ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜 作:熊0803
掌に付着した、自分の血を見る。
まだ、鮮明な赤色をしていた。傷を与えられたことよりも、そこに安堵する。
それでも見続けていれば別の色に塗り変わっていく気がして、ぎゅっと握りこむことで隠しこんだ。
「……見事だ」
「そうでしょう。あんたのように邪悪な……」
辛辣な言葉を浴びせられると思っていたルークは、不思議そうに眉をひそめる。
どうしたことか、途中で口を噤んだイーディスは、無言で《闇斬剣》なる神器を構えた。
「……無駄なおしゃべりはおしまい。かかってきなさい。今度こそ、切り捨ててあげる」
鋭い剣気が発せられ、《闇斬剣》に乗せられる。
何が都合の悪いことでもあったのだろうかと、つい呑気な疑問が浮かんだ。
しかし、今更いかなる疑問も興味も己には不要だろうと、《白竜の剣》を正眼に立てる。
「フッ──!」
「シッ──!」
そして、再び剣戟の逢瀬を始めようと一歩を踏み込んだ。
まさにその瞬間、《雲上庭園》を激震が襲った。
自分の体を支えることさえままならないほどの衝撃に、二人は慌てて足を止める。
そうすると、忙しなく顔を振り回して激しい音が発生している場所を探った。
やがて、彼らの視線はある一点──奥部の壁に定まる。
「キリト!?」
「アリスちゃん!?」
そこでは、驚くべき光景が繰り広げられていた。
黒い煌めきと黄金の輝きが、互いを飲み込まんと吹き荒れている。
黒い煌めきは、キリトがその手に持つ、見覚えのある黒塗りの柄──無銘の黒剣から発せられたもの。
その刀身を不定形に変え、何十と枝分かれし肥大化した様は、まるで原典たるギガスシダーのよう。
対する黄金の輝きは、アリスの手に携えられた《金木犀の剣》によるものだった。
キリトと同じように、その刀身を無数の花弁のようなものに変えたそれで、彼の身を切り刻まんとしたのだろう。
明らかに、《武装完全支配術》によるものだった。
この人界において最高峰の戦士だろう整合騎士との戦いで、その奥義を使うのは当然だろう。
ただ、唯一問題だったのは。
その黒と黄金の力の本流が混ざり合い、まるで爆発でも起こしたように破裂したことだ。
「「ッ────!?」」
ルークとイーディスが息を呑む前で、二人の《武装完全支配術》により壁が大きく崩壊する。
無限に等しい天命と、《不朽の壁》に並びうる超高優先度を持つはずのカセドラルの壁が、壊れたのだ。
互いに驚きをかに貼り付けた二人は、外から吹き付けた強烈な突風に身を引かれ。
そして、ぽっかりと空いた穴の外へと投げ出された。
「キリトッ、アリス────ッ!!?」
「アリスちゃん──ッ!!」
叫び、走り出すも既に時は遅く。
あっという間に彼らの視界から、青空の中にあったシルエットは下へと消えた。
愕然とするルークとイーディス。無為に伸ばした腕をそのままに、彼と彼女の消えた穴を見る。
そんな彼らをあざ笑うかのように、転がっていた瓦礫がひとりでに動き始めた。
不可思議に浮かび上がった破片の数々は、内外から集まっていくと自然に穴を修復していく。
「あああぁああっ!!」
あっという間に小さくなっていく穴に、ルーク達よりもずっと二人の近くにいたユージオが駆け寄った。
彼我の距離はたったの二メル。
だが、それを走破するよりも早く──無慈悲に、壁は最後の石を自ら嵌め込んだ。
「くそっ、壊れろ! 壊れろよ!」
悪態をつきながら、ユージオが何度も拳を叩きつける。
遠く離れていても、その鈍い殴打でユージオの手が壊れていく音が聞こえた。
やがて、痛みに耐えかねたのか、心が折れてしまったのか、力なくユージオは膝をつき。
「キリト──っ! アリス────っ!」
己の無力を嘆く様に、慟哭した。
