ソードアート・オンライン アリシゼーション Imagenary Fabricte ~光を照らす執行者〜   作:熊0803

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すみません、全力出しすぎて尺が伸びてしまったので、今回は前半となります。


楽しんでいただけると嬉しいです。


惨劇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──愛することは、手放すこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そう思って、俺はこの翼を広げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──それは正しい行いのはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──だって、みんな俺から離れ、遠くへと羽ばたいていったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──でも、声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──愛することは、愛されること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──愛したのならば、愛される覚悟をしなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──愛するために、自分を守らなくてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──……俺は、愛する人達を俺なりのやり方で守った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──でもそれは、あいつらを悲しませていたのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──なあ、教えてくれよ、母さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

「んぅ……」

 

 小さく呻き、セフィアは瞼を開ける。

 

 薄ぼんやりとした視界がはっきりとしていき、縦向きになった剥き出しの地面が見えた。

 

「あれ……私、いつの間にか眠って……?」

 

 体を起こして周りを見ると、膝の上にいた成り損ないの姿がどこにもない。

 

 代わりに、横たわっていた自分の体の下に彼の外套が絨毯のように広がっている。

 

「ルー君……?」

 

 硬い外套の表面に手を触れさせながら、名前を呟いた時。

 

 背後から唸り声が聞こえ、ハッとして振り向くと、ギガスシダーの切り株の上にソレはいた。

 

 初めて露わになったその全貌は人と竜の絶妙な合間を体現しており、どこか神秘的である。

 

 ホッと胸を撫で下ろしつつ、立ち上がった彼女は外套を手に近付いていく。

 

「ルー君、そんなところで何を…………?」

 

 問いかけようとして見た、彼の横顔に口を閉じる。

 

 じっと空を見つめている顔は屹然としたもので、その顔につられて北方に目線を向け。

 

「っ!? あれって──っ!?」

 

 空を染め上げる紅蓮の輝きに、息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 ルーリッドの村の方角に明滅する、闇色の夜空を蝕むかのような赤。

 

 あまりに鮮明なそれは、かつて一度だけ起こった山火事のものと良く似ている。

 

「な、何が起こって……」

「──ようやく見つけた!」

 

 狼狽えていたその時、頭上から聞こえた声にセフィアは顔を上げた。

 

 闇夜を切り裂き、灰白色の鱗を持つ飛竜が自分達の頭上へ現れる。

 

 その背中に乗り、竜を操る女騎士──イーディスが、切迫した表情でこちらを見ていた。

 

「騎士様!」

「探したわ! ライオットの神器でも何故か探知できないって言うし、こんな状況で肝が冷えたわよ!」

「こんな状況……!? まさか、村に何かあったのですか!?」

 

 飛竜の羽ばたきに負けないよう声を張り上げると、イーディスは苦い表情を見せる。

 

 それだけで村に不吉なことが起きたことを察して、セフィアの顔がみるみるうちに青白くなった。

 

 勘付かれたことを彼女の反応から理解したイーディスは、やむなしと出し渋っていた真実を伝える。

 

「村が、闇の軍勢の侵攻を受けたの! 彼が北の洞窟を留守にした隙をついて、大軍勢で攻めてきた!」

「そんな──っ!?」

 

 打ち明けられた言葉に、嗚咽と恐怖を抑えるようにして口元に手を持っていく。

 

 驚きと共に彼女を襲ったのは、イーディスの言葉の一部が示す、残酷な事実。

 

 

 

(私が、洞窟に行ったから……! あの子を離れさせてしまった!)

 

 

 

 そのせいで今、村が危機に瀕している。

 

 三百人もの村の仲間を死の危険に晒してしまった罪悪感が、重く心にのしかかった。

 

 否。整合騎士のイーディスでさえこんな顔をするほどの数が相手であれば、むしろ引き離したことは幸運だったか。

 

 

 

 

 

 何れにせよ、セフィアは取り返しのつかない現実を受け止められないでいた。

 

 判断を誤ったかと、イーディスが霧舞を下ろして彼女を落ち着かせようとする。

 

 

 

 グルルルル……

 

 

 

 それよりも早く、セフィアの耳元で唸り声が響いた。

 

 反射的に振り返れば、いつの間にかすぐ後ろにいた成り損ないが見下ろしてくる。

 

