東方書録   作:鳥の番

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第5書 消えぬ……

 ――あれ、ここは……

 

 目が覚めたと思って気がついたら闇の中だった。其処は一筋の光も、其処には差す事を許されない空間のようで目を見開くも見えるものは何もなかった。

 

 ――あの後どうなったんだっけ?

 

 頭の中には霧が立ち込めたように思考が霞んで記憶も探るも何も見えない。まるでこの視界に広がる、深淵のごとく、どこか記憶がぽっかりと抜け落ちたようだ。

 

 ――というか僕、ここに来たことがある――?

 

 不明瞭な思考の中でふと沸いてきたどこか確信めいた疑問に我ながら頭を捻った。何故そう思ったのか、自分でも分からないが曇った頭の中ではなぜか、それは当たりと告げていて、同時に視界の闇が払われ、変わりに周囲には白い靄が立っていた。

 

 視界の中央に映ったは、靄の中に佇むどこかおぼろげで、薄い影をさらに薄く引き延ばしたとも思える、灰色のナニカがいた。

 それは複数居て、僕を囲むように佇んでいた。そのナニカの幾つもの探るような視線に、感じた奇妙な感触に身を強張らせ、次の瞬間に起こるかも知れないナニカに身構えたが結局の所何か反応があった訳ではなく、何も無かった。

 

 何もしないソレはまだ動く様子はなく、逆にこちらを見守っているようでもあった。不思議と不安、不気味と言ったソレに対する印象が薄れ、同時にじょじょにハッキリしてくる意識に目を向けた。

 敵意は感じないし、大丈夫か……。強張らせた体を緩めると、靄の中から一際大きな影から囁く声が耳に入ってきた。

 

『主に付き従う者よ……。自らの責務を忘れるでない。もし、自身の力が及ばなければ、主の名の下に助けを乞え、願え、懇願しろ。さすれば我らは夜闇の風の如くそなたの下に今一度集うであろう』

「え? それってどういう意味だ――」

 

 それだけ言うと、影は薄れ、周囲には靄といきなり言われた言葉に戸惑う僕だけが其処に残された。

「主に付き従う者、か……」

 そう言葉で反芻するとなぜだか嬉しさが込み上げて来た。無意識に顔が綻んだ、そんな気がした。

 ふと腰の本を見ると驚くことに淡い蒼い光に本を包み込んでいて、それは徐々に僕の体を抱擁していく。次に目が開けられないほどの眠気に襲われて、腰を普通の地べたとは思えないに床に落ち着けた。

 途端に意識が保てなくなり、体を横たえると闇に呑まれる中であの声が聞こえたような気がした。

 

『――自らの責務を忘れるな書の番人よ。欲望は力、ゆめゆめ忘れるでない。お主の今この世に欲望が体現することを祈る――』

 

 その瞬間、押し寄せる眠気に僕は身を委ね、意識はまた薄れて行った。

 

 ◆

 

 目が覚めるとまず自分が布団を掛けられた状態でベットの上で横になっていることに気づいた。

 どこだろうここは? 布団から顔を出して、部屋の中は見ると沢山のフラスコやら何か分からない機械、そしてなんだかわからない色の液体と。

 試しに匂いを嗅いで見ると鼻を突くような薬品の臭いに思わず顔を顰めた。

 部屋の中は意外と清潔感漂うと言った様子でごちゃごちゃとしているにも関わらず、何処かしっかりと整理されていた。

 

「……とりあえず起きよう」

 ここがどこだかは今は置いておくとして、というか十中八九八意さんの研究室とかそんなんだろう。能力がそんなんだったし。というかここは研究所兼、彼女の部屋なのだろうか? 

 僕の横になっていたベットは研究室に置くにしては随分と高級感漂う物の気がした。普通ならただ寝るだけであればこれほどの寝具はいらないだろうし、なにより室内に洗濯物が……いや、断じて下着とか下着とか見てないですよ? というかあの人は恥じらいと言うものが無いのか? ……それと触れないように目逸らしてたけど――。

 

「――なにしてるんです? 八意さん?」

 実はさっきから背中に感じていた程よい柔らかい感触で気づいていたのだが、意識すると詳しい所は省くがなんだかやばくなりそうだったから無視していた訳だけど……。

「あら? 一人じゃ寂しいだろうから添い寝していただけよ?」

 そう言ってより一層体を近づけてくるけど意識しないぞ、しないったらしない。

 

「へぇー僕からしたらまるで僕が抱き枕にされているだけなような気がしますが? 出来れば今、すぐにでも! 手を離して貰いたいんですけど?」

「まあまあ、反抗期かしら? お母さん悲しいわー。さあ、そんな些細な事後にしてご飯にしましょうか」

「些細!? どこが? と言うか八意さん、髪の色的にどう考えても貴方僕の母親じゃないですからね! それとこれでも僕は八意さんより年上ですから子供扱いしないでください! というかなんですかこの部屋は? 僕も一応男なんですからもう少し恥じらいと言うものをですね――」

