ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜   作:熊0803

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陰鬱な雰囲気の中、各々の人物の心情を楽しんでいただけると嬉しいです。


失い、彷徨い、それでもなお。

 

 

 

 

「もう、姉様ったら心配性なんだから。そんなに厚着しちゃ、逆に汗をかいちゃうわ」

 

 

 

 数歩先を行きながら、横顔を振り向かせたセルカは少し呆れたように笑う。

 

 それに、キリトを乗せた車椅子を押しながらアリスは「そうかもしれないわね」と苦笑した。

 

 しっかりと厚木の服を着て、首元も冷風が入らないようにされたキリトを一瞥し……その手の中にある、青金の剣を見る。

 

「ユージオも、そう思うよね……」

 

 小さな呟きは、すぐ後ろにいる姉にさえ聞こえるものではなかった。

 

 そんな彼らを、周囲の色鮮やかな木々と、隙間から差し込む陽光が暖かく見守っている。

 

 小屋から歩き出してもう十分ほど。三人が歩く道は、徐々に上り坂に変わっていた。

 

 苦もなく、一人と神器2本分の重量を乗せた車椅子を悠々と進めていくアリスに、ふとセルカが尋ねる。

 

「姉様、平気?」

「大丈夫よ。セルカも、こちらばかり見ていて転ばないようにね」

「ふふっ、わかってるよ」

 

 笑い合ううちに、ついに前方に小高い丘が現れた。

 

 最後の一押しと言わんばかりに、二人は歩く速度を少し早め──直後、一気に視界が開ける。

 

 

 

 

 最初に見えたのは、東の端まで広がる二つの大きな湖。

 

 双子池と村人達は呼んでいるその奥には広大な湿地帯が広がり、南には鬱蒼とした森があった。

 

 そして、北には白い雪で覆われた《果ての山脈》。かつて飛竜に跨り、あそこを越えて戦いに赴いたのだ。

 

「あれ……山の方に飛んでいるのは、鳥かな?」

 

 絶景と呼んで差し支えない光景を眺めていれば、セルカがそんなことを言った。

 

 彼女の言葉に、ふとそちらを見て──アリスはわずかに左の目を見張らせる。

 

 

 

 山脈の頂上近く。そこに、ポツリと浮かぶ黒い影。

 

 

 

 まるで何かを探しているかのように、一定の軌道を描いて旋回している。

 

 極小の点、針の穴のように小さなそれは、セルカには何かの野生動物に思えただろう。

 

 だが、規則的に羽ばたくその輪郭が、優れた視力を持つアリスにはハッキリと見えていて。

 

「……そうね。きっと、山脈に生息している野鳥の類いでしょう」

「そっか」

 

 飛んでいる何かへの話題を終わらせ、ゆっくりとアリスが視線を眼前の風景に戻す。

 

 そんな姉に合わせて、セルカも今一度丘から一望できる絶景を楽しむように口元を緩ませた。

 

「綺麗だわ。カセドラルの壁に飾られていた、どの絵よりも綺麗」

 

 微笑みながら、椅子の手押しから片手を離し、少年の肩に添える。

 

 微動だにしない彼に、囁きかけるように言葉を紡いだ。

 

「貴方が……貴方達が守った世界よ。キリト、ユージオ」

 

 それに……と、続けようとした言葉を止める。

 

 音にしてしまうと、どうしようもなく悲しくなるから。

 

 口の中で呟くだけに、留めたのだ。

 

 

 

 

 どれくらい、そうしていただろうか。

 

 気がつけばソルスの高さが変わっていて、アリスはそろそろ戻ろうと思い至る。

 

 帰ったら、昼食にしよう。最近ようやく料理の腕がまともになってきたところだ。

 

 最初の頃は熱素でパイを炭にしたっけ、と含み笑いをすると、車輪と自分の足の他に、もう一つの足音がないことに気づく。

 

「セルカ?」

 

 思わず立ち止まって振り返ると、妹は二メルも離れた場所を歩いていた。

 

