ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜 作:熊0803
以前のように、火曜と土曜に更新できるよう努めます。
楽しんでいただけると嬉しいです。
天幕の中に響く、硬質な音。
「これを……こう、だったな」
呟きながら、ルークは肩口の鎧を固定する留め具の位置を調節した。
数度のやり直しの末、定められた箇所にピタリとはまったことでようやく違和感から解放されて一息つく。
(着るのは三度目だってのに、まったく。覚束ないもんだ)
苦笑しながら、最後に手甲を取った。
寸分違わず自分の腕に合わせられたそれに、しっかりと指の先まで通す。片方が終われば、もう片方も。
そうして包み込まれた五指を握れば、ガチャリと物々しく音が返ってきた。
「……よし」
満足げに頷いた瞬間、どっと湧き出る疲労感。
着けている最中は意識もしなかった、全身を覆う灰色の鎧が一気に重みを増したように思えて深い吐息が漏れる。
着用に費やしたのは、凡そ一時間弱。
それでも、
「変じゃないよな……」
どこか誤っているところがないかと、改めて自分の体を見下ろす。
これで鏡でも備えられていれば楽だったのだが、天幕
頭を左右に振っていると、パチリと頭の後ろで小さく音がした。
直後に髪が纏まりを失い、襟の上で広がる。振り向いてみたら、切れた革紐がはらりと床へ落ちて光の粒と化すところであった。
「あー……限界だったか」
天命を全うした革紐へ感謝の念を送る。
さてどうしたものか、と視界の両端で揺れる髪を見て思案し、ふともう一度机の上に目を向けた。
薄暗い天幕の中で存在感を放つ、四弁の花飾り。光素を内包したランプに照らされて赤く輝くそれを手に取る。
「お借りします」
断りを入れてから《窓》を開き、花飾りについている紐の天命が十分であることを確認。
髪を束ねようと腕を回し──だが、そこで不幸が起こった。ガシャン!と大きな音を伴って張り出した肩鎧と手甲がぶつかり、途中で止まってしまう。
「うおっ!?」
驚いた拍子に、衝撃で指の間から抜け出ていく花飾り付きの紐。
しまったと焦りに顔を強張らせる。床に落ちて欠ける飾りが脳裏をよぎり、慌てて体を反転させかけて──。
「──おっと。危ない」
その前に、軽く背中に添えられた手がルークを留めた。更にはもう一方の手が宙を舞う飾り紐を受け止める。
あまり大きくはない、おそらくは女性だろう手の感触。そして耳元で囁かれた声に、大きく目を見開いた。
「ふふ。少しせっかちなところは相変わらずじゃないか、後輩君?」
「っ!? ル──!」
「こら。振り向いてはいけないよ」
シー、と。ルーク以外は誰もいるはずのない天幕に現れた〝誰か〟が戯れる。
半ばまで顔を向けていたルークは、もしこの言葉に従わず見てしまえば〝誰か〟がそよ風の方に消えてしまうことを直感的に理解した。
ゆっくりと前を向く彼に、「いい子だ」と褒めたその人が背中から手を離す。
「ふむ。これだと自分で結ぶのは難しいだろう。ああ、この鎧を脱いで、また着るつもりだったのかな?」
「……正直、勘弁したいところです」
「では、私に任せてくれ。生憎と君の想い人ではないがいいかい?」
いつだったか、まだお互い学院の先輩と後輩であった頃のやりとりを思い出す。
確信を得たルークは、花のように鮮やかで美しい魂の音を放っている〝誰か〟へと首肯した。
「では、恐れ多くもお願いしていいでしょうか」
「はい、承りました。なんてね」
ゆっくりと指で髪を梳かれる感覚。
驚くほど滑らかな手つきで一本一本髪を解きほぐしていき、あるべき形に整えられていくのが心地良い。
瞼を閉じ、自分の心の音さえも忘れて身を委ねた。
「前にも増してよく手入れされている。並大抵の貴族の子女では、相手にもならないだろう」
「これでも、前より男らしくなったつもりなんですがね」
「だからこそさ。君がちゃんと、君自身を愛せるようになったのが分かる」
「沢山の人と約束しましたから」
「とても良い事だ。私のささやかな助言も役に立ってくれたようだね」
穏やかに紡がれる会話。彼女が消えたその日から過ぎていった月日を感じさせないほど言葉は軽やかで。
だが、いつだって霞のように儚いその存在が、確かにここに実在していることを信じさせてくれた。
(……もしかしたら、とは思っていた。母さんがライオットを見つけた経緯を聞いてから、その可能性は考えていたけど)