 その黄金の瞳は、まるでセフィアに落ち着くように訴えかけているようだった。

 

「ルー君……」

 

 

 

 ギュァ……

 

 

 

 弱々しい彼女の声音に、成り損ないは大きく翼を広げた。

 

 セフィアは訝しみ……直後、ハッと思い至る。

 

「まさか、村に行こうとしてるの……?」

「…………!」

 

 恐る恐るといった彼女の言葉。今度はイーディスが瞠目して成り損ないを見下ろした。

 

 すっかり母と心を通じ合わせているように見えるソレは、頷く代わりに低い唸り声を返した。

 

 それを聞き届けた彼女は、様々な感情で顔を彩る。

 

 

 

 故郷とはいえ、あれだけ自分を恐れた人々を救おうということへの驚き。

 

 

 

 戦うことでまた傷付いて、今度こそ命を落としてしまうのではないかという恐れ。

 

 

 

 ありとあらゆる不安と葛藤が彼女の中で鬩ぎ合い、心の茨が複雑に絡み合っていく。

 

 彼女の気持ちの一端を察し、一刻を争う状況であることからも、イーディスが口を挟もうとして。

 

 それより一瞬早く、セフィアが両手で成り損ないの顔を挟み込んだ。

 

「…………ルーク。本当に、それでいいのね?」

 

 再びの問いかけ。

 

 成り損ないは、やはり言葉や人間的な行動ではなく、戦意に満ちた鳴き声で返答した。

 

 

 

 

 

 少し寂しげに、母は微笑む。

 

 湿り気のあるその表情はすぐに消え去って、彼女も力強い笑みを浮かべた。

 

 ずっと片手に持っていた外套を、太い首に回して成り損ないの体に纏わせる。

 

 そして、いつか夢を追いかけることに怯えていた彼の背中を押した時と同じくこう言うのだ。

 

「頑張れ! ルークは、出来る子よ!」

 

 

 

 ギュラアアアアァッ────!! 

 

 

 

 万能の力を与えられたように、成り損ないは渾身の雄叫びを上げた。

 

 全身を力ませ、一本の矢のように空へ向けて垂直に跳躍する。

 

 翼をはためかせて一直線に昇っていき、一定の高度に達すると、ルーリッドの方面に飛んでいった。

 

「……ああ。もう届かないところに行っちゃった」

 

 心にじんわりと広がる哀愁に、独り言をこぼす。

 

 それから、一部始終を見守っていたイーディスの方に振り向いた。

 

「騎士様。今一度、お願いがございます」

「……連れて行け、って言いたいの?」

「はい。村の皆が苦難に喘ぎ、息子が戦おうとしている中で、一人だけ安全な場所にいられませんから」

 

 ハキハキとした口調で、強固な決意に満ちた目をするセフィアに、彼女は驚く。

 

 少し前までの儚さはどこへいったというのだろう。彼とそっくりなその意志力に、気圧されてしまいそうだ。

 

「本当に平気? ここで待っていてくれれば……」

「大丈夫です! こう見えても私、結構根性あるんですよ!」

 

 むん、と力こぶを作るセフィアには、妙に納得させるものがある。

 

 イーディスはやや躊躇しながらも、彼女の頑固さは知っていたので仕方がなしと嘆息した。

 

 

 

 

 

 霧舞を操り、高度を落とす。

 

 十分な位置までやってくると、こちらに伸ばされた手を取ってその体を引き上げた。

 

 彼女が鞍の上に腰を落ち着け、自分の腹部に腕を回したのを確かめる。

 

「よし! 霧舞、行くわよ!」

 

 

 

 グォオオオ──! 

