実りの季節を待ちながら 実りの季節シリーズ2   作:きゃら める

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第三章 ~発生~

 

第三章 ~発生~

 

 

          * 1 *

 

 フロアの掃除で仕事ができない今日は久しぶりの休みだった。その休日を使ってオレとマルチ、それから同じく会社が休みだというあかりの三人でデパートに服でも見に行こうということになっていたんだが――。

「おせーな、あかりは。どうしたんだ?」

 約束の時間を五分過ぎても、あかりは来ていなかった。

「どうしたんでしょうね。でも、女の方は準備に時間がかかるものですから……」

「あかりがか?」

 あいつが女だってのは……よく知ってるから認めるが、あかりの場合準備にかかる時間のぶん早起きして約束の十分前には来るような奴だ。よほどのことがない限り遅れてくるようなことなんてない。

「まったく、あいつらしくもねぇ」

「どうしたんでしょうかぁー。もう少し、待ってみるしかないですね」

 にっこり笑って、マルチは玄関先の板敷きの上に座った。何かあったんだったら連絡があるだろうと考え、オレの方もマルチの横に座って待つことにした。

「しっかし、ホントおせぇなぁ~」

 なんてことを言ってると、電話が鳴りだした。

「はい、もしもし。藤田……あっ、ご主人様ですか? いますぅー。いま代わりますね」

 先に電話を取ったマルチから受話器を受け取る。あの口振りとこのタイミングからして、相手はあかりだろう。

『あの、浩之ちゃん』

「どうしたんだ? あかり。もう時間過ぎてるぜ」

『うん。あのね、今日はちょっと、身体の調子が悪くって……。そっ、そんなにたいしたことないんだけど、病院に行こうかと思ってるから……』

「そっか。それじゃあ仕方ねぇな。今日一日しっかり身体休めときな。無理して明日以降に響いたらたいへんだかんな」

『うんっ。今日は本当にゴメンね』

 声だけ聞けば意外に元気らしいあかりの答えに、オレは受話器を電話に戻そうとする。

『あっ、浩之ちゃん』

「ん?」

 呼びかけられて受話器を耳に戻す。

『えと、あの、あのね……。マルチちゃんと、楽しんできてね』

「んぁ? あぁ。ありがとう」

 何となく歯切れの悪い感じを残しつつ、電話を切った。

「あかりさん、どうなされたんですか?」

「身体の調子が悪いらしくって、今日は行けないってよ」

「そうなんですか。たいへんですね……」

「まぁ、本人もたいしたことないって言ってたし、けっこう元気そうな声してたから、大丈夫なんじゃないか?」

「そうですかー。――それで、今日はどうなされるんですか?」

「さてな――」

 顔色をうかがってくるマルチに、オレは眉根に皺を寄せて考え込む。

 もし出掛けなければ、マルチと一緒の穏やかな一日が過ごせる。それは幸せで貴重な時間だが、そんな二人きりの穏やかさが寿命のことを思い出させる。オレはその時間を恐れていた。

「靴履きな。せっかくだから行くぜ」

「はいっ!」

 二人きりでいるにしても、家の中にいるより外に出てた方がいくらかそのことを考えなくて済む。そう思ってオレはマルチをせき立て家を出た。

 外は雲ひとつない秋晴れ。そろそろ冷たくなってる風も吹いてなく、まさに外出日和と言えた。

「るんるんるるるるぅ~。るんるんるりらぁ~」

 いつもの妙な鼻歌を歌いながら、スキップみたいに弾んだ足取りでオレの横に着いてくるマルチ。

「おいおい、マルチ。そんな風に歩いて、こけるなよ」

「あっ、はいぃー。……でもわたし、ご主人様と二人きりで出掛けるのは久しぶりなので嬉しくて、つい――」

「そうだったな。お前と二人だけで出掛けるのは、本当に久しぶりだったよな」

 出掛けるときはいつもあかりか他の奴と一緒だったし、誰かと約束がとれない日は仕事を入れてしまっていた。二人きりで出掛けるのは、本当に何年ぶりだろうか。もうマルチが長くないかも知れないことを考えれば、こんな風に二人だけで出掛けるのもいいのかも知れなかった。

「あっ!」

 ――予想通りだな。

 何もない場所で躓いたマルチを抱きとめたオレは苦笑いを浮かべる。ちゃんと立たせてやった後、無言のまま彼女の頭に手を乗せ腕で自分の身体に引き寄せた。

「ご、ご主人様?」

「こうしてりゃ、こけることないだろ?」

「……そうですね」

 ほんのりと頬を赤く染めて、マルチは自分から頭を寄せてきた。そんな彼女の髪をくしゃくしゃとかき回す。

 メイドロボにそんなことするのはヘンだと言う奴もいる。だがマルチは普通のメイドロボじゃない。心を持ってる。微笑むことができる。人に喜んでもらえることをしようと頑張ってる。言いたい奴には勝手に言わしとけばいい。

 ――だがなんで、マルチだけが心を持ってんだろ?

 『あの機能』、いわゆる恋を成就できちまうあの機能も、量産型やそれ以降のメイドロボにはないみたいだ。

 たまに疑問に思うこともあったが、長瀬さんにそのことを訊いたりすることはなかった。あのときのメインモデルになれなかったから試作型のこのマルチだけが持ってるんだろうと、勝手に納得していた。

 でも実際、他のメイドロボたちには本当に心がないんだろうか? 来る日も来る日も主人から与えられた仕事をこなしていて、辛いだとか感じたりしないんだろうか?

 ――実は無愛想なだけで思ってたりしてな。

 そんな飛躍した想像をしていたオレは、マルチに気づかれないよう心の中だけで笑った。

 そのときふと、カタログに挟まってた写真のことを思い出す。

 ――あの写真は何か関係あるんだろうか?

 一瞬マルチと間違うほど似た雰囲気を持ってる女の子、みのり。考えてみればメイドロボと人間との間に何かあるなんてことはないはずだ。せいぜいあっても見た目のモデルにしたくらいだろう。

 ――でもあの娘とマルチは、見た目にゃ似てねぇんだよな……。

 雰囲気が似ることなんてあるのかなんて思ってるとこに、オレの袖が引かれた。引いているのはもちろんマルチ。彼女は強張った表情をしてオレとは違う方向を見ている。

 マルチが見ている方向には空き地があった。ずいぶん前に家を取り壊して資材なんかが置きっ放しになってたとこだが、空き缶やらちょっとしたゴミならともかく、そこにはいつの間にかでかい家庭ゴミやら粗大ゴミなんかが不法投棄されるようになっていた。

