ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜   作:熊0803

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楽しんでいただけると嬉しいです。


別れと戒め

 

「おいおい、何言ってんだよアリス」

「そんなの、こっちに決まってるだろう?」

 

 そう自信たっぷりに言ったキリトとユージオは、それぞれ指で指し示した。全くもって別方向を。

 

 互いの顔を見合わせ、やいのやいのと言い争いを始める二人にアリスは嘆息し、唯一頼りになりそうなルークに目線を移す。

 

「……え、あれ、そういやどっちだっけ……?」

 

 しかし、ルークもまたその道を覚えてはいなかった。

 

 普段、こういう時は最後までちゃんと計画を立てているのがルークだが……しかし、これまでとは比べ物にならない大冒険だ。

 

 ルークとて年頃の少年、衛士の職により多少大人びていると言っても、心が浮き立つのまではどうにもできない。

 

 自然と、衛士の訓練で鍛えられた記憶力は《青薔薇の剣》を見たことで抜け落ちた。従って帰り道もわからない。

 

「ちょっとルーク、どうするのよ」

「いや、すまんすまん。ええと、確かこっちだったような……?」

 

 朧げながら、先ほどキリト達を驚かせるのに使ったと思しき氷柱を目印にして、ある一つの出口に向かうルーク。

 

 喧嘩をしていた二人もアリスも、ルークについていけば問題ないだろう、といつものように考えてついていく。

 

「足元に気を付けろ、いきなり飛び跳ねたりすんなよ?」

「おいルーク、いくら俺でもそんなことしないぞ」

「あら、どうかしら」

「アリスまで!」

 

 広場につながる水路の一つであるそれを、ルークを先頭にアリス、キリト、ユージオの順番に並んでカンテラの光を頼りに進んでいく。

 

「しっかし、すまなかったなぁ。衛士の俺が帰り道をよく覚えてないなんてよ」

「それを言ったら、私たちだって同じだわ」

「どうせなら、ベリル兄弟みたいにパン屑を落としながらくれば良かったかもな!」

「はは、そいつは良い案だ」

 

 笑ってキリトの提案を聞いていたルークは、不意に耳がある音を拾い立ち止まる。そしてハンドサインでアリス達を止めた。

 

 続けて静かにするよう指示すると、カンテラを押さえて極力雑音を消し、〝その音〟に耳を澄ませる。

 

 

 

 ヒュゥ……ヒュゥ……

 

 

 

 高く、時折低く変わるその音。地下水の清涼なせせらぎが混じり、少々聞き取りづらいが……

 

「これは、風の音だ」

「じゃあ、出口だ!」

「あっ、おいユージオ!」

 

 やはり最初に食いついたのはキリト……ではなく、ユージオ。安堵の声と共に、笑顔で半ば走り出す。

 

 用心深いルークは止めるも、早く不気味な洞窟から出たいユージオは手の届く距離外にすっ飛んでいってしまった。

 

「やれやれ、元気なこった」

「もう、ユージオは臆病なんだから」

「はは、女の子のアリスに言われてちゃ、あいつも世話ないな」

 

 ため息を吐いて、苦笑するアリスたちと肩を竦め合うとその後を追いかける。

 

「こらっ、待てユージオ。俺が先頭だろ?」

「あうっ」

 

 少し走って、ユージオの襟首を掴むルーク。その力に逆らうことはできず、ユージオはグンと急停止する。

 

 首が締まる前に手放し、結果尻餅をついたユージオにルークは手を差し出した。バツが悪い顔でそれを取り、立ち上がるユージオ。

 

「ったく、危ないかもしれなってのに」

「そう言いつつも、キリトも少し嬉しそうよ?」

「そ、そんなことねえし!まだここにいても平気だし!」

「おっ、ならもう一回氷を集めに戻るか?」

「うへぇ、そいつは勘弁」

 

 ひとしきり言葉を投げかけ合い、笑った四人はまた一緒に進み出した。薄暗い洞窟でも、皆がいるのなら耐えられる。

 