 

 

 

 成り損ないに負けず劣らずの咆哮を上げた飛竜は、再び空へと舞い上がっていった。

 

 しっかりと手綱を握って制御しながら、もう遥か遠くに見える成り損ないの後を追いかける。

 

 騎士然とした真剣な面持ちの裏で、胸の中には不思議な熱が生まれていた。

 

 

 

(どうしてだろう。これから起こることを、彼のすることを見届けなければいけないと──そう、何かが訴えてる)

 

 

 

 どうしてか無視できない、その熱に心を揺り動かされながら。

 

 彼女もまた、戦火に沈もうとしているルーリッド村へ飛翔した。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 その翼は、成り損ないといえど魂に刻まれた守護竜の力の具現である。

 

 

 

 

 

 

 たった数百メルを飛翔することなど児戯に等しく、ものの数分で村の上空に辿り着いた。

 

 北側から東西に向けて半分程が炎に包まれたルーリッドは、阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。

 

 《果ての山脈》へと続く道は、醜悪な緑の小鬼と、重厚な肉の鎧を纏った豚人に溢れていた。

 

 殺戮への渇望に満ちた醜い魂の音を数百と聞きながら、成り損ないは北門へと視線を定める。

 

 そこでは武装した若者達が、木の柵で幾重にも即席の防壁を作り、その内側で闇の手先に怯えていた。

 

「くそっ、奴ら今にも防壁をぶち破ってきそうだ!」

「村人の避難はどうなってる!?」

「まだ半分ってところだろ! いきなり夜に奇襲をかけられたんだぞ!?」

 

 村を守る唯一の要である彼らは、怒鳴り散らすように言葉を交わすだけで全く冷静ではない。

 

 早々に見切りをつけた成り損ないは、一度滞空すると村全体に意識を張り巡らせた。

 

 

 

 グルルルル……! 

 

 

 

 村の中央広場に、百五十前後の人間。おそらく無事に逃げ切れた者達だろう。

 

 〝耳〟を澄ませて、未だに避難できていない魂の持ち主を選別する。

 

 東に大勢、西はそれよりも少ない。自分がやってきた南側には一人も残っていないようだ。

 

 

 

 ギュアァアアァア!! 

 

 

 

 探知を終え、翼を半分ほど折り畳んだ成り損ないは頭から村へと降下していった。

 

 

 

 

 

 最初に目を付けたのは、ある家の前で立ち往生している一家。

 

 家財を持って行こうとしたのか、大きく膨らんだ風呂敷を背負った小太りの男とその番らしき女。

 

 子であろう二人の若者も、家の裏から連れてきた家畜が周囲を蝕む火に怯え、暴れるのを必死に抑え込んでいる。

 

 彼らのすぐ目の前に、成り損ないは空中で姿勢を元に戻すと着地する。

 

 焦げかけた石畳が吹き飛び、激しい音が響いて一家が悲鳴を上げた。

 

「な、なんだぁ!?」

「今、空から何か……!」

 

 

 

 グルルルル……! 

 

 

 

 驚きの声を上げた兄弟が、成り損ないを見て息を詰まらせる。

 

「いやぁああああっ!?」

「ば、ばばば化け物ぉおおおっ!?」

 

 女が金切り声を上げ、父親はその場で尻餅をついた。

 

 そんな彼らの顔を一通り確かめると、成り損ないはまず兄弟の胸ぐらをまとめて掴むと担ぎ上げる。

 

 あっという間に持ち上げられた彼らの手からは、家畜を繋いでいた紐が手放されて獣達は逃げていった。

 

 暴れる彼らを人外の膂力で押さえつけながら、次に左腕で男を、最後に尻尾で女を絡めとる。

 

「ひぃいいいっ!?」

「お、終わりじゃぁ! 闇の魔物に食われるぅ!」

 

 情けなく喚き散らす一家の重量を確かめ、一つ声を上げて飛び上がる。

 

 四人分の重量が加わった体を、強靭な翼はしっかりと受け入れ、見事広場まで運んでみせた。

 

 

 

 ギュラアァア!! 

 

 

 

 咆哮を上げて襲来した成り損ないに、口々に不安や恐怖を叫んでいた村人達が顔を上げる。

 

 その中で、噴水を叩き壊して着地した成り損ないは周囲を睥睨した。

 

 人々の顔がある種の絶望に染まる中、空いた場所を見つけ、そこに一家を放り投げる。

 

「ぎゃっ」

「あぐっ!?」

「うぉああっ!」

「いっでぇ!」

 

 乱雑に投げたことでいくらか悲鳴が上がったが、気にせずに成り損ないは翼を広げる。

 

 そして、逃げ遅れた人間を救うために村の何処かへと飛び立っていった。

 

「な、何だ今のは……」

「人を……助けた?」

 

 その背中を目線で追いかけた何人かの村人が、訝しげに言葉を交わした。

 

 

 

 

 