 たまにそのことを町内会の回覧板で注意してたりしていたが、そんな場所にマルチは何を見つけたんだろうか。

「ご主人様、あそこです……」

 袖をつかんでない右手で、マルチがゴミの山の一点を指差す。

「うそ、だろ?」

 そこを見たオレもまた、顔が強張ってしまった。

「お前はここで待ってろ」

 すぐにショックから復帰したオレは、返事を聞かずにフェンスを飛び越え空き地に踏み込んだ。外出用の服が汚れるも構わずゴミの山に登り、その場所を目指した。

「誰だっ。誰がこんなことをしたんだ!」

 叫び声を上げ、震える手をそれに伸ばす。

 粗大ゴミと一緒に捨ててあったのは、メイドロボ。それも型番こそわからないが、この外見は来栖川製のマルチシリーズだった。

 捨てるときにいたずらをしたんだろう。顔や身体の見える場所には落書きがされ、服こそ着ていたが、それもぼろぼろになっていた。

「こんな、こんな……」

 言葉が出てこなかった。

 あまりにひどい姿のマルチタイプのそのメイドロボを抱き締め、オレは怒りと悲しみに身体を震わせていた。

 

          * 2 *

 

 昼休み開始を告げるチャイムが鳴るのを待って、私は主任室を出た。

 向かう場所は大食堂。駅から遠く、バス停近くにある定食屋までも少し歩かねばならないこの来栖川HM研究所では、弁当などを持ってこないほとんどの所員がそこで食事を摂る。

 人混みがあまり好きではない私はいつも行きがけに食事を買ってきていたが、今日はそこで食事を摂ることに決めていた。

 敷地的には広くても所員の数が多いため人でいっぱいになっている食堂に入る。多彩な料理が置かれている場所の前から連なっている列に並び、適当な料理の皿をトレーに取って会計の前で料金を払った。他の所員の邪魔にならないように何歩か動いた後、食堂の中を見回す。

 いつものように、音山は陽の当たる窓際の席の一つに着いていた。

 私が近づいてきたのに気づき、音山が声をかけてくる。

「よぉ長瀬。珍しいな。どうしたんだ?」

「えぇ、まぁ」

 曖昧に応えた私は、彼の隣の席に座った。

「こういうところで昼飯を食うってのもけっこういいだろ? とにかく安いし味の方もそこそこだ。なんつってもここじゃ所内の雰囲気が見える。研究所で何か起こってるときは、人が集まるここが一番最初に出るからな」

「そうですね」

 言って割り箸を右手に構えるが、食事には手が伸びない。トレーを眺めるようにうつむく私は、どうするべきかを考えている。

「どうかしたのか?」

 次々と食事を平らげつつ音山は私に目を向けてきていた。

 ――見せなければ、ここに来た意味がない。

 決心して私は懐から折り畳んだ何枚かの紙を取りだした。それを彼に差しだし、言う。

「これを見ていただけませんか?」

「ん?」

 口の中をいっぱいにしている音山は受け取った紙を広げてテーブルの上に置いた。そして内容を目だけで眺めながら食事を再開しようとする。

「っ!」

 しかしすぐに紙を裏返し、わずかに残っていた食事を口の中に放り込んでお茶で流し込んだ。

「てめぇ、こいつは――」

「……」

 鋭い視線を向けてくる音山に何も応えず、私は彼が読み終えるのを待つ。

「屋上に行くぞ」

「わかりました」

 素早く読み終え自分のシャツのポケットにその紙をしまい、音山はすべての皿が空になったトレーを持って立ち上がった。食欲などなかった私も食事に手をつけていないトレーを持ち、既に歩き始めている彼の後を追って席を立った。

 食堂のすぐ上の屋上には、ひなたぼっこをしているほんの数名の所員がいるだけだった。広い敷地を持つ研究所では、運動などはその下の中庭で行われている。

 誰からも一番遠い屋上の端に行き、音山は先ほど渡した紙を取り出した。そしておもむろに口を開く。

「てめぇはどうしたいと思ってるんだ?」

「私は……」

 複雑な思いが頭の中に巡ってるばかりで、答えることができなかった。

 私の持ってきた紙は、きのう瑞恵――自分の母親のことだが、私は彼女を母と思ったことはない。父の言葉を信じるならば、瑞恵は生まれて間もない私を一度も抱くことなく、研究のために姿を消したほどの人間なのだから――より届いたメールのハードコピー。内容は彼女が行っている研究への参加要請だった。

 その研究内容は普通のものではなく、世界的にも禁止されている複製人間、クローンの研究であった。それも彼女が目指しているのはただのクローンではない。

 一般に言われるクローンでは、何らかの方法で特定の個人の遺伝子を用い、母胎となる女性の身体を使って複製もとの人間と同じ遺伝子を持った幼児を産み落とすのが限界だ。あくまで生まれるのは幼児であり、もとの人物と同じ記憶、身体を持った人間がつくり出せるわけではない。

 しかし瑞恵の行う研究では、女性の身体を使わず創作上の話にでも出てきそうな人工子宮なるものを使っているらしい。そしてその中で「培養」を行う胎児に対し、調整したホルモンや栄養などを与えることにより、生まれてくる人間は幼児ではなく、ある程度成長した身体にできるとメールの中に書かれていた。

 普通のクローンならぬ、成体クローンとでも言うべき身体をつくり出したところで、生み出せるのはしょせん大きな身体を持った幼児だ。記憶までは移せない。瑞恵の研究はその記憶さえももとの人間から抜き出し、成長した身体で生まれてくる人間に刷り込むことによって完全な形での複製を目指していた。

 私への参加要請とは他でもない。生物学的な人間についてはまったくの素人の私だが、記憶についてはそうとも言えないからだ。

 人型メイドロボが登場してきた時代、その世界ではソフトとハードの開発がほとんど区別なく行われていた。今でこそ二つは分離して開発されているが、私や音山などの古い開発者に関しては、その両方をそれなり以上にこなすことができる。そしてメイドロボに使われるPNNC、BCHMなどのコンピュータ、とくに後者に関しては人間の脳とかなりの共通点を持つ。

 さらに私はマルチの情動を長年研究していた。マルチには、みのりの記憶が組み込んである。それはみのりが交通事故に遭った際、処置に立ち会った瑞恵がディスクにコピーし、研究に使えなかったために私に渡しておいたものだ。みのりの記憶が少なからず影響して生まれたと思われるマルチの情動の研究により、私は人間の記憶や心について、偏りはあるものの専門的な知識を有していると言えなくもなかった。

 書かれてはいないが、マルチに託したみのりの記憶のことさえ、瑞恵はどこからか調べ上げているように思われる節がある。身体的には八歳程度が限界で、記憶については抜き出しはともかく刷り込みが上手くいかないという状態の研究の一助とするため、彼女は記憶や心について研究している私を呼び寄せることにしたのだろう。