天井へ向けて吠える彼を、ルーク達はやはり呆然と見つめていた。
彼らは、いまだに目の前で起こった現実を処理できず、石像の様に固まってしまっている。
「ルークっ! キリトとアリスがっ、二人がっ!」
だが、振り返ったユージオの必死の叫びでようやく我を取り戻した。
揃えたように目に意識を戻すと、反射的に走り出そうとする。
一歩踏み出して、その音で互いの存在を思い出すと再び体を停止させた。
「「…………」」
ジリジリと少しずつ足の位置を変えながら、互いの様子を伺う。
剣呑に光る双方の瞳には、この隙に乗じて斬りつけてやろうなどという不埒な思惑は欠片もなかった。
代わりにあるのは、ほんの少しでも早く、あの壁の向こうに消えた仲間のところへ行きたい──そんな一致した想いだけ。
それだけ確かめることができれば、十分だった。
互いに剣を収めこそしないものの、その闘志を幾分か弱めていく。
ついには牽制程度に収まったところで、ルークは耳をすませた。
(──聞こえた。壁に阻まれて、相当小さいが……あいつらの心意は、消えていない)
魂を聞き分けるその力が、ルークに安堵を与えてくれた。
ホッとする彼を見て、急に意識をどこかへ集めたのを察知していたイーディスは柳眉を顰める。
そんな彼女に構うことなく、ユージオに向けて声を張り上げた。
「安心しろ! 二人はまだ死んでない!」
「何だって!? だ、だけど、何でそんなことが──」
「信じろ! あいつらは生きてる! 絶対にだ!」
狼狽えるユージオを落ち着かせる為、さらに言葉を募った。
それを聞いて心を乱したのは彼だけではないようで、警戒も忘れてイーディスが反応する。
「あんた、今の本当なの!? アリスは生きてるのね!?」
「嘘を言ってどうする! どういう状況かは分からないが、塔の外でちゃんと生き残ってるよ!」
嘘を言ったら殺すと言わんばかりの彼女の剣幕に、同じほど必死な声音で答えを返す。
これまで塔を登ってきて、ルークの目測では凡そ一階層は六メル。
一際広大だった《霊光の回廊》を含めても、地上までは約五百メルの高さがある。
もし落下していたのなら、死体も残さず木っ端微塵になるのは確実な高度だ。
故に、落ちてもかろうじて生きているということはなく、必然的にほど近い場所にいることになる。
何より、幾ら何でもそんな距離ではルークの〝耳〟でも心意を聞き取れるはずがなかった。
「──だから、確実に死んではいない」
「よ、よかった……」
「……あんたの言葉が本当だって証拠は?」
「何なら外のテラスに出て、そこから確認してきてやろうか?」
「ええ、できるなら是非そうしてちょうだい」
ピリピリとした空気の中で、多分に棘を含んだ言い合いを繰り広げる。
とはいえ一部本気であり、ルークもできることならテラスに戻って、そこからこの翼を使い安否を確かめに行きたかった。
(だが、さっき翼を使った感覚からして、そう長く飛ぶことはできない。おそらく、あいつらを探し当てるよりも前に俺が力尽きて墜落死する)
これだけ人を捨ててなお、至らない自分に心底腹が立つ。
万能を求めたわけでもなく、ただ一つの願いすらまともに叶えられないのだから、失望もするというものだ。
だが、そんな風に自己嫌悪するのが今するべきことではないのは、よく分かっている。
故に、厳しい表情で考え込んだ彼の出した結論は……
「……ユージオ。お前は先に上へ行け」
●◯●
「なっ、何を言ってるんだ! 二人を助けるのが先だろう!?」
「だからこそだ。確か、上層のどこかに塔の外へ行けるような場所がある。まずはそこを探せ」
「万が一、二人が見つからなかったら!?」
「……その時は、一人でも先に進むんだ。あいつらは俺に任せろ」
「っ、君はどうする!?」
「俺は、この騎士を足止めする」
静かな声で告げられた策に、ユージオは悔しげに俯いた。
