鉄の従者は血豹を飼う   作:石黒 柚李

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セブンスタークの受難

 

 

 

 

 

「決して散らない鉄の華……で、鉄華団? でふか? ズズーーッ」

 

 口の中に「クーデリアお手製・見よう見まねのしょっぱいスープ」を流し込みながら彼女は喋る。今晩は丈の短いメイド服を着込んでいる青白い少女は現在、筋骨隆々な髭面のおっさん(捕虜)と真新しいご主人様、そして鉄華団団員である太い少年と新たなバルバトスのパイロットと共に兵舎の一室で食事中だ。周囲には何もなく、目につくものと言えば飾り気のないテーブルと椅子のみ。なお用意されたものを食べているのはジャックしかおらず、この場に居る者の殆どは一口啜っただけで器を置いてそれ以降は手を付けていない。

 鉄華団初めての商売相手、その手料理は残念ながら失敗に終わったのである。

 

「よくそんなの食べれるね」

 

 ポケットから取り出した火星ヤシをつまむ三日月だが、彼は彼で出されたスープを完飲している。味については他の者と同様の意見だが「食べれるときに食べておかないと、何が起こるか分からないから」と言い放って食べ進める姿はオルガ団長に「おまえ凄いな……」と言わしめた。

 

「パイロットやるのに不要な感覚は排除済みで

すし。食事は基本的に作業なんですよ私。まぁでも食べるのは好きですよ? 胃に物を入れるのは幸せな事でしょう?」

「排除? そいつはどういう……」

「あ、えーー……っと。て、テヘッ☆」

 

 それはあまりに露骨な誤魔化しだ。隠すつもりなど微塵も感じられない。うっかり口を滑らせたのか、話しておきたいのか、どちらだろうか。何にせよ、今ので話を流せると思っているのなら彼女は随分と甘い。

 

「……まあ、話す気が無いんならそれでも良いけどよ」

「話して欲しいなら私自身の事は話しますよ。ご主人様がそう望むなら、私は断りません」

「いや、今は良い。そんな事より、このおっさんを取っ捕まえた理由を聞いておきたい」

「私達の利益になると踏んだからです。あ、それ食べないなら貰います」

 

 両腕を手枷で拘束され、ついでに両足も椅子にくくりつけられているのが、オルガの言っているこのおっさん。つまりクランク・ゼント。己の矜持に従ってCGSに決闘を申し込んだは良いものの、子供を殺したくないと言う信念からジャックに捕縛され捕虜へと落ちてしまったギャラルホルンの一員だ。

 理由はどうあれ、少年兵を殺したくない。その気持ちは立派なものだが、それが原因で捕らえられてしまうのは如何なものか。それに、考えが甘いのと言う点もある。彼が提示してきた条件はCGSにとって有利な物だった。しかし自分が勝った場合の条件しか提示しなかったり、自分が負けたときの事を考えていなかったりと軍人にしては少しばかり抜けているように思える。悪い人ではないのだろう。ただ、良い人と言い切るには少しばかり考えものである。

 そんな男を、引っ捕らえて捕虜にしようと言うのだ。オルガがあれこれ問い詰めようとするのも無理はない。

 

「ずずーっ。彼はMSに乗れるパイロットです。戦力にもなりますし、指導員にもなれるでしょう。生粋の軍人ならその他の訓練も監督できます。ギャラルホルンに対する牽制にもなりますし、ご主人様さえ良ければ、私は彼を鉄華団に迎え入れたいところですね」

「確かに役には立つだろうな。ただ、こいつが俺達を裏切る可能性もあるだろ」

「それについては対策済みです。心配ご無用で……もぐもぐ」

 

 まともに受け答えする気が有るのか無いのか。オルガから奪い取ったスープを食しながら彼女は答える。ジャックの言い分を信用できないのか、何か考えているのか、ビスケットは口に手を当てて沈黙しているし三日月なんてポケットの中の火星ヤシに手を伸ばすことを止めない。

 

