鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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プロローグ
少年期の終わり(前)


  †††

 

 

「ねぇ、雁夜君はさ、大きくなったら何になりたいの?」

 

 大好きな幼馴染の言葉に、僕は即座に答えた。

 

「魔術師。そう、僕はとっても強い魔術師になるんだ」

 

 幼馴染、葵さんは僕の言葉に笑みをこぼす。

 

「うーん、私には想像出来ないなぁ。雁夜君が、かぁ」

「何だよ、ソレ。ホントだよ」

 

 僕は心外だ、と頬を膨らませた。

 

「僕は強くなるんだ。きっと、爺さんより。誰よりも強くなるんだ」

 

 その言葉に嘘は無かった。

 僕は強くならなければならなかったし、強くなりたかった。

 間桐の魔術師として生を受けた以上、強くならなければ自由は無い。

 それに――。

 

「そしたら、仕方ないからさ、葵さんの事も護ってあげるよ。葵さんの大切な人も、皆、僕が護ってあげる」

 

 照れ臭い本音を包み隠して僕は言った。すると、

 

「へぇ、それじゃあ期待してるわね、雁夜君」

 

 そう言って彼女は柔らかな笑みを見せた。

 

 人間の感情には、どんな理屈をも超越する瞬間がある。

 この瞬間が、そうだった。

 その笑顔を俺はずっと覚えている。

 それは俺が彼女、禅城葵さんへと抱いていた青臭い憧れが、

 

 恋と成った瞬間だったからだ。

 

 

 

 子供の頃に見たユメがある。

 誰もが年を取るに連れて語らなくなる夢物語。

 

 心の奥底に仕舞い込んで、皆それを忘れる。

 あるいは目を逸らして視ない様にする。

 次第に、それが賢い事だと思い込む。

 

 皆、知っている。

 この世界が残酷で、どうしようも無いってこと。

 

 でも、知っている。

 誰もが愛と勇気の真っ赤な御伽噺(おとぎばなし)を待ち望んでいるって事。

 僕だって、そうだったし、十年後の俺だってそうだ。

 

 だから、後悔は無い。

 

 

  †††

 

 

 真っ赤に染まった空がやがて藍色に塗り潰されていく。

 夕方から夜へと移行する宵の口、逢魔時に、冬木市遠坂邸の庭園にて二人の魔術師は相対した。示し合わせた様に、宿命の様に、彼等は互いを見据え、向かい合う。

 遠坂邸から伸びた巨大な影が向かい会う二人を包み込み、その表情を隠していた。

 

 片方は大振りのルビーが先端に埋め込まれた杖を持ち、もう一方は目深にパーカーを被っている。パーカーの方はその身体から時折、ギチギチという音を発していた。聞く者に生理的険悪感と、本能的恐怖を引き起こす悍ましい音である。

 

 行くぞ、と杖を持った方が発し、パーカーが、来い、と受けた。

 男が杖の切っ先をパーカーに向ける。同時に、パーカーは地面に両手を着いて、獣の様に伏せると、跳んだ。恐るべき脚力であった。パーカーは十メートル程横の噴水のモニュメントへと着地すると、更にそれを蹴って跳躍する。

 その影を追って、炎が奔った。

 

「いきなり、逃げの一手かい、雁夜? それでは、同じ事の繰り返しだぞ」

 

 杖を構え炎を操る魔術師、若き遠坂家当主、遠坂時臣は言いながら、跳躍を繰り返す相手の影を追って杖の切っ先を滑らせる。時臣が杖を振る度、その切っ先に埋め込まれたルビーが妖しく瞬き、次々に炎弾が飛んだ。

 炎弾の直撃した庭木が一瞬で燃え上がり、着弾した石畳に至っては溶解している。人が受ければ無論只では済むまい。しかし、その炎の特筆すべき点はその火力、では無い。

 

