ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜 作:熊0803
数話ほどオリジナル展開が続きましたが、今回は比較的原作寄り。
楽しんで頂けると嬉しいです。
一時間前に見たばかりの光景が、時を巻き戻すように遡っていく。
整合騎士以外、人界の誰もが体感したことのない貴重な経験に、しかしセフィアは全くの無関心だった。
それよりも……自分を攫った成り損ないの顔を、胸の中から見上げる。
強風に体を冷やさないようにしてくれているのか、自分の体を大きな手と外套の中に包んでいる。
前を見つめる瞳に荒々しさはなく、鮮やかな虹彩が月光に照らし出されていた。
「…………」
ただ、言葉もなくその顔を見つめ続けて。
肩に回された鋭い鉤爪へ、誤って切らないようにしながら手を添えた。
飛竜に匹敵する速度で飛翔した成り損ないは、ぐんぐんとルーリッドの方面に近づいていく。
季節が流れるにつれて日が短くなり、夜の帳が降りた一帯は静寂に包まれていた。
その中で、成り損ないはギガスシダーの切り株に目を付けるとゆっくり降り立った。
グルルル……
「あ、ありがとう」
労わるような手つきで、セフィアの足を地面につける。
彼女が自分で体を支えると、やはり細心の注意を払って両手を外套の中に戻した。
そんな彼を、至近距離で見上げる。
「…………ルーク、なのね?」
成り損ないは、何も答えない。
じっとそこに佇み、周囲の風景に同化するように静けさを醸し出している。
ただ、酷く落ち着いたその眼だけはセフィアのことを見ていて……そこに息子の面影を感じたような気がした。
「私のこと、覚えてる? 母さんよ?」
言いながら伸ばした手に、成り損ないが唸り声を漏らした。
体を震わせ、腕を止める。しかしそれは一瞬で、口元を引き結ぶと手を伸ばした。
成り損ないは、その手を視線で追いかけ。
遂には自分の額に置かれても、襲うことはおろか、噛みつく事もしなかった。
むしろ、その手の温もりを享受するかのように跪き、目を細めて顔を俯かせる。
「……暖かい。それに、ちょっとゴツゴツしてる。昔とは随分変わったのね」
人在らざる姿をしたソレが、今は何者であるのか。セフィアは確信した。
慈しみと、嬉しさと、少しの悲しみが滲んだ微笑みで、そっと額を撫でる。
「ねえ。もう一回、母さんって呼んでほしいな」
ささやかな願いを口にする。半年前、帰ってきた彼を見てからずっと願い続けた事を。
成り損ないが再び彼女を見る。されど、その口を開くことはなく。
それだけで、やはり記憶があるわけではないことを察することができた。
「そっ、か…………ううん。いいのよ。だって、どんなふうになってもルー君はルー君だもんね」
たった二人の、家族の思い出を失っていてもいい。
その優しい心のカタチさえ残していてくれるなら、どれだけ悲しくてもセフィアは耐えることができるのだから。
「あっ。それとルーク、あんなもの食べちゃダメでしょ。お腹を壊したらどうするの? ちゃんとご飯を持ってきてあげるから、今度から変なものを口に入れちゃダメ。分かった?」
昔、地面に落としたパンを食べようとした時に嗜めた時のように言う。
すると、成り損ないは情けない鳴き声を喉の奥から漏らした。
それがあまりに幼い頃と似ていて、思わず笑みを深めてしまう。
すっかり変わってしまった感触を刻みつけるように、セフィアは撫でるのを止めない。
心地よさげにしていた成り損ないは、不意に体を動かした。
思わず手を引いたセフィアの前で、彼は巨軀を縮こまらせていくと、野犬がそうするようにそっと寝そべる。
「あら……疲れてしまったの? そうよね、騎士様とあんなに戦っていたものね」
セフィアは、服が汚れるのも厭わず膝を突き、両足を揃えてその場に座った。
それから両手を、こちらを見上げている成り損ないの顔に添えると持ち上げる。
ほとんど抵抗もなく、成り損ないは彼女の足の上に顎を乗せた。
「ごめんなさい。どうしても会いたくて、結果的にあなたに怪我をさせてしまった。どうか騎士様じゃなくて、私を恨んでね。あの方は、私達の為に拳を握ってくれたのだから」
