ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜 作:熊0803
ここから数話、一万文字を平均して超えるので、悪しからず。
楽しんでいただけると嬉しいです。
白い竜とソードゴーレムの戦いは熾烈を極めるものだった。
歪められた愛の為に戦う怪物と、たった一つ残った願いのために戦う守護者。
想いの強さは到底比較できるようなものではなく、どちらも相手に決して劣らない。
その強烈なまでの意志力が、本来の数値的な差を覆していた。
……だが、やがてそれも崩れ始める。
その所以は、生物ユニットと非生物ユニットという真逆の性質にあった。
白い竜は、いかに強靭な外殻や爪を持っていようとも、それは血の通った肉体だ。痛みもあれば疲労もある。
対して、全くの痛覚も恐怖も持たず、ただ殺戮を遂行しようとするソードゴーレムは非常に強靭だった。
オオォオオ……!
ギュラアァア!!
徐々に、白い竜が傷を負う回数が増えていく。
その怒りに駆られて攻撃を返しても、戦いながら受けた傷を修復できる剣人形は一顧だにしない。
それどころか、徐々に白い竜の動きに対応し、動きを効率化する様子を見せ始めた。
歪んでいても、元は経験から成長する人間らしいと言うべきか。なんとも皮肉な事実だ。
「く……! やはり抗しきれぬか……!」
劣勢になり始めた白い竜に、カーディナルが苦言を零す。
白い竜がソードゴーレムを抑えているうちにアドミニストレータを狙おうとしていた彼女は、両者の戦いが激しすぎて機会を見出せないでいた。
ならば、いっそ戦いを最後まで静観しようと、居室中を暴れまわる二体からキリト達と共に逃げ回っていたのだが。
「このままじゃ、あいつがやられちまう……!」
「いけませんキリト! 今のルークは気性が荒くなっている! 割り込めば命を落としかねない!」
「じゃあ見捨てろっていうのか!?」
「そうは言っていないでしょう……!」
ソードーゴーレムの脅威性と、敵味方の区別がつくか分からない白い竜に、キリトとアリスが口論を交わす。
互いに彼を助けたい気持ちは同じなれど、何度もそのやり取りをしてしまっていた。
そんな彼らを見て、ユージオも悔しげに口元を歪める。
(僕は……僕は、なんて無力なんだ)
何も、正しいことをできなかった。
エルドリエの時も、デュソルバートやファナティオ、アリス、そしてチュデルキンと戦った時でさえ。
自分はずっとキリトの背に隠れ、引っ張られていただけ。ベルクーリとの戦いでさえ、勝ったとは言い切れない。
あまつさえ、アドミニストレータの甘言に惑わされ、何より大切な彼らに剣を向けてしまった。
ルークを、斬ってしまった。
彼は命がけで、自分の心を救おうとしてくれたのに。あの時も、今までも、ずっと。
あまりの非力さに、絶望さえ感じてしまう。
(みんな、僕のアリスを取り戻したいという願いのためにここまで来てくれたのに。本当は、誰より僕が前に立って戦い、傷つくべきなのに)
現実はどうだ。
なんとか正気を取り戻しても、アドミニストレータに一撃加えることさえ満足にできなかった。
そして今、目の前でまた自分達のために戦っている、大切な幼馴染をあの哀しき怪物に殺させるのか。
あの天井画のどこかに埋まっているはずの、アリスの記憶も取り戻せないまま、立ち尽くしたままか。
何も成せないまま、最後まで無力なまま。絶望の中で、旅を終えるのか?
果てしない暗闇が、思考を閉ざしていく。
そのうち、ユージオは考えることをやめて、目を閉じ──
ギュラアアアアァ!!
それを止めたのは、友の叫びだった。
ハッと顔を上げ、ソードゴーレムと戦っている白い竜を見る。
彼は、どれだけその体に傷を負い、痛みを味わおうとも、決して戦いをやめる素振りがない。
いつもそうだったように。どれだけ自分を忘れても、魂に刻み込まれた不屈さを失っていない。
(────僕は。何を、諦めようとしていた?)
何があろうと、絶対に諦めないその姿が。
ユージオに一筋の涙と共に、昏く沈んだ心へ白い光をもたらした。
(まだ、何もやってない。キリトのように戦い抜いていない。アリスのように、絶対の存在に反抗する恐怖に打ち勝っていない。ルークのように、自分の願いを貫いていない!)
