論を交わしていた。

 

「人里の材料で作れそうなソースですと……」

「なるほど。後は俺の方でも思いついたものを使おう」

「楓くんはお料理上手ですから大丈夫だと思います! ところで実験台って誰なんです?」

 

 誠に遺憾ながら腐れ縁となってしまった覚り妖怪である。

 などと説明する気も起きなかったのでなんと言ってごまかそうか考えていると、道端からかけられた声に呼び止められる。

 

「よう、守護者さま」

「む……」

 

 楓が視線を向けると、そこには水晶の置かれた机を並べた陰気な男が薄ら笑いを浮かべていた。

 千里眼で見覚えはあるが、名前は知らない。つまり初対面の人間であると判断した楓は男――占いを生業とする易者に対し――公人としての顔で応対する。

 

「俺に何か用か?」

「いやいや、外の世界について話しているからつい口を挟んでしまったんだ。俺も少しは知っているからね」

「え……?」

 

 早苗が不思議そうに目を瞬かせる。

 すると易者は得意げな顔で自前の水晶を撫でた。

 

「なに、占術で色々と見えたのさ。守護者さまは知ってるかい? 外の世界って、人間が支配した世界なんだぜ」

「…………」

「反面、ここはどうだ。守護者さまたちの頑張りこそあっても、いつだって妖怪が管理している世界だ。守護者さまの前で言うことじゃないが、人間なんて管理されている存在に過ぎない」

「……何が言いたい?」

「バカバカしくならないか? 人間の世界はあるってのに、俺たちだけずっとこの場所なんて」

「外の世界も良いことばかりではありませんよ」

 

 易者の言葉を遮ったのは早苗だった。

 いつも楽しそうに輝かせている顔が、この時ばかりは冷めたものに変わっている。

 

「誰も彼も夢を忘れて、現実に疲れた顔ばかり。人は人の手にした世界で、人の首を絞めているんですよ」

「なんてこった。どっちの世界にも希望はないのか?」

「私見ですけど、こっちの方が希望は溢れていますよ」

「そうか……」

 

 早苗の言葉に易者はがっくりと力なくうなだれる。

 まさに夢も希望もなくなったと言わんばかりの様子に見かね、楓が口を開いた。

 

「……早苗の言葉もあまり真に受ける必要はない。彼女の目線を通して見た世界だ。早苗が知らないだけで希望はあったかもしれない」

 

 そも、外の世界に希望があったら幻想郷への移住など望まないだろう。

 楓は御阿礼の子がいる世界が自分の希望であり、いない世界が自分の絶望であると物の見方は決まっているため、外の世界への失望は持っていなかった。

 だが楓の言葉は届かなかったようで、易者はうなだれたまま力なくつぶやく。

 

「……どこに行っても人間の希望はないんだな」

「あの……?」

「……呼び止めてしまって悪かった。今日は店じまいだ」

 

 水晶と机を片付け、フラフラと歩き去っていく易者を二人は見送るしかできず、そして違和感を口にすることしかできなかった。

 

「……楓くん、あの人」

「ああ。俺も初対面だが、明らかに様子がおかしかった」

「そう、ですよね。いえ、普段から希望とか絶望を意識する人もそういないですけど、あの人は度を越している。下手したら自殺するのでは?」

「…………確証があるわけじゃない。注視はするが、それ以上は無理だ」

 

 なんとなく怪しいという理由だけで拘束することはできない。

 楓が強権を振るうことなら可能だが、特に思い入れのない一個人にそこまでする義理もなかった。

 

「考えても仕方がない。こっちはこっちのことを進めていこう。ではな早苗」

「あ、はい。楓くんも気をつけてください。何かあるのかもしれません」

「いつものことだ」

 

 楓が肩をすくめると早苗は何が面白かったのか小さく笑い、吹っ切れたように手を振って去っていく。

 それを見送った後、楓は改めて自らの千里眼で人里を見回す。

 

「……いつもより顔が暗いな」

 

 一人二人程度なら何かあったのだろうで終わらせるが、千里眼で流し見てわかるほどに増えているとなると話は別だ。

 楓は言い知れぬ胸騒ぎを覚えながら、自分の役目を果たすべく歩を進めるのであった。

 

 

 

 

 

「――シッ!」

 

 砂を詰めた人間台のサンドバッグを思いっきり殴りつける。

 細い少女の腕であっても妖怪の腕力。全力で殴られたそれはくの字に折れ曲がり、吊るされた鎖をジャラジャラと鳴らす。

 ちなみに顔の部分に憎きアンチクショウの似顔絵が貼られており、殴るたびにとても気分が良くなる。

 

「ふぅ……」

 