 まさにメールの内容を見る前に覚えた悪い予感が当たったことになる。

「長瀬。なんでこれを俺に見せた? いや、いい。どうせおめぇのことだ、答えやしねぇだろ。つき合いが長いからな、何でこんなもん見せたかくらいわかるぜ。

 てめぇは考えてるだろ、この研究への参加を。参加する気がないんだったらこんなもん、俺に見せる前に捨てちまえばいい。それでも持ってきたってのは、おめぇが参加を考えてるからだ。参加の意志がどれくらい強ぇのかわからねぇが、とにかく考えてても答えが出せなかったから俺に見せに来た。そうだろ?」

 射るような鋭い視線が向けられる。それを受ける私は、表には出さないように努力していたが、内心では動揺していた。

 まったくその通りだった。音山の言うように、私は瑞恵の研究への参加を真剣に考えていた。

 それを言おうと口を開いたが、言えず、無言の頷きによって表した。

「やっぱりか。だがわかってんのか? この研究はかなりヤバイもんだぞ。そこらの違法な研究とはレベルが違う。推測するに、こいつは法だのが通用しない第三国でやってるもんんじゃねぇ。研究の規模と使ってるだろう施設のことを考えると、バックにいるのはでけぇ国だ。こんなもんに関わっちまったら最期、悪けりゃ二度と表の世界に戻れねぇようになるんだぞ。それがわかってて、てめぇは参加を考えているのか?」

「わかっている、つもりです」

 私の答えに音山は舌打ちした。

 彼の言ったことのすべては私も考えていた。

 瑞恵という人間を考えればすぐにわかることだ。もとから違法な研究を重ねてきている人物、瑞恵。しかし彼女にとって研究に違法も合法もない。ただ求めることだけが、彼女にとっての真理だ。みのりの記憶もその真理に基づいてコピーが行われたのだろう。

 参加要請は瑞恵の身勝手な性格から出たもので、私は納得していない。研究の危険性のこともある。だがそれでも、私の中から研究参加への思いが消えることはなかった。

「私は、この研究に光が見える気がするんですよ。十年前あなたに言ったように、私が求めているのはあくまでマルチの妹たち、娘たち。ですが私は十年経った今もそれを世に送り出すことができず、そのための方法も見つけられない始末です。危険なのはわかっていますが、私はこの研究を通して――」

「信じらんねぇな」

 言葉を遮った音山がそれまで以上に鋭い視線で私を睨む。

「てめぇにゃ前科がある。マルチは、みのりちゃんの夢が達成できずに悩んでるおめぇが暴走してつくっちまったもんだって、前に言ってたよな。今回もそれが起きねぇとは限らねぇ」

「それはどういう意味ですか?」

 今度ばかりは彼の意図がわからず、問い返した。

 小さく鼻を鳴らした音山は、フェンスに身体を預けて何か思いに耽るように空を仰いだ。

「もし、だ。もしもだが、その研究によってみのりちゃんが生き返らせられるとなったら、どうする?」

「――まさかっ」

「だから『もし』の話だよ。けどな、みのりちゃんの記憶は、まぁ一応残ってんだろ? 研究莫迦のてめぇの母親なら、身体の方もどっかに保存してるかも知れねぇ。なくても今の技術だったら、燃やした骨の中からでも遺伝子情報取り出してクローンがつくれる可能性もある。それでもし、みのりちゃんが復活できるとしたらお前はどうする? いや、どうなっちまう?」

「それは……」

 答えることができなかった。

 みのりが逝ってしまったとき、彼女さえ帰ってきてくれれば、という思いがあったのは確かだ。それから二七年経った今、さすがにその思いはほとんど消えていたが、いざ可能となった場合、わたしがまたその思いに捕らわれないとは限らない。マルチという暴走の前例があるのだから。

 思うようにならない自分にうつむき、震えるほど拳を強く握りしめた。

「俺にはな、けっこう歳の離れた姉ちゃんがいたんだ」

 何を思ったのか音山は突然そんなことを言い始める。

「そうなんですか。上と下に男兄弟がいるのは知っていましたが、それは知りませんでした」

「そりゃそうさ。今じゃどうあがいても会うこたぁできねぇからな。……いや、死後の世界とやらでもあれば別か」

「……」

「俺はな、死んだ人間にもう一度会いたいとは思わねぇよ。死んだ人間は、死んだからこそ、だって思ってる。もし生き返る可能性があるんだとしたら、俺はそれを避けて通るよ」

 細められた音山の瞳が、私を見つめていた。

 答えを問うようなその視線。彼が自分の姉の話によって何を伝えたいのかは理解できていた。それでも私の中では、成体クローン研究に見えた光が失われてはいない。

「マルチの娘たちを生み出す方法を見つけられるって確証があるわけでもねぇ。俺の答えは反対。大反対だ。以上」

 紙を突っ返し、私の返答を待たずに音山はその場から立ち去った。

 

            *

 

「お帰りなさいませ、長瀬主任」

 主任室の扉を開けた途端、そんな声がかけられた。

 部屋に入るとモップ片手に女性が掃除をしている。

「誠にすみません。主任がお帰りになる前に終わらせる予定だったのですが、前の場所で手間取ってしまいました。すぐに終わらせますのでもうしばらくお待ち下さい」

 そう言って深々と頭を下げる彼女。

「私が早く帰ってきたのが悪いんですよ。構いません。続けて下さい」

「かしこまりました」

 柔らかな笑みを見せた後、彼女は掃除に戻った。

 嫌そうな様子は一つもなく、女性は笑みすら浮かべて掃除をやっている。見ている限りは掃除好きな人間に思えなくもない。

 しかしその正体は人間ではなかった。現在研究所内で試験中の来期発表を予定するメイドロボ、アヤノⅢ。それが彼女の正体であった。

 今のような短時間の接触であれば、来栖川製メイドロボの特徴である耳部の突き出たセンサーこそあるが、アヤノⅢは本当の人間のように思える。しかし彼女の反応がAHSによって生まれていることを、私がよく知っていた。

「いつもすみませんね。本当なら私がしなければならないのに」

「いえ、これが私に与えられた仕事ですから」

 床のモップ掛けを終え、机の上の書類整理に移ったアヤノは微笑みを返してくる。

 絶賛を一身に受けることになったその笑みだが、私にはそれが悲しく見えた。その機構がどのように動いているかを知ってるという理由もあるだろう。けれど私は彼女の存在そのものに、寂しさを覚えていた。