自分の大切な人達は、最後の最後まで足掻こうとしているのに。
その中で、自分だけがあっさりと諦めるなど、そんなことが許されていいはずがない。
ユージオは、罪深い諦観を受け入れようとした自分の弱気を、これまでの人生で一番に恥じた。
(やらなくちゃ。何か、僕にできることを!)
このままルークが殺されてしまえば、本当に彼の魂はあらゆる名誉を失ってしまう。
自分達が屈すれば、アドミニストレータは人界の民の半分──四万もの民を、あの怪物へと変える。
それだけは阻止しなくてはいけない。この悲劇を止めることこそが、まだ自分がここに立っている理由なのだ。
ユージオは、考えた。
キリトやアリスのように、卓越した剣技はない。カーディナルのような術も学んでいない。
あるのはただ、最後の使命を果たそうという、このちっぽけな勇気だけだ。
(アドミニストレータには、金属の武器は防がれる。僕の剣は半分が氷だから突破できるかもしれないけど、闇雲に斬りかかっても神聖術で消し炭にされるだけだ)
たとえ記憶解放術を使っても、あの女神を数秒止めるだけで終わるだろう。
それより先に、今にも親友を殺してしまいそうなあのソードゴーレムを止めなくてはならない。
だが、明確な弱点は胸に収まっている紫の水晶体……自分の頭に刺さっていたモジュールのみ。
それを破壊するには、僅か一センの隙間に、肋骨の刃を掻い潜って正確に一撃を叩き込まねばならない。
それにはアドミニストレータやカーディナルのような、空を飛ぶ力が要る。
神器級の力を誇るソードゴーレムの刃を跳ね返す、強固な鎧も。
(ああっ、いっそ剣の元となった青薔薇と永久氷のように、この体を固い氷に変えて、真に剣と一体になれたら!)
かつて北の山脈の頂上で共に寄り添い、一つになった二つの命。
図書館で垣間見たその記憶を思い浮かべ──瞬間。ユージオに天啓が舞い降りた。
自分は、その方法を知っている。なぜなら今、目の前に実例が
しかし、それを実現するには自分だけでは足りない。あのソードゴーレムに対抗しうる奇跡──意思の力が必要だ。
────ユージオ…………
その時。不意に、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。
自然と、天井を見上げる。
巨大な天蓋には、中心部分に空いた丸穴を覗き、三女神を描いた絵が描かれている。
人界の空と大地を創り、太陽の光をもたらす神々。やがてそこで生まれた人々の中に、一人の巫女が見出される。
神々の代行者として人界を導く役割を与えられ、教会と白亜の塔が築かれる──かつて読んだ、偽りの創世記。
その隅に、一匹の鳥がいた。麦の穂を一つ咥え、懸命に空を飛んでいる。
央都周辺、大貴族の領地たるそこから麦を持ち出し、辺境にもたらして命を終えた青い小鳥の物語。
その小鳥の目に嵌められた水晶が、キラリと輝きをユージオに見せつける。
その碧い輝きは、ずっと昔、ユージオの隣にあった、金髪の女の子の目にあったものと同じ──
(────ああ、そうか。これが、僕の運命か)
そして。
ユージオは、自らの
ゆっくりと、天井に向けていた顔を下ろす。
そして、隣で打開策を練ろうと難しい顔をしている賢者を見て。
「カーディナルさん。一つ、お願いがあります」
振り返ったカーディナルは、怪訝そうに眉をひそめていた。
だが、ユージオの瞳の中にある光を見ると眉間の皺を解き、静かな口調で問いかける。
「なんじゃ、ユージオ?」
「僕は今、ようやく自分の使命を悟りました。それを叶えるために、どうか力を貸してください」
「ユージオ、お前何を……」
思わず口を出したキリトに、ユージオは柔らかく微笑んだ。
それからすぐに瞳を賢者に戻して、胸に手を当て──その言葉を告げる。
「僕を──僕のこの体を、剣に変えてください。あの竜と……親友と、同じように」
●◯●
「ユージオ……そなた……」
さしものカーディナルですら予想し得なかったのか、その瞳を大きく見開く。
ユージオは変わらず、落ち着き払った声音で彼女に願いを言い募った。
「ここで逃げたら、僕はたとえ生まれ変わった後でもルークに顔向けできない。彼をこれ以上、戦わせちゃいけないんです。それに、このままでは人界の半分があの人形に変えられてしまう。それだけは、絶対に見過ごせない」
「…………わかっておるのか? 術を使えば、お主はもう二度と戻れないかもしれんぞ」
「それが、僕に与えられた報いならば」
覚悟を決めた顔で、ユージオはカーディナルの前へと跪く。
その姿に少しの間黙考し、やがて賢者は小さな手を彼の方へ伸ばした。
差し出された手に自分の両手を重ね、そっと包み込んで。