 それでも不安はあるもので、それを消し去るためにいつも通りの掛け合いをしながら進むことしばらく。

 

「おっ、風の音が大きくなってきたな。そろそろ外に出られるんじゃないか?」

 

 最初は僅かな音、今や水の音をかき消すほどに大きくなった風の音にキリトがそう言う。

 

 それを肯定するように、道ゆく四人の前に僅かな光が見えてきた。自然と笑顔になり、足は早まる。

 

(……外の光が赤い?まだそんなに時間は経ってないぞ)

 

 村に帰った後のことを考えているのか、軽い足取りの三人に対し、ルークはここにきて生来の用心深さを発揮していた。

 

 彼の体内時計では、洞窟に入ってから僅か1時間。氷を集めていた時間を加味しても、二時間も経っていない。

 

(なのに、外の光が赤らんでいる?()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ルークの勘が、警報を発した瞬間だった。

 

 これまでルークが悪戯を成功させてきたのは、頭の回転の速さと綿密な計画、そして慎重さ……だけではない。

 

 それ以外に、もう一つ。ルークは異常なまでに勘が鋭かったのだ。それがここぞという時に危険を知らせてきた。

 

(……まっ、今回は気のせいだろ。俺も初めての大冒険で慎重になりすぎてんのかな)

 

 ……今思えば、この時ルークがその勘に従っていれば、この後の悲劇が起こることはなかったのだろう。

 

 ああ、けれどもう遅かった。最大の武器にして防具だった勘を蔑ろに、ルークは三人を連れ、いよいよ出口まで行ってしまい──

 

 

 

「──なんだ、これ」

 

 

 

 そこにあった光景に、目を見開いた。

 

 

 ●◯●

 

 

 ルークたちの目の前に現れたのは、入った時と変わらぬのどかな景色……ではなかった。

 

 代わりにあるのは、とてつもなく不気味な光景。まるでこの世界の負の側面をそのまま体現したような場所。

 

 空は真っ赤だった。しかし夕日の赤ではなく、まるで家畜の鮮血をそのままぶちまけたようなおぞましい赤色。

 

 対する地上は黒一色、奇形の岩山も、奥の針のように尖った山脈も、ねじれた木々に至るまで、その全てが漆黒。

 

 そんな暗黒の荒野に吹きすさぶのは、荒々しい抜き身の刃のような風。それは確かに、ルークたちが聞いた音。

 

 すなわちそこは──

 

「──ダーク、テリトリー」

 

 呆然としたルークのつぶやきが、やけに大きく洞窟の壁に反響した。

 

《ダークテリトリー》。それは人界を収める公理教会の威光が及ばない、闇神ベクタを報ずる魔族の支配する地。

 

 村の年寄りたちの話の中でしか存在を知らなかったそれが、今目の前にある事実に体の芯から冷たくなる。

 

「あ、ぇ……」

 

 ルークの喉から、かすれた声が漏れる。

 

 これまで、ルークは誰よりも色々なことに挑戦してきた。

 

 それは年相応の好奇心であったし、キリトたちに先入的な恐怖を持たせないための彼なりのやり方だったのだ。

 

 だが、これはその範疇を超えていた。完全に記憶した禁忌目録の最初の方の一文が、繰り返し脳裏に浮かぶ。

 

「禁忌目録第一章三節、十一頁。『何人たりとも、人界を囲む果ての山脈を越えてはならない』……」

 

 口に出して自分に言い聞かせるように言った言葉。それはアリスたちを我に返し、顔を青ざめさせるには十分だった。

 

「い、いけないわ、ここにいちゃ……」

「あ、ああ、これ以上進むのは……」

 

 だめだ、というキリトの言葉は、空高き場所から聞こえてきた固く鋭い音によってかき消された。

 

 ルークは思わずカンテラを取り落とし、アリスとキリトは口をつぐみ、二人の肩を取ろうとしていたユージオは硬直する。

 

 パリン、とカンテラが割れる音でまた我に返って、反射的に空を見上げた。そこには、赤い空で交差する白と黒の閃光が。

 