 先程までの爛漫な様子はなく、僅かに顔を俯かせた彼女は暗い表情で地面を見つめている。

 

「ごめんなさい。ちょっと待っててね」

 

 キリトに一言断ってから、セルカの方へと行く。

 

 立ち止まっていた彼女は、アリスが目の前にやってきても表情の翳りを消そうとしなかった。

 

 そっと茶色の髪を撫でる。なるべく優しい声を意識して、言葉をかけた。

 

「どうしたの? 何か困りごと?」

 

 もしや、今更ながら自分にガリッダ老人を紹介し、あそこに小屋を立てたことを父に叱責されたか。

 

 幼少の記憶がない今のアリスには、この愛しい妹が何に悩んでいるかも、父がどういう人物だったかも瞬時には分からない。

 

 ただ問いかけることしかできないもどかしさを少し感じていると、躊躇いがちにセルカが答えた。

 

「あのね……バルボッサのおじさんが、また開墾地の木の始末を頼みたいって……」

「なんだ。そんなことだったの。伝えてくれてありがとう、だから暗い顔をしないで?」

「だって……勝手すぎるわ、あの人達。二人もそう思うでしょ?」

 

 キリトと、彼の手の中にある剣に不満への同意を求める。

 

 当然彼らが答えることはないが、セルカの言葉は止まらなかった。

 

「バルボッサさんも、他の人達も、姉様を村に住まわせようとしないくせに、困った時だけ助けてもらおうとするなんて……言っておいてなんだけど、断ってもいいのよ?」

 

 訴えかけるアリスと同じ色の瞳は、むしろ断ることを推奨するかのようだ。

 

 

 

 

 

 確かに、村人達のアリスへの対応は良いものではない。

 

 半年前に現れた時、〝彼〟が脅しかけたことも響いているのか、交流はほぼ断絶している。

 

 だというのにこうして頼みを聞いているのは、数日に一度の騎士の差し入れでは到底賄えない日々の糧を得るため。

 

 そして、セルカやキリト達への少しの義理だ。

 

 じっと自分を見つめてくる優しい妹にクスッと笑って、アリスは首を横に振る。

 

「気持ちだけもらっておくわね。今の生活も悪くないと思っているし、村のはずれにいさせてもらえるだけでありがたいことだわ。食事をとったらすぐに行くわね。場所はどこ?」

「……南の開墾地」

 

 不承不承といった様子で、小さくセルカは質問に答える。

 

 ありがとう、とまた頭を撫でる姉に、急に顔を上げた彼女は一歩詰め寄った。

 

「私、来年には見習い期間が終わって、少しだけどお給金がもらえるようになるの。そうしたらあんな人達の手伝いなんかしなくたって、私が二人を……ずっと…………」

 

 この子は、どこまで心優しいのだろうか。自分の胸元を指先で握る姿に温かいものを覚える。

 

 同時に、その優しさを受けるべき本来の〝アリス〟に申し訳なさを感じてしまった。

 

 未だここにいる自分は、最高司祭が作り上げた仮初の人格なのだ。

 

 ユージオと共に剣になった彼女が帰ってきた暁には、今度こそこの体と魂を返そうと、密かに決意する。

 

 それとは裏腹に、アリスは大きく腕を広げると、包み込むようにセルカを抱擁した。

 

「姉様……?」

「大丈夫よ、セルカ。あなたが気に病む必要はないから。私はあなたがそばにいてくれれば、それだけで幸せなのよ」

 

 慈しみの籠った言葉に、少女はくっと小ぶりな唇を引き結んで。

 

 記憶がなくても変わらない、温かな姉の胸に額を埋めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 カセドラルを発ってから、もう二日が経つ。

 

 

 

 

 

 

 

 北へ向かうほどに頬を撫でる風は冷たいものになっていき、まるで眠気など感じさせなかった。

 

 途中、ザッカリアという街で宿を取り、現在は《果ての山脈》が北の方角に見えている。

 

「もう少しだ。気張れよ、蒼星(アオボシ)

 

 首を撫で付け、股の下にいる飛竜へ語りかける。

 

 通常の同種より一回り大きく、深い青色の鱗を備えた竜は彼の言葉に鳴いて返事をした。

 

 

 

 ──妾の体を心意で形成(かたな)し、駆ればよいものを。その小童より余程疾いぞ? 