まさか、本当に彼女が自分の世界から再びこの世界へ降りてくるとは。
今や記憶の中だけにいるはずだった敬愛する人物との再会に、ルークの心は驚きよりも喜びで満たされる。
「後輩君が立派に成長してくれて嬉しいよ。やはり君を信じ、託したことは間違いではなかった」
「……ありがとうございます」
噛み締めるような感謝だった。
その言葉だけにではない。力も、未来も、道標や答えさえも。全てを彼女は与えてくれた。
一言では表し切ることが叶わないほどの想いを、せめてひと欠片だけでも伝えられることを願って口にする。
「こうしてまた話せるとは思っていませんでした。今度は、どうしてここに?」
「可愛がっていた後輩の顔を見にきた、では駄目かい?」
「光栄です」
きっと悪戯げに笑っているだろう彼女の真意について頭を巡らせる。
掴みどころがなく飄々としているように見えて、その芯には目的と信念を持っている人なのだ。
数刻後に《東の大門》の崩壊が迫ったこの状況で自分の前に現れた、相応の理由が必ずある。
すると、気付く。
「……俺は、貴女のお眼鏡に適う存在になったんですね」
「ああ。今の君であれば、どこに行き、どんなことに直面しようとも乗り越えられるだろう」
「この世界を滅びから救うという約束は果たすつもりです。力の限り、
乱れることのなかった手つきが、ほんの一瞬硬直した。
髪を通して伝わる、微かな感情。
揺れる心の音は、しかしすぐに凪いだ湖面のように戻ってまた手櫛を再開した。
「そうか。少し、残念だ」
「すみません」
「いいや、君が謝ることではない。むしろ私の責なのだろう」
期待に応えられず、恩を返せないことに強く胸が痛む。
ルークの魂は既に
故に、どれほど心苦しくとも彼女の望むことは叶えられない。
「何か、他に俺ができることはありますか?」
「では、必ず生き抜きなさい。挫けず、折れずに。君に願うことは、変わらずそれだけだ」
「……はい」
「さて、これで良いだろう」
固く紐が結ばれ、一つにまとめられた髪が流れて背中へ落ちる。
同時に彼女の手が離れていき、ルークは自分の手で触れてしっかりと束ねられているのを確かめた。
「改めて、ありがとうございます」
「どういたしまして。次はちゃんとやり方を覚えておきなさい」
「はは……貴女ほど上手くやれるか分かりません」
「やれるさ。……ではそろそろ、お暇するとしよう」
一歩。遠ざかった気配に去るのだと理解して、言葉を贈る。
「これからどうするおつもりで?」
「私も剣を振るってみるとするよ。君達と同じように、君達と一緒にね」
「……
「おや。ふふ、まったく……」
少し間を置いて。退けたはずの一歩が、こちらに戻される音がした。
次の瞬間、後ろから両目を塞がれて。
これまでよりずっと近く──耳のすぐそばで、身震いするほど美しい声が囁かれる。
「どうやら、乙女心についてはまだまだ教えなくてはいけないようだ」
一瞬のことだった。
息を呑んだ時にはパッと視界が戻り、振り向くよりも先に気配が消えて。
ついに後ろを見た時には、やはり最初からいなかったように影も形も残されていなかった。
「……また、いつか」
すっかり初頭錬士に戻っていた顔を凛々しく引き締めて、身を翻す。
白亜の円環が刻まれたマントが大きく広がる。
剣立てから引き抜いた《白竜の剣》を携え、竜騎士ルークは天幕を後にした。
外へ出ると、一人の少女が待ち構えていた。
軽装の鎧に身を包み、腰に履いたのは一振りの剣。戦場でもよく目立つであろう紫の髪と同じ色の目が、迷いなくルークを捉える。
「……先輩」
「リィ」
名前を呼び合い、小さく頷く。
ルークが歩き出し、何も言わずともシャーリーがその一歩後ろに追随して、二人は移動を開始した。
駐屯地は静けさに包まれている。既に人界軍は《東の大門》前に陣形を展開し、ここに残っている者は少ない。
補給部隊を含めた後詰めに先んじ、ルークは竜達の混成軍を率いて第一、第二部隊を追う手筈である。
「待たせて悪かったな」
「ううん。私は先輩の傍付きで、副官だから」
「心強いよ」
騎士に迫る類稀な実力と強い覚悟の上、自分の隣に残ってくれた後輩に本心から告げる。
事実アリスやライオットなどの知己が各々の戦場に旅立った後の駐屯地はどこか寂しげで、シャーリーの存在は頼もしいものだった。
反面、未だに「これでよかったのか」と勇ましい後輩に尋ねたい気持ちもある。
これから向かう先はこの世で最も苛烈かつ、凄惨な戦場。血で血を洗い、憎悪と欲望の渦巻く死の坩堝。
