鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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少年期の終わり(後)

  †††

 

 

「行くぞッ、時臣ッ!!」

 

 先ず雁夜が仕掛けた。

 雁夜の紡いだ呪言に応え、宙を舞う翅刃虫(しじんちゅう)の大群は天を衝いて噴き上がった炎を避けて上昇し、反転、勢いを付けて空を駆け下ると四方八方から時臣目掛けて殺到した。

 

 連なった甲虫の群れが描き出す魔蟲の瀑布は、しかし、空中に描かれた炎の紋様に阻まれ止まる。間断なく襲い掛かった魔蟲の群れは時臣の火炎陣に行く手を阻まれ、ただの一匹も突破を果たす事無く焼き尽くされて消えていく。

 

 時臣を中心に虚空に配置された攻性防御魔術陣。

 その数、実に三枚。

 如何に炎に弱いとは言え、巨大な甲虫が触れた瞬間焼き尽くされるその火力は凄まじいと言わざるを得ない。燃え散る魔蟲の甲殻と翅刃が炎に照らされ、キラキラとした瞬きと共に一瞬で炎上していく断末魔の光景は酷く幻想的ですらあった。

 

「正に、飛んで火にいる夏の虫、と言った所だな、雁夜」

 

 炎の奥で、泰然と構えた時臣が言った。

 

「炎に拠る攻性魔術防壁の複数展開。また、腕を上げたな。だがッ――」

 

 雁夜の言葉と同時に、ただ只管炎へと突っ込んでいた翅刃虫の動きに変化があった。真っ直ぐ飛び掛かるのみだった翅刃虫が空中で弧を描き、空中に折り重なって顕現した時臣の魔術防壁の継目を狙い、その隙間を縫って時臣へと迫り始めたのだ。

 

 虫の眼は非常に機能的である。

 彼らは人間には知覚出来ぬ紫外線を視認可能なだけでなく、脳への視覚情報の伝達速度に優れる単眼と、非常に広い視野とほんの僅かな状況変化すら見逃さぬ複眼を併用する事によって非常に高い視認能力を誇っている。

 

 更に、雁夜の翅刃虫はほんの僅かな魔力の揺らぎすら視認可能であり、恐るべき事に、雁夜の魔力によって各々の視覚情報を群全体で共有し、巨大な視覚のネットワークを形成している。

 時臣の張った魔術防壁、燃え上がった炎が描くそれだけで無く、その周辺に張り巡らされた目に見えぬ構成術式や魔力の流れすらも、翅刃虫達には三次元的に視えている。

 で、あるならば、彼らの飛行能力を以て、張り巡らされた魔術防壁の隙間を縫って飛ぶ事など造作も無い。

 

 何より、隊列を組んだ魔蟲の真に恐るべき点は、個々の生死を頓着せぬ、群体としての強靭さである。彼らは別の個体が焼き尽くされた箇所を避け、あるいはその身を盾にして、何匹犠牲にしようとも只管に、群全体での突破を図る。

 

 時臣の複数展開した攻性魔術陣は正に鉄壁の城塞とでも言うべき代物であったが、防壁の穴を、綻びを、繋ぎ目を、只管に無数の死で以て抉じ開け、敵へと迫る魔蟲の群は宛ら百戦錬磨の攻城兵である。

 

 無論、時臣も杖を振って魔術陣を動かし、魔蟲へと対応するが、如何せんその数が多過ぎた。前面に魔術陣を集めれば背後から殺到し、それに対応しようとすれば魔蟲は間断無く三方から群がって来るのであった。

 

「千丈の堤も螻蟻(ろうぎ)の穴を以て潰ゆ。知っての通り、俺の翅刃虫の複眼は僅かな魔力の揺らぎすら見切り、その綻びへと殺到する。どんな強力な防御陣だろうと防ぎ切れる物じゃあない。俺の勝ちだ」

 