ユージオは、その術式を口にした。
「システム・コール。リムーブ・コア・プロテクション」
三つの言葉が紡がれた時、ユージオの額に極小の文字が羅列された四角い穴が出現した。
そこから光のラインが頬に伝い、肩、腕、そして繋いだ手の指先へと流れていく。
一種の幻想的な光景に、制止も忘れてキリトとアリスは見入ってしまった。
(
それはおそらく、心や記憶、感情といった全てのデータに干渉を許すコマンドだろう。
何故そんなものを、と思っていると、不意にユージオがこちらを向く。
「そうだ。これが最後かもしれないから、二人に伝えておかないと。最高司祭に金属の武器は通じない。だから僕は、短剣を最後まで刺せなかったんだ」
「……ユージオ。ダメだ。お前まで、そんなことをしたら…………」
彼までもが人を捨ててしまえば、もうその願いを果たすことはできなくなる。
八年もの間ユージオとルークが夢見てきた、アリスとの再会、そして帰郷。
たとえ、戦いに勝ち、生き残ったとしても。原初の願いを叶えられなければ意味がない。
既にルークが元に戻れない以上、ユージオまでも失うのは、キリトには納得できなかった。
「いいんだ、キリト。これが、僕の為すべきことなんだ」
「…………!」
だが。ユージオの決意を秘めた瞳に、作りかけた言葉は崩れてしまった。
命を失う恐れに足を止め、友を救いに行くことすらできない自分に、これ以上なにが言えよう。
俯いてしまったキリトの隣で、じっと話を聞いていたアリスは悲痛と敬意を込めた目を向けた。
そして、静かに頭を下げる。
「……ごめんよ、アリス」
言葉はなく、しかしその行いが彼女の心を全て伝えてくれた。
「…………本当に、良いのじゃな」
「──はい。お願いします」
「よかろう。では、お主の勇気に応え、この恐るべき術式を使う覚悟を、わしも決めよう!」
カッと目を見開いたカーディナルは、ついにその術式を行使した。
ユージオの体に繋がった光の回路が、眩く輝く。
広間全体を照らし出すその光に、戦いを観賞していたアドミニストレータが素早く振り返った。
そして、忌々しい小娘と人間の小僧が何かをしようとしているのを見て、不快げに顔を歪める。
「一体なにをしているのかしら。無粋な真似は────止してもらいましょうか!」
体ごと振り返った彼女は、虚空を握るように右手を動かす。
どこからともなく光の粒子が寄り集まり、一本の芸術品じみたレイピアへと姿を変えた。
彼女にとっての剣であり、術を行使するための最高峰の杖であるそれを反逆者達に振り下ろす。
細い切っ先に紫と黒の入り混じる雷が生成され、ユージオ達に向かって真っ直ぐに降り注いだ。
「させない!」
邪魔はさせるものかと、アリスが間に割り込む。
鋭い音で《金木犀の剣》を抜くと、ほとんど残っていない天命値を使って武装支配術を行使した。
黄金の刀身が幾千の花弁へと変形し、盾となってアドミニストレータの雷を受け止める。
「ぐっ…………はあぁああッ!!」
裂帛の叫びを上げ、自分の天命を一瞬で刈り取るであろうその雷を打ち消した。
白煙が漂い、重々しい音で握った柄を下ろしながら、騎士アリスは女神を睨めあげる。
「私に雷撃は効かない!」
「騎士人形風情が生意気な……じゃあ、これはどうかしら!」
苛立たしげに嗤ったアドミニストレータが、新たに術式を組み上げる。
本来の限界を大幅に超えた三十もの炎の球が彼女の手の中で生成され、一つに収束する。
小さな太陽のような炎球が、二人を守るアリスへと投擲された。
「アリスっ!」
「っ……!」
炎は、恐るべき攻撃力を誇る《金木犀の剣》の武装支配術の唯一の弱点。
だが、少女騎士は怯むどころか戦意を体に纏い、火焔に向けて一歩踏み出した。
迫り来る熱に指揮棒のように柄を振るうと、無数の小刃を大きな盾状に整列させる。
「燃えてしまいなさい、哀れなお人形さん!」
「来るがいい──!」
そして、ついに眼前までやってきた大火球へ、アリスは己の剣を振るった。
一瞬の静寂。
後に、熱と金属が弾けるような音が広間中に大きく木霊する。
アリスとアドミニストレータのちょうど中間で衝突した火球と小刃は、凄まじい音でせめぎ合った。
その熱波と衝撃は広間全体を包み込むほどで、キリトは袖で露出した自分の顔を庇う。
術者であるアドミニストレータ自身でも予想外の威力なのか、対空したまま一メートルほど後退した。
揉み合っていた白い竜とソードゴーレムでさえ、あまりの影響に動きを止める。
やがて、有り余る推進力の矛先を封じられた大火球が膨脹を始めた。
最悪の結果を想像させるその変化に、アリスは自分の身の回りにある小刃すら全てつぎ込んで防御を固める。
