ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜   作:熊0803

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第一部終了、残り二話。



楽しんでいただけると嬉しいです。




最期のその時まで

 

 

 

「まったく、親子揃ってこの私に傷をつけ、ここまで不快にさせるなんて……どうしてお前達のような者が生まれてきてしまったのかしら?」

 

 

 

 それは、この世界の最高存在たる管理者としての威圧感ではなかった。

 

 あらゆる感情を、今はカーディナルと名乗る第二人格を封じるために凍結したはずの彼女は。

 

 今まさに、仮初の模倣した感情ではなく──心の底から、怒りと憎しみを溢れさせているのだ。

 

「お、おい……アドミニストレータは、一体何言っているんだ?」

「わしにも全く…………いや、まさか。そういうことか?」

 

 今度こそ何を言っているのか理解に苦しんだキリトは、隣にいる賢者へ助けを求めた。

 

 同じく、この二百年一度も見たことのないアドミニストレータに狼狽していた彼女は、不意に何かを悟る。

 

「なんだ。何か知ってるのか?」

「……かつて、アドミニストレータのシンセサイズを意志の力だけで跳ね除け、叛逆した騎士がおった。そやつはカセドラルから逃げ果せ、この三百年間アンダーワールド中を放浪しておる」

「なっ……!?」

 

 あの秘術を打ち砕いた猛者が、三百年前にいたというのか。

 

 その話を聞いて、丁度最初の整合騎士ベルクーリが生まれた頃だとキリトは気がつく。

 

 続けて、白い竜を睨み下ろすアドミニストレータを見ながらカーディナルは話した。

 

「その者は二十年ほど前、大きな怪我を負って本来の故郷であるルーリッドに流れ着いたのじゃが……そこで、ある少女と恋に落ちた」

「なんだって? それじゃあ……」

「うむ。もし、わしの推測が間違っていないならば……」

 

 カーディナルは、白い竜を見上げて。

 

「ルークは、あの二つの守護竜の心意を操る、最強のアンダーワールド人の息子なのやもしれぬ」

 

 告げられた言葉に、キリトは幾度となく目を見開いた。

 

 

 

 

 

 女神の支配を拒んだ0番目の整合騎士、そして守護竜の担い手でもある男。

 

 断片的な情報だけでも凄まじいその人物は、更には自分の親友の父親だというのか。

 

 だとすれば、それは……全てを支配することを望むアドミニストレータにとって、どういう存在なのか。

 

「いいでしょう。気が変わったわ。あなたは私がこの手で殺してあげる」

 

 たっぷりと怒りを乗せた、それでも美しい声でアドミニストレータは剣を向けた。

 

 立ち上る神気は、これまでとは比較にならないほど昂っている。

 

「すぐに殺しはしないわ。じっくりと甚振って、この世で最高の苦痛を与えてあげる。その上で首を刎ねて、石像にしてからあの男の前に晒してやれば、いくら彼奴でも絶望に顔を染めるでしょうね」

 

 狂気の迸る台詞を重ねながら、アドミニストレータは神聖術を行使した。

 

 彼女の剣──《シルヴァリー・エタニティ》の先端へ、黒々とした雷光が纏わりつく。

 

 彼女の心情を反映したような光は、音を立てて白い竜に狙いを定めた。

 

 

 

 ギュラァアアアア!!! 

 

 

 

 神の黒雷に、白い竜は臆することなく咆哮を撒き散らす。

 

 そうすると、再び巨体を剣技の動きに構え、臨戦の態勢を示した。

 

「プロトタイプを一つ壊しただけでいい気になっているようだけど。その醜い体、木っ端微塵にしてあげる!」

 

 一際大きく叫んだアドミニストレータは、迸る雷光をついに解き放った。

 

 白い竜も、再び剣を染め上げた赤い輝きを全力で前へ突き出す。

 

 

 

 

 

 キリトとカーディナルの見守る前で、雷光と剣先が衝突する。

 