そのまま、暫く逡巡するように肩を震わせていたが……やがて、立ち上がって鞘に《青薔薇の剣》を収める。
そうすると、入ってきた石扉とは反対方向に設置された扉に向かって踵を返した。
「……ルーク! 後で、絶対に追いかけてこいよ!」
「…………ああ、出来たらな」
今一度、強く拳を握りしめて。
様々な葛藤や、複雑な思いを飲み込んだ青衣の青年は、《雲上庭園》を後にした。
数分の後、上階へ通じる扉の閉まる音が響く。
その後には、互いを睨みつける二人の剣士だけが残った。
ルークは、鋭く眼差しを尖らせる女騎士に真っ向から見返す。
「……そういうわけだ」
「あのお仲間さんたった一人で、何ができると思ってるの?」
「何でもできるさ。なにせあいつは、一度決めたらあらゆる困難をやり遂げる、自慢の弟分だからな」
力強く、その言葉の通り心から信じているように、ルークは笑う。
イーディスの中で、また少し違和感が膨れ上がった。
「……さっき、仲間だけじゃなくてアリスちゃんのことも気にしていたけど。あれはどうして?」
そのせいか、またしても口を滑らせる。
自覚はないが、既に彼女の中で戦意よりも疑問の方が優ってきていた。
「……あいつも、キリトも。俺にとって大事な存在だからだ」
「何を……あなたのような元一般民にとって、アリスちゃんが大切な存在だなんてありえないわ」
「それは整合騎士が天界から召喚されたという話か?」
「ええ。そして私達整合騎士は、任務以外で市井の人々と関わることは最高司祭様に禁じられている。だから、あなたと面識があるはずがない」
淡々と事実を述べるように語り続けるイーディスだが、ルークはそれが偽りだと知っていた。
全て、アドミニストレータが己への忠誠と過去との断絶を行うための嘘でしかない。
だが、それは彼女達にとって純然たる事実だと思い込まされているのだ。
だがそれを口にはせず、代わりにある質問を投げかける。
「……逆に聞こう。貴女にとって、アリスはどんな存在だ」
今まで交わした会話の中で、彼女がアリスに親愛を抱いているのを何となく感じた。
先ほどの反応もそうであるし、最初にルークとの間に割って入ったこともある。
同じ騎士を邪悪な者から守る為、と言われればそれまでだが……何か、それだけではないように感じた。
「同じ誉れ高き整合騎士であり、妹のような存在よ。だからこそ、拐かそうとした貴方は許さない」
答える彼女の声に、その胸の内の湖面に、一つの揺らぎもなかった。
変わらず聞こえる音は澄んでいて、心の底からそう思っていると確信するには十分。
だからだろうか。ルークは、次にこう言った。
「……俺が彼女の幼馴染だ、と言ったら?」
「………………なんですって?」
「俺だけじゃなく、さっきのユージオや、
「何を……」
馬鹿げたことをと、そう続けようとして、しかしその滑らかな声がそれを言うことはなかった。
これまでの、アリスに対するルークの態度を思い出す。
最初に、心からの謝罪をした時。
彼女を見る目の中に感じた、慈しみと、後悔と、優しい愛情。
それは自分が彼女にいつも向けるものと似通っていて、故に、たとえルークのように心意を読めずとも感じ取れた。
彼の言葉に乗った重みは、心意は、とても即興でアリスを騙すために取り繕おうとしても出るものではない。
(あれは、本物のように感じた。でも……)
イーディスの中で浮上した可能性は、三つ。
一つは、自分でも見破れないほどこの男の演技が上手いというもの。
一つは、実はこの男も元は天界に住んでいて、アリスを知っており、何らかのきっかけで人界に落ちた、というもの。
そしてもう一つは──その言が全て真実である、というものだ。
(でも、そんなことがあり得るの? だとしたら、私達は…………)
最後の予想の先にある事実を薄々ながらも察し、イーディスは内心冷や汗を流す。
