鉄の従者は血豹を飼う 作:石黒 柚李
ジャック・シュトリには弟も兄とも言える存在が居る。その名はマリア・シュトリ。厄祭戦を生き残り、ジャックと同様にこの時代までコールドスリープされていた存在だ。しかし彼の場合、墜ちたのは火星では無かった。むしろ、何処にも墜ちていない。とある場所から宇宙に放り出され、ふわふわ流れていたところをたまたまギャラルホルンに拾われた。識別不明の船が、識別不明のガンダムと年端も行かぬ子供を氷付けにして乗せていた。そして、長い長い眠りから目覚めて三日程でマリアという少年はギャラルホルンにMSパイロットとして所属することになる。理由は当人と上層部のみが知っている。
だが、この少年を上から押し付けられたガエリオ・ボードウィンは納得していない。とは言え上の方で何か有ったのだろうと親友に諭されては、渋々受け入れるより他がなかった。
そんなこんなで彼はマリアとその愛機、ガンダムビトルと共にマクギリス・ファリドの護衛役としてギャラルホルン火星支部の鑑査に同行。結果、現地で些細なトラブルを起こしてしまったり火星軌道上にて鉄華団と戦闘したり、何かと気苦労が絶えない。
鉄華団との戦闘後、ガエリオはまぁまぁ荒れていた。パイロットとして、特務三佐として、少年兵に遅れを取ったことが受け入れられないのだろう。若い身で佐官に身を置いているのだ。それなりのプライドは持っていて当然。まして彼は名門一家の出である。自尊心は人一倍大きなものだろう。
「くそっ、あんな機体ひとつ捕らえられないとは……!」
医務室。先の戦闘で負傷した体を気遣わず、自らの膝に拳を振り下ろすガエリオ。今回の敗戦が中々に堪えているようだ。今は平時の冷静さも、軽薄な口振りも何処かに消えてしまっている。傷の具合はそこまで悪くないようだが、それでも医務室のベッドから離れることを軍医に禁止されている。
「バルバトス相手に墜とされなかっただけ、勲章ものだよ。良くできましたお坊っちゃま」
荒ぶる特務三佐に気軽に話し掛けるのは、少年と言うには顔立ちが可愛らしい執事服の子供だ。背丈は低く肌は青白いものだが、燃えるような赤い瞳は力強い。無造作に伸ばされた黒髪を整えれば、少しぐらい格好が付きそうだ。そんな彼こそが、マリア・シュトリ。今は鉄華団に仕えている、ジャック・シュトリの唯一の肉親である。
「敵にやられて貰える勲章があるかっ! あと、そのお坊っちゃまって呼ぶのは止めてくれ」
ガエリオの言うことはごもっともである。敗戦は誉れにはならない。寧ろ恥なのだ。
「だってあれが本気だったなら、君はとっくに死んでるし。まぁ当たり前だけど当時とパイロットが違うってところと、リミッターが掛かってたのが良かった。命拾いしたね」
「んなっ!?」
「まぁまぁ落ち着いて。紅茶でも飲んで落ち着いたらどう? ほら」
「……、ああ、ありがとう」
「はいはいガエリオお坊っちゃま」
「だからそれはやめろと!」
二人の仲は悪いものではないようだ。まだ出会ってそこまでの日数は経っていないようだが、こうして戯れる程度には親睦がある。ガエリオがマリアに振り回されているとも言えそうではあるのだが。
「それで、バルバトスの動きはどうだった?」
「どうもこうもあるか。捉えどころがなくて、気色悪い感じだったさ」
「ふぅん? ならそこそこ動かせるってことだね、今のバルバトスのパイロットは」
「……次は遅れを取ったりしない。マリア、後でシミュレートに付き合ってくれ」
「それは君の傷が癒えてからだ。いいかい? 勝手に動き回らないこと。何か必要なら僕を呼んで」
「……分かっている。怪我が治るまで大人しくしているさ。マクギリスにも釘を刺されたしな」
不貞腐れたガエリオは、先程手渡されたティーカップに静かに口を付ける。中身は澄んだ色のハーブティーで、香りが良くて温かい。荒んだ心を落ち着かせるには、十分過ぎる代物だろう。
立ち上る爽やかな香りと、口の中に広がる程よい苦味を堪能すると、荒れていた気持ちが落ち着いていく。荒れるに荒れたお坊ちゃんが小さく微笑んだところを見るに、どうやらマリアの淹れたハーブティーはかなりの美味らしい。
「ところでマリア。お前、目は大丈夫なのか?」
「ん? まーーね。視力に問題はないよ」
「そうか。なら良い。スナイパーが目を悪くしたら、笑い話にもならないからな」
「あんな程度で潰れる柔な目じゃないよ。ま、してやられたのはムカつくけどね」
「……なら次は、お互いリベンジだな」
「次は撃ち抜くよ。あんの馬鹿愚妹、今に見てろ……」
右目を抑えながら、マリアは嗤う。肌の青白さも合わさって、不気味が過ぎるのだが。
