「……いつまでそうしているのかしら?」
「…………」
そう僕に声を掛けたのは目の前にいる銀髪の女性。そして声を掛けられた僕であるが無言で警戒する姿勢を崩さず、それを女性が節目がちに確認するとまた深くため息を吐かれた。
あの後、訳が分からなくて頭が混乱する僕はこの女性に連れられ、屋敷と思えるほどの大きな平屋の一室に通されて今に至る訳だが。
「……」
敷物に座る女性は未だ敷かれたその布地に一向として腰を下ろさない僕に痺れを切らしてさっき声をかけて来た訳だけど、事情も分からずに敵とも味方ともわからない相手に無謀な姿を晒すわけにもいかない。
正直此処に来る事すら嫌だったのだ。しかしそれならば逃げればいいだけの話なのだけれど、情けない事に僕は目の前の女性、と言うか彼女の何とも言えぬ雰囲気に圧倒されていた。
その為僕は不足の事態を考え、一歩も動かずに入ってきた襖に立ちふさがるように直立の姿勢を取りながら誰か入ってこないかと警戒し、何時でも逃げられるようにしているのだが。
蛇に睨まれた蛙とはよく言ったものだ。今なら蛙の気持ちがよく分かるような気がする。いや、立ち竦んでる訳じゃないよ、ただ怖いだけなんだよ。
ぶっちゃけ彼女の事は信用出来ない。
テーブル越しに見る女性は油断なく、漆黒の瞳を鋭く細めて僕を見ていた。
瞳の奥は深い知性の色と僕を見定めるような、値踏みをするような未知に対する探求心が見え隠れしている事に気がつき――僕に似ている。そう思ったが頭を振ってその考えを振り払った。
思わず警戒心が緩みそうになるのを本を無意識の内に撫でそれを戒める。
どうせなら今すぐここから逃げ出したい。ああ、なんで出てきたんだろ……久しぶりの外出に浮かれていた、もう満足したから早く洞窟に戻って今度は大人しくしてずっと本を読んでいたい。
何ならこのまま強引に突破してみるか?
しかしそれは悪手だと思考しなくともわかる。妖怪の僕が怪しい動作一つすれば、都市の安全のための大義名分とやらで彼女に通報、又は何らかの力で一瞬で消されるかもしれない。なんだか本能で分かる。この人に逆らっちゃだめだ、と。
そもそも彼女は知っているか分からないが僕は妖怪である。しかしそれを知らなくとも追われていた者、それも怪しい服装(目の前にいる女性も大概だが)の男と一対一で対面する事に動揺する様子がない。
その姿を見るとそれなりに武道の心得やら何らかの作戦、とまあ何かあるのだろうか? 勘ぐってしまう。今のところは大丈夫だが不安がある僕としては何とも心細い。
そして僕の使命は主の安全が優先、この場合は本だが契約の内容は単純、誰の手にも渡らないように守ること。
そして何より僕には他にもやりたいことがある。こんな所でヘマをして死ぬ訳には行かないのだ。それなら尚更警戒を緩める訳にはいかないだろう。
「その本がそれほど大事なのかしら?」
「――ッ」
急に話題を振ってきた女性の声は実に的を射てる質問だったからか、思わず頭の中で想定していた事態と考え、体が強張ると同時に本を抜き取り反射的に警戒態勢に入った。
その僕の行動にさらに眉を顰める女性だが、なにも言わずお茶を啜る。部屋の中はお茶を啜る、ズズと言う音だけが残り、沈黙が僕達を包み込む中でそれを破るように口を開くのは僕だった。
「……なんで、なんで連れてきた?」
それはこんな状況だからこそ浮んだ素朴な疑問であろう。そもそもあそこにいたら見つかるのも時間の問題だった筈なのだ。
位置的にもそう、追跡者達は何故か僕の逃走経路を把握していた。あの時は運良く通り過ぎて行ってくれたが消えた場所を再調査すればすぐに見つかってしまってただろう。だから尚更それが解せない。
それなのに態々こんな所まで僕を連れてきて何をしたいのか、考えるだけ無駄と分かっていても憶測が頭の中を飛び交う。
彼女は頬に僅かな微笑を浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。
「だって貴方、妖怪なのに人を襲ったこと無いでしょう? 自慢でもないのだけれどこの都市に張られた結界は一度たりとも妖怪に破られた事がないモノに守られているの。其処に貴方がやってきた。普通あれば浮かれて考えてる暇もなしに人間の一人や二人襲うんじゃない? ……ああ、貴方も少しばかり浮かれていた様だけれど人っ子一人襲わないし、逆に落ちてるゴミを拾うなんて、私としても無害な妖怪を殺すなんて良心が痛むのよ」
