鬼哭劾―朱天の剣と巫蠱の澱―   作:焼肉大将軍

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第一章 英霊召喚
敗北者の帰還


  †††

 

 間桐雁夜の出奔から十年の月日が流れた。

 

 雁夜はただの一度も冬木の街には帰らなかったから、再開は十年振りという事になる。しかし、それでも雁夜には目当ての女性の面影が、直ぐに見分けがついた。

 

 休日の昼下がりの公園。

 小春日和の陽光が燦々と降り注ぐ芝生には、そこかしこではしゃぎ回る子供達と、それを見守る親達の笑顔で溢れている。その笑顔が不意に曇った。

 

 そんな場所に、彼は全く似合わなかった。

 青のパーカーに、ジーパン。肩に細長い筒状の袋を担いでいる。

 目深に被ったパーカーの奥に、ギラついた瞳が時折見える。

 

 太い、男だった。

 

 首が、肩が、腕が、足が、太い。

 発達した岩の様な筋肉がパーカーの上からでも見て取れた。張ったジーパンが脚の太さを物語っていた。袖口から覗く手には幾重にも束ねられた針金の如き筋肉の筋が浮かんでいる。耳は潰れ、節々に見える傷跡、そして、硬質化した石の様な手の甲はその修練の過酷さを垣間見せた。

 

 纏う空気まで、太い男である。

 その全身から立ち昇る濃厚な武の気配は決してハッタリでは無かった。

 そして、間違いなく、堅気の人間では無い。

 

 雁夜は迷う事無く、目的の女性の元へと向かった。

 たとえ十年振りだろうと、どんな人混みであろうと、彼は苦も無くただ一人の女性を見分ける自信があった。そして、一目見るだけで、自信は確信へと変わった。

 木陰で涼む彼女のすぐ脇まで彼が歩み寄ったところで、ようやく雁夜は被っていたフードを上げて、背後に自らの娘を庇う禅城、否、遠坂葵へと顔を見せた。

 

「――やぁ、久しぶり、葵さん」

「きゃ――え――も、もしかして、雁夜、君なの?」

 

 驚愕の表情を浮かべる葵に、雁夜は屈託の無い笑みを浮かべた。ざんばら髪が風に揺れる。良く訓練された猟犬の様な笑みだった。

 

「ああ、どうかした?」

「え、ええ……。その――随分、変わったのね?」

「ん、ああ、そうだね。十年振りだから、無理も無いか」

 

 十年振りに会った友人が夢枕獏世界の住人と成っていた驚愕を隠せぬ葵とは対照的に、雁夜は表情にこそ出さなかった物の、その心中は歓喜に沸き立っていた。

 ジロジロと眺める様な不躾な真似は気恥ずかしさから雁夜には出来なかったが、彼は満足だった。十年振りに見た葵は、雁夜の贔屓目を抜きにしても綺麗になっていた。

 

 ただ、その表情には陰があった。

 餓狼伝の住人に怖がっている事とは全く別の、陰が。

 それを見逃す雁夜では無かった。

 やるせない不安に雁夜は囚われる。どうやら今の彼女には、何か心痛の種があるらしい。

 

 すぐにも原因を問い質し、どんな事だろうと力を尽くして、その“何か”を解決してやりたい――衝動に駆られるままに雁夜は問う。

 

“今の俺には、彼女を守る力がある”

 

 地獄の日々を越えて得た確固とした自負と自信。

 何より、今の雁夜にはそう断言出来るだけの力があった。

 

「なぁ、葵さん。何か――あったのかい?」

 

 雁夜の問いに、葵はビクリと身体を震わせる。

 

「そ、その――「おじさん、誰!?」」

 

 葵の言葉を、背後から顔を出した少女が遮った。興味津々と瞳を輝かせ、少女は雁夜の顔をまじまじと見つめる。子供特有の屈託の無い笑みを見て、雁夜も自然と笑顔になった。どこか葵さんに似ていると雁夜は思った。

 

「ああ、凛。この人は雁夜君って言って、私の古いお友達なの」

「そうなんだ。私、凛って言うの。よろしくね」

 

 お辞儀をした凛の二房のツインテールがぴょこんと跳ねる。

 

「ああ、よろしく。ちゃんと挨拶出来るなんて凛ちゃんは偉いなぁ。あ、ちょうど良いお土産があるんだ。あげるよ」

 

 雁夜は笑顔で応じながら、懐から石を取り出す。水晶の原石に首からかけられる様に糸を通した物だった。

 