 扉の前からデスクの後ろにある窓に移動し、外に目を向ける。

 そこから見えるのは秋色に染まり行く中庭。芝生は黄土色にかわり、木々の緑も夏の強さを失っていた。ただ燦々と降る陽の光だけが、中庭を暖かく照らしている。

「……もうそろそろ、秋が来ますね」

「はい。まだ寝苦しい日が続いているようですが、まもなく過ごしやすい時期になってくるでしょう」

 一時作業の手を止め、アヤノも窓の外を見ている。

「時間が、流れていきますね」

「……長瀬主任、どうかなされたのですか?」

 振り向いた私の顔を見た彼女は、そんな言葉をかけてきた。

 無意識のうちに心の内が顔に出てしまっていたのだろう。私は自分の気持ちを笑みで覆い隠した。

「何でもありません。ただ少し、感傷に浸っていただけです」

「そうでしたか」

 安心したようににっこりと笑み、アヤノは書類整理の作業を再開した。

 別に違和感のない会話。メイドロボでなく人間とでも、これと同じような会話をすることだろう。

 しかし……。

 ――マルチならば、どういう反応を見せるだろうか。

 私はそんなことを考えている。

 もしマルチならば、たとえ私が笑みで隠したとしても心の内を読み取り、様々な質問を投げかけてくるだろう。

 アヤノも人を気遣うような反応を見せることができる。けれどそれは、AHSによって実現しているものに過ぎず、限定された学習機能により人間の表情を読み取り、言葉を選択しているだけのものだ。

 それを知っているからこそ、私はアヤノの反応に、そしてアヤノという存在自体に、寂しさを覚えてしまう。

 設定された反応しか行うことできないメイドロボたち。

 彼女たちをそのようにしかつくることができない自分。

 今ある研究成果を持ってすれば、彼女たちにマルチのような心を与えてやれるはずだ。だがそうして生まれてきたメイドロボの存在を、世の中は許してはくれないだろう。

 悲しかった。そして、やるせなかった。

 少しでも世の中に微笑みが増えて欲しい。それがみのりの夢であり、私の夢であった。

 マルチのような心から微笑むメイドロボであれば、それを実現していくのは可能だろう。だがそのようなメイドロボを送り出すためには、世の中に微笑む余裕がなければならない。

 求めるものは、夢が実現した先にあった。夢を実現するためには、求めるものを世に送り出さなければならなかった。その状態をどうにかするために、私は十年を費やしてきたが、方法は見つけだせなかった。

「掃除が終わりました。それではわたくしはこれで失礼させていただきます」

「いつもありがとう」

「はい」

 笑みを残して、アヤノは退出していった。

「ふぅ」

 溜め息をつき、私は溜まった仕事をこなすためにデスクに着いた。ほとんど何も考える必要のないルーチンワークに没頭していく。

 どれくらい時間が経ったのかはわからない。

 仕事を始めてしばらく経ったとき、その電話はかかってきた。

 

          * 3 *

 

 キーをいくつか叩いて状況の変化を見てみる。

 ――やっぱダメか。

 計器のモニターを見つめつつ、オレはテーブルの上に置いてある機材の一つを指差した。

「マルチ。すまねぇがあれ取ってくれ」

「これですか?」

「おぅ。ありがとさん」

 差し出されたケーブルを受け取り、ごっつい工具箱みたいな計器に片方を接続する。もう片方は、マルチの部屋から降ろしてきたベッド――それは身体に負担をかけない姿勢で充電が行えるという、メイドロボ用のメンテナンスベッドだ――で横になる、捨てられていたマルチの点検用コネクタに接続した。

 計器と連携して動かしてあるノートパソコンの方を操作し、また少し調整を行う。

「おい、調子はどうだ? ちょっとは良くなったと思うんだが」

 それまで閉じられていたそいつの瞼がゆっくりと開かれる。

「――はい。少し良くなりました」

 試作型のセリオのような無機的な口調で、そいつは応えた。

 空き地でマルチタイプのメイドロボを発見したオレたちは、出掛けるのを取り止め、急いでそいつを家に連れ帰った。本来なら企業なんかでメイドロボを管理、メンテナンスをするための機材を……マルチに異状が出始めてるのに気づき、いざというときは自宅で応急処置ができるように買ってたから、それにかけて調べてみると、メモリ保持用の電池も残ってて稼働もさせられそうなのがわかった。それでいろいろ調整してみた結果、目を開けられるまで回復させることができたわけだ。もちろんのことだが、身体はきれいに洗い、服もマルチ用の奴に着せ替えてやってある。

 稼働させられたのと同時に、そのメイドロボのこともずいぶん知ることができた。

 そいつの型番は来栖川HMホームメイドシリーズのナンバー二一、HM―21マルチⅡだ。発表されたのは六年前と古く、マルチシリーズの最新であるマルチⅢに採用されてるヒューマニティシステムは本来搭載されていない。けれどそのマルチⅡは特注らしくヒューマニティシステムを搭載していた。

 型番以外にも、簡易的なメンテナンスチェックもできるようになってるこの機材で身体の状態なんかもわかっていた。

「お身体の方は大丈夫ですか?」

「――いえ、動くことができません」

「そうなんですか。たいへんですね……」

「ですが藤田様に少し良くしていただきました。身体を動かすことはできませんが、こうして話をする分には問題ありません」

「よかったですぅー。動けるようになると、もっといいですね!」

「――はい」

「えぇっと、その……わたし、なんてあなたのことをお呼びしたらよろしいですか?」

「――マルチ、と呼んでいただければ――」

「あの、わたしもマルチと呼ばれてるんですよぉ~。同じだと呼びにくくって」

「それでは『Ⅱ』とお呼び下さい。前は『マルチ』、もしくは『Ⅱ』と呼ばれていましたので」

「わかりましたぁー」

 首くらいしか動かせないためベッドに横たわっているマルチⅡと、その横にちょこんと座って彼女に話しかけてるマルチの様子は微笑ましいばかりだ。だがしかし、オレの目にはその様子が悲しく映る。

 メンテナンス機器を使って調べたマルチⅡの出庫日と、ほとんどの消耗部品の交換日時はまったく一致していた。残りの部分は、状況を知らせる内蔵のセンサーが壊れたのか、日時がわからなかった。

 メイドロボの部品、とくに可動部分である関節などは摩滅などが起こるため、通常の使用で二年おきくらいに交換しなくちゃならない。関節以外でも燃料電池やメモリ保持用の非常電池は消耗するからやっぱり交換が必要だ。他にも蓄積されてく情報や各部回路の点検など、メイドロボにはメンテナンスなんかでいろいろ手間がかかる。

 ベッドで眠るマルチⅡには、それらが行われた跡がまったくなかった。つまり彼女は部品交換もメンテナンスも行われず、動かなくなったために捨てられたということだ。

 ――こんなことをする奴がいるってのかっ!

 本当なら声に出して叫びたい気分だった。その気持ちは二人の前だから抑えていたが、もしそんなことをした奴が目の前にいたら、オレはためらわず殴り倒していただろう。

 メイドロボは人間のために働いてくれる。毎日繰り返しのような仕事をしていても、彼女たちは文句一つ言うことはない。それが当たり前だと思い、このマルチⅡのような仕打ちをする。そんなことがあっていいんだろうか?