「決闘に敗け、捕虜となった以上、私は貴殿らの言うことを聞くつもりだ」

「殊勝な心掛けですね。それではまだ半分ですが」

「……何?」

「命を以て、償ってくれるのでしょう? なら死ぬ気で働いて欲しいですね」

「それは、……言われるまでもない」

「分かってるなら結構です。そう言うわけで……」

 

 会話の途中、食事の手を止めたジャックはスカートの内側に青白い手を入れて何かを掴んだ。そして、鈍い音が捕虜を捕らえた部屋に響く。彼女は今、一本のナイフを取り出した。長くて細くて、薄い刃をしている。それを、勢い良く机の上に突き立てたのだ。

 何の意図があって刃物を取り出したのかは分からない。ただ、紅い瞳に物騒な光が宿っているような気がする。

 

「彼が鉄華団に不利益をもたらしたら、私が彼を殺します。そして責任取って私も死にます」

「……それだけの覚悟してるってことか。分かった。だが監視は付けさせてもらう。他の団員がどう思うかも分からねえし、当面はこの部屋から出してもやれねえ」

 

 オルガの言葉は正しく、ジャックの言葉はおかしい。ついさっき捕まえたばかりの捕虜一人に、自分の命を懸けると言うのだ。敵として攻め込んできた来た男に、なぜそうまで出来るのか疑問が残る。

 ギャラルホルン火星支部、実働部隊の一人、クランク・ゼント。出会って数時間としか経たない男に命を懸ける理由なんてひとつも無い筈だ。

 

「ええ、どうぞ。良ければ監視の一人を、私が選んでも良いですか?」

「……駄目だ。監視は、俺達で決める」

「でしょうね。分かっていましたが残念です」

 

 ひとまず、話はスムーズに進んでいると言って良いだろう。ただどうしても、ジャックがクランクに固執する理由は分からない。

 彼女は日々の業務をしっかりこなして居るし、クランクとの決闘ではグレイズをほぼ無傷で鹵獲して見せる高いパイロット技能を見せ付けた。信用出来るか出来ないかで言えば、出来る。だが今回の行動は周囲に不信を与えてしまう。

 ギャラルホルンのパイロットを捕まえる。彼女が提示したようにメリットはあるだろう。だが同時にデメリットも存在する。こうなってしまった以上、ギャラルホルン側は捕虜奪還とクーデリアの奪取を目的として活発に動き出すだろう。まだまだ戦力が足りない鉄華団では、やる気になったギャラルホルンを退けるのは難しい。

 いっそ、クランクを殺してグレイズだけ鹵獲してしまった方がマシだったのではないだろうか。

 

「さて、幾つかお聞きしても良いですか? クランク・ゼントさん」

「……ああ、答えよう」

「貴方は自分が勝った場合、全て私が預かると言いましたね?」

 

 そう。確かに彼は決闘を申し込んできた際、自分が勝利した暁にはクーデリアとグレイズの引き渡しを要求した。そしてそれが済めば、その後は全て彼の預かりとしてCGSとギャラルホルンの因縁を断ち切ると言い切ったのだ。

 

「……そうだ」

「では今回の決闘、それは全て貴方独自の判断だったと捉えても? それとも、上にそう指示されたんですか?」

「……私の独断だ。上は関係ない」

「それは、何故?」

「矜持だ。子供を殺したくはなく、部下や同僚の名を汚したくも無かった。軍人としての、誇りに他ならぬ。どんな理由があるにしろ、子供を殺せなんて命令は聞けなかった」

 

 愚直、とでも言えば良いのだろうか。自分の心に正直なのは結構だが、軍人としての役割を放棄するのは如何なものか。上の命令に逆らい、一人で出撃し、捕虜となった愚か者。それがこの男だ。彼を材料としてギャラルホルンと交渉するのは難しいかもしれない。上からすれば、命令を聞かない厄介者に価値など無いからだ。

 