その後に女性はやれやれと、言った様子で何処か芝居掛かったその答えに僕は目を細めた。
言っていることはあながち嘘は含んでなさそうだけれど、後半の内容にはどこか陰って見える。
質問に答えてるようで答えていない……それに何故僕の正体に限らず行動まで把握しているのかが分からない。そこに内心イラつき覚え、歯を噛み締めながらもこう問い掛けた。
「――じゃあ、僕達は初対面?」
「……えぇ」
そうすまし顔で答えた女性だが僕には何処も違和感を感じなかった。しかし僕の能力でもある『間合いを計る程度の能力』では――彼女はあまりにも『近すぎる』のだ。
この女性が僕に抱いている心の距離があまりにも……。
人間と妖怪が線引きされている線の上を明らかに、僕と言う存在に交わる様に越えて来ている。
しかしそれは僕という存在だけ、他の妖怪に対しては凄まじいほど距離が離れ、逆に嫌悪すら懐いているレベルだ。
それなのに相手が妖怪と分かっていてそれは在り得ないだろうという事実が一層僕の頭を悩ませる。
いくら人に危害を加えない人間でも初対面なら少しくらい警戒心を抱くだろう。しかし今は妖怪である僕がいるのにそれらが全くと言っていいほどない。安心仕切っている。しすぎているのだ。
元からそうなのか……? いや少なくともそれはないはずだ。ここに来るまで僕はずっと能力を発動してこの女性とほかの住人との間合いを計っていた。
その結果、すれ違った人達に対してこの女性はそのほとんどに、少なくはない警戒心を抱いていた。その表す意味は孤独……だろう。別に天涯孤独といった訳ではないだろうが少なくとも人を避けている印象を僕は受けた。
しかし彼女が返答を返したとおり初対面なのにも関わらず何ゆえ僕がここまで彼女に近い間合いにまでいるのかがわからない。それとも先の言った事が嘘言とすれば、ばれた時に逆に僕の警戒心が強まるのだから更に相手にうまみがない返答だろう。
それならば彼女の言葉を素直に聞くとして、少なくとも言葉通り僕に危害を加えるつもりはないのかも知れない。
そう僕は思案に結論付け、のそのそ女性が座るテーブルの反対側に腰を下ろした。それに少なからず女性はその僕の姿に瞠目していたのを僕はそれをあえて無視した。
「一先ず、自己紹介しようか。僕は玲というよろしく」
今更感ばりばりだが、まあ初対面として接するならば当然の成り行きだろう。
「あ、え? ああ、私は八意永琳よ。ここでは主に都市の管理を任せられてるの」
そう少し慌てて言った彼女――八意の言葉に次はこちらが瞠目をする番だった。
「え、都市の管理? 先も言ってたけど結界、それに今まで一度もって言ってたのだから歴史に関しても、いや調査書の閲覧で確認か? 防衛……まさかだけど軍の管理――指揮官だったりするの?」
ぶつぶつとそう呟いて最後にそう質問すると縦に頷かれた。うそー、強攻策に出てたら本当に命が危なかったようだ。
少なくとも容姿は12~14歳そこそこ。まだ発育が仕切っていない体のせいか、ひどく若々しく見えた。
これほど大きな屋敷だ。僕は少なくとも名家の出からの七光りくらい、だろうと先までは考えていたが……。全く違うって訳ではないだろうが少なくともこの若干10歳でこの都市の管理すら任せられているのだ。七光り、名家出と言っても異常とも言えるのではなかろうか? 歴史上ではそんなものは幾らでもあったがそれはあくまで本、歴史書での話しでそれを目の辺りにして僕が驚かない訳が無く、不思議と彼女と目線を合わせないようにと目が泳いだ。
それにこの歳で少なくとも複雑な政治、理念、法律が絡む役職を任せられるほどの頭脳を持っていることに少なからず身震いを覚えた。それと出来るだけ動揺を表さないように、僕は無言で彼女に中身が見えない位置で本を開いた。読む内容はもちろん『生物図鑑』だ。これさえ見れば大体のことがわかる。この混乱する頭も少しは落ち着くだろうと深呼吸をしながら僕は念じてその記述を開いた。
△▲▼▽△▲▼▽
◇苗字 八意 名前 永琳
種族:人間 能力:あらゆる薬を作る程度の能力
体力:94/90 スタミナ:45/40
状態:精神―『不安』
装備:永淋製のワンピース
八意製薬品
(弓)霊弔
ステータス
妖力―0/0 霊力―340/320
魔力―0/0 神力―0/0
