ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜   作:熊0803

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今回。ルークの登場は最後です。


楽しんでいただけると嬉しいです。


使命を糧に、命を贄に

 

 

 

 

 

 

 それは、死の間際に見る幻だっただろうか。

 

 

 

 

 

 霜に覆われた九十九階層。

 

 そこで横たわるルークは、未だにステイシア神の元へ召されてはいなかった。

 

 己の霜と、アリスの懸命な治療により、僅か天命を残し生きながらえている。

 

 五千を超えていた天命の値は二十四となり、風前の灯であった。

 

 

 

 

 

 その中で。ルークは、不思議なものを見た。

 

 心を取り戻した青薔薇の青年が、己のしたことへの悔恨を抱きながら女神の居室へと戻る。

 

 小さな道化の詰問を躱し、ただ唯一その居室にあるベッドへと入っていった。

 

 中で待ち構えていたのは、絶頂を体現したかのような、凄まじく美しい紫銀の少女。

 

 彼女は胸の中へ青年を誘い、そして彼の魂に突き刺した氷の棘を引き抜いた。

 

 

 

 

 

 倒れ込む青年。その頭を撫でながら、彼女は告げる。

 

 もう一度、その心の扉を開放しなさい。そうすれば貴方を愛してあげる、と。

 

 官能的なその囁きに。しかし、青年は罪となすべきことを胸に己を奮い立たせ。

 

 痺れる躯体を解き放つと、彼女の胸に刃を突き立てようとした。

 

 

 

 

 

 術により、その試みは失敗に終わる。

 

 吹き飛ばされた青年は壁の剣の装飾に衝突し、血を流した。

 

 彼に衣服を消失させられた少女は、虚空に浮いたまま優雅に足を組み、くすりと笑う。

 

 せっかく罪人を許し、愛してあげようとしたのに。支配してあげようとしたのに。

 

 そう。彼女の与える、彼女にとっての愛とは支配。全てを奪うことで一切を忘れさせること。

 

 今なら許してあげるわ。そう言って、彼女は賢者の与えた短剣の破壊を命じた。

 

 

 

 

 

 けれど。青年がそれに応じることはなかった。

 

 毅然とその鏡のような瞳を見返すと、はっきりとした口調で告げる。

 

 可哀想なのは、そんなふうにしか愛を語れない貴女の方だ、と。

 

 愛とは何かの見返りや、取引で与えるようなものではない。

 

 花に水を注ぐように、ただひたすらに与え続けるもの。それが愛だと、訴えた。

 

 

 

 

 そのココロ()に、ある人々の顔が浮かぶ。

 

 かろうじて覚えている。村の老人。世話焼きの女性。優しい夫妻。

 

 幼い金髪の少女。制服に身を包んだ大柄な男に、利発そうな赤毛の少女。

 

 そして。自分の頭を撫でる、格好つけな灰色の髪の男がいた。

 

 たとえ兄弟に、親に愛されておらずとも。彼は誰かに愛され、愛していたのだ。

 

 彼が抱えていた強い飢えは、確かに満たされてもいたのだから。

 

 

 

 

 

 そう答えた青年に、少女は白百合のように儚い美しさを捨てた。

 

 代わりにその身に纏うのは、人を圧倒する神の気迫。

 

 そこにいるのはもはや少女ではない。女神だ。

 

 青年が女神に挑む。しかしその力は絶大で、傷一つつけることすら叶わない。

 

 どうしようもなく心細くなった青年に。ふと転調が訪れた。

 

 

 

 

 

 主の命を遂行しようと消えていた道化が、居室へと戻ってくる。

 

 そうして剣を抜いている青年を罵倒するが、すぐにそれは焦りと恐怖に変わった。

 

 何故、と問い詰める女神に答える前に、道化が恐れる所以がやってくる。

 

 その足をむんずと掴み、この階層から居室へと現れたのは。

 

 覚悟を決めた顔の、黒衣の剣士と黄金の騎士だった。

 

 

 

 

 

 青年は、彼らを見た途端に無上の感動と、しかし同時に罪悪感に苛まれる。

 

