ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜   作:熊0803

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今回、彼女が出ますよ〜。


それにセフィアの見せ場も。



楽しんでいただけると嬉しいです。




母の意地

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──何を、間違えたのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──その問いに、今の俺は答えを持つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──全て、間違っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──剣を取ったことも。守ろうと願ったことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──彼らと、絆を育んだことさえも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──だから。もう何も求めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──誰もいない、果てなく広がるこの草原で、空を一人見上げていよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──意志を託す剣も、己の体と怯えを隠すものも、心や記憶さえ要らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──獣になろう。約定に従い、闇を屠り、愛すべきものを守り続けるだけの、一匹の獣に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──俺は、もう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──誰も、傷つけたくないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 道すがら、買い物を済ませたアリスはキリトと共に家路についた。

 

 しばらく村に顔を出すのが億劫な気分のまま、ようやく森の中の分かれ道を抜ける。

 

「……? あれは……」

 

 我が家へ視線を投じて、すぐに眉を顰める。

 

 寝床から雨縁(アマヨリ)が出てきて、もう一体の飛竜と戯れているのだ。

 

 群青色の体色を持つ雨縁に対し、黒い皮膜や鎧、白に近い灰色の鱗を持ったその飛竜には見覚えがある。

 

「あれは霧舞(キリマイ)……まさか、イーディス殿が…………」

「アーリスちゃん♪」

「ひゃっ!」

 

 突然後ろから肩を叩かれ、咄嗟に身構えながら振り返る。

 

 すると、おどけるように両手を上げた女騎士が悪戯げな笑いを浮かべ、そこに立っていた。

 

「イーディス殿! どうしてここに!」

「《果ての山脈》での偵察任務の帰りに、ちょっと寄ったの。アリスちゃんや、彼の顔を見に、ね」

 

 一瞬、自分の背後にいる車椅子の主人に視線を投じて、片目を瞑るイーディス。

 

 なるほど、と納得したアリスは、やって来た騎士が彼女であったことに内心安堵する。

 

 

 

 

 

 カセドラルにいた頃、ベルクーリと並び特に親身になってくれたのが彼女だった。

 

 懐が広く、聡明で、騎士としても非常に高い実力を持つ彼女を、アリスは信頼している。

 

 だからきっと、〝彼〟も……あのように彼女に心を許していたのだろう。

 

「本当は前に言った通り、ここに寄るつもりはなかったんだけど。霧舞がどうにも騒ぐし、それに飛ばせっぱなしだったから」

「いえ。他でもないイーディス殿であれば、私も心が楽になります」

「ありがとう」

 

 ふっと微笑み合う。

 

 実は以前、まだ小屋を立て始めた頃にもイーディスはここに来ているのだ。

 

 その際もアリス達の様子を見に来たのだが、静養するという二人にその権利があると言ってくれた。

 

 結局、数ヶ月経った今も他の騎士などが来た試しはなく、だからこそ今もこうして話している。

 

「じゃあ、最初に聞きにくいことを言っちゃうけど……彼の調子はどう?」

「……相変わらず、ですね。意識が戻る様子はありません」

「そっか。アリスはどう? 体を壊したりしてない?」

「はい。今日も村の開墾地で大木を切り倒したところです」

 

 自分は壮健だと伝える為に放ったその言葉は、思っていたより暗いものだった。

 

 イーディスもそれに気がついて、心配そうに表情を変えてしまう。

 

 ハッとしたアリスは、慌てて弁明するように本当に平気です、と早口に捲し立てた。

 

「ただ、その……」

「その?」

「…………〝彼〟に、会いまして」

 

 口の中で含ませるように言った瞬間、イーディスが顔を強張らせた。

 

 

 

 

 

 そのまま、沈黙が訪れる。

 

 開墾地での嫌な気分を思い起こさせる静けさに、アリスは視線を彷徨わせる。

 

「……そっ、か。彼、まだ頑張ってるんだ」

「……はい。また、私達は守られてしまった。この半年の間、幾度にも渡って」

「あはは、聞いてた通りだ。まったく……本当、お人好しなんだから」

 

 あれほど快活に笑っていたイーディスの変容に、アリスは驚きを隠せない。

 

 僅かに顔を俯かせた彼女は、少し寂しげで、悲しそうな色を目に映し出した。

 

 

 

(イーディス殿は、我々を除いて最後に彼と共にいた騎士……騎士団内で彼の人となりを知っている、数少ない人物)

 

 

 

 未だにアリスは、彼とイーディスが共に《雲上庭園》から上へと登った時のことを知らない。

 