 先ほどのソードゴーレムが崩壊した時以上の風が吹き荒れ、離れていたはずの二人にまで影響が及んだ。

 

 後方の壁に向けて体を激しく押され、咄嗟にカーディナルが張った風の障壁でぶつかる事だけは避ける。

 

「ルークっ! ユージオっ!」

 

 キリトは、友の名を叫んだ。

 

 白い竜とその手の剣は、黒雷に負けることなくその刃を押し込もうとしていた。

 

 極太だった光は千々に四散し、広間の至る所に落ちてはその場所を焼き焦がす。

 

「おのれ、竜に食われた小僧ごときが……!」

 

 美しい顔を歪め、怒りをにじませた声で反抗する竜にアドミニストレータが吐き捨てた。

 

 それをあざ笑うかのように、甲高い雄叫びをあげながら、徐々に剣を押し込んでいく白い竜。

 

 激しい音を立て、超高エネルギーの暴流を切り裂いて──

 

 

 

 ──ピシッ

 

 

 

 その時。小さな音が木霊した。

 

 竜の攻勢に希望を見出していたキリト達が、目を見開く。

 

 白い竜の剣が崩壊を始めていた。微細な亀裂が表面に走り、次々と破片をこぼしていく。

 

「ユージオッ!?」

 

 剣に……否、壊れかかっている友に、キリトは悲痛な叫びを上げた。

 

 彼を剣へと変えたカーディナルは、決して見逃さないというように瞬きもせずその光景を見る。

 

「ふ…………!」

 

 アドミニストレータが、矮小なものでも嘲笑うように口元を歪めた。

 

 そうしている間にも、雷の根元に近づいていくほど剣は崩れていって。

 

 ついに大きな音を奏で、刀身の根元に一直線の大きな亀裂が生まれた時。

 

 

 

 

 

 

 

 白い竜は、剣を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 雷の大部分を削ったそれを背後へと放り投げると、完全なる破壊を阻止する。

 

 その行動に驚愕したのは、決してキリト達だけでなく、アドミニストレータもだった。

 

 

 

 ギュオオォァアアアアア!!! 

 

 

 

 雷の最後の一片を、両腕を犠牲にして全力で切り裂く。

 

 雷鳴が弾け、その代償に美しかった鱗も鉤爪も、黒く炭化していた。

 

 

 

 アアアァアアアッ!!! 

 

 

 

 怒るように吠えたてた白い竜は、引きちぎれるほどの力で翼を羽ばたかせ。

 

 その巨大な体を空中で回転させると、大上段からアドミニストレータへ尾の剣を振り下ろした。

 

「貴様────!」

 

 落下してくる大質量の一撃に、アドミニストレータは激昂しながらレイピアを突き出す。

 

 

 

 

 

 数瞬の後、激しい衝突が起こった。

 

 白い竜の体の中でも、唯一神器級の優先度を持つ尾と針のような切っ先がせめぎ合う。

 

 烈風と衝撃を巻き起こしてぶつかったそれらは、全力の殺意で自分を押し付け。

 

 

 

 刹那、砕け散った。

 

 

 

 まず最初に、白い竜の尾が半ばから断ち切られ、ぐるぐると回転しながら宙を舞う。

 

 僅かに競り勝つことに成功したレイピアに宿っていた光が飛翔し、反転していた白い竜の右足を切断。

 

 直後、やってきた尾の先端が彼女の突き出した腕と胴体の間を通り過ぎ、音もなく右腕を斬り飛ばした。

 

 それを最後に、腕の中にあったレイピアも甲高い音を立て、虹色の大爆発を起こして大量のリソースを放出する。

 

 

 

「ルーク────っ!!」

 

 

 

 何もできずに、ただ見ていることしかできないキリトの前で。

 

 片脚を斬り飛ばされ、尾を失った白い竜が、黄金の線を空中に描きながら落下した。

 

 

 