 けれど、そんな相棒の陰気を吹き飛ばすようにして黒衣の剣士が笑いかけた。

 

 幾度となく救われてきたその明るい笑顔に、青年も儚げな微笑みを返した。

 

 そして、彼の傍にいる騎士。ずっと恋焦がれ、取り戻そうと追いかけてきた少女を見る。

 

 呪縛を断ち切り、そこに立つ隻眼の彼女は、女神にその訳を問われ、答えた。

 

 

 

 

 騎士の使命とは、人界の守護である。

 

 来たる厄災に備え、彼らの命を守ることこそが、自分達の正義であると。

 

 故に、彼女は女神の傲慢と執着、その全ての集合であるこの白亜の塔に叛逆の意を示した。

 

 女神はただ微笑むだけ。彼女の言葉など、当たり前すぎて答えるに値しないのだろう。

 

 

 

 

 

 そんな女神の代わりに、道化が激昂した。

 

 最高司祭と教会を何より愛する滑稽な小男は、女神に青年達の排除を約束する。

 

 そして、褒美に彼女を求めた。女神はそれに、嘘に満ちた笑みで頷く。

 

 下手な喜劇のように喜び勇んだ道化は、青年達を排除せんとその身を賭す。

 

 

 

 

 

 恐るべき術師である彼が生み出したのは、炎の悪魔であった。

 

 何十という炎の素因がより集まったそれは、一度触れればその身を灰とする劫火の化身。

 

 この人界の誰にも真似できぬであろう、彼が編み出した最強の絶技であった。

 

 

 

 

 

 二人の青年と、一人の少女は果敢に悪魔へ挑む。

 

 苦闘の末、彼らは見事道化の炎神を打ち破ると、下郎の胸に今度こそ剣を突き立てた。

 

 血を噴き出し、倒れる道化。炎神が塵のように消え失せる。

 

 己の為に奮闘した、哀れなその小男に、女神はつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

 至極退屈な見せ物だったと、転がった道化の骸を隅へと捨て去りまでした。

 

 

 

 

 

 そうして、ようやく青年達は女神と正面から対面する。

 

 女神に異界よりの使者であると告げられた黒衣の剣士は、彼女の行いが間違いだと言った。

 

 いかにも図書室のちびっ子が吹き込みそうなことだ、と女神は嘲笑して取り合わない。

 

 次に少女が、騎士達なき後人界を守る術はあるのかと問いかける。

 

 また、自分達から過去を、愛する人を奪い、敬愛を信じず、絶対の忠誠を埋め込んだのは何故かと。

 

 

 

 

 

 女神は、それこそが信頼であり、愛だと答えた。

 

 あらゆる苦悩から解き放ち、煩雑な考えを捨て、いつまでも綺麗な人形でいさせるためだと。

 

 刻斬りの騎士長を、天穿の女騎士を、緋髪の騎士や、あの美しい騎士にそうしたように、貴女も記憶を消してあげると。

 

 ある種の救いをもたらそうという彼女に、されど少女はその胸を引き裂くような悲しみを放棄しない。

 

 その剣を床に突き立て、痛みこそが己を証明するのだと、そう言った。

 

 

 

 

 

 それさえもくだらないと嗤う女神に、また黒衣の剣士が語る。

 

 所詮、女神も元を辿れば人の子。過ちを犯したことは事実なのだと。

 

 そして、いくら彼女がこの人界を弄び、己が身だけを愛そうとも、創造者達にとっては些事だと。

 

 このまま人界が滅べば、失敗の一つとして全てを消し去り、また始めるだろうと。

 

 そう。この世界を創り上げた者達と同じ世界から彼はやってきたのだ。

 

 

 

 

 

 では、お前達はどうだと女神は問う。

 

 お前達も創造主に創り出されたのではないか。消されない為、粉骨砕身したかと。

 

 否、と女神が断ずる。自分達のような命を悪戯に創り上げた者達がそんなことをするはずがない。

 