 真に恐るべきは、その炎弾が着弾した場所で燃え続けているのみで、決して周囲へと拡がりを見せぬ点にある。庭木や枯草等、火種は無数にあるのにだ。

 着弾した対象のみを焼き尽くす、完璧なる炎の術式制御技術である。

煌々と燃え上る炎に照らされ、遠坂邸の庭園は暗くなる冬木の街並みとは裏腹に、昼の如き明るさであった。

 

「どうした、雁夜? 勇んで自ら勝負を仕掛けて置きながら、まさかその程度という事はあるまい!?」

 

 空を切った炎弾の一つが噴水に直撃し、一際巨大な水煙が上がる。すると、猶も炎を紙一重で避けて跳躍を続けていたパーカーの男の動きがふと止まった。

 パーカーの男、間桐家当主、間桐雁夜は両手を上げる。その手は血に塗れていた。その両手足を内側からナニカが貫いていた。

 

 蟲だ。

 巨大な魔蟲の節足や触覚、鋏角が雁夜の身体を内側から突き破っているのである。

 これこそが先程の人間離れした跳躍の種。自らの体内に寄生させた多種多様の魔蟲を操る間桐の魔術である。

 雁夜は言った。

 

「種は撒き終えた。行くぞ、時臣。今日こそ俺は、お前を超えるッ!!」

 

 同時に、ギチギチという音が一層大きく鳴り響く。それは今度は周囲から響いた。悍ましさはそのままに、山々のさざめきにも似た、地鳴りの如き大合唱であった。

 時臣は咄嗟(とっさ)に視線を辺りへと巡らせる。

 総身を包む悪寒と高揚に彼は、引き攣った様な笑みを浮かべていた。

 

「成程――私は、君を少々侮り過ぎていた様だ――」

 

 月が消えた。

 夕焼けの赤が消えた。

 覆い隠されてしまった。

 時臣の振るった炎の明りに照らされて、鈍い輝きが見える。天を覆い尽くすうねりが見える。ギチギチと鋭い顎を鳴らして威嚇(いかく)する獰猛なる魔蟲群。

 

 一匹一匹がサッカーボール大はあろうかという巨大な甲虫の群れは、その薄刃の如き羽を唸らせ縦横無尽に宙を舞い、周囲を覆い尽くしていた。百か、千か、数え切れぬ程の翅刃虫(しじんちゅう)の群れであった。

 

 ひとたび牙を立てれば猛牛の骨をも砕く肉食虫の大群である。襲われれば人間など一分と持たずにこの世から消え失せる。

 しかし、遠坂時臣は猶も泰然(たいぜん)と言い放った。

 

「だが、それでも、私の勝利は揺るがない。来い、雁夜ッ!!」

「ああ、行ってやる。行ってやるさ、時臣ッ!! 今日こそ、俺は、お前に勝たなけりゃあいけないんだッ!!」

 

 雁夜が吼える。

 胸に秘めた想いが在った。

 伝えたい言葉が在った。

 

“もし、今日この戦いに勝つ事が出来たならば、

 時臣を倒す事が出来たならば、

 俺は葵さんにこの胸に秘めた想いを伝えよう!!”

 

 遠坂時臣。

 冬木の管理者であり、五代を数える遠坂家の当主。

 相手は押しも押されもせぬ、生粋(きっすい)の魔術師だ。

 そして、雁夜が敗北を喫し続けてきた相手でもある。

 それは魔術だけに限った話ではない。

 

 文武両道で何事もソツなくこなす時臣と比べ、雁夜は至って平凡だった。

 

“恐らく、何をやっても俺は時臣に勝ち得ないだろう。

 それでいい。他の事はそれで良い。

 だが、魔術だけは別だ。魔術についてだけは、負けを認める事は出来ない。

 俺はコイツに勝ち得ないと認める事は出来ない。

 自分の想いを、あの日の誓いを、自ら踏み躙る事など出来よう筈もない!!”