 

 

 

 墜落した白い竜は、地面に突き刺さっていた純白の剣のすぐ隣に頭から突っ込む。

 

 それまでの戦いで半壊していた床が盛大に抉れ、無数の破片を飛ばしながら巨躯が沈んだ。

 

「かはっ!」

「ぐぅっ!?」

 

 生じた余波は凄まじいもので、嵐のような風が広間中を埋め尽くした。

 

 それにキリトはおろか、カーディナルまでもが吹き飛ばされ、強かに壁へと体を打ち付ける。

 

「げほっ……か、カーディナル……」

「無事……じゃ。それよりも……」

 

 互いに咳き込みながら、衝撃の発生源へと視線を投じた。

 

 横たわる白い体。そこから赤い絨毯の上に、金色の波が広がっていく。

 

 膨大になった天命故か、何リットルもの血を流しながらも弱々しく呼吸をしていた。

 

「あ、あぁ…………ルーク……!」

 

 掠れた声で、名前を呼んで。

 

 手を伸ばしたキリトに追い打ちをかけるように、剣が点滅していた輝きを失った。

 

 最後に淡く輝いた剣は光の帯に戻っていき、バラバラに解けると人の形をとる。

 

 ……そして、全身にヒビのような傷を持ったユージオに戻った。

 

 胸に添えられた手の中には結晶を握りしめ……腹部が、半ばまで裂けている。

 

 やがて、光が消え、完全に人間に戻った瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 大きな音を立てて、臓物と共に大量の血が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

「ぁ……あぁ…………」

 

 血の中に沈んだ二人の親友に、キリトはその場で膝をつく。

 

 目の前の世界が、色を失っていく。全てがモノクロームの中で、血の色だけが鮮明だった。

 

 音も、感覚も、何もかもが遠ざかる中で、ゆっくりとユージオの傍に《青薔薇の剣》が降りてくる。

 

 とん、と波紋を立て、赤い血溜まりに着地した瞬間、その血が硬質な音を立てて変化する。

 

 あっという間に真紅の結晶に変わった血が、ユージオの腹部を覆い隠し。

 

 それで力を使い果たしたように、刀身の半ばから折れた剣が床に転がり落ちた。

 

「…………とんだ誤算だったわ」

 

 この世界から消えてしまいたくなるほどの絶望を得たキリトの前に、女神が降り立つ。

 

 赤と黄金の血で半身を染めた彼女は、目を閉じたユージオと死にかけの竜を見て顔を険しくした。

 

「竜の体にメタリック属性がないことは予測できたけど、まさかこの子の剣まで違うとはね」

 

 自分のミスを解析しながら、根元から失われた右肩に手をかざす。

 

 無詠唱で神聖術が発動され、真珠色の肌から血が消えていくと、断面を滑らかな肌が覆った。

 

 

 

 

 

 一瞬で傷を塞いだ彼女は、長い睫毛を瞬かせる。

 

 すると、その手で白い竜にトドメの一撃を与えようとした。

 

「よせ、クィネラ!」

 

 だが、大きなその体を光の膜が覆った。

 

 体の表面に張り付くような薄いそれは、アドミニストレータがあの雷光を数度浴びせないと破れないほどの強度がある。

 

 舌打ちをした彼女は、振り向くと長杖(スタッフ)を掲げたカーディナルへ恐ろしい目を向ける。

 

「どこまでも私を煩わせるわね、リセリス」

「……その者を、殺させはせぬ」

「じゃあ一体どうするの? お前も今、あの障壁を作るのに残ったリソースを全て注ぎ込んでしまったのではなくて?」

 

 薄く笑ったアドミニストレータの言葉に、くっとカーディナルは下唇を噛んだ。

 

 巨大な体を全て、最高峰の術にも耐えられるほどの結界で覆った結果、彼女と戦うほどの力は残っていない。

 

 できてもせいぜい、かすり傷をいくつか作る程度の術を放てるかどうかというところだ。

 