 

 

 

「お前みたいなデカブツに乗れるか。北帝国中が大騒ぎになるわ」

 

 百メルになろうかという威容を頭の中に思い描き、渋い顔で拒否する。

 

 最近やたらと口出しが多くなった相棒が、ハッとつまらなさそうな声を漏らした。

 

 街を出たあと、飛竜に乗ることさえ苦労したのに、と溜息をついた。

 

「……そういや、さっきの街で」

 

 ふと昨晩のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 宿の窓際で夜空を見上げ、今日の予定を立てていた時のこと。

 

 下の道を巡回の衛兵が通り、その二人組はある人物達について話し合っていた。

 

 新米らしき彼らは、一年と数ヶ月前まで在籍していたという三人組について口にしていたのだ。

 

 

 

 ──最近物騒になってきたよな。教会から再編成と訓練の強化のおふれなんてよ

 ──だよな。衛兵長はやる気が漲ってるし、おかげで隊の空気もピリついてる

 ──あーあ。こんな時、あの三人がいたら上手く空気を和らげてくれるのになぁ

 ──だよな。特にほら、あいつ。他の二人を弟みたいに扱ってて、俺らのリーダーみたいにもなってたよな

 

 

 

 確かに、と片方が返しながら、衛兵達は遠ざかっていく。

 

 その時、ライオットは彼らが誰の話をしているのか、一瞬で察した。

 

「……あいつがいれば、か。確かにな」

 

 ふっと、悲しげな笑みが口元に浮かぶ。

 

 もしも〝彼〟が健在であれば、自分が赴くまでもなくあの騎士は剣を置かなかったかもしれない。

 

 愛する者達が暮らす人界を守る意思を彼が持っていた以上、どちらにせよあの無双の力を振るってくれたであろう。

 

 

 

(でも、そんなこと関係なく……あいつには生きていてほしかったさ)

 

 

 

 衛兵の彼らや、他の誰かがそうだったように。

 

 純粋な友人として、ライオットはあの結末をどうしても受け入れられない。

 

「ったく、いつまで引きずってるんだか」

 

 いくら悔やんだところで、何も返ってこないというのに。

 

 この半年、幾度となく繰り返した問答に、深く溜息をついた。

 

 

 

 

 

 ──ィイイイ

 

 

 

 

 

 気持ちを切り替えようとしたその時、突如として背中の《蒼竜の琴剣》が震える。

 

 一体何かと思えば、前を見るように相棒は意思を伝えてきた。

 

 それに従って前方に目線を戻すと、そこには新たな光景が広がっている。

 

「あれが……ルーリッドか」

 

 空飛ぶ軌跡の行く末に見える、それなりに大きな一つの村。

 

 高く聳える《果ての山脈》に寄り添うようにして存在するその村は、とても長閑に見える。

 

 村の外に広がる畑には農作業に勤しむ村人の姿が散見され、迫る危機などまるで知らぬようだ。

 

 

 

(平和そうな村だ。あいつが……とても好いていた理由が、なんとなく分かる)

 

 

 

 何の変哲もない、平凡なその村を見つめていると、また剣が震える。

 

 

 

 ──其方ではない。

 

 

 

 言葉を用いて、見せようとしたものがそれではないことを示す。

 

 では何だと聞きかけて──ふと、口を閉じる。

 

 その時不意に閃いた直感に従って、とある方向に顔を向けた。

 

 

 

 

 

 村の近くに広がる森。その一箇所が大きく開けている。

 

 まるでソルスやテラリアの恵みを吸い取られたように黒々とした地面が広がる中心に、巨大な切り株があった。

 

 直径数十メルになろうかというそれのすぐ近くには、横倒しになった漆黒の大樹が寝そべっている。

 