 だから己も、彼らに屈することはない。あくまで支配し、それこそが全てなのだと。

 

 

 

 

 

 ならばと、黒衣の剣士は言い募る。

 

 ここで引き下がるわけにはいかない。二年の時を過ごし、慈しんだこの世界を、終わらせるわけにはいかないのだ。

 

 そして、何よりも。

 

 この世界を、異邦者である自分より……誰より愛し、守ろうとしたあの兄のような男の為に。

 

 ここで言葉を止めてしまえば、彼が命を賭した意味こそが失われてしまうと、そう猛る。

 

 

 

 

 女神は真に、この人界を全くの無価値と見ているのか。

 

 すべてが蹂躙された後、孤独の玉座で胸を張るのかと、彼女の失敗を責め立てる。

 

 すると──女神は、そんなものはとっくに考えていると、悠然に笑った。

 

 彼女が手を掲げる。そして、長き時をかけ、整合騎士という()()()を用いる間に編み上げた、最高の術式を唱えた。

 

 

 

 

 

 居室を囲む、三十の剣が光を放つ。

 

 舞い踊るように楔から解き放たれたそれらは、女神の元へと集っていった。

 

 そして、一つになり──その胸に、光の結晶を心臓として迎え入れ。

 

 

 

 

 

 

 

 黄金の剣人が、組み上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

(ああ…………なんて、眩く。悍ましい、輝きだろう)

 

 

 

 

 

 

 

 霜に覆われた視界の内に、その無情にして無敵なる巨人を収める。

 

 その身を作る剣の一本一本、全てが神器に等しい力を持つ怪物。

 

 女神が己の少ない猶予を費やして創り上げた、最強の自動人形。

 

 心意を、魂を持たないはずのその煌めきは──とても、人に向けて使うものではなかった。

 

 

 

(いか、なくては…………あれを、キリト達と……戦わせる、わけには……いか、ない)

 

 

 

 もしあの人形がその力を振るえば、最悪の未来がやってくる。

 

 これまでの何もかもが無意味になってしまうような、悲惨で、受け入れ難い、そんな未来が。

 

 それこそを回避し、ともすれば己が引き受けるために、ここまでやってきたというのに。

 

 

 

(ちく、しょう…………また……また、俺は……間に、合わないのか)

 

 

 

 いつだって、自分は肝心なその場にいることができない。

 

 あの、幼き日も。

 

 愛する者達が、大切なものを守るために罪を犯した時も。

 

 その一方が黄金の少女の心を溶かした時も、もう一方が心を氷に閉ざしてしまった時も。

 

 いつでも、いつだって、自分は傍観者以外の何者にもなれなかった。

 

 

 

 

 

 もしこれが物語の世界であれば、自分はとんだ端役であろう。

 

 無駄に守護を叫び、無為に剣を振るって、無情にも死んでいく。

 

 数多に紡がれた物語の主人公のようには、自分は決してなりえないのだ。

 

 いや。あるいは笑いの種になる喜劇の主役にならば、なれたかもしれない。

 

 

 

(ああ、でも…………もう、ダメだ)

 

 

 

 どんなに、彼らを助けたくても。

 

 己の矮小さを思い知って、何もできなかったと突きつけられても。

 

 それでも希う、このどうしようもないほど消えない燻りは。

 

 もう、二度と燃え上がることはないのだ。

 

 

 

(……凍り、ついちまった。何もかも…………まるで、体だけが……死んでいるようだ)

 

 

 

 指の一本すら、動かすことはできない。

 

 ましてや立ち上がることも、無様に叫ぶことも、剣を握ることも。

 

 全て全て、できようはずがない。

 

 

 

(ああ、神様。これが……これが、俺の終わりなのですね)

 

 

 

 今となっては、いるかもわからぬ創造神に訴えかける。

 

 いつか、それに近しい誰かに出会い、多くを学んだような気がするが。

 

 そんな彼女でさえ、ルークを救ってはくれないだろう。

 

 

 

 

 

 果たして自分のいる意味は、この世界にあったのだろうかと考える。

 

 命の炎は尽きる寸前。ありとあらゆる失望と、絶望と、達観を抱いてしまった。

 

 もし何か、自分に明確な存在意義があったのだとしたら。

 

 それは、何だったのだろう? 