 幼い体で剣は振るえず、実質的に無力となったカーディナルにアドミニストレータは冷笑する。

 

「さて……」

 

 賢者から興味をなくしたように視線を外し、別の人物を見る。

 

 それは、涙を流しながら呆然と膝をついた、唯一の障害となりうる存在……キリトだ。

 

「最後に残ったのが、まさかお前だとはね。向こう側の坊や? 管理者権限も持たずに、何をしに来たのやら……」

 

 ひたり、ひたりと、アドミニストレータが近づいていく。

 

「逃げろ!」

 

 カーディナルの叫びも届かず、自失したように座り込む彼を、女神が見下ろした。

 

「まあ、もう疲れたし、眠いわ。事の顛末は『あの者』に後で聞くとして、今はこの世界のイレギュラーに退場してもらいましょうか」

 

 白磁の左腕が、真横に掲げられる。

 

 広間の隅に転がっていた右腕が浮かび上がり、彼女の手の中へと収まった。

 

 

 

 

 

 アドミニストレータが、自分の腕に息を吹きかける。

 

 紫色の粒子に変わった右腕は、シンプルなデザインの銀の直剣へと早変わりした。

 

 確かめるように数度握ると、その刃をキリトの首の横に置く。

 

「それじゃあ、さようなら。またいずれ……今度はあなたの世界で会いましょう?」

 

 酷薄な笑みを浮かべ、最後の言葉を贈って。

 

 アドミニストレータは、振りかぶった銀剣を容赦なく振り下ろした。

 

 視界の端から迫ってくるギラついた刃に、キリトはぼうっと視線を投じる。

 

 アドミニストレータの背中の向こうで、自分の名前を叫ぶ賢者の姿が見えた。

 

 

 

(……もう、どうでもいい。今更、もう、何もかも…………)

 

 

 

 ただ、その仮初めの死を受け入れようとして。

 

 

 

 

 

 刹那、目の前に金の背中が躍り出た。

 

 

 

 

 

 金糸の髪がふわりとたなびく。

 

 両手を広げ、自分を庇う少女騎士の背中に。

 

 あの時、ユージオとの間に割って入った、親友の姿を幻視した。

 

 

 

 

 

 瞬間、完全に停まっていた思考が火花を散らして再開する。

 

 酷く遅く振りかぶられた剣が、アリスへと迫っている。

 

 それを、ただ呆然と見て。

 

 自分は、あと何度……! 

 

 

 

(同じ過ちを、繰り返すつもりだ────!)

 

 

 

 気がつけば、体が動き出していた。

 

 閃光のように煌いた右手が腰の黒い剣の柄を握り、抜剣する。

 

 両足に力を込めて跳ねるように起きると、銀剣とアリスの間に向けて剣を振るった。

 

 

 

 ギィイインッ!! 

 

 

 

 激しい光が乱舞する。

 

 無意識に発動していたソードスキルの緑光の向こうで、アドミニストレータが息を呑んだ。

 

 それに構わず、左手でも柄を鷲掴みにすると、思い切り剣を振り抜く。

 

 その間に一瞬真空が発生し、それが爆発してキリトはアリスと共に後ろへ吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 傷ついた少女の体を、片腕で抱きしめて自分をクッションにする。

 

 直後に背中へ強い衝撃が走り、気の抜けた声が喉の奥から漏れた。

 

「っつぅ……」

 

 顔をしかめるキリトの胸の中で、かすかに少女騎士が笑った。

 

「……なん、だ。まだ、動けるでは……ないです、か……」

「…………ああ」

 

 一部始終を見ていたカーディナルが、離れた場所でホッと胸をなでおろす。

 

 キリトは痛みを堪えながら彼女の背後より体を引き抜き、生々しい火傷を負った彼女を優しく寝かせる。

 

「あとは……頼みましたよ」

「……任せてくれ」

 