「富士の霊穴で取れた水晶だよ。幸せを呼ぶ石なんだ」

「わぁ、ありがとう」

 

 凛の顔がぱっと笑顔になった。窘める葵の声もどこ吹く風とばかりに、嬉しそうにはしゃぐ幼い少女にはまるで届いていない。

 

「こら、凛。雁夜君、悪いわ、こんな高価な物」

「ただの手土産だよ。それより、凛ちゃんって親戚の子かい? その、随分似て――」

「ありがとう、雁夜おじさん。大事にするね。どお、お母さん。ちゃんとお礼出来たよ。しゅくじょ、でしょ?」

「もう。ええ、そうね。凛はえらいわ。ごめんね、雁夜君」

 

 申し訳なさそうに言う葵の言葉は、既に雁夜には届いていなかった。

 

“お、お母さん?! ま、待て!! 落ち着け、落ち着いて――”

 

 雁夜は葵の手元へと視線を落とす。その薬指には指輪があった。

 雁夜は恐る恐る顔を上げる。

 

「あ、まだ言ってなかったわよね。私、結婚したの。遠坂、葵になったのよ」

 

 満面の笑みで葵はそう言った。

 そして、それを聞いた途端、

 

 雁夜の笑顔が空洞になった。

 

 男が理解の及ばない現実を頑なに受け入れれまいとする時ならではの、思考停止の表情。

 雁夜はそれでも何か言おうとしたが、笑みを浮かべる葵の顔を見ると、相変わらず彼は何も言う事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 雁夜が表面上、平静を取り戻すまで二十分ばかりかかった。

 好奇心旺盛な凛から質問攻めにあったのが幸いしたのだろう。でなければ、数日はダンゴ虫の様に身を埋めて転がっていたに違いない。雁夜は自動販売機で自分と葵にコーヒーを、凛にココアを買って渡し、会話を再開する。

 

 葵が表情を曇らせている理由は二つあった。

 一つは時臣に令呪が宿り、生死を賭けた聖杯戦争への参加が決まった事。もう一つは、葵の愛娘の片割れ、凛の妹である桜が間桐の家の養子となった事である。

 

「そんな……どういうことなんだ、葵さん!?」

「聞くまでも無い事じゃない? 特に雁夜君、あなたなら」

 

 遠坂葵は、硬く冷ややかな口調で感情を押し殺し、あくまで雁夜の方を見ないまま淡々と語った。

 

 確かに、雁夜には良く分かる。

 外来である間桐の血は冬木の土地には合わなかった。代を重ねる毎に、血は摩耗し、素養のある子供は生まれ難くなっている。間桐としては遠坂と禅城という優秀な外の魔導の血を是が非でも組み込みたいのだろう。

 そして、雁夜は時臣の決断も察してしまっていた。

 

 凛と桜は双子だという。

 見る限り、凛と同程度の才能を、もし桜が秘めているのならば、全く魔術と関らせない訳にはいかないだろう。優秀過ぎる魔導の血は、決して平穏を許すまい。

 命を賭して聖杯戦争に参加する時臣が、自らに万が一の事があった時の為に、娘を間桐の家に養子に出すという事は十分考えられた。

 

 恐らく、奴としても苦渋の決断だったに違いない。

 雁夜は自身に溜まった鬱憤を含めて時臣の愚挙を悪し様に罵りたかったが、同時に、その心中を察してしまい何も言えなかった。

 

“それでも、何故、間桐の家を選んだんだ、時臣――”

 

 そう雁夜が神妙な顔で考えていた時、葵が言った。

 

「間桐の家が魔術師の血筋を継ぐ子供を欲しがる理由、あなたに分からないとは言わせないわ。あなたがいなくなったから、間桐には後継者がいなくなったんじゃない!!」

 

 どうやら自分のせいらしかった。

 

 いきなり矛先が自分に向いた事で、雁夜は戸惑う。

 狼狽(ろうばい)する雁夜に対して、まだ葵は言葉を続けようとしたが、娘の凛がそれを止めた。

 

「お母様、ダメ。それ以上は、ダメ」

 

 凛はきっと唇を結んで、涙を堪えている。

 強い子だ、と雁夜は思った。

 この幼い少女は、きっと理解しているのだろう。

 全てを知っている訳ではきっと無い。

 それでも、どうしようも無い事なのだと、きっと理解してしまっているのだろう。

 

 物分りの悪い俺とは全く対照的だ、と雁夜は思う。

 