 

 雁夜の目がかっと見開かれる。

 

「そうだ!! 今日こそ、今日こそだッ!! 勝つ!! 必ず、俺はッ!!」

 

 こいつに勝てれば、きっと胸を張って、俺は強くなったと言う事が出来る気がした。

 あの日の誓いを嘘にしなかったのだと自分に誇れる気がした。

 

 雁夜はちらと傍らに視線をやった。

 そこには固唾を呑んで、二人の戦いの行方を見守る禅城葵の姿があった。

 

“心配しないでくれ、葵さん。

 俺は勝つ。俺は強くなった。

 もう、貴方を護れる位に強くなったんだ!!”

 

 意志を固める。総身に力が宿る。

 そして、雁夜の咆哮に呼応した翅刃虫の大群は、八方から時臣へと襲い掛かり――同時に、空に上がった大輪の炎の華が迫り来る蟲の大群に風穴を開けた。

 

「なッ――」

 

 逆巻いて空へと奔った炎は虚空に魔法陣を描き出す。炎が描いた防御陣は遠坂の家紋を模し、夜気を焦がして紅蓮と燃える。触れた全てを焼き尽くす攻性防御陣であった。

 

「フフ、良いぞ。負けられぬのはこちらも同じだッ!! 来い、雁夜ッ!!」

 

 唸りを上げて飛来する魔蟲の群れを、舞い踊る灼熱の炎が迎え撃つ。

 

 

 

 

 遠坂時臣は笑っていた。

 彼は間桐雁夜が本気で自分に向かって来る事が嬉しくて仕方が無かった。

 

 時臣にとって、魔術とは孤独の道だった。

 魔術の鍛錬は、ただ只管(ひたすら)に、自らを研磨する作業に過ぎなかった。

 それで良い、と思っていた。

 それが魔術師として生まれた自分の、選ばれし者の義務だと思っていた。

 理解者などいなかったし、誰の理解も要らないと思っていた。

 

 揺るぎの無い信念と自負。代々の選民思想に裏打ちされた鋼の如き克己(こっき)と自律で以て、彼は他者の数倍の修練を己に課し、魔術の鍛錬に没頭した。

 

 キツくなかった、と言えば嘘になる。

 

 時臣は才気煥発で、何事もソツなくこなしたが、その実、何処までも不器用な人間だった。余裕を持った物腰も、どこまでも忠実に、優雅たれ、との家訓に従っているに過ぎない。澄ました顔で水面下で必死にもがく白鳥の様な男だった。

 

 連綿と代々受け継がれた遠坂の血脈。ただ只管に自らにそれを課す、殉教者の道。生まれた時から定められているレールを、ただ全力で駆け抜ける日々。

 

 そこに現れた二つの異物が、間桐雁夜と禅城葵だった。

 

 気付けば、孤独だった道には光があった。

 魔道の深淵は遥か深い。

 きっとこの道の先には更なる闇があるだろう。

 挫折だってあるかも知れない。

 しかし、私が折れて立ち上がれなくなる事は決して無い。

 

 彼等に恥じる生き方など出来よう筈が無い。

 

 「良い気合いだ、雁夜。だが、私とて負けられん。今日だけは負ける訳にはいかないッ!!」

 

 雁夜の裂帛の気合いに、時臣が応じて吼える。

 かつて御三家と言われ、共に聖杯の完成を夢見た同胞。

 私と同じ境遇に生まれた男。

 

 間桐雁夜は何度も私に突っ掛ってきた。

 私は幾度と無く、それを退けてきた。

 今回も退ける。退けなくてはならない。

 この時、時臣は来月高校卒業と同時に渡英し、魔道の総本山、ロンドンの『時計塔』への進学を決めていた。恐らく、雁夜と戦うのもこれが最後となるだろう。

 

 故に、絶対に負ける訳にはいかない。

 

“ここで敗北する様な奴が、どうして時計塔でやっていけるだろうか!?

 どうして彼女に、待っていてくれ、などと言えようものか!!”

 

 時臣は心を定め、魔力を込める。

 

 

 

 彼等は競い合うライバルであり、同じ夢を見た同胞であり、互いを理解出来る無二の親友であり、奇しくも同じ女性を愛してしまった恋敵であった。

 

 


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