 

 

 

 

 

 

 その大樹の先端の側に、人がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 遠目から見ても大柄なその人物は、外套で身を包み、正体を隠している。

 

 フードから下半分が露出した顔が、しっかりとライオットへ意識を向けていた。

 

「……待ち人来たる、ってか?」

 

 言いながらも、蒼星の手綱を繰って切り株の方へと進路を変えた。

 

 忠実に従った飛竜は翼を唸らせ、ルーリッドから切り株へと旋回していく。

 

 ゆっくりと速度を落としながら、徐々に高度を下げて、やがて一直線に伸ばしていた体が着陸体制に入った。

 

 たっぷり十分以上の時をかけて、突風を巻き起こしながらその広場に蒼星は着陸する。

 

「よし。ここまでよく頑張ってくれたな、蒼星。あとでちゃんと休ませてやる」

 

 クルル、と機嫌良さげに鳴いた飛竜を労って、ライオットは背から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 地に足をつけ、それから五メルほど離れた場所に佇む、巨躯の人物を見やる。

 

 すぐ側にある人界最大だろう大樹のように、微動だにせず立つ様は不気味だった。

 

「……バルドの旦那、でいいんだよな?」

 

 顔の見えぬその偉丈夫に、念の為と問いかける。

 

 偉丈夫は答えない。身じろぎをすることもない。

 

 その泰然とした様子が、ライオットに確信をもたらした。

 

「半年ぶりだな。相変わらず鎧と盾は西帝国の火山に沈めたままか?」

「……何用だ、蒼角の」

「あんたを連れ戻しに来た。近く、東の大門が崩れ去る。俺達担い手が使命を果たす時だ」

 

 流れる小川のように流々と言葉を並べながら、酷い詭弁だと思った。

 

 自分の目で〝彼〟の末路を目の当たりにし、本当にこれは正しいことなのかと。

 

 今の自分がその使命に対して疑問を抱いているというのに、何故他人にそれを促しているのか。

 

 あるいは、自分よりさらに100年以上生きているこの騎士ならば答えを持つのかと、そう考える。

 

「…………断る」

「……何故だ。あんたはこの時の為に、ずっと備えていたはずだろう」

「我が剣は、志を失った。今の私には、あの滾るような憎念も……かの女神に死を齎す為の剣意も無い。精々が、獣を狩る程度のものだ」

 

 淡々と述べられた拒絶に、だが不思議とライオットは一片の驚きも感じなかった。

 

 その答えは予想していたし、理解していた。

 

 ……何よりも、バルドの気持ちへ痛いほどに共感できた。

 

 だから、声を荒げることもなければ、背を向けて立ち去ろうとしても、呼び止めることもしない。

 

「……あいつは。あんたを、ずっと最強だと信じていた。超えるべき壁だってな」

 

 ただ。どうしても諦められない、葛藤への答えを欲する心が、口を滑らせる。

 

 足を止めたバルドは、少しだけライオットに振り返った。

 

「……私は、あの子に何もしてあげられなかった。父として、担い手として。何も示せず、一度たりとて守ってやることができなかった」

「そう……だな。俺も、そうだった」

「……で、あれば。これ以上の問答など、無為であろうよ」

 

 その言葉を最後に、かつて最強の騎士であった狩人は、木々の向こうへ消えていった。

 

「……取り付く島もない、か」

 

 

 

 

 

 

 

 ライオットは、今度こそ気力の全てを吐き出してしまうように、大きく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

「っしょ、と。ありがとうございます」

「はいよ。気をつけてね」

 

 気の良い笑みを浮かべる店主に見送られて、露店を後にする。

 

 両手いっぱいに抱えた大きな袋の中には、しばらくの間の食料が詰まっていた。

 

 これを家まで持ち帰るのは少し骨が折れるが……以前よりは、ずっと軽い。

 

「今日は、何を作ろうかしら……」

 

 家路への道を歩きながら、献立を考える。

 

 以前は、休息日になる度に少し豪華な料理を作って、息子と一緒に食べていた。

 