「あ、それも食べないなら貰って良いですかグリフォンさん」

「……良いけど、それにしてもよく食べるね?」

「シトリーは暴れん坊なので、しっかり食べて体力付けておかないと乗りこなせないんですよ。だから食べるんです、もぐもぐずずーっ」

 

 三杯目の塩辛すぎるスープを堪能する姿はとても子供らしく見えるが、やはり肌の青白さはどうにかした方がいい。血色が悪いにも程がある。本当に生きているか疑わしいぐらいだ。

 

「まぁ……よく食べるのは良い事、だよね……?」

「そうですね。さて、それじゃあ」

 

 腹が膨れたのか、空になった器をテーブルに放り投げてジャックは立ち上がる。

 

「それじゃあ?」

「私はもう寝ます。寝て良いですか? ご主人様」

「……まぁ、良いぞ。取り敢えずお前の意見は分かった。ただ今後、捕虜を増やそうとしたり誰かを率いれようとするならまず俺に相談してくれ」

「はい、ご主人様。それでは皆様、お休みなさいませ」

 

 短いスカートの摘まみ上げて一礼。夜はもう更けている。彼女は宣言通り、これから寝に私室へと戻るのだろう。いや、正しくは巣か。

 足の怪我も指の怪我も気にすることなく、ジャックは歩く。薄暗い廊下を歩く青白い姿は、まるで幽霊のようだ。

 

□

 

 翌日、ジャックはシトリーのコックピットにて目を覚ます。鉄華団の施設内部に私室を与えられているのだが、彼女はそこを使わない。毛布三枚にくるまって狭い操縦席で眠りこける様子は巣で丸まって眠る鳥のよう。或いは、棲みかで丸くなる猫のよう。どちらにせよ、人間らしくない寝床を好んでいるのは確かだ。

 まだ重い瞼を手の甲で擦りつつ、メイドは起きる。背中に繋がっているケーブルをそのままに、うんと背伸びをひとつ。すると閉じていたコックピットハッチが開き、外から薄い光が差し込んだ。格納庫には誰も居ない。欠伸をしつつ「今何時ですか?」と彼女が呟けば、周囲のモニターが一斉に起動し始める。

 どうやらパイロットの問い掛けに、シトリーが返答したようだ。ジャックは「まだ起きるには早いですね」なんて言いながら機体との接続を切っていく。するとシトリーは動かなくなり、彼女は自由の身となった。

 コックピットから抜け出すと、体を覆っていた三枚の毛布がずり落ちた。すると青白くて細く、色々とちまっこい体が露になる。どういう訳か、今の彼女は何一つ身に付けていない。産まれたままの姿である。どうしてこの女は裸で寝ていたのか。そう言う趣味なのだろうか。それとも、所謂裸族と言うやつなのか。

 何にせよ、子供が裸でうろうろするのはよろしくない。彼女とて誰かに自分の裸を見られたいとは思っていない筈。早急に服を着た方が良い。が。

 

「あー、今朝の着替えを部屋に忘れましたね。うっかりうっかり」

 

 着替えを忘れたらしいジャックは毛布を一枚目掴み取り、体に巻いた。なんとも不格好な姿になってしまったが、裸でその辺をうろうろするよりはずっと良いだろう。まるで猿か何かのように機体の装甲を伝って地面に降りた彼女は、裸足でぺたぺたと歩いて格納庫の外へと向かう。

 地平線の向こうから朝日が登り出している。なるほど確かに、ジャックが呟いていた通り、起きるにはまだ早いようだ。

 風が吹く。黒い髪が激しく踊る。風の中には砂埃が混じって、目を開けたままで居るのが少しばかり困難だ。

 

「あ、セブンスタークさん。おはようございます。夜勤明けですか?」

「……………………」

 

 朝日の中、二人は出会った。偶然と言えば偶然だ。必然と言えば必然だろう。彼女も彼もこの鉄華団の団員として勤め、広々とした施設に住み込んでいるのだから。

 しかしそれにしても、何故ユージンは表情を固くしているのだろう。耳が赤いのは陽に当たっているからに違いない。

 