 それを聞く前に、以前カセドラルヘ報告にやってきた際、カーディナルに彼の顛末を聞いて早々に任地に戻ってしまったのだ。

 

 一体、どんなやり取りをしたのか。何を話し、何を思い……彼を、どのように見ていたのか。

 

 全く明瞭としないが、それでもこの顔を見れば、少なくとも善い交流であったことは間違いない。

 

「……彼はいつも、《果ての山脈》の麓にある北の洞窟で暮らしているそうです。そして度々、山脈の上空を飛び、闇の手先の侵入を監視している」

 

 日中に見た、巡回をしているらしき彼の姿を思い出して、そう呟く。

 

 思えば、今日あの場に素早く駆けつけられたのは偶然外にいたからなのだろう。

 

 アリスの話を聞いたイーディスは、少し目を見張った後に淡い微笑みを浮かべる。

 

「そうなんだ。流石は北の竜に代わる守護者、ってところかな」

「……不躾を承知でお伺いしますが。イーディス殿、貴方は彼をどのように想っていたのですか?」

「そうね…………とっても頑張り屋さんな男の子、かな」

 

 自分のことなんか気にしないで、何でもしちゃうくらい、と彼女は答える。

 

 その懐かしげな様子に、やはりとアリスは確信を深めた。

 

 

 

 

 

 他の騎士や、カセドラルの者達と異なり、彼女は罪人という偏見無く彼の本質を見抜いている。

 

 実際に言葉を交わし、共にいる時間を重ねれば分かることだ。

 

 彼や、キリトやユージオがどれだけの想いを背負って、あの塔を駆け上がってきたのかが。

 

「それに……もしかしたら、私のことを…………」

「イーディス殿?」

「……なんでもない。きっと、気のせいだから。ちょっと任務で疲れてるみたい」

 

 誤魔化すように笑う顔に違和感を感じるものの、ひとまず頷いておく。

 

 そこで、はたとあることに気がついた。

 

「その、イーディス殿。来ていただいて感謝しているのですが、生憎と家には客人を泊める用意がなく……」

「ああ、いいのいいの。本当に顔を見にきただけだから。それに私、野宿は得意なのよ?」

 

 胸を張る彼女に、今度はなるほどと素直に納得する。

 

 闇素術を得意とすることや、神器の性質上、イーディスは密偵や単独任務に就くことが多い。

 

 それに伴って必要な技能も会得しているので、今の言葉は決して偽りではないだろう。

 

「一晩どこかで霧舞を休ませたら、すぐにカセドラルヘ戻るわ」

「本当に申し訳ない。此度のことも、我々のことも……」

「気にしないで。それじゃ……もし彼に会ったら、よろしく伝えてね」

 

 気さくに手を振ると、イーディスはその場を離れていった。

 

 雨縁とじゃれあっていた霧舞の元へ行き、出立を促せば、飛竜は同族と額を合わせて別れを告げる。

 

 そうして、少し開けた場所にまで移動してから霧舞の背中に飛び乗り、イーディスは今一度アリスに頷いた。

 

「ハッ!」

 

 

 

 ギュアァアン! 

 

 

 

 

 手綱を引かれ、それに従って霧舞が翼を大きく広げる。

 

 数歩の助走をつけ、突風を巻き起こしながら飛び上がった飛竜は、空へと舞い上がっていった。

 

「……彼は。イーディス殿のことを、覚えているでしょうか」

 

 それを見送るアリスは。

 

 やや遅ればせながら、そんな返事を空へ投げかけた。

 

 

 

 

 

 

 

(北の洞窟、か…………)

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 バルドに一蹴されたライオットは、ひとまずルーリッドの近郊に安全な場所を探した。

 

 

 

 

 

 住民に知られることなく過ごせる場所を探し、東の森に移動して、そこである場所を見つける。

 

 森の奥にひっそりと存在する、小さな池だ。

 

 幸いにも獣の影は近くになく、そこで飛竜を休ませることにしたのである。

 

「村からそれなりに近いが、まあ少しなら平気だろ」

 

 どことなく居心地の良い池のほとりで、そう自分を納得させるように呟く。

 

 それから、池の水面に舌を何度も這わせている蒼星の太い首を撫でた。

 

「お前も、ここが気に入ったみたいだな」

 

 もう一匹の相棒が執心している池に、ふと視線を投じる。

 

 半日以上飛び続けてそれなりに汗をかいている。じっとりと下着に滲んだ感触が不快だ。

 

 

 

(……まあ、軽く汗を流すくらいは問題ないか)

 

 

 