 雁夜は勝ち誇ると、更に一層魔力を込めて、魔蟲群を奮い立たせる。

 耳を劈く翅刃虫のギチギチという顎鳴りの音が一層大きくなり、彼らの飛行速度が目に見えて速くなった。魔蟲はその勢いを増し、今にも防壁を抜けようとしていた。

 

 もし、一匹でも防壁を抜けて侵入を許せば、連鎖的に全ての魔蟲が雪崩込み、時臣をその血肉の一遍まで蹂躙するだろう。

 しかし、それでも時臣は余裕の笑みを崩さない。

 

「ふふ、やるようになった。しかし、勝ち誇るのが少々早いと言わざるを得ないな。

Sprengend wird angezündet und führte aus――我が炎、塞ぐを許さず」

 

 時臣の呪言と同時に、その杖の先端に填め込まれたルビーが妖しく瞬く。同時に、群がる翅刃虫を焼き払い、更に二枚の攻性魔術陣が新たに虚空へと浮かび上がった。

 

「なにッ!?」

 

 雁夜の驚愕の呻きと共に、虚空に炎が瞬いた。

 正に、一掃。

 既設の魔術陣を避けて飛行していた魔蟲群が、不意に出現した魔術陣に絡め取られて炎上し、空に炎を舞い散らせた。

 百を超える魔蟲を一撃で殲滅し、時臣は言い放つ。

 

「防御魔術陣の数も形も、私は自在に操れる。残念ながら、私の防御に隙など無い。あるとしたら、それは愚かな羽虫を誘き寄せるただの罠だ」

「ぐ、まだだッ!!」

 

 雁夜の言葉と同時に、一度翅刃虫達は展開された防御陣から距離を取り、時臣を中心に一斉に回転を始めた。

 

 高速で羽ばたく事によって飛行する鳥類として有名なハチドリは凡そ秒間五十回もの羽ばたきが可能である。この驚異的な翼の高速運動がホバリング飛行を可能とする訳だが、こと飛行において昆虫のソレは文字通り桁が違う。

 蜜蜂で凡そ五倍、蚊や蠅に至っては十倍以上。彼等は複数の自らの翅を自在に高速運動させる事によって恐るべき飛行能力を獲得している。

 

 巨大な甲殻を備える翅刃虫の羽ばたき回数は更にその数倍。そして、数百を数える翅刃虫がその六枚の翅を自在に操り、高速振動させる事によって発生する風に指向性を持たせるとどうなるか?

 

「炎の壁を突破出来ないなら、近付いて貰うまでだッ!!」

 

 言うと同時に、雁夜が唱える。

 

「操蟲奏、螺旋風魔ァ!!」

 

 薄刃の様な翅を高速振動させ宙を舞う数百の翅刃虫の作り出す風が次第に纏まり、練り上げられ、遂には巨大な塵旋風と化す。だが、その殺傷能力は自然発生した物とは文字通り、桁が違う。

 翅刃虫のその高速駆動する薄刃の如き翅は、触れた物を切り裂き、抉り飛ばす兇器である。そして、塵旋風であるが故に、内部は外に、外部は内に、常に魔蟲の渦に引き込もうとする強力な風の流れが発生している。

 

 風に引き摺られた周囲の庭木や石造りのモニュメントが魔蟲の隊列の内へと吸い込まれた。同時に、それは凄まじい破砕音と共にバラバラに切断され、破片と成って中空へと撒き上げられた。

 恐るべき眼前の光景に、しかし、時臣は余裕の笑みを崩さない。

 

「ほう、面白い。だが、無意味だ」

 

 魔蟲の作り出す竜巻の内に立つ時臣には然したる影響は見受けられなかった。既に気流制御魔術によって周辺大気を完全にコントロールしているのである。

 時臣が杖を振り、炎弾が蟲の暴風壁へと撃ち込まれた。一際巨大な爆炎が蟲の暴風壁を貫いて奔った。百を超える翅刃虫が一撃で焼失し、焼け焦げたその残骸が宙を舞う。

 

 暴風壁の大穴は次第に周囲を飛ぶ翅刃虫が集まって埋められたが、全体の層が目に見えて薄くなり、風がその勢いを失う。もう数発も打ち込めば、暴風壁は雲散霧消するだろう。

 時臣は些か落胆したかの様に言った。

 