 メイドロボのボディは、製造メーカーが回収するよう義務づけられ、ゴミとしては捨てられないと決められていた。けれどその回収も有料で、それほど安くはなかった。メーカーがユーザー登録を厳しくし、法律で罰則をつくっても、回収費用をケチる人間による、旧式になったものや動かなくなったメイドロボの不法投棄は後を絶たなかった。

 ――こんな運命を辿るとしても、メイドロボたちは幸せなんだろうか? いや、彼女たちはそれを感じることができるんだろうか?

 そんな思いが一瞬脳裏を掠める。だがそれを問うことはせず、オレは調整を進めるためにコンピュータに目を戻した。

「んぁ? マルチ。そろそろ充電の時間じゃねぇか?」

「あ、そうですねー。でも今日はお出かけのために朝早くに充電しましたから……」

「平日の充電リズムが崩れるってのもそれなりに問題なんだろ? 後はオレがやっとくから、行ってきな」

「わかりましたぁ~。それじゃⅡさん、充電が終わったらまたお話ししましょうね」

「――はい」

 パタパタという足音を残して、マルチはメンテナンスベッドとは別に充電器がある自分の部屋に上がっていった。

 マルチⅡとともに残されたオレは、彼女が最低限動けるように調整作業を続ける。苦しいと感じるのかどうかわからないが、無言のマルチⅡは目を閉じて調整を受けている。

 ――こいつはちゃんと動くようになるだろうか。

 ――もし動けるようになったらこいつをどうしようか。

 ――二人もメイドロボを維持なんてできねぇから、どうするか考えないといけないな。

 そんなことを思いながら作業をしているうち、さっきの疑問が浮かんできた。

「なぁ。お前はもと働いてた家で……どうだったんだ?」

「――誠にすみません。機密に関わる情報については公開できないことになっています。そのようなご質問にはお答えすることはできません」

「そういう意味で言ったんじゃないんだが……」

 何となく、気まずい雰囲気が辺りに漂った。

 まさにロボットの目をしたマルチⅡに見据えられてオレはたじろぐ。オレとマルチⅡは見つめ合ったまま、どちらも動くことができなくなっていた。

 その雰囲気に堪えきれずコーヒーでも淹れに行こうとパソコンの前から立ち上がった。

「おい! なにやってんだ?」

 オレが立ち上がったのと同時に、マルチⅡが身体を起こそうとでもしたのかベッドの縁に手を掛けて動き出す。

 こいつの身体は消耗が激しくて、調整も終わっていない今の状況では動くなんて無茶だ。それでも体を起こそうと頑張る彼女を無理矢理ベッドに寝かしつけた。

「どういうつもりだ?」

「――コーヒーでも、淹れて差し上げようかと」

「莫迦っ。お前は動ける状態じゃないんだぞ。オレに気なんて使ってないで、しっかり寝てろよ」

「――わかりました」

 諦めてベッドに戻ったマルチⅡに、安堵の息をつく。

 ――まったく、何でいきなりそんなことしようとしたんだ?

 だいたい理由はわかってる。こいつに搭載されてるヒューマニティシステムが機能したんだろう。だが同時に、主人でもないオレにそれが機能することがあるんだろうか、とも思っていた。

 ――本当に、マルチ以外のメイドロボには心はないのか?

「お前はさ、もとの家で――」

「――機密に関わる情報については――」

「いや、そうじゃないだけどさ」

 警戒していたらしい。睨むようにも感じる視線とともに、言葉を遮られてしまった。

 それでもめげず、オレは彼女に問う。

「お前はもと働いてた家で、幸せだったのか?」

 マルチⅡは沈黙した。さすがに驚いていても表情には出ることはない。でもたぶん、返答の言葉を探しているんだろう。

 目を閉じ、考え込んでいるのか無言が続く。しばらくして目を開けたマルチⅡは答えてくれた。

「――わたくしは、与えられた仕事をするだけです」

「そっか。そうだよな。そうなんだよな……」

 ぽっかりと、胸に穴が開いたように感じた。

 どうやらオレはオレは少し期待してたらしい。彼女に心があることを。彼女が幸せを感じていることを。

 でもその思いは撃ち砕かれた。胸に開いた穴には、悲しみが溢れてくる。

「でもさ、思わねぇか? お前たちはそんだけ人間のために尽くしてんだ、幸せかどうかくらい、感じてもいいんじゃねぇかなって。それを言えてもいいんじゃねぇかって」

「――藤田様?」

「悲しいじゃねぇか、そんなの。仕事をさせられるだけさせられて、動かなくなったら捨てられちまう。そんなの、かわいそうじゃねぇか」

「――」

 溢れてくる気持ちが言葉となって口をついて出てきた。誰に言うでもなく、自分自身に向かって言ってるようなそれを、オレはもう止めることはできなかった。

「オレはさ、マルチを見てて、――さっきいたお前の姉さんだよ。あいつを見てて思ったんだよ。『オレにも何か人に喜んでもらえることできねぇかな』って。そのために大学に入って、料理の勉強をした。調理師の免許が取れたときにはマルチもいて、何かできるって信じてた」

 マルチⅡは何も言わなかった。話を聞いてない訳じゃなく、オレのことを見つめたまま、ベッドに静かに横たわっている。

 そんな彼女の姿に、オレはマルチの未来を重ね合わせて見ていた。

 いつかあいつも動けなくなっちまうんだろう。それがいつ来るのかはわからない。だが既に、その兆候は見え始めてる。

「確かに信じてたよ。なにかできるだろうって頑張ってたよ。でも今のオレは何もやっちゃいない。マルチとの生活が幸せで、あいつと一緒にいる時間を壊したくなくて、何もできなくなっちまってる。……あかりが、あいつがどんな気持ちでオレのことを見てるのかもわかってる。だがオレは、あかりの気持ちに応えてやることができないんだ。

 ダメな人間だよな、オレって。弱い人間だよな。どうにかしなくちゃ行けないのはわかってんのに、何もできねぇ。何もしなくたっていつか結果が出ちまう。時間がそれを出しちまうのがわかってる。マルチに憧れて料理の勉強までしたのに、あいつみたいになりたいって頑張ってたのに、今は何もやっちゃいねぇ。逃げて逃げて逃げ回って、……もしかしたら、自分で答えを出すのが怖いから、マルチの寿命が尽きるのを待ってるのかも知れねぇ」