 蒼星の鞍に備え付けられた荷物入れの中から、手拭いを取り出す。

 

 池に向かって跪き、籠手を外して傍に置くと、手拭いを濡らす為に両手を水面につけた。

 

 

 

 

 

 ──イイィイィイイ

 

 

 

 

 

 その時。不意に耳鳴りがしたかと思えば、頭の中にある光景が浮かんだ。

 

 

 

 

 

 今、自分がいるこの池の風景。

 

 そこで、黒髪の少年と金髪の少女が手元で何かを弄くり回している。

 

 彼らを灰色の髪の少年が優しげな目で見守っていて、ライオットは息を呑んだ。

 

 不意に二人の背後の茂みが揺れ、そこから亜麻色の髪の、同じ年頃の少年が現れる。

 

 

 

『キリト、アリス。こんなところで何をしているんだい?』

『あっ、ユージオ』

『やべっ、見つかっちまった』

『あーあ。だから言ってたのになぁ』

 

 

 

 まるで最初から少年がいたのを気がついていたように、くつくつと灰髪の少年が笑う。

 

 黒髪の少年が恨めしそうな目で見る中で、金髪の少女は仕方がないというように微笑んだ。

 

 

 

『いいわ、キリト。もうここで渡しちゃいましょうよ』

『……まあ、ちょうど出来上がったところだったし。むしろ、いいタイミングだったな』

 

 

 

 少女の言に納得した少年に、一人置いてけぼりにされている亜麻色の髪の少年は困惑する。

 

 そんな彼に、少年と少女は顔を見合わせて、せぇのと声を重ねると。

 

 

 

『ユージオ、はいこれ! ちょっと早いけれど、お誕生日おめでとう!』

『これは俺達からの贈り物だ!』

『っ、これ……!』

 

 

 

 二人が満面の笑みで差し出したものに、その少年は大いに驚いた。

 

 それは、手作りの木剣だ。子供が振るためなのか、従来のものより小型である。

 

 だが、白金樫を削って作ったのだろう剣の柄にはしっかりと革が巻かれ、光沢のある鞘には白い糸で竜の刺繍がされている。

 

 手作り感のある、しかし子供ながらに立派なその剣は、心を込めた唯一無二の逸品だった。

 

 

 

『これを、僕に……? こんな、凄いもの……』

『お前、父ちゃんに買ってもらった木剣を折っちまったって言ってたろ? だから、お前の兄貴が持ってるような本物じゃないけど……でもこれは、雑貨屋で売ってるどんな木剣より凄いんだぜ!』

『受け取って、ユージオ』

 

 

 

 おずおずと、少年は二人からの贈り物を両手で受け取る。

 

 じっと、見開いた目でそれを見つめて……やがて、一雫の涙をこぼした。

 

 

 

『ほんとだ……これ、兄ちゃんの剣よりも重いよ! 凄いや……僕、こんなに嬉しい誕生日の贈り物、初めてだ……』

『お、おい、泣くなよ!』

『それだけ嬉しいんだろ』

 

 

 

 狼狽える少年の黒髪を、木から離れてやってきた灰髪の少年が少し荒っぽく撫でる。

 

 それから、嬉し泣きをしているユージオの前に立つと、優しい笑顔でずっと背中に隠していたものを差し出した。

 

 

 

『ユージオ、俺からも。誕生日、おめでとう』

『これって……もしかして、新品の靴かい……?』

『お前、ジンクの馬鹿がこれ見よがしに自慢しているのを羨ましそうにしてたろう? だからピカピカの、とびきりいいやつを買った。それを履いてあいつに自慢し返してやれ』

 

 

 

 自分が普段、衛士の職務をしている時に使っているものより上等なそれを、少年の胸にそっと押し付ける。

 

 両手で抱えた亜麻色の髪の少年は、また目を大きく見開いて──それから、もう一度笑った。

 

 

 

『うん! 僕、大事にするね!』

 

 

 

 輝くような、その笑顔。

 

 

 

 

 

 それを最後に、頭の中を満たしていた幻は消えた。

 

 反射的に立ち上がり、ライオットは池から距離を取る。

 

 そして脳裏に刻まれた四人の子供の記憶に、呆然とした表情を見せた。

 

「今、のは……」

 

 

 

 ──この場所に残る、担い手の思い出じゃろうな。お主はそれに共鳴したのよ 

 

 

 

 自らで考えつくよりも先に、すぐ側に突き立てた愛剣から答えが返ってくる。

 

 ライオットは驚きを露わにした後、その場で俯いた。

 

「…………クソが」

 

 グッと、手拭いを持つ右手に力が篭る。

 