「まさか、こんな物で、この私の防御を抜けると思っていたのか? だとしたら、少々心外だぞ、雁夜」

「ぐっ、く、糞ッ!!」

 

 余裕を見せる時臣とは裏腹に、雁夜は言葉を詰まらせる。

 その呼吸は荒かった。心臓は少しでも血を送るべく早鐘の様に脈打ち、酷使された魔術回路の影響で周辺の毛細血管が破れ全身を激痛が襲う。雁夜は必死に奥歯を噛み締め、激痛と、否、諦めようとする自分自身と闘っていた。

 

 毛細血管が切れ、耳鼻から血を流すその顔は既に幽鬼の如き形相である。

 度重なる大規模魔術の行使によって、既に雁夜の魔力は枯渇寸前になっていた。

 

“また、俺は負けるのか?

 

 ――だ。

 

 諦めてしまうのか?

 

 い―だ。

 

 あの化物爺に挑む時も、仕方ない、とでも言うつもりなのか?

 

 嫌だ!!

 

 嫌だ。嫌だ。いやだ。イヤダ――俺は、負ける訳にはいかない!!”

 

 続行するのはただの意地で、

 絶対に譲れない矜持だった。

 

“何より――情けない姿をこれ以上、葵さんに見せる訳にはいかないッ!!“

 

 雁夜は自らを奮い立たせ、魔蟲の奥、炎の下にいるであろう時臣を睨む。

 雁夜は決して葵に自らの形相が見えぬ様、一層目深にパーカーのフードを被った。

 魔蟲が盾となって、時臣からは見えていない筈だった。

 

「まだだ、時臣。行くぞッ!!」

 

 雁夜の言葉と共に魔蟲が織り成す暴風壁の中で、甲高い音が鳴った。

 次の瞬間、時臣の頭上から大量の緑の液体が降り注ぐ。その正体は直ぐに知れた。宙を舞うバラバラになった翅刃虫の甲殻が、それの正体を告げていた。

降り注いだ液体は、バラバラになった無数の翅刃虫から飛び散った強酸の体液である。

 

 咄嗟に時臣は展開していた魔術防壁を操り、降り注ぐ強酸の体液を受け止める。緑色の体液が魔術防壁に触れた瞬間、ジュウウ、と焦げる様な音がした。

 異臭が辺りに立ち込める。そして、

 

「馬鹿なッ!! 何故、燃え尽きない!?」

 

 時臣の表情が初めて歪んだ。

 魔術防壁に受け止められた緑色の体液は焼け焦げながら、ゆっくりと防壁を侵食し、下へ下へと向かっていく。一滴、雫が時臣の袖口へと落ち、白煙を上げてその服を溶かした。

 

「ぐ、ぐぅう、これは――」

「魔術で防壁が張れるのは、お前だけじゃあないんだぜ、時臣。終わりだ」

 

 強酸の体液を呪層防御で火より守る。ただ、それだけだ。防御に集中し、操る事も出来ず、ただ重力に従って魔蟲の体液は下へと落ちる。

 しかし、魔蟲の塵旋風の中で身を躱す事の出来ない時臣に、迫り来る強酸の体液から逃れる術は――

 

「ナ、メ、るなァ!!」

 

 咆哮と共に、時臣は杖を掲げ呪言を紡ぐ。

 迸った炎が一際巨大な火柱と成って天へと駆け上がり、夜気を焦がして紅蓮と燃える。呑み込まれた魔蟲の体液は一瞬で気化し、煌々と燃え盛る炎が夜空を赤く染め上げた。周囲を舞っていた魔蟲共が余りの熱に発火し、次々と地に落ちていく。

 時臣は勝利を確信し、

 

「勝ったぞ。私の――」

「いいや、終わりだ。種は撒き終えたと言った」

 