 

「はい、お茶どうぞ」

「あ、ども……じゃなくて!」

 不意を付かれて思わず少し飲んでしまった湯のみを机に叩きつけるように置くと、怒る僕を見て楽しそうに笑う八意さんがいた。その顔を見て直感した――この人絶対Sだ。見てみろよあの楽しそうな笑顔、室内は明るいのになぜか笑顔が黒い。

 

「ほら、案内するからついてきなさい」

「って無視するなー!」

 僕の声は無情にも屋敷に木霊するだけで僕のストップの呼び声も勿論、八意さんには聞いてもらえるはずもなく、にこやかに此方に笑いかける彼女の姿に出かけた文句の言葉も喉に詰って僕は渋々広い屋敷の廊下を進む彼女の後ろに着いて行った。

「それと僕が子供って言うの、あれ訂正してくださいね」

「……以外に小さいのね……」

「何か?」

「いいえ、何でもないわよ?」

 

 ◆

 

 とある屋敷の台所、其処にはとある天才住んでおり、その女性は何時もは自分から台所に立つ事は滅多になく、業務が忙しい彼女は日常的には簡易に作れる手頃なレトルト食品を口にしていた、筈なのだが。何故か今日に限ってはそれが違っていた。

 

 ところで話は変わるが周辺住民が懐く彼女、八意永琳に対する印象は、無愛想、無表情、無感情などと見事に鉄仮面その人のように思われているのだが、今朝台所に立つ彼女の姿はどうだろうか?

 彼女は何時もそう笑っているのかというくらい、違和感が全くない自然な微笑みをその顔に浮かべ、今にも鼻歌を歌い出すくらいに手早く朝食を作っていて、誰がどう見てもそれはそれはご機嫌の様子だった。

「ふ~ん♪ ふふ~ん♪」

 

 もし、彼女を少しでも知る人が見たら顎をあんぐりさせていたであろう。と言うのも彼女八意家、つまりは今ここにいる屋敷だが、彼女以外住んでいない。

 唯一いるとしたら週一度にくる家政婦くらいのものだ。しかしそれでも掃除、溜まった衣類の洗濯を済ませるとすぐに帰ってしまう為に、そして永琳自身、仕事がある為に家政婦とは知り合い程度の関係に納まっていた。しかしもし此処に彼女が居合わせたのであれば、思考停止の後で卒倒、その後間違いなく病院に駆け込むであろう。その後の精神科か眼科かはご想像にお任せするが。

 

「八意さんやっぱり悪いですしご飯は……」

 そう控えめに言う遠慮気味の声、発生源は小さい子供、勿論玲その人である。

 何時ものようにぶかぶかの灰色パーカに本当に穿いているか、いや穿いていないかもしれないが見えないショートパンツ、そしてその体つきに似も合いもしない不恰好な本を胸に抱くようにして持っていた。

 彼女はそちらに振り向きながら布で水っ気を拭き取り遠慮している玲の頭に手を乗せ、寝癖であろう髪の跳ねを直しながら笑顔を向ける。

 第三者から見たら親子と勘違いしそうな場面だが現実としては年齢的にはどちらも300は軽く超えている高齢である。

 

「料理なんて一人分も二人分も同じなようなものよ。それとも、貴方は人間以外食べないのかしら?」

 茶目っ気たっぷりにそう言う彼女の顔は明らかに彼をからかったそれなのだが、悲しい事に昔から対人関係に難があった半コミュ障の彼にそんな冗談が通じる筈がなく。

「そんなわけ無いじゃないですか!」

 そう心外だっと言ったように憤慨する彼は際限なく頭を撫でる永琳の手をバカにされてるのだと感じ、払いのけて元居た居間に引っ込んでしまった。

「……」

 

 彼女は払われた手を名残惜しげにしばらく見つめていたものの、沸騰した鍋が泡を吹かしていたことに気づき、先と変わらず何事も無かったかのように調理に戻っていった。

 

 

「ところで玲、今後行く所でもあるのかしら?」

 平凡な家庭によくある味噌汁に何の魚か分からぬ焼き魚に白飯と言う朝食を食べ終わり、食器を片付けて彼が出されたお茶飲みながら一息付いている所、彼女がそう話題を切り出した。

 そのいきなり出された話題に若干困惑しながらも玲は考える。

 

 行く所、と言っても玲自身、ここに来てからずっと穴倉生活していたせいで知り合いなんて一人としていない。そうなのだから行き場所などある筈もなく、彼自身やりたい事があるのだが今の環境ではそれが難しいと考え、此処に来る前にその事に関してはある程度妥協と言う事で当分は無理だろうと諦めていた。なら如何するか、強いて言えば今後必要になるであろう此処が何処なのか、この世界の事を深く知る事だ。

 