 渡してきた本にされた嫌がらせへの苛立ちを思う存分解消した妖怪――地霊殿の主、古明地さとりは清々しい気持ちで出かける準備を始める。

 以前は本のカバーを入れ替えることでシリーズの一部だけを渡さないなどという、器が知れるようなみみっちいイタズラを仕掛けられてしまったが、今度はそうも行かないよう対策済みだ。

 さとりがサンドバッグを殴っている時から部屋に控えていた火車――火焔猫燐は主が行っている奇行へのツッコミを必死に堪えながら主の言葉を待っている。

 

「さて、お燐。私は出かけてくるわ」

「あ、はい。お戻りはいつ頃になります?」

「……少し遅くなるかもしれない。あの男と泊まり? 違うわよ反吐が出る」

「じゃあどうして?」

「……こいしが地底から出たように感じるの」

「こいし様が?」

 

 古明地こいし。さとりと同じ覚り妖怪でありながら、人の心を読めてしまうことに倦んで第三の瞳を閉じ、無意識を己の領域と定めたさとりの妹。

 自意識すら定かならず、無意識をさまよい誰の認識に留まることもできないこいしだが、能力自体にムラがあるようで認識できる時とできない時がある。

 そしてさとりは姉の力か、はたまた同じ覚り妖怪という共鳴にも似た何かか。こいしの存在をぼんやりと感じ取ることができた。

 

 その直感が告げているのだ。こいしは今、地上にいると。

 

「あの憎き男から助けてもらったお礼もまだ言えていないの。最近までは地底にいたけれど、いることしかわからなかったから」

「そういうことでしたらわかりました。行ってらっしゃいませ」

「留守をお願いね。お土産にお魚を買ってくるから」

 

 燐の顔が目に見えて明るくなることに微笑み、さとりは地霊殿を後にする。

 その姿を見送った燐は明るくなった顔から一転し、微妙な顔で一人つぶやいた。

 

「……さとり様、最近すごくイキイキしてるんだよなあ……」

 

 妖怪が生きるには刺激が必要で、その刺激に善悪はないのだろう。

 だがやっぱり自分たちがさとりの刺激になれていなかったことは腹立たしい。燐は今日もまた自分の同僚である霊烏路空と飲み明かそうと決心するのであった。

 

 

 

 さとりとの会合に指定した場所で、楓は相手を射殺す勢いで対面のさとりを睨みつける。

 常人、ないし弱い妖怪ならそれだけで震え上がる楓の眼光をさとりは正面から受け止め、むしろ殺し返す気迫で睨み返す。

 一触即発の空気――この二人の間では基本的にこれである――の中、最初に口を開いたのはさとりだった。

 

「……先日の本、実に面白いものでした。どこかの筆舌に尽くしがたい馬鹿が5巻のうち4巻のみを抜くなんて、本好きならば殺されても文句の言えない暴挙に出ていなければ、私も手放しで褒めたでしょう」

「それは災難だったな。だが俺も人間なので失敗はある。許せ」

「許せるか、死ねぇ!!」

 

 さとりは激高して立ち上がると、第三の瞳がギラリと楓を睨みつけた後、途轍もない速度でさとり自身が踏み込んで拳を放つ。

 楓の知るさとりとはまるで別次元の速度に反応が遅れて防御が間に合わず、顔面への拳を甘んじて受けてしまう。

 

「――っ!?」

「ふ、ふふっ、あーっはっはっはっは!! いや素晴らしいものですね人を、特に嫌いな相手を殴り飛ばし、その相手の驚く顔を見る快感というのはぬわぁぁぁ!!」

 

 気分爽快と大笑いするさとりだが、殴られた楓が大人しくするはずもなく。

 反撃の拳がさとりの顔面にめり込み、吹き飛ぶさとりの横に浮いていた第三の目を鷲掴みにする。

 

「いきなり殴りかかってくるとはいい度胸だクソ女」

「ぐ、くぅっ……! か弱い女に手を上げるとは恥を知りなさい恥をぎゃああああぁぁぁ!?」

 

 第三の目を握り、痛みに悶え苦しむさとりを見下ろしながら楓は口内で欠けた歯を吐き出す。妖怪なので傷はすでに治っていた。

 

「か弱い女は俺の中での最強――父上の幻影を己に憑依させて殴りかかりなどせんわ」

 

 さとりがやったことは楓の心を読んで、楓の中にいる最強の存在――父の記憶を読み取り、それをトラウマとして召喚。

 さらに召喚したそれを自身に憑依させることで身体能力、技術――あくまで楓の認識内のものではあるが――をそっくり自分のものにして殴りかかってきたのだ。楓が意表を突かれたのもそのためである。

 