それは最良の判断で、直後に一度収縮して、それから大爆発を起こした大火球の熱を受け止めた。
広間全体を叩きつけるほどの膨大な熱さが、何十秒と続く。
ここがカセドラルでなければ、壁も床も融解したであろう超高熱は、徐々にその力を失っていった。
一分も過ぎた頃に、ようやく完全に消え失せ、身を固めていた者達は腕を下ろす。
ガシャン、と大きな音が鳴った。
キリトの目の前で、ゆっくりとアリスの体が床へと倒れ込んでいく。
激しい音を立て、仰向けに倒れた彼女は、三人を守る代償に大きな傷を負っていた。
その衣服や美しい金髪は焼け焦げ、鎧も半壊している。手元に転がった《金木犀の剣》も、限界を迎えたように元の形に戻った。
「まったく、手間をかけさせてくれたわね」
「アリス!」
思わずキリトが駆け寄ろうとした、その時だった。
眩い光が溢れ、広間を染め上げる。
キリトも、得意げに笑っていたアドミニストレータも、思わず顔を顰めて動きを止めた。
その中で、ついにアリスの稼いだ時間で術式を完成させたユージオが、宙へと浮き上がる。
その体から力が抜けていき、肌の上に走っていた紫の線が体を離れていく。
分裂し、増殖したラインは十字の箱を作り上げ、その中にユージオを閉じ込めた。
「小癪な──ッ!?」
ギュラァアァア!!
即座に止めようとしたアドミニストレータは、ふっと自分に迫る影に気付いた。
振り返れば、こちらに向かって投げ飛ばされたソードゴーレムが迫ってくる。
「くっ!」
自分の兵器を破壊するわけにもいかず、高速で身を翻すと鉄人形をやり過ごした。
ハッとした時にはもう遅い。彼がその身を作り変えるには、その僅かな時間で十分だった。
ユージオの体が、光の帯となって解けていく。
天井まで伸びたそれは、小鳥の目の部分に嵌め込まれていた結晶を滑らかに抜き出した。
一人でに鞘から飛び出した《青薔薇の剣》と結晶、そしてユージオの体が一直線に並ぶ。
その光景に、キリトは見惚れながらもあることに気がついた。
(あの結晶は……もしかして、アリスの記憶の欠片…………?)
整合騎士の人数は三十一。そしてソードゴーレムの体を作る剣の数は三十本。
ならば、剣人形に共鳴せず、こうしてユージオに力を貸すあの結晶はアリスのものに他ならない。
その中にあるのはセルカとの思い出だとキリトは思っていのたが、これまでの反応を見るにおそらくそうではない。
そんなキリトの疑問に答えることなく、いよいよ術式が本領を発揮する。
光の棺に閉じ込められたユージオの体が透き通り、その胸の中央に、同じく実体を失った《青薔薇の剣》が融合した。
再び強烈な閃光が発せられ、キリトは思わず目を細める。
薄まった視界の中で、無数の光のリボンとなって解けたユージオの体はその形を変えていった。
バラバラになったその体が、再び凝縮した時。
そこにあったのは、青いほどに純白の刃と十字の鍔を持つ、一振りの剣だった。
元のユージオの体よりも長く、幅広い大剣は、完璧な流線美を備えている。
唯一の欠点に見えた刀身の穴に、浮遊していた結晶がカチリとはまり込んだ。
美しく荘厳なその剣に、カーディナルが手を伸ばして。
「リリース……リコレクション」
きぃいいん!! と鋭い音を奏で、アリスの記憶の欠片を閉じ込めた結晶が輝いた。
寄り添うように、ユージオだった純白の剣も清涼な音を鳴らしながら浮かび上がっていく。
ついに、ユージオは。
その身を鍛えられ、愛によって力を持った、剣へと変貌した──。
●◯●
「おのれリセリス……っ! 余計な真似を……!」
眩いばかりの輝きに、厭うように顔を背けながらアドミニストレータは奥歯を噛みしめる。
その一方で、キリトとカーディナルは燐光を放つ大剣の壮麗で純粋な輝きに見惚れていた。
「美しい……人の愛……そして意志の力が放つ光…………ああ、なんて美しい…………」
その口から呟かれた言葉に、キリトは彼女を見る。
ユージオだった剣を見上げる瞳には、感動と、慈しみと、愛が溢れていた。
やはり彼女は、ただ機械的にアドミニストレータの消滅を望み、この世界を無慈悲に初期化する存在ではない。
人々に、そこに育まれるものに愛を抱き、だからこそここに立っているのだと、キリトは認識を改めた。
(この戦いが終わったら、もう一度話し合おう。最終負荷実験をなんとか回避して、彼女にこの世界をリセットするという選択を放棄させるんだ)
新たに決意を固めながら、親友の勇姿を再び見上げる。
くるくると回転した白い大剣は、翼を広げるように光を放出すると飛翔した。
そして、今まさに傷口を抑えながらも立ち上がった、同じ色をした竜の元へとやっていく。
ギュゥ…………?