 その瞬間、足元から飛び出た細長い何かが時臣の身体に巻き付いた。

 蚯蚓である。

 否、その大部分が地中に隠れて判然としないが、直径二十センチを超え、十メートルを超える長さの蚯蚓など存在すまい。雁夜の魔術によって操られる魔蟲、穿網蟲(せんもうちゅう)である。

 地中を掘り進み、跳び出して獲物へと喰らい付くと、絞め殺して土中へ引きずり込む性質を持つ恐るべき魔蟲であった。生来、羆や水牛等を捕食する天性のハンターである。

 人間の時臣を挽肉に変えるのに数秒とかかるまい。

 雁夜は勝利を確信する。

 

 魔蟲の一斉攻撃で周囲に気を巡らせ集中を削ぎ、螺旋風魔で逃げ場を塞ぎ、強酸の体液で上方に意識を向けた所での、土中からの強襲。翅刃虫による一連の派手な大技は全て、この土中からの奇襲の為の布石であった。

 

「俺の勝――」

 

 後は、時臣が死ぬ前に、穿網蟲を止め――

 瞬間、爆炎が視界を覆い尽くした。

 突如、時臣と彼に巻き付いた穿網虫が炎上し、文字通り爆発したのである。

 穿網虫が断末魔の悲鳴を上げ、噴き上がった炎が周囲に飛び散る。

 

「時臣ッ!? おい、無事――」

 

 雁夜には何が起こったのか全く分からなかった。

 彼は咄嗟に叫んだ。

 その時である。

 

「全く、優雅じゃないにも程があるな」

 

 炎を裂いて現れた時臣が一直線に駆け、雁夜との距離を詰めた。

 間桐雁夜は全てを悟る。

 自爆であった。

 穿網虫に巻き付かれた瞬間、遠坂時臣は懐に隠し持った魔石を使い、自らが焼かれる事も厭わず焼き払ったのだ。それは正に、自爆である。

 

 この時、時臣もまたギリギリだった。

巻き付いた穿網虫を絞め殺される前に対処するには、自らが焼かれる事を厭う余裕は無かったのである。しかし、時臣はこれを分の悪い賭けだとは思わなかった。

彼には確信があった。

 身体強化に魔術防壁、気流操作で可能な限り身を守り、巻き付いた穿網虫自身を盾とする。ならば、我が属性たる火で自分が死ぬ筈がない、という確信が。

 

 そして、賭けに時臣は勝った。

 雁夜は一瞬で接近する時臣を見とめると、咄嗟に腕を交差させて顔を守った。否、それは防御等では無い。もっと悍ましき間桐の術だ。

 瞬間、雁夜の肘から皮膚を貫き、蟷螂の鎌にも似た節足が突き出て、接近する時臣の顔へと奔った。しかし、

 

「――遅い」

 

 交差の刹那、時臣は魔蟲の鎌を掴み取り、その攻撃を終えていた。

 振り下ろした踵が石畳を砕き、掴み取った鎌を引いて相手を引き寄せつつ、全体重を肘へと乗せる。相手を引き寄せる事で、カウンターの流れを作りつつ、前進のエネルギーと全身の捩じり、瞬間的な重心落下に伴う全体重を込めた肘が雁夜の腹を打ち抜いた。

 

「ッ!! く、糞――」

 

 雁夜の身体がくの字に折れる。腹に叩き込まれた肘打ちの衝撃に雁夜の足が浮き上がり、そして、前のめりに倒れた。

 

「八大開式・裡門頂肘(りもんちょうちゅう)。雁夜、これで君の、十六度目の敗北だ」

 

 時臣は深く息を吐くと、汗を拭って静かにそう告げた。

 遠坂家初代当主、遠坂永人。その性は魔術師に非ず。

 無我の境地により根源へ至る事を夢見た武人である。

 そして、その血と技は今猶、遠坂家に脈々と受け継がれているのだった。

 

 

  †††

 

 

「痛てて、くそ、痛ぇ。ちょっとは手加減しろよな、糞」

 