 こうして、成り損ないは村人を広場に集めていった。

 

 

 

 

 

 恐慌状態に陥っていた村中の人々は、突然目の前に現れた彼に抗う間もなく連れ去られていく。

 

 魂の音を頼りにしたその救助活動は迅速かつ的確であり、一人、また一人と戦火より掬い上げていった。

 

 

 

 

 

 それを繰り返すうちに、広場にいた村人達にも変化が現れ始めた。

 

「来たぞ! 場所を開けろ!」

 

 また二人、新たに避難者を連れてきた成り損ないを見上げて村長ガフストが叫ぶ。

 

 慌てて皆が身を引き、十分な空間が開いたところに彼が飛び込んで、助けた人間を置いていく。

 

 そしてまた飛んでいく成り損ないを、少なからぬ希望や懇願を込めた目で見上げるのだ。

 

 

 

 ギュアァアアァア!! 

 

 

 

 ほぼ人の気配がなくなった西側を意識から外し、わずかに残る東へ舵を切ろうとする。

 

「ルーク────っ!」

 

 背後から聞こえた声に、咄嗟に空中で停止して振り返った。

 

 すると、空の向こうから飛竜が村に向けて飛んでくるところであった。

 

 みるみるうちに目の前まで接近してきた竜、それを駆っていた人物が、驚きも露わに彼を見る。

 

「貴方、どうしてここに! 一体何をしているのです!?」

 

 真丸になってしまうのではないかというほど左目を見開いて、アリスは叫んだ。

 

 村を焼く火の勢いに負けぬ唸り声を上げ、成り損ないは右手の鉤爪で広場を指し示した。

 

 そちらを見下ろし、避難している人々を見て鋭く息を呑む。

 

「まさか、彼らの避難を手助けして……!? ルークっ、貴方もしかして記憶が!」

「ルーくぅ──ん!」

 

 問いただそうとした時、さらに新たな声が割り込んでくる。

 

 振り向いた二人に、南方から飛んできた霧舞の背の上でセフィアが大きく手を振った。

 

 あっという間に数メルを飛翔し、イーディスが飛竜を彼らの前で制止させる。

 

「イーディス殿! 貴女まで!」

「やっほーアリスちゃん! それより、よく聞いて! 南側は安全よ! 奴らが回り込んでもいない、彼らを逃がせるわ!」

 

 これまで南の開墾地を見回り、退路を確認していたイーディスは口早に説明する。

 

 アリスは彼女の変わらぬ頼もしさに微笑み、成り損ないも了承したように鳴いた。

 

 三人と一匹の視線が交差する。その目は、全く同じ目的を理解していた。

 

「村人達を誘導しましょう。私が説得します、イーディス殿は南の桟橋へ!」

「オッケー!」

「ルーク、貴方は──」

 

 アリスが指示を出そうとした、その時。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「き、北門が破られたぞぉおおお!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望を告げる絶叫が、空高く響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 弾かれたように北方へ振り返るアリス達。

 

 

 

 

 

 

 

 すると、村人の誰かが叫んだ通りに、十数匹ものゴブリンによって柵が全て破壊されていた。

 

 完全に防御線は崩れ、衛士達は村の中心部に向けて走り出している。

 

「いけない! 奴らが進軍を始めます!」

「南側は任せて!」

「頼みました!」

「アリスちゃん、私もみんなを説得するのに協力するわ!」

「助かります!」

 

 成り損ないの手によって、霧舞の背中から雨縁へとセフィアが乗り移る。

 

 それが終わると、愛竜を手綱で操り、確実に退路を確保しにイーディスが飛び去った。

 

「我々は広場に! ルーク、残る住民の救助を!」

 

 

 

 ギュラアアアアア!! 