 普段は鍛える為に決まった食事ばかりをしていた彼は、その時には「美味しい」と言ってくれたものだ。

 

 それを向かい合って見るのが、とても好きだった。

 

 

 

 だが、今となっては天命を損じないよう、命を繋ぐための行為でしかない。

 

 

 

 事実、彼女の目に宿る意思や表情はとても希薄で、今にも崩れ落ちてしまいそう。

 

 元より細かった体は、半年の時を経てさらに一回り肉が落ちていた。

 

 ただ、息子との楽しいあの時間が忘れられなくて……作ってもほとんど喉を通らない料理を、考えるのだ。

 

 

 

(ルーク。お母さん、何を間違えちゃったのかな?)

 

 

 

 ぼんやりと空を眺めながら、思い出すのは六ヶ月前のこと。

 

 村長の娘、アリスと共に帰ってきた異形を見た時の記憶だ。

 

 

 

 

 

 誰もが恐れ、暗黒領域の怪物と罵ったアレが何なのか、セフィアは一目で理解した。

 

 母親としての直感だったのか、あるいはアリス達を守ろうとした姿からか。

 

 すっかり姿形が変わってしまっても、あの怪物が……自分の最愛の息子だと、分かったのだ。

 

 

 

(あの時、ガフストさんの決定を無視してでも何かしてたら……あなたは、帰ってきてくれたのかな?)

 

 

 

 分かった上で、何もできなかった。

 

 立ち去る彼らを追いかけ、声をかけて助け舟を出すことをしなかった。

 

 恐ろしい現実に、足が震えて……どんな見た目だろうと生きて帰ってきた息子を、抱きしめられなかったのだ。

 

 それからずっと、世界の全てに靄がかかっているかのような気分でいる。

 

「ルーク……」

 

 ポツリと、その名前が口から零れ落ちる。

 

 村の誰もが、もはや存在を忘れたかのように息子のことを口にしない。

 

 それはアリスや、キリトが村のはずれに住んでいることも関係しているのだろう。

 

 だから自分が呼んであげないと、息子は手の届かないどこかに行ってしまうような。

 

 二度とこの世界に帰ってこないような、そんな不安が発作のようにやってくるのだ。

 

 

 

 

 

 その弱り方があまりに痛々しくて、彼女を慕う村人達は慮ってくれる。

 

 今日も、顔見知りの中でも特に親密な一家に畑を任せてしまった。

 

 

 

(どうせ、家に帰っても。あの子も……あの人だって、いないのにね……)

 

 

 

 陰鬱とした気持ちでいながらも、足は勝手に前へと進んでいく。

 

 慣れ親しんだ村の中だ。どんなに意識が朧げでも、家へと辿り着くことができる。

 

 あっという間に自宅の近くまでやって来て、宙に浮かせていた意識を現実へ引き戻した。

 

「…………?」

 

 目の焦点を定め、前を見た時。彼女は訝しげな顔をした。

 

 家の前に誰かが立っている。

 

 刺繍の入った上質な白い外套で、頭から膝下まで包み込んでおり、顔は見えない。

 

 ただ、起伏のある輪郭からそれが女性であることは分かった。

 

「ふむ……聞いた話では、ここが彼の生家のはずだが…………」

「あの……どちら様ですか?」

 

 恐る恐る声をかけると、その人物はこちらに振り向く。

 

 上半分が隠れた顔の、白く滑らかな肌や、薄く整った形の唇にハッとした。

 

 あちらも驚いたように少し口を開き、それからセフィアへ微笑みかける。

 

「失礼。こちらに住まわれている方でしょうか」

「ええ、ここは私の家だけど……その、なにか御用でも…………?」

「急に来て申し訳ない。実は私、ルーク君を──」

「ッ、ルークのことをなにか知ってるの!? あの子は今どこに!? お願い、教えてちょうだい!」

 

 その音を名前として認識したのとほぼ同時に、思考に絡まっていたものが吹き飛んだ。

 

 勢いに任せ、荷物を手放して詰め寄る。

 