「厄介な能力を覚えやがって。苦しんで死ね」

「ペッ! そっくりそのままお返ししますよ。身体能力で差を付けられては私が殴られるだけになると思って身につけたのです。そう、これは自衛のための防衛手段。それでも男から離れられないなんて、私はどこまで不幸な女なのでしょう」

「もう一発行くか」

「お? 続けるんですか? 良いですよその喧嘩買ってあげますよクソ天狗!!」

 

 お互いに歯をむき出しにして威嚇し合っていたが、少しするとどちらともなく特大のため息をついて椅子に座り直す。

 

「……話が進まない」

「そのようですね。仕方がありません。あなたより永い年月を生きているこの、私が、大人に、なって差し上げましょう。良かったですね、坊や?」

「永く生き過ぎて耄碌したと見える。が、指摘すると激高することが多いというのが世の老人というもの。俺が黙ることで残酷な真実を告げずに済むのならそうしよう」

 

 ははは、うふふ、とお互い目の笑っていない会話をした後、全く同時に椅子から立ち上がる。

 

『ぶっ殺すぞ貴様ァ!!』

 

 再びガンを飛ばし合う二人。しかし話が進まないというのは共通の認識のようで、今度は先ほどよりも短い時間で椅子に座り直した。

 

「最低限の用件」

「把握」

 

 余計なことを言うと売り言葉に買い言葉であっという間に喧嘩になるので、互いの用件をさっさと終わらせようという意味だった。

 さとりも理解したらしく疲れた様子で椅子に深く腰掛け、楓に手を差し出す。

 

「茶」

「飲め」

 

 改めて紅茶を要求したさとりに楓は先日の言葉通り、彼女が口にした好みとは逆に用意した紅茶を淹れる。

 だがそれを口にしたさとりの表情が先日より柔らかなものになったのを見逃さず、楓は自分がまんまと踊らされたことに気づいて腸が煮えくり返る怒りを、御阿礼の子が穢された時以外に初めて覚えた。

 さとりは楓の視線に気づいたのか思いっきり嫌味な笑顔を浮かべ、これみよがしにゆっくりと紅茶を味わう。

 

「ふぅ……実に素晴らしい紅茶です。これは何より淹れ方が良い。私の好みを把握した上で淹れてくれるとは愛されすぎて困るあっづぅぁぁ!?」

「死ね」

 

 最低限の言葉で済ませようという協定を、楓を煽るためにあっさり破ったさとりに対し、楓は端的な言葉と一緒に残っていた紅茶を第三の目にも注いでやる。

 さとりが目を焼く熱に身悶えしている姿に生まれて初めてとすら言える爽快感を覚えながら、楓は風呂敷から本を取り出す。

 

「約束の本だ。確認しろ」

「うぐぐ、くぅ……確認します!」

 

 楓から風呂敷を奪い取るとさとりは慎重に内容を確認する。今度は表紙を外して巻数の確認までしっかりと。

 内容は探偵物であり、読者も推理に参加することができるもの。

 人の心は容易く読めるさとりであっても、本の内容を先読みするには実際に本を読むしかない。

 作中人物の心情を読み取り、トリックを解体し、犯人を暴く。さとりにとってまたとない娯楽である。

 この男にしては悪くない――前回もそうだったが本の選択自体はさとりの好みを的確に抑えているのだ。教えていないのに。

 

「……ふふっ、本に乱丁や欠落もなく、内容もまた私の興味をそそるもの。業腹ですが、本当に業腹ですが、あなたの本の選別眼は信用してあげましょう」

「それはどうも」

「もっと喜んで良いのですよ。この私があなたを褒めるなど今後一生ない――え? トリックは室内の時計を活用したもので犯人は――キサマァァアアアアアァァァァアアアァァッァァ!!!!」

「ごふっ!?」

 

 楓の父を憑依させた手加減なしの一撃が楓の腹部に突き刺さった。

 痛みに視線の下がった楓の襟をさとりが掴み、これ以上の怒りなどこの世のどこにもないと思わせる形相で楓を下から見上げる。

 

「キサマを殺して全ての真実を葬り去る……!」

 

 意訳すると楓の心に浮かんでいるネタバレを読み取ってしまった、忌まわしい記憶をさとりは忘れたかった。

 

「俺が死んでも真実は消えない……!」

 

 意訳するとさとりの記憶にネタバレは焼き付いたので、楓は目標を達成したも同然だった。

 おそらく全部読み取れてはいないだろうが、一部でも読み取ったなら大勝利である。

 

『…………』

 

 互いに息を荒げていた二人は、やがて争いの虚しさを知ったように力なく手を離すとのそのそと椅子に座り直す。

 