「あれって……」

「竜騎士だ」

 

 断続的な金属音と共に何度も激しく交差するそれを見て、キリトがかすれた声でユージオの言葉を引き継ぐ。

 

 そう。空を舞い、死闘を繰り広げている者は長い首と尾、三角形の両翼を持つ飛竜に跨っていたのだ。

 

「白いのは多分、整合騎士。そして黒いのは……」

「闇の軍勢、ダークテリトリーの騎士、か」

「ま、負けないよね?」

「当たり前だろ、だって整合騎士は人界最強なんだから」

 

 そう、そのはずなのだ。自分が村を守るために幼い頃に諦めた、あの美しき鎧を纏う竜を駆り天を舞う騎士は。

 

 そんなルークの言葉を肯定するように、白い方の竜が大きく首をたわめ、黒竜に向かって炎を吐いた。

 

 直撃を受けた黒竜はふらつき、当然跨がる黒騎士も揺れる。その隙を逃さず、瞬時に赤銅色の大弓に持ち替えた騎士は弦を引き絞る。

 

 

 

 ヒュンッ!

 

 

 

 これだけ距離が離れてなお届く、一矢の音。それは炎を引き連れ、黒騎士の胸の中心を真っ直ぐに貫いた。

 

 ぐらり、と黒騎士が竜から落ちる。あっと声を上げたのはアリスか、ユージオか……あるいは四人全員か。

 

 最初に、ルークたちのすぐ目の前に黒い剣が突き刺さった。次いで近くの岩山に、力尽きた黒竜が落ちて轟音を上げる。

 

 最後に、黒騎士が剣のすぐ側に落ちてきた。グシャ、とやけに生々しい音が四人の耳朶を震わせた。

 

「ぁ、が、ぉ、ァ……」

 

 黒騎士は、まるで助けを求めるように震えるその手をこちらに伸ばしてきた。その姿に、思わず見入ってしまう。

 

「ぁ、ァァアアアア……ゴプッ」

 

 長くは続かなかった。程なくして喉元あたりから大量の血を吐き出した黒騎士はそのまま事切れ、動くことはなかったのだ。

 

 息絶えた黒騎士の、ポッカリと穴が空いた胸から血が広がっていく。それはダークテリトリーの、黒い地面に染み込んでいった。

 

「あ……あ……」

 

 それを見て、アリスがか細い声をあげて、ふらふらと黒騎士の方に歩いていく。

 

 ユージオはアリスのように、死んだ黒騎士に釘付けになっていた。対するキリトはいち早く異変に気付く。

 

 そして、こういうとき誰より早く忠告を飛ばすルークが気づいたのは……キリトがアリスに制止の声をかけたときだった。

 

「アリス、ダメだッ!!!」

「っ!!」

 

 覚醒。一拍遅れて、初めて人の形をしたものが死んだ様を見て真っ白になっていた頭が状況を確認。

 

 そして、アリスが自分の横を通り過ぎていくところで状況の深刻さを確認し、咄嗟にアリスに突撃するように抱きつく。

 

「アリスッ!!」

「きゃっ!?」

 

 普段なら説教では済まされないこと、しかし初の経験に混乱していたルークはアリスともつれ合いながら転んだ。

 

 どさり、という音が洞窟に木霊する。それはアリスとルークの体が地面に横倒れになった音だ。

 

「はぁ、はぁ、アリス、だいじょ、う、ぶ…………」

 

 荒い息を吐きながら、ルークはアリスを見て。

 

「あ……」

 

 その右腕の先、ふっくらとした手のひらが異様にくっきりしたダークテリトリーとの境界線を、()()()()()

 

「う、そ……」

「だろ……」

「あ、アリス!ルーク!」

「っ!!」

 

 呆然として動けないでいる二人の体を、キリトとユージオが掴むと全力で洞窟内に引き戻す。

 

「アリス、アリス!」

「え、あ、ユージオ……」

 