 その一言を言い切った瞬間、糸が切れたようにアリスは気を失った。

 

 彼女に笑みを送ってから、キリトは震える体に喝を入れて立ち上がる。

 

 そして、じっと赤い切り傷の入った自分の手を見下ろすアドミニストレータを睨みつけた。

 

「……こうまでくると、流石に不愉快ね」

「何でもかんでも、あんたの思い通りにはいかないって事だ」

 

 死の覚悟を決めてでも、唯一残った少女を守る為に己を鼓舞し、言い返す。

 

 渋面を形作ったアドミニストレータは、そんな彼に羽虫を見るような目を向けた。

 

「何なの? お前達は。どうしてそう、醜く無様に足掻くの? すでに結末は決まっているというのに、何故その過程を自ら引き延ばすの?」

「過程が大事なこともある。這いつくばって死ぬより、剣を握って死ぬことを選ぶさ。……俺達は、人間だからな」

 

 その身を賭して、最後まで守り抜くことに全てを捧げた気高い親友のように。

 

 己の罪を贖う為に、人々の明日を守る為に、剣となった、優しい親友のように。

 

 今こそ自分も、恐怖を乗り越え、最後の瞬間まで生き抜いてみせよう。

 

 

 

 

 

 その覚悟が、奇跡をもたらす。

 

 

 

 

 

 キリトの体からオレンジ色の燐光が立ち上り、その装いを変えていく。

 

 武器庫から拝借した衣服は、かつて彼が鋼鉄の城を駆け抜けた時の衣装へと変身していった。

 

 落ちてきた長い前髪を、指ぬきグローブをはめた左手でかきあげると、黒革の長い袖を翻して剣を構える。

 

「漆黒の装い……まるで暗黒騎士ね。いいわ、あくまで苦痛を望むというのなら、お前にはとても惨たらしい最期を与えましょう。殺してくれと懇願したくなるほどの、ね」

「それじゃ足りないな。俺の愚かさを償うには」

 

 女神の宣告に真正面から言い返して、低く腰を落とす。

 

 どこまでも反抗するその姿に、冷酷な笑みを浮かべたアドミニストレータも銀剣の切っ先を定めた。

 

 

 

(あの剣はさっきまでのレイピアほどじゃないだろうが、かなり高優先度のはずだ。何撃も打ち合っていたら俺の剣の天命が先に尽きてしまう。その前に、連続技で勝負を決める!)

 

 

 

 ここまで彼女を追い詰めた親友達の奮闘に恥じないように、友として。

 

 彼らに剣を教えた剣士として。ぐっとよく手に馴染んだ黒い剣の柄を握りしめる。

 

 そして、規定通りの構えを行ったことで刃に光が宿った瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

「おおぉォオオッ────!」

 

 

 

 

 

 

 

 キリトは、アドミニストレータへと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 ──口の中に、血の味が滲む。

 

 

 

 

 

 

 

 ──牙や舌を濡らしていく己の金血は、その一滴一滴が流れ出る天命そのものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──それが恐ろしく、不快で……だが、どうしたことか、澄んだ心だけは心地がいい。

 

 

 

 

 

 

 

 ──その矛盾の、何と奇妙なことか。

 

 

 

 

 

 

 竜となって、少し経ったからだろうか。

 

 未だなり損ないのソレは、思考のようなものを持っていた。

 

 呼吸は浅く、全身の傷は酷く痛む。何より、途中から感覚のない右後脚が酷かった。

 

 だが、そんな痛みもさして気にしないまま。

 

 ソレは、ぼやける視界を全力で定めると、目の前の光景を見届けた。

 

 

 

 

 

 黒衣の剣士が、戦っている。

 

 この、小さな世界の支配者であり、箱庭の創造者である女神に、たった一人で抗っている。

 

 その双肩に、あらゆる願いを背負っている様は、空に輝く星々よりも美しい。

 

 それを傍観することしかできないのが、何故だか生まれたばかりの自分に相応しい気がした。

 