 

 

 

(ああ、寒い…………寒いよ……誰か……俺の、手を…………)

 

 

 

 ひどく冷たい自分の体が怖くて、そう願った時。

 

 

 

 

 

 

 

 ──ィイン

 

 

 

 

 

 

 

 応えたのは、ずっとルークを導き続けた、その光だった。

 

 小さな音を立て、その顔を覆っていた霜がひとりでに崩れ去る。

 

 そうすると──自分の胸の上に浮かぶ、一振りの剣が見えた。

 

 

 

(ああ……ずっと、そこにいてくれたんだな…………)

 

 

 

 ルークに、かの炎の騎士や、騎士長のように武具を動かすほどの心意の力はない。

 

 それ自体が己で浮かび、己の意志でルークの元にやってきたのだと、そう悟る。

 

 

 

(ごめんな……使命は、果たせそうにないよ…………)

 

 

 

 

 

 ──それは(まこと)か? 

 

 

 

 

 

 赦しを乞えば、いつか聞いたあの声が胸の中に響いた。

 

 驚きもせず、微かな笑みを浮かべたルークは、心の内側で返答する。

 

 

 

 

 

(すべて、やりきった。もう、俺ができることは、何もない)

 

 

 

 

 

 ──それは、お前の心からの、嘘偽りのない言葉か? 

 

 

 

 

 

(……何が、言いたい?)

 

 

 

 

 

 ──我が認めたる担い手は、そのように敬虔ではない。謙虚でもなければ、潔くもあるまい。

 

 

 

 

 

 だから、立てと。そう言いたいのだろうか、この声の主は。

 

 この、今にも砕け散りそうな醜い身体を見て、まだ立ち上がれと命じるのか。

 

 

 

 

 

 ほんの少し、怒りが沸き起こる。

 

 あれだけ必死に走り続けたというのに、何を見ていたのだ。

 

 そう叫ぶ力すらなく、ただじっと純白の刃を見つめる。

 

 

 

 

 

 ──使命など、どうでもよい

 

 

 

 

 

 すると。声は、己が存在意義を否定した。

 

 

 

 

 

 ──竜が求むるは、貪欲なまでの願い。それのみである

 

 

 

 

 

 それにとって、来たる未来に約束された使命など、知ったことではないのだ。

 

 常に、己が矜持に従い、己が欲望のままに、それは生きていた。

 

 高潔? そんなものは、人間と他の守護者が勝手に当てはめただけの名声にすぎない。

 

 

 

 

 

 ──さあ、叫べ。我が担い手よ。お前の傲慢、その欲望を曝け出すがいい

 

 

 

 

 

 ならば、その半身に求めるものもまた、同じほどの我欲に他ならない。

 

 どこまでも孤高で、誰一人にも理解されぬほどの、大きすぎる願望。

 

 人はそれを誇りと呼ぶ。しかしソレにとっては、ただの欲なのだ。

 

 

 

 

 

 ──言うがいい。お前を謗るものはいない。憚るような者は、誰もいないのだ

 

 

 

 

 

 心の芯まで震わせるその声に、徐々に怒りは溶けてゆく。

 

 代わりにその心に満たされていくのは、不思議なほどの納得だった。

 

 

 

 

 

(そうだ。俺の願いは、最初から誰にも理解されるものではなかった)

 

 

 

 

 

 誰かを守りたいということは、最初から同じ場所に立つつもりがないという無理解である。

 

 思い出せば、自分の隣にはいつも、誰一人としていなかったではないか。

 

 二人の弟分も、取り戻しにきた少女も。他の誰もかも、彼に並んではくれなかった。

 

 

 

 

 

(あの言葉は、的を射ていたわけだ)

 

 

 

 

 

 その献身は誰にも理解されないだろう……なるほど、全くの正論だと改めて思う。

 