 ユージオが茫然自失な様子のアリスの肩を必死にゆすると、ハッと元に戻る。そうすると恐る恐る自分の手を見た。

 

 そこには、黒い砂や小さな石がいくつか残っていた。それはまるで、その事実を突きつけているようで。

 

「わ、わた、私……!」

「だ、大丈夫だよ!山脈の外に出たわけじゃない、ちょっと手で触れただけだ!そうだろキリト!」

「あ、ああ」

 

 アリスの手から砂を取り、励ますユージオとキリト。そのすぐそばで尻餅をついたルークは、未だに呆然としていた。

 

「お、俺が、アリス、を……」

 

 アリスを押し倒した自分の両手を見下ろすルーク。やがてどちらも震え始め、顔を青くしていく。

 

 そんな極限の精神状態だったためだろうか。ふと何かに見られている気がして、天井を見上げた。

 

 また、同時に同じような気配を感じたキリトもつられてその方を見上げると──

 

「シンギュラー・ユニット……ディテクティド。アイディー・トレーシング……」

「な、ぁ……!?」

「なん、だあれ……!?」

 

 それはとても奇妙だった。水面のようにユラユラ揺れる紫色の園の中に、のっぺりとした人の顔があったのだ。

 

 男とも女とも、また若いとも年寄りともわからない青白い坊主頭のそれは、ルーク……ではなく、アリスを見ている。

 

 遅れてアリスとユージオも気づいて、四人は謎ののっぺりとした人の頭を目を見開いて凝視した。

 

「コーディネート・フィクスト。リポート・コンプリート」

 

 ガラス玉のような瞳と無機質な声で謎の言葉をつぶやき、それを最後に紫色の円は閉じてしまった。

 

「今のって……」

「……わからねえ。でも、なんか神聖術の式句に似てた気が……」

「と、とにかくここを離れようよ!アリス、立てる?」

「う、うん」

「ほらルーク、お前もだ!」

「あ……」

 

 キリトがルークを、ユージオがアリスをそれぞれ立ち上がらせる。

 

 

 

 そして、肩を貸すとその場を逃げるように後にしたのだった。

 

 

 ●◯●

 

 

 翌日。

 

「四十、六!」

 

 煌々と地上を照らすソルスのもと、キリトとユージオはいつも通りギガスシダーの伐採に勤しんでいた。

 

 若く生い茂る緑葉の間を、竜骨の斧がコーン、コーンと心地よい音を立ててギガスシダーを叩く音が駆け抜けていく。

 

「これで、ラスト!」

 

 五十回叩き終わったキリトは竜骨の斧の先端を地面に沈め、額に伝う頬を拭ってやりきった浮かべる。

 

「わっ、すごいねキリト。今日はいい調子じゃないか」

「ふう、まあな。なんだか体に力がみなぎってよ」

 

 すでに時刻は昼を回ろうかというところ、ソルスがほぼ真上に来ている中で、既に二人は九回ほど交代していた。

 

 その間、キリトはユージオよりも三回ほど良い音を出していた。またシラル水を奢りかな、と苦笑するユージオ。

 

「しし、キンキンに冷えたパイとミルクが楽しみだぜ」

「ふふ、そうだね」

「それにしてもルークのやつ、平気かなぁ」

「……うん」

 

 休憩がてら隣に座った相棒のぼやきに、ユージオは少し表情に影を落とす。

 

 

 

 

 

 昨日、あれから無我夢中で村まで帰り、四人はそれぞれ不安を胸に抱えながらも一夜を明かした。

 

 

 

 

 

 寝て起きたら割とけろっとしており、別に大丈夫だろと考えるキリトと、それに引っ張られた。ユージオ。

 

 そんな二人とは反対に、ルークは相当思い悩んだ様子だったのだ。その原因は、やはりあの時のことか。

 

「門を出るときも、あいつ見張りなのにぼーっとしてたしな」

「うん、いつもはちゃんと仕事をこなしてるのに。仕事してるのにね。ルークのあんな顔、初めて見たよ」

「まっ、アリスの昼飯食ったら多少はマシになるだろ!」

 