 調整をしようとパソコンに伸ばしていた手は、熱くなった目頭に当てられていた。

 涙が出そうだった。

 あまりの自分の情けなさに、自分の弱さに、オレは肩を震わせて嗚咽を漏らしていた。

「そんなオレにできるのは、あいつに好い想い出を残してやることくらいだって思ってるよ。だけどそんなことすらも、オレには自信がねぇんだ」

 溜まっていた思いを全部吐き出し終え、オレは大きく息をついた。乱れていた呼吸を整えてじっとオレのことを見ていたマルチⅡに目を向ける。

「もう一度同じ質問なんだけどさ。お前は、人間のために働いてて、幸せだったか?」

「――わたくしには、わかりません」

 そう答えた彼女は、調子でも悪くなったのか、目をつむった。

「そうだよな。そうだよな……」

 流れそうになる涙を必死にこらえながら、オレは調整を再開するためにパソコンに向かった。

 

 

「――藤田様」

 調整作業を再開してどれくらい時間が経っただろうか。マルチはまだ充電中らしく部屋から降りてきてないから、それほど時間は経ってないはずだ。

 あの後マルチⅡは静かになっていた。小手先の調整じゃ回復が見込めないと判断したオレは、時間をかけた詳しい検査をかけていた。

 そんなとき、それまで一言も喋らなかったマルチⅡに声をかけられた。

「んぁ? どうしたんだ? 今お前の身体を検査中だからな、あんまり動いてくれんなよ」

 そう言ってまた作業に戻ろうとする。

「――わたくしは、幸せだったのかも知れません」

「え?」

 何を言い出すのかと思えば、マルチⅡの口から飛び出したのはそんな言葉。驚いたオレは彼女の顔を見た。

 マルチやアヤノみたいに泣いたり笑ったりする機構が備わってるわけじゃないから、マルチⅡに表情はかわってることはない。だが何となく彼女が発する雰囲気に、オレは妙な静かさを感じていた。

「いきなり何だ? 思い出したことでもあったのか?」

「――はい。思い出した、と言うよりは、考えていた、と表現するのが正確でしょう。先ほど藤田様が出されました質問をキーワードに、メモリを整理して答えを探しておりました。はっきりとした解答は得られませんでしたが、現段階では『幸せだったのかも知れない』と出ています」

「お前は何が言いたんだ?」

 まったくわけがわからなかった。マルチⅡが突然そんなことを言い出したこともそうだが、『幸せだったのかも知れない』という答えの意味も分からない。

 いったい何を伝えたいのか理解できず、眉根に皺を寄せてマルチⅡの瞳を見つめる。

「――藤崎様。こんなわたくしに最期まで構って下さって、本当にありがとうございました」

 マルチⅡは、ゆっくりと目を閉じた。

 それはまるで人間が永遠の眠りにつくときのような、自然な閉じ方だった。

「どういう意味なんだ? なぁ、おい。返事しろよ」

 呼びかけてみるが、彼女は目を開くことはない。無茶だと思いながら身体を揺すっているとき、パソコンがけたたましいビープ音を立てた。

 状態を見るのにちょうどいい具合に検査が終わった。そう思ってオレはパソコンの前に戻り検査結果の出てるディスプレイを見る。

「うそ、だよな? こんな、まさか……」

 検査が終わったのかと思った。だがそれは違っていた。

 表示されている検査結果はすべて『ロスト』。それはつまり、メイドロボが稼働してないために検査が中断されたことを意味してる。

 メイドロボは起きてる状態でも眠ってる状態でも、検査をすることはできる。検査が中断されたということは、それ以外の状態、電源が完全に落ちた状態だ。一度稼働を始めたメイドロボなら、メモリを保持するために電源を完全に落とすことはない。それにメンテナンスベッドには充電機能もあって電源ケーブルは接続してあるから、そんなことは起きないはずだった。

 検査途中の経過を見てみると、中断する直前まで身体の各部は交換が必要にしろ動いてたのがわかる。ただ各部の状況をパソコンに伝えているコンピュータの稼働が怪しくなり、最後にはそこから応答がなくなったということがわかった。

 メイドロボは消耗部品の交換さえ怠らなければ問題なく動くよう設計された機械だ。物理的に損傷したりすれば動かなくなるが、マルチⅡにそういった問題はなかった。もしそれ以外で稼働が停止する状況があるとすれば、搭載されたPNNC、コンピュータが動かなくなるという状況しか考えられない。

 それはつまり、メイドロボの寿命――。

「逝っちまったってのか? 寿命が尽きたってのか? まさか、そんな……。もうこいつは二度と動かないっていうのか?」

 かすかにしていたはずのコンピュータの稼働音さえ、マルチⅡからは消えていた。おぼつかない足取りで彼女の側まで歩いていき、オレはそのまま座り込んだ。

 静かな表情で目をつむり、横たわっているマルチⅡ。そのまま再び目を開いて動き出しても何の違和感もないのに、彼女が動くことは二度とない。

 何も考えたくなかった。何もしたくなかった。ただ涙だけが、頬を濡らしていった。

「どうかなされたんですか?」

 声をかけられて振り向く。リビングの入り口に立っていたのは、マルチ。

 涙を隠す暇はなかった。泣きはらしたオレの顔に気づいて、彼女は表情を固くする。

「何か、あったんですか? もしかして、Ⅱさんになにか……」

 言いながらマルチはオレを押し退けるようにマルチⅡの前に立った。眠るような顔を見て、温かさの消えた額に手を当てて、それから、抱き締めた。

「嘘ですよね。そんな、嘘ですよね、ご主人様。ご主人様が検査のために電源を落とされただけですよね? そうですよね!」

「……」

 沈黙が、答えだった。

 マルチだって、コンピュータの電源を落としたらどうなるかくらい知っている。

「そんな、そんなぁ。充電が終わったらお話しましょうって約束したのに……。一緒にいる間はご主人様のお世話を二人でしようと思ってたのに……。なんで、どうしてですかぁ」

 涙を流すマルチは、マルチⅡの頬に自分の頬をすり寄せる。

 ――あいつが最後に言ってた言葉は、どういう意味だったんだろうか。

 マルチのことを見ているうち、不思議とオレの身体は冷めてきていた。涙はもう流れなくなって、半分呆然とした気持ちでマルチⅡの残した言葉の意味を考えている。

「『幸せだったかも知れない』って、こいつは最期に言ってた。でも本当なんだろうか? 人間のために仕事をさせられるだけさせられて、一度も整備もされなくて、オレたちに発見されなかったらあのままゴミの中で動かなくなってたかも知れないのに……。それでも幸せだったなんて――」

「ご主人様!」

 初めて聞くマルチの強い口調に、オレは彼女に目を向けた。

 口調と同時にオレはそのとき初めてマルチの怒りの表情を見た。

「わたしたちメイドロボは、人間の方々のために仕事ができるだけで幸せなんです。生まれてきて、私たちを必要としてくださる方に買われて、その方のために仕事ができる。わたしたちはそれだけで充分幸せなんです。Ⅱさんのご主人様はひどい方だったのかも知れません。それでも、わたしたちはご主人様のお手伝いが少しでもできれば幸せなんですっ」