目の前に音もなく現れた剣に、白い竜は不思議そうに鳴き声を漏らした。
深い知性のない黄金の瞳に、咄嗟にキリトは声を張り上げる。
「それを使え、ルーク! ユージオと一緒に、あの怪物を倒すんだ!」
見ているだけだった自分が、唯一できることだと、名一杯に叫んだ。
白い竜の目が、キリトの方を一瞥する。
それから剣へと視線を移して、しばしの間その刀身と結晶を無言で見つめ続けた。
たっぷりと全貌を見回した後……緩慢に動かされた両腕が、剣の柄を握り締める。
ギュゥァアァアァアァア!!!
かつてのように剣を構えた白い竜は、勢いの弱まっていた咆哮に再び力を取り戻した。
再び闘志を纏い直した白い竜に、舌打ちしたアドミニストレータはソードゴーレムに命じる。
「なり損ないごときが、そんな貧相な剣を一本持ったところで私の完全兵器に及ぶはずがない!」
再び刃に漆黒のオーラ──狂気に歪んだ愛の力を発揮した剣人形が動き出す。
激しい音を立て、今度こそ完全に命を刈り取らんと白い竜に猛然と迫る。
それに対して、顔を半分隠すように剣を構えていた白い竜も、動き出す。
次に彼が行った行動に、キリトは心底から驚嘆させられた。
まるで時間が引き延ばされたようにゆっくりと流れる中で、白い竜は体を動かしていく。
右脚を後ろに、左の膝を少し落とし。地面と垂直に重心を据える。
そうすると、余計な力を産まないために翼を畳み──右手に握った剣を引き絞ったのだ。
(あの、構えは────)
限界まで目を見開くキリトと、静観していたカーディナルの前で、剣に光が宿る。
血のように赤い、鮮烈な輝き──この世界にも組み込まれた、ソードスキルの光。
純白の刀身に這わせるように、左手を乗せた白い竜は、静かな瞳で剣人形を見た。
──その竜に、もはやルークとしての記憶は残されていない。
在るのはただ、彼の輪郭だけを残した魂に刻まれた、〝愛する人を守る〟という意志のみ。
だが、その体に刻まれた修練と経験だけは、竜体となってなお失われていなかった。
そうして空っぽな心に思い浮かべるのは──あの、全てを射抜く鮮烈な銀の眼光。
ギュウォオオオオオ…………!
深く深く、溜め込むように口の中で唸り声を漏らす。
ギリギリと音が鳴るほどに剣を握りしめ、全身の筋肉を隆起させ。
そして、ソードゴーレムがその間合いに一歩踏み込んだその時。
ギュラァアァアァアァアァアァアァアァアアァアァアァア!!
突撃──否、渾身の
片手直剣用重単発ソードスキル、《ヴォーパル・ストライク》が矢のように放たれる。
それはソードゴーレムが振るった剣腕や、大きく開かれた肋骨が閉じるよりも早く飛び。
その胸の中心、三本の大剣の間に輝くモジュールへと、一ミルのブレもなく到達する。
オォォォオオオッ────!?
ギュウォオオオオオッ!!