 そんな楽観的なことを言いつつ、立ち上がって竜骨の斧の握り手を差し出すキリト。

 

 それをユージオが笑って取ろうとしたとき……サッと前触れなく日差しが陰った。雨雲かと見上げる二人。

 

 しかし、もっととてつもないものだった。澄み渡る青空、そのかなり低いところを白銀の竜が飛んでいたのだ。

 

「あれって、飛竜……!?」

「もしかして昨日の整合騎士か!?」

 

 言葉はそれ以上不要だった。ルーリッド村の方へ飛んでいく飛竜を見て、二人は慌てて追いかけ始める。

 

 なぜ、どうして。もはや通り慣れた森の中を走り抜ける二人の頭の中に、繰り返しその言葉が浮かんだ。

 

 そうしている間に、飛竜の影は消える。二人はさらに急ぎ、長年彫み手たちが作った獣道を駆け下りていった。

 

 やがて、街道に出る。そこにある麦畑の中で、村の農夫が空を見上げていた。

 

「リダックのおじさん!飛竜はどっちにいった!?」

「あ、ああ。どうも、村の広場に行ったみたいじゃが……」

 

 農夫からもたらされた情報に、漠然とした目的地が教会前の広場に修正される。

 

「おい、キリト!ユージオ!」

 

 他にも数人の呆然とした農夫の間を走り、ほどなくして見えた南門の前で見覚えのある人物が手を振っていた。ルークだ。

 

 三人は言葉を交わすことなく合流すると、門を抜けて買い物通りを抜け、小さな石橋を超えて……そこにたどり着く。

 

 

 

「グルルルルル……」

 

 

 

 広場の奥の半分を、飛竜の翁体が占領していた。各所に取り付けられた鋼の鎧が、ソルスの光を反射して輝く。

 

 そして、竜の前にもう一人。鏡のように磨かれた白銀の重装鎧を着込み、竜の頭を模した兜と十字の面頬をつけた騎士が。

 

 村の誰より大きな巨躯を持つその騎士は、腰に同じ銀の剣。そして背には一メル半はありそうな赤い弓。

 

 昨日の整合騎士だ。村の住人全てが集まり、多くがこうべを垂れる中、三人はアリスの姿を探す。

 

 すると、最後列にその後ろ姿を見つけた。籐籠といつもの青いエプロンドレスのアリスに、こっそりと近づく。

 

「おい、アリス」

 

 キリトが名前を呼ぶと、アリスは金髪を揺らしながら振り返った。そして驚きの表情を浮かべ、口を開く。

 

 慌ててユージオが口に人差し指を当てた。アリスはハッとして、自分の口を右手で塞いだ。

 

「アリス、今の内にここを離れよう」

「え、どうして……」

「もしかしたら、あの整合騎士は……」

 

 キリトが最後まで言い終える前に、大人たちの間から一人の男が騎士の前に進み出た。

 

「あ、お父様……」

 

 ガスフト・ツーベルク。引き締まった体を革の胴衣に包み、炯々とした眼差しと綺麗に切り揃えられた口髭を持つこの村の村長。

 

 そして今アリスが呟いた通り、彼女の父。そんな彼は騎士の前に歩み出て、公理教会の作法に則った一礼をした。

 

「ルーリッド村の村長を務める、ツーベルクと申します」

「ノーランガルス北域を統括する公理教会整合騎士、デュソルバート・シンセシス・セブンである」

 

 ガスフトの厳格な声音に対し、整合騎士の声はまるで人が出すとは思えない、異質な冷たさを持つもの。

 

 それに四人の体がすくみあがる中、一瞬ひるんだガスフトはしかし気丈な面構えで騎士に言葉を投げかける。

 

「人界をあまねく律する整合騎士閣下がこのような辺境の小村にお越しになるとは、なんたる光栄。ささやかながら歓迎の宴を擁し差し上げたいと存じますが」

「公務の途中ゆえ、必要ない」

「は……して、今回はどのような要件でこの村に?」

 