 ……だから、あの女騎士と出会った時。初めて自分が受け入れられるかもと思った。

 

 守る者であった彼女に、強く惹きつけられた。もしかしたら恋すらしていたかもしれない。

 

 

 

(そんなはずはない)

 

 

 

 こんな怪物の心を、誰も受け入れはしない。

 

 ユージオなど比べようもなく。自分は乾いて、飢えていたのだ。

 

 そのことに、ようやく気がついた。

 

 

 

 

 

(──なら。もう一回くらい、願ったっていいよな)

 

 

 

 

 

 誰にも、解らないと言うのなら。

 

 最後の瞬間。天命が底を尽き、塵となるまで、己を貫こう。

 

 

 

 

 右腕に、力を込める。

 

 血の通わない、死にかけた体に散らばったものをかき集めて、魂を震わせる。

 

 硝子がひび割れるように細かな音を立て、深く積み重なった霜が壊れ始めた。

 

 そのうち、一際大きな音を立て、腕が自由になる。

 

 その手をルークは、己を見下ろす愛剣の刃に添えた。

 

 

 

 

 

「……れは。……だ…………」

 

 

 

 

 

 ──吠えろ

 

 

 

 

 

「おれ、は…………まだ……」

 

 

 

 

 

 ──吠えろ

 

 

 

 

 

「まだ、諦め、られない」

 

 

 

 

 

 ──勇気を、吠えろ

 

 

 

 

 

 囃し立てるその声に、従うままに。

 

 

 

「あいつらを、ずっと。守って、いたい」

 

 

 

 ルークは、願いを口にした。

 

 最後の一句まで聞き届けた刃は、甲高い音で呼応する。

 

 そして、僅かに浮き上がった剣が──躊躇なく、ルークの胸を床まで刺し貫いた。

 

「か、は…………っ」

 

 不思議と痛みはなかった。

 

 最初からそこに収まっていたかのように、剣は自分の胸にある。

 

 ただ、皮膚を突き破った時の衝撃で少し声を漏らしながら。

 

 震える右手で、刃を掴んだ。

 

 

 

 

 

 ──告げよ。お前の望みを果たす、その言葉を

 

 

 

 

 

 分かっている、と心の中で呟いて。

 

 どんどん感覚が失われていく恐怖に耐えながら、口を開き。

 

 いつか、誰かに禁じられたその言葉を、ゆっくりと紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リリー……ス…………リコレ……クショ……ン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■■■は、死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 悪夢を見ているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ソードゴーレム。そう、術者たるアドミニストレータが名付けたその怪物。

 

 その力はあまりに比類ないものであり、パワーもスピードも、全く及ばなかったのだ。

 

 まず最初に、アリスがその胸を貫かれ、真っ赤な血溜まりの中に沈んだ。

 

 次にキリトが立ち向かったが、対応できたのはたったの一撃のみ。

 

 あっという間に腹を裂かれ、壁に投げ飛ばされて地面を転がる始末。

 

 残されたユージオは、絶望に見舞われ、立ち尽くすことしかできずにいた。

 

 

 

 

 

 もはや、万事休す。このまま怪物の手で死を迎えるしかないか。

 

 そう思った三人に救いをもたらしたのは、ちっぽけな一匹の小グモ。

 

 ルーリッドの村を出た時から、ずっとキリトたち三人を見守り続けた監視者。名をシャーロットといった。

 

 彼女は、本来の姿を表すとその身を賭して時間を稼ぎ、彼らを救った。

 

 そうする間に、ユージオが残っていた短剣を昇降盤へと突き刺したのだ。

 

 

 

 

 

 シャーロットは、あっけなくゴーレムに敗れ去り、その身を貫かれた。

 

 白い血の池に沈みながら、最後に共に戦えたことを喜びながら。

 

 静かに、その命を終えたのだ。

 

 

 

 

 

 だが。彼女の犠牲は、決して無駄ではなかった。

 

 何故なら、再び侵攻を開始したソードゴーレムを、白い雷が打ち据え、止めたのだから。

 

 それは二度、三度と剣の体を叩き、ついには伏せさせてしまう。

 