「お、おまっ、おま……っ!」

「?」

 

 固まっていたかと思えば、今度は挙動不審になっている。そんなユージンを見るジャックは首を傾げるだけ。だから気付かない。気紛れな風の悪戯が、自分に何をしたのかを。

 

「何で全裸なんだよっっ!?」

 

 そう。今のジャックは全裸である。体に巻いた毛布は突風で吹き飛んで、今は遠くで踊っている。朝日に晒される少女の裸体は、やはり青白い。死体が立っていると表現した方がしっくり来るぐらいの青白さだ。

 

「……? いや確かに毛布の下は全裸ですが。って、ああ」

 

 ユージンの反応を見て首を傾げ、そして自分の体を見直したジャックはひとり納得。意図せず異性に裸を見られているこの状況、普通なら悲鳴のひとつでも出てきそうなものだが彼女は平然だ。羞恥心の欠片も見せない。まだ耳が赤いままの少年とはえらい違いである。

 

「ま、見られて減るものでも無いですし。どうぞ、見たければお好きなだけ見てください」

「そんな訳に行くかこの痴女!」

「あれ、意外と紳士的ですね」

 

 叫び散らすユージンは迅速にジャケットを脱いで、それをジャックへと全力でぶん投げた。顔面にぶつかった男臭い上着に、彼女は直ぐ袖を通した。ジーー、とファスナーが閉められる音がする。上にサイズの合わないジャケット、下は何も無し。アンバランスな見た目だが、裸よりはずっとマシだろう。

 どうにかこうにかジャックの裸を隠すことに成功したユージンは肩で息をしている。頭に血が上りすぎたのか、鼻の下に赤いラインが引かれている。

 

「きゃー、セブンスタークさんのえっちー。とでも言った方が良かったですか?」

「言わなくて良い! そもそもなんで裸だったんだよ!」

「風の悪戯ですね。毛布持ってかれちゃいました」

 

 端から見れば鼻血を出した少年が騒いでいるようにしか見えない。ユージンがいくら騒いでも、ジャックはどこ吹く風と言った様子だ。しかしそれにしても、体に纏ったものを風に拐われて気付かないなんて事があるのだろうか。それが有り得るなら、彼女は余程の間抜けだ。

 

「じゃあ私、これから仕事しますので。このジャケットは洗ってから返しますね」

「……ちゃんと返せよ」

「返しますよ。私を何だと思ってるんですか」

 

 ひらひらと手を振って、ジャックは歩き出す。もう一度強い風が吹いたが、今はしっかりと衣類を着ているので問題はない。風が原因で裸に成るなんて事態は、もう起きないだろう。

 砂埃が混じる突風の中を彼女は突き進み、施設裏口へと辿り着いた。物言わぬ重そうな扉を開いて、裸足のまま誰も居ない薄暗い廊下を闊歩していると、筋肉に包まれた大きな体の少年が道を塞いだ。いや、当人にそのつもりはないだろう。ただ図体のデカさ、ガチムチ故の威圧感が少女の足を止めさせた。半裸で汗だくなのは、つまりそういう事だ。

 むわっと汗の臭いが漂っているが、ジャックは気にしていないようだ。

 

「おはようございます。アルトランドさん」

「おう」

「では失礼します。仕事がありますので」

 

 ガチムチな男、昭弘・アルトランド。その体躯は大きく、腕は太く胸板は厚く腹は固い。鉄華団の中に彼ほど筋肉な奴は居ないだろう。

 無愛想な男の横を通り、ジャックは再び廊下を歩く。もう人の気配は感じられない。時間が時間だ。殆どの団員は寝ているだろうし、起きていたとしても外に出て周囲を警戒している筈。いつまた、ここにギャラルホルンが攻めてくるのか分からないのだから。

 廊下を進むこと数分、彼女は白い扉の前で足を止めた。ここはジャックに与えられている私室だ。今は居ないマルバによって与えられた物。CGSが無くなり鉄華団となった今でも、ここはジャックの部屋と言うことになっている。団長の気遣いは優しいものだった。