その言葉へ、わかっていると言わんばかりに成り損ないは鼻を鳴らす。
ありがとう、と囁きかけたセフィアは、彼の長細い顔を優しい手つきで撫でつけた。
「いっぱい、頑張ったのね。沢山戦って、大切な人達を守ろうとしたのね。母さん、分かるわ」
口にするのは、ずっと言ってあげたかったこと。
六ヶ月間……否、彼が旅立ったその日から胸に募らせ続けた、無償の愛情。
今の彼に、届くかは分からないけれど。
それでも、手を止めることはできなかった。
「母さん、いつもルー君の成長を見守っていたかった。貴方は常に、誰かの為に頑張る子だったから。本当に心配で……」
「…………」
「うん、そうよね。私にできるのは、無責任に背中を押すことだけ。それで……貴方を、こんなに頑張らせてしまったのかもしれない」
いつだって、セフィアは自らの決断に覚悟を持ち、彼らを送り出した。
そこに一つの後悔もないかと言われれば……断じて、そんなことはあり得ない。
「酷い母親だと思うかな……それでもいいよ。非力でお節介な母さんのことを、恨んでくれていい」
だけどね、と、セフィアは言葉を止めずに。
「これだけは、覚えていてね。……愛する人を守るということは。まず何よりも、自分を守るということなのよ」
「…………?」
「分からない、って顔してる。もう、ヤンチャな子ね。そんなんじゃ、いつまでたってもお嫁さんができないぞ〜?」
ぐりぐりと軽く眉間の中心辺りを人差し指で押すと、成り損ないはくすぐったそうにした。
ふふふ、と微かな笑い声を零して、それから話の続きを語り出す。
「きっと、貴方が愛すれば愛するほど、その人もまた貴方を愛してくれる。愛は、ただ手放すだけのものじゃない。誰かに注いだら、その分だけ受け入れるものなのよ」
「…………ァ…………イ?」
「そう。だから、愛から逃げては駄目。守ると、愛すると誓ったなら、その人がくれる全てのものを背負って、生き続けないといけないの」
かつて、自分が愛し、そして最後に愛を返してくれた、最愛の人のように。
息子にも愛してくれる誰かがいることを、セフィアは信じている。
今も心を痛めているアリスや、セルカ。ライオットや……もしかしたら、あの凛々しい女騎士も。
「忘れないで、ルーク。愛するということは、愛されるということ。その人達を愛し続けたいのなら……もう、何も捨てようとしてはいけないからね」
尽きることのない愛に満ちた、その言葉が。
月明かりに彩られた、優しい笑顔が。
ゆっくりと、成り損ないの心に染み込んでいった。
●◯●
夕食の準備をしているうちに、あっという間に外は暗闇に包まれた。
一日の流れる速さを感じながら、窓より手元に視線を戻す。
熱素で生み出した、小さな火種の上でコトコトと音を立てる鍋には、具沢山のシチューが。
畑で採れた野菜や、昼にかの騎士が置いていった野うさぎの肉をふんだんに使った一品。
これならば、十分な栄養を摂らせてあげられるだろう。
「キリト、そろそろご飯にしましょうか」
振り返って、椅子にぼんやりと座っている少年に声を掛ける。
式句を唱え、熱素を水素で消す。
底の深い皿にシチューをよそってスプーンを付け加えると、それを手にキリトの隣へ趣き、一口掬い上げて口元に運ぶ。
「ほら、口を開けて。冷めないうちに食べてほしいの」
少年は、じっとテーブルを見るだけで自ら動こうとしない。
いつものように、スプーンの縁をそっと唇に押し当てて待ち続ける。
やがて、ほんの少しだけ口が開かれた。
一瞬の好機を見逃さす、スプーンを隙間に差し込むと舌の上にシチューを乗せ、引き抜く。
口を閉じたキリトが、緩慢に咀嚼するのを見て今晩もほっと安堵した。
「熱いから、火傷しないようにね。さあ、もう一度──っ!」
次の一口を与えようとした、その時。
外から耳に届いた微かな音に、思わず手を止めてしまう。
そして、素早く扉の方へと振り向いた。
「今のは……!」
皿を机の上に置くと、身を翻して外へ飛び出していく。
僅かな階段を一足に飛び越えると、ねぐらから出てきている愛竜の姿を見つけた。
キュルルルッ!