ならば、最初の予想がやはり正しいのか。
そう思考を巻き戻して──思い浮かんだのは、学院でのこと。
彼に剣を届けに、その手を酷く傷付けてまでやってきた小さな少女。
彼女がルークに向けていた淡い気持ち、その口付けもまた、本物だった。
それがあまりに純粋で、アリスが告げた一分という制約が過ぎても見逃してしまったが……
(……分からない。目の前にいるこの罪人の、本当の姿が分からない)
罪を犯したことは事実だ。元老院の法の管理が誤るはずがない。
その反面、彼が多くの人間に慕われ、愛されるような人物であることも確か。
その二面性とも呼べる複雑さに、イーディスは刹那の時間を何倍にも引き伸ばしたように高速で思考を回転させ。
「………………詳しく、聞かせなさい」
ひとまず、信頼でも敵対でもなく、様子見という結論に落ち着いた。
ルークは表に出さず、ほっとする。彼女と戦うことは、どうしてか心が痛んだのだ。
(アリスを慕ってくれているようだし、それに……彼女もライオットの仲間だ)
自分に真実を、無情の支配者に抗う力を与えてくれた、快活な騎士。
何百年も仲間達を欺き続け、苦悩しながら、それでも未来の為に、傀儡とされている彼らの為に戦ってきた。
整合騎士は、決して分かり合えない存在ではない。
彼のように己の道を選ぶ意思も、今目の前にいるイーディスのように、誰かを大切に思う心だって持っているのだ。
「……なら、一旦休戦ってことでいいな」
「もし嘘だとわかったら、その瞬間斬り殺すから」
「分かってるさ」
ずっと互いに向けていた剣を、ようやく下ろす。
《白竜の剣》と《闇斬剣》をそれぞれ鞘に収め、いつでも抜けるよう手を添える。
そうして、ようやく対話の姿勢を取った。
「じゃあ、早速話を聞かせてもらいましょうか」
「ああ」
(……さて。何をどう話すべきか)
未だに厳しい目つきでいるイーディスに、ルークは思考をうならせる。
まずアリスとのことや、自分の目的を話すことは、この時間の根幹なのだから確実だ。
次に教会やアドミニストレータのことまでも明かすことは……少々躊躇せざるをえない。
アリスの過去、つまり騎士になる前のことを話せば、必然的にその秘密も暴くことにはなるだろう。
果たして、同じ整合騎士たる彼女にそれを言うべきか、それとも言わざるべきか。そこが問題だ。
(極力、慎重に話をしよう。彼女の中にも植えつけられているだろう枷を刺激せず、かといって隠し過ぎて嘘だと思われないように)
塾考を終えた後、ルークはやや重々しい口調で語り出した。
●◯●
「まず、これを最初に言っておく。アリスは、天界から召喚されてなんていない。普通に両親から生まれて、名を授かり、普通の女の子として育っていた、人間だ」
「……本当に? あんな天使みたいに可愛いのに?」
一瞬、聞き取った言葉への理解が遅れた。
イーディスの表情を見れば、真剣そのもの。とても天使だとか言ったように見えない。
きっと何か聞き間違えたのだろうと気を取り直して、続けて話す。
「彼女の本当の名前は、アリス=ツーベルク。ルーリッドの村の村長、ガフスト=ツーベルクの娘で、修道女見習いとして教会で暮らしているセルカ=ツーベルクの姉だ。パイを焼くのが得意で、歳のわりにしっかりしていて働き者な、村の子ども達の人気者だったよ」
「それが作り話なら、大した想像力ね」
「作り話じゃない。何故なら……」
そこで、一旦言葉を止める。
自分の意思に関わらず、拒むように喉に張り付いた舌。
それを、無理やり引き剥がして。
未だ失われぬ、最も忌まわしい記憶を口にした。
「俺が、彼女を罪人にしてしまったから」
「アリスが、罪人? 何を言ってるの? 言葉の意味によっては……」
《闇斬剣》に手をかけたイーディスに、険しい表情でルークは打ち明けていく。