「クソが。クソが、クソがッ!!」

 

 次の瞬間、大声で怒号を張り上げると、手拭いを力任せに近くの木へ投げつけた。

 

 本来であれば柔らかく、ただ叩きつけられるだけだった手拭いは人外の膂力により幹に穴を穿つ。

 

 パラパラと零れる木片を見ながら、肩で息をしたライオットは大きく舌打ちをした。

 

「なんで……なんで、諦めさせてくれねえんだ…………」

 

 いっそ、この世界のあらゆるものから彼の痕跡が、跡形もなく消えてしまえば。

 

 そうしたら自分は、今度こそあの好敵手への未練を断ち切れるのだろうか。

 

 永久に答えの出ないその疑問に、ただただ腹立たしさだけが募っていく。

 

 

 

 

 

 今にも胸が張り裂けそうな寂寥は、どうしたら埋められるというのだろう? 

 

 

 

 

 

 陰鬱とした気持ちを処理することができず、石像のように立ち尽くしてしまう。

 

 如何ともしがたい感情を、いつものように噛み砕こうとした時。

 

 不意に、近くの茂みから音がした。

 

「っ」 

 

 素早く反応したライオットは、警戒の視線をそちらへ飛ばす。

 

 木と木の間の向こう側から、それなりに大きな気配がこちらへ近づいてきている。

 

 池に水を飲みにきた獣かと、握った拳を力ませて。

 

「あ……ここって、あの子が昔話していた……」

 

 

 

 

 

 

 

 現れた、妙齢の女に拍子抜けした。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 少しやつれたその女性は、池を見て何かを思い出したように呟く。

 

 それから、池のほとりでこちらに振り返っている大きな飛竜に驚きを見せた。

 

「……なあ、あんた」

 

 蒼星を凝視する彼女に、ライオットは声をかけて自分の存在を主張する。

 

 それでようやく反応した女性は、彼を見て同じように息を呑んだ。

 

「あ、貴女様は……その鎧と、聖十字は…………」

「見ての通り、俺は整合騎士だ。あんたはルーリッド村の人か?」

「ええ……あっ、いえ、そうです。その、まさか騎士様がお休みしているとは思わず、とんだ無礼を……」

「いや、いい。そういう堅苦しいのは苦手なんだ。むしろ、勝手に占拠しちまって悪いな」

「そんな、滅相もございません」

 

 戦々恐々といった様子で話す女性に、なんともむず痒い気分になる。

 

 

 

 

 

 それから、ふとルーリッドの村でアリスが整合騎士に連行されたという話を思い出した。

 

 この女性も当時を知っているのだろう。怯えるのも仕方がないかと納得する。

 

「あー。勘違いしないでほしいんだが、ここには村の誰かを捕らえに来たんじゃない。ちょっと人に会いに来ただけだ」

「そうでしたか。あの、でしたら村にご滞在を……?」

「それには及ばない。少し休み、央都へ帰還させてもらう」

 

 懇切丁寧に受け答えをすれば、女性がほっと安堵したように胸を撫で下ろした。

 

 かなりアレな反応に、弓の師であるデュソルバートの強面を思い出し苦笑した。

 

 しかし、女性はライオットの前ですぐに悩ましげな顔に戻ってしまった。

 

「何か困り事でも?」

「あっ、か、重ね重ねご無礼を! 騎士様の前でこんな顔をお見せして……」

「言っただろう、俺は気にしない。それよりも、何か苦悩があるならば話すといい。我ら騎士は、人界の民が安らかに過ごせる為に存在するのだから」

 

 かつての最高司祭が植え付け、されど長い時の中で自ら誓った誇りを口にする。

 

 畏怖していた女性は、それを聞いて何かを逡巡するような顔をした。

 

 ライオットは、真剣な面持ちで彼女を見つめる。

 

 

 

 

 

 しばらく見て、それが嘘偽りないものだと感じたのか、女性は目の色を変えた。

 

 表情を引き締め、目に何か強い意志を表しながら木陰より一歩踏み出す。

 

 数歩、ライオットの方へと接近すると両手を胸の前で握り締め、意を決した様子で口を開いた。

 

「息子を……息子を、探してほしいんです」

「息子? この森のどこかで迷子になったのか?」

「いえ、そうではないのです。ただ……あの子が今も彷徨っているのは、確かなのかもしれません」

「ふむ……それで、俺に何をしてほしい? 捜索や救助というのなら是非もなく任されるが」

 

 数百の年月に裏打ちされた自信を言葉の裏に備え、そう答える。

 