 ガスフトの疑問に、スッと整合騎士は鎧と同じようにまばゆい輝きを持つ手甲の人差し指をもたげる。

 

 その指先と、十字の面頬の奥に隠された怜悧な瞳がまっすぐに示すものは──無意識に動いたルークの背中に隠された、アリス。

 

「ガスフト・ツーベルクの子、アリス・ツーベルクを、禁忌条項抵触の咎により捕縛、連行し、審問の後に処刑する」

「な────」

 

 最初に、ぐらりとルークの体が揺れた。「お、おい!」とキリトとユージオが支え、倒れることを防ぐ。

 

 次いで、民衆のざわめき。アリスの小さな背中が震え、村人は整合騎士が指し示すアリスを見て離れていく。

 

 ぽっかりと円が開いた中、ルークを支えたキリトたちも改めて脳内で整合騎士の言葉を反芻して、目を見開いた。

 

 ガスフトもまたたくましい体を揺らした後、瞠目してアリスを振り返る。その目には困惑と、絶望と、恐怖が混じり合っていた。

 

「…………騎士閣下、我が娘が、一体どのような罪を犯したというのでしょう」

 

 しばし沈黙してから、ガスフトはひねり出すように喋った。

 

「禁忌目録第一章三節十一頁、ダークテリトリーへの侵入である」

 

 二度、ざわめき。今度はより具体的なものとなり、子供達は呆然と口を開き、大人たちは口々に呪い避けの印をきる。

 

 ああ、ダメだ。このままではアリスが連れていかれる。本能的にそう悟った二人は立ち上がり、小さな体でアリスをかばう。

 

「ま、待ってくれ!アリスはダークテリトリーになんて行ってない!」

「ほんの少し、そう、少しだけ手先が触れただけなんです!」

「それ以上の理由が、どうして必要であろうか」

 

 二人の弁明は、一言で切り捨てられた。まるで昨日、この整合騎士が切って捨てた黒騎士のように。

 

 二人が呆然としているあいだに、整合騎士の名により村人によってアリスは捕らえられ、整合騎士の前に連れていかれた。

 

 我に返った時には、時すでに遅し。奇妙なことに虚ろな表情の村人と、沈痛な面持ちのガスフトに拘束具を取り付けられている。

 

 すでに、アリスは諦めているのだろう。二人と、その後ろで尻餅をついているルークに大丈夫だよ、と微笑んだ。

 

「くそっ、こうなったら俺たちでなんとかするしかない……!」

「ど、どうにかって、どうやって……」

 

 アリスの微笑みに歯噛みしたキリトは、もはや混乱が限界に達し、何をどうすればいいのかわからないユージオに提案する。

 

「俺が、この斧であの騎士に斬りかかる。その間にお前は、アリスを連れて逃げるんだ。南の麦畑に飛び込んで、畝の間から森に入ればそうそう見つからない」

「なっ──」

 

 キリトの提案は、おそらくはこの世界で最も危険で恐ろしいものだった。ユージオは激しく葛藤する。

 

 確かに、大人たちが頼りにならない中でそれしかないのかもしれない。だが、それは同時に死を意味しているのではないか?

 

 それに騎士に斬りかかるということは、公理教会との明確な敵対を意味している。この世で最大の、許されざる大罪。

 

 禁忌目録の第一章一節、一頁……最初の最初には、《教会への反逆》と記してあるのだ。

 

「き、キリト、それは無茶だよ……!お前も昨日のを見てただろう!?殺されちゃうよ!」

「それがどうした!だったらお前は、アリスのことを諦めるのかよ!」

「それ、は──」

 

 よくない。言い訳がない。だってユージオにとって、アリスは大切な──

 

「ご苦労。もう下がれ」

 

 ユージオが迷っている間に、整合騎士は竜の首の根元の鎖にアリスの体に巻きついた拘束具の留め金をがちゃんとつけた。

 