「八年前。俺はアリスやユージオ達を含めた四人で、果ての山脈の洞窟へ探検に行った。そこで、出口を探して迷い、洞窟を抜けて……暗黒領域へと出てしまったんだ」
「…………それで?」
「初めて見る荒涼とした大地に、俺達は言葉を失った。すると、暗黒騎士が目の前に落ちてきた」
今でもまだ、思い出せる。
騎士らしき者と撃ち合い、敗北して、虚空に血の筋を描きながら墜落した騎士。
自分達の目の前に落ちたその騎士は、助けを乞うように手を伸ばして。
それに手を伸ばし、踏み出していったアリスを──
「……俺が、掟を破らせた。騎士を助けようと歩き出した彼女を止める為に押し倒して。だが、俺のその行いこそが、彼女に暗黒領域の地に侵入するという禁忌を犯させたんだ」
「………………」
「今でも思う。あの時、俺が何もせずに、ただ言葉で彼女を諌めるだけにしていれば……何も、失わずに済んだんじゃないかって」
たった少し、指先が暗黒領域の土に触れただけ。
それだけで容赦なく咎人として捕縛し、連れ去った整合騎士を、教会を恨んできたが。
それと同じほどに……いいや、その何倍も、ルークは自分を憎み続けていた。
「その罪を償う為に、俺は剣の腕を磨いた。そして二年前、キリトと
初めて戦った暗黒領域の怪物達は、恐ろしいほど殺意に満ちていて。
その時、声を聞いた。
思えば、あの時それを耳にしたのが、全ての始まりであり、終わりだったのだろう。
不思議と懐かしく思いながらも、懐古の念を抑えてイーディスへと語る。
「そしてザッカリアの街の衛兵隊に入り、資格を得て央都の修剣学院の門を叩き。……今、俺はここにいる」
ようやく一つ区切りをつけて、ルークは今一度イーディスを見た。
彼女は非常に難しい顔をしていた。これまでの話を信じるか、詐称と断ずるか。
そんな中間の感情を浮かべながら、それでも何か感じたものがあるのか、黙して考える。
「…………どうして。同じ修剣士を斬ったの?」
じっと待っていると、数分の時を経て彼女はおずおずと問いかけてきた。
何故。そう聞かれて、あの時自分の心にあったものを思い返してみる。
在ったのは、怒り。醜い欲望のままに他者を辱める者と、それを許す法を作った教会への憤怒だ。
「キリト達の側付き……後輩が、奴らに陵辱されようとしていた。彼女達と、助けに行ったユージオ達を守る為に。俺は、奴を斬り殺した」
「……それで、貴方がまた罪を犯すことになると知っていて?」
「関係ない。この手が血で汚れることよりも、あんな誇りの欠片も持たず、貴族の特権に溺れた悪党どもの蛮行を見逃す方が許せなかった」
「で、そんな後輩を守るために罪を被った貴方を、私は縛り上げてカセドラルまで連れてきたわけね」
「そういうことになるな」
ごく軽めの暗い冗談に、ふっと微かな笑みを互いに見せた。
それから、また表情を消したイーディスは何かを考え込む。
「……うん、そうね。なんだか、悪いやつではなさそう」
ルークには聞こえないような、小さい声で何事かを呟く。
すると、《闇斬剣》にかけていた手を両方とも外してしまった。
驚いて、思わずルークの方も《白竜の剣》を握っていた手を緩めてしまう。
「いいわ。貴方の話を信じましょう」
「……本当か?」
「ええ。貴方の言葉に嘘は感じられなかったし、私に信じてほしいという誠実さも感じた。貴方自身に向けた、後悔もね」
だから、と彼女は、幾分か緩くなった目つきでルークを見て。
「聞かせて。貴方が何を成し遂げる為に、ここまでやってきたのか。何を知り、感じてきたのか。それで、貴方がどういう人間か判断させてもらうわ」
「……喜んで」
天の采配か、はたまた類稀なる幸運か。
歩み寄りの態度を見せたイーディスに、ルークはいよいよ全てを話す決心をした。
