ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜 作:熊0803
新しい学院生活
早いもので、もうひと月が経過した。
上級修剣士としての生活はまずまず、といったところだろう。
初等錬士だった頃より、実技や座学の授業などの難度も格段に上がっている。
生来の努力家なことも一助し、特に問題もなくルークは二年目の学院生活をスタートしていた。
キリト達のフォローもやりつつ、貴族とも上手く付き合っている。
ルルディという、ある種の抑止力が
彼らのことを差し置いても良き日々を過ごせていると、ルークは確信していた。
そして何より、一番に変わったことは……
「っと。ちょうど良い時間か」
鐘の音が響き、刻を報せる。
清涼な音色にルークは顔を上げ、初等錬士寮の刻限三十分前のそれに呟いた。
そんな彼の右手に、小さな包みが大切そうに抱えられている。
「あまり待たせても悪いからな……」
少し急ごう、と気持ちを改め、彼は上級修剣士寮の扉を押し開く。
かつては呼ばれて来るだけだったそこは、今や彼の新たな住処なのである。
寮監に挨拶を済ませ、自分の部屋に向けて階段を登るルーク。
ギシリ、と軋む板の音さえも、多くの錬士が使うことで傷んだ通常の学院生寮とは違う気がする。
その音を聴きながら、ルークは一段、また一段と上階へ歩を進めた。
程なくして、自室の前へと到着する。
集合部屋とは比べるべくもない、上品な作りの木扉に、ノックを一つ。
「入るぞ」
「……はい」
小さな、けれど確かな答えが部屋の中から返ってきた。
それを確認してから、ドアノブを捻って押し開き、中に入る。
とある理由で独占している部屋には、一人の修剣士が待ち構えていた。
「……ルーク上級修剣士殿、ご報告します。本日の清掃、完了しました」
揃えたブーツからカチッ、音を鳴らして敬礼する、小さな初等錬士。
美しい紫の髪を一部括った、少女と女性のちょうど中間にいる、絶妙な美しさを持つ少女。
告げられた報告に視線を巡らせれば、輝いて見えるほどにしっかり綺麗になっている。
自らの傍付きであるその子女に、ルークは胸を張り、空いている右手で敬礼を返す。
「ご苦労、シャーリー初等錬士。実に良い働きであった」
「……ふふっ」
「おっと、格好つけすぎたか?」
「……いいえ、ありがとうございます」
芝居掛かったルークのセリフに一瞬笑ったシャーリーは、すぐにそう返した。
頷いたルークは敬礼をやめて、二歩ほど彼女に歩み寄ると、包みを差し出した。
「ということで、はい。今週も頑張ってくれたお礼だ」
「……!」
小さく目を見開いたシャーリーは、キラリと瞳を輝かせる。
その包みは、大きさを鑑みれば大層なものが入っているとは到底思えない。
けれど、慎重に両手で受け取る様を見れば、彼女にとっては価値のあるものなのだと分かる。
「あんまり時間がないから、いつも通りここで食べていくといい。お茶くらいなら出すぞ?」
「……心から尊敬します、先輩」
「はは、そりゃ良いお返しだ」
片時も包みから目を離さないシャーリーに笑い、ソファへ誘うルーク。
顔を綻ばせる少女に微笑みつつ、ルークは戸棚にある茶葉を取り出した。
ルークの生活において何よりの変化は、彼女の存在だ。
シャーリー・ティリーモア。
ほんの些細な出会いをした彼女を傍付きに任命してから一ヶ月、それなりの関係を構築している。
ある意味、学生の頂点に立つ上級修剣士は、入学したての錬士にとっては畏敬の的。
その為、普通に会話をできるようになるまで二ヶ月はかかるのが通例だ。
幸い、元より年下の相手が得意なルークは、なんとかその半分で打ち解けられた。
彼女が基本的に感情を表に出さないだけで、善良で素直な性格だったこともあるだろう。
あるいは、彼女が包みから取り出している、跳ね鹿亭の蜂蜜パイで餌付けしたとも言う。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
そっと置いたカップに、シャーリーはようやく顔を上げた。
甘いものに夢中な様子は、貴族でも普通の少女と同じだ。
そう思いながら対面に腰を下ろすと、ようやくシャーリーはパイに口をつける。
「あむ……ん」
小さな口で、味わうように咀嚼する。
桜色の唇は上に向けて弧を描いていて、堪能していることが伺えた。
「美味しいか?」
「……ん。まだ、温かい」
「天命が減ると勿体ないないと思って、急いで帰ってきて良かったよ」
ご満悦な様子のシャーリーを見ながら、ルークは続けて一言。
「それに、
ピタ、と一瞬動きを止めるシャーリー。
すぐにまた咀嚼を再開したが、少し細められた瞳で見つめられ、ルークは首を傾げる。
つい数日前に呼ぶことを許されたあだ名を、早速使ったことがまずかっただろうか。
「はむ……先輩は変態」
「ええっ、いきなり印象が悪くなったな。やっぱり愛称は早かったか?」
「そうじゃないけど……ちょっとビックリ」
どうやら、あだ名を呼ぶのはそう悪いことではなかったらしい。
では他に理由が? と思いながらも、ルークはまず謝る。
「悪かったな。気をつけるよ、リィ」