 言ってるうちに怒りの表情は涙に流されてしまっていた。マルチは穏やかにも見えるマルチⅡの顔を眺め、彼女の髪を撫でている。

「わたしたちの、夢なんです。人間の方が少しでも幸せになってくださることが。そのお手伝いができるだけでもわたしたちは幸せで……。それなのにご主人様は……」

「おい、マルチ」

 マルチの呼吸が荒くなってきた。身体も細かく震えている。

 危険な兆候だ。それは彼女の内部熱が上がってきてるのを示してる。

「もっと、お話したかった。もっと、一緒にいられると思ってた。ずっとじゃなくても、一緒にいられる間は……。わたし、わたし……」

 言葉が途中で途切れ、それまで震えていた身体も動かなくなった。マルチⅡを支えていた力が突然なくなり、マルチは彼女を抱き締めたままベッドに倒れ込む。

「マルチッ」

 すぐさまマルチを抱き上げて額を触る。

 熱い。触っているのが辛いほどに。

 一瞬ためらったが、マルチⅡから点検用ケーブルを引き抜いてマルチにつけ直す。状況を確認してみると、コンピュータが停止してたりすることはなかったが、明らかにオーバーヒート状態だった。

 とにかく熱を下げようと思ったおれは、洗面所に駆け込んでフックにかけてあったタオルを取り、水で濡らした。リビングに舞い戻り適当に畳んだ濡れタオルをマルチの額に押し当てる。

 もしかしたらこれで逝ってしまうかも知れなかった。マルチⅡも、最期はコンピュータの熱が上昇し、稼働停止に至っていた。

「莫迦野郎。なんて莫迦な奴なんだ、マルチ!」

 罵倒の言葉を並べながら、オレはマルチの再稼働がかかるのを必死の思いで祈る。

 ずいぶん長い間、そうしていたように思う。タオルに温かさを感じるようになった頃、「ぶうぅーーーん」という音を立ててマルチの再稼働がかかった。

 ホッと胸をなで下ろし、そのうち開かれるだろうマルチの瞼を見つめる。

「あれ、わたし……」

 寝ぼけたみたいな声でマルチが言う。そしてゆっくりと瞼が開かれていく。

 安堵の思いは、驚きにかわった。

 いつも見ているマルチの目が、どこか違って見えていた。

「ゴメンね、おにぃちゃん。わたし、居眠りしちゃってたみたい」

 意味の分からないことを言ったマルチの瞳は、いままでオレが見たことがあるものじゃなかった。その瞳は、長瀬さんと一緒に写る少女、みのりのものだった。

 誰かに、嘘だと言って欲しかった。

 

          * 4 *

 

「――はい、来栖川……なんだ、藤田君か」

 本来なら受付から応答要求があってから鳴るはずの電話がいきなり鳴り出したため、私は外来用の応対の言葉を口にした。しかし、相手は藤田君。

 もしマルチにいざという自体が発生した場合を思い、私は彼に主任室直通の番号を教えてあった。それから考えるに、藤田君がこの直通番号にかけてきたということは、マルチに何かあったのだろう。

 はやる気持ちを抑え、私は冷静な声で彼に問う。

「どうしたんだね? ここにかけてくるといことは……、秘密でデートのお誘いですか?」

『んなんじゃねぇよ!』

 いつもより遥かに冴えない冗談では、藤田君を落ち着かせることはできなかったらしい。いや、そんなこと以上に、彼の声にはせっぱ詰まったものが感じられた。

「それで、何かあったんですか?」

 落ち着かせるのを諦め、私はあらためて問うた。

『長瀬さん。オレ、訊きたいことがあるんだ』

「はぁ」

『マルチには、マルチにはさ、その……何か、何か……』

 はっきりしない藤田君の言葉が綴られていくのを、私は胸に苦しみを覚えながら聞いていた。

 ――まさか、マルチの秘密が彼にバレたとでも?

 そんなはずはなかった。彼がメイドロボの卓上型のメンテナンスシステムを購入したのは知っている。それを使えば、確かにメイドロボに付属してくる簡易メンテナンスコンピュータより多くの情報が得ることができる。しかし、それで調べられるのはあくまでメンテナンスに関わる情報だけであり、開発情報にも触れ、さらに厳重なガードまでかけてあるみのりの記憶の存在を知ることはできないはずだ。

 劣化により稼働限界を超えていたとしても、藤田君の言い方からしてマルチはまだ動いているらしい。マルチに何が起こったのかを聞くために、私は彼に促しの言葉をかける。

「それで?」

『いや……その……。オレ、きのう捨てられたマルチⅡを拾ってきたんだ。しばらく動いてたんだけど、そいつ、もう動かなくなっちまって……。それで、どうしようかって電話をかけたんだ』

「そうでしたか」

 藤田君の言葉は明らかに嘘だ。マルチⅡを拾ったのは本当だとしても、その話をする前に話そうとしていたことと話題がかわってしまっている。

 彼にマルチの寿命のことを告げるにはまだ早いと私は考えている。いつか話さなければならないが、いま彼にマルチに起こったことを問い質して、それを悟られるわけにはいかない。

 とりあえず、私は彼の話に調子を合わせることにした。

「もうそのマルチⅡは本当に動かないのですか?」

『あぁ。身体の方もぼろぼろなんだけど、それよりコンピュータがどうしても動いてくれねぇ。頑張ってみたけど、ダメだった』

「わかりました。それではそのマルチⅡはこちらで回収するよう手配します。もちろんもとの所有者は藤田君ではありませんから、料金のことは気にしなくて構いません。こちらの方で調子を看て、そうですね……」

 さすがに藤田君のような普通の会社員がメイドロボ二台を維持するのは難しい以上のことだろう。一瞬考え、言葉を続ける。

「とりあえず結果が出たら報告するようにします。それでよろしいですか?」

『お願いします』

 話が終わってしまった。これ以上話すことはない。電話を切るしかないが、まだマルチに何が起こったのかを聞く必要があった。

 話を長引かせるために、私は遅れている点検結果の話を持ち出す。

「それからこの前の点検結果ですが、本当にすみませんね」

『まだ出てないんですか?』

「えぇ。このところ研究所に来るメイドロボの数が増加してましてね、点検処理待ちのデータが長い列をなしていますよ。まもなく出ると思いますから、もう少し待ってて下さい」