「これから話すことは、貴女にとって……教会を信じる整合騎士にとって、とても辛いものだと思う。ともすれば、貴女は憤慨し、今度こそ俺を殺そうとするかもしれない」
「それを決めるのは私よ。そして貴方の話を聞くと決めた時点で、その用意は出来てる」
「おっかないな……だが、それなら俺も覚悟を決めるよ」
──それから、ルークは全てをイーディスに話した。
ライオットとの邂逅。スワロウから告げられた人界の真実。
アドミニストレータの数々の非道、その一つである、整合騎士と名を与えられた者達の本当の姿を。
自分がここまでやってきた目的──かけがえのないものを取り戻したいという想いも。
その話はいくら手短にしようとも、長く、重々しいものだった。
三十分を超え、一時間もの時を過ぎた頃に、ようやく全てのことを語り終える。
「──だから、俺はアリス達の記憶を取り戻す。その為にアドミニストレータを倒し、そして、人界の未来をも守りたい」
「……………………」
「これで、俺の話は終わりだ。正真正銘、これまでの旅路の全部だよ」
ふぅ、と疲労の溜息を一つ。
少しカラカラとする口の中に、こうなっても喉は乾くのかと苦笑する。
それから、恐る恐るイーディスのことを見た。
彼女は、ずっと黙ったままだった。
途中何度か質問を挟みはしたものの、大きく怒りを露わにすることも、取り乱すこともなく、話に聞き入っていた。
じっと見つめてくるルビーのような瞳に、何度言葉がつっかえそうになったか。
果たして、その甲斐はあったのだろうかと答えを待ち──
「……なるほど。つまり、貴方達は小さくて可愛い、今とは別の意味で天使のアリスちゃんを取り戻しにきたわけね」
ごくごく真剣な様子で放たれた言葉に、その場でひっくり返りそうになった。
●◯●
ガクンと力の抜けた両足に慌てて喝を入れると、腕を組んで胸を張っているイーディスを見る。
「お、俺の話を最後まで聞いた答えが、まさかのそれか?」
「だってそういうことでしょう? 最高司祭様が奪った記憶を取り戻せば、アリスちゃんは今よりもっと天使になる。違う?」
「いや、そりゃまあ、間違ってはいないけど……」
「納得がいったわ。天界からやってきたって言うのなら、たとえステイシア神によって過去の記憶を封じられてもこの私が忘れるはずがないもの」
可愛いは正義、と言わんばかりに主張するイーディスに、今度はルークが困惑する番だ。
どうやら思っていたより、この女騎士は自分の感情が優先的らしい。
その反応を見るのが狙いだったのか、ニヤリと悪戯げに笑ってから、「でも」と続ける。
「実は、前々から疑問には思っていたの。整合騎士が天界から送られてきたなんて話、何だか違和感があるって団長も言っていたし……」
「整合騎士団の団長が?」
ええ、と肯定する彼女に、ルークは驚きを隠せない。
よもや、最初にして最強たる整合騎士が人界の支配者を疑っているとは。
あるいは、誰より長く彼女の人形になっているからこそ懸念を持ったのだろうか。
いずれにせよ驚くべき事実に、ルークはアドミニストレータの不安は的中したことを皮肉げに笑った。
「それにね、貴方の話を聞いて改めて考えると、何もかもがおかしいのよ」
「おかしいって、何が?」
「いくら私達整合騎士が一騎当千の力を持っていても、広大な暗黒領域の全てと対等に争えるはずがない。十数人で境界を守るのが関の山なのが、いい証拠よ」
「それは確かに……貴女達は日々闇の勢力と戦い続けているわけだが、実際はどうなんだ?」
「凄いわよ、一匹殺したら十匹は湧いてくる感じ。近頃では、暗黒領域の総力は数万にも上るのだとか。そんな相手に、たかだか三十人ぽっちの騎士団だけで人界を守る? 馬鹿じゃないの?」
「お、おう」
そんなことできるわけないじゃない、と臆面もなく言うイーディスに、少し気圧される。