腕力―29 IQ―165
素早さ―63 運―65%
△▲▼▽△▲▼▽
「……(まずいまずいまずいまずい……!)」
「あら、いきなり本を開いたかと思ったら固まってどうしたのかしら?」
「ふぅ……どうやら少しばかり走ったせいで疲れてるんだな、あーちょっと緊張したせいで目が痒かったからたぶんそのせいだろう、うん――」
「一人で何を言ってるの?」
そういう彼女は歳相応に可愛らしく、首をこてんと傾げるのも全く見ずに、他の事が目に入らないほどに僕はもう一度確認する様に本を凝視。
この八意という女性、今分かったことだが、化け物だ。
人間とは思えないほどの能力……この馬鹿げたステータス、もし相手にしていたらと思うと冷や汗がとまらん。い、いや落ち着け、まず冷静になろう。少なくとも彼女は人間ではないと考えよう。とりあえずは――。
「八意さん、ほんとに人間ですか?」
敬語は何となく、反射的にそうなった。理由としては弱肉強食と言う言葉はあるだろ。
「あなた、いきなり何を言い出すかと思えば……もちろんそうよ」
「嘘だ! 何で僕のほうが長く生きてる筈のなのになんだこの化け物ステータスは!」
「すて……え?」
なんだか今まで自分の努力が踏み躙るどころか潰されたような気がする。まあ魔術なんて本読むだけの簡単な作業で、半分くらい趣味としといても、あぁー……でもあれだけがんばったはずなのになぁ……。というか僕の種族は普通のそこらにいる人間より劣るのか、なんという劣悪種族、僕はこの体を持って生まれたことを生涯怨むであろう。ちくせう
「ちょっ、どうしたのよいきなり泣き出して!」
「泣いてなんかいない! これは心の汗だ!」
もはや自分でも訳が分からん言動を吐きながらも、指摘された通り袖で心の汗を拭い深呼吸、落ち着くんだ僕よ。
そもそも人間にも人外級の人だってたまにいるだろう。実際前にもそれに似たような人が、僕の周りにもいた。人間諦めるが肝心、そう僕の目の前にいる人は人外なのだ。人外、それならしょうがないね、うん。僕も人外だった気がするけどそれも気のせい、そうに違いない。
「そうそう、人外さん。もうそろそろ帰っていいですか?」
突拍子も無いこという僕。
「……あなた何を言ってるのかしら?」
そう笑顔でピクピク頬をひく付かせてる八意さん。心なしか握っている湯のみにヒビが入っているような気がする。高そうなのに、壊しても大丈夫なのだろうか?
というか帰してくれないのだろうか? その有無を聞くと
「あら? これだけ言っておいて五体満足で帰れると思っているのかしら」
その後光が差すような、見たものを戦慄を覚えさせる笑顔で、そういう八意様。はて? 無言で取り出した注射器は何を意味するのだろうか。
「ちょ! 落ち着いてください八意さん! なにその毒々しい色の注射器は!? なにその無言の笑顔、怖い怖い! 針をこっちに向けてどうするつもりですか!? ちょ……ま、アー!」
血管の中に何やらドス黒い色の液体が流し込まされると同時に瞼が重くなり、僕の意識は暗い闇の底に落ちてしまった。
◆
ついやってしまった。沈鬱な声色でそう呟くのは八意永琳、その人であった。
その項垂れる彼女の足元、それの真下では白目を剥いて生物が物理的に出せるはずが無いであろう紫色の泡を吹いて倒れていたのは妖怪である玲であったが気絶しているのか、全く動く気配はなく、いや、確かに時々動いてはいるがビクンと脱力している手足が跳ねる光景は何とも不気味であった。
「ごめんなさい……」
永淋は少なくとも恩人である玲に手を出してしまったことに少なからず、後悔の念を抱きながらも表情は何処か恍惚の色を含んだ笑みを浮かべていた。
そもそも玲の質問には初対面、そう答えたが実はと言うと会ったのは初めてではなかった。
初めて会った、と言ってもそれはほんの少しの時間であり、それにお互いに会話すら許されない状況であった為に玲は永琳に会った事など忘れていた。
その日、二人が出会ったのは森の中であった。永琳はその日、屈強な男達の護衛を引きつれて不足であった薬剤の材料である薬草の調達をしていた時に妖怪に遭遇してしまい、偶然にもその時は永淋の武器である弓を薬草採取に邪魔だったために護衛である男にその時は運悪く預けていた瞬間だった。