 彼の申し出に、女性はかぶりを振った。その代わりに、変わらぬ瞳で望みを告げる。

 

「私を、連れて行ってほしいんです。息子のところへ。もう一度、あの子と話がしたいのです」

「……待て。話がしたい? 貴女の息子は今、どんな状況なのだ」

「息子は、帰ってきたんです。でも、きっと全部失って……だから母親として、私がなんとかしないと」

 

 

 

 

 

 何か。女性の言葉に引っかかりを覚えた。

 

 

 

 

 

 この辺境に帰ってきたという言葉。それはつまり、長い間村を離れていたということか。

 

 次に、全部失ったなどという表現の仕方……ライオットの中で、じわりと冷たいものが滲む。

 

 心の表面に張り付いていくようなそれは、もしやと一つの予想を彼の中に打ち立てた。

 

「……失礼だが。息子の名は?」

「…………ルーク。私の息子は、ルークといいます」

「──っ」

 

 確かめるように、忘れないように紡がれた名前に、大きく衝撃を受けた。

 

 

 

(ルークの、母親? この女が?)

 

 

 

 どう見ても二十六、七程にしか見えないこの女性が、己が好敵手と定めようとした男の親だというのか。

 

 一体どんな数奇な運命の悪戯であろうかと、世界の真理を垣間見たような気持ちでいると、女性はさらに言い募る。

 

「公理教会の騎士様ほどの方にしか、もう頼めないのです。お願いします、どうか私を息子の所へ!」

「…………駄目だ」

「っ!?」

 

 心を満たすそれとは裏腹に、即座に返した答えはとても冷たいものだった。

 

 硬直してしまった彼女に、まるで能面のような表情で言葉を続ける。

 

「今のあいつは、危険すぎる。たとえ貴殿が彼の母であろうとも。いや、そうであるならば尚更に近づけさせるわけにはいかない」

「ルークを……息子を、知っているのですか……?」

「……罪人としてカセドラルに連れてこられたあいつと、俺は共に戦おうとした。だが、何もしてやれず、のうのうと生きている。そして、あいつがこの人界と共に守った貴女を危険に晒すわけにはいかない」

 

 今の自分は、彼が守り抜いたこの世界を傷付けさせないという使命を自らに誓っている。

 

 彼女がルークの母であり……そして、あの騎士が唯一愛した存在であるなら。

 

 担い手として、彼らの旅路を見届けた者として。ライオットはここで拒絶する義務があった。

 

 

 

 

 

 非情に徹すそうとしたライオットに、女性……セフィアは口を噤む。

 

 諦めたかと、そう想った瞬間。彼女はさらに一歩こちらに足を進めてきた。

 

「……だとしても。私は、あの子に会いたい」

「……話を聞いていなかったのか? 今のあいつは何も覚えていない。俺のことも、貴殿のことも。そんな状態で何をする?」

「分かりません。でも……でも私は、あの子の母ですから」

「っ……」

 

 彼女の浮かべた儚げな笑顔に、一瞬記憶の中の好敵手の顔が重なった。

 

 親子の面影、とでも言うべきか。狼狽えてしまったその一瞬に、セフィアは次の言葉を言い放った。

 

「私が、あの子の母である限り。たとえ、どんなに怖くて辛い思いをしたって……あの子を救う責任が、あるのです」

「────ッ!!」

「だから、どうかお願いします。私を、今も戦っているあの子に会わせてください。この通りです」

 

 そう言って、深く、深く体を折り曲げ、頭を下げるセフィアに。

 

 ライオットは、自分の体を突き抜けたある一つの衝撃ですぐに答えられなかった。

 

 

 

(──俺は、今まで何をしていたんだ?)

 

 

 

 ずっと諦めていた。

 

 もう帰ってくることはないと、取り戻せないと、耳を塞ぎ、目を閉じ、思考を止めた。

 

 その可能性を一片でも考えず、自分が何もできなかったことを悔いているばかりだった。

 

 今目の前にいる、彼の母だと確信させるに十分な勇気を見せたこの女性のように、前に進もうとしなかった。

 

 

 

(俺は、ただ……辛い現実から、目を背けていただけだ)

 

 

 

 何が騎士の誇りだ。担い手の矜持だ。

 

 これまで自分を陶酔させていたものがいかに滑稽かを思い知り、怒りの念が湧いてくる。

 

 己を今すぐ叩き斬ってやりたい気分に見舞われて。

 

 

 

(──彼女を、連れて行かなくては)

 

 

 

 ──同時に、一つの思いが生まれていた。

 

 

 

 






母の意志は固く。


読んでいただき、ありがとうございます。
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