彼女はアドミニストレータへの盲目的な忠義より、自分の現実的主観で判断を下していた。
ブツブツと恨み節を吐く姿には、整合騎士本来の厳格さはあまり感じられない。
「いろいろ合点がいったわ。時折他の騎士が昔のことを忘れてるのも、最高司祭様が私達を信じておらず、都合のいいように調整しているから」
「……そうだ。奴は貴女達を自分の駒に仕立て上げ、支配欲を満たしているだけだ」
「私達が人界の中で、カセドラルにしか滞在を許されないのは、ばったり騎士が自分の家族や友人と出くわさないようにするため」
「奴には何て説明されてたんだ?」
「〝整合騎士は人々の生活を守るのが責務であって、そこに介入して余計な混乱を生まないように〟、よ。まったく、とんだ詭弁ね」
怒りを押し流すように、イーディスが深いため息をつく。
それから、いくつか自分の中の矛盾を解消しているのか、何度も納得したように頷く。
「よし、決めた! 私はこれ以上、貴方と刃を交えない。そう誓いましょう」
「……いいのか? 今更だが、貴女はアドミニストレータを守る為にここにいるんだろ?」
「思うところがないわけじゃないわ。でも、アリスちゃんや私達の記憶を弄ったことは許せないし……何より、彼女の心の安寧のために、人界が滅ぶなんて認められない」
己が偽りの存在と知って尚、イーディスは折れることはなくそう宣言した。
彼女の言葉に乗る決意に、信念にはどこにも作り物めいたものはない。
本当に、心の底から人々の命を憂いているのだろう。
(とても強く輝く、漆黒の魂……あぁ、本当に、本当に綺麗だ)
ルークは、そんなイーディスに心底見惚れた。
たとえ、本来の自分を消されて、代わりに与えられたのが欺瞞でも。
それを信じる騎士自身が真に気高いのならば、決して空虚なものではないのだろう。
「だから、最高司祭様の企みを止めるのには賛成よ。まあ、協力してはあげられないけど」
「それで十分だよ。もう、君と戦いたくない」
「あら。お姉さんに惚れちゃった?」
「……かもしれないな」
動きを止めたイーディスから目線を外し、瞼を閉じる。
考えるのは、目の前にいる騎士のこと。
強く、美しく、気高くて、それでいて優しい、一人の整合騎士。
ただアドミニストレータに操られ、法を守るだけではない心の持ち主。
(……やはり、この人しかいない)
胸の中に生まれた朧げな感情に形を当てはめ、目を開く。
それから、何故か顔を真っ赤にして狼狽えているイーディスへ話しかけた。
「イーディス。貴女に一つ、頼みがある」
「なっ、なにっ!? 変なこと言ったらぶった斬るわよっ!?」
「……何をそんなに怒ってるんだ?」
「何でもないっ! それで! 頼みって何よ!」
謎の威圧感を放つ女騎士に若干動揺しながらも、ルークはそれを告げた。
「もしも、これから俺が俺じゃなくなって。守るべき大切なものを傷つけようとしたら。その時は──この首を、刎ねてほしい」
「………………何を言ってるの?」
一瞬でイーディスの表情が変わる。赤みは消え、僅かに怒気が漏れ出した。
「もうダメなんだ。きっと俺は、そのうち全て忘れてしまう。その時、大事な人達をこの手で害するようなことがあれば、生きている価値がない」
今、こうして歩み寄ることができたこの女騎士との会話さえ、いずれ消えてしまうだろう。
悲しくて心惜しいその想像は、必ずやってくる未来で、報いなのだ。
「俺は、愛すべきものを守る為に生きてきた。それを忘れてまで、この世界に存在したくない」
「………………」
「だから、頼む。俺が全てを捨ててしまったその時には、他の誰より……君の手で終わりたい」
最後まで言い切って、深く頭を下げる。
それ以上何も言い残すことはないとでも言うようなその姿に、イーディスは眉を顰めた。
(なんで貴方は、最初から終わることを決めているの? 抗おうと、生きようとしないの?)