そして不運にもその男は真っ先に妖怪に殺され、護衛であるほかの男達も永淋を庇う様に盾となり果敢にも攻撃を加えようとするも、所詮はただの人である護衛が妖怪に勝てる訳も無く。蹂躙され、刻まれて、喰い殺されていった。
普通なら妖怪に対抗する為の力を持たない男達を連れて来る事はおかしい事だろうと思うだろうが、それはあくまで彼女が弓を引く時間を稼ぐ為、そしてその唯一の妖怪に対抗する手段を奪われたのだからこうなる事態は必然とも言える事だった。
武器をその手に持っていなかった永琳同時に其処までに考えが至り、死を覚悟した。
そこに現れたのが彼だった。
彼――いや玲は妖怪が永琳に今にも飛び掛ろうとした瞬間、自分が囮になるよう石を投げる少年を永琳は視界に納めていた。
その姿は一言で表せば子供らしい、顔立ちは可愛らしいとも感じさせる幼子そのものだった。故に、目の前で投げられたただの石で倒れた妖怪の姿が永琳には信じられなかった。
子供は此処ではあまり珍しくない平凡な漆黒の髪だった。そしてふと目に入った普通では在り得ない、灰色の目。そして見たことがない。明らかに体に合っていない、身の丈に合っていないと思えるだぼだぼの灰色の服はまだ幼子と言える少年の体には凄まじい違和感に永琳は混乱している頭の中でも素直に不相応だと感じた。
それに彼女の眼下に納められた遜色された本がその違和感を一層極めていた。
永琳は瞬時に危ない! そう警告の声を上げようとするも、喉から出るのは唸る様な音のみ。このままじゃあの子は殺されてしまう、それを分かっていながらも声が出なかった。それは何故なら妖怪がこの程度の攻撃で倒れる――死ぬ筈がないと理解した上での判断だった。
だから彼女はあえて自分の保身のため、声を上げなかった。
結果、永琳は無事に今の都市であった村に帰れた。しかし護衛は全滅、囮になるよう森に逃げ込む走り去った少年の安否に至っては消息不明。
この時、永琳の心の中にはなんとも言えぬ自己嫌悪の感情が渦巻いていた。それは他人から見たらそれをハッキリ言うなら仕方ない事、正しい判断だったと賞賛を贈るであろう。何故なら更なる犠牲者が一人増えたのかもしれないのだから。
そもそも護衛が全滅する中で生き残ったのが永琳だけで、それに少しばかりの怪我はあったものの無事に帰って来れた事はまさに奇跡に近いと言えた。
この世界では外に出て妖怪に殺されるなど日常茶飯事、そんな事は永琳自身分かっている。
だが永淋の心中にあるのは若さ故の、あの時声を上げれなかった自分に対しての罪悪感と後悔の念と、あの自分の窮地を助けてくれた少年の姿が頭から離れなかった。
それは幾末の年月が経とうとも、村を発展させるのに心血を注ごうとも消えることが無い負の感情が彼女の頭をそれこそ永遠とも思える長い時間の間悩ませていた。あの自分を助けるため身を投げ出した少年の姿が、自分の冴える思考が月日が経つ後とに罪の意識を増長させ、深まり、心の奥底までその傷残は根深くなっていった。
そして何時からだろうか? 永琳自身、無意識の内に人を遠ざけるようになっていった。
しかし永琳自身は此処まで村を発展させた天才と周りから持てはやされおり、もちろん周囲は嫉妬など感情を持ちながらも、永琳自体に畏怖の気持ちを抱いていた。
その為か、彼女が無意識ながらも人を遠ざけていることには周囲は特に何も言わなかった、と言うよりも村人達が自分達とは掛け離れた、違い過ぎる存在と思っている彼女に声を掛ける事を諦めていた。
それは勿論日常生活に支障ではないにしろ。深く、だがそれは確かに村人と彼女の間には見えない深淵のような溝が出来ていた。
彼女は八意家の長女として周囲から天才などと称される中、それでも自分は一人の少年すら救えなかった。あそこで声を上げていればなにかが違かったかも知れなかった。
そう今にしては無駄な問いを何度も繰り返し、自身を卑下して生きてきた。
そして、運命と思える日がやってきた。あの少年に会ってから385年8ヶ月と6日の今日、其処で運命の再開を果たした。
最初は結界に異常があったと言う通報で気だるさを感じながらも性格としては真面目な彼女は業務を真っ当しようと結界の調査と、都市内に張り巡らされた監視カメラの確認をしていた時、画面越しにその姿を見て永琳自身、自分の目を疑った。
幾分か成長していたものの、見覚えがある黒髪にまだ幼いと感じさせるその体にあの灰色の服、それと忘れもしないあの本だった。
(生きてた! 生きてた!)