ソードゴーレムが、悲鳴を上げるように体を震わせる。
中途半端な姿勢で止まった剣人形に、強烈な叫び声を上げた白い竜は翼を広げ、前へと押し込んだ。
「ッ────!!!」
それを見たアドミニストレータの脳裏に、あるイメージが浮かび上がる。
残り少ない記憶領域の中でも、未だに鮮明に再生できる屈辱の記憶。
自分に向けて拳を繰り出す、灰髪銀眼の男の憎悪に染まった修羅のような顔。
それが今、この瞬間。あの白い竜の姿と重なった。
ギャリギャリと鼓膜が弾け飛ぶような音を奏で、火花を散らし──ついに、モジュールに切っ先が突き刺さる。
一瞬でひび割れたモジュールは、背骨から飛び出すと空中に投げ出され、粉々に砕け散った。
オオオォアアァア────ッ!
ソードゴーレムが、激しく体を震わせる。
それはまるで、一体となったルークとユージオ、アリスの一撃が怨念を貫いたような声。
不協和音はやがて、剣の奏でる清涼な音に塗り替えられていき。
ついに、最後の断末魔を上げながらその体をバラバラに崩壊させた。
飛び散った大量の剣の残骸が、広間の至る所に飛来する。
壁に、柱に、床に次々と墜落した剣は、キリト達のすぐ側にも落ちてきた。
自分の隣に突き刺さったそれを見て、キリトは目を見開く。
黄金の刃を染め上げていた闇のオーラが、霧のように薄れて霧散していく。
瞬いていた天井の星々も、ソードゴーレムの終焉と共にチカチカと点滅し、やがて消えていった。
(騎士達の記憶……そこに植え付けられた疑似的な人格も停止した、のか? だとしたらもう、二度と再現されないことを願いたい)
厄介な敵としても、人としても、キリトは彼らが二度とその苦しみを味わないことを祈った。
ギュラァアァアァアァアァアァア!!!
一方で、見事ソードゴーレムを撃破した白い竜は、天井に向けて勝鬨を上げていた。
かつてのルークであれば勝利に酔いしれることはなかったが、今は竜の本能が強くなっているのだ。
その手に握られた剣の、きらきらと輝く結晶を見て、不意にキリトはあることを悟る。
(そうか。あのアリスの記憶をアドミニストレータが利用できなかったのは──彼女の愛が、大きすぎたんだ)
彼女が深く愛していたのは、セルカだけではない。
その身と一つになったユージオのことも。記憶がなくとも兄のように慕っていたルークも。
両親も、村の人々も、ルーリッドの村そのもの──ひいては、自分と愛する人達が生きる、この世界すらも。
全てを、アリス=ツーベルクという少女は愛していたのだろう。
アドミニストレータなどには、とても制御しきれないほどに。
「ああ……これが、わしが見守り続けてきたものなのか…………」
「…………本当に、綺麗だ」
カーディナルとキリトは。胸の内に溢れたその感情に、涙を流すことしかできなかった。
ギュラァアァア!
ソードゴーレムを打ち倒し、白い竜はユージオとアリスの融合した剣を手にアドミニストレータを見る。
傷だらけの体に反してその瞳はギラギラと戦意に光り、まだ戦おうとしていることは明白だった。
そんな竜に対して……アドミニストレータは、ブツブツと何事かを早口でつぶやいている。
「元になったヒューマン・ユニットのID……出生した地域に、両親となるユニットから受け継がれた外見的パラメータ…………教会での専用コマンドではなく、当人同士の簡易的なコマンドで成立された仮婚姻…………」
彼女は、カーディナルシステムとしてのあらゆる権限を行使して白い竜を再解析する。
鬼気迫る、人の感情を捨てた彼女らしからぬ姿にキリトとカーディナルは不審に感じた。
やがて、すべてのデータと憶測を完了したアドミニストレータは。
「…………ふっ、ふふふ。あはっ、あははははははははははは!!!」
突如として、大口を開けて笑い始めた。
その狂笑は広間全体に反響し、不気味に反射してキリト達の耳に入り込む。
腹部を抑え、心底おかしいというように笑う彼女からは、何故か冷や汗の流れるような気迫が漂っていた。
「そう! そういうこと! そうだったのね! ああまったく、なんて馬鹿らしい! データの集積でしかないこの世界に、こんな事が起こるなんて!」
しばらくして笑いを収めたアドミニストレータは、何事かに納得して捲し立てる。
そうすると、乱れた髪を手櫛で直し、ふぅと息を整えた。
それから一度閉じた目を開き、白い竜を見て。
「────お前。あの男の息子ね」
莫大な殺意を、解き放った。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回でルークの戦いは終わります。