「もう時間がない!おいユージオ、お前にとって禁忌とアリスの命、どっちが大事なんだ!」

 

 耳朶を打つその言葉に、ユージオはそうだと思った。

 

 禁忌などよりも、アリスの方が比べようがないくらいに大事だ。だったら、どうするかなんて決まって──

 

 そこまで考えて、ユージオの頭の奥から鋭い痛みが発せられた。それは右目に伝達し、燃えるような痛みに変わる。

 

「づっ……!」

「ユージオ?おい、どうしたんだユージオ!」

 

 キリトが呼びかけるが、ユージオの耳には届かない。

 

 痛みが思考を阻害し、赤く染まった右の視界に変なものが見え出す。それは何度も何度も言い聞かせるようにユージオに言った。

 

 公理教会は絶対である。禁忌目録は絶対である。逆らうことは許されない。何人たりとも許されることではない──

 

「う、ぁ……」

「くっ!」

 

 ユージオは動けないと判断し、キリトは一人でもと斧を握って飛竜の背に跨った騎士に鋭い視線と向けた。

 

 それに反応したか。整合騎士はゆっくりと、自分に刃向かおうとするちっぽけな少年に面頬を向ける。

 

 

 

 ──ギィンッ!!

 

 

 

 その瞬間だった。キリトの手の中から、甲高い音を立てて竜骨の斧が弾き飛ばされたのは。え、と間抜けな声がキリトの口から漏れる。

 

 今のはなんだ、騎士は動いてすらいないのに、まるで()()()()()()()()()()()()ように──

 

 

 グォッ!

 

 

 唖然とするキリトと、頭を抱えて目を見開くユージオの背後から突如手が迫る。それは二人の頭を押さえつけ、地に叩きつけた。

 

「がっ!?」

「ぐはっ!?」

 

 苦悶の声を漏らす二人。肺から一瞬で空気が抜け、硬い地面に打ち付けた全身から脳に痛みが伝達される。

 

 一体何が。まさか村人たちに押さえつけられたのかと、二人は必死に首をひねって手の主を見て──

 

「公理教会は絶対である。公理教会は絶対である。公理教会は絶対である……」

「なっ!?」

「る、ルークッ!?」

 

 二人を押さえつけていたのは、ルークだった。誰よりも予想外の相手に頭が真っ白になるキリトとユージオ。

 

「お、おいルーク、離せッ!アリスが!」

「ルーク!?一体どうしたの、ルークッ!」

「公理教会は絶対である。公理教会は……」

 

 右目が真紅に染まった少年は、繰り返し禁忌目録を繰り返していた。

 

 ただ一つ、違うことがあるとすれば……

 

「公理、教会、はっ、ぜった、いで、ある……ッ!!!」

「ルーク、お前……」

 

 ルークは、おとぎ話の中に登場する悪鬼の如く顔を歪めていた。

 

 両目はヤギの肉を裁くナイフよりも釣り上がり、そこから幾筋も涙が溢れる。食いしばった歯の奥からは、奥歯が砕ける音が響いていた。

 

 まさしく修羅、赤から青に点滅する見開かれた右目ときつく締め付けられた眉根は、そのままルークの怒りを表していた。

 

 それは果たして騎士にか、それとも……

 

「グオオオオオ!」

 

 飛竜の鳴き声に、ルークの顔を見ていた二人は正面に向き直る。すると、ちょうど飛竜が飛び立つところだった。

 

 飛竜の鎖にくくりつけられたアリスも宙に浮き、彼女はキリトたちに振り返ると寂しそうな微笑で呟く。

 

 

 

 

 

 さ よ う な ら 。

 

 

 

 

 

「ア…………」

「アリス──────────ッ!」

 

 キリトの悲痛な叫びも、涙を流すユージオの絶望も、もはや空高く舞い上がった騎士にも、アリスにも届くことなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は、俺を、絶対に、許さない…………ッ!!!」

 

 ただ、二人の耳にルークの怨嗟のこもった声だけがいやに大きく残るのだった。

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