何にせよ、まだまだ鉄華団はギャラルホルンに狙われることになる。悠長にしている暇は、仕事を終わらせるその時まで微塵も無いのだろう。
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「……んぁーー。どうしましょうかね、これ……」
宇宙を泳ぎ続けるイサリビ。その格納庫で青白いメイドは頭を抱えて呻いていた。実の弟、或いは兄とおぼしき存在にシトリーの背中はぶち抜かれてしまった。その結果、八つの羽毛は全てイカれてしまったので宇宙に放棄。武器をひとつ失ってしまったのは大きな痛手だろう。だがそれ以上に、気に掛けなければならないことがある。
ガンダム・シトリーは被弾しないことを前提に造られている。バルバトスより3メートルは低く、装甲は限り無く薄い。だと言うのに内部は頑丈さよりも精密さを優先してあるものだから、一度の被弾がもたらす影響はこの上なく甚大だ。特にスラスター回りの被害が大きく、修理に手間取っている。仮に無事修理を終えたとしても、その出力は普段より数十パーセントは落ちるだろうとシトリー自体が申告しているものだから本当に頭が痛い話だ。唯一の解決策は一から機体を整備、改修することなのだが生憎そんな余裕は鉄華団には無い。仮に予備パーツが充実していたとしても、多いに時間が掛かってしまう。
厄祭戦の負の遺産とまでパイロットに言わせるこの機体。並みの整備士が弄り回すことは不可能だ。そもそも、ジャック自身がこの機体を人に触らせることを良しとしない。そんなだから、余計に面倒な事になっているのだが。
「……どうだジャック。こいつはまた動けそうか?」
目の前の問題で頭痛が酷いジャックに話しかけるのは、鉄華団のトップであるオルガ・イツカ。開きっぱなしのコックピットハッチの縁に寄りかかり、腕を組む姿は妙に様になっている。
彼は皆を束ねる立場として、皆を引っ張っていくリーダーとして、決して暇ではない。行き当たりばったりでギャラルホルンと戦うわけにも行かないし、今考えることも山積みだ。その中でも、先の戦闘で中破してしまった機体のことは特に考えなければいけない。
「んん……。動かすだけなら大丈夫です。ただ、いつも通りの動きは無理ですね。この調子じゃ本来の半分も動けないし、戦闘になるとそれもどうなるか……」
あんの愚弟め……。と悪態を吐きながら、ジャックはコックピットに腰掛けたまま端末を操作し続けている。背中にケーブルが生えているのは、機体と繋がっていることで少しでも作業効率よくする為だ。それでも今回の修理には頭を悩ませているのだから、この調子では次の戦闘にシトリーを出せるかどうかも分からない。
「何とかならないのか? 現状、こいつとバルバトスがうちの戦力なんだ」
「グレイズがあるでしょう? 捕虜を乗せるのが嫌なら、オルトランドさんを乗せるのが適任かと」
「あれに阿頼耶識は付いてない。今昭弘にミカやおっさんとシミュレータで訓練させてるが、どうなるかはまだ分からねぇからな」
「その辺りは大丈夫じゃないですか? 捕虜とはいえ軍人の指導ですし」
「……そうだと良いけどな。それで、こいつはどこまで直せそうだ?」
「出撃出来る程度には仕上げます。ただ、万全ではないので次またあの子と鉢合わせたら撃墜されますね」
「………あの機体か。あれについて、話せることはあるか?」
あの機体。それはつまり、ギャラルホルンに居る白いシトリーのことだ。色と武装に目を瞑れば、あの機体はシトリーにとても似ている。敵の戦力は知っておくに越したことはない。ましてあれはバルバトスやシトリーと同じガンダムタイプ。この時代では骨董品同然かもしれないが、だからと言ってその戦力を侮ってはいけない。ジャックは敵パイロットと旧知の仲だということも分かっている。今後、あの白い狙撃機はどうしたって無視できないのだ。
ただ、ここで問題が生じる。このメイドは、当時の情報を口にすることを躊躇う。シトリーの事を話したのも、宇宙に上がる直前だった。仕える主の質問には一応は答えるつもりのようだが、素直になんでも話そうとしてくれる訳でもない。
「……話さなければいけませんか?」
「ああ。話してくれ」
「シトリーを地上専用の運動特化機とするなら、あっちのシトリーは宇宙専用の狙撃特化機です。使用する弾頭は高硬度レアアロイですが、今回は普通の物を使ってましたね。お陰で命拾いしました」
「……高硬度レアアロイ?」
「あー、そこは無視してください。メカニックな話は雪之丞さんが知ってれば良いので。それで、向こうのシトリー……正しくはシトリーⅡですが、得物は長距離狙撃用のレールガンですね。アホほどエネルギー使うんでポコスカ連射出来ない仕様ですが、一発あれば戦闘が終わります」