 瀕死の中、必死に首を回したキリトが見たものは、昇降盤のあった場所に開いた木製の扉と。

 

 そこから姿を現した、幼き賢者カーディナルであった。

 

 

 

 

 

 ついに長き隠遁を自ら破り、そこへとやってきたカーディナル。

 

 彼女はキリト達の傷を癒し、長き時の中で心を得て、彼らを守ったシャーロットを労った。

 

 それから、ようやく、やっと。

 

 自らの仇敵と対峙したのだ。

 

 

 

 

 

 カーディナルは、賢者を見下ろし嘲笑う。彼女が現れるのを待っていたと。

 

 賢者もまた、人の命を平然と弄びながらも人真似をする女神を侮蔑した。

 

 毅然と言い返す彼女に、しかし女神はくすりと笑い。

 

 その手を掲げると、密かに練っていた術式を発動させた。

 

 

 

 

 

 居室を覆う硝子の向こう側が砕け、虚無を露わにする。

 

 その絶大にして強大なる力により、アドミニストレータは現世から己の居室を切り離したのだ。

 

 それこそが、かつてスワロウと共にカーディナルを取り逃がした彼女が作り上げた檻だった。

 

 絶対の結界を以って、哀れな写し身と反逆者達をついに捕らえたのである。

 

 

 

 

 

 しかし、それでもキリト達は自分が有利であると信じた。

 

 あちらは一人、こちらは四人。それも一人は彼女と同等の神聖術の使い手である。

 

 彼女がアドミニストレータと全力でぶつかり合い、そのうちに斬りこめば勝機はある。

 

 そう、思っていた。

 

 

 

 

 

 残酷な真実を聞く、その時までは。

 

 

 

 

 

「──その不恰好な人形を構成する剣は、整合騎士達から奪った記憶に刻まれた、最愛の人間自身をリソースとして作った! そういうことじゃな、アドミニストレータよ!」

 

 大きく、怒りに打ち震える声で。

 

 カーディナルが、自分を見下ろす残酷な女神に答えを告げる。

 

 それに、キリトはこの世で最も穢らわしいものを見たかのような嫌悪と侮蔑を抱いた。

 

 そして、カーディナルに与えられた傷を自ら癒し、立ち上がったソードゴーレムを見る。

 

 

 

(あれが……あれが全て、人間だというのか)

 

 

 

 黄金に煌めく剣人形。

 

 その正体は、アドレスを切り離されたことで生まれた虚無空間に輝く星々……騎士達の記憶の欠片に秘められた、人間そのもの。

 

 通常、完全に己の一部とする程に心を通じ合わせた武具でしか、完全支配術は、ましてや記憶解放の術は行使できない。

 

 しかし、アドミニストレータは記憶の欠片に未だ使用されていないフラクトライトを当てはめ、擬似的な人格を与え。

 

 そして、剣に変換したその人間自身と共鳴させることで術の制限を超え、この怪物を作り上げたのだ。

 

 

 

 

 

 同じ考えにたどり着いたユージオとアリスが、呻き声を漏らす。

 

 人を人とも思わぬ──すでに知り得ていたその事実が、より血塗られたものへと様変わりした。

 

 所詮、この女神にとって人は人ではなく。ただの所有物、好き勝手に弄ぶことのできる玩具でしかないのだ。

 

 

 

(そうだとしたら。記憶の欠片を与えられたフラクトライト達は、剣にどんな思いを込めたんだ?)