「……わかりました」

 限界だ。これ以上話を引き延ばすことはできない。別れの挨拶を述べ、私は電話を切ろうと受話器を耳から離した。

『長瀬さんっ』

「ん?」

『「お兄ちゃん」って聞いて、なんか思い当たること、ないですか?』

 離した受話器から聞こえてきた声に私は耳を疑った。

 再び高ぶり始めた鼓動を必死で抑え、訊く。

「それはもしかして、マルチがそんなことを?」

『そうなんだ。オーバーヒートから目を覚ましたマルチが、オレに向かって「お兄ちゃん」って、言ったんだ』

 受話器をつかんだ手にじっとりと汗がにじむのを感じる。身体が震え始め、上手く冷静を装った声が出せるかどうかわからない。

 それでも訊かねばならなかった。その言葉の真意を。マルチが口にした本当の言葉を。

 訊くことが危険に繋がるのを知りながら、私は努めて平静な声で、藤田君に問うた。

「もしかしてそれは、『お兄ちゃん』とよりも、『おにぃちゃん』というイントネーションの方が近くありませんか?」

『……そうだ。その方が近かったような気がする』

 それ以上、平静を装うことができなかった。

「やはりですか。試作型のマルチにはいくつか量産型にはないモードがありましてね。この前の点検のとき設定を間違えたのでしょう」

『あっ、いや、長瀬さん!』

「本当にすみませんが、今の私には時間がありません。余裕ができましたらすぐに設定を戻しますから、少し待ってて下さい」

『長瀬さん! その「おにぃちゃん」って言うのは――』

「すみません。これで失礼します」

 有無を言わせず、私は電話を切った。また電話がかかってくる可能性もあるから、ケーブルを電話から引き抜いてしまった。

 信じられない思いに、私は身体を椅子に預けた。顔を両手で覆って閉じた瞼の上から指で目を押さえる。

 まさか、そんなことが起こるなんて信じられなかった。

 メイドロボの寿命、つまりコンピュータの寿命による不具合は、オーバーヒートの増加という物理的なものに始まり、計算ミスや情報の取りこぼしなどの行動に関わるものへと移りかわっていくのは、これまで何度か行ってきた実験でわかっていた。

 ――しかし、まさかそんなことが起こるなんて。

 マルチが「おにぃちゃん」と口走ったのは、みのりの記憶との混乱が起こったからだ。オーバーヒートなどは点検データからほぼ予想通りのペースで増加していたが、まさかそんなことが起こるなんて予想もしていなかった。

 記憶の混乱は、同時にマルチの娘たちを生み出すことが不可能であること示していた。

 もし、どうにかマルチの娘たちを世の中に送り出す方法が見つかったのとしても、そのメイドロボにはみのりの記憶を基盤としたデータが必要になる。しかし寿命に伴う不具合により、そのデータが表面化する可能性がある。

 それは、あまりに危険な事実だった。

 今まで研究してきたほとんどが無駄になってしまった。夢への道は閉ざされてしまった。

 どうすることもできず、顔を両手で覆ったまま、私は机に突っ伏した。

 

            *

 

 一方的に電話を切られてオレは受話器を戻した。

 もう一度かけようと思ったが、止める。振り向いて開けっ放しのドアの向こうにいるマルチに目を向けた。

 もう動かないマルチⅡを膝の上で抱いて、彼女は悲しげにその髪を撫で続けている。

 あの後マルチは落ち着きを取り戻した。

 自分が口走った言葉のことは何も覚えていなかった。

 ――あれは、いったい何だったんだろうか?

 結局長瀬さんに訊くこともできなかった。あんなことがあったというのに、オレはまだマルチとの生活を壊したくないという思いに流された。

 だが絶対なにかある。

 長瀬さんがわざわざイントネーションを訊いてきたことからもそれが感じられる。

 ――いったい何が起こってるんだ?

 わからなかった。あのときのマルチの瞳が、オレには写真の女の子、みのりのものに見えていた。

 ほんの少し歩けば抱き締められるくらいの距離にマルチはいる。

 それなのに、オレにはマルチが触れられないほど遠くにいるような錯覚に捕らわれていた。

 

            *

 

 信じ切れず、もう一度お医者さんに同じことを訊いてみる。すると返ってきたのは、「間違いありません。神岸さん」という笑みを交えた肯定の頷きだった。

 一瞬頭の中が空っぽになって、だんだんと心の中に暖かい気持ちが溢れてくる。

「ありがとうございました!」

 私は心からお礼を言って診察室を出た。

 お金を払うために待合室の長椅子に座りながら、浮かんでくるのは浩之ちゃんの顔。

 ――もし浩之ちゃんにこのことを教えたら、どんな顔をするかな。

 浮かんでた驚きの顔がゆっくりと笑みにかわっていくのが見えた。「おめでとう」と、浩之ちゃんが声をかけてくれる。

 想像が広がっていって、ついこらえられなくなった私は、口に手を当てながら「ふふっ」と小さく笑い出していた。

 ずっと昔から、浩之ちゃんのことが好きだった。

 中学の時も高校の時も、何度か男の子に告白されたことはあった。でも私は、浩之ちゃんのことが好きで、あの優しいところを表に出せない不器用な浩之ちゃんのことしか見れなくて、誰ともつき合わずに今まで過ごしてきた。

 そこに現れた、マルチちゃん。

 最初のときはよかった。マルチちゃんは試験で一週間しかいなかったし、マルチちゃんに会ったことで、浩之ちゃんはずいぶんかわったから。優しさを表に出せるようになったから。

 マルチちゃんがいなくなった後、浩之ちゃんは教室で溜め息ばかりついていた。だから私は、あの人が寂しくないようできるだけ側にいることにしていた。

 そんな高校から大学に入るまでの二年くらいの時間。私にとって、その時間が一番幸せだった。

 いつか「好き」と言い出してくれると、いつ「好き」と言い出そうかと思いながら、いつも浩之ちゃんと一緒にいることができた。

 それなのに、マルチちゃんは帰ってきた。浩之ちゃんの心はまた私から離れていってしまった。

 そのときからだった。私の辛い時間が始まったのは。

 マルチちゃんのことを好きになる理由はよくわかる。私自身、マルチちゃんのことを嫌いになれないくらいだから。

 浩之ちゃんのことは誰よりも好きだけど、マルチちゃんのことも嫌いになれないわたしは、どうすることもできなかった。

 何があったのか話してくれることはない。でもたぶん、マルチちゃんのことで悩んで、浩之ちゃんが私のことを求めてくるようになってからは、ほんの少しの幸せと、それよりももっと大きな苦しみが、私にのしかかってきた。

 ――でもそんな辛さも、苦しさも、もうすぐ終わる。

 受付の看護婦さんに呼ばれて、私は診察のお金を払うために長椅子から立った。次の診察日を相談して決めてから、病院の出口をくぐる。

 外には雲一つない晴れ上がった空があった。まぶしいほどの太陽を感じて私は目を細める。

 ――私はもうすぐ幸せになれるんだよね、浩之ちゃん。

 どうしようもないくらい緩んでいく頬に手を当てて、また笑みをこぼした。

 微笑む浩之ちゃんの顔を思い浮かべている私は、産婦人科医院と書かれた看板の下を通って、太陽で明るく照らされた道を歩き始めた。

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