「……は? たったの一発で?」
「はい。たったの一発で終わります。現にあの子は一発であらゆる戦場を終わらせてきました。向こうがその気だったら、イサリビは墜とされてましたよ」
ほんと、狙いがわたしで良かったですね。とジャックは舌打ちした。膝上に置いた端末を乱雑に叩き始めたのは、修理が上手く進まずに苛ついているからだろう。もしくは、愚弟を思い出して不機嫌になったかだ。
何にせよ、彼女の言うことが全て事実であるのなら、あの白い狙撃機はこれから先無視できない。たった一発の狙撃で戦闘を終わらせるような存在、それがあの白いシトリー。使用する弾頭が高硬度レアアロイで無くとも、黒いシトリーに甚大な被害をもたらしたのだ。
「ただ安心してください。あの子からイサリビを守って見せます。今のわたしでは死ぬでしょうが、離脱する時間は死んでも稼ぎます」
「……それほどの相手、って事か。なにか策はないのか?」
「無いですね。あの子は絶対に弾を外しません。閃光弾も次は対策してくるでしょうし。第一あれは厄祭戦時に命中率100%を叩き出した化け物ですよ? まぁわたしは被弾ゼロですけどね?? ふふん凄いでしょう」
話がズレてきたような気もするが、命中率100%という情報は事実なのだろう。だとすれば、あのスナイパーは恐ろしい存在だ。それはそうとドヤ顔で無い胸を張るのは如何なものか。
被弾ゼロのパイロットと命中率100%のパイロット。二人が本気で向き合えば、果たしてどうなるのか。いや、その結果はもう出ている。不意打ちとはいえ、シトリーは背中を抉られているのだから。姉弟喧嘩、或いは兄妹喧嘩は、残念ながらマリアの方が勝利しそうだ。
「背中撃たれてちゃ被弾ゼロも格好がつかねぇな」
「んぐっ……! 次は避けますよ!? 避ければ良いんでしょう!!?」
オルガの一言に、ジャックはキレた。今日の彼女は表情がコロコロ変わる。目の下の隈と、肌の青白ささえなければもう少し可愛らしく見えただろう。膝上の端末をバンバン叩く姿は子供そのもの。メイドらしさは格好だけしかない。
「まぁそうしてくれないと困るがな。ただ、無茶して簡単には死ぬなよ。足、まだ治ってないって聞いたぞ」
「日常生活に支障はありませんよ。痛くないので」
「……戦闘は?」
「問題ありません。まぁ、煩わしさぐらいはありますけどね。一度駆け出してしまえば気にならなくなりますから」
ジャックの左足の傷は、火星で金属片を踏んづけて出来たものだ。ギャラルホルン最初の襲撃からそれなりに時間が経っているのに、まだ彼女の足には包帯が巻かれたままだ。よく見ると、血が滲んでいる。日頃から平然と歩いているので傷の具合が悪いと言うことは無さそうだが、傷の治りが遅いのもまた事実。いつ悪影響を及ぼすかも分からない。
「それはそうと、ご主人様」
「どうした?」
「わたし三日は寝ずに働いてるんですけど、そろそろご褒美が欲しいです」
手にした端末を左へ押しやり、背中にケーブルを外したジャックは少し腰を浮かせて「はいっ」と頭を差し出す。完全に撫でられ待ちの姿勢になった彼女だが、生憎と相手が悪いようだ。頭を差し出されたオルガは意図を理解出来ず怪訝な顔をしてしまう。
「……分かった。おやっさんに言っとくから、ひとまず休んでくれ」
「いや休憩はいらないですけど?」
「あ? じゃあ何が欲しいんだ? ……金か? 言っとくが今鉄華団の財政は結構ギリギリで」
「いやだからボーナスが欲しいとかそんなんでもなくてですね??」
「じゃあ何なんだ。ハッキリ言ってくれ」
残念ながらジャックが欲しがっているものは、オルガには理解されていないようだ。
「だーーかーーらーー、頭、撫でてくださいよ。そしたらもう三日ぐらいは頑張れそうなんですけど」
「……あぁ? 何だかよく分からねえけど、これで良いのか?」
「……へへへっ。ありがとうございます。じゃあもう少しだけ頑張って働きますね、ご主人様!」
「おい……っ!」
頭を撫でられご満悦のメイドは、気味が悪いぐらいに満面の笑顔を見せて団長の首に抱き付いた。唐突な抱擁を受けてオルガはふらついてしまったが、何とか転ぶことなく倒れることなくジャックの体を受け止める。ただ勢いを殺しきることは出来なかったのか、首に抱き付く少女をそのままにその場でクルリと時計のように回転することになってしまったが。
「じゃ、わたしはバルバトスの様子見てくるんで。ああ、それとハッチ閉まりますからそこから離れた方が良いですよー」
気味悪い笑顔をキープしたままのジャックが警告すると同時、シトリーのコックピットが音を立てて素早く閉じた。うっかり挟まれそうになったオルガは盛大に溜め息を吐き散らかし、格納庫を後にするのだった。