彼が見上げ、鳴き声を上げている夜空を見上げる。
無数の星と、煌々とした月明かりに彩られた暗闇の中で、優雅に舞う飛竜の姿がある。
徐々にこちらへ近付いてくるその姿に、アリスは目を見張った。
「雨縁の兄竜、
その正体を見極めた彼女の前に、滝刳と名付けられたその飛竜が降りてくる。
立派な翼で自らの体を制御し、よく手入れをされた鎧に身を包んだ滝刳は嘶いた。
それに応える雨縁の姿を横目に、着地した滝刳の背中に乗っているその騎士を見定める。
「……今日は、来客が多い日ですね」
手綱を操り、滝刳を鎮めた騎士は長い足を翻すと背から降りてくる。
鎧が鳴らす重々しい音とは裏腹に、気品ある動きで着地すると、アリスへ端正な顔を向け微笑んだ。
「何用ですか。エルドリエ・シンセシス・サーティーワン」
「お久しゅうございます。我が師、アリス様」
眉目秀麗という言葉を体現したような騎士、エルドリエは親愛を込めた挨拶で軽く礼をする。
整合騎士としては新米であった彼に剣や神聖術を教えたはずのアリスは、剣呑な目つきを崩さない。
「お前、どうやってここを見つけ出したのです。今の教会に、騎士や飛竜を無駄に飛ばす余裕などないはずですが」
今や人界は、ひと時も警戒を怠れない状況だ。
不朽の壁のすぐ向こうに住まう、ゴブリンやオーク達の不穏な動きに目を光らせるのが騎士の役目。
だというのに、こんな辺境の地にいるエルドリエに厳しい目を向ければ、彼は苦笑する。
「それは勿論、私とアリス様の魂の繋がりを辿って……と、言いたいところですが。ちょうどこの近辺を飛んでいたところ、滝刳が妙に騒ぎまして。それに従ってみれば、アリス様がいたのです」
「……そうですか」
頷きつつ、アリスは背後の小屋へ一瞬視線を投じる。
ほんの少し逡巡した後に、騎士エルドリエへ視線を戻すと、小屋の方へ体を傾けた。
「こんなところで立ち話もなんでしょう。ひとまず中へ」
「感謝いたします」
エルドリエを引き連れて、アリスは仮の我が家へと戻っていった。
入って早々、アリスはキリトをベッドの方へ連れていき、来客用に取っておいたワインを準備する。
エルドリエは狭々しい小屋の中を見渡し、その中に溶け込んでいたキリトを見て目元を険しくした。
それを口には出さずに着席すると、丁度よくアリスが彼の前に、グラスとシチューの入った皿を置く。
「どうぞ。質素なものですが」
「おお、我が師手ずから食事をいただけるとは。このエルドリエ、感激の極みでございます」
大袈裟に反応する彼に若干渋い顔をしつつも、対面へと腰を下ろす。
少しの時を置いて、それから厳かな口調でエルドリエへ言葉を投げかけた。
「それで。闇の軍勢の動きはどうなのです」
「私の此度の任務は、以前埋め立てた暗黒領域に繋がる洞窟の様子を確かめることでした」
「結果は?」
「奴らの一匹も見かけませんでした。西も南も静かなものです。それに、何やら不穏が動きがあると報せがあったこの北方も」
一瞬。異形の背中がアリスの脳裏をかすめた。
だが、カセドラル内で彼の存在を知るのは、今や自分達の他にカーディナルとベルクーリのみ。
例外であるライオットとイーディスを除けば、最高機密とされているこの事実は、当然エルドリエも知らない。
故に余計なことは口走らず、平静を装ってそうですか、と返すに留めた。
一旦会話が途切れる。
窓の隙間から吹き込む僅かな風と、エルドリエが弄ぶグラスの中のワインが揺れる音が小屋の中を支配した。
「再び相見える機会が巡ってきたのです。ならば、これを述べるのは私の責務」
「…………なんですか」
決して良いとは言えない雰囲気の中、ふとエルドリエが手を止め、真剣な眼差しを師へ送った。
「──アリス様、騎士団へお戻りください。我々は貴女の剣を必要としております」
●◯●
やはり、とアリスは心の中で嘆息した。
彼がここへ来た時点で薄々と察してはいたが、この騎士は自分を連れ戻すつもりでいるのだ。
確かに、何も言わずカセドラルを去ったのは不義理であっただろう。自らを師と敬ってやまないエルドリエにも悪いことをした。
しかし……
「……できません」
「……あの男ですか。カセドラルの牢を破り、多くの騎士と元老長、そして最高司祭様までもを手にかけたあの男が、アリス様の心をこの辺境に縛り付けているのですか」
低い声で言ったエルドリエは、大きく音を立て、グラスの底を手元で打ち付ける。
そうすると机に両手をついて立ち上がり、剣呑な目線を車椅子に座るキリトへと向けた。
「であれば、この私がその迷いをすぐにでも断って差し上げる」
「やめさない! 彼もまた、己の正義を貫いたのです! お前も刃を交えたのであれば、その重さは理解しているでしょう!」
「ですが!」
なおも言い募ろうとするエルドリエを、抜き身の刃の様に鋭い眼光で諌める。