「お前と話すと疲れる」

「同感です。何かつまめるものはないのですか。淑女をもてなす作法もできていないと見ました」

「用意はある」

 

 こいつの言葉に付き合うだけ損だ。

 そう自分に言い聞かせながら楓は戸棚に用意しておいたフライドポテトを取り出す。

 

「おや、これは……」

 

 さとりは楓と一緒に早苗の心に入った関係。つまり楓と同程度に外の世界を知っている。

 

「あの時食べただろう。それを幻想郷で再現したものだ」

「ふむ、いただきましょう。手が汚れるのは不本意なので箸をください」

「ほら」

 

 予め用意してある箸をさとりに手渡すと、さとりはちまちまと一本ずつフライドポテトを口に運んでいく。

 

「むぐむぐ……確かに以前食べた味ですね」

「だろう。それは良いんだが、お前はこれを毎日食べたいと思うか?」

「思いません。時々なら良いですが、毎日など頑張っても三日が限界でしょう」

「やはりそうか……次はこれを付けてくれ」

 

 楓が小皿に用意されたソースをいくつか並べると、さとりは興味を惹かれた様子で視線を向けた。

 

「これは?」

「味の実験場だ。こいつを里の料理屋に並べているんだが、どうにも売上が芳しくない。なので改善案を模索しているところだ」

「私に実験体になれと?」

「合う合わないの評価が出れど、内容に手抜きはない。料理に携わるものとして、食材を弄びはしない」

 

 御阿礼の子に誓っても良い、と言うとさとりもそれ以上の追求を諦め、フライドポテトに各種のソースを付けて口に運んでいく。

 

「ふむ……ノーコメントはダメですか」

「その本には残らず炎の術式が組んである」

「のたうち回って死になさい。……味の評価としては悪くありません。どれも致命的に相性が悪い、というものはないでしょう。後は個人の好みになるかと」

「なるほど」

「さて、あなたの頼みに応えたのです。次は私の願いを聞いてもらいますよ」

「…………」

 

 楓は苦虫を百匹は噛み潰した顔になるが、さとりは気にせず自分の事情を話す。

 すなわち、妹が地上で行方不明になっている可能性が高く、それの捜索をしたいということを。

 

「無意識を操る……以前、お前を阿礼狂いに堕とそうとした時に防いだやつか」

「そうですね。全く感謝してもしきれません」

「それが地上にいると。……人間に危害を加えたりは」

「ないでしょう。彼女自身は無意識で認識が難しいですが、干渉された他者はこいしが離れれば無意識の影響から逃れられます。仮にこいしが人を襲っていた場合、襲われた人という結果だけは隠せず残る。騒ぎにならない程度のイタズラをしている可能性はありますが」

「……であれば無視もできないか」

「私一人で人里を捜すのも骨です。私の目となり手足となる栄誉を授けましょう」

「地底に戻っていいぞ。俺一人で探して退治までしておいてやる」

「私はこいしの居場所を大雑把ですが把握できます。無意識を操る彼女の捕捉はあなたであれど至難の業だと思いますが?」

 

 楓は全力の舌打ちを一つした後、苛立ちを消すように荒々しく立ち上がる。

 

「――行くぞ。さっさと見つけて地底に連れ帰ってしまえ」

「そうさせてもらいます。私もあなたと長く一緒にいたいわけではありませんから」

 

 次の舌打ちは楓とさとり、同時のものだった。

 そうして二人は並んで魔法の森の小屋を出て、人里に向かって飛んでいき――

 

 

 

 ――人里の住民が見渡す限り、夢も希望も失せた表情で佇んでいるのが目に飛び込んできた。

 

 

 

『……は?』

 

 奇しくも同時に驚愕の声を漏らし、二人は今が異変の最中であることを嫌でも理解するのであった。

 

 

 

 

 

 ――ええじゃないか、ええじゃないか。

 

 

 

 

 

 誰でもなく囁かれる、先のことを全て投げ出すような声を二人の耳に残して。




次回からさとりんと一緒の心綺楼が始まります。なおお互い隙あらば相手を潰しにかかるし隙がなくても煽り倒す模様。

この二人、お互いに蛇蝎のごとく嫌い合っているという一点を除いて相性は非常に良いです。性格的にも能力的にも。
なおさとりんは楓の身体能力に対抗するためにトラウマ憑依合体を覚えて、白兵戦対応もバッチリになってます。欠点もありますが。

私は基本、人の会話というのはそれぞれのキャラがどう動いてどうしゃべるかを頭の中でトレースしながら書いていますが、この二人だけはほぼ脊髄反射で書いてます()

それと異変が終わる辺りから他の地雷解体も始まります。心綺楼が終わったら残りの異変は輝針城、深秘録、紺珠伝の予定になります。
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