 

 

 

 これほどの性能を発揮するには、相応の意思が必要になるはず。

 

 そう考えたキリトに応えるかのように、アドミニストレータが大きく両腕を広げた。

 

「欲望よ」

 

 するりと、その言葉が耳に入ってくる。

 

「触りたい。抱きしめたい。自分のものにしたい。そういう醜い欲望が、この剣人形を動かしているの」

 

 恍惚に浸るように、うふふ、うふふ、と笑いながら。

 

 己の傑作を矮小な者達へ見せつけ、女神は告げる。

 

「騎士達の記憶フラグメントを挿入した、擬似フラクトライトが望むのは一つ──ただ一人記憶している誰かを自分のものにしたい、それだけ」

 

 だが、触れることはできない。一つになることはできない。

 

 狂おしいほどの熱望と飢餓が満たし、成就を阻む眼前の誰かを敵として憎ませる。

 

 どれほどの傷を負っても、何度倒れても。全ての障害を斬り殺し、永遠に戦うのだ。

 

 

 

 

 

 そんな宿命を定められたものこそが、この鉄塊なのだと、高らかに宣言する。

 

「どう? 素敵でしょう? 本当に素晴らしいわ……人の欲望というものは!」

 

 その言葉を聞き、ソードゴーレムを見て。

 

 奏でられるその共鳴が、悲哀と絶望の慟哭のようにしか、キリトには聞こえなかった。

 

 怪物なのではない。あれは何よりも純粋な──純粋に歪んでしまった、迷い子だった。

 

「…………違う!! 誰かにもう一度会いたい、手で触れたい! その願いを欲望などという言葉で汚すな!」

 

 カーディナルは、真正面からそれを否と断じた。

 

「それは──純粋なる愛じゃ! 人間の持つ、最大にして最上の輝き……決して貴様のような者が弄んでいいものではない!」

「同じことよ、おちびさん」

 

 アドミニストレータもまた、それを滑稽と見下してみせる。

 

「愛は支配……愛は欲望! それらは表裏一体! 所詮フラクトライトから出力される信号に過ぎないもの! 私はただ、最大級の力を発揮するその信号を最も上手く使っただけよ。お前のように、駒を駒として見捨てることもできない軟弱者と違ってね」

 

 そして、と。

 

 これまでの、どこか超越的なものとは違う、攻撃的な色に瞳を染める。

 

 嗜虐的な笑みを浮かべた女神は、最大にして最凶の一言をカーディナルへ放った。

 

「何よりも重要なのは、この事実を知ったことで、お前には決して人形を破壊できないということ! なぜならこれは、形を変えただけの生きている人間どもなのだから!」

 

 長く長く、その宣言が残響する。

 

 愕然とそれを聞き届けたキリト達の前で、カーディナルは肩を震わせた。

 

 

 

 

 

 ……掲げられた長杖が、ゆっくりと落ちていく。

 

 まるでその言葉を受け入れるかのような姿に、思わず息を呑んだ。

 

「ああ……そうじゃな。わしに人は殺せぬ。その制約だけは決して欺けぬ。……二百年の時を費やして術を練り上げてきたが……どうやら無駄だったようじゃ」

 

 カーディナルは、不思議なほど穏やかな声で呟いた。

 

 アドミニストレータのように、この世界を単なるデータの集合体として見れない彼女は。

 

 そこにある命を、営みを愛してしまった彼女は、決定的に敗北していたのだ。

 

 カーディナルにとっての誇りであり、真の管理者たる所以である愛は……最大の敗因でもあった。

 

「なんて愚かな……お前はもう、この世界の本当の姿を知っているくせに。書き換え可能なデータでしかないと知った上で、くだらない規則に縛られるとは……滑稽ね」

 

 くすくすと、心底可笑しそうにアドミニストレータが笑いをこぼす。

 

 彼女にとっては何の価値もないそれを大事に抱き続ける様は、笑い草以外の何物でもない。

 

「いいや、人じゃよ。クィネラ。この世界に生きる人々は、笑い、悲しみ、愛することができる。それは我々が失ってしまった、真の人たる証。それが鉄の箱に入っていようが生身の頭に入っていようが、何ら変わりはせぬ」

 

 故に、カーディナルは自分の敗北を受け入れていた。

 

 だから。次の言葉は、キリト達にも容易に想像できて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギュラァアアアアアァアアアアァァアアアアアァァアアアアァアアアアァッ!!! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを引き裂く、咆哮が轟いた。

 

 

 

 

 






読んでいただき、ありがとうございます。

最終決戦、開始。

感想などいただければ幸いです。
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