そこにロヴィナの手勢までもが現れれば、ルークの戦場はこの戦争の中でも輪をかけて危険なものとなる。
斯様な所に連れて行くべきなのか。
ロニエやティーゼ、そしてキリトのいる補給部隊にいた方が……そう案じる彼に、しかし頑としてシャーリーは譲らなかった。
勝利も敗北も、生も死も。最後まで自分と共に。陰りを知らない意思を汲み取り、こうして歩んでいるのだ。
真っ直ぐに竜達が待っている川辺へと向かうルークに、シャーリーはふと口を開く。
「キリト先輩達に会わなくていいんですか?」
「……ああ。あいつらとも、別れは済ませた」
この五日、幾度もアリスと四人で食事を摂っては、心残りなどなくなるまで話してきた。
次にキリト、ユージオと会うのは、生きて戦場から帰ってきた暁に。決心した横顔を見て、これ以上は無用と悟った。
「リィこそ、最後に話す時間くらいはあるぞ」
「私も同じ。ちゃんと帰ってくるって、二人と誓い合いました」
「そうか。じゃあ、守らないとな」
「ん。守る」
同時に笑みを浮かべた。彼らは互いに
程なく、河川の近くにまでやってくる。
竜達の為に川辺に作られた急拵えの第二発着場。その入り口のようになっている二つの天幕の間を通り抜けた。
その瞬間、ぶわりと全身を撫ぜる分厚い風。
黄昏色に染まった空を揃って見上げると、さながらもう一つのソルスのごとく輝きを放つ白がそこにあった。
ゆるりと振るわれる翼で旋風を巻き起こしながら現れたるは、竜の女王クィーニ。
堂々とその威容を見せつけながら、幼子ほどもある鉤爪で地面を掴んで降り立った彼女はこちらを見下ろした。
《お待ちしておりました。我が王よ》
「クィーニ。調子はどうだ?」
《王と共に大いなる戦いへ身を投ずることのできる幸福に、我が身、我が魂。打ち震えてございます》
「ありがとう。だが、気張りすぎなようにな」
《御意に》
クィーニが姿勢を落として寝そべった。
予備の飛竜の鎧を幾つも鋳潰して作られた鎧に包まれた体の、翼の付け根の間には人間を三人は乗せられる鞍が装着されている。
ルークは垂れ下がっていた手綱を掴み取り、鞍の縁に足をかけて苦もなく騎乗した。
「リィ」
「はい」
差し伸べられた手を掴み、続けてシャーリーが乗り込む。
直後、二人を背にその重さなどまるで感じさせない挙動でクィーニが身体をもたげたことで、慌てて手綱を握り直した。
「っと! 大丈夫か?」
「っ。平気、です」
気丈に答えたが、少しだけ怖かったのだろう。きつく胴に回された手に自分のものを重ねて安心させる。
崖の縁に移動したクィーニの背中から見渡せば、竜達が一様にルークのことを見ていた。
飛竜や地竜、総勢九百に及ぶ瞳には整合騎士に劣らずの闘志が揺らめき、鱗を撫でる闘争の気配に昂っている。
それを瀬戸際で押し留めているのは、王の御前故に。号令を今か今かと待ち望んでいるのは一目瞭然だ。
《王よ。御言葉をいただけませんか》
「わかった」
背後のシャーリーを見る。
彼女は両手を離すと、もう大丈夫だと頷いて示した。それを見たルークは掴むものがなくなった手を《白竜の剣》にかける。
──ィイン。
震える愛剣を、鞘から払う。
涼やかな抜剣の音に竜達がいよいよと瞳孔を開き、僅かな理性で閉じていた顎門を僅かに開いた。
そんな彼らへ、切先を天高く掲げたルークは高らかに声を張り上げる。
「勝利と、未来を!」
──ギュァアアアアアッ!!!
咆哮が、解き放たれた。
折り重なる野生の重奏に地が震え、大気がビリビリと波打ち、世界の全てが恐れ慄くよう。
己の叫びで耳が裂けんばかりに猛る彼らに、ヒィンと《白竜の剣》を《東の大門》の方角に向けて命令を下した。
「全軍、大門へ!」
王の許しが出た。
竜達は我先にと翼をはためかせ、強靭な四肢で土煙を巻き上げて戦場へ向かった。
ルォオオオン────!!
負けじと空を射抜かんばかりに嘶いた女王が、絢爛な群青色の翼を広げて飛び立つ。
力強い羽ばたきで空を駆け上がり、あっという間に駐屯地を豆粒ほどの大きさにしてしまった。
それだけに飽き足らず、空の同胞達を悉く追い抜かし先頭へ辿り着く。それまでに一分も必要とはしなかった。
「……凄い」
「ああ。しっかり捕まってろ、リィ!」
「ん……!」
茜の空に夥しく浮かぶ黒点。その先端で、竜騎士の
次回、開戦。
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