 

 

 

 それぞれの役目を果たすために、彼らも動き始めた。

 

 村の東方面に向かった成り損ないに背を向けて、アリスは広場上空にまで移動する。

 

 そして、再び混乱している彼らを見下ろすと雨縁の上で立ち上がった。

 

「雨縁、彼女と共に降りてきてください」

「アリスちゃん、何を……?」

「一足先に行かせていただきます」

 

 セフィアへそう言葉を残し、トンっと雨縁の背中から飛び降りた。

 

 外套の裾を激しくなびかせて、空を切り裂き空を落ちていく。

 

 そして、農具などで武装している男達に指示を飛ばしている二人の男のすぐ側へ狙いを定める。

 

 

 

 

 

 雷鳴にも似た激音で、アリスは降り立つ。

 

 石畳が砕け散り、アリス自身にも足裏から脳天にまで強い衝撃が駆け抜けた。

 

 その痛みを堪えて、こちらに振り返り呆然としている男達──村長ガフストと豪農ナイグルに視線を投じる。

 

「もうここは保ちません! 南へ避難してください!」

 

 鋭い声で飛ばした指示に、二人の代表者がたいそう驚いた顔をする。

 

 だが、ナイグルは顔を真っ赤にすると唾を飛ばして怒声をあげた。

 

「馬鹿を言うな! 屋敷を……村を見捨てて逃げられるものか!」

「馬鹿はどちらです! 後でいくらでも取り戻すことのできる家財と自分の命、どちらが大切なのですか!」

 

 ぐ、と彼女の正論に押し黙るナイグル。ほとほとこの男の強欲さには呆れる他にない。

 

 次に、実の父であるガフストへ視線を投じれば、彼は苦々しい表情でかぶりを振る。

 

「門が破られた場合、広場で円陣を組んで待機しろというのが衛士長ジンクの命令なのだ。この状況では、村長の私でも彼の決定には逆らえん」

 

 なんとも皮肉な話に、アリスは息を呑んだ。

 

 彼が口にした決まりは、帝国の定めた規則──すなわち、公理教会がその権威の下に定めた法である。

 

 その法における司令塔たるジンクは、まだ衛士長の役職を継いだばかりで若く、的確な判断を下せるようには思えない。

 

 

 

「姉様の言う通りにすべきよ、お父様!」

 

 

 

 どうすれば良いのか苦悩しかけた時、幼い声が広場に木霊する。

 

「セルカ……!」

「思い出して! お姉様が一度だって間違えたことがある? いいえ、なかったわ! 私にもわかる、このままじゃみんな殺されてしまう!」

「し、しかし……」

 

 毅然とした態度で、胸を張り父親へ英断を求めるセルカの姿に、皆が圧倒される。

 

 それはどこか、幼い頃この村に暮らしていたアリスにも通ずる、人を惹きつける迫力があった。

 

「子供が知ったふうな口を聞くんじゃない! 黙っていろ!」

 

 そこにナイグルが水を差す。

 

 最も理性的な判断をしている妹を否定した男に視線を流せば、彼の視線は一点にある。

 

 今にも火の手が到達しそうな、自分の屋敷。意識が向いているのは、そこにあるだろう大量の金貨や小麦だろう。

 

 この期に及んで、自らの利益ばかりを追求する様は、その見た目も相まって元老長チュデルキンを思い起こさせる。

 

 否。最高司祭の為に全てを捧げたあの男の方が、もう少しだけマシだったかもしれない。

 

「そ……そうか! わかったぞ! お前が闇の国の怪物を招き入れたんじゃな、アリス! 闇の国に侵入した時に穢されたんだろう! 魔女……この娘は恐ろしい魔女じゃ!」

 

 挙げ句の果てには、そんなことを声高に叫ぶ始末。

 

 もはや、愚かさここに極まれり。

 

 あまりの醜態に、燃え盛る業火の音や、剣戟、この状況さえ忘れて絶句した。

 

 

 

(──これが。こんな輩が、ルークがずっと守っていた人間だというのですか)

 

 

 

 アリスは、怪物と罵られ、なおも人を救っている彼のことが心の底から哀れに思えた。

 

 自分も一体なんのために、こんな所に来たというのだろう。

 

 先刻、自失してなお剣を取り戦おうとしていたキリトを思い出し、怒りに打ち震える。

 

 

 

(…………もういい。セルカと両親、ガリッダ老やルークの母上を連れて逃げよう。そしてどこかで、またやり直せばいい)

 

 

 

 あくまでも我欲を貫こうというのならば、アリスもそうしてやろう。

 

 半年の間、膿のように溜まり続けていた鬱憤が、昏い感情を呼び起こしていく。

 

「いい加減にして、バルボッサさん!」

 

 それを口にする寸前で押し留めたのは、広場に響いた一つの怒号だった。

 