 両肩を掴もうとしたセフィアに、その人物は落下していく紙袋に目線を定めた。

 

 素早く身を屈めると、片手で重量のある紙袋を捕捉し、もう片方でこちらにやってきた彼女の腰に手を回して抑える。

 

「っと!」

「っ、ご、ごめんなさい、私つい……」

「いえ、荷物が無事でよかった」

 

 我に返ったように表情を暗くさせると、その人物は穏やかに返答した。

 

「それよりも……今の反応から察するに、貴女は彼の?」

「ええ……ルークの、母です」

「そうでしたか」

 

 ふむ、と考え込むように呟く人物に、セフィアは体が疼いた。

 

 少しの間沈黙して、やや考えながらといった様子でその人物はまた口を開く。

 

「……まず、先に言っておきましょう。おそらく貴女の知りたいことを、私は知りません」

「そう……ですか」

「申し訳ない。……ひとまず、中へ入りましょう。随分とお体が弱っているみたいだ」

 

 腰に触れた手から、セフィアの衰弱を感じ取ったのか。

 

 優しい声音に従い、彼女と共に自宅の中へと入った。

 

 

 

 

 

 入ってすぐにある食堂へ、セフィアは導かれる。

 

 椅子に座った途端、久しぶりに大声を出した反動が現れたのかどっと疲れが湧いてきた。

 

 その人物は紙袋を台所の傍らに置くと、コップを一つ取って手を翳す。

 

「システム・コール。ジェネレート・アクウィリアス・エレメント」

 

 親指から小指にかけて、五つの水素が生成される。

 

 うち四つがコップの中に注がれ、さらに式句を唱えて残る水素を氷にすると水に落とし込んだ。

 

「これをどうぞ」

「あら、ごめんなさい……」

 

 差し出されたそれをうけとり、ゆっくりと口元に持っていくと傾ける。

 

 生み出されたばかりの新鮮なそれはするすると喉を通っていき、渇きが満たされていった。

 

「っは……」

「落ち着きましたか?」

「ええ。その、何から何まで、迷惑をかけちゃってごめんなさいね」

「とんでもない。しかし……」

 

 改めて、その人物はセフィアを見る。

 

 手足はやせ細り、頬は少しこけている。以前は少女のように若々しかったのだろうが、目元には心労らしき皺が浮かんでいた。

 

 自分でも健康的でないことは理解しているのか、青白い顔に自嘲気味な笑顔が浮かんだ。

 

「人に見せる顔じゃないわよね……でも、息子がああなってしまってから、ずっと何も食べられなくて……」

「……心中お察しいたします」

「優しいのね、貴女は……聞きそびれていたけれど、息子とはどういう関係で?」

「昔、少しだけ世話をしまして。久しぶりに顔を見にきた次第です」

 

 そうなの、という納得の言葉。

 

 次に彼女の口から告げられたのは、「ごめんなさいね」というものだった。

 

 すっかり口癖になってしまっているのだろう。壊れてしまいそうな微笑みに、その人物は唇を引き結ぶ。

 

 突然黙ってしまったことに首を傾げていると、不意にセフィアはコップを握る手を上から包み込まれた。

 

「ご婦人。もし体調が良くなったら、東の森に行ってみてください」

「え……?」

「そこに、もしかしたら貴女の苦悩を解決する方法があるかもしれない。私は諸事情があり、行けませんが……どうか、お忘れなきよう」

 

 囁くようにそう言って、セフィアの手を解放した彼女は「それではこれで」と食堂を出て行った。

 

 ぼんやりと、玄関の扉が開閉される音を聞きながら、先程の言葉を反芻する。

 

「東の、森……」

 

 何故だろうか。

 

 名前も、顔もわからないのに、どうしてか彼女の言葉を信じたくなる。

 

 息子を話す口ぶりに、親しげな色があったからだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 いずれにせよ……きゅっと、コップを握る手に力が込もった。

 

 

 

 

 

 

 






読んでいただき、ありがとうございます。
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