 

 

 だが、やはり女神は強大だった。

 

 

 

 剣士が絶対の信頼を置き、自信をその魂に抱いていた、連続する剣光の軌跡。

 

 女神はそれを、銀剣をあらゆる形へと瞬時に変え、次々に放ってきたのだ。

 

 この世界の理を統べる彼女にとって、組み込まれた剣技を模倣することは造作もなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 それに、剣士は傷ついていった。

 

 最初こそは剣で弾き、拮抗していたものの、次々と振るわれる剣がその身を傷つけていく。

 

 やがて、大きくその胸を切り裂かれた剣士が、自分のすぐ側で膝をついた。

 

 瞳は震え、口を戦慄かせ。己の誇りでもあるそれを正面から打ち砕かれ、怯えてしまっていた。

 

「──いいわね。その顔」

 

 女神が、剣士を嘲笑う。

 

「剣の戦いなんて、面倒なばかりだと思っていたけれど……こうして直に相手の苦しみを見ながら切り刻むのは、中々快感だわ」

 

 愚弄する女神に、剣士はもう何も言い返すことができなかった。

 

 唯一、彼女に勝ちうると思っていたものが通じなかったのだから。

 

 だからせめて、このまま斬られてしまおうとすら思い始めて。

 

 

 

 

 

 

 

「らしく……ないぞ……。諦める……なん、て」

 

 

 

 

 

 

 

 一人の声が、光を差した。

 

 ハッとして、剣士は目の前を見る。

 

 すると横たわっていた、その身を分たれた青年が微かに笑った。

 

 いつ命の炎が消えてもおかしくないはずなのに、ソレの目には強い魂の輝きが見える。

 

「ユー、ジオ……」

「キリト……」

 

 互いの名前を呼んで。

 

 凍りついた青年が、言葉を続けた。

 

「あの……八年前の日。君は、アリスが連れ去られようとするのを見て……整合騎士、に……勇敢に、立ち向かおうと……したね」

「俺、が……?」

「だから……今度こそ……僕が、背中を押すよ……誰にも、止められないくらい……さあ、キリト。君なら、立ち上が……れる。何度、だって……」

 

 青年は、自分の傍にある折れた剣を、力のない手で掴み取る。

 

 そして、自分の血で濡らしながら胸に抱くと──そこに、暖かな緋色の光が生まれた。

 

「何を──っ!?」

 

 声を荒げようとした女神は、その光に目が眩んで後ずさる。

 

 呆然とする剣士の前で、青年は最後の力を彼のために振り絞った。

 

 

 

 

 

 広がる血が、粒子となって立ち上る。 

 

 それらは壊れた剣へと収束していき、みるみるうちに失われた刃を形作った。

 

 透き通る水晶のように青かった剣が、真紅の色に染まっていく。

 

 

 

「物質変換術、じゃと──!?」

 

 

 

 あり得ざる奇跡の光景に、賢者が剣士の背後で心底から息を呑んでいた。

 

 そうして完成した、全てが赤くなった薔薇の剣を、青年は剣士に捧げる。

 

 受け取ったその剣を、彼はその実在を確かめるかのように強く握った。

 

 そこに宿る、青年の魂の欠片までもを、感じ取るようにして。

 

 

 

「さあ……立って、キリト。僕の、親友。……僕の、英、雄………………」

 

 

 

 そして。青年は、目を閉じた。

 

 彼の言葉に、意思に、譲り受けた希望に。幾筋もの涙をこぼしながらも、剣士は笑った。

 

 

 

「ああ……立つよ。お前のためなら、何度でも」

 

 

 

 確と答えを告げ、剣士はまた、立ち上がる。

 

 歯を食いしばり、傷にまみれても、なお。

 

 ──そして、不意に自分へと目を向けた。

 

 

 

「見ていてくれ、ルーク。俺は……抗い続けるから」

 

 

 