 それにしても、いったいどれだけあのろくでなしな中年男を懐柔したのだろうか。疑問が尽きぬ女である。

 バシュッ。と音を立てて扉が開く。繰り返すがここはジャックの私室であり、つまり彼女以外は入れない。今だって扉を開くのに、壁に嵌め込まれたパネルを操作したのだ。だから、この部屋に人は居ない筈なのである。

 

「おや、私に何か用ですか? ええっと、アドモスさん」

 

 真っ暗な部屋の中に、一人の女性が立っている。青い衣服に身を包み、長い髪を頭の上で一纏めにしている彼女はフミタン・アドモス。クーデリアの従者であり、護衛と言っても良いだろう。ジャック程では無いにしろ、彼女もまた肌が白い。体つきは良く、大人の女性というに相応しいだろう。そんな彼女が何故、鍵付きの私室に居るのか。

 冷たそうなフミタンの瞳と、熱の無いジャックの瞳がお互いを見詰め合う。

 

「……団長さんがお呼びです」

「ご主人様が? こんな早朝に?」

「何やら緊急の案件、……のようです」

「それで私を呼びに来たって事ですね。ありがとうございます」

 

 団長ことオルガの呼び出し。その使いとして送られたのだから、パスコードを知っていてもおかしくはないだろう。

 

「……いえ」

「ああそうだ、ここはクーデリアと好きに使って良いですよ。着替え以外に使いませんし」

「ここは貴女の私室では?」

「食事は食堂、入浴は浴場、睡眠はシトリーの中です。私室なんて必要ないんですよ、私」

「プライベートは必要ない、と?」

「メイドですので。あ、これどう思います?」

 

 いつの間にか、ジャックは青を基調としたメイド服を着ていた。黒いネクタイもしている。多分狙ってやったのだろう。スカートとズボンという差はあるが、フミタンとお揃いのコーデだ。

 

「ネクタイ、曲がっていますよ」

「えー? そうですか?」

 

 確かに、ネクタイが曲がっているようだ。これでは格好が付かないだろう。事前にフミタンに意見を求めて正解だったらしい。

 ジャックは曲がったネクタイを直そうと手を動かす。結び目をほどいて結び直していくが、再び曲がってしまう。不器用なのだろう。いや、そんな筈はない。MSの整備ができるような人材が不器用なんて事は無い筈だ。

 

「……私がやりましょう」

「よろしくお願いします」

 

 結局、ジャックはフミタンにネクタイを結んで貰うことになった。大人の細長い指が素早く、そして細かく動くと直ぐにネクタイが結ばれる。今度はきっちり真っ直ぐだ。これで見映えは良くなった。

 

「ありがとうございます。それじゃ私、ご主人様の所に行きますので」

「はい」

 

 例えこんな早朝だとしても、それがオルガからの命令ならばジャックは従う。彼はご主人様で、彼女はメイドだからだ。着替えを済ませ身嗜みを整えた彼女は部屋を出て、もう一度誰も居ない廊下を歩んでいく。

 途中、誰ともすれ違うこともなく早朝のメイドは金の装飾で飾られた扉の前にやって来た。ここはマルバが使っていた部屋であり、今はオルガが使っている部屋だ。当然、鍵が付いている。

 メイドが欠伸をしながら壁のパネルに手を伸ばすと、扉が開いた。どうやら鍵を閉めていないらしい。団長ともあろうものが、少々無防備過ぎやしないだろうか。

 

「来ましたよご主人様。緊急の案件とは何でしょう?」

 

 部屋が暗い。わざわざ緊急の案件だと人を呼び出したのなら、起きているのだろう。人を呼び出しておいて不在、何て事はオルガに限っては無いだろう。では何故部屋が暗いのか。理由は分からない。

 

「……ご主人様?」

 

 人が動いている気配はなく、かといって誰も居ない訳ではない。暗い部屋の奥から、呼吸音がハッキリと聞こえるからだ。で、あればオルガはここに居るだろう。まさか先程のように、部屋主以外の誰かが居るなんて事は無い筈だ。