 雁夜は頂肘を喰らった腹を押さえて言った。

 時臣の一撃は肋骨を圧し折って、内臓まで負傷させていた。魔術で再生したとは言え、痛覚が無い訳ではない。痛い物は痛いのだ。

 

「悪いがそこまで余裕が無くてね。おっと、雁夜、こちらの治療も頼む。火傷の痕など残っては事だ」

「自分でしろよ、自分で作った傷の治癒ぐらい」

「治癒魔術は君の方が腕が良いだろう? それだけは認めてやっているんだ。感謝して欲しいくらいだよ」

「ンだとォ?」

「ほらほら、そんな言い方しないの。ほら、雁夜君も。もう勝負は終わったんだから、お互い仲良くして」

 

 禅城葵が二人の間に割って入る。

 呆れている様な、でも優しい笑み。

 時臣と雁夜、二人が無事だった事に安堵しているのだろう事が伝わってくる笑みだ。

 葵にそういう顔をされると、いつも二人はそれ以上何も言えなくなるのだった。

 

 遠坂と間桐、二つの家を継ぐ次代の魔術師同士の競い合い、既に十六回目を迎え恒例となった雁夜と時臣の術比べは、いつもこうして幕を閉じる。この術比べの始まりは、葵と親しげに話す時臣に、嫉妬した雁夜が喧嘩を吹っ掛けた数年前に遡る。

 雁夜と時臣が真剣勝負を行い、葵の仲裁を以て終わる。いつもその様な流れだった。

 ただ、この日に限っては、雁夜は葵の笑顔を真っ直ぐに見る事が出来なかった。

 勝負の結末を受け入れる事が出来なかった。

 

“折角、告白しようと思ってたのにな……”

 

 雁夜は自分の鞄を見る。

 そこにはこの日の為にお金を貯めて買ったイヤリングが入っていた。

 

「葵さん、雁夜。知っていると思うが、私は高校卒業と同時にイギリスに行く」

 

 急に真剣な口調で時臣が言った。

 

「何だよ、あらたまって」

「雁夜、待っているぞ。君も時計塔に来い。君の才能は、この街で燻らせておくべきじゃない。そして――」

 

 何か、嫌な予感がした。

 しかし、言葉は出なかった。

 

「私はまだまだ未熟だし、至らない所もあるだろう。まだ、恋愛事に現を抜かしている訳にはいかないと思っている。だが、きっと一人前の魔術師となってこの街へと戻ってくる。葵さん、どうか待っていてはくれないだろうか?」

 

 時臣の言葉を理解するのに、雁夜は少し時間を要した。

 そして、冗談だろうと思った。

 冗談であって欲しかった。

 

 しかし、真剣な顔で時臣は葵さんを見つめていて、その言葉はどこまでも真面目な告白だった。

 そして、

 

「ッ、はい、待っています。貴方が帰ってくるまで、きっと待っています」

 

 そう言って嬉しそうにはにかむ禅城葵の顔を見た瞬間、

 間桐雁夜は停止した。

 全てを頭脳は悟っていたが、あまりの事態に、心は理解を拒否していた。

 雁夜はただただ茫然として、ただ事の成り行きを見ている事しか出来なかった。

 だから、それからの事は良く覚えていない。

 

 

 今でも思う事がある。

 あの時、もし勝っていたら、何か変わったのだろうか?

 

 

 それから、時臣は、奪われた聖杯を必ず取り戻す、などと気炎を吐いていたが、雁夜にはどこか遠い惑星の事の様に感じられた。

 全ての言葉が雁夜の表層を滑って通過していた。

 さっきまで全てが輝いていた筈なのに、急に世界から全ての色が無くなってモノクロになった様だった。

 

「大丈夫? 雁夜君。調子が悪そうだけど。まだ痛むの?」

 

 葵さんが心配そうに顔を覗き込む。

 

「あ、ああ、大丈夫、さ。心配いらない」

 

 それだけ何とか雁夜は答えると、一層深くパーカーのフードを被った。

 

 

 

 間桐雁夜が誰にも告げず家を出たのは、その二日後の事である。

 

 








プロローグ終了。

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