 そもそもこの都市に来たのは偶然の産物でしかなく、侵入したのもこの世界を少しでも知る為で立ち寄っただけであった。

 その結果、大分手間取ったが必要な情報は入手は終わり、当分はまたあの穴倉に戻って引き篭もる生活を続けようかなと思っていたのだが。あえて口に出して言わないが彼自身、本だけ読めれば後は静かでさえあれば別段何処に行こうがどうでもよかった。

「いや、行く所は特にないけど何処か静かな、安全な場所に行こうとは思う」

 ゆえに、適当にぼかしてそう行ったのだが、彼がそう言うや否や、永琳の目が一瞬キラリと光を帯びたような気がした。

 

「ならここに住みなさい」

「え、いやでも迷惑だと思うし――」

「住みなさい」

 有無も言わさぬその言葉に玲は彼女の変貌振りに思わず口を塞ぐ。そんな沈黙が部屋を包む中で少しバツが悪そうに永琳が謝った。

 

「あー……ごめんなさい。少し私らしくなかったわね」

「いえ、こちらこそ……八意さんが気にする事もありません」

 どこかギクシャクした様子で言う彼女に軽く微笑みを向ける彼であった。

 先ほど空気は払拭され、ふと気づいたように彼女が言う。

「そうそう玲、私のことは八意じゃなく永琳と言って頂戴」

「え、でも……」

「私が呼び捨てで玲と言っているのにそっちだけなんだか堅苦しいじゃない。それと私自身、あんまり八意家の名前は好きじゃないのよ」

 何処か陰ったような彼女の顔を見て幾らか察したように玲は了解と言った様子で頷いてそれに合意する。

「それじゃ永琳さん――」

「永琳ね」

「……永琳は僕がここに居ても迷惑じゃない? 人襲った事ないと言っても僕は妖怪だよ? 本に書いてあったけど……人と妖怪は争い合う存在でしょ? 正直ここに居たら永琳に何かと迷惑になるんじゃないの?」

 

 彼が言うのは正論だった。指摘された永琳は内心でそれに同意を示した。

 実際この都市には元から居た住人以外に、都市外、つまりは他の集落から逃げ込んできた者達も数多くいる。

 逃げ込んできた理由は様々であるが、大多数は近年拡大している妖怪の侵攻が原因にあった。

 そして少なからずとも、そういう者達は妖怪を憎み、親を殺された、又は恋人か兄弟を喰われた憎悪から傭兵、兵士と言った軍に入団していることは周知の事実だった。

 

 この都市は結界に囲まれていて外と中の時間の流れが違い、都市内の住む人間は皆長生きだ。

 永琳自身その一人という訳だが、その長い時の間平和に生活を過ごしても住民の妖怪への偏見、憎しみは消えていないのが事実だと知っていた。

 もしそこで彼が妖怪だとばれてしまったら、そう考えると永琳は無意識ながらも、拳を握り締める。

(考えるだけでおぞましい。それにやっと会えたのに、すぐに別れてしまうなんて……)

 永琳は何よりも彼と別れる事、それが我慢ならなかった。もし此処で都市の住人か、それとも彼を取るか。玲とこうやって他愛ものない話をする前なら迷っていただろう。だが、こうやって手の届く距離で話してみるとどうだろうか。考えはある片側に傾きつつあった。

 

 そして彼は悪い妖怪などではなく、寧ろいいと言えた。何より唯一、私自身を一人の女性として見てくれている。

(それに先ほどは彼が見つかった場合での私の立場さえも心配までしてくれた……)

 言ってしまえばそれは意識して気遣った訳ではなく、遠慮から出た言葉なのだが彼女はそう受け取らず、暗にそうなのだと決め付けた。

 ――永琳は『怖かった』またあの時のように、時に流され、無気力な無駄な時間を過ごす事が。

(――またあの狂った時間を孤独に又繰り返す。それが、そんな物、絶対、二度と繰り返すのは嫌だ)

 悔やまれる過去、苦悩も苦渋と言う沼に嵌っている彼女にはもはや考えるだけ無駄であった。彼女は引き締めた顔で玲と向き合う。それを見て玲もそれに釣られ、緊張するように居を正す。

 

「――なにが合っても、どんなことが在ろうとも全て私がなんとかするわ。だからお願い――……一緒に居て」

 それは正確にはお願いじゃなく――懇願だった。だが永琳それには気づかない。ただ彼だけは頬を流れて零れる透明の水の意味を理解出来なくとも、それを慰める事は出来る。

 

 落ちる雫を途中、遮るのは彼の小さな手。

「……はい。僕でよければ、だからそんな哀しそうな顔しないでください、ね?」

 いつの間にか近くに寄り添っていた彼の小さな胸に、彼女は飛び込むように袖を掴み、しばらくの間、屋敷には女性がむささび泣くような声が響いて溶けていった。

 彼女は消えない罪を洗い流そうと、長年の苦渋を流すように、彼はさざめ泣く彼女の姿に少しの動揺と困惑を表すも、少しでもその苦味が薄くする為に精一杯、出来るだけ優しく背を撫で続けていた。

 

 

 

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