口を噤んだ彼に、自分自身も深呼吸をして心を落ち着かせると、静かに言葉を続けた。
「我々整合騎士団は、騎士長閣下に至るまで彼らの剣に敗れた。その事実が、何よりの証明です」
「……確かに、人界の民の半分を魂なき剣骨の怪物に変えるという、最高司祭様の恐るべき計画を止められたのは、そこな男と、彼の二人の友だけだったのでしょう。彼らを導いたのが復権なされているカーディナル様と、その従僕スワロウ殿ともあれば、今更罪には問いますまい」
「なら……」
「であれば! どうしてあの男は今、剣を取って立ち上がろうとしないのです! 正義の下に最高司祭様を斬ったというのなら、すぐにでも東の大門に馳せ参じるべきでしょう!」
「……もう帰りなさい、エルドリエ」
「アリス様!」
エルドリエへ、力なくアリスはかぶりを振る。
「これは、キリトの状況だけではなく、私自身の問題でもあるのです。私の剣気は失せてしまった。今そなたと打ち合えば、三合ともたないでしょう」
騎士が、ハッと息を呑んだ。
今やアリスは、かつて己を支えていた誇りの一切を失ってしまったのだ。
教会の権威と人々の安寧、それを背負っていた確信は、最高司祭の取り繕った虚偽だった。
混乱を抑える為、騎士達にはその真実の半分──ソードゴーレムの量産計画のみが明かされている。
だが、奪われた記憶のことも、植え付けられた偽りの虚しさも。
カーディナルによって一時凍結された、同輩である彼らの愛する人々だった剣のことを知った、アリスは。
もはや、剣を取り、人界を守る為に戦う意思の力が一片すらも残っていなかった。
(……そういえば。イーディス殿は、彼に真実の全てを打ち明けられたそうですが。それでも彼女は、今も変わらず戦っている)
己が身の悲劇を嘆くことも、欺瞞で塗り固められた教会に忿怒するわけでもなく。
人々の命と暮らしを守る使命を微塵も揺るがず掲げる、姉のように接してくれる騎士を内心羨む。
(もし、彼が今もこの世にいたなら。イーディス殿とは相性が良かったのかもしれません)
そんな夢幻を思い浮かべ、すぐに叶わぬ願いと切り捨てて現実に戻る。
子供のようにくしゃくしゃの表情を浮かべていたエルドリエは、彼女の静かな瞳を見て諦めの微笑みを浮かべる。
「……そういうことでしたら。もう、何も言いますまい」
「……ごめんなさい、エルドリエ」
「お気にめされるな。……では、これにてお別れです、師よ。ご教授いただいた秘奥義と術の要訣、決して忘れませぬ」
「どうか、元気で」
そっと微笑んだ彼は、立ち上がって身を翻し、そのまま扉から小屋を出ていく。
彼の背中の、純白のマントが消えゆくまで、じっとアリスはその場に座ったままだった。
室内に、痛々しいほどの静けさが取り戻される。
ゆっくりと立ち上がったアリスは、エルドリエが残していった食器を集め、台所で洗い始めた。
きっちりグラスの縁まで水気を取ると、ずっと待たせていたキリトの方へ行く。
「ごめんなさいね、疲れたでしょう。もう寝ましょう」
すぐ側にある箪笥から寝間着を取り出し、黒い部屋着から着替えさせるとベッドに横たえる。
毛布をかけ、骨ばった胸を一定の間隔で優しく叩きながら黒い瞳を見つめた。
しばらくすると、まるでネジが回転しきった玩具のようにふっと瞼が下がる。
呼吸が安定するまで見守ってから、アリスも室内の明かりを消し、着替えて彼の隣に潜り込んだ。
「…………私は」
どうすれば良いのでしょう。そんな呟きが半ばまで口から漏れた。
既にエルドリエにこの場所は割れてしまった。早急に別の隠れ家を見つけねばなるまい。
(胸の内に秘めてくださっていたイーディス殿には、無駄骨を折らせてしまいましたね)
明日にも身辺整理をし、セルカやガリッダ老に置き手紙をしたためる必要がある。
またキリトに逃亡の旅をさせることに、胸の内で突き刺すような痛みが走った。
その次に考えたのは……たった一人、《果ての山脈》に繋がる洞窟を守護する〝彼〟のこと。
(彼は、私達について来てくれるでしょうか。それとも、闇の軍勢が侵攻できないよう、ずっとあの洞窟に……?)
ライオット達の行動などつゆ知らぬ彼女は、今も凍える洞窟に潜む彼を思い浮かべる。
東の大門が開戦の地とされたのは、山脈から四方に伸びる洞窟では大柄な怪物が通ってこれないからだ。
万が一北の洞窟が留守になった時現れるのは、せいぜいがゴブリンやオーク程度。
騎士ならば一蹴できる存在だが、ルーリッド村の衛士では、規模によっては蹂躙されるのみであろう。
であれば、この葛藤を押し殺し、仮初の剣気を奮い立たせてでも戦場へ行くべきだろうか。
「……ねえ。教えて、キリト。私は、どうすればいいの…………?」
答えられることのない呟きが、キリトの耳元で静かに散っていった。
次回。
ルーリッドを襲う惨劇。その中で……
お楽しみに。