それを見て子供のようにはしゃぐ永琳は心の奥底から、飛び上がりそうなほどそのことを喜びが湧き上がると同時に涙した。
あの少年が生きていたこと、それは自分の罪の意識は消えることはないだろうが、救われるような気持ちになった。
永琳は涙で曇った目を擦りながらも、その何事もない様に興味のまま、周囲に目を向ける少年の姿を見て、自身の手で苦しくなる胸を押さえていた。
いつの間にか、それは何時からだっただろうか。何時しか永琳は罪のことを考える後悔の念と同じくして自分の事に命を懸けて助けてくれた少年の姿を思い出す毎に愛しいという気持ちを抱いていた。
誰もが思い浮かべた事がある、子供らしい考え。それこそ御伽噺である白馬の王子様を彼に置き換え、自分はその姫と置いて。
しかしそれは叶わないこと、実際少年と合ってみるとそれは歴然と、壁となって立ち塞がっていた。
先まで玲は警戒心で威嚇するように、彼女――永琳を憎悪とまでは言わないが明かな苛立ちを含んだ眼で睨んでいた。
それは初対面の者同士では当たり前、無理矢理連れて来られたのであればそれは当然とも言えたが彼女は其処まで頭が回らなかった。
玲からしたら一時は追われていた身なのだから警戒するのはそれこそ普通のことだっただろう、が。少なくともその敵意を含んだ彼の姿勢に永琳の心を深く傷つけた。すっかり、玲は永琳のことなんて、あの時の事なんて覚えていなかった。
自分を支えていた都合のいい妄想、それが脆く崩れた瞬間だった。
永琳は何時からか、彼が私の事を憶えてくれていたものだと、恋する乙女のように期待を抱いて感動の再開を果たせるものだと……そう思っていた、そう勘違いしていた。
それと対面して分かった事、彼は妖怪だった。
そしてなにより永琳の中に深く、それも奥深くまで根を生やす罪の意識、もしそれを玲が知ったら彼は迷わず、生きてたしどうでもいいなどと言うだろう。
彼女自身覚悟していた。
嫌われてしまうだろう。拒絶されるかもしれない。
不安でいっぱいだった彼女は少なからず彼と会話して、その予想は概ね当たっていたと結論を付け、落ち込んだりもしたが直ぐにその感情を押さえ込んだ。
それより今のこの時間を大事にしたかった。
会話が出た事によって何かが満たされるような感情が、それが彼女には素直に嬉しかった。
それはただの自己満足だ。そんな事は誰よりも自分が分かっている。
だが誰も本当の一人、彼女を八意家の人間として見て来た周囲の人間達とは違って永琳として、彼は自分のことを一人の人間として見てくれる様な気がして嬉しさのあまり我を忘れていた。
しかし彼は言ったのだ。
『そうそう、人外さん。もうそろそろ帰っていいですか?』
え? そう唐突に言われた言葉に彼女は疑問に頭をかき乱された。
やっと会えた。それなのにどうして。もっと、もっと一緒に居たい、話していたい。
そう思ったのにもう帰ると彼は言うのだ。それもそうだろう彼は妖怪、彼女は人間。
根本的に違うのだ。彼女自身、彼から罵られることはどうでもよかった。そもそもそれだけのことを、言われることやったのだと彼女は自分の中でそう考えていた。
当たり前だろう。この時、彼女はすでに何処かおかしかったのかも知れない。
長年の孤独、罪の意識、周囲から視線、何より彼がまたどこかに行ってしまう事にひどく、落ち着いた気持ちで、どこか冷めたようなそう、一言で言うなら――歪んだ束縛の感情が湧き上がった。
――それから冒頭に戻る訳だが、彼女は……八意永琳は彼を膝に乗せ抱くように、そしてどこかに狂ったような光をその目に宿しながら微笑みを湛えその手は愛しいモノを愛でる様に彼の頬を撫でる。
「……絶対逃がさない」
呟かれた狂気の言葉はその時の彼には届く事はなかった。