 ハッとして顔を上げると、広場の中にセフィアが駆け込んでくる。

 

 少し離れた物陰で雨縁から降りてきた彼女は、凄まじい剣幕でナイグルへ詰め寄った。

 

「今は何よりも、生き残ることが先決でしょう! それなのに自分が何も失いたくないからって、あんなにお世話になったアリスちゃんを魔女だなんて……! 恥知らずにも限度があるわ!」

「う、五月蝿い! 貧乏農家の分際で、このわしに指図をするな!」

「立場なんて関係ない! 皆を守ること以外に、今ここで話すべきことなんてないでしょう!?」

 

 真正面から言い返すセフィアの言葉には、アリスでさえも圧倒するだけの力があった。

 

 思わずナイグルも口を閉じ、悔しげに血走った目を右往左往をさせると味方を探す。

 

 しかし、一人として彼に目を合わせず、ましてや現場で同意するようなことはなかった。

 

 

 

 ギュラアアアァアア!! 

 

 

 

 いよいよナイグルが顔を真っ赤にしたその時、成り損ないが戻ってくる。

 

 既に広場の中は満員になっている為、壊した噴水に着地すると半べそをかいている子供を数名側に降ろす。

 

「ルー君! 子供達を助けてくれたのね!」

「残りの村人は!?」

 

 セフィアとアリスが、ほぼ同時に言葉を投げかけた。

 

 成り損ないは何かを伝えようとして──途中で北の方面に振り返った。

 

「ままぁ〜…………どこぉ〜………………」

 

 子供が、一人。

 

 泣きじゃくりながら、北の村道を彷徨っている。

 

 広場にいる誰かが「坊や!」と叫ぶのが、誰しもの耳に届いた。

 

 どこかではぐれて逃げ遅れたのだろう。すぐ後ろに火が迫る中で、母を呼んでいる。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 火の向こうから、一匹の小柄な影が姿を現した。

 

 緑色の肌をした、醜悪な顔つきのゴブリンは、ほんの数メル先にいる子供をその目で捉えて。

 

「ギヒッ!」

 

 欲望に眩んだ、おぞましい笑みを浮かべた。

 

 

 

(まずい!)

 

 

 

 あの矮小な怪物が何をしようとしているのか、瞬時にアリスは察する。

 

 ゴブリンの手の中で、炎の光を鈍く反射して輝くマチェットに目線が吸い寄せられた。

 

 このままであれば、あの幼な子はゴブリンの凶刃にかかり、小さな命を散らすだろう。

 

 そんな事はさせぬと、腰に吊り下げた《金木犀の剣》に手をかけて──隣を一陣の風が通り抜けた。

 

「ッ────!?」

 

 誰もが、その風を見る。

 

 アリスが、セルカが、ガフストが。

 

 バルボッサが、村の人々が、幼子の母が。

 

 

 

 

 

 そして、成り損ないが見る中で──セフィアは、誰よりも速く子供の元へと駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 それは、かつて黒の剣士があらゆる覚悟と犠牲を背負い、強大な女神を打ち倒した覚悟のように。

 

 あるいは、全てを代償にしてでも愛する者を守ろうとした、一人の男の決意のように。

 

 限界を超え、奇跡を起こす、極限の意志の力。

 

 それがセフィアに、到底辿り着けないはずのその場所へ行く力を与えた。

 

「ギヒャァ────! 白イウムの餓鬼だッ! 殺すッ、殺して喰うッ!」

 

 そして、彼女は。

 

 世にも恐ろしいことを口走り、マチェットを振り上げたゴブリンと。

 

 ようやく気がつき、呆然と振り向いた幼子の間に割って入り、その小さな体を抱きしめて。

 

 華奢で柔らかなその背中を、怪物へと曝け出した。

 

 

 

 

 

 

 

「駄目ぇ────ッ!!?」

 

 

 

 

 

 

 

 アリスの悲痛な叫びが、村中に木霊する。

 

 

 

 

 

 

 

 その一瞬、世界の全てが酷く時間の歩みを遅めたようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 停滞し、色あせた刻の中で、成り損ないは母の背に振り下ろされる刃を見つめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────かぁ……さん…………! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忘れたはずの言葉を、叫ぼうとした瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い光が弾けて、視界を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






読んでいただき、ありがとうございます。


次回、ついに……


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