 覚悟を口にし、身を翻した剣士は。

 

 己の終わりをもたらすであろう女神と、対面するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──ああ。なんて、愛おしい

 

 

 

 

 

 

 

 その背中を見送って、ソレは心から感嘆に打ち震えた。

 

 懐かしい背中。ずっと自分の後ろにあったのに、気がつけば追い抜かれていた。

 

 知らないはずの懐かしさと寂しさの中で、ソレは血に沈んだ口を歪ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 ──そうだ、■■■。翔べ、誰より高く。誰も、追いつけない彼方まで

 

 

 

 

 

 

 

 女神の呪縛など、この箱庭など抜け出して、翔び続けるがいい。

 

 あの(ソラ)の向こう側──お前が目指すべき、大いなるその果てまで。

 

 きっと、それこそが。ずっと自分が愛し、守ろうとした。

 

 そして今、再び翼を広げたであろう、お前なのだから。

 

 

 

 

 

「愛は支配。私は全てを愛する。私は全てを支配する!!」

 

 

 

 

 

 抗い続ける剣士に、簒奪者と呼ばれた女神がそう叫ぶ。

 

 否、否。

 

 愛とは縛り付けることではない。己の手の中に握りしめて独占するものでもない。

 

 いつか羽ばたいていくその日まで、暖かく包み込み。

 

 やがて、手放すものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──ああ、だから。俺も、俺にできることを、最後までやり遂げよう

 

 

 

 

 

 

 己に残った、唯一の残滓に従って。

 

 

 

 

 

 ずっと剣士を見つめ続けていた瞳を、別の方へと向ける。

 

 目を閉じた青年。そして、女神の炎に焼かれ、傷つき、倒れた少女。

 

 剣士と同じほどに愛しい彼らに、ソレは失われていく力を振り絞った。

 

 

 

 

 

 ──ィイン

 

 

 

 

 

 清涼な音を響かせて、青年と少女の体に白い光が纏わりつく。

 

 心意の力を用い、傷ついた彼らをそっと持ち上げると、自らの胸の中へと招いた。

 

 今にも消えてしまいそうなその輝きに目を凝らし、緩慢に口を開いて。

 

「待て」

 

 ふと聞こえた声に、目を向ける。

 

 そこには、どうしたことか涙の跡を目元にこさえた幼子が一人。

 

 自分を見上げ、その幼子……もう一人の世界の調停者が、問うてくる。

 

「その者達を、一体どうする。これ以上、何をするつもりなのじゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 ──何をするか。

 

 

 

 

 

 

 

 ──決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 ──我が愛しき宝を、守るのだ

 

 

 

 

 

 

 

 瞠目した幼子の前で、今度こそソレは自分の使命を全うした。

 

 

 

 

 

 ハァアアアア…………

 

 

 

 

 

 吹きかけた吐息は、純白の霜。

 

 それは青年の、少女の体を覆い、繭のように編み上げると卵の形を成した。

 

 それだけではない。

 

 なおも吐息を止めることはなく、二つの卵を前の両脚と先が欠けた尾、一対の翼で包み込んだ。

 

 そして、自分自身を霜の中へと閉じ込めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 ──凍れ、凍れ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──何よりも冷たく、温かな揺り籠よ。

 

 

 

 

 

 

 

 ──失われる命を繋ぎ止め、我が生命をこの子らへ。

 

 

 

 

 

 

 

 ……やがて、その体が凍りつく時。

 

 

 

 

 

 

 

 最後に見えた、ソレの行いに泣き腫らす幼子へと懇願する。

 

 

 

 

 

 

 

 ──あとを、頼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「…………任せるがよい。我がフラクトライトにかけて、お主の献身を決して無駄にはせぬ」

 

 

 

 

 

 

 

 捧げられた答えに、満足げに微笑んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソレは、繭の中へ自らを閉じ込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






次回、終幕。


最期の物語をお届けします。
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