他人のイーディスから見ても、自分の命を軽んじていることが簡単にわかる。
それを自覚していないならまだしも、理解した上で受け入れていることがどうしようもなく手遅れだ。
目的を果たす為なら自分はどうなってもいい──そんなことしか考えていないのだろう。
けれど、それこそ他人の彼女がここで諭しても意味はないに違いない。
愚直な態度に、深くため息を吐いて……そして彼女は頷いた。
「ええ、分かったわ。貴方が完全に自分を失った時は、私が倒してあげる」
「……ありがとう」
感謝の言葉とともに挙げられた顔には、やはり微笑が浮かんでいた。
妙に心をチクチクと刺すその顔に納得できないものを覚えながらも、撤回の気持ちは押し込める。
「それで、上へ行くの?」
「ああ。ユージオが心配だ。それに、なんとかしてキリト達を助けないと」
「……その体で?」
ルークの体を上から下まで見て、胡乱げな眼差しで言う。
話の過程で、そうなってしまった経緯は大まかに聞いていた。
先の願いの所以でもあろうその姿で、ルークは儚げに笑う。
「ああ。短いが、時間は残されてるはず────」
ドグッ!!
その時、イーディスにも聞こえるほどの脈動が花畑に木霊した。
驚いて目を見開くと、表情を苦悶に歪めたルークが胸を押さえて崩れ落ちる。
「あっ、ぐっ…………!」
「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」
「ま、だっ……あと、少し……っ…………頼む…………っ!!」
喘ぐように言うルークに、慌てて駆け寄る。
間近でその壮絶な表情を見て、言葉を失った。
「うっ、ぁっ…………」
「え!? ちょ、ちょっと!」
願いは聞き届けられなかったのか、ぐるんと白目を剥いたルークは意識を手放す。
揺らいだ体は地面に向かっていき、イーディスは咄嗟に手を伸ばした。
程なく両手の中にやってきた体は、思った以上に重々しく、バランスを崩して前につんのめった。
「ふぐっ……!」
結局、支えきれずにルークの体は膝の上に収まってしまう。
間に挟まれている両手を引き抜き、感覚が麻痺しかけた手首を軽く振り回した。
「ふぅ……まったく、厄介な男の子だなあ」
十分に感触が戻ってきたところで、じとりと睨み下ろす。
苦しげな表情で呼吸を繰り返す横顔には、先程までの余裕がない。
少し年相応になったルークを、イーディスは押しのけることはなく。
『あら。お姉さんに惚れちゃった?』
『……かもしれないな』
「……別に、だからってわけじゃないけど」
やや不服そうな、しかし不機嫌ではない声音で。
軽く頬を膨らませ、誰に向けたわけでもない悪態を零すと、少し姿勢を変える。
それはルークに負担のかからないもので、彼女はそっと乱れた長い灰髪に手を置いた。
「ちょっとだけなら、休ませてもいいわよね」
イーディスの手が、優しくルークの髪の上を滑っていった。
いやあ、流石にメインヒロイン。勝手に指が動きまくった。
読んでいただき、ありがとうございます。