 真っ暗な部屋の中を、ジャックは真っ直ぐ進む。すると何かに躓いて、派手に顔面からスッ転んだ。運が良いのか悪いのか、彼女は図らずともベッドにダイブすることになってしまった。

 

「うーーん。やはり不便になりましたね、この体」

 

 自らの肉体に対して文句を溢しながら、彼女は手をついて体を起こす。が、上手く体を支えられなかったようで再び体を倒してしまう。その時、ジャックは頭を打った。ゴチンと鈍い音が響いたのはその為で、ついでに彼女が目を回したのもそのせいだろう。

 

「あーー、もう。暗い部屋は危険でいっぱいですね。次から近付かないようにしましょう」

 

 やってしまった事を反省しつつ、彼女はうつ伏せのままピクリともしない。

 

「と言うか、人を呼び出しておいて寝てるとかどういう事ですかねご主人様」

 

 彼女の目の前に、すやすやと眠り込んでいるオルガが居る。ジャックが言っていた通り、人を呼び出して起きながら爆睡しているのはどういう料簡だろうか。

 

「ご主人様ー、起きてくださーい。緊急の案件って何ですかー??」

 

 横向きで爆睡しているオルガの肩を揺さぶるものの、彼は起きない。そう言えばこの間も、この男はジャックの声では起きてくれなかった。あの時は主従関係でも何でもなかった訳だが、今は違う。彼女はメイドで、彼はご主人様。であれば、それらしい事をしなければ二人の関係は嘘になってしまう。

 

「団長ー、オルガー、イツカー。起きて貰わないと困ります」

 

 両手を使って彼の肩を揺さぶってみるものの、やはり起きてくれない。頬をつねってみても駄目、頭を叩いてみても効果無し。オルガの睡眠は深く、これっぽっちも起きる気配を見せない。しかしメイドは諦めない。体を起こし、今度はご主人様の体に跨がり始めた。流石に脇腹に乗られるのは寝苦しいのか、眉間に皺が寄った。もうひと押しすれば起きるだろうか。それともまだ起きないだろうか。

 どちらにせよ、ジャックのやることは変わらないだろう。

 

「ご主人様ー? そろそろぶん殴りますよー?」

 

 痺れが切れたのか、物騒な事を言い出すジャックである。握り拳を作って大きく振りかぶった。あと数秒もしない内に、オルガは顔面をぶん殴られてしまうだろう。

 

「……せーーー、の」

 

 大きく息を吸い込み、そして握った拳を更に固める。青筋が浮かんでいるのは気のせいではない。それだけの力を込めているのだ。そんな拳を思いっきり振り下ろされたらどうなるかなんて、出来れば考えたくない。

 

「何してるの? こんなところで」

 

 しかし、拳が振り下ろされることはなかった。オルガは命拾いしたらしい。

 

「助けてください三日月。この人、何しても起きてくれないんですよ」

「……オルガ、メイドの人が来てるけど」

 

 私室の入り口。そんなところから声をかけても、きっとオルガは起きないだろう。そんな事で目覚めてくれるなら、とっくに起きている筈だ。

 

「……ん、おぉミカ。どうした?」

「どうしたじゃないよ。ほら、メイドの人が来てる」

「ジャックが? ってか、今何時だ?」

「五時だよ」

「起きるにはまだ早いな。あとジャック、人の上で何してんだ」

「…………………………」

 

 オルガの上、青白いメイドは苦虫でも噛み潰したかのような顔で震えている。どうかしたのだろうか。どうかしたのだろう。

 

 

「いや、この流れはおかしいでしょっっ!!?」

 

 

 ジャックが叫んだ。自分が何をしても出来なかった事を三日月にやられてしまい、どうやらとても悔しかったようだ。

 そんな様子だから、彼女は気付かない。オルガの耳がちょっと赤くなっていると言う事実に。

 

 

 

 

 

 

 

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