 雁夜が葵と出会ったのは、当主である間桐臓硯が間桐に優秀な血を入れるべく互いを引き合わせた為である。しかし、雁夜は陰惨醜悪な間桐の魔道に彼女を関らせたくは無かった。

 

 きっと身を引くべきだったのだ、と思う。

 しかし、雁夜は強くなる事を決意した。

 運命を振り払う覚悟を、彼は十に満たぬ年齢で蟲蔵へと入った夜に、既に決していた。

 

“そうだ――俺は、物分りが悪いんだ”

 

「――ありがとう、凛。ごめんなさい、雁夜君。これはあの人が決めた事だもの。あなたに何か言うのは――」

 

 葵は幾分落ち着いた声で、力なく笑った。

 その時に、葵の目尻に溜まった涙を見た瞬間に、雁夜は心を決めた。

 

「待った。それで良いのか?」

「良いも悪いも無いわ。あの人が決めた事よ――」

 

 パシッと乾いた音が鳴った。

 葵は何が起きたのか分からず、頬を押さえ目を白黒とさせる。

 雁夜の平手が葵の頬を打っていた。

 

「お母様だいじょうぶ!? ッ、何するのよッ!!」

 

 凛が怒りを露わに、手に持ったココアの缶を雁夜へと投げ付けた。雁夜は避けなかった。缶が額を打ち、中身の熱いココアが顔にかかる。

 

「ごめんね、凛ちゃん」

 

 雁夜は凛へと謝ると、葵に向き直る。

 

「今のは、昔の親友からの一発。葵さん間違えちゃあいけない。君の子供は、君が幸せにするべきだ。その為なら、手伝うよ。どうやら――」

 

 それから、雁夜は地面に転がったココアの缶を手に取った。

 

「殴ってその辺を分からせないといけない奴が、いるみたいだしね」

 

 缶を掴んだ雁夜の手には浮かぶ朱い三画の紋様が浮かんでいた。そして、そこに青筋が浮かび上がる。

 ぐしゃり、とスチール缶が潰れ、雁夜の手の中に隠れて完全に見えなくなった。雁夜は手を開くとビー玉サイズに圧縮されたソレをゴミ箱へと投げ入れる。

 

「これが遠坂と間桐の問題なら。当然、俺も当事者だ。どうしても桜ちゃんに師が必要なら、俺が成るさ」

「か、雁夜くん、私――」

「まぁ、任しときなって」

 

 何か言おうとした葵の言葉を、雁夜は笑顔で遮る。

 それは遥か昔、約束を交わした時の笑顔だった。

 

“ねぇ、葵さん、俺は強くなったんだ。

 貴方を守れるくらいに。

 だから、泣き止んでおくれよ。

 貴方の大切な人は、きっと俺が守るから”

 

「ねぇ、おじさんも魔術師なの?」

 

 凛が雁夜を見上げながら問うた。雁夜は微笑み、親指を自分に向ける。

 

「ああ、若い頃は、時臣とは良く競い合う仲だったんだ」

「じゃあ、お父様のライバルだったんだ!?」

「と、言っても負け越しだったんだけどね」

「なんだ、流石はお父様ね」

 

 子供らしいと言うべきか、父を誇って無い胸を張る凛。一方で、時臣のライバル、というポジションはどうやら凛にとっては信用するに足るらしい。

 今なら勝てる、という台詞を雁夜はそっと胸に仕舞い込んだ。

 

「じゃあ、先ず、桜ちゃんを連れて来ないとな」

「おじさん、桜のこと、よろしくお願いします」

 

 雁夜に必死に頭を下げる凛の表情は真剣だった。雁夜はその頭を撫でて、任せろ、とだけ言うと、公園を後にする。先ずは間桐邸だ。

 そこで間桐の家を支配する老魔術師、間桐臓硯と一戦交えねばなるまい。

 

 ずっと恐れてきた相手だった。

 臓硯と対するならば、恐らくは命懸けとなるだろう。

 しかし、今の雁夜に恐怖は無かった。

 

「おじさん、女泣かせだな」

 

 公園を出る時、ボールを持った赤毛の少年にそう言われた。

 

「マセた事言うなぁ。ま、良いじゃないか。正義の味方ってのは大体女泣かせなんだ」

 

 そう言って雁夜は苦笑した。その目だけは笑っていなかった。

 

 






次は臓硯とのお話(物理)からの魔術(物理)戦になります。

話は変わりますが、やっとゼロのDVD買いました。
ええ、金が無かったので北米版です。

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