「……ん。私は先輩の傍付きだから、許すしかない」
「おっと、どうやら俺は悪者みたいだ」
これは参った、と笑うルークに、シャーリーも目元を緩ませるのだった。
「学院での生活は慣れたか?」
「……ちょっとずつ。色々と新鮮で、楽しい」
「ああ、分かるぞ。俺も色々楽しみながら慣れていったんだ」
ぽつぽつと、少しずつパイを齧りながら話すシャーリーに、ルークは相槌を打つ。
村の衛士と、五等爵氏とはいえ貴族。
立場は違うが、この学院に入れば等しく修剣士であり、大概は同じ体験をする。
そして二人は、未知の体験に心を躍らせる類の人種であった。
「神聖術とか、剣技の授業は面白い。けど、教官が怖い」
「あー、あの教官。あの人はとりあえず、言われた通りのことを実践すれば、後は口はそんなに出してこないぞ」
「ん、そんな感じ。だから型をしっかり──」
その時、バタバタと廊下から音が聞こえてきた。
室内によく響いたそれに、ルークもシャーリーも口を閉じる。
程なくして、誰かの足音と思われる、女の子らしい歓声混じりの騒音は止む。
「……今のは多分、ロニエとティーゼ」
「ああ、あの二人か。てことは、やっとキリトが帰ってきたみたいだな」
ロニエとティーゼ。
シャーリーと同じ下位貴族の子女であり、傍付き指名の時ルークに怯えていた二人だ。
今でこそ、キリト達を介した交流で打ち解けているものの、最初はかなり怖がられていた。
「キリト先輩は、いつも自由奔放」
「本当にな。大方、窓からでも入ってきたんじゃないか?」
冗談めかして言えば、小さくシャーリーが笑う。
が、東三番通りから帰ってくるには窓からが最短コースだ、という弟分の言をルークは知っていたりする。
「そういえば今日、跳ね鹿亭で大量に蜂蜜パイを買っていった修剣士がいたって聞いたな……さてはキリトのやつ、買い込んだか」
「ロニエとティーゼは、それをもらった?」
「あいつがやりそうなことだ」
苦手にしているくせに、上手く人心を掴むのがあの弟分の得意事だ。
くすくすと笑うシャーリーに、ふとルークは尋ねる。
「リィは、平気か? 他の奴らとの関係は」
「……ん。確かに嫌な目を向けられることもあるけど、上手くやってる」
「そうか。それならいいんだが……」
初等錬士の中で、傍付きに任命される12名は羨望の的であり、ともすれば嫉妬の対象。
そのことをよく理解している彼は、小さな傍付き錬士の身を案じていた。
理由は単純にそれだけではない。
ルルディが使っていたこの部屋は、実のところ他の部屋に不備があった場合の予備の部屋だったのだ。
それなのに、部屋には茶器や書物といった、彼女の痕跡が残っていた。
あえて残したのだろうそれらを、当然寮監や他の上級修剣士は不気味に思う。
それに乗じて、ルークは寮監を得意の弁舌で丸め込み、占有地とした。
彼女の残滓を守りたい、という思いからだったが、少し悪目立ちしてしまった。
だからこそ、自分の傍付きである彼女を案じるのだ。
「むしろ、そういう嫉妬より別の意味で大変……主に女子的に」
「ん? どういうことだ?」
「……なんでもない。ロニエとティーゼも、仲良くしてくれるから大丈夫」
「同じ傍付き同士、ってことか……それでも、困ったことがあれば言えよ。いつでも駆けつけるから」
平民にできることなんてそうないが、と心の中で続けながらも、そう告げる。
すると、シャーリーはまた少し動きを止め……勢いよく残り少ないパイを食べた。
そして紅茶を飲み干すと、すくっと立ち上がる。
「……とても美味しかった。ありがとう、先輩」
「いつも掃除とか、色々ありがとうな」
「ん。それじゃあ、初等錬士寮に戻る」
「急ぎすぎて転んだりしないよう、気をつけるんだぞ」
「……ん」
小さく頷いたシャーリーは、今一度礼をすると部屋から出ていった。
扉を潜ったところで振り返り、会釈をして足早に去っていく。
律儀に閉められた扉の向こうで、彼女のブーツが床を蹴る音が響いた。
「……あいつ、ちょっと耳赤かったけど大丈夫かな?」
──ィイン
ルークの科白に応えるように、甲高い音が脳裏に響く。
振り返れば、壁にかけられた白の剣が静かにそこに在った。
「──ようやくここまで来たぜ、相棒」
己の愛剣に向けて、ルークは呟く。
「あと少しだ。あと少しで、あの塔に辿り着ける」
上級修剣士になるという、当座の課題は達成した。
次は、卒業検定試験で他の修剣士九人を倒し、ルーク達三人のいずれか二人が学院代表に。
「まあ、しばらくは第三席としてあいつらの壁になってやるさ」
──ィイン
戯れの言葉に、白剣は返答してくれる。
そのことに笑みを浮かべながらも、ルークはこれから先のことを思い浮かべた。
学院代表として帝国剣武大会に参加、優勝を果たし、その後の四帝国統一神前大会にて勝ち残れば……
「必ず、一年後に到達する。そして──」
あの日、己が蛮行によって連れ去られた大切な少女を、必ず。
「俺は、絶対に諦めない。アリスを取り返して、今度こそ……」
キリト達共々、絶対に守ると。
──示せ。お前の、意思を。
その決意に、どこからか厳かな声